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『猫カフェ、オープン!』
事務所の郵便受けから取り出した、郵便物に交ざっていた一枚のチラシ。表面にはお洒落な店の外観と冒頭の一文。裏を返すと猫の写真と名前、好きなおもちゃが載っている。可愛らしい猫の写真に葉月の頬が緩む。
一階の事務所で郵便物を仕分け、ファットガム宛てのものを上の階に持っていく。その途中、階段の踊り場で天喰に声を掛けられた。コスチュームに着替えており、これから市内のパトロールに向かうようだ。
目元を覆うサンバイザー越しに猫の姿が目に映る。そのチラシを大事そうに持っていたので、三毛猫の写真に天喰も視線を落とす。
「そのチラシ、どうかしたんですか」
「うん。猫カフェのオープンのチラシ。可愛かったから…」
「……この番地だとここから近いですね。…あの雑居ビルの一階か」
「天喰くん、場所分かるの?」
「はい。そこはパトロールでも通る場所なので……葉月さん?」
葉月が目を輝かせ、天喰を見上げていた。期待されるような眼差しに多少たじろいだ天喰は「猫、好きなんですか」と返す。すると、首を二度振って頷いた。
「あ、あの…天喰くんが暇な日でいいから、ここに付き合ってほしいんだけど……ダメかな」
「え……それは別に、構いませんけど」
「猫、嫌いだったり、アレルギーは無い?」
「嫌いじゃないし、アレルギーも無いです」
その答えに葉月は益々目を輝かせた。これは近日中に連れていった方がいいと判断した天喰はこの先一週間のスケジュールを思い出す。半日か一日空けられそうなのは明日しかない。
「明日なら時間取れそうです。…その猫カフェ、何時からですか。……十一時オープンか。それなら十時半にここを出れば間に合いますね」
「それじゃあ、明日の十時半に事務所の前で待ち合わせでいいかな」
「はい。……でも、なんで俺。ファットに声掛けないんですか」
葉月に外出の声を掛けられるのが嫌なわけではない。だが、優先順位はまずファットガムだろうと。葉月とファットガムの仲は周知の事実。デートに誘えばいいのにと内心思う天喰であったが、どうやら何か理由があるようだ。葉月は気まずそうに「それには理由が」と口籠る。
「…今はファットさんと切島くんには内緒で」
「二人に…?それ、どういう」
意味ですか、と尋ねるより先に階段の下から後輩の切島が顔を覗かせた。
「環先輩!早く行かねえとファットが待ってますよ!」
「あ、ああ。今行くよ」
切島が「葉月さん、お疲れ様っス!」と相変わらずの元気がいい声と向日葵の様な笑顔を浮かべた。
その眩しさを遮るように天喰は自分のマントのフードを深く被る。
「すみません…パトロールに」
「行ってらっしゃい。サンイーター、レッドライオット」
「うっす!行ってきます!」
「行ってきます」
階段を下りてから振り返ると、そこでまだ葉月がにこやかに手を振って二人を見送っていた。
二人は事務所前でファットガムと合流し、担当するルートを辿り始めた。このルートは今しがた話した猫カフェのある雑居ビル前を通る。アクセス方法を確認もできて丁度いい。そう考えながら天喰は周囲に注意を向けていた。
「先輩、どうかしたんスか。なんか、さっきから顔が険しいっスよ」
顔に出ていたのだろうか。俄かに天喰の心臓が跳ね上がる。「今は内緒で」という葉月の声が頭に過る。その約束を破るわけにいかない。
天喰は首を横へ振って「何でもない」と呟いた。
市内を進むうちに例の猫カフェが入っている雑居ビルが見えてきた。看板、店の外観もチラシで見た通りなので間違いない。天喰が雑居ビル周辺を改めて確認していると、その視線を目聡く追っていた切島があっと声を上げた。
「そういえばここ、猫カフェがオープンしたみたいですよ」
「そっそうなんだ…。……ああ、ほんとだ」
「おおー猫ちゃん仰山おりそうやなァ」
「……そうですね」
歩道の通りに面した窓、そこから外を眺めている灰色の猫がいた。大きな欠伸をして、その場で丸くなる。日が当たって暖かそうだ。
店内は窓際に設けられた席もあり、テーブルに乗って毛繕いをしている猫もいた。女性客が微笑ましい目でそれを見守っている。
あの席には座りたくない。外から目立つし。何とか奥の席に座れるようにしたいと考えていた天喰はファットガムに肩を叩かれ、びくりとした。その青ざめた顔にファットガムは顔を顰める。
