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16.波長
「なんやそうなん?…まァ、今までのことからしたらしゃあないか…残念やな。そんでも文化祭自体中止にならんくてえかったやん。切島くん、初めての文化祭やろ?」
夕暮れ時。沈む夕日に目を細め、橙色に染まる空を見渡しながらファットガムは電話相手にそう答えた。その後も何度か相槌を打ち、話を弾ませた後に「ほんなら文化祭の準備気張りや」と朗らかに通話を切った。
それを話半分に聞きながら葉月は来客後の片づけをしていた。応接用のテーブルから空になったガラスの湯呑と丸いコースターをお盆に乗せていく。涼し気な青い切子ガラスは夏が過ぎ去った今も活躍している。
「雄英の文化祭、今年は外部のお客さん入れへんやて」
「文化祭……高校はもうそんな時期なんですね」
葉月は事務所の壁にピン止めされたカレンダーに目を向ける。暦の上ではもう十月を迎えているが、夏の名残がまだまだ取れない。そのせいか季節の感覚が少しずれているように感じていた。地元の北海道ではこの時期となれば日によっては冷たい風が吹く。それが大阪では外に出ればまだ蒸し暑く、事務所内の空調が一日中着いているのだ。
此処へ来て一月あまりが過ぎた。真夏の暑さを避けれたとは言え、暑さの種類が違う土地でよく体調を崩さなかったものだ。呼吸をする度に肺に纏わりつく湿った空気、肌を覆うじめじめとした不快感。真夏に旅行で遊びに行った友人が「あの暑さはやばい」とバテ気味でそう話していた。
北国の一部ではもう紅葉が始まっている季節なのに。そう、ぼんやりと考えていた葉月にファットガムが先ほど電話で聞いたことを話し始める。
「切島くんのクラスはバンド演奏やるんやて。個性活用してかなりド派手にやるみたいやでェ。ダンス、演出もこだわっとるみたいや」
「なんだか楽しそう。個性を活用して…すごいんでしょうね。想像もつかないです」
「まァ、基本は変わらへんと思うけどな。屋台も出すし、演劇やクイズ大会とか」
「そうなんですか?」
「せやで。俺のクラスは屋台でタコ焼き売っとったしな」
デスクに山積みにされたタコ焼きの箱。先程の来客が置いていったものだ。そのスポンサーは低脂肪状態のファットガムを見るなり「こらちょうどええわ、いつもより多めにしとくで!」と箱を積んでいったのだ。そこから一つタコ焼きを摘む。大量のタコ焼きもあと三十分も経たないうちに平らげてしまうだろう。
「そこらの店より美味いて褒められたで」
「ファットさんが焼くタコ焼き、私も美味しいと思います。今まで食べた中で一番」
「…ほんまに?そら嬉しいわァ」
ほわんと嬉しそうにファットガムが笑う。
本場の人間が焼くタコ焼きだ。当時も大変な人気を呼んでいたに違いない。変わらない笑顔で「タコ焼き一丁!熱々やでー!」と差し出している高校生の姿が浮かんでくる。
葉月が湯呑みを乗せたお盆を抱え、部屋から出る所をファットガムが呼び止めた。
「この話のついでなんやけど、明日雄英で打ち合わせあるん。霧華ちゃんも一緒に行かん?土曜日やし、休み潰してまうけど…」
「……え?」
「文化祭当日やないけど、準備してるし雰囲気は味わえるで」
それは思わぬ提案であった。
インターンが様子見となってからしばらく経ち、天喰と切島が居ない日々にもようやく慣れてきた。静かだと感じるのはファットガムとの掛け合いが無いせいで、それが日常的になっていたのだと気づいた時には殊更寂しさを感じていたという。それだけ自分の生活に彼等の存在が溶け込んでいたのだ。
二人の顔を見られるのは嬉しい。しかし、雄英とは何ら関りがないであろう自分が同行してもいいものだろうか。そう考えに至った葉月の表情が困惑に満ちる。
「私が行っても問題、ないんですか。…二人が通う雄英高校とは関係が無いと言うか部外者ですし」
「何言うとんの。あの二人の世話仰山焼いてくれたんは霧華ちゃんやで。そんでもって霧華ちゃん助けたんは環やし。これで部外者や言うたらあの二人に怒られんで?」
「それは、そうですけど…でも」
「それにや、イレイザーとも面識あるんやろ?そんなら心配要らへんて。今の霧華ちゃんはうちの事務所の関係者、つまり俺についてくる理由はしっかりある!」
胸を張って堂々としてればいい。ファットガムの言う通り、事実上の関係性は充分にある。天喰に関しては他人どころか命の恩人ともいえる。だが、それはあくまで個人的なこと。雄英高校の敷地内に踏み入る理由として成り立つのか。それを危惧していた葉月であったが、ファットガムが大丈夫だと言うのだから、余計な心配なのかもしれない。確かではない言葉だが、それに後押しを受けた葉月は静かに頷いた。
「…それじゃあ、ファットさんにお供させてください。お願いします」
「おう、任せとき!楽しみやなァ。そや、環と切島くんびっくりさせたろ。明日、着くまでは内緒にしとこか。…明日の関東の天気はーっと…おっ!お天道さん並んどるで!」
明日は仕事で訪れるというのに、二人に会うのが余程楽しみなのか、満面の笑みを浮かべていた。その笑顔は遠い昔に見たそのもの。あの頃と何も変わっていない無邪気な少年のようだと葉月も頬を緩めた。
◇◆◇
「おおーっ!エリちゃん!もうお外出て歩けるようになったんやなァ…!」
「……だれ?」
「エリちゃん、この人はプロヒーローのファットガム。あの時に一緒に戦ってくれたうちの一人だよ」
午前中の新幹線で関西から関東まで移動し、雄英高校の建物に圧巻されたのも束の間。ファットガムの到着を待っていた相澤に一先ず会議室へ誘導され、軽く校内の説明をされている時に通形、緑谷、壊理と出くわした。
通形、壊理の事情はさわりではあるが聞いていた。葉月は丸い目でファットガムを見上げる壊理に視線を向ける。
小さな女の子は戸惑いにも似た表情で頭をぺこりとさげた。その頭を屈んでぽんぽんと撫でるファットガムの瞳は少し潤んでいる。
「ほんまにえかったわァ…そのお洋服もカワイイで!今日は雄英の見学に来たん?通形くんと緑谷くんにいーっぱい案内してもらいや」
「うん」
壊理は肩から下げたポシェットのベルトをきゅっと握っていた。反対側の手は通形のズボンの裾を掴んでいる。
ファットガムは壊理の頭を優しく撫でていた。その様子を葉月は幼い日の自分と重ね合わせ、微笑ましく二人を見守っていた。
そこへ通形が「貴女はもしかして!」と会話のタイミングを見計らって葉月に声を掛けてくる。ファットガムの付き添いで来たとしか話しておらず、名乗りが遅れてしまった。
「あ…ごめんなさい。私はファットガム事務所に勤めている葉月です」
「これはご丁寧にありがとうございます!自分はヒーロー科三年の通形ミリオです」
「同じく一年の緑谷出久です。よろしくお願いします」
握手を求められた手はごつごつとしていた。運動部に所属しているような、がっしりとした体格。天喰と切島もインターン中に筋トレを欠かさず行っていた。ヒーロー科の生徒は皆こうなのだろうか。
おずおずと握手に応じ、自分もフルネームで名乗れば良かったかと悩んだ矢先のことだ。
「貴女はちょっとした有名人ですよ!」
「えっ」
通形が良い笑顔と共に親指をぐっと立てて見せる。これには葉月のみならず、ファットガムも驚きを隠せずにいた。もしや、葉月がこの世界の人間ではないということが広まっているのではないか。
「俺の中でね!」
「え、ええと…どういうこと…?」
「友人がお世話になってます!」
「……あ。貴方が天喰君のお友達の」
通形の友人、ということでピンと来た葉月は動揺を見せないように静かに訊ねた。内心、二人とも心臓がバクバクと鳴っている。ファットガムは口を噤み、余計な事を口走らないように努め、ここは話の流れを読んでから相槌を打つ構えをとることにした。
「はい。少しだけですけど、葉月さんのことをお聞きして。あの緊張しいの環が普通に会話できるって言ってたんで驚きました」
「…うん。天喰くんとはよくお話しするけど…普通に」
「だから、どんな人なのかなーって気になってたんです。ですから、こうしてお会いできて光栄ですよ!」
「光栄だなんて…私、そんなにすごい人じゃ」
「俺が見てきた中じゃスゴイ人ですよ!スゴイ人ランキング五本の指に入ります!…ところで、保護されてるとお聞きしてたんですけど。こうして外に出ても大丈夫な状態なんですか?」
何の悪びれも無く通形はそう訊ねた。その発言に緑谷は首を右へ捻る。自分がクラスメイトから聞いていた情報とは相違があった為だ。
「え……保護された?僕は切島くんから大事なお客さんがいるって聞いてましたけど。それって、葉月さんのことじゃないんですか?」
