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17.寄せた想い
昼休み。食堂で昼食をとった後、外のベンチで過ごしていた時だった。
立ち上げたメッセージアプリにファットガムからの連絡が表示される。その内容に対し、短い返事を打ち込んでからスマホをポケットにしまいこんだ。
溜息を一つ漏らした後、手元の文庫本に目を再度向けた時だ。後輩の呼ぶ声が聞こえて顔を上げる。赤いツンツンの髪が俺の目に映った。
「先輩!お疲れ様っス!」
「お疲れ様。…君は相変わらず元気だね」
「あざっス!」
開いていた頁から栞を抜いて、本を閉じた。表紙の上にそれを乗せた事を気にしたのか、切島くんが申し訳なさそうに眉を顰める。
「あ、すんません…読書の邪魔」
「気にしなくていいよ。これはもう読まないでおこうと思ってたやつだから」
「面白くなかったんスか。一体何の本」
「ミステリー小説。…お勧めの本があったら教えてほしいって言われてて、葉月さんに。手元にある本で探してたんだけど……これはちょっとお勧めできない気がしたから」
昔読んだ小説で、トリックが面白かった記憶があった。でも内容を隅々まで覚えているわけじゃなく、久しぶりに読み返していた。変な内容だったら困るし。
さっき読んだ頁の一小節にまた胃の辺りがむかついた。
「内容は面白いんだ…でも」
「でも?」
「表現がエグイ。…食後に読むものじゃないとさっき気づいたよ。……胸の辺りがむかむかする」
「……ああ、ミステリーだから殺人事件とか、そういうのですもんね」
「腸が掴まれるような表現でびっくりしたよ…これ、よく昔読んだなって思った」
立ちっぱなしで話を続けようとする切島くんに隣座っていいよと促す。そうすると失礼しますと大きな声が返ってきた。いつでも元気な君が羨ましい。
「切島くんは何かお勧めの面白い本、知らない?」
「んー…すんません、あまり本読まないんで。あ、図書室で探してみたらどうっスか」
「最終的にはそれもありだね。ただ、図書室のだと外部に貸せない…手元にある方がすぐ貸せるし、ゆっくり読んでもらえると思ったんだ。それにもし絶版になっていたらそもそも入手が難しい…」
「あ、なるほど。さすが環先輩、ちゃんと考えて探してるんスね」
気軽に読めて、面白い本を見つけるにはまだ時間がかかりそうだ。
本の上に重ねたライラックを押し花にした栞。これはこの間、葉月さんが来た時に貰ったものだ。薄い水色の紙に白い花が咲いていて、青いサテンのリボン紐が結ばれている。世界に一つしかない手作りの栞。ファットガム事務所の三人とエリちゃんはそれぞれ色違いのリボンがついた物を持っている。
「そういえば葉月さんが1Aのライブ、動画撮ったら見せてほしいって。すごく気になってるみたいだよ」
「マジっスか!…さらにやる気が上がってきたぜ!いいとこ見せないと!っても、俺は裏方なんスけど。演出隊の名に懸けてぜってぇ盛り上がらせてみせます!」
「やる気が眩しい…。俺が撮りに行こうとも思ったんだけど、大勢の観客に飲み込まれそうで…でも、葉月さんの為に…なんとか」
「あ、じゃあ違うクラスの奴に頼んでみますよ。先輩は無理せず、波動先輩のサポートに集中してください!」
文化祭当日のプログラムも発表され、本格的に準備が忙しくなってきた。切島くんのクラスは十時から体育館で生演奏とダンスを披露することになっている。他科からも注目を集めているらしく、俺の周囲でも見に行きたいと楽しみにしている人が結構いる。
当日は全学年のヒーロー科に留まらず、普通科、サポート科、経営科の生徒が一斉に集まる場所となるだろう。活気溢れる場所に自分が足を運ぶのは場違いな気がしてならなかった。でも、葉月さんが見たいと言うのなら。覚悟して臨もう思っていた所に救いの手が。