「なんや環。調子悪いんか」
「い、いえ」
「そんならええけど。体調悪いんやったら言いや。それと、なんか悩みあるんなら遠慮せずに言い。我慢は良くないで」
「……はい」
体調が特に悪いわけではない。ただ、悩みの種が目の前にいる。事実、隠し事をしており、恋人を差し置いて声を掛けられたなど言えるはずもなかった。
やはり明日の猫カフェは断ろうか。しかし、それを伝えた際に葉月が物凄く落ち込む様子が浮かんだ。
断れない。自分に声を掛けたのには理由があると言っていた。それを聞いてからどうするか決めようと天喰はファットガムの背中を見ていた。
◇◆◇
翌日。ファットガム事務所前で葉月と天喰は時間通りに待ち合わせ、例の猫カフェへ向かった。
「今日は無理に付き合わせてごめんね」
「いえ。…俺に声を掛けた理由が分かったので。昨日通りかかった時、見た感じ広そうな場所でしたよ」
「本当?それなら期待できそう」
昨夜のうちに理由が判明した天喰の気苦労は杞憂に終わり、こうして心置きなく出掛けられることとなった。
開店したばかりで情報は少ないが、事前に調べたところ保護猫が多いことや、客がSNSで発信したメニューの写真に猫型のパンケーキがあったなどの話をしながら目的地へ向かっていく二人。
その後にそろりとついていく二つの影が事務所から出てきたことには気が付いていなかった。
「……ファット。ホントに二人の後、つけるんスか」
「勿論や」
前を歩く二人と一定の距離を保ち、豊満と切島は事務所から尾行を続けていた。私服は目立つカラーリングを避け、その辺の一般人に紛れたら分からないようなものをチョイス。
「目立たん服に着替えたら下で集合や」と切島が声を掛けられたのはつい先刻。インターン中である切島は私服の手持ちが少ないので、こんな感じでいいかと豊満に尋ねれば「完璧やで」と褒められた。それはいいのだが、まさか尾行する為だとは露知らず。
昨日のパトロール中にヴィランとの攻防で低脂肪状態となった豊満も落ち着いた色のパーカーを羽織っている。容姿は目立たないが、穏やかではない表情に切島は動揺を隠せずにいた。
「……環の様子がなんやオカシイ思うたら、こういうワケやったとはな」
「いや、でも…今までだって普通に二人で買い物とか行ってましたよね。俺だってそうだし」
「それはただの買い出しや。今日行くんは猫カフェやで。しかも俺たちに内緒で」
つまり、二人はデートをしているのではないか。そう言いたいのだ。自分の恋人が内緒で他の男と出掛けていることに妬くのは分かるが。相手が天喰なので、そう心配は要らないんじゃないかと切島は思っている。
「ファットの考えすぎじゃないっスかね。二人ともオシャレしてデートって雰囲気じゃなさそうだし…」
「何言うてんの切島くん。霧華ちゃんはいつでもオシャレさんやで」
「……そうっスね!」
「それにヒーローたるもの、隠密行動も覚えなあかんで。捜査の基本中の基本や」
「…うっス!」
「信号渡ったで!」
「はいっ!」
◇◆◇
「いらっしゃいませ〜。二名様でよろしいですか?」
目当ての猫カフェに到着し、受付で出迎えられた葉月は驚いていた。若い女性スタッフの頭に猫耳が一対。それは作りものではなく、どう見ても本物の茶色い細かい毛が生えていた。触るとふわふわしていそうだ。
天喰がそのスタッフと話している間もその猫耳に目がいってしまい、席へ案内される際もふさふさのしっぽがゆらりと揺れていた。さらに目が止まってしまう。
「…窓際しか空いてなかった」
「結構混んでるのね。お店開いたばかりなのに」
「外からの視線が…。…ところでさっきから気になるものでも」
「あ、その…スタッフの方が」
天喰が首を捻る。そこでようやく葉月は自分の方がおかしいのだと気がついた。個性を持つ人間には猫のような姿形をしている者もごく当たり前に存在しているのだと。
自分の世界にはメイド喫茶という場所があり、そこのスタッフは作り物の猫耳や尻尾をつけていると話す。
水の入ったグラスとメニューを置いて「お決まりになりましたらお呼びください」と先程のスタッフが去っていく。左右に揺れる尻尾を見ていた二人はテーブルを挟んで向き合った。
カフェスペースと猫が過ごす場所は特に区切られておらず、自由に猫が隣の部屋と行き来していた。ブチ柄の猫が客の膝の上で寛いでいる。猫と遊びたい場合は隣の部屋へ行くようで、カフェスペースではおもちゃ持ち込み禁止と書かれていた。
