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月が、綺麗だったから
その夜はやけに月が綺麗だと感じた。
南西の空に浮かぶ満月は普段よりも大きく、明るく輝いているように思える。単なる気のせいかと思っていたが、そういえば昼間にクラスメイトが話していた。今夜はスーパームーンだと。
その明るさは少し眩しくて、目を細めたくなる。でも、優しい光であることには変わりない。
寮の部屋、カーテンの隙間からその月を眺めていた。もう少しだけカーテンを開けてみれば、月明かりが部屋の中を照らす。
ガラス越しではなく、直にその月を見たくてバルコニーに出た。夜風が頬を滑っていく。どこかで鳴いている虫の声が聞こえた。
暦は九月を過ぎようとしているけど、まだまだ暑い日が続いている。今年の夏はあっという間に過ぎていったな。色々なことが、ありすぎた。
バルコニーの手摺に寄りかかりながら、満月をぼんやりと眺めていた。
あの人は元気にしているだろうか。
ここから遠く離れた場所、関西に居る葉月さんのことが頭に浮かぶ。連絡が途絶えているわけでもない。他愛のない、なんてことのないメッセージのやり取りもある。ただ、この月を眺めていたら、ふとあの人が懐かしくなった。
時刻は九時半。まだそんなに遅い時間じゃない。連絡、してみようかな。電話は流石に気が引けるし、メッセージで。
そう思ってスマホからメッセージアプリを立ち上げようとした。その時、短い通知音が鳴る。これには驚いてしまった。
液晶画面に現れた『天喰くん、まだ起きてる?』という一文。
たった今、連絡を取ろうとした相手。葉月さんからメッセージが送られてきた。まさか俺が送ろうとしていた所を察知したんじゃ。いやまさかそんな筈はない。
そのままアプリを立ち上げて、葉月さん個人とのトーク画面を開く。『起きてます』と送ってから『俺も今、葉月さんに連絡しようと思ってました』と続けて送信。どちらもすぐに既読の印が付く。
こんなこと送ったら迷惑だっただろうか。でも現にそうなんだから、それ以外に言い様がない。
トーク画面にはすぐに相手からの返事が表示された。
『奇遇ね。今、大丈夫?』
『はい。何かありましたか』
『特に何かあったわけじゃないんだけど、元気かな…って思って』
『俺は変わりないです。葉月さんはお変わりないですか』
そこでメッセージが一度途切れた。既読にはなっているけど、所用で席を外したのかもしれない。そう穏やかに構えていたら、電話がかかってきた。葉月さんからだ。突然のコールに慌て、スマホを落としそうになる。出ないわけにもいかないし、とりあえず通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てた。
「も、もしもし」
『もしもし、こんばんは。電話、急にかけてごめんね。…文字打つよりも話したほうが早いと思って』
「…それも、そうですね。…あ、こんばんは」
電話の向こうで葉月さんが控えめに笑った。
たった数週間だというのに、聞こえてきた声がひどく懐かしく思えた。懐かしくて、その優しい声が胸に沁みこむようだ。
『そっちはまだ暑いのかな。大阪は今日すごく暑くて…アスファルトが鉄板焼きみたいになってたの』
「こっちはそこまで暑くはなかったです……葉月さん、だいぶ関西に馴染んでますね」
『え?』
「そんな例えするから」
『お、おかしかったかな…。昼間、ファットさんがそう話してたから。つい』
「いいことだと思います。例えは別として、場に馴染むのは」
真夏の暑い日、パトロール中に「鉄板焼きになってまうわ」と棒アイスを何本も食べ歩いていたのを思い出した。さすがにあれはお腹冷やしたりしないのかハラハラした。全く問題なく、いつも通りに食事をとっていたけど。
「ファットは近くにいないんですか」
『今日は会食に呼ばれてて…そんなに遅くはならないと思うけど。用、何かあるなら伝えておくよ』
「いえ、ないです」
前に所要で葉月さんに連絡をした時、同じフロアにファットがいたのかやけにうるさかった。あれはわざと聞こえるような声で話していたに違いない。