「ありがとう…君は本当に頼りになる後輩だ」
「あざっス!」
ニコニコと屈託のない笑みを浮かべる切島くんの視線が不意に俺の手元に落ちた。彼は白いリボンのついた栞を持っている。さっき本は読まないと言っていた。だから勉強の時に辞書に挟んでいると話してくれる。
「…なんつーか、葉月さんが来てからもう一ヶ月も経つんですね。新学期始まってからも色々あったせいか…あっと言う間っつーか。感覚としては半年くらい一緒に居た様な気がして」
ああ、やっぱり君もそう感じていたんだ。その感覚に俺だけが陥っているのかと思っていたけど、そうじゃなかった。
「俺もそうだよ。…あの人がいる生活が当たり前のように感じてた。たった数週間、過ごしただけなのにね」
「…不思議っスよね」
遠くから雑踏が聞こえてくる。この時期は授業の合間や休み時間、放課後を利用して文化祭の準備に勤しんでいる生徒が多数を占める。俺も今日の放課後はクラスの打ち合わせが入っている。
周囲には人の気配を感じられない。耳をそばだてる者もいない。
「まだ何も手がかりは見つかってないって、この間来た時に言ってたよ。ファットも調べてはいるらしいけど」
「そうっスか…まだ、何も」
「葉月さん、突然現れたから。もしかしたら、帰る時も突然なのかもしれない。気づいた時にはもう、いなくなってた……そんなことになりそうで。怖いよ」
この世界の人じゃない。だから、元の世界に帰れる方法を探してあげないといけない。それは最初から分かっていた。それがごく当たり前のことなんだと。分かっているつもりが今は、見送ることを恐れている。別れが怖いんだと、気づいてしまった。
「…先輩って、葉月さんのこと…好きなんスか」
俺の話を聞いていた切島くんはどこかバツが悪そうに、探る様に訊いてきた。
「うん。好きだよ」
「即答!…えっマジっスか!」
「君は嫌いなの?」
「あ、いや…そんなわけ!……てか、そういう。あ、すんません。クラスのみんなが…って主に女子が事務所で環先輩が三角関係だとかなんとか言ってて」
この間の立ち聞きをしていた女子達の間でそんな噂が立っているという。葉月さんが違う世界の人だとか、そういった話は全く出ていないそうなのでそこは安心した。ただ、同様に自分のクラスでもしつこく訊ねられている。三角関係だとか言われるのは初めてだ。どこでそんな風になったんだろう。
「…俺のクラスメイトにも同じ様に聞かれたよ。普段話しかけてこない人まで……俺の話聞いてくれないし、もう否定するのも面倒だから放置してる」
「むしろそのメンタルがすげぇ…!なるほど、これがマスコミ対応の仕方…参考になります!」
「ちゃんと授業で教わるからそっちを参考にした方がいいよ。学校と違って社会に出たら熱りが冷めるまで…とはいかないだろうし」
ヒーローとして世に出て活躍すれば、マスコミ対応は必須となる。ただ、それの正しい対応なんてものは存在しないと思う。肯定すれば更に囃し立てられ、否定をすればその反応を面白がられる。そしてあることないことを記事とするのだから。だから俺はイレイザーの様に極力インタビューを受けずにいきたい。
「世の中、葉月さんみたいな人ばかりならいいのに…そう思うくらい人間性が好きだよ。あんなに優しい人は他にいない…。一緒にいてすごく落ち着くし、心が安らぐんだ。この感覚が何なのか…上手く言い表せなかったけど、ケロケロさんに言われて分かったよ」
「梅雨ちゃんに?」
「…葉月さんとは波長が合うんだ。だから気兼ねなく話せるし、一緒にいて心地良い…安心できる」
あの人とは目に見えない何かが繋がっているような気さえする。それを口にすればまた話が複雑に絡まり始めそうだから言わないけど。
俺の話を神妙な顔で聞いていた彼は揃えた膝の上でグッと拳を握りしめた。
「それは、急に居なくなったら…悲しいっスよね。しかも、さよならも言えないなんて…考えただけで切なくなっちまう」