「個性がなければないで、そういう工夫をしているんですね」
「最近は脳波と連動して耳が動くものもあるんだよ。すごいよね」
「それなら気軽に猫の個性体験ができますね」
「個性体験。…そんな風に考えたことなかった」
猫耳といえばメイド喫茶しか思い浮かばなかった葉月だが、ところ変われば見方も変わる。
今までにも、お菓子のメーカーや商品名が微妙に異なっていたり、キャラクターが似通ったものなど多岐にわたる。今のように施設の概要が違えば、丁寧に葉月が説明をする。それを聞くたびに天喰はこう思っていた。
「葉月さんの話を聞いてると、実際に色々見てみたくなる。新しい発見もできそうだし…叶わないことですけど」
「私の話が参考になるならいつでも聞いて」
「ありがとうございます。…あと、話していて単に楽しい」
「私も。……あ、メニュー。何か頼まないと」
ラミネートされたメニューにはパンケーキ、ドリンクの写真が載っており、パンケーキが猫の顔を模っていて可愛いと葉月が頬を緩めていた。きつね色に焼けたパンケーキの横にクリームが添えられている。
しばし悩んだ末にパンケーキセットとドリンクはアールグレイを注文。天喰は同じものをと先程のスタッフに伝えた。
水の入ったグラスを傾ける。隣の部屋からは猫がバタバタと遊び回る音が聞こえてきた。猫じゃらしを狙ってじりじりと獲物を狙う黒猫。葉月はそれをちらちらと気にしていた。
「猫、本当に好きなんですね」
「うん。小さい頃から好きなの。…好かれるのは別だけど」
「猫好きは逆に避けられるって…よく聞きます」
「私も例に漏れずそれなの。目が合っただけで逃げ出しちゃう」
「…でも分かる気がする。自分に構ってくる人が近づいてきたら逃げ出したくもなる……わ、笑うとこですか」
くすくすと笑みを零す葉月に天喰は狼狽えていた。
「そう聞いていたら天喰くんも猫みたいだなって」
「……猫」
「あ、ご…ごめんね。気を悪くしたら」
「いえ…猫みたいにしなやかな動きを再現できれば、行動範囲広がると思って。でもさすがに…猫は食べてはいけない」
天喰自身の個性を発動させるには、その元となる物を口にしなければいけない。この国では今の話は実現できそうになかった。
「……他にネコ科の動物……あっ!トラは?」
「絶滅危惧種ですよ…もっといけない」
「そっそうね…うん。強そうなネコ科って考えたら…トラが浮かんで」
「意外と天然ですよね、葉月さんって」
そう天喰が言えば、葉月は頬を赤く染めて俯いてしまった。
そんな二人の様子を外から窺っていた豊満と切島。
傍から見れば仲睦まじい、初々しいカップルの休日デート風景そのもの。時折、お互いに頬をそめているので余計にそう思わせる。
楽しそうにしている。先輩があんな風に穏やかに笑うところは滅多に見ないなと切島は思っていた。しかし、隣にいる豊満はそう思っていないらしく。渋い顔を通り越して憎らしいといったオーラがだだ漏れであった。メラメラと燃え上がるもの、これが嫉妬の炎と言うやつかと半ば感心していた。
「……楽しそうにしとるやん。なァ切島くん」
「へっ?!そ、そうっスね」
「なんでや…なんで二人で行ってしもたん。俺に声かけてくれへんの……霧華ちゃん、俺のこと嫌いになってしもたんかな」
豊満はしゅんと項垂れてしまった。感情の落差が激しい。深い溜息が横から聞こえてくる。いつになく落ち込んでいるのを放っておくわけにもいかない。切島は力いっぱいに「そんなことねぇっスよ!」と否定を口にした。
「葉月さん、好き嫌いハッキリ分かりやすい人だし、昨日だって俺にファットの写真見せてくれましたし。今回の観察日記だって!それに、どっちの姿もカッコよくて頼もしいヒーローだってニコニコしながら言ってましたし!」
「……あかん。切島くんの優しさにファットさん本気泣きしそうや。…せやな、嫌っとったらそんな風には言わへんな」
「そうっスよ。これにもきっと何か理由が……!」
泣きべそをかきそうな豊満を精一杯励ましていると、猫カフェの窓際に目を向けた切島が息を潜めて「ファット、動きが」と二人の方へ注意を促した。
「……なんかスタッフの人に聞いてるみたいだ」
「霧華ちゃんめっちゃジェスチャーしとるな。大きさ測るみたいな…」
「へこんだ…と思ったら喜んでるみたいっスね」