「いや…お前ら人の話はよく聞きなさいと言ってるだろ。さっき勤めてると…秘書じゃないのか」
さらに追い打ちをかけるように相澤がそう言うものだから。情報が不一致すぎて場にはクエスチョンマークがそれぞれの頭に浮かんでいる。通形と緑谷を真似て壊理も小首を傾げていた。
話の流れを読むどころか、これは一体どうしたらいいものか。最初によく打ち合わせをしておけばよかったと後悔するも後の祭り。何か上手い交わし方は無いかとファットガムが考える最中、「あの」と控えめに切り出したのは葉月であった。
「ファットさんには前に無くし物を見つけていただいたことがあるんです。…それから暫くして、不慮の事故で命を落としかけたところをファットガム事務所の皆さんに助けていただいて。…不思議な縁を感じたんです。それで、恩返しでここで働けたらいいな…と思っていたら、ちょうど事務員の空きが出て」
「運良く採用された、というわけですか。…人の縁ってやつを重視しそうな事務所ですからね」
「はい。…ファットさんや事務所の皆さん、もちろん天喰くんと切島くんにも感謝してもしきれない程です」
混乱した情報をこれ程までに上手く纏め上げたことにファットガムは感心した。相澤相手に動揺せず返している。内容の殆どが真実である為、話しやすかったせいもあるだろう。
柔らかく微笑んでいる葉月の表情からは感謝の念が滲み出ている。そんな気すらしていた。
「……なんか、そういうのって良いですね。ヒーローを通じて縁ができるのって…僕が同じ立場で、そう言われたら嬉しいかも。この人とは何か繋がりがあるんだな…って思えて」
助けた市民がヒーローを慕ってくれるのは有難いことだ。純粋にそう感じた緑谷は目を細めて屈託のない笑みを浮かべていた。
そこへ咳払いが一つ、相澤の口から漏れる。
「あー…ご歓談中申し訳ないんだが、そろそろ打ち合わせを始めたい」
「なんや、そんな時間押しとんの」
「いや、さっき言ったでしょ。貴方の到着を待ってたと…他の面子はとっくに揃ってるんですよ」
「そら悪いことしたわ。せや、悪いんやけど霧華ちゃんを環か切島くんとこに連れてってくれへん?」
「分かりました。今から環のクラスに向かうところだったので、俺たちが安全に送り届けます!」
任せてくださいと胸をドンと叩く通形。しかし、安全にという単語が引っかかる。葉月に一抹の不安が過る。なにせヒーローを目指す学校だ。何が起きるか分からない。未知のエリアに踏み込んでしまったと胸をドキドキさせていた。彼らの様に明るく親切な高校生ばかりであればいいのにと思いながら。
「お、お願いします」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。許可証もあるんだし、雄英バリアーに引っかからないエリアまでは見れますから。ああ、でもたまにサポート科が」
通形の説明が終わるか終わらないかのうちに、遠くの校舎から爆発音が聞こえてきた。その直後、生徒と教師の慌ただしい声で騒がしくなる。
「噂をすればですね…また発目さんかな」
「……霧華ちゃん怖がりやから、あんまビビらせんといてな?」
「了解です!サポート科が準備してる場所へは行かないように伝えときますんで」
「頼むで通形くん。エリちゃん、今度は一緒に遊ぼうな」
ひらりと大きな手を振ったファットガムは相澤の後に続き、会議室へ入っていった。ドアが閉め切られたあと、通形は「よーし!」と声を張り上げる。
「エリちゃん、このお姉さんを俺の友達の所まで送り届けたいから、そこまで一緒に行ってもいいかな?」
「先輩、それ先に聞くやつでは……あ、切島くんにも連絡入れておきますね」
「…おねえさんも、ここにくるのはじめてなの?」
自分を見上げてくる大きな瞳。その場にしゃがんだ葉月は壊理と目線を合わせ、こくりと頷いてみせた。
「うん。私のこと助けてくれたヒーローとそのお友達に会いに来たの。……一人だと怖いから、一緒についていってもいいかな」
「…うん、いいよ。おねえさんも、ヒーローにたすけてもらったの?」
「さっきの大きい人と、このお兄さんのお友達が私のヒーローなの」
「そうなんだ。……おんなじ。あのね、私はルミリオンさんとデクさんに…あとたくさんの人にたすけてもらったの」
そう呟くように話した壊理はポシェットの細いベルトをまたきゅっと握り締め、通形と緑谷を交互に見上げた。その赤い瞳は少し物悲しい暗さで揺れている。
先日の事件から救出された子どもがこの壊理という少女で、この件に関わって傷ついた者は自分の責任だと思い込んでしまう節があると聞いていた。
壊理を見つめる葉月の眼差しは優しい。親友が話していた通りの女性だと通形も頬を緩める。
「エリちゃんはこのお兄さんたちに会えて、嬉しい?」
「……うん。ルミリオンさんとデクさんの手、やさしくて、あたたかくて…すきだから」
「そっか。おんなじだね」
葉月がそう微笑むと、壊理はその顔をじっと見つめ口元をムズムズとさせていた。口角が上がりそうで、上がらない。そして気恥ずかしそうに下を向いた。
その傍らで「んっ」と喉を詰まらせたような声が二つ。通形と緑谷が顔を覆って肩を震わせていた。
「ど、どうかされたんですか」
「すみませ……嬉しさのあまり、つい。先輩、泣かないでください」
「…これは心の汗なんだよね!」
◇◆◇
雄英高校の文化祭準備は校内のあらゆる場所で進められていた。多くは屋外や廊下で作業をしている。
毎年恒例のミスコンテスト、それに参加する生徒は応募用の写真を用意しなければならない。そのための撮影スペースと機材は備品室に用意されていた。
三年A組からは波動ねじれが抜擢され、その写真撮影を任命された天喰はレンズ越しに彼女を捉える。何枚か撮り終えているのだが、これだという一枚が決まらない。その原因は波動の親友が「やっぱこっちの衣装の方がいいわよ!」と着せ替え人形にしているせいもある。
「おーい環!」
今までの撮影した写真データを確認している時、天喰は自身の親友の声を聞き取り、備品室の入口へ顔を向けた。雄英の制服を着た通形が大きくこちらに手を振っている。久しぶりに見たその姿が元気そうで良かったと天喰は口元を緩めた。
その後に続けて緑谷と壊理が顔をひょいと覗かせた。
「ミリオ。早かったな……緑谷くんとエリちゃんも」
「ねェねェ何でエリちゃんいるの?フシギ!何で何で?!」
撮影スポットからふわりと宙を浮いて移動する波動。屈託のない明るい笑顔を浮かべ、矢継ぎ早に訊ねる。向かってきた波動の衣装は素肌の露出が多く、それに緑谷はたじろいでしまった。
その傍ら、通形は天喰を指して意気揚々と話し始める。
「エリちゃん、この人がお姉さんのヒーローだよ!サンイーターって言って、すごい強くてカッコイイ男なんだ!」
「…ミリオ、一体何の話……だ」
急にどうしたのかと天喰は疑問符を浮かべる。不意に入口の方で人影が動いたので、そちらへ目を向けた。そこにいた一人の女性と目が合う。葉月を目にした瞬間、天喰は固まってしまった。
「……え、なんで……葉月さんが?ここに…いや、そんなはずない。……そうか、俺は幻覚を」
「だとしたら、俺たち全員が同じ幻覚見てることになるよな。葉月さんは俺が連れてきたんだぜ!」
「!?」
天喰の顔がさっと青ざめた。幻覚ではない。そうなると、通形と葉月はいつどこで知り合ったのか。彼女の事情を知っているのか。そもそも、どうしてここに来ているのか。様々な考えが忙しく駆け巡るが、最終的に辿り着いた予想に胸が詰まる様な息苦しさを覚えた。
「あ、あの…天喰くん。急に来てごめんね」
「……いや、あの…なんで。ちょ、待って……心の準備が何も、できていない…!」
天喰は震える手で胸の辺りをくしゃりと掴み、俯いてしまった。
どうも様子がおかしい天喰に緑谷が心配をして声をかけるも、わなわなと震え続けていた。
「せ、先輩…どうしたんですか」
「ねェねェ、この人は誰なの?天喰くんの知り合い?あ、心の準備ってもしかしてこれから告白でもするの?」
「環!やっぱりそうなんだなっ!」
「えっ、話が全く見えない…!何がどうなってるんですか。この方、先輩の事務所の人ってだけじゃないんですか…?!」
波動の純粋な質問、目を輝かせる通形。そして状況が飲み込めていない緑谷はおろおろと首を動かしていた。
当人を他所に外野が騒ぎ立てるので、この空気に耐えられずさらに顔を俯かせた天喰が二人に訴えかけるように呟く。
「……ミリオ、波動さん…頼むから話をややこしくしないでほしい…。それどころじゃないんだ。ミリオとエリちゃんが来るのは知っていたけど…まさか、葉月さんが来るなんて…!俺はどうしたら。何も、言葉が浮かんでこない……」