「……ファットには再三釘を打っておいたから、大丈夫だとは思う。葉月さんが帰ることになったら俺たちに報せてって言っておいたから。…最悪の事後報告にならないことを祈ってるよ」
「そうっスね。…せめて、あと一ヶ月は。文化祭の動画、見せたいし」
あと何ヶ月、何日、何時間。此処に居られるのかは誰にも分からないこと。月日は過ぎていくし、あと何回会えるのかも分からない。交わした約束が必ず守られる保障なんてものは無いんだ。
ライラックの輪郭をそっと指でなぞる。これを貰い受ける時に、三枚のうちから選ばせてもらった。その中から青いリボンのついた物を手にした時「それ、当たり。花びらが五枚のって珍しいの。いいことありますように」と無邪気に笑っていた葉月さんの顔が浮かぶ。
「帰る方法が分からないなら、此処にいればいいのに」
口をついて出た俺の言葉は存外彼を驚かせてしまったみたいだ。さっきまでの会話の流れとは全く正反対のものだったから。目に見えない恐怖に怯えている中で生まれた本音。自分でもどうしていいのか、分からない。
「ずっとこの場所に。……でも葉月さんには葉月さんの生活がある。個性の無い世界が。軽々しく引き留めてはいけないんだ。それにそんなこと言ったら、無責任な発言だって思われる。…それでも此処にいて欲しいって思ってしまう。どうしようもないよね。俺に引き留める権利なんて何も無いのに」
そして、これを後輩にぼやいた所でどうにかなるわけでもない。どう返していいのか戸惑う彼に「ごめん」と謝っておいた。
個性社会とは無縁の世界で過ごしてきた。真逆である環境に少しずつ馴染んでいるんだと思っていた。一度も俺たちの前で「早く帰りたい」なんて言ったこと無かったから。
もしかしたら、此処に居場所ができたんじゃないかって、淡い期待を抱いてしまう。
「葉月さんはどうしたいんだろうね」
愚問に過ぎないそれは秋風に無造作に拾われて、どこかへ飛んでいった。
昼休み。食堂で昼食をとった後、外のベンチで過ごしていた時だった。
立ち上げたメッセージアプリにファットガムからの連絡が表示される。その内容に対し、短い返事を打ち込んでからスマホをポケットにしまいこんだ。
溜息を一つ漏らした後、手元の文庫本に目を再度向けた時だ。後輩の呼ぶ声が聞こえて顔を上げる。赤いツンツンの髪が俺の目に映った。
「先輩!お疲れ様っス!」
「お疲れ様。…君は相変わらず元気だね」
「あざっス!」
開いていた頁から栞を抜いて、本を閉じた。表紙の上にそれを乗せた事を気にしたのか、切島くんが申し訳なさそうに眉を顰める。
「あ、すんません…読書の邪魔」
「気にしなくていいよ。これはもう読まないでおこうと思ってたやつだから」
「面白くなかったんスか。一体何の本」
「ミステリー小説。…お勧めの本があったら教えてほしいって言われてて、葉月さんに。手元にある本で探してたんだけど……これはちょっとお勧めできない気がしたから」
昔読んだ小説で、トリックが面白かった記憶があった。でも内容を隅々まで覚えているわけじゃなく、久しぶりに読み返していた。変な内容だったら困るし。
さっき読んだ頁の一小節にまた胃の辺りがむかついた。
「内容は面白いんだ…でも」
「でも?」
「表現がエグイ。…食後に読むものじゃないとさっき気づいたよ。……胸の辺りがむかむかする」
「……ああ、ミステリーだから殺人事件とか、そういうのですもんね」
「腸が掴まれるような表現でびっくりしたよ…これ、よく昔読んだなって思った」
立ちっぱなしで話を続けようとする切島くんに隣座っていいよと促す。そうすると失礼しますと大きな声が返ってきた。いつでも元気な君が羨ましい。
「切島くんは何かお勧めの面白い本、知らない?」
「んー…すんません、あまり本読まないんで。あ、図書室で探してみたらどうっスか」