今夜その声が聞こえてこない理由を聞いて、それなら少し、長話をしても大丈夫そうだと思った。落ち着いて話せるだけいい。
『夏バテ、してない?ほら、天喰くんの個性は食欲落ちたら大変だな…って思って』
「夏バテはしてませんよ。食欲も普通に……あ、ファットの方は大丈夫ですか。去年、あまりに暑い日が続いたせいか一時的に食欲落ちてたことがあって」
『そうなの?…今は普段通りに食べてるけど、ちょっと気をつけて見てみるね。教えてくれてありがとう』
葉月さんは今やファットの健康管理を担っている。「ファットさんの観察日記をつけることになったの」と聞いた時はさすがに何事かと聞き返した。脂肪燃焼後から効率の良いカロリーの摂り方を研究しているそうだ。たまに写真が送られてくる。逆ビフォーアフターみたいだと切島くんと話していたこともあった。そのポーズがいちいちCMと似せてくるものだから。
でも相手を気にかけるばかりの葉月さん自身も体調に気を配ってほしい。
「…葉月さんも、自分の体調に気をつけるようにしてください。細いから、心配だ」
『ありがとう。体力は自信ある方じゃないから…気をつけるね。あ、そうだ。天喰くんの用事は?』
「え」
『私に用があったから連絡くれたんでしょう』
「あ、…いや。大したことじゃない……月が」
見上げた先で月が煌々と輝いていた。向こうも晴れているだろうか。
「…月が、見えたので」
こんな理由では笑われてしまうと思った。でも、葉月さんは笑ったりしない。その代わりに感嘆の声が漏れてきた。
『綺麗な月。今日、満月だったんだ。…気のせいかな。いつもより大きく見える』
「スーパームーンらしいです」
『そういえば朝のニュースで聞いたかも。…今日忙しかったからすっかり忘れてた。…本当、神秘的ね』
そう、ぽつりと話す葉月さんの横顔がすぐそこにあるような気がした。ああ、当たり前の様に傍にいたからだ。事務所で俺たちの帰りを待ってくれていたことが、日常になっていた。
なるべく、電話はしないようにしていた。声を交わしてしまったら、次は会いたくなるに決まってる。決して会えない距離じゃないから余計に。
『ありがとう天喰くん。この事教えるためにでしょ?』
「…はい。葉月さん、次の土曜にそっち行きます。予定、空いてますか」
『えっ。私は構わないけど…特に用事もないし。でもインターン中止になってるのに、こっち来ても大丈夫なの?怒られない?』
「遊びに行くだけなら、大丈夫。切島くんにも声かけて、一緒に行きます。…都合がつけばいいけど」
『そっか…うん。楽しみにしてるね』
笑みを含んだその柔らかい声が、耳元をくすぐる。優しくかけてくれるその声が好きなんだ。
『離れた場所で同じ月を見上げていると、私たち同じ空の下にいるんだなあ…って実感するね』
「そうですね。…距離はあるのに、近くに思える」
『それにしても、天喰くんは意外にロマンチストなんだね。だって、綺麗な月が見えたからって』
「そ、それは…貴女にも見てもらいたかった、からで…」
綺麗な月を見ていたら貴女のことが浮かんだ。なんて台詞は絶対に言ってはいけない。墓穴を更に掘るだけだ。ファットにも散々言われてしまうのが目に見える。
上手い切り返しも一向に見つからないし、ここは電話を切るに限る。
「…そ、そろそろ電話切ります。明日も授業あるし…葉月さんもお仕事」
『うん。今日はありがとう』
「こちらこそ。…また土曜日に」
『楽しみにしてるね。ファットさんにも二人が来るって伝えておくから。きっと喜ぶよ』
「お願いします。…じゃあ、おやすみなさい」
『おやすみなさい』
関西と関東を繋いでいた画面を暫く見つめていた。
大きな月は雲に邪魔されることなく、静かに光を放っている。まだこの月を貴女も見ているだろうか。
急な約束を取り付けてしまったけど、久々に会える。心が僅かに弾むような感覚は悪くないと思えた。ああ、そうだ。先に切島くんに予定を聞いておかないと。二人揃っていた方が葉月さんもファットも喜ぶから。
俺は後輩とのトーク画面を起動させて、土曜日の予定を尋ねる。すぐに既読がついて、その後の返事が快いものであることを期待しながら空を見上げた。