「環は猫に絡まれとんな。膝に乗っとるし。…マタタビでも持っとるんちゃうか」
三匹以上の猫が天喰の周りに集まっている。一匹はテーブルの上に箱座りをして寛ぎ、一匹は足元をうろついていた。茶トラの猫は膝上で丸くなり、欠伸を一つ。その猫たちにどう対応していいのか困り、固まっているようだった。
「こ、このままだと猫に埋もれそうだ…助けて」
「大丈夫。埋もれるだけ猫いないから」
そんなやりとりが聞こえてきそうだった。葉月はその様子をスマホのカメラ写真を撮っている。天喰は自分が写り込まないようにと腕で顔を遮っていた。
猫とは気まぐれなもので、シャッターを一度切ると天喰の膝から飛び降り、トコトコとどこかへ歩いていってしまった。
それからまもなくして、二人は席を立つ。猫のいる部屋に遊びにいったのかもしれない。この位置からではその奥の部屋の様子までは覗けそうになかった。
さらに近づいて様子を窺うか、このまま待機するか悩んだ後のことだ。
店のドアが外側に開き、二人が出てきた。豊満と天喰は身を隠す暇もなく、バッチリと二人と顔を合せてしまうことに。
なぜこんなところに、と考えるのは葉月。天喰はというとあからさまに顔を歪めてみせた。
「……後をつけてきましたねファット。それに切島くんまで」
「え…ついてきてたんですか?」
「ちゃ、ちゃうねん…!偶々通りかかっただけで…」
天喰の視線が豊満に突き刺さる。ぐっと言葉を詰まらせた豊満。誤魔化しはできそうにない。
「……二人で肩並べて、仲ようお喋りしとったら気になるやん」
冷ややかな牽制を送る天喰に拗ねてしまい、ぷいと顔を反らす。それを見た天喰は盛大に、大袈裟な溜息をついた。
「…葉月さん。やっぱり無理ですよ。最初からこうだし…先に話してしまった方が誤解も生まれない。それに周囲を巻き込みかねない。現に切島くんが……」
巻き込まれていると憐れみの目を切島に向けた。不意に呼ばれて「お、俺は別に!」と天喰に返す。折角の休みだと言うのに、ファットガムに同行を強いられたのだろう。
「あ、あの…豊満さん。これにはわけが…私達、新しくできたこの猫カフェの下見に来ていたんです」
「……下見?…環とデートちゃうん?」
「えっ?!そ、そんなつもりで声掛けたわけじゃないです。…天喰くんもそんな風には思ってない、よね」
「声掛けられた時は正直驚きました。なんで俺…ファットじゃないんだって。でも、理由を聞いて納得しましたよ」
そう言って天喰は後ろを振り返る。猫カフェの窓から一匹の猫がこちらを眺めていた。
「猫は大きなものや声に怯えてしまう。…だから俺が抜擢された。ファットは通常の状態だと店に入るのも難しいだろうし、切島くんは…元気な声だから」
「なるほど…確かに言われてみれば、環先輩が打ってつけっスね」
「うん。…ごめんね」
「いや、葉月さんが謝ることじゃねぇっスよ!猫たちをビビらせちまったら猫カフェに来た意味ないし…ファットだってその辺は」
「まあ、そらな。店側に迷惑かけんのはあかんしな」
口ではそう言うものの、やはり二人で出掛けていたことが気に入らなかったのか少し機嫌を損ねていた。拗ねたように口を尖らせる。
「それで、お店の方に確認をしてきたんです。豊満さん、今の低脂肪状態なら問題ないそうです。あと、大きな声で会話をしなければオッケーだって」
親指と人差し指で繋いだ丸を笑顔と一緒に見せる。先程外から見かけたジェスチャーはファットガムの体格を表現していたものだとここで分かった。
「…それをわざわざ確認しにいったん?」
「行ったはいいけど、門前払いだったら悲しいから…でも、これでみんなで行けそうですね。今度都合いい時に行きませんか」
「…前々から思うとったけど、ええ子すぎや。環ぃ…俺の彼女めっちゃええ子や…」
「存じてます」
今にも涙をほろりと流しそうな豊満はそう天喰に惚気る。それに対し真顔で返す。これ以上の惚気は聞かないといった風に。
「せっかくだし、今から猫カフェ行くってのはどーっスか」
「えっ…それはちょっと」
「さっき店を出たばかりなのに…またあの人たち来たとか思われるのは…このまま帰りたい」
「そんならみんなでファミレス行くで!」
この際、行くなら豊満と葉月の二人でと気を利かせるよりも先に肩に腕を回されてしまう。こうなっては逃れられないことを天喰は経験上知っていた。