「最終的にはそれもありだね。ただ、図書室のだと外部に貸せない…手元にある方がすぐ貸せるし、ゆっくり読んでもらえると思ったんだ。それにもし絶版になっていたらそもそも入手が難しい…」
「あ、なるほど。さすが環先輩、ちゃんと考えて探してるんスね」
気軽に読めて、面白い本を見つけるにはまだ時間がかかりそうだ。
本の上に重ねたライラックを押し花にした栞。これはこの間、葉月さんが来た時に貰ったものだ。薄い水色の紙に白い花が咲いていて、青いサテンのリボン紐が結ばれている。世界に一つしかない手作りの栞。ファットガム事務所の三人とエリちゃんはそれぞれ色違いのリボンがついた物を持っている。
「そういえば葉月さんが1Aのライブ、動画撮ったら見せてほしいって。すごく気になってるみたいだよ」
「マジっスか!…さらにやる気が上がってきたぜ!いいとこ見せないと!っても、俺は裏方なんスけど。演出隊の名に懸けてぜってぇ盛り上がらせてみせます!」
「やる気が眩しい…。俺が撮りに行こうとも思ったんだけど、大勢の観客に飲み込まれそうで…でも、葉月さんの為に…なんとか」
「あ、じゃあ違うクラスの奴に頼んでみますよ。先輩は無理せず、波動先輩のサポートに集中してください!」
文化祭当日のプログラムも発表され、本格的に準備が忙しくなってきた。切島くんのクラスは十時から体育館で生演奏とダンスを披露することになっている。他科からも注目を集めているらしく、俺の周囲でも見に行きたいと楽しみにしている人が結構いる。
当日は全学年のヒーロー科に留まらず、普通科、サポート科、経営科の生徒が一斉に集まる場所となるだろう。活気溢れる場所に自分が足を運ぶのは場違いな気がしてならなかった。でも、葉月さんが見たいと言うのなら。覚悟して臨もう思っていた所に救いの手が。
「ありがとう…君は本当に頼りになる後輩だ」
「あざっス!」
ニコニコと屈託のない笑みを浮かべる切島くんの視線が不意に俺の手元に落ちた。彼は白いリボンのついた栞を持っている。さっき本は読まないと言っていた。だから勉強の時に辞書に挟んでいると話してくれる。
「…なんつーか、葉月さんが来てからもう一ヶ月も経つんですね。新学期始まってからも色々あったせいか…あっと言う間っつーか。感覚としては半年くらい一緒に居た様な気がして」
ああ、やっぱり君もそう感じていたんだ。その感覚に俺だけが陥っているのかと思っていたけど、そうじゃなかった。
「俺もそうだよ。…あの人がいる生活が当たり前のように感じてた。たった数週間、過ごしただけなのにね」
「…不思議っスよね」
遠くから雑踏が聞こえてくる。この時期は授業の合間や休み時間、放課後を利用して文化祭の準備に勤しんでいる生徒が多数を占める。俺も今日の放課後はクラスの打ち合わせが入っている。
周囲には人の気配を感じられない。耳をそばだてる者もいない。
「まだ何も手がかりは見つかってないって、この間来た時に言ってたよ。ファットも調べてはいるらしいけど」
「そうっスか…まだ、何も」
「葉月さん、突然現れたから。もしかしたら、帰る時も突然なのかもしれない。気づいた時にはもう、いなくなってた……そんなことになりそうで。怖いよ」
この世界の人じゃない。だから、元の世界に帰れる方法を探してあげないといけない。それは最初から分かっていた。それがごく当たり前のことなんだと。分かっているつもりが今は、見送ることを恐れている。別れが怖いんだと、気づいてしまった。
「…先輩って、葉月さんのこと…好きなんスか」
俺の話を聞いていた切島くんはどこかバツが悪そうに、探る様に訊いてきた。
「うん。好きだよ」
「即答!…えっマジっスか!」
「君は嫌いなの?」
「あ、いや…そんなわけ!……てか、そういう。あ、すんません。クラスのみんなが…って主に女子が事務所で環先輩が三角関係だとかなんとか言ってて」