その夜はやけに月が綺麗だと感じた。
南西の空に浮かぶ満月は普段よりも大きく、明るく輝いているように思える。単なる気のせいかと思っていたが、そういえば昼間にクラスメイトが話していた。今夜はスーパームーンだと。
その明るさは少し眩しくて、目を細めたくなる。でも、優しい光であることには変わりない。
寮の部屋、カーテンの隙間からその月を眺めていた。もう少しだけカーテンを開けてみれば、月明かりが部屋の中を照らす。
ガラス越しではなく、直にその月を見たくてバルコニーに出た。夜風が頬を滑っていく。どこかで鳴いている虫の声が聞こえた。
暦は九月を過ぎようとしているけど、まだまだ暑い日が続いている。今年の夏はあっという間に過ぎていったな。色々なことが、ありすぎた。
バルコニーの手摺に寄りかかりながら、満月をぼんやりと眺めていた。
あの人は元気にしているだろうか。
ここから遠く離れた場所、関西に居る葉月さんのことが頭に浮かぶ。連絡が途絶えているわけでもない。他愛のない、なんてことのないメッセージのやり取りもある。ただ、この月を眺めていたら、ふとあの人が懐かしくなった。
時刻は九時半。まだそんなに遅い時間じゃない。連絡、してみようかな。電話は流石に気が引けるし、メッセージで。
そう思ってスマホからメッセージアプリを立ち上げようとした。その時、短い通知音が鳴る。これには驚いてしまった。
液晶画面に現れた『天喰くん、まだ起きてる?』という一文。
たった今、連絡を取ろうとした相手。葉月さんからメッセージが送られてきた。まさか俺が送ろうとしていた所を察知したんじゃ。いやまさかそんな筈はない。
そのままアプリを立ち上げて、葉月さん個人とのトーク画面を開く。『起きてます』と送ってから『俺も今、葉月さんに連絡しようと思ってました』と続けて送信。どちらもすぐに既読の印が付く。
こんなこと送ったら迷惑だっただろうか。でも現にそうなんだから、それ以外に言い様がない。
トーク画面にはすぐに相手からの返事が表示された。
『奇遇ね。今、大丈夫?』
『はい。何かありましたか』
『特に何かあったわけじゃないんだけど、元気かな…って思って』
『俺は変わりないです。葉月さんはお変わりないですか』
そこでメッセージが一度途切れた。既読にはなっているけど、所用で席を外したのかもしれない。そう穏やかに構えていたら、電話がかかってきた。葉月さんからだ。突然のコールに慌て、スマホを落としそうになる。出ないわけにもいかないし、とりあえず通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てた。
「も、もしもし」
『もしもし、こんばんは。電話、急にかけてごめんね。…文字打つよりも話したほうが早いと思って』
「…それも、そうですね。…あ、こんばんは」
電話の向こうで葉月さんが控えめに笑った。
たった数週間だというのに、聞こえてきた声がひどく懐かしく思えた。懐かしくて、その優しい声が胸に沁みこむようだ。
『そっちはまだ暑いのかな。大阪は今日すごく暑くて…アスファルトが鉄板焼きみたいになってたの』
「こっちはそこまで暑くはなかったです……葉月さん、だいぶ関西に馴染んでますね」
『え?』
「そんな例えするから」
『お、おかしかったかな…。昼間、ファットさんがそう話してたから。つい』
「いいことだと思います。例えは別として、場に馴染むのは」
真夏の暑い日、パトロール中に「鉄板焼きになってまうわ」と棒アイスを何本も食べ歩いていたのを思い出した。さすがにあれはお腹冷やしたりしないのかハラハラした。全く問題なく、いつも通りに食事をとっていたけど。
「ファットは近くにいないんですか」
『今日は会食に呼ばれてて…そんなに遅くはならないと思うけど。用、何かあるなら伝えておくよ』
「いえ、ないです」
前に所要で葉月さんに連絡をした時、同じフロアにファットがいたのかやけにうるさかった。あれはわざと聞こえるような声で話していたに違いない。
