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1.見えた真実
桜の蕾が膨らみ始め、暖かい日が増えてきた頃。無事に卒業式も終わり、ヒーロー事務所への就職も決まった。決まったと言うよりも、俺はインターン先にそのままシフトする形で、ファットガム事務所にサイドキックとして就任。
正直、不安はあった。関西に根を下ろして、生活ができるのか。友人に「お前なら大丈夫だ」と背中を押されなければ、決めていなかったかもしれない。
幸い環境が大きく変わることはなかった。見慣れた顔ぶれが欠けたわけでもなく、切島くんに加えて後輩の鉄哲くんがいる。葉月さんも正式に事務所の一員として迎え入れられたし。不安要素はむしろ少ない。
いよいよ来週から大阪で借りたアパートで暮らす。引っ越しの荷物は元々少ないけど、今日は実家に帰って必要な物を取りに来ていた。必要最低限でいいと両親にも伝えたが、何故か昔の思い出の品を掘り返す作業が始まってしまった。
物置からダンボール箱が三つも四つも出て来た時は流石にうんざりした。ダンボールの側面と上面には俺の名前が油性ペンで太く書かれている。引っ越しの時以来開けてないものもあって、古びたダンボールも混ざっていた。
ガムテープを剥がし、ダンボールを開けていくと次から次へと思いでの品が顔を見せる。古いアルバム、小学校の工作に作文、家庭科で作った不器用な巾着も。その中から寄せ書きが見つかった。小学校二年生のクラスの皆に書いてもらったものだ。一番仲が良かった友達の『またあそぼうね』という一言。思わず口元が緩んだ。あいつは元気にしているだろうか。年賀状のやりとりはしていたけど、今会ってもお互い顔が分からないだろうなきっと。
懐かしいものばかりだけど、成績表やテストまで残されていた。なんでこんなものまで取ってあるんだ。
「引っ越し以来そのまましまってた物、結構多いわね。あら、これ懐かしい」
「母さん…何も全部開けなくていいのに。これじゃあまるで大掃除だ…」
母が手にしたのは一冊のノート。小学生の時に夏休みの自由研究で纏めたノートだ。個性遺伝について纏めたもので、両親や親戚にも協力してもらったからよく憶えている。
そのノートをパラパラと捲り、懐かしいわねと笑みを零す。
俺が次に開けたダンボールには衣服が詰まっていた。手に取るもの全て子供服で、見覚えのあるものばかりだ。
「…こんな物まで」
「その服、気に入ってたのよ。小さくてもう着られないから捨てようとしたら、捨てないでって言ったの環よ。憶えてないの?」
「お…憶えてるわけないじゃないか。…確かに、よく着たような気はするけど」
子供用のズボンに直した形跡が残っている。そういえば、道端で思い切り転んで泣き喚いたことがあったような。
思い返せば恥ずかしいものもある。黙って子供服を取り出していくと、底に白いふわふわの生地が見えた。丁寧に畳まれたそれを手にとって広げる。持ち上げた時に、小さな鈴の音がした。この音、どこかで。
その服はぬいぐるみに使うような生地で、手触りがすごくいい。白い猫の小さな着ぐるみだった。長い尻尾に鈴が一つ、ついている。それが、ちりんと音を立てていた。
「……猫」
「ああ……そんなところにしまっておいたのね。探しても見つからなかったから…そう、環のところに」
俺が持ち上げていた白い猫の着ぐるみ。それを見る母の目はどこか、物悲しい眼差しのように思えた。
「……まさかこれ、俺が着ていたんじゃ」
こんな可愛らしいものを着せられていたのかと思うと、恥ずかしさが込み上げてくる。ファットにバレでもしたら半年はからかわれる。
「と、思ったんだけどね。……結局、日の目を見なかったのよそれ。『環には猫よりも鳥の方がいいわ!』って…あの子が張り切っちゃって。……ほら、これ」