理由が判明してから、打って変わった様に上機嫌な豊満を横目に仕方がないかと諦める天喰であった。
事務所の郵便受けから取り出した、郵便物に交ざっていた一枚のチラシ。表面にはお洒落な店の外観と冒頭の一文。裏を返すと猫の写真と名前、好きなおもちゃが載っている。可愛らしい猫の写真に葉月の頬が緩む。
一階の事務所で郵便物を仕分け、ファットガム宛てのものを上の階に持っていく。その途中、階段の踊り場で天喰に声を掛けられた。コスチュームに着替えており、これから市内のパトロールに向かうようだ。
目元を覆うサンバイザー越しに猫の姿が目に映る。そのチラシを大事そうに持っていたので、三毛猫の写真に天喰も視線を落とす。
「そのチラシ、どうかしたんですか」
「うん。猫カフェのオープンのチラシ。可愛かったから…」
「……この番地だとここから近いですね。…あの雑居ビルの一階か」
「天喰くん、場所分かるの?」
「はい。そこはパトロールでも通る場所なので……葉月さん?」
葉月が目を輝かせ、天喰を見上げていた。期待されるような眼差しに多少たじろいだ天喰は「猫、好きなんですか」と返す。すると、首を二度振って頷いた。
「あ、あの…天喰くんが暇な日でいいから、ここに付き合ってほしいんだけど……ダメかな」
「え……それは別に、構いませんけど」
「猫、嫌いだったり、アレルギーは無い?」
「嫌いじゃないし、アレルギーも無いです」
その答えに葉月は益々目を輝かせた。これは近日中に連れていった方がいいと判断した天喰はこの先一週間のスケジュールを思い出す。半日か一日空けられそうなのは明日しかない。
「明日なら時間取れそうです。…その猫カフェ、何時からですか。……十一時オープンか。それなら十時半にここを出れば間に合いますね」
「それじゃあ、明日の十時半に事務所の前で待ち合わせでいいかな」
「はい。……でも、なんで俺。ファットに声掛けないんですか」
葉月に外出の声を掛けられるのが嫌なわけではない。だが、優先順位はまずファットガムだろうと。葉月とファットガムの仲は周知の事実。デートに誘えばいいのにと内心思う天喰であったが、どうやら何か理由があるようだ。葉月は気まずそうに「それには理由が」と口籠る。
「…今はファットさんと切島くんには内緒で」
「二人に…?それ、どういう」
意味ですか、と尋ねるより先に階段の下から後輩の切島が顔を覗かせた。
「環先輩!早く行かねえとファットが待ってますよ!」
「あ、ああ。今行くよ」
切島が「葉月さん、お疲れ様っス!」と相変わらずの元気がいい声と向日葵の様な笑顔を浮かべた。
その眩しさを遮るように天喰は自分のマントのフードを深く被る。
「すみません…パトロールに」
「行ってらっしゃい。サンイーター、レッドライオット」
「うっす!行ってきます!」
「行ってきます」
階段を下りてから振り返ると、そこでまだ葉月がにこやかに手を振って二人を見送っていた。
二人は事務所前でファットガムと合流し、担当するルートを辿り始めた。このルートは今しがた話した猫カフェのある雑居ビル前を通る。アクセス方法を確認もできて丁度いい。そう考えながら天喰は周囲に注意を向けていた。
「先輩、どうかしたんスか。なんか、さっきから顔が険しいっスよ」
顔に出ていたのだろうか。俄かに天喰の心臓が跳ね上がる。「今は内緒で」という葉月の声が頭に過る。その約束を破るわけにいかない。
天喰は首を横へ振って「何でもない」と呟いた。
市内を進むうちに例の猫カフェが入っている雑居ビルが見えてきた。看板、店の外観もチラシで見た通りなので間違いない。天喰が雑居ビル周辺を改めて確認していると、その視線を目聡く追っていた切島があっと声を上げた。
「そういえばここ、猫カフェがオープンしたみたいですよ」
「そっそうなんだ…。……ああ、ほんとだ」
「おおー猫ちゃん仰山おりそうやなァ」
「……そうですね」
歩道の通りに面した窓、そこから外を眺めている灰色の猫がいた。大きな欠伸をして、その場で丸くなる。日が当たって暖かそうだ。
店内は窓際に設けられた席もあり、テーブルに乗って毛繕いをしている猫もいた。女性客が微笑ましい目でそれを見守っている。
あの席には座りたくない。外から目立つし。何とか奥の席に座れるようにしたいと考えていた天喰はファットガムに肩を叩かれ、びくりとした。その青ざめた顔にファットガムは顔を顰める。
「なんや環。調子悪いんか」