この間の立ち聞きをしていた女子達の間でそんな噂が立っているという。葉月さんが違う世界の人だとか、そういった話は全く出ていないそうなのでそこは安心した。ただ、同様に自分のクラスでもしつこく訊ねられている。三角関係だとか言われるのは初めてだ。どこでそんな風になったんだろう。
「…俺のクラスメイトにも同じ様に聞かれたよ。普段話しかけてこない人まで……俺の話聞いてくれないし、もう否定するのも面倒だから放置してる」
「むしろそのメンタルがすげぇ…!なるほど、これがマスコミ対応の仕方…参考になります!」
「ちゃんと授業で教わるからそっちを参考にした方がいいよ。学校と違って社会に出たら熱りが冷めるまで…とはいかないだろうし」
ヒーローとして世に出て活躍すれば、マスコミ対応は必須となる。ただ、それの正しい対応なんてものは存在しないと思う。肯定すれば更に囃し立てられ、否定をすればその反応を面白がられる。そしてあることないことを記事とするのだから。だから俺はイレイザーの様に極力インタビューを受けずにいきたい。
「世の中、葉月さんみたいな人ばかりならいいのに…そう思うくらい人間性が好きだよ。あんなに優しい人は他にいない…。一緒にいてすごく落ち着くし、心が安らぐんだ。この感覚が何なのか…上手く言い表せなかったけど、ケロケロさんに言われて分かったよ」
「梅雨ちゃんに?」
「…葉月さんとは波長が合うんだ。だから気兼ねなく話せるし、一緒にいて心地良い…安心できる」
あの人とは目に見えない何かが繋がっているような気さえする。それを口にすればまた話が複雑に絡まり始めそうだから言わないけど。
俺の話を神妙な顔で聞いていた彼は揃えた膝の上でグッと拳を握りしめた。
「それは、急に居なくなったら…悲しいっスよね。しかも、さよならも言えないなんて…考えただけで切なくなっちまう」
「……ファットには再三釘を打っておいたから、大丈夫だとは思う。葉月さんが帰ることになったら俺たちに報せてって言っておいたから。…最悪の事後報告にならないことを祈ってるよ」
「そうっスね。…せめて、あと一ヶ月は。文化祭の動画、見せたいし」
あと何ヶ月、何日、何時間。此処に居られるのかは誰にも分からないこと。月日は過ぎていくし、あと何回会えるのかも分からない。交わした約束が必ず守られる保障なんてものは無いんだ。
ライラックの輪郭をそっと指でなぞる。これを貰い受ける時に、三枚のうちから選ばせてもらった。その中から青いリボンのついた物を手にした時「それ、当たり。花びらが五枚のって珍しいの。いいことありますように」と無邪気に笑っていた葉月さんの顔が浮かぶ。
「帰る方法が分からないなら、此処にいればいいのに」
口をついて出た俺の言葉は存外彼を驚かせてしまったみたいだ。さっきまでの会話の流れとは全く正反対のものだったから。目に見えない恐怖に怯えている中で生まれた本音。自分でもどうしていいのか、分からない。
「ずっとこの場所に。……でも葉月さんには葉月さんの生活がある。個性の無い世界が。軽々しく引き留めてはいけないんだ。それにそんなこと言ったら、無責任な発言だって思われる。…それでも此処にいて欲しいって思ってしまう。どうしようもないよね。俺に引き留める権利なんて何も無いのに」
そして、これを後輩にぼやいた所でどうにかなるわけでもない。どう返していいのか戸惑う彼に「ごめん」と謝っておいた。
個性社会とは無縁の世界で過ごしてきた。真逆である環境に少しずつ馴染んでいるんだと思っていた。一度も俺たちの前で「早く帰りたい」なんて言ったこと無かったから。
もしかしたら、此処に居場所ができたんじゃないかって、淡い期待を抱いてしまう。
「葉月さんはどうしたいんだろうね」
愚問に過ぎないそれは秋風に無造作に拾われて、どこかへ飛んでいった。