「ご、ごめんね…天喰くん。やっぱり、事前に連絡しておけば良かったね。…あのね、二人をびっくりさせようってファットさんと話してて。雄英で打ち合わせするから、一緒に来ないかって…私も久しぶりに天喰くんたちに会いたかったし」
サプライズどころか困惑させてしまって申し訳ないと葉月が訳を話し、謝る。顔を恐る恐る上げた天喰の顔には「え?」と書かれていた。自分が考えていたシナリオとは違う、意表を突かれたといった風に。
「それだけ…ですか。本当に、それだけの理由で…ここに?」
「うん。二人に会いたかったから、ファットさんについてきちゃった」
天喰の様子に戸惑いながらも葉月はふわりと笑みを浮かべた。久しぶりに見るその微笑みは変わらず優しいものだ。そして雄英に来た理由が考えていた物とは異なり、天喰はほっと胸を撫で下ろす。
安堵している天喰の肩に通形が腕を大きく回した。
「と、言うわけで…こっからは環にバトンタッチします!」
「えっ」
「ファットガムに頼まれてここまで俺たちがエスコートしてきたんだ。俺はもっと葉月さんと話したいけど、顔見知りのヤツの方がいいだろうからさ」
「折角来てくれたんだし、案内してあげなよ天喰くん。今から休憩ということで。ねじれも疲れたでしょ?」
「うん。喉乾いたー。有弓も飲み物買いに行こー!」
その場に居た者の意見が一致し、今から休憩時間を取ろうという話に纏まる。自分は特に休みたいとは言っていないのだが、と思う天喰ではあるがそのまま賛同することにした。
「いいなー天喰くん。私もリューキュウに会いたいなー」
「…じゃあ、エスコートは任せたぜ環!」
「上手くできる自信が…」
「先輩。さっき切島くんに連絡は入れたんですけど…作業中なのか電話出なくて。メール入れておいたので、天喰先輩の方に連絡がいくかもしれないです」
「…うん、わかった。ありがとう緑谷くん」
「ねじれ、行こ!」
「うん!」
学生たちの声が賑やかに響いていた。高校生活とはこんなにも明るく、活気が溢れていただろうか。当時は無我夢中で日々を駆け抜けていた。年月が過ぎて、ふと振り返った時に改めて感じることなのかもしれない。
自分の青春時代を懐かしむ間、葉月はスカートの裾を軽く引っ張られた事に気が付き下を向いた。壊理が物悲し気に眉を顰め、見上げている。
「おねえさん、いっちゃうの…?」
初めて顔を合わせてまだ三十分も経っていない。だが、葉月の優しさを本能的に感じ取ったのか、ここで別れるのが寂しいといった風に訴えている。
葉月は先ほどと同じ様にしゃがみ、小さく頷いた。
「うん。……そうだ、エリちゃんはお花好き?」
「お花……あんまりみたことないから」
「そっか。じゃあ、一つ名前教えてあげるね」
ショルダーバッグから取り出した細長い紙。厚紙に薄水色の紙が貼り付けてあり、小さな白いライラックの花がそこに模られていた。押し花が落ちないよう、薄い和紙で覆われていた。小さく開けた穴には赤いリボンの紐がきゅっと結んである。
それを受け取った壊理は初めて見る押し花の栞をじっと見つめていた。
「このお花は、ライラック。これは手元でも楽しめるようにした形で…栞っていうんだけど。いつか、エリちゃんにも本物を見てほしいな」
「…白いお花」
「うん。このリボンも赤だから、エリちゃんとお揃いだね」
「…私とおそろい」
晴れた空を背景に咲いている白いライラック。気のせいだろうか。甘い香りがしたような気さえする。初めて見る物に壊理は頬を紅潮させた。
「エリちゃんにプレゼント」
「いいの?」
「良かったね、エリちゃん。うわぁ…すごい。凝ってますね、これ。葉月さんが作ったんですか?センスもいい…!」
「ありがとう、緑谷くん」
「…あの、おねえさん。これ、ありがとう」
このライラックは葉月がまだ此処に来て日が浅い時に、恩師から貰った物だと後から聞かされた。本人にとっては大切な物だというのに、それを躊躇いもなく、分け隔てなく与える。本当に優しく、慈愛に満ちた人だと天喰はその様子を見守っていた。
◇◆◇
「向こうに見えるのが体育祭会場。全校生徒は勿論、一般客も収容できる広さで…プロヒーローも見に来ます。…俺は観客が少ない方が緊張しなくて良いんだけど」
「……規模がすごい。学校でこんなに施設が整っているなんて…」
通形から雄英案内を引き継いだ天喰は葉月と共に校舎、学生寮、体育館の順に歩いていた。葉月に与えられた許可証でどこまで案内できるか考え、建物外観を見るぐらいまでなら引っかからないだろうと。そしてサポート科が作業している場所へは近寄らないようにしていた。
どの施設も最先端技術が駆使されていると知った葉月は頬を紅潮させていた。
「そしてここが、あらゆる災害を再現して救助の実技演習を行う施設。通称USJです」
「…すごいね。私が見て来た世界とは全然違う。設備も、規模も何もかも。…天喰くんと切島くん…ううん、この学校の生徒はすごい場所で学んでいるのね」
USJの巨大な外観にまた目を輝かせる。まるで無邪気な子どものようだ。そう感じた天喰はくすりと笑った。
「…葉月さん、さっきからすごいしか言ってないですね」
「本当にびっくりすることばかりだから」
すっかりお上りさんになってしまったと恥ずかしそうに肩を竦める。
大阪の町を案内した時もめずらしい物ばかりが目に着いたのか、キョロキョロと忙しなくしていたと一ヶ月前のことを天喰は思い返していた。
ファットガム事務所の外観を初めて目にした際は流石に言葉を失っていたようだった。あのカラーリングと分かりやすい見た目。後に「目立つ建物だから、お客さんに説明する時に分かりやすくて助かってるの」と話してもいた。
あの建物を見た時は同じく絶句したと天喰は一人頷く。
「…歩き疲れてませんか。雄英の敷地、広いから……少し休みましょう」
「そうね。天喰くんも休憩中のところを無理に付き合わせちゃったし…そこのベンチは使っても大丈夫?」
舗装された道の途中に設置されたベンチが点々と並んでいる。すぐ側のベンチには外灯と自動販売機が一つ設置されていた。
文化祭の準備期間中はこの近辺に人の気配は感じられず、時々風が木々の葉を揺らしたり、鳥の声が聞こえてくるだけだ。
自動販売機の前で葉月が天喰を振り返った。
「何か飲む?」
「あ、俺が…。この間奢ってもらいましたし」
「気にしなくてもいいのに」
「そうもいかないです。何がいいですか」
「…じゃあ、ミルクティーで」
天喰は取り出した小銭を投入口に滑り込ませ、『冷たい』と書かれたボタンを押す。音を立てて落ちてきたミルクティーの缶を取り出す。それを先に葉月に渡し、同じ動作をもう一度繰り返した。
「ありがとう」
「これ美味しいってクラスの女子が話してました」
茶葉の抽出法や牛乳にこだわり、後味をすっきりさせたミルクティー。全国展開されている商品なので、葉月もCMで何度か見たことがあると話した。
「…あ、ほんと。美味しいね。寒くなったら温めても良さそう」
「俺も初めて飲んだけど、うん…これは甘い物苦手な人でもいけそう」
冷たいミルクティーで渇いた喉を潤しながら、雑談を交わしていたところに天喰のスマートフォンが短い通知を報せた。すみませんと葉月に断りを入れてから通知をチェックする。
それはメッセージアプリのグループトーク通知で、ファットガムから天喰と切島に宛てたもの。打ち合わせが終わったのかと思いきや、全く関係のない内容であった。
『霧華ちゃんの設定、これで頼むで!』と話の脈絡が無い一文が箇条書きで並んでいる。
一通りそれに目を通した天喰だが、意味が分からないとぼやいた。
「どうしたの?」
「…ファットから葉月さんの設定が送られてきたんですけど。何か心当たりは」
そう天喰が訊けば葉月が苦笑いを浮かべる。
「実は、ね。私が事務所にいる理由がバラバラで…」
先刻、会議室の前で起きた出来事を手短に話すと、天喰の顔からまたも血の気がサーッと引いていった。
「すみません…やっぱり迂闊に話すべきじゃなかった…」
「気にしないで。どれも間違ってることじゃなかったし…秘書は違うけど。あ、その設定私にも教えてもらってもいいかな。自分が知らないとまたさっきみたいなことが起きちゃうし」
「あ、はい。…どうぞ」
トーク画面を再表示させ、葉月の方へ差し出す。ファットガムのアイコンから拭き出した箇条書きの文章を追いかけていった。
・過去に失せ物を探してもらったことがある。
・その後、不慮の事故に遭遇した所をうちの事務所のヒーローが助けた。(サンイーターお手柄やで!)
