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2.巡り合わせ
四月初旬。梅は咲き終え、桜の花びらが舞う季節となった。
世間にとって春は出会いと別れの季節。俺はその荒波に揉まれることもなく、変わらない環境で新生活を迎えた。こればかりは本当に幸運だと思える。
一日の始めに繋がるパトロール前の食事。ファットと共に事務所内で済ませ、食後の温かい緑茶を頂いていた。
「そや、今日は予定通りにやるで」
「わかりました。夕方に食材の買い出しに行ってきますね。天喰くん何か食べたいものはある?」
「…何の話ですか」
降って湧いた話の意図が掴めていないのはどうやら俺だけのようで。
大きなゴツゴツした湯飲みで緑茶を啜っていたファットがにんまりと笑った。
「なにって、環がうちの事務所のサイドキックに就任した歓迎会やで。まだやっとらんかったしな」
「歓迎会…それは、どうもありがとうございます」
「霧華ちゃんの正社員雇用も兼ねてやけどな。まァ、前祝いやからまずは軽くパーッとな」
「前祝い…?」
何かしら嫌な予感がしながらも疑問を投げかける。するとファットは指を一つ、二つ、三つと順に折り曲げた。
「まず今日やろ。次は切島くんと鉄哲くん来た日、そんでもって事務所全体でやな」
「なんでそんなに何回もやるんだ…意味がわからない。一度で充分じゃないか」
「せやかてみんな揃う日合わせられへんのや。ええことは何度やってもええやろ。そんだけサンイーターの活躍に期待がかかっとんで!」
「……期待が重い…応えられる気がしない」
「一言スピーチも三回分考えときや」
三回。いくら見知った顔ぶれといえ、人前で注目されることに変わりはない。幾つもの目が自分に向けられる。考えるだけで恐ろしい。気が重い。お腹が痛くなってきた。
「そんなに気負わなくて大丈夫。頑張りますとか、よろしくお願いしますとか。そんな一言でいいんだし」
痛み出した腹部を擦っていると、葉月さんが気遣うように声を掛けてくれた。
「……葉月さん。……それ、そのまま起用してもいいですか」
「あかんで環。自分で考えや」
「鬼…!」
「ま、まあまあ…それなら今日は練習みたいな感じで…このこと天喰くんに伝えるのも遅かったですし」
「…言うの遅なったんは悪いしな。そんなら今日は予行演習といこか。気楽にバシッと決めてや!」
だからその期待が重いと言っている。そもそも、後輩の切島くん達が揃った日にやれば一回分少なくすむというのに。
「なんで切島くんたち居る日にやらんねんって顔しとんね」
「…ええ、まあ。それなら二回で済む…そもそも一回でいい」
「これにはちゃんと理由があんねん。事務所みんな顔揃えん難しいのもあるけど、霧華ちゃんがな、環の為に好きなもん作ってあげたいんやて。せやけどそれやと大人数分用意せなあかん。バタバタしてまう」
それが冒頭の話に繋がるというわけだった。普段の腹ごしらえの延長線だと考えていたのに、どうもそうじゃないらしい。わざわざ、俺の為に料理を振る舞ってくれるなんて。
「…俺の為に、ですか」
「せっかくだし、好きなものが多いと嬉しいかな…って。海鮮の炊き込みご飯でおにぎりも作ろうと思ってるの」
ふわりと、優しく微笑む。その笑い方が叔母によく似ていると思うようになった。そうはいっても、物心付くより前にいなくなった人だ。俺の中にある微かな記憶と今目の前にあるものとで作り上げた記憶かもしれない。そうであればいい。確かな記憶よりも想像の記憶が強くなっている。
俺が考えていることは唯の偶然で、勘違いなのかもしれない。それに矛盾する点が幾つもある。
「天喰くん?」
「………いえ。なんでもないです。…ザンギも食べたい」