「い、いえ」
「そんならええけど。体調悪いんやったら言いや。それと、なんか悩みあるんなら遠慮せずに言い。我慢は良くないで」
「……はい」
体調が特に悪いわけではない。ただ、悩みの種が目の前にいる。事実、隠し事をしており、恋人を差し置いて声を掛けられたなど言えるはずもなかった。
やはり明日の猫カフェは断ろうか。しかし、それを伝えた際に葉月が物凄く落ち込む様子が浮かんだ。
断れない。自分に声を掛けたのには理由があると言っていた。それを聞いてからどうするか決めようと天喰はファットガムの背中を見ていた。
◇◆◇
翌日。ファットガム事務所前で葉月と天喰は時間通りに待ち合わせ、例の猫カフェへ向かった。
「今日は無理に付き合わせてごめんね」
「いえ。…俺に声を掛けた理由が分かったので。昨日通りかかった時、見た感じ広そうな場所でしたよ」
「本当?それなら期待できそう」
昨夜のうちに理由が判明した天喰の気苦労は杞憂に終わり、こうして心置きなく出掛けられることとなった。
開店したばかりで情報は少ないが、事前に調べたところ保護猫が多いことや、客がSNSで発信したメニューの写真に猫型のパンケーキがあったなどの話をしながら目的地へ向かっていく二人。
その後にそろりとついていく二つの影が事務所から出てきたことには気が付いていなかった。
「……ファット。ホントに二人の後、つけるんスか」
「勿論や」
前を歩く二人と一定の距離を保ち、豊満と切島は事務所から尾行を続けていた。私服は目立つカラーリングを避け、その辺の一般人に紛れたら分からないようなものをチョイス。
「目立たん服に着替えたら下で集合や」と切島が声を掛けられたのはつい先刻。インターン中である切島は私服の手持ちが少ないので、こんな感じでいいかと豊満に尋ねれば「完璧やで」と褒められた。それはいいのだが、まさか尾行する為だとは露知らず。
昨日のパトロール中にヴィランとの攻防で低脂肪状態となった豊満も落ち着いた色のパーカーを羽織っている。容姿は目立たないが、穏やかではない表情に切島は動揺を隠せずにいた。
「……環の様子がなんやオカシイ思うたら、こういうワケやったとはな」
「いや、でも…今までだって普通に二人で買い物とか行ってましたよね。俺だってそうだし」
「それはただの買い出しや。今日行くんは猫カフェやで。しかも俺たちに内緒で」
つまり、二人はデートをしているのではないか。そう言いたいのだ。自分の恋人が内緒で他の男と出掛けていることに妬くのは分かるが。相手が天喰なので、そう心配は要らないんじゃないかと切島は思っている。
「ファットの考えすぎじゃないっスかね。二人ともオシャレしてデートって雰囲気じゃなさそうだし…」
「何言うてんの切島くん。霧華ちゃんはいつでもオシャレさんやで」
「……そうっスね!」
「それにヒーローたるもの、隠密行動も覚えなあかんで。捜査の基本中の基本や」
「…うっス!」
「信号渡ったで!」
「はいっ!」
◇◆◇
「いらっしゃいませ〜。二名様でよろしいですか?」
目当ての猫カフェに到着し、受付で出迎えられた葉月は驚いていた。若い女性スタッフの頭に猫耳が一対。それは作りものではなく、どう見ても本物の茶色い細かい毛が生えていた。触るとふわふわしていそうだ。
天喰がそのスタッフと話している間もその猫耳に目がいってしまい、席へ案内される際もふさふさのしっぽがゆらりと揺れていた。さらに目が止まってしまう。
「…窓際しか空いてなかった」
「結構混んでるのね。お店開いたばかりなのに」
「外からの視線が…。…ところでさっきから気になるものでも」
「あ、その…スタッフの方が」
天喰が首を捻る。そこでようやく葉月は自分の方がおかしいのだと気がついた。個性を持つ人間には猫のような姿形をしている者もごく当たり前に存在しているのだと。
自分の世界にはメイド喫茶という場所があり、そこのスタッフは作り物の猫耳や尻尾をつけていると話す。
水の入ったグラスとメニューを置いて「お決まりになりましたらお呼びください」と先程のスタッフが去っていく。左右に揺れる尻尾を見ていた二人はテーブルを挟んで向き合った。
カフェスペースと猫が過ごす場所は特に区切られておらず、自由に猫が隣の部屋と行き来していた。ブチ柄の猫が客の膝の上で寛いでいる。猫と遊びたい場合は隣の部屋へ行くようで、カフェスペースではおもちゃ持ち込み禁止と書かれていた。