・縁あってうちの事務所に就職。
・個性の話振られることもあるやろし、そこはあとで霧華ちゃんと要相談や!
ざっくりとした情報ではあるが、要点は纏まっていた。
だが、インターンが様子見となる前に決めておけば良かったのでは。何故誰もそれに気が付かなかったのか。あの事務所内で収まる出来事だと考えていたせいかもしれない。
ファットガムのこの発言に二つ目の既読マークが未だにつかない。切島はまだ作業に集中していて気づいていないのだろう。
「うん、覚えた。私がさっき話したことと同じね。……個性、か」
ぽつりと漏れたその単語は青い空に吸い込まれていった。空を仰ぐ葉月の目にはゆっくりと流れる雲の流れが映し出されている。
葉月の個性を考えるならば何が良いだろうか。花に関するものが似合いそうだと天喰は思い浮かべる。彼女の恩師は花を再現する個性だと聞いていたからだ。実際に扱えるわけではないので、その辺の辻褄を考える必要もあるが。
「無くてもいいかな」
「え……いいんですか」
「うん。今までだって無くても困らなかったんだし。…というよりも、それが当たり前の世界だから、私の所。変に繕うよりは無い方が話も合わせやすいでしょ?」
「そう、ですね」
この世界では人類の約八割が何らかの個性を持っている。故に個性を持たない無個性者は悩みを抱えて生きていることが多い。
それを全く気にしないといった風に話すものだから、改めて天喰は自分達と生きている世界が違うのだと思い知らされる。
夏の名残を含む風が木々の葉をさわさわと揺らしていく。
「……今日、葉月さんが来た理由…帰ってしまうんだとばかり思ってました。俺と切島くんに別れを告げる為に来たのかと。でも、そうじゃないと分かって、ほっとしているんです。心臓には物凄く悪かったけど。最後なのに気の利いた挨拶何も言えないんじゃないかって…」
八斎會の件が片付いた後、天喰はファットガムに念を押した。葉月がこの世界から帰る時は必ず一報を入れてくれと頼んでいたのだ。それが今日は何の報せも無く、本人が目の前に現れたものだから。別れの挨拶もままならぬ状況で、天喰たちの都合もつかないだろうからと向こうから赴いたのだと勘違いをしたのだ。
中身が空になった缶、指先に力を入れるとその部分が少しだけ凹んだ。
「びっくりさせて、ごめんね。……まだ手がかりとか、見つかってないから」
「そう、ですか」
「今度来る時は先に報せるようにするね」
「……はい。今日は確かにびっくりもしたけど、それよりも…こんなに早く葉月さんとまた会えると思ってなかったから、嬉しいです」
俯きがちだった天喰は顔を上げて、口元を僅かに緩ませた。思わぬ再会を心から喜んでいるように。
ガサガサと脇の茂みが不意に揺れ動いた。野良猫でも迷い込んだのかとそちらに目を向ける。その正体を確かめるより先に、向こう側から天喰と葉月を呼ぶ声が聞こえてきた。
Tシャツの袖を肩まで捲り上げた切島が息を切らしながら駆け寄ってくる。
「先輩っ!葉月さん!…良かったぁまだいた!…緑谷から、連絡貰ってたの気づくの遅れちまって…はぁ、帰る前で良かった」
どうやらあちこち走り回っていたようだ。肩で息を整えながらもにかっと歯を見せて笑ってみせる。
「切島くん、俺に連絡くれれば…どこにいるか伝えたのに」
「……あっ!そ、そーっスね…つい、テンパっちまって。まあ、こうして合流できたんだし…葉月さんお久しぶりです!」
「久しぶり。切島くん元気そうね。変わりないみたいで安心した」
「へへ…俺はいつも通りですよ。葉月さんもお変わりないみたいで。ファットも来てるんスよね?」
「ファットは打ち合わせ中みたいだから、それ終わったら来ると思う」
「じゃあ久しぶりにみんな揃うんスね」
笑顔でガッツポーズを決めた切島は心底嬉しそうにしていた。変わらず元気な様子を葉月は微笑ましく見守っている。
「あ、そういや…さっきファットから設定がどうのってメッセージ来てたんスけど…なんなんすかあれ」
「ああ、あれは……」
ちょうどいい。この場で顔を合わせた状態で先程の打ち合わせをしてしまおう。そう考えていた天喰だが、茂みの揺れが強くなったことを感知して、咄嗟に口を閉じた。
揺れ方からして犬猫のものではない。立ち聞きされていたかもしれないと茂みを睨むと「ちょっと、押さないでよ!」と少女の声が聞こえてきた。
ガサガサと揺れる茂み。そこから雪崩込むように何人もの女子生徒が倒れながら姿を現した。きゃあと女性の可愛らしい悲鳴が次々と聞こえてくる。
立ち聞きをしていた者の正体は雄英の生徒で、切島のクラスメイトであった。順に芦戸、麗日、蛙吹、葉隠。文化祭ダンス隊の女子メンバーが顔を揃えていた。
現れた彼女たちに驚いた葉月は目を丸くして、ぱちぱちと瞬かせている。
「あたた…もぉー!おーもーいー!」
「あら、見つかっちゃったわね。ケロ」
「お茶子ちゃんが押すからー」
「だってよく見えへんかったんもん!」
下敷きとなっている芦戸が手足をジタバタとばたつかせていた。
気配に全く気付いていなかった切島はポカンと呆れた様な表情で訊ねる。
「お、お前ら…何してんだよ。てか、いつから居たんだ」
上から順に体を起こし、体勢を整えた彼女たちはTシャツやスカートについた土埃をぱんぱんと払う。その中で一人、服だけが宙に浮いていたことに気付いた葉月はさらに目を丸くする。
そうして、一呼吸置いてから芦戸はビシッと切島を指した。
「切島の後をつけさせてもらったよ!」
「切島くん血相変えて走っていったから、これはなんかあるねーと思って」
「でも途中で見失ってしまったのよね」
「で、勘で辿り着いた場所にビッグ3の天喰先輩が素敵な女の人といたから!」
つまり会話も少なからず聞かれていたということだ。一体いつから居たのか。もっと早く気がつけば良かったと後悔の念に囚われる天喰。葉月がこの世界の人間ではないと連想させる話は聞かれていないだろうかと心臓がバクバクと波打っていた。
しかし、その心配はどうやら必要もないようで。
「てゆーか切島ぁ!」
「うおっ?!な、なんだよ芦戸」
「あんたKYすぎぃ!せっかくいい雰囲気だったのにー!」
「へ?…あ、わりぃ!」
「謝るのこっちじゃないし!先輩に謝んなさいよ!もうっ」
と、矛先が急に向けられた天喰はびくりと肩を震わせた。先の心配は無さそうだが、別の問題が発生しているのでは。火に油を注ぐような発言は極力避けたいと黙っていた天喰の代わりに、葉月が芦戸たちを順に見渡しながら訊ねた。
「えっと…切島くんのクラスメイト?」
「あ、すんません騒がしくて…俺のクラスメイトで、文化祭のバンドではダンス隊なんスよ」
「初めましてー!切島がインターンでお世話になりましたー!」
「って、過去形かよ!またいずれ世話になるっての!」
「でも羨ましいわ切島ちゃん。わざわざ会いに来てくれるなんて。よっぽど仲が良いのね」
「今日はお一人で雄英まで来たんですか?」
「ファットさんと一緒に…」
「おおー!大阪のプロヒーロー来てるんだ!これは会いに行かないとだね!」
女子高生特有の会話のテンポに完全に置いてけぼりだ。このまま黙っていた方がいいと天喰は固く口を閉ざしたのだが。蛙吹が口元に人差し指を当て、天喰の方をじっと黒い目で見つめていた。それを無視する訳にもいかず、どうしたのかとおずおずと訊く。
「先輩、あの人とは沢山お喋りができるのね。仲が良いのかしら」
「……ケロケロさんが思っているようなものじゃないよ」
「でも、あの人と話してる時の先輩、とっても居心地が良さそうだったわ。波長が合うっていうのかしら?そんな感じがしたの。ケロ」
波長が合う。そのフレーズが妙にしっくりくるとその時の天喰はそれを受け止めた。
「なんやそうなん?…まァ、今までのことからしたらしゃあないか…残念やな。そんでも文化祭自体中止にならんくてえかったやん。切島くん、初めての文化祭やろ?」
夕暮れ時。沈む夕日に目を細め、橙色に染まる空を見渡しながらファットガムは電話相手にそう答えた。その後も何度か相槌を打ち、話を弾ませた後に「ほんなら文化祭の準備気張りや」と朗らかに通話を切った。
それを話半分に聞きながら葉月は来客後の片づけをしていた。応接用のテーブルから空になったガラスの湯呑と丸いコースターをお盆に乗せていく。涼し気な青い切子ガラスは夏が過ぎ去った今も活躍している。