考え事をしながら葉月さんの顔を見つめてしまっていた。不自然に視線を手元の湯呑みへ落とした。小さな丸い円の中に眉間に皺を寄せた、複雑な顔をした自分が映る。
「鶏の方でいい?」
「はい。この間の美味しかったから」
少し前にファットが北海道のソウルフードを食べたいと言い出したことがあり、一般家庭でも作れるものと提供されたのがザンギ。一見、鶏の唐揚げに見えるけど、味付けが少し違った。下味が違うらしい。他にもタコや魚の揚げ物もザンギと呼ぶとこの間食べているときに話してくれた。
「それじゃあ腕によりをかけて作るからね。楽しみにしてて」
「…楽しみにしてます。葉月さんの作る料理、美味しいし好きだから」
世辞のない言葉を選んで、顔を上げる。そこにはさっきと変わらない笑みを携えた葉月さんの姿。それに釣られるように、俺の口元も緩む。
「歓迎会の話も纏まったし、そろそろパトロール行くで。夕方の買い出し、俺も一緒に行くわ」
「俺も行きます」
「本日の主役はでーんと構えて待っとったらええんやで?」
「歓迎される側とはいえ、何もしないわけには…荷物持ちは多い方が助かるでしょ」
今はなるべく身体を動かしていたい。じっとしていると色々考えてしまう。鈴の音は信じてくれたけど、これはまた別の次元過ぎて幻想でも抱いているんじゃないかと白い目を向けられそうで。一人で抱え込むしかない悩みになっていた。
「じゃあみんなで一緒に。他に食べたい物があれば遠慮なく言ってね」
荷物持ちを進んで申し出たことに、二人はノーと言わず快く受け入れてくれた。
そういえばラム肉のカレーも美味しかったな。でもカレーは煮込むのに時間がかかるし、無理だろうか。個性の都合上、多くの種類を食べた方が有利になる。それでもなるべく葉月さんに負担をかけないようにしないと。
それから二、三言葉を交わした後にファットが席を立つ。それを合図に、俺はコスチュームのフードに手をかけた。
◆◇◆
この世界に葉月霧華という人間は既に存在している。昨年、ファットと手掛かりを探しに神社跡地へ赴いた際にそれは証明された。二人が遭遇した葉月さんの恩師の証言によって。その人は葉月さんが居た世界では既に故人となっていることを知ったのもその時だ。
並行世界。個性の無い世界の存在。そこには恐らく俺やファット、切島くんたちも存在しているんだろう。個性を持たない自分たちの姿や生活を想像することは容易じゃない。だから、自分にとって当たり前じゃない世界に身を置くことは相当な勇気が必要だ。一大決心をした葉月さんの為に、俺が出来得ることをその日から心掛けてきた。
駆り立てるこの想いはきっと、繋がりがあるからだ。叔母の娘であり、俺の従姉になるはずだった人。その生まれ変わり。でもそうだとしたら、この世界に元々いる葉月さんを指すんじゃないのか。どうしてわざわざ別の世界から。
「どないしたんサンイーター。めっちゃクドイ顔しおって」
赤信号を前方に捉え、歩みを止めていた。パトロール中に思案に耽っていたのをファットは咎めることなく、たこ焼きを持っていない方の手で自分の額をトントンと指で叩いてみせた。
「ここ、皺寄り過ぎや。気難しい顔ばっかしとったら肩凝るで」
「…最近肩が強張るのはそのせいか」
「肩揉んだろか」
「いい。……ファット」
「んーなんや?」
「…いや、その…葉月さんとは、上手くやってるのかと」
「藪から棒やな。ケンカしとるように見える?」
信号が変わるのを待つ間、タコ焼きが一つまた一つと消えていく。
不思議そうに俺の方を見てくるので、首を左右に振ってみせた。
「見えない」
「そやろ。心配せんでも仲良しこよしやで。…にしても、昔会うた子とまた会えるなんて、運命の巡り合わせみたいに思えてくるわ」
「巡り合わせ…」
遠い昔の巡り合わせが今、やってきたのだろうか。
