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14.幼い日の出来事
桜の花びらがひらひらと舞う季節。暖かい春風を切りながら少年は自転車を走らせていた。
新しい遊び場を開拓しようと自宅から自転車を漕ぎ、普段は行かない場所へ。次々と後ろへ飛んでいく景色が塗り変わっていく。初めて目にする場所に少年は胸を踊らせていた。
道路を道なりに。青い屋根の駄菓子屋を過ぎると、そこからは長閑で車の通りもぐっと少なくなっていた。田んぼや畑が両側に広がっている。この時期に作物は実っておらず、田植えが準備されていた。秋には黄金色の稲穂が風に揺れるんだろうと横目に通り過ぎていく。
見たことのない珍しい物が目に留まった少年は自転車を漕ぐ足を止めた。
そこからは大きな白い鳥居が見えた。椎や樫の木に囲まれた場所で、建物の屋根が木々の隙間から見えている。おそらく神社があるのだろうと少年は考えた。
ここから少し行けば駄菓子屋もあるし、遊び場にするならあの辺が良いのではないだろうか。少年は好奇心の赴くまま、敷地内を散策するべく再び自転車を漕ぎ進めた。
白い鳥居をくぐり抜け、砂利道をざくざくと進む。敷地が思った以上に広く、神社がまだ見えてこない。
ひやりとした空気が肌に触れていた。さっきまでの暖かい陽気はどこへいってしまったのか。長袖の薄いパーカーの上から腕を擦り、周りの木々を見上げる。椎や樫の木、桜の木に混ざって白い幹の木が生えていた。
見たことのない木だ。白い幹に黒い線が所々模様として入っている。
どの木もまだ葉っぱがついていない。冬枯れの装いだが、新芽がついている木もあった。堅く握った拳のようで、若葉が出てくるのはまだ時間がかかりそうだ。
ここだけ日当たりがわるいんやろか。桜も咲いとらんし。
でもここなら夏に涼むのありやな。
神社の敷地は走り回る程の広さがあり、隠れ場所もありそうだ。
少年は新しい遊び場としてこの神社を候補地に挙げることにした。新学期が始まる前に友達を連れて遊びに訪れよう。ああ、でもその前に他の子どもの縄張りかどうか確認をしておかないとならない。学区の違う地域かもしれないからだ。人は幼くとも先に場所を陣取っていると縄張り意識が高い。血の気の多いガキ大将でもいれば一戦交えることも考えて置かなければ。ただ、争いを好まない友達もいるので、争いの火種は避けた方が良いか。去年、取っ組み合いのケンカに巻き込んでしまったことがある。友達を呼ぶ前に探索しておいた方がいいと思い、少年は歩みを進める。
白肌の木に顔を近づけ、本当に幹そのものが白いことに驚いていた。触るとひんやりとしている。まるでここだけ春風が吹き込まず、忘れてしまったような。
神社の建物までやってきた時だ。どこからか泣き声が聞こえてきた。風がイタズラした音か空耳かと最初は思っていたが、それは間違いなく人の泣き声で、少年の近くから聞こえていた。
声を殺して泣く声の場所を辿り、石段を上って賽銭箱の裏や境内周囲を探す。姿は見えないが、その泣き声は少年の足元の方からまだ聞こえてくる。漆喰で固められた地面を見つめ、閃いた少年は石段を下りた。そして、向かって左側の境内の下を覗き込む。思った通り、そこに泣き声の主を見つけた。
境内の下は薄暗く、少年は暗闇に馴れない目を細め、小さな子どもを捉えた。
その女の子は膝を抱えてうずくまり、顔を伏せている。時々しゃっくりをあげながら泣いていた。靴を両足とも履いておらず、白い靴下のまま砂利の上で揃えていた。
「こないくらくてせまいとこで、何しとん。クツもはかんで…」