別のダンボールから発掘されたアルバムを一冊手に取り、厚紙のページを何枚か捲り、俺の方に向けて見せた。アルバムに貼られた一枚の写真。そこには目を閉じて寝ている赤ん坊の自分が母に抱かれているのが写っていた。
白いニワトリの着ぐるみを着せられている。これと同じ様にもこもことした生地で、赤いトサカ、黄色いクチバシのついたフードを被せられている。背中には白い羽が一対。この格好に物凄くデジャヴを感じる。鳥類に縁でもあるのだろうか。劇でも雉の役を演じたし。
「これ、二日で作ったのよ。その割にすごく丈夫に作られていて…あの子、こういうの得意だったから。個性の関係上ね」
「あ……これ、叔母さんが作った服」
「そうよ」
「確か、叔母さんの個性って…繊維」
「そう。どんな布も自在に扱えて、仕立てあげる。環が着ていた服、殆ど作ってくれたのよ。多い時は週に三着も持ってきて。仕事サボってんじゃないかと思ったぐらい」
昔を懐かしむように、くすりと笑みを零した。
叔母はデザイナーだったと聞いている。直接の面識はあるものの、俺が物心つくより前に亡くなってしまった。記憶には殆ど残っていない。声も顔も薄っすらとしか憶えていなくて、鮮明に思い出すことは出来なかった。ただ、両親からは可愛がってもらっていたと聞いている。
アルバムを捲っていくと、俺の写真が何枚も残されていた。母や父と共に写るものはあっても、叔母の写真が見つからない。
「写真、嫌いだったからね。それに『可愛い環を撮るのは私の役目よ!』って言ってたぐらいだし。でも…一枚か二枚くらいはあるんじゃないかしら」
叔母の顔を思い出したくて、アルバムのページを捲っていく。一歳の誕生日でケーキを前に笑っている自分の写真を見つけた。そこで「環」と母に呼ばれて顔を上げる。
母はどこか畏まった様子で、大事な話を切り出す時の雰囲気とそれは似ていた。
「貴方も高校を卒業して、新たなスタート地点に立った。…貴方の叔母も亡くなってもう十五年も経つ。この先、話す機会もあるか分からないし、話しておくわね。…環、貴方にはいとこのお姉さんがいたのよ」
「………え、いや…それ、初耳なんだけど」
本当に初めて聞いた話だ。そんな話、一度も聞いたことがない。俺の記憶が正しければだけど。
驚く俺に対し、小首を傾げる母。そりゃそうよ、とでも言いたげに。
「今初めて話したもの。……私よりも先に妹が結婚して、子どもを授かった。その猫の着ぐるみ、その子に着せるんだって作ったものよ。性別が分かった時に作り始めて…気が早いって私もあの子の旦那も笑ってたんだけど」
叔母の旦那は火災事故で亡くなったと確か聞いていた。でも、娘がいたなんて話、今の今まで一度も。両親どころか、誰もそんなこと話してくれなかった。
「商業ビルの火災事故に巻き込まれてね。あの子は一命を取り留めたけど、妹を庇った旦那とお腹にいた子は助からなかった。…気に病むだろうからって、誰もそのことには触れないようにしていた。…でも、あの子自身はそんなこと無かったみたいに、明るく振る舞って。元々くよくよするような性格じゃなかったのもあるけど。…だから、母さんたち騙されちゃったのよ。強くて、前向きだ…って。逆に気を遣われていたのはこっちだった、なんて分かったの最期になってから」
初めて聞く話に俺は耳を静かに傾けていた。
俺の中にいる叔母の姿は、そう言われてみれば、よく笑っていたような気がする。
「気丈に振る舞ってたけど、入院してからは何度か弱音を吐いてた。…容態が悪化する前に『環の将来の夢聞いちゃった。でも、その夢を叶えた姿を見てあげられない』そう、泣きながら話していたわ」
叔母は肺癌で亡くなった。仕事に没頭しすぎて、体調管理が疎かになっていたらしい。免疫力が低下したところを癌細胞に肺を冒された。
あまりに早すぎる人生の幕引きに親族は皆悲しみに明け暮れたという。葬儀に参列したことを薄っすらとだけど、記憶の片隅に見つけた。