「雄英の文化祭、今年は外部のお客さん入れへんやて」
「文化祭……高校はもうそんな時期なんですね」
葉月は事務所の壁にピン止めされたカレンダーに目を向ける。暦の上ではもう十月を迎えているが、夏の名残がまだまだ取れない。そのせいか季節の感覚が少しずれているように感じていた。地元の北海道ではこの時期となれば日によっては冷たい風が吹く。それが大阪では外に出ればまだ蒸し暑く、事務所内の空調が一日中着いているのだ。
此処へ来て一月あまりが過ぎた。真夏の暑さを避けれたとは言え、暑さの種類が違う土地でよく体調を崩さなかったものだ。呼吸をする度に肺に纏わりつく湿った空気、肌を覆うじめじめとした不快感。真夏に旅行で遊びに行った友人が「あの暑さはやばい」とバテ気味でそう話していた。
北国の一部ではもう紅葉が始まっている季節なのに。そう、ぼんやりと考えていた葉月にファットガムが先ほど電話で聞いたことを話し始める。
「切島くんのクラスはバンド演奏やるんやて。個性活用してかなりド派手にやるみたいやでェ。ダンス、演出もこだわっとるみたいや」
「なんだか楽しそう。個性を活用して…すごいんでしょうね。想像もつかないです」
「まァ、基本は変わらへんと思うけどな。屋台も出すし、演劇やクイズ大会とか」
「そうなんですか?」
「せやで。俺のクラスは屋台でタコ焼き売っとったしな」
デスクに山積みにされたタコ焼きの箱。先程の来客が置いていったものだ。そのスポンサーは低脂肪状態のファットガムを見るなり「こらちょうどええわ、いつもより多めにしとくで!」と箱を積んでいったのだ。そこから一つタコ焼きを摘む。大量のタコ焼きもあと三十分も経たないうちに平らげてしまうだろう。
「そこらの店より美味いて褒められたで」
「ファットさんが焼くタコ焼き、私も美味しいと思います。今まで食べた中で一番」
「…ほんまに?そら嬉しいわァ」
ほわんと嬉しそうにファットガムが笑う。
本場の人間が焼くタコ焼きだ。当時も大変な人気を呼んでいたに違いない。変わらない笑顔で「タコ焼き一丁!熱々やでー!」と差し出している高校生の姿が浮かんでくる。
葉月が湯呑みを乗せたお盆を抱え、部屋から出る所をファットガムが呼び止めた。
「この話のついでなんやけど、明日雄英で打ち合わせあるん。霧華ちゃんも一緒に行かん?土曜日やし、休み潰してまうけど…」
「……え?」
「文化祭当日やないけど、準備してるし雰囲気は味わえるで」
それは思わぬ提案であった。
インターンが様子見となってからしばらく経ち、天喰と切島が居ない日々にもようやく慣れてきた。静かだと感じるのはファットガムとの掛け合いが無いせいで、それが日常的になっていたのだと気づいた時には殊更寂しさを感じていたという。それだけ自分の生活に彼等の存在が溶け込んでいたのだ。
二人の顔を見られるのは嬉しい。しかし、雄英とは何ら関りがないであろう自分が同行してもいいものだろうか。そう考えに至った葉月の表情が困惑に満ちる。
「私が行っても問題、ないんですか。…二人が通う雄英高校とは関係が無いと言うか部外者ですし」
「何言うとんの。あの二人の世話仰山焼いてくれたんは霧華ちゃんやで。そんでもって霧華ちゃん助けたんは環やし。これで部外者や言うたらあの二人に怒られんで?」
「それは、そうですけど…でも」
「それにや、イレイザーとも面識あるんやろ?そんなら心配要らへんて。今の霧華ちゃんはうちの事務所の関係者、つまり俺についてくる理由はしっかりある!」
胸を張って堂々としてればいい。ファットガムの言う通り、事実上の関係性は充分にある。天喰に関しては他人どころか命の恩人ともいえる。だが、それはあくまで個人的なこと。雄英高校の敷地内に踏み入る理由として成り立つのか。それを危惧していた葉月であったが、ファットガムが大丈夫だと言うのだから、余計な心配なのかもしれない。確かではない言葉だが、それに後押しを受けた葉月は静かに頷いた。
「…それじゃあ、ファットさんにお供させてください。お願いします」
「おう、任せとき!楽しみやなァ。そや、環と切島くんびっくりさせたろ。明日、着くまでは内緒にしとこか。…明日の関東の天気はーっと…おっ!お天道さん並んどるで!」
明日は仕事で訪れるというのに、二人に会うのが余程楽しみなのか、満面の笑みを浮かべていた。その笑顔は遠い昔に見たそのもの。あの頃と何も変わっていない無邪気な少年のようだと葉月も頬を緩めた。
◇◆◇
「おおーっ!エリちゃん!もうお外出て歩けるようになったんやなァ…!」
「……だれ?」
「エリちゃん、この人はプロヒーローのファットガム。あの時に一緒に戦ってくれたうちの一人だよ」
午前中の新幹線で関西から関東まで移動し、雄英高校の建物に圧巻されたのも束の間。ファットガムの到着を待っていた相澤に一先ず会議室へ誘導され、軽く校内の説明をされている時に通形、緑谷、壊理と出くわした。
通形、壊理の事情はさわりではあるが聞いていた。葉月は丸い目でファットガムを見上げる壊理に視線を向ける。
小さな女の子は戸惑いにも似た表情で頭をぺこりとさげた。その頭を屈んでぽんぽんと撫でるファットガムの瞳は少し潤んでいる。
「ほんまにえかったわァ…そのお洋服もカワイイで!今日は雄英の見学に来たん?通形くんと緑谷くんにいーっぱい案内してもらいや」
「うん」
壊理は肩から下げたポシェットのベルトをきゅっと握っていた。反対側の手は通形のズボンの裾を掴んでいる。
ファットガムは壊理の頭を優しく撫でていた。その様子を葉月は幼い日の自分と重ね合わせ、微笑ましく二人を見守っていた。
そこへ通形が「貴女はもしかして!」と会話のタイミングを見計らって葉月に声を掛けてくる。ファットガムの付き添いで来たとしか話しておらず、名乗りが遅れてしまった。
「あ…ごめんなさい。私はファットガム事務所に勤めている葉月です」
「これはご丁寧にありがとうございます!自分はヒーロー科三年の通形ミリオです」
「同じく一年の緑谷出久です。よろしくお願いします」
握手を求められた手はごつごつとしていた。運動部に所属しているような、がっしりとした体格。天喰と切島もインターン中に筋トレを欠かさず行っていた。ヒーロー科の生徒は皆こうなのだろうか。
おずおずと握手に応じ、自分もフルネームで名乗れば良かったかと悩んだ矢先のことだ。
「貴女はちょっとした有名人ですよ!」
「えっ」
通形が良い笑顔と共に親指をぐっと立てて見せる。これには葉月のみならず、ファットガムも驚きを隠せずにいた。もしや、葉月がこの世界の人間ではないということが広まっているのではないか。
「俺の中でね!」
「え、ええと…どういうこと…?」
「友人がお世話になってます!」
「……あ。貴方が天喰君のお友達の」
通形の友人、ということでピンと来た葉月は動揺を見せないように静かに訊ねた。内心、二人とも心臓がバクバクと鳴っている。ファットガムは口を噤み、余計な事を口走らないように努め、ここは話の流れを読んでから相槌を打つ構えをとることにした。
「はい。少しだけですけど、葉月さんのことをお聞きして。あの緊張しいの環が普通に会話できるって言ってたんで驚きました」
「…うん。天喰くんとはよくお話しするけど…普通に」
「だから、どんな人なのかなーって気になってたんです。ですから、こうしてお会いできて光栄ですよ!」
「光栄だなんて…私、そんなにすごい人じゃ」
「俺が見てきた中じゃスゴイ人ですよ!スゴイ人ランキング五本の指に入ります!…ところで、保護されてるとお聞きしてたんですけど。こうして外に出ても大丈夫な状態なんですか?」
何の悪びれも無く通形はそう訊ねた。その発言に緑谷は首を右へ捻る。自分がクラスメイトから聞いていた情報とは相違があった為だ。
「え……保護された?僕は切島くんから大事なお客さんがいるって聞いてましたけど。それって、葉月さんのことじゃないんですか?」
「いや…お前ら人の話はよく聞きなさいと言ってるだろ。さっき勤めてると…秘書じゃないのか」
さらに追い打ちをかけるように相澤がそう言うものだから。情報が不一致すぎて場にはクエスチョンマークがそれぞれの頭に浮かんでいる。通形と緑谷を真似て壊理も小首を傾げていた。
話の流れを読むどころか、これは一体どうしたらいいものか。最初によく打ち合わせをしておけばよかったと後悔するも後の祭り。何か上手い交わし方は無いかとファットガムが考える最中、「あの」と控えめに切り出したのは葉月であった。