少年が声を掛けると、肩をびくりと一度震わせる。こわごわと顔を上げた女の子は目にいっぱい涙を溜めて、そこから溢れた涙がぽろぽろと零れおちる。自分が思っていたよりも年下の女の子だったので、とりあえず宥めた方がいいだろうと少年が手を伸ばすと、それが逆効果だったのか更に奥へ逃げようとした。慌てて手を引っ込め、その場に自分もしゃがんでみせる。
「な、何もせえへんて。どないしたん?ケガしてどっか痛いんか。兄ちゃんに話してみ」
女の子は小さな口をへの字にぎゅっと結び、言葉で伝えようと懸命に声を出そうとしていた。
「……くつ、…わたしの」
「クツ、どうしたん」
「とられたの。あかい、ねこちゃんついたくつ…おとこのこに」
「とられたんか、クツ」
「……っ」
靴を盗られた時のことを思い出してしまったのだろう。顔をくしゃりと歪めて、大きな声を上げて泣き始めてしまった。わあわあと泣きじゃくる女の子を宥めようにも、どうにもならず、少年はすっかり慌ててしまっていた。
「なっ泣かんといてな。……わかった。そのクツ、オレが取り返したるわ!」
少年はそう言って握りこぶしを右手に作り、自分の胸元に当てて「任しとき!」と笑いかける。女の子は少しだけ泣き止み、不安そうな目を少年に向けた。
少年は女の子にここで待つように言い、自分は境内から飛び出していった。
境内から神社の周囲をぐるりと捜索。しかし、犯人の姿を見つけることはできなかった。少年は一度足を止め、じっと耳を澄ませた。さわさわと風が木の葉を揺らす音、それに雑じって人の話し声が聞こえてきた。自分と同じくらいの子どもが笑う声。その声が聞こえた方向へ慎重に歩みを進める。
その声が次第にはっきりとしてきたので、少年は近くの木に身を隠し、顔だけをそっと覗かせた。
三人の少年がいた。ノッポで痩せ型、ぽっちゃりとして背が低い、ガッシリとした骨格。三人とも体格はバラバラであるが、気は合うらしく楽しそうに話をしていた。
この三人があの女の子の靴を取り上げたのか。いや、そう考えるのはまだ早い。早とちりは良くないと母親に言われたばかりである少年はじっとその場で様子を見ることにした。
「でさー。やっと最後のボスをたおしたんだ。すげー強かった」
「やるじゃん。オレなんかまだ中ボスで手こずってんのに」
どうやらテレビゲームの話をしているようだった。強い武器と防具はあの場所にある、仕掛けを解くためのヒントは村の左上にいる人だと攻略情報を交換していた。
こいつらじゃないんかな。少年は覗かせていた顔を動かし、一番体格の良い少年の足元に赤い靴があるのを発見した。どう考えてもこの少年たちのものとは思えない。となれば、女の子の靴だ。間違いない。
隙を見てこっそり靴を取り返そう。そんな考えはもはや少年の頭にはなかった。泣きじゃくって困っている女の子がいるのに、自分たちは平気でテレビゲームの話をしているのだ。それが許せなかった少年は真っ直ぐに飛び出していった。
「くぉらお前らっ!!」
少年が突然大きな声を出し、姿を現したせいか、三人は悲鳴を上げながら肩を震わせた。
「な、なんだよ。びっくりさせるなよな!」
「そのクツ、お前らが女の子からとったんやろ。返してもらいにきたで」
三人分の視線が赤いクツに集まる。女の子からとったことに何の悪びれもなく、ガキ大将と思わしき少年が睨み返した。
「…お前見ない顔だな、よそもんか。やだね。返すもんか。自分で取りに来ないなんてヒキョーだ」
「こんのドアホがっ!あんな小さい子イジメてお前ら何が楽しいんや?!」
「……うるっさいなぁ!よそもんのお前には関係ないだろ!」
「そーだそーだ!」
「関係あるわボケェ!クツ取り返したるてあの子に約束したんや!せやから…そのクツ、ぜったいに返してもろうで!」
他の少年たちも口々に言い返すので、更に大きな声を張って言い返した。