いつの間にか鳴りだした信号機の誘導音。青信号に促され、俺は横断歩道に踏み出した。
四月初旬。梅は咲き終え、桜の花びらが舞う季節となった。
世間にとって春は出会いと別れの季節。俺はその荒波に揉まれることもなく、変わらない環境で新生活を迎えた。こればかりは本当に幸運だと思える。
一日の始めに繋がるパトロール前の食事。ファットと共に事務所内で済ませ、食後の温かい緑茶を頂いていた。
「そや、今日は予定通りにやるで」
「わかりました。夕方に食材の買い出しに行ってきますね。天喰くん何か食べたいものはある?」
「…何の話ですか」
降って湧いた話の意図が掴めていないのはどうやら俺だけのようで。
大きなゴツゴツした湯飲みで緑茶を啜っていたファットがにんまりと笑った。
「なにって、環がうちの事務所のサイドキックに就任した歓迎会やで。まだやっとらんかったしな」
「歓迎会…それは、どうもありがとうございます」
「霧華ちゃんの正社員雇用も兼ねてやけどな。まァ、前祝いやからまずは軽くパーッとな」
「前祝い…?」
何かしら嫌な予感がしながらも疑問を投げかける。するとファットは指を一つ、二つ、三つと順に折り曲げた。
「まず今日やろ。次は切島くんと鉄哲くん来た日、そんでもって事務所全体でやな」
「なんでそんなに何回もやるんだ…意味がわからない。一度で充分じゃないか」
「せやかてみんな揃う日合わせられへんのや。ええことは何度やってもええやろ。そんだけサンイーターの活躍に期待がかかっとんで!」
「……期待が重い…応えられる気がしない」
「一言スピーチも三回分考えときや」
三回。いくら見知った顔ぶれといえ、人前で注目されることに変わりはない。幾つもの目が自分に向けられる。考えるだけで恐ろしい。気が重い。お腹が痛くなってきた。
「そんなに気負わなくて大丈夫。頑張りますとか、よろしくお願いしますとか。そんな一言でいいんだし」
痛み出した腹部を擦っていると、葉月さんが気遣うように声を掛けてくれた。
「……葉月さん。……それ、そのまま起用してもいいですか」
「あかんで環。自分で考えや」
「鬼…!」
「ま、まあまあ…それなら今日は練習みたいな感じで…このこと天喰くんに伝えるのも遅かったですし」
「…言うの遅なったんは悪いしな。そんなら今日は予行演習といこか。気楽にバシッと決めてや!」
だからその期待が重いと言っている。そもそも、後輩の切島くん達が揃った日にやれば一回分少なくすむというのに。
「なんで切島くんたち居る日にやらんねんって顔しとんね」
「…ええ、まあ。それなら二回で済む…そもそも一回でいい」
「これにはちゃんと理由があんねん。事務所みんな顔揃えん難しいのもあるけど、霧華ちゃんがな、環の為に好きなもん作ってあげたいんやて。せやけどそれやと大人数分用意せなあかん。バタバタしてまう」
それが冒頭の話に繋がるというわけだった。普段の腹ごしらえの延長線だと考えていたのに、どうもそうじゃないらしい。わざわざ、俺の為に料理を振る舞ってくれるなんて。
「…俺の為に、ですか」
「せっかくだし、好きなものが多いと嬉しいかな…って。海鮮の炊き込みご飯でおにぎりも作ろうと思ってるの」
ふわりと、優しく微笑む。その笑い方が叔母によく似ていると思うようになった。そうはいっても、物心付くより前にいなくなった人だ。俺の中にある微かな記憶と今目の前にあるものとで作り上げた記憶かもしれない。そうであればいい。確かな記憶よりも想像の記憶が強くなっている。
俺が考えていることは唯の偶然で、勘違いなのかもしれない。それに矛盾する点が幾つもある。
「天喰くん?」
「………いえ。なんでもないです。…ザンギも食べたい」
考え事をしながら葉月さんの顔を見つめてしまっていた。不自然に視線を手元の湯呑みへ落とした。小さな丸い円の中に眉間に皺を寄せた、複雑な顔をした自分が映る。