「ファットさんには前に無くし物を見つけていただいたことがあるんです。…それから暫くして、不慮の事故で命を落としかけたところをファットガム事務所の皆さんに助けていただいて。…不思議な縁を感じたんです。それで、恩返しでここで働けたらいいな…と思っていたら、ちょうど事務員の空きが出て」
「運良く採用された、というわけですか。…人の縁ってやつを重視しそうな事務所ですからね」
「はい。…ファットさんや事務所の皆さん、もちろん天喰くんと切島くんにも感謝してもしきれない程です」
混乱した情報をこれ程までに上手く纏め上げたことにファットガムは感心した。相澤相手に動揺せず返している。内容の殆どが真実である為、話しやすかったせいもあるだろう。
柔らかく微笑んでいる葉月の表情からは感謝の念が滲み出ている。そんな気すらしていた。
「……なんか、そういうのって良いですね。ヒーローを通じて縁ができるのって…僕が同じ立場で、そう言われたら嬉しいかも。この人とは何か繋がりがあるんだな…って思えて」
助けた市民がヒーローを慕ってくれるのは有難いことだ。純粋にそう感じた緑谷は目を細めて屈託のない笑みを浮かべていた。
そこへ咳払いが一つ、相澤の口から漏れる。
「あー…ご歓談中申し訳ないんだが、そろそろ打ち合わせを始めたい」
「なんや、そんな時間押しとんの」
「いや、さっき言ったでしょ。貴方の到着を待ってたと…他の面子はとっくに揃ってるんですよ」
「そら悪いことしたわ。せや、悪いんやけど霧華ちゃんを環か切島くんとこに連れてってくれへん?」
「分かりました。今から環のクラスに向かうところだったので、俺たちが安全に送り届けます!」
任せてくださいと胸をドンと叩く通形。しかし、安全にという単語が引っかかる。葉月に一抹の不安が過る。なにせヒーローを目指す学校だ。何が起きるか分からない。未知のエリアに踏み込んでしまったと胸をドキドキさせていた。彼らの様に明るく親切な高校生ばかりであればいいのにと思いながら。
「お、お願いします」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。許可証もあるんだし、雄英バリアーに引っかからないエリアまでは見れますから。ああ、でもたまにサポート科が」
通形の説明が終わるか終わらないかのうちに、遠くの校舎から爆発音が聞こえてきた。その直後、生徒と教師の慌ただしい声で騒がしくなる。
「噂をすればですね…また発目さんかな」
「……霧華ちゃん怖がりやから、あんまビビらせんといてな?」
「了解です!サポート科が準備してる場所へは行かないように伝えときますんで」
「頼むで通形くん。エリちゃん、今度は一緒に遊ぼうな」
ひらりと大きな手を振ったファットガムは相澤の後に続き、会議室へ入っていった。ドアが閉め切られたあと、通形は「よーし!」と声を張り上げる。
「エリちゃん、このお姉さんを俺の友達の所まで送り届けたいから、そこまで一緒に行ってもいいかな?」
「先輩、それ先に聞くやつでは……あ、切島くんにも連絡入れておきますね」
「…おねえさんも、ここにくるのはじめてなの?」
自分を見上げてくる大きな瞳。その場にしゃがんだ葉月は壊理と目線を合わせ、こくりと頷いてみせた。
「うん。私のこと助けてくれたヒーローとそのお友達に会いに来たの。……一人だと怖いから、一緒についていってもいいかな」
「…うん、いいよ。おねえさんも、ヒーローにたすけてもらったの?」
「さっきの大きい人と、このお兄さんのお友達が私のヒーローなの」
「そうなんだ。……おんなじ。あのね、私はルミリオンさんとデクさんに…あとたくさんの人にたすけてもらったの」
そう呟くように話した壊理はポシェットの細いベルトをまたきゅっと握り締め、通形と緑谷を交互に見上げた。その赤い瞳は少し物悲しい暗さで揺れている。
先日の事件から救出された子どもがこの壊理という少女で、この件に関わって傷ついた者は自分の責任だと思い込んでしまう節があると聞いていた。
壊理を見つめる葉月の眼差しは優しい。親友が話していた通りの女性だと通形も頬を緩める。
「エリちゃんはこのお兄さんたちに会えて、嬉しい?」
「……うん。ルミリオンさんとデクさんの手、やさしくて、あたたかくて…すきだから」
「そっか。おんなじだね」
葉月がそう微笑むと、壊理はその顔をじっと見つめ口元をムズムズとさせていた。口角が上がりそうで、上がらない。そして気恥ずかしそうに下を向いた。
その傍らで「んっ」と喉を詰まらせたような声が二つ。通形と緑谷が顔を覆って肩を震わせていた。
「ど、どうかされたんですか」
「すみませ……嬉しさのあまり、つい。先輩、泣かないでください」
「…これは心の汗なんだよね!」
◇◆◇
雄英高校の文化祭準備は校内のあらゆる場所で進められていた。多くは屋外や廊下で作業をしている。
毎年恒例のミスコンテスト、それに参加する生徒は応募用の写真を用意しなければならない。そのための撮影スペースと機材は備品室に用意されていた。
三年A組からは波動ねじれが抜擢され、その写真撮影を任命された天喰はレンズ越しに彼女を捉える。何枚か撮り終えているのだが、これだという一枚が決まらない。その原因は波動の親友が「やっぱこっちの衣装の方がいいわよ!」と着せ替え人形にしているせいもある。
「おーい環!」
今までの撮影した写真データを確認している時、天喰は自身の親友の声を聞き取り、備品室の入口へ顔を向けた。雄英の制服を着た通形が大きくこちらに手を振っている。久しぶりに見たその姿が元気そうで良かったと天喰は口元を緩めた。
その後に続けて緑谷と壊理が顔をひょいと覗かせた。
「ミリオ。早かったな……緑谷くんとエリちゃんも」
「ねェねェ何でエリちゃんいるの?フシギ!何で何で?!」
撮影スポットからふわりと宙を浮いて移動する波動。屈託のない明るい笑顔を浮かべ、矢継ぎ早に訊ねる。向かってきた波動の衣装は素肌の露出が多く、それに緑谷はたじろいでしまった。
その傍ら、通形は天喰を指して意気揚々と話し始める。
「エリちゃん、この人がお姉さんのヒーローだよ!サンイーターって言って、すごい強くてカッコイイ男なんだ!」
「…ミリオ、一体何の話……だ」
急にどうしたのかと天喰は疑問符を浮かべる。不意に入口の方で人影が動いたので、そちらへ目を向けた。そこにいた一人の女性と目が合う。葉月を目にした瞬間、天喰は固まってしまった。
「……え、なんで……葉月さんが?ここに…いや、そんなはずない。……そうか、俺は幻覚を」
「だとしたら、俺たち全員が同じ幻覚見てることになるよな。葉月さんは俺が連れてきたんだぜ!」
「!?」
天喰の顔がさっと青ざめた。幻覚ではない。そうなると、通形と葉月はいつどこで知り合ったのか。彼女の事情を知っているのか。そもそも、どうしてここに来ているのか。様々な考えが忙しく駆け巡るが、最終的に辿り着いた予想に胸が詰まる様な息苦しさを覚えた。
「あ、あの…天喰くん。急に来てごめんね」
「……いや、あの…なんで。ちょ、待って……心の準備が何も、できていない…!」
天喰は震える手で胸の辺りをくしゃりと掴み、俯いてしまった。
どうも様子がおかしい天喰に緑谷が心配をして声をかけるも、わなわなと震え続けていた。
「せ、先輩…どうしたんですか」
「ねェねェ、この人は誰なの?天喰くんの知り合い?あ、心の準備ってもしかしてこれから告白でもするの?」
「環!やっぱりそうなんだなっ!」
「えっ、話が全く見えない…!何がどうなってるんですか。この方、先輩の事務所の人ってだけじゃないんですか…?!」
波動の純粋な質問、目を輝かせる通形。そして状況が飲み込めていない緑谷はおろおろと首を動かしていた。
当人を他所に外野が騒ぎ立てるので、この空気に耐えられずさらに顔を俯かせた天喰が二人に訴えかけるように呟く。
「……ミリオ、波動さん…頼むから話をややこしくしないでほしい…。それどころじゃないんだ。ミリオとエリちゃんが来るのは知っていたけど…まさか、葉月さんが来るなんて…!俺はどうしたら。何も、言葉が浮かんでこない……」
「ご、ごめんね…天喰くん。やっぱり、事前に連絡しておけば良かったね。…あのね、二人をびっくりさせようってファットさんと話してて。雄英で打ち合わせするから、一緒に来ないかって…私も久しぶりに天喰くんたちに会いたかったし」