「個性がなければないで、そういう工夫をしているんですね」
「最近は脳波と連動して耳が動くものもあるんだよ。すごいよね」
「それなら気軽に猫の個性体験ができますね」
「個性体験。…そんな風に考えたことなかった」
猫耳といえばメイド喫茶しか思い浮かばなかった葉月だが、ところ変われば見方も変わる。
今までにも、お菓子のメーカーや商品名が微妙に異なっていたり、キャラクターが似通ったものなど多岐にわたる。今のように施設の概要が違えば、丁寧に葉月が説明をする。それを聞くたびに天喰はこう思っていた。
「葉月さんの話を聞いてると、実際に色々見てみたくなる。新しい発見もできそうだし…叶わないことですけど」
「私の話が参考になるならいつでも聞いて」
「ありがとうございます。…あと、話していて単に楽しい」
「私も。……あ、メニュー。何か頼まないと」
ラミネートされたメニューにはパンケーキ、ドリンクの写真が載っており、パンケーキが猫の顔を模っていて可愛いと葉月が頬を緩めていた。きつね色に焼けたパンケーキの横にクリームが添えられている。
しばし悩んだ末にパンケーキセットとドリンクはアールグレイを注文。天喰は同じものをと先程のスタッフに伝えた。
水の入ったグラスを傾ける。隣の部屋からは猫がバタバタと遊び回る音が聞こえてきた。猫じゃらしを狙ってじりじりと獲物を狙う黒猫。葉月はそれをちらちらと気にしていた。
「猫、本当に好きなんですね」
「うん。小さい頃から好きなの。…好かれるのは別だけど」
「猫好きは逆に避けられるって…よく聞きます」
「私も例に漏れずそれなの。目が合っただけで逃げ出しちゃう」
「…でも分かる気がする。自分に構ってくる人が近づいてきたら逃げ出したくもなる……わ、笑うとこですか」
くすくすと笑みを零す葉月に天喰は狼狽えていた。
「そう聞いていたら天喰くんも猫みたいだなって」
「……猫」
「あ、ご…ごめんね。気を悪くしたら」
「いえ…猫みたいにしなやかな動きを再現できれば、行動範囲広がると思って。でもさすがに…猫は食べてはいけない」
天喰自身の個性を発動させるには、その元となる物を口にしなければいけない。この国では今の話は実現できそうになかった。
「……他にネコ科の動物……あっ!トラは?」
「絶滅危惧種ですよ…もっといけない」
「そっそうね…うん。強そうなネコ科って考えたら…トラが浮かんで」
「意外と天然ですよね、葉月さんって」
そう天喰が言えば、葉月は頬を赤く染めて俯いてしまった。
そんな二人の様子を外から窺っていた豊満と切島。
傍から見れば仲睦まじい、初々しいカップルの休日デート風景そのもの。時折、お互いに頬をそめているので余計にそう思わせる。
楽しそうにしている。先輩があんな風に穏やかに笑うところは滅多に見ないなと切島は思っていた。しかし、隣にいる豊満はそう思っていないらしく。渋い顔を通り越して憎らしいといったオーラがだだ漏れであった。メラメラと燃え上がるもの、これが嫉妬の炎と言うやつかと半ば感心していた。
「……楽しそうにしとるやん。なァ切島くん」
「へっ?!そ、そうっスね」
「なんでや…なんで二人で行ってしもたん。俺に声かけてくれへんの……霧華ちゃん、俺のこと嫌いになってしもたんかな」
豊満はしゅんと項垂れてしまった。感情の落差が激しい。深い溜息が横から聞こえてくる。いつになく落ち込んでいるのを放っておくわけにもいかない。切島は力いっぱいに「そんなことねぇっスよ!」と否定を口にした。
「葉月さん、好き嫌いハッキリ分かりやすい人だし、昨日だって俺にファットの写真見せてくれましたし。今回の観察日記だって!それに、どっちの姿もカッコよくて頼もしいヒーローだってニコニコしながら言ってましたし!」
「……あかん。切島くんの優しさにファットさん本気泣きしそうや。…せやな、嫌っとったらそんな風には言わへんな」
「そうっスよ。これにもきっと何か理由が……!」
泣きべそをかきそうな豊満を精一杯励ましていると、猫カフェの窓際に目を向けた切島が息を潜めて「ファット、動きが」と二人の方へ注意を促した。
「……なんかスタッフの人に聞いてるみたいだ」
「霧華ちゃんめっちゃジェスチャーしとるな。大きさ測るみたいな…」
「へこんだ…と思ったら喜んでるみたいっスね」
「環は猫に絡まれとんな。膝に乗っとるし。…マタタビでも持っとるんちゃうか」