こうなっては実力行使も厭わない。拳を握ってみせた少年の迫力に押し負けそうになるが、こっちは三人もいるんだと強気でいる。
「…なんなんだよ、お前っ!」
「オレか?…オレはなァ、通りすがりの未来のヒーローや!」
◆◇◆
境内の下で泣いていた女の子は小さな腕で膝を抱えていた。少年が飛び出していってからそう時間は経っていない。待つ間、心細くなっては涙が滲んでいた。もうこのまま家に帰ってしまおうか。家に帰れば、真っ白な靴下が泥で汚れたことを母親がどうしたのかと問うだろう。両足とも靴を失くしたと話せば、どこで失くしたのかと聞かれるだろう。しかし、クツをとられたとは話せない。ただ「クツを失くしてごめんなさい」と謝るだけだ。去年の誕生日に買ってもらったお気に入りのキャラクターのクツ。
早く家に帰りたい。何度も靴下のままで帰ろうと考えていた。しかし、さっきの少年が待っていろと言っていたのを思い出してはなんとかここに留まっていた。本当に戻ってくるかは分からない。でも、あの言葉を信じてずっと待っていた。
膝小僧からちらりと顔を上げ、暗い境内から日の光が当たる場所を眺める。ずっと日陰にいたせいか肌寒くなってきた。その寒さが心細さに追い打ちをかけてくる。また、涙がこみ上げてきそうになった時だ。
誰かにひょいと顔を覗き込まれ、ひゅっと息を飲んだ。女の子の見開いた大きな目に映ったのは、さっきの金髪の少年。戻ってきたのだ。少年はニカッと歯を見せて笑いかけ、「待たせてごめんな」と赤いクツを一足女の子の前に見せた。甲の部分に白い猫のキャラクターが描かれている。
「……わたしの、くつ」
「そうやで。君のクツや。ちゃーんと取り返してきたで」
「……」
「ここではいたら頭ぶつけてまう。こっち来てはきや、ほれ」
そう言って暗がりに座り込む女の子に少年は手を伸ばした。目の前に差し出されたその手と、少年の顔を交互に見る。そして、こわごわとその手を掴んだ。
お日様の眩しい光を浴びるのは久しぶりかもしれない。どれだけあの場所にいたのかはもう考えたくないと女の子は俯いていた。
境内から出た場所、砂利道の上で少年はしゃがみ、女の子の足元にクツを置く。
「肩貸したる。しっかりつかまりや。転ばんよーにな」
「うん」
女の子は小さな手でその肩に掴まり、自分のクツに足を入れる。爪先や踵のいつもの感覚に間違いなく自分のお気に入りのクツだと安心した。泣き疲れてしまった顔に笑顔が浮かぶ。
「おにいちゃん、ありがとう」
「ええよ、お礼なんて。君、この辺に住んどるん?」
こくりと女の子が頷いた。
「そか。よく神社に遊びにくるんか?」
「…うん。……」
おとなしい子だと少年は思った。何か喋ろうとしても、度々目を伏せてしまう。引っ込み思案な所があるせいでいじめっ子に目をつけられてしまうのだろう。少年はしゃがんだまはま女の子と目線を合わせ、笑顔を向ける。
「君、何才なん?オレは今年で五年生や」
「…もうすぐいちねんせい」
「おー。そんならピッカピカの一年生やな!」
「…おんなじがっこう?」
「んーそうやなァ…おんなじやとええなァ」
この辺に住んでいるならば学区が異なる可能性が高い。しかし、そこで違うとは言わないでおいた。女の子がまた不安そうにしてしまうだろうと思ってだ。
「そんならそろそろ……おわっ?!な、なんや。どないしたん」
立ち上がろうとした少年は腕を掴まれてしまった。どうしたのかと見やると女の子は左手首をじっと見ていた。
少年の衣服はところどころ擦り切れた後があり、泥汚れもついている。
「けが、すりむいてる…!」
「あー…これな。大したことあらへんよ。さっき取っ組み合いになってすりむいただけやし」
「ケンカ、したの…?」
「…し、してへんよ!仲良く話し合いで解決や!」