「鶏の方でいい?」
「はい。この間の美味しかったから」
少し前にファットが北海道のソウルフードを食べたいと言い出したことがあり、一般家庭でも作れるものと提供されたのがザンギ。一見、鶏の唐揚げに見えるけど、味付けが少し違った。下味が違うらしい。他にもタコや魚の揚げ物もザンギと呼ぶとこの間食べているときに話してくれた。
「それじゃあ腕によりをかけて作るからね。楽しみにしてて」
「…楽しみにしてます。葉月さんの作る料理、美味しいし好きだから」
世辞のない言葉を選んで、顔を上げる。そこにはさっきと変わらない笑みを携えた葉月さんの姿。それに釣られるように、俺の口元も緩む。
「歓迎会の話も纏まったし、そろそろパトロール行くで。夕方の買い出し、俺も一緒に行くわ」
「俺も行きます」
「本日の主役はでーんと構えて待っとったらええんやで?」
「歓迎される側とはいえ、何もしないわけには…荷物持ちは多い方が助かるでしょ」
今はなるべく身体を動かしていたい。じっとしていると色々考えてしまう。鈴の音は信じてくれたけど、これはまた別の次元過ぎて幻想でも抱いているんじゃないかと白い目を向けられそうで。一人で抱え込むしかない悩みになっていた。
「じゃあみんなで一緒に。他に食べたい物があれば遠慮なく言ってね」
荷物持ちを進んで申し出たことに、二人はノーと言わず快く受け入れてくれた。
そういえばラム肉のカレーも美味しかったな。でもカレーは煮込むのに時間がかかるし、無理だろうか。個性の都合上、多くの種類を食べた方が有利になる。それでもなるべく葉月さんに負担をかけないようにしないと。
それから二、三言葉を交わした後にファットが席を立つ。それを合図に、俺はコスチュームのフードに手をかけた。
◆◇◆
この世界に葉月霧華という人間は既に存在している。昨年、ファットと手掛かりを探しに神社跡地へ赴いた際にそれは証明された。二人が遭遇した葉月さんの恩師の証言によって。その人は葉月さんが居た世界では既に故人となっていることを知ったのもその時だ。
並行世界。個性の無い世界の存在。そこには恐らく俺やファット、切島くんたちも存在しているんだろう。個性を持たない自分たちの姿や生活を想像することは容易じゃない。だから、自分にとって当たり前じゃない世界に身を置くことは相当な勇気が必要だ。一大決心をした葉月さんの為に、俺が出来得ることをその日から心掛けてきた。
駆り立てるこの想いはきっと、繋がりがあるからだ。叔母の娘であり、俺の従姉になるはずだった人。その生まれ変わり。でもそうだとしたら、この世界に元々いる葉月さんを指すんじゃないのか。どうしてわざわざ別の世界から。
「どないしたんサンイーター。めっちゃクドイ顔しおって」
赤信号を前方に捉え、歩みを止めていた。パトロール中に思案に耽っていたのをファットは咎めることなく、たこ焼きを持っていない方の手で自分の額をトントンと指で叩いてみせた。
「ここ、皺寄り過ぎや。気難しい顔ばっかしとったら肩凝るで」
「…最近肩が強張るのはそのせいか」
「肩揉んだろか」
「いい。……ファット」
「んーなんや?」
「…いや、その…葉月さんとは、上手くやってるのかと」
「藪から棒やな。ケンカしとるように見える?」
信号が変わるのを待つ間、タコ焼きが一つまた一つと消えていく。
不思議そうに俺の方を見てくるので、首を左右に振ってみせた。
「見えない」
「そやろ。心配せんでも仲良しこよしやで。…にしても、昔会うた子とまた会えるなんて、運命の巡り合わせみたいに思えてくるわ」
「巡り合わせ…」
遠い昔の巡り合わせが今、やってきたのだろうか。
いつの間にか鳴りだした信号機の誘導音。青信号に促され、俺は横断歩道に踏み出した。