サプライズどころか困惑させてしまって申し訳ないと葉月が訳を話し、謝る。顔を恐る恐る上げた天喰の顔には「え?」と書かれていた。自分が考えていたシナリオとは違う、意表を突かれたといった風に。
「それだけ…ですか。本当に、それだけの理由で…ここに?」
「うん。二人に会いたかったから、ファットさんについてきちゃった」
天喰の様子に戸惑いながらも葉月はふわりと笑みを浮かべた。久しぶりに見るその微笑みは変わらず優しいものだ。そして雄英に来た理由が考えていた物とは異なり、天喰はほっと胸を撫で下ろす。
安堵している天喰の肩に通形が腕を大きく回した。
「と、言うわけで…こっからは環にバトンタッチします!」
「えっ」
「ファットガムに頼まれてここまで俺たちがエスコートしてきたんだ。俺はもっと葉月さんと話したいけど、顔見知りのヤツの方がいいだろうからさ」
「折角来てくれたんだし、案内してあげなよ天喰くん。今から休憩ということで。ねじれも疲れたでしょ?」
「うん。喉乾いたー。有弓も飲み物買いに行こー!」
その場に居た者の意見が一致し、今から休憩時間を取ろうという話に纏まる。自分は特に休みたいとは言っていないのだが、と思う天喰ではあるがそのまま賛同することにした。
「いいなー天喰くん。私もリューキュウに会いたいなー」
「…じゃあ、エスコートは任せたぜ環!」
「上手くできる自信が…」
「先輩。さっき切島くんに連絡は入れたんですけど…作業中なのか電話出なくて。メール入れておいたので、天喰先輩の方に連絡がいくかもしれないです」
「…うん、わかった。ありがとう緑谷くん」
「ねじれ、行こ!」
「うん!」
学生たちの声が賑やかに響いていた。高校生活とはこんなにも明るく、活気が溢れていただろうか。当時は無我夢中で日々を駆け抜けていた。年月が過ぎて、ふと振り返った時に改めて感じることなのかもしれない。
自分の青春時代を懐かしむ間、葉月はスカートの裾を軽く引っ張られた事に気が付き下を向いた。壊理が物悲し気に眉を顰め、見上げている。
「おねえさん、いっちゃうの…?」
初めて顔を合わせてまだ三十分も経っていない。だが、葉月の優しさを本能的に感じ取ったのか、ここで別れるのが寂しいといった風に訴えている。
葉月は先ほどと同じ様にしゃがみ、小さく頷いた。
「うん。……そうだ、エリちゃんはお花好き?」
「お花……あんまりみたことないから」
「そっか。じゃあ、一つ名前教えてあげるね」
ショルダーバッグから取り出した細長い紙。厚紙に薄水色の紙が貼り付けてあり、小さな白いライラックの花がそこに模られていた。押し花が落ちないよう、薄い和紙で覆われていた。小さく開けた穴には赤いリボンの紐がきゅっと結んである。
それを受け取った壊理は初めて見る押し花の栞をじっと見つめていた。
「このお花は、ライラック。これは手元でも楽しめるようにした形で…栞っていうんだけど。いつか、エリちゃんにも本物を見てほしいな」
「…白いお花」
「うん。このリボンも赤だから、エリちゃんとお揃いだね」
「…私とおそろい」
晴れた空を背景に咲いている白いライラック。気のせいだろうか。甘い香りがしたような気さえする。初めて見る物に壊理は頬を紅潮させた。
「エリちゃんにプレゼント」
「いいの?」
「良かったね、エリちゃん。うわぁ…すごい。凝ってますね、これ。葉月さんが作ったんですか?センスもいい…!」
「ありがとう、緑谷くん」
「…あの、おねえさん。これ、ありがとう」
このライラックは葉月がまだ此処に来て日が浅い時に、恩師から貰った物だと後から聞かされた。本人にとっては大切な物だというのに、それを躊躇いもなく、分け隔てなく与える。本当に優しく、慈愛に満ちた人だと天喰はその様子を見守っていた。
◇◆◇
「向こうに見えるのが体育祭会場。全校生徒は勿論、一般客も収容できる広さで…プロヒーローも見に来ます。…俺は観客が少ない方が緊張しなくて良いんだけど」
「……規模がすごい。学校でこんなに施設が整っているなんて…」
通形から雄英案内を引き継いだ天喰は葉月と共に校舎、学生寮、体育館の順に歩いていた。葉月に与えられた許可証でどこまで案内できるか考え、建物外観を見るぐらいまでなら引っかからないだろうと。そしてサポート科が作業している場所へは近寄らないようにしていた。
どの施設も最先端技術が駆使されていると知った葉月は頬を紅潮させていた。
「そしてここが、あらゆる災害を再現して救助の実技演習を行う施設。通称USJです」
「…すごいね。私が見て来た世界とは全然違う。設備も、規模も何もかも。…天喰くんと切島くん…ううん、この学校の生徒はすごい場所で学んでいるのね」
USJの巨大な外観にまた目を輝かせる。まるで無邪気な子どものようだ。そう感じた天喰はくすりと笑った。
「…葉月さん、さっきからすごいしか言ってないですね」
「本当にびっくりすることばかりだから」
すっかりお上りさんになってしまったと恥ずかしそうに肩を竦める。
大阪の町を案内した時もめずらしい物ばかりが目に着いたのか、キョロキョロと忙しなくしていたと一ヶ月前のことを天喰は思い返していた。
ファットガム事務所の外観を初めて目にした際は流石に言葉を失っていたようだった。あのカラーリングと分かりやすい見た目。後に「目立つ建物だから、お客さんに説明する時に分かりやすくて助かってるの」と話してもいた。
あの建物を見た時は同じく絶句したと天喰は一人頷く。
「…歩き疲れてませんか。雄英の敷地、広いから……少し休みましょう」
「そうね。天喰くんも休憩中のところを無理に付き合わせちゃったし…そこのベンチは使っても大丈夫?」
舗装された道の途中に設置されたベンチが点々と並んでいる。すぐ側のベンチには外灯と自動販売機が一つ設置されていた。
文化祭の準備期間中はこの近辺に人の気配は感じられず、時々風が木々の葉を揺らしたり、鳥の声が聞こえてくるだけだ。
自動販売機の前で葉月が天喰を振り返った。
「何か飲む?」
「あ、俺が…。この間奢ってもらいましたし」
「気にしなくてもいいのに」
「そうもいかないです。何がいいですか」
「…じゃあ、ミルクティーで」
天喰は取り出した小銭を投入口に滑り込ませ、『冷たい』と書かれたボタンを押す。音を立てて落ちてきたミルクティーの缶を取り出す。それを先に葉月に渡し、同じ動作をもう一度繰り返した。
「ありがとう」
「これ美味しいってクラスの女子が話してました」
茶葉の抽出法や牛乳にこだわり、後味をすっきりさせたミルクティー。全国展開されている商品なので、葉月もCMで何度か見たことがあると話した。
「…あ、ほんと。美味しいね。寒くなったら温めても良さそう」
「俺も初めて飲んだけど、うん…これは甘い物苦手な人でもいけそう」
冷たいミルクティーで渇いた喉を潤しながら、雑談を交わしていたところに天喰のスマートフォンが短い通知を報せた。すみませんと葉月に断りを入れてから通知をチェックする。
それはメッセージアプリのグループトーク通知で、ファットガムから天喰と切島に宛てたもの。打ち合わせが終わったのかと思いきや、全く関係のない内容であった。
『霧華ちゃんの設定、これで頼むで!』と話の脈絡が無い一文が箇条書きで並んでいる。
一通りそれに目を通した天喰だが、意味が分からないとぼやいた。
「どうしたの?」
「…ファットから葉月さんの設定が送られてきたんですけど。何か心当たりは」
そう天喰が訊けば葉月が苦笑いを浮かべる。
「実は、ね。私が事務所にいる理由がバラバラで…」
先刻、会議室の前で起きた出来事を手短に話すと、天喰の顔からまたも血の気がサーッと引いていった。
「すみません…やっぱり迂闊に話すべきじゃなかった…」
「気にしないで。どれも間違ってることじゃなかったし…秘書は違うけど。あ、その設定私にも教えてもらってもいいかな。自分が知らないとまたさっきみたいなことが起きちゃうし」
「あ、はい。…どうぞ」
トーク画面を再表示させ、葉月の方へ差し出す。ファットガムのアイコンから拭き出した箇条書きの文章を追いかけていった。
・過去に失せ物を探してもらったことがある。
・その後、不慮の事故に遭遇した所をうちの事務所のヒーローが助けた。(サンイーターお手柄やで!)