俺は手元にあるアルバムの最後のページをそっと捲った。そのページに収められた一枚の写真。息を呑んだ。そこには満面の笑みを浮かべて、一歳半ぐらいの俺を抱えている叔母らしき人。その人が、あまりにもそっくりで。もはや他人の空似レベルじゃない。葉月さんその人と思えてしまう。髪型は違うけど、年も同じぐらいだ。
「……叔母さん、幾つで亡くなったんだっけ」
「二十五、六だったかしら。……それは入院する前にとったやつね」
「そう、なんだ」
訊ねた俺の声は自分が思っている以上に動揺で震えていた。
偶然が重なりすぎている。鈴の音はあの時、葉月さんと出逢った時に聞いたものに近い。猫は好きな動物だとも言っていた。それに、本人かと見間違えるほどのそっくりな容姿。
「……その服を着るはずだった子の名前も決めてたのよ。霧華って」
母がぽつりと呟いたことで、不確かな事象は確かなものへと変わっていった。
もうどうしたら良いのか。頭の中は混乱を極めていた。
「あ……ありふれた、名前…だよね。それって」
「ありふれた名前であろうと、これがいいって決めた瞬間に特別なものになるものよ」
「……そういうもの、なんだ」
「その服もね、どうしても捨てられなくて。…捨ててしまったらその子がいたという証拠が何も無くなってしまう。此処に存在していた証。…まあ、母さんのワガママだったんだけど」
今まで頑なに口を閉ざしていた理由は単なる自分のワガママだと母は話してくれた。妹の形見として遺しておきたかったのかもしれない。そう考えると、居た堪れない気持ちになる。
いたかもしれない従姉。身内なら必要以上に緊張しない、身構えることもない。側に居ると安心できるのも、波長が合うのも、俺があの人に親しみを抱く理由はそれだ。無意識のうちに気を許して、慕っていた。
ただの勘違いかもしれない。他人の空似なのかもしれない。でもあの人がこの世界に来たという事実は存在している。
何が起きてもおかしくないんだ。すとんと腑に落ちたものの、妙な違和感はまだどこかに残っていた。
桜の蕾が膨らみ始め、暖かい日が増えてきた頃。無事に卒業式も終わり、ヒーロー事務所への就職も決まった。決まったと言うよりも、俺はインターン先にそのままシフトする形で、ファットガム事務所にサイドキックとして就任。
正直、不安はあった。関西に根を下ろして、生活ができるのか。友人に「お前なら大丈夫だ」と背中を押されなければ、決めていなかったかもしれない。
幸い環境が大きく変わることはなかった。見慣れた顔ぶれが欠けたわけでもなく、切島くんに加えて後輩の鉄哲くんがいる。葉月さんも正式に事務所の一員として迎え入れられたし。不安要素はむしろ少ない。
いよいよ来週から大阪で借りたアパートで暮らす。引っ越しの荷物は元々少ないけど、今日は実家に帰って必要な物を取りに来ていた。必要最低限でいいと両親にも伝えたが、何故か昔の思い出の品を掘り返す作業が始まってしまった。
物置からダンボール箱が三つも四つも出て来た時は流石にうんざりした。ダンボールの側面と上面には俺の名前が油性ペンで太く書かれている。引っ越しの時以来開けてないものもあって、古びたダンボールも混ざっていた。
ガムテープを剥がし、ダンボールを開けていくと次から次へと思いでの品が顔を見せる。古いアルバム、小学校の工作に作文、家庭科で作った不器用な巾着も。その中から寄せ書きが見つかった。小学校二年生のクラスの皆に書いてもらったものだ。一番仲が良かった友達の『またあそぼうね』という一言。思わず口元が緩んだ。あいつは元気にしているだろうか。年賀状のやりとりはしていたけど、今会ってもお互い顔が分からないだろうなきっと。
懐かしいものばかりだけど、成績表やテストまで残されていた。なんでこんなものまで取ってあるんだ。
「引っ越し以来そのまましまってた物、結構多いわね。あら、これ懐かしい」
「母さん…何も全部開けなくていいのに。これじゃあまるで大掃除だ…」