三匹以上の猫が天喰の周りに集まっている。一匹はテーブルの上に箱座りをして寛ぎ、一匹は足元をうろついていた。茶トラの猫は膝上で丸くなり、欠伸を一つ。その猫たちにどう対応していいのか困り、固まっているようだった。
「こ、このままだと猫に埋もれそうだ…助けて」
「大丈夫。埋もれるだけ猫いないから」
そんなやりとりが聞こえてきそうだった。葉月はその様子をスマホのカメラ写真を撮っている。天喰は自分が写り込まないようにと腕で顔を遮っていた。
猫とは気まぐれなもので、シャッターを一度切ると天喰の膝から飛び降り、トコトコとどこかへ歩いていってしまった。
それからまもなくして、二人は席を立つ。猫のいる部屋に遊びにいったのかもしれない。この位置からではその奥の部屋の様子までは覗けそうになかった。
さらに近づいて様子を窺うか、このまま待機するか悩んだ後のことだ。
店のドアが外側に開き、二人が出てきた。豊満と天喰は身を隠す暇もなく、バッチリと二人と顔を合せてしまうことに。
なぜこんなところに、と考えるのは葉月。天喰はというとあからさまに顔を歪めてみせた。
「……後をつけてきましたねファット。それに切島くんまで」
「え…ついてきてたんですか?」
「ちゃ、ちゃうねん…!偶々通りかかっただけで…」
天喰の視線が豊満に突き刺さる。ぐっと言葉を詰まらせた豊満。誤魔化しはできそうにない。
「……二人で肩並べて、仲ようお喋りしとったら気になるやん」
冷ややかな牽制を送る天喰に拗ねてしまい、ぷいと顔を反らす。それを見た天喰は盛大に、大袈裟な溜息をついた。
「…葉月さん。やっぱり無理ですよ。最初からこうだし…先に話してしまった方が誤解も生まれない。それに周囲を巻き込みかねない。現に切島くんが……」
巻き込まれていると憐れみの目を切島に向けた。不意に呼ばれて「お、俺は別に!」と天喰に返す。折角の休みだと言うのに、ファットガムに同行を強いられたのだろう。
「あ、あの…豊満さん。これにはわけが…私達、新しくできたこの猫カフェの下見に来ていたんです」
「……下見?…環とデートちゃうん?」
「えっ?!そ、そんなつもりで声掛けたわけじゃないです。…天喰くんもそんな風には思ってない、よね」
「声掛けられた時は正直驚きました。なんで俺…ファットじゃないんだって。でも、理由を聞いて納得しましたよ」
そう言って天喰は後ろを振り返る。猫カフェの窓から一匹の猫がこちらを眺めていた。
「猫は大きなものや声に怯えてしまう。…だから俺が抜擢された。ファットは通常の状態だと店に入るのも難しいだろうし、切島くんは…元気な声だから」
「なるほど…確かに言われてみれば、環先輩が打ってつけっスね」
「うん。…ごめんね」
「いや、葉月さんが謝ることじゃねぇっスよ!猫たちをビビらせちまったら猫カフェに来た意味ないし…ファットだってその辺は」
「まあ、そらな。店側に迷惑かけんのはあかんしな」
口ではそう言うものの、やはり二人で出掛けていたことが気に入らなかったのか少し機嫌を損ねていた。拗ねたように口を尖らせる。
「それで、お店の方に確認をしてきたんです。豊満さん、今の低脂肪状態なら問題ないそうです。あと、大きな声で会話をしなければオッケーだって」
親指と人差し指で繋いだ丸を笑顔と一緒に見せる。先程外から見かけたジェスチャーはファットガムの体格を表現していたものだとここで分かった。
「…それをわざわざ確認しにいったん?」
「行ったはいいけど、門前払いだったら悲しいから…でも、これでみんなで行けそうですね。今度都合いい時に行きませんか」
「…前々から思うとったけど、ええ子すぎや。環ぃ…俺の彼女めっちゃええ子や…」
「存じてます」
今にも涙をほろりと流しそうな豊満はそう天喰に惚気る。それに対し真顔で返す。これ以上の惚気は聞かないといった風に。
「せっかくだし、今から猫カフェ行くってのはどーっスか」
「えっ…それはちょっと」
「さっき店を出たばかりなのに…またあの人たち来たとか思われるのは…このまま帰りたい」
「そんならみんなでファミレス行くで!」
この際、行くなら豊満と葉月の二人でと気を利かせるよりも先に肩に腕を回されてしまう。こうなっては逃れられないことを天喰は経験上知っていた。
理由が判明してから、打って変わった様に上機嫌な豊満を横目に仕方がないかと諦める天喰であった。