女の子の目元が潤んだので、咄嗟に噓をついてしまう。どうやら争いごとは好まない性格のようだ。
「こないな傷、ケガのうちに入らんがな。ほっぽいても治るし」
大丈夫だとそう伝えても、女の子は袖を掴んだまま首をぶんぶんと横へ振った。しかし、徐に手を放したかと思うと自分のワンピースのポケットから細長い紙をつまみ出す。
「サビオ。これ、つかって」
「さびお?」
女の子がその細長い紙を小さな両手で一生懸命に捲り、左右に引くと中から絆創膏が現れた。白い剥離紙を剥がし、絆創膏を少年の手首にぺたりと貼り付ける。絆創膏の真ん中には白い猫のキャラクターが描かれていた。女の子の靴と同じものだ。
「あのね、ちいさいきずでもちゃんとしないと、そこからバイキンがはいって、たいへんなんだよ。おかあさんがいってた」
「…そか。ありがとな。これ、サビオって言うん?」
「うん。そうだよ?」
不思議なことを聞いてくるねと小首をかしげる。少年にとってはどこからどうみても、それは絆創膏なのだが。この女の子にとってはサビオというものらしい。もしくはおまじない的な何かなのだろうかと少年は考えた。
「…ごめんなさい。おにいちゃんのケガ、わたしのせい」
「君はなんも悪くないで。悪いんはイジメっ子のあいつらや」
「でも」
俯きそうになった女の子の顔を除きこみ、にこりと笑いかけた。
「そんなメソメソしてたらあかんで?もっと笑わな。笑う門には福来たる、言うん」
「……わら、ふく?」
「泣いているよりも、笑ってた方がいいこといーっぱいやってくるんやで。コトワザってやつや」
「おにいちゃん、むずかしいことばかりしってるね。…おにいちゃんがものしりはかせ?」
「んー…博士かァ。それも悪うないけど、オレの夢はヒーローや」
「…ヒーロー?」
女の子は目をぱちぱちと瞬かせて、少年を見上げた。
「そうや。困ってる人を助ける、カッコいいヒーローになるんやでぇ」
「ヒーロー……へんしんするの?」
「おお!コスチューム着たらカッコいいヒーローに変身や!」
「……すごいね。カッコいいね」
「そうやろー。まぁ、まだまだ先の話やけどな」
「おにいちゃんなら、なれるよ。だって、わたしをたすけてくれたもん」
だから、カッコいいヒーローに絶対なれる。
やんわりと笑った女の子に少年は「おおきに!」と笑顔で答えた。
今から十年後の未来に想いを馳せながら。
桜の花びらがひらひらと舞う季節。暖かい春風を切りながら少年は自転車を走らせていた。
新しい遊び場を開拓しようと自宅から自転車を漕ぎ、普段は行かない場所へ。次々と後ろへ飛んでいく景色が塗り変わっていく。初めて目にする場所に少年は胸を踊らせていた。
道路を道なりに。青い屋根の駄菓子屋を過ぎると、そこからは長閑で車の通りもぐっと少なくなっていた。田んぼや畑が両側に広がっている。この時期に作物は実っておらず、田植えが準備されていた。秋には黄金色の稲穂が風に揺れるんだろうと横目に通り過ぎていく。
見たことのない珍しい物が目に留まった少年は自転車を漕ぐ足を止めた。
そこからは大きな白い鳥居が見えた。椎や樫の木に囲まれた場所で、建物の屋根が木々の隙間から見えている。おそらく神社があるのだろうと少年は考えた。
ここから少し行けば駄菓子屋もあるし、遊び場にするならあの辺が良いのではないだろうか。少年は好奇心の赴くまま、敷地内を散策するべく再び自転車を漕ぎ進めた。
白い鳥居をくぐり抜け、砂利道をざくざくと進む。敷地が思った以上に広く、神社がまだ見えてこない。
ひやりとした空気が肌に触れていた。さっきまでの暖かい陽気はどこへいってしまったのか。長袖の薄いパーカーの上から腕を擦り、周りの木々を見上げる。椎や樫の木、桜の木に混ざって白い幹の木が生えていた。