母が手にしたのは一冊のノート。小学生の時に夏休みの自由研究で纏めたノートだ。個性遺伝について纏めたもので、両親や親戚にも協力してもらったからよく憶えている。
そのノートをパラパラと捲り、懐かしいわねと笑みを零す。
俺が次に開けたダンボールには衣服が詰まっていた。手に取るもの全て子供服で、見覚えのあるものばかりだ。
「…こんな物まで」
「その服、気に入ってたのよ。小さくてもう着られないから捨てようとしたら、捨てないでって言ったの環よ。憶えてないの?」
「お…憶えてるわけないじゃないか。…確かに、よく着たような気はするけど」
子供用のズボンに直した形跡が残っている。そういえば、道端で思い切り転んで泣き喚いたことがあったような。
思い返せば恥ずかしいものもある。黙って子供服を取り出していくと、底に白いふわふわの生地が見えた。丁寧に畳まれたそれを手にとって広げる。持ち上げた時に、小さな鈴の音がした。この音、どこかで。
その服はぬいぐるみに使うような生地で、手触りがすごくいい。白い猫の小さな着ぐるみだった。長い尻尾に鈴が一つ、ついている。それが、ちりんと音を立てていた。
「……猫」
「ああ……そんなところにしまっておいたのね。探しても見つからなかったから…そう、環のところに」
俺が持ち上げていた白い猫の着ぐるみ。それを見る母の目はどこか、物悲しい眼差しのように思えた。
「……まさかこれ、俺が着ていたんじゃ」
こんな可愛らしいものを着せられていたのかと思うと、恥ずかしさが込み上げてくる。ファットにバレでもしたら半年はからかわれる。
「と、思ったんだけどね。……結局、日の目を見なかったのよそれ。『環には猫よりも鳥の方がいいわ!』って…あの子が張り切っちゃって。……ほら、これ」
別のダンボールから発掘されたアルバムを一冊手に取り、厚紙のページを何枚か捲り、俺の方に向けて見せた。アルバムに貼られた一枚の写真。そこには目を閉じて寝ている赤ん坊の自分が母に抱かれているのが写っていた。
白いニワトリの着ぐるみを着せられている。これと同じ様にもこもことした生地で、赤いトサカ、黄色いクチバシのついたフードを被せられている。背中には白い羽が一対。この格好に物凄くデジャヴを感じる。鳥類に縁でもあるのだろうか。劇でも雉の役を演じたし。
「これ、二日で作ったのよ。その割にすごく丈夫に作られていて…あの子、こういうの得意だったから。個性の関係上ね」
「あ……これ、叔母さんが作った服」
「そうよ」
「確か、叔母さんの個性って…繊維」
「そう。どんな布も自在に扱えて、仕立てあげる。環が着ていた服、殆ど作ってくれたのよ。多い時は週に三着も持ってきて。仕事サボってんじゃないかと思ったぐらい」
昔を懐かしむように、くすりと笑みを零した。
叔母はデザイナーだったと聞いている。直接の面識はあるものの、俺が物心つくより前に亡くなってしまった。記憶には殆ど残っていない。声も顔も薄っすらとしか憶えていなくて、鮮明に思い出すことは出来なかった。ただ、両親からは可愛がってもらっていたと聞いている。
アルバムを捲っていくと、俺の写真が何枚も残されていた。母や父と共に写るものはあっても、叔母の写真が見つからない。
「写真、嫌いだったからね。それに『可愛い環を撮るのは私の役目よ!』って言ってたぐらいだし。でも…一枚か二枚くらいはあるんじゃないかしら」
叔母の顔を思い出したくて、アルバムのページを捲っていく。一歳の誕生日でケーキを前に笑っている自分の写真を見つけた。そこで「環」と母に呼ばれて顔を上げる。
母はどこか畏まった様子で、大事な話を切り出す時の雰囲気とそれは似ていた。
「貴方も高校を卒業して、新たなスタート地点に立った。…貴方の叔母も亡くなってもう十五年も経つ。この先、話す機会もあるか分からないし、話しておくわね。…環、貴方にはいとこのお姉さんがいたのよ」