今夜その声が聞こえてこない理由を聞いて、それなら少し、長話をしても大丈夫そうだと思った。落ち着いて話せるだけいい。
『夏バテ、してない?ほら、天喰くんの個性は食欲落ちたら大変だな…って思って』
「夏バテはしてませんよ。食欲も普通に……あ、ファットの方は大丈夫ですか。去年、あまりに暑い日が続いたせいか一時的に食欲落ちてたことがあって」
『そうなの?…今は普段通りに食べてるけど、ちょっと気をつけて見てみるね。教えてくれてありがとう』
葉月さんは今やファットの健康管理を担っている。「ファットさんの観察日記をつけることになったの」と聞いた時はさすがに何事かと聞き返した。脂肪燃焼後から効率の良いカロリーの摂り方を研究しているそうだ。たまに写真が送られてくる。逆ビフォーアフターみたいだと切島くんと話していたこともあった。そのポーズがいちいちCMと似せてくるものだから。
でも相手を気にかけるばかりの葉月さん自身も体調に気を配ってほしい。
「…葉月さんも、自分の体調に気をつけるようにしてください。細いから、心配だ」
『ありがとう。体力は自信ある方じゃないから…気をつけるね。あ、そうだ。天喰くんの用事は?』
「え」
『私に用があったから連絡くれたんでしょう』
「あ、…いや。大したことじゃない……月が」
見上げた先で月が煌々と輝いていた。向こうも晴れているだろうか。
「…月が、見えたので」
こんな理由では笑われてしまうと思った。でも、葉月さんは笑ったりしない。その代わりに感嘆の声が漏れてきた。
『綺麗な月。今日、満月だったんだ。…気のせいかな。いつもより大きく見える』
「スーパームーンらしいです」
『そういえば朝のニュースで聞いたかも。…今日忙しかったからすっかり忘れてた。…本当、神秘的ね』
そう、ぽつりと話す葉月さんの横顔がすぐそこにあるような気がした。ああ、当たり前の様に傍にいたからだ。事務所で俺たちの帰りを待ってくれていたことが、日常になっていた。
なるべく、電話はしないようにしていた。声を交わしてしまったら、次は会いたくなるに決まってる。決して会えない距離じゃないから余計に。
『ありがとう天喰くん。この事教えるためにでしょ?』
「…はい。葉月さん、次の土曜にそっち行きます。予定、空いてますか」
『えっ。私は構わないけど…特に用事もないし。でもインターン中止になってるのに、こっち来ても大丈夫なの?怒られない?』
「遊びに行くだけなら、大丈夫。切島くんにも声かけて、一緒に行きます。…都合がつけばいいけど」
『そっか…うん。楽しみにしてるね』
笑みを含んだその柔らかい声が、耳元をくすぐる。優しくかけてくれるその声が好きなんだ。
『離れた場所で同じ月を見上げていると、私たち同じ空の下にいるんだなあ…って実感するね』
「そうですね。…距離はあるのに、近くに思える」
『それにしても、天喰くんは意外にロマンチストなんだね。だって、綺麗な月が見えたからって』
「そ、それは…貴女にも見てもらいたかった、からで…」
綺麗な月を見ていたら貴女のことが浮かんだ。なんて台詞は絶対に言ってはいけない。墓穴を更に掘るだけだ。ファットにも散々言われてしまうのが目に見える。
上手い切り返しも一向に見つからないし、ここは電話を切るに限る。
「…そ、そろそろ電話切ります。明日も授業あるし…葉月さんもお仕事」
『うん。今日はありがとう』
「こちらこそ。…また土曜日に」
『楽しみにしてるね。ファットさんにも二人が来るって伝えておくから。きっと喜ぶよ』
「お願いします。…じゃあ、おやすみなさい」
『おやすみなさい』
関西と関東を繋いでいた画面を暫く見つめていた。
大きな月は雲に邪魔されることなく、静かに光を放っている。まだこの月を貴女も見ているだろうか。
急な約束を取り付けてしまったけど、久々に会える。心が僅かに弾むような感覚は悪くないと思えた。ああ、そうだ。先に切島くんに予定を聞いておかないと。二人揃っていた方が葉月さんもファットも喜ぶから。
俺は後輩とのトーク画面を起動させて、土曜日の予定を尋ねる。すぐに既読がついて、その後の返事が快いものであることを期待しながら空を見上げた。