・縁あってうちの事務所に就職。
・個性の話振られることもあるやろし、そこはあとで霧華ちゃんと要相談や!
ざっくりとした情報ではあるが、要点は纏まっていた。
だが、インターンが様子見となる前に決めておけば良かったのでは。何故誰もそれに気が付かなかったのか。あの事務所内で収まる出来事だと考えていたせいかもしれない。
ファットガムのこの発言に二つ目の既読マークが未だにつかない。切島はまだ作業に集中していて気づいていないのだろう。
「うん、覚えた。私がさっき話したことと同じね。……個性、か」
ぽつりと漏れたその単語は青い空に吸い込まれていった。空を仰ぐ葉月の目にはゆっくりと流れる雲の流れが映し出されている。
葉月の個性を考えるならば何が良いだろうか。花に関するものが似合いそうだと天喰は思い浮かべる。彼女の恩師は花を再現する個性だと聞いていたからだ。実際に扱えるわけではないので、その辺の辻褄を考える必要もあるが。
「無くてもいいかな」
「え……いいんですか」
「うん。今までだって無くても困らなかったんだし。…というよりも、それが当たり前の世界だから、私の所。変に繕うよりは無い方が話も合わせやすいでしょ?」
「そう、ですね」
この世界では人類の約八割が何らかの個性を持っている。故に個性を持たない無個性者は悩みを抱えて生きていることが多い。
それを全く気にしないといった風に話すものだから、改めて天喰は自分達と生きている世界が違うのだと思い知らされる。
夏の名残を含む風が木々の葉をさわさわと揺らしていく。
「……今日、葉月さんが来た理由…帰ってしまうんだとばかり思ってました。俺と切島くんに別れを告げる為に来たのかと。でも、そうじゃないと分かって、ほっとしているんです。心臓には物凄く悪かったけど。最後なのに気の利いた挨拶何も言えないんじゃないかって…」
八斎會の件が片付いた後、天喰はファットガムに念を押した。葉月がこの世界から帰る時は必ず一報を入れてくれと頼んでいたのだ。それが今日は何の報せも無く、本人が目の前に現れたものだから。別れの挨拶もままならぬ状況で、天喰たちの都合もつかないだろうからと向こうから赴いたのだと勘違いをしたのだ。
中身が空になった缶、指先に力を入れるとその部分が少しだけ凹んだ。
「びっくりさせて、ごめんね。……まだ手がかりとか、見つかってないから」
「そう、ですか」
「今度来る時は先に報せるようにするね」
「……はい。今日は確かにびっくりもしたけど、それよりも…こんなに早く葉月さんとまた会えると思ってなかったから、嬉しいです」
俯きがちだった天喰は顔を上げて、口元を僅かに緩ませた。思わぬ再会を心から喜んでいるように。
ガサガサと脇の茂みが不意に揺れ動いた。野良猫でも迷い込んだのかとそちらに目を向ける。その正体を確かめるより先に、向こう側から天喰と葉月を呼ぶ声が聞こえてきた。
Tシャツの袖を肩まで捲り上げた切島が息を切らしながら駆け寄ってくる。
「先輩っ!葉月さん!…良かったぁまだいた!…緑谷から、連絡貰ってたの気づくの遅れちまって…はぁ、帰る前で良かった」
どうやらあちこち走り回っていたようだ。肩で息を整えながらもにかっと歯を見せて笑ってみせる。
「切島くん、俺に連絡くれれば…どこにいるか伝えたのに」
「……あっ!そ、そーっスね…つい、テンパっちまって。まあ、こうして合流できたんだし…葉月さんお久しぶりです!」
「久しぶり。切島くん元気そうね。変わりないみたいで安心した」
「へへ…俺はいつも通りですよ。葉月さんもお変わりないみたいで。ファットも来てるんスよね?」
「ファットは打ち合わせ中みたいだから、それ終わったら来ると思う」
「じゃあ久しぶりにみんな揃うんスね」
笑顔でガッツポーズを決めた切島は心底嬉しそうにしていた。変わらず元気な様子を葉月は微笑ましく見守っている。
「あ、そういや…さっきファットから設定がどうのってメッセージ来てたんスけど…なんなんすかあれ」
「ああ、あれは……」
ちょうどいい。この場で顔を合わせた状態で先程の打ち合わせをしてしまおう。そう考えていた天喰だが、茂みの揺れが強くなったことを感知して、咄嗟に口を閉じた。
揺れ方からして犬猫のものではない。立ち聞きされていたかもしれないと茂みを睨むと「ちょっと、押さないでよ!」と少女の声が聞こえてきた。
ガサガサと揺れる茂み。そこから雪崩込むように何人もの女子生徒が倒れながら姿を現した。きゃあと女性の可愛らしい悲鳴が次々と聞こえてくる。
立ち聞きをしていた者の正体は雄英の生徒で、切島のクラスメイトであった。順に芦戸、麗日、蛙吹、葉隠。文化祭ダンス隊の女子メンバーが顔を揃えていた。
現れた彼女たちに驚いた葉月は目を丸くして、ぱちぱちと瞬かせている。
「あたた…もぉー!おーもーいー!」
「あら、見つかっちゃったわね。ケロ」
「お茶子ちゃんが押すからー」
「だってよく見えへんかったんもん!」
下敷きとなっている芦戸が手足をジタバタとばたつかせていた。
気配に全く気付いていなかった切島はポカンと呆れた様な表情で訊ねる。
「お、お前ら…何してんだよ。てか、いつから居たんだ」
上から順に体を起こし、体勢を整えた彼女たちはTシャツやスカートについた土埃をぱんぱんと払う。その中で一人、服だけが宙に浮いていたことに気付いた葉月はさらに目を丸くする。
そうして、一呼吸置いてから芦戸はビシッと切島を指した。
「切島の後をつけさせてもらったよ!」
「切島くん血相変えて走っていったから、これはなんかあるねーと思って」
「でも途中で見失ってしまったのよね」
「で、勘で辿り着いた場所にビッグ3の天喰先輩が素敵な女の人といたから!」
つまり会話も少なからず聞かれていたということだ。一体いつから居たのか。もっと早く気がつけば良かったと後悔の念に囚われる天喰。葉月がこの世界の人間ではないと連想させる話は聞かれていないだろうかと心臓がバクバクと波打っていた。
しかし、その心配はどうやら必要もないようで。
「てゆーか切島ぁ!」
「うおっ?!な、なんだよ芦戸」
「あんたKYすぎぃ!せっかくいい雰囲気だったのにー!」
「へ?…あ、わりぃ!」
「謝るのこっちじゃないし!先輩に謝んなさいよ!もうっ」
と、矛先が急に向けられた天喰はびくりと肩を震わせた。先の心配は無さそうだが、別の問題が発生しているのでは。火に油を注ぐような発言は極力避けたいと黙っていた天喰の代わりに、葉月が芦戸たちを順に見渡しながら訊ねた。
「えっと…切島くんのクラスメイト?」
「あ、すんません騒がしくて…俺のクラスメイトで、文化祭のバンドではダンス隊なんスよ」
「初めましてー!切島がインターンでお世話になりましたー!」
「って、過去形かよ!またいずれ世話になるっての!」
「でも羨ましいわ切島ちゃん。わざわざ会いに来てくれるなんて。よっぽど仲が良いのね」
「今日はお一人で雄英まで来たんですか?」
「ファットさんと一緒に…」
「おおー!大阪のプロヒーロー来てるんだ!これは会いに行かないとだね!」
女子高生特有の会話のテンポに完全に置いてけぼりだ。このまま黙っていた方がいいと天喰は固く口を閉ざしたのだが。蛙吹が口元に人差し指を当て、天喰の方をじっと黒い目で見つめていた。それを無視する訳にもいかず、どうしたのかとおずおずと訊く。
「先輩、あの人とは沢山お喋りができるのね。仲が良いのかしら」
「……ケロケロさんが思っているようなものじゃないよ」
「でも、あの人と話してる時の先輩、とっても居心地が良さそうだったわ。波長が合うっていうのかしら?そんな感じがしたの。ケロ」
波長が合う。そのフレーズが妙にしっくりくるとその時の天喰はそれを受け止めた。