「………え、いや…それ、初耳なんだけど」
本当に初めて聞いた話だ。そんな話、一度も聞いたことがない。俺の記憶が正しければだけど。
驚く俺に対し、小首を傾げる母。そりゃそうよ、とでも言いたげに。
「今初めて話したもの。……私よりも先に妹が結婚して、子どもを授かった。その猫の着ぐるみ、その子に着せるんだって作ったものよ。性別が分かった時に作り始めて…気が早いって私もあの子の旦那も笑ってたんだけど」
叔母の旦那は火災事故で亡くなったと確か聞いていた。でも、娘がいたなんて話、今の今まで一度も。両親どころか、誰もそんなこと話してくれなかった。
「商業ビルの火災事故に巻き込まれてね。あの子は一命を取り留めたけど、妹を庇った旦那とお腹にいた子は助からなかった。…気に病むだろうからって、誰もそのことには触れないようにしていた。…でも、あの子自身はそんなこと無かったみたいに、明るく振る舞って。元々くよくよするような性格じゃなかったのもあるけど。…だから、母さんたち騙されちゃったのよ。強くて、前向きだ…って。逆に気を遣われていたのはこっちだった、なんて分かったの最期になってから」
初めて聞く話に俺は耳を静かに傾けていた。
俺の中にいる叔母の姿は、そう言われてみれば、よく笑っていたような気がする。
「気丈に振る舞ってたけど、入院してからは何度か弱音を吐いてた。…容態が悪化する前に『環の将来の夢聞いちゃった。でも、その夢を叶えた姿を見てあげられない』そう、泣きながら話していたわ」
叔母は肺癌で亡くなった。仕事に没頭しすぎて、体調管理が疎かになっていたらしい。免疫力が低下したところを癌細胞に肺を冒された。
あまりに早すぎる人生の幕引きに親族は皆悲しみに明け暮れたという。葬儀に参列したことを薄っすらとだけど、記憶の片隅に見つけた。
俺は手元にあるアルバムの最後のページをそっと捲った。そのページに収められた一枚の写真。息を呑んだ。そこには満面の笑みを浮かべて、一歳半ぐらいの俺を抱えている叔母らしき人。その人が、あまりにもそっくりで。もはや他人の空似レベルじゃない。葉月さんその人と思えてしまう。髪型は違うけど、年も同じぐらいだ。
「……叔母さん、幾つで亡くなったんだっけ」
「二十五、六だったかしら。……それは入院する前にとったやつね」
「そう、なんだ」
訊ねた俺の声は自分が思っている以上に動揺で震えていた。
偶然が重なりすぎている。鈴の音はあの時、葉月さんと出逢った時に聞いたものに近い。猫は好きな動物だとも言っていた。それに、本人かと見間違えるほどのそっくりな容姿。
「……その服を着るはずだった子の名前も決めてたのよ。霧華って」
母がぽつりと呟いたことで、不確かな事象は確かなものへと変わっていった。
もうどうしたら良いのか。頭の中は混乱を極めていた。
「あ……ありふれた、名前…だよね。それって」
「ありふれた名前であろうと、これがいいって決めた瞬間に特別なものになるものよ」
「……そういうもの、なんだ」
「その服もね、どうしても捨てられなくて。…捨ててしまったらその子がいたという証拠が何も無くなってしまう。此処に存在していた証。…まあ、母さんのワガママだったんだけど」
今まで頑なに口を閉ざしていた理由は単なる自分のワガママだと母は話してくれた。妹の形見として遺しておきたかったのかもしれない。そう考えると、居た堪れない気持ちになる。
いたかもしれない従姉。身内なら必要以上に緊張しない、身構えることもない。側に居ると安心できるのも、波長が合うのも、俺があの人に親しみを抱く理由はそれだ。無意識のうちに気を許して、慕っていた。
ただの勘違いかもしれない。他人の空似なのかもしれない。でもあの人がこの世界に来たという事実は存在している。
何が起きてもおかしくないんだ。すとんと腑に落ちたものの、妙な違和感はまだどこかに残っていた。