見たことのない木だ。白い幹に黒い線が所々模様として入っている。
どの木もまだ葉っぱがついていない。冬枯れの装いだが、新芽がついている木もあった。堅く握った拳のようで、若葉が出てくるのはまだ時間がかかりそうだ。
ここだけ日当たりがわるいんやろか。桜も咲いとらんし。
でもここなら夏に涼むのありやな。
神社の敷地は走り回る程の広さがあり、隠れ場所もありそうだ。
少年は新しい遊び場としてこの神社を候補地に挙げることにした。新学期が始まる前に友達を連れて遊びに訪れよう。ああ、でもその前に他の子どもの縄張りかどうか確認をしておかないとならない。学区の違う地域かもしれないからだ。人は幼くとも先に場所を陣取っていると縄張り意識が高い。血の気の多いガキ大将でもいれば一戦交えることも考えて置かなければ。ただ、争いを好まない友達もいるので、争いの火種は避けた方が良いか。去年、取っ組み合いのケンカに巻き込んでしまったことがある。友達を呼ぶ前に探索しておいた方がいいと思い、少年は歩みを進める。
白肌の木に顔を近づけ、本当に幹そのものが白いことに驚いていた。触るとひんやりとしている。まるでここだけ春風が吹き込まず、忘れてしまったような。
神社の建物までやってきた時だ。どこからか泣き声が聞こえてきた。風がイタズラした音か空耳かと最初は思っていたが、それは間違いなく人の泣き声で、少年の近くから聞こえていた。
声を殺して泣く声の場所を辿り、石段を上って賽銭箱の裏や境内周囲を探す。姿は見えないが、その泣き声は少年の足元の方からまだ聞こえてくる。漆喰で固められた地面を見つめ、閃いた少年は石段を下りた。そして、向かって左側の境内の下を覗き込む。思った通り、そこに泣き声の主を見つけた。
境内の下は薄暗く、少年は暗闇に馴れない目を細め、小さな子どもを捉えた。
その女の子は膝を抱えてうずくまり、顔を伏せている。時々しゃっくりをあげながら泣いていた。靴を両足とも履いておらず、白い靴下のまま砂利の上で揃えていた。
「こないくらくてせまいとこで、何しとん。クツもはかんで…」
少年が声を掛けると、肩をびくりと一度震わせる。こわごわと顔を上げた女の子は目にいっぱい涙を溜めて、そこから溢れた涙がぽろぽろと零れおちる。自分が思っていたよりも年下の女の子だったので、とりあえず宥めた方がいいだろうと少年が手を伸ばすと、それが逆効果だったのか更に奥へ逃げようとした。慌てて手を引っ込め、その場に自分もしゃがんでみせる。
「な、何もせえへんて。どないしたん?ケガしてどっか痛いんか。兄ちゃんに話してみ」
女の子は小さな口をへの字にぎゅっと結び、言葉で伝えようと懸命に声を出そうとしていた。
「……くつ、…わたしの」
「クツ、どうしたん」
「とられたの。あかい、ねこちゃんついたくつ…おとこのこに」
「とられたんか、クツ」
「……っ」
靴を盗られた時のことを思い出してしまったのだろう。顔をくしゃりと歪めて、大きな声を上げて泣き始めてしまった。わあわあと泣きじゃくる女の子を宥めようにも、どうにもならず、少年はすっかり慌ててしまっていた。
「なっ泣かんといてな。……わかった。そのクツ、オレが取り返したるわ!」
少年はそう言って握りこぶしを右手に作り、自分の胸元に当てて「任しとき!」と笑いかける。女の子は少しだけ泣き止み、不安そうな目を少年に向けた。
少年は女の子にここで待つように言い、自分は境内から飛び出していった。
境内から神社の周囲をぐるりと捜索。しかし、犯人の姿を見つけることはできなかった。少年は一度足を止め、じっと耳を澄ませた。さわさわと風が木の葉を揺らす音、それに雑じって人の話し声が聞こえてきた。自分と同じくらいの子どもが笑う声。その声が聞こえた方向へ慎重に歩みを進める。
その声が次第にはっきりとしてきたので、少年は近くの木に身を隠し、顔だけをそっと覗かせた。
三人の少年がいた。ノッポで痩せ型、ぽっちゃりとして背が低い、ガッシリとした骨格。三人とも体格はバラバラであるが、気は合うらしく楽しそうに話をしていた。
この三人があの女の子の靴を取り上げたのか。いや、そう考えるのはまだ早い。早とちりは良くないと母親に言われたばかりである少年はじっとその場で様子を見ることにした。
「でさー。やっと最後のボスをたおしたんだ。すげー強かった」
「やるじゃん。オレなんかまだ中ボスで手こずってんのに」
どうやらテレビゲームの話をしているようだった。強い武器と防具はあの場所にある、仕掛けを解くためのヒントは村の左上にいる人だと攻略情報を交換していた。
こいつらじゃないんかな。少年は覗かせていた顔を動かし、一番体格の良い少年の足元に赤い靴があるのを発見した。どう考えてもこの少年たちのものとは思えない。となれば、女の子の靴だ。間違いない。
隙を見てこっそり靴を取り返そう。そんな考えはもはや少年の頭にはなかった。泣きじゃくって困っている女の子がいるのに、自分たちは平気でテレビゲームの話をしているのだ。それが許せなかった少年は真っ直ぐに飛び出していった。
「くぉらお前らっ!!」
少年が突然大きな声を出し、姿を現したせいか、三人は悲鳴を上げながら肩を震わせた。
「な、なんだよ。びっくりさせるなよな!」
「そのクツ、お前らが女の子からとったんやろ。返してもらいにきたで」
三人分の視線が赤いクツに集まる。女の子からとったことに何の悪びれもなく、ガキ大将と思わしき少年が睨み返した。
「…お前見ない顔だな、よそもんか。やだね。返すもんか。自分で取りに来ないなんてヒキョーだ」
「こんのドアホがっ!あんな小さい子イジメてお前ら何が楽しいんや?!」
「……うるっさいなぁ!よそもんのお前には関係ないだろ!」
「そーだそーだ!」
「関係あるわボケェ!クツ取り返したるてあの子に約束したんや!せやから…そのクツ、ぜったいに返してもろうで!」
他の少年たちも口々に言い返すので、更に大きな声を張って言い返した。
こうなっては実力行使も厭わない。拳を握ってみせた少年の迫力に押し負けそうになるが、こっちは三人もいるんだと強気でいる。
「…なんなんだよ、お前っ!」
「オレか?…オレはなァ、通りすがりの未来のヒーローや!」
◆◇◆
境内の下で泣いていた女の子は小さな腕で膝を抱えていた。少年が飛び出していってからそう時間は経っていない。待つ間、心細くなっては涙が滲んでいた。もうこのまま家に帰ってしまおうか。家に帰れば、真っ白な靴下が泥で汚れたことを母親がどうしたのかと問うだろう。両足とも靴を失くしたと話せば、どこで失くしたのかと聞かれるだろう。しかし、クツをとられたとは話せない。ただ「クツを失くしてごめんなさい」と謝るだけだ。去年の誕生日に買ってもらったお気に入りのキャラクターのクツ。
早く家に帰りたい。何度も靴下のままで帰ろうと考えていた。しかし、さっきの少年が待っていろと言っていたのを思い出してはなんとかここに留まっていた。本当に戻ってくるかは分からない。でも、あの言葉を信じてずっと待っていた。
膝小僧からちらりと顔を上げ、暗い境内から日の光が当たる場所を眺める。ずっと日陰にいたせいか肌寒くなってきた。その寒さが心細さに追い打ちをかけてくる。また、涙がこみ上げてきそうになった時だ。
誰かにひょいと顔を覗き込まれ、ひゅっと息を飲んだ。女の子の見開いた大きな目に映ったのは、さっきの金髪の少年。戻ってきたのだ。少年はニカッと歯を見せて笑いかけ、「待たせてごめんな」と赤いクツを一足女の子の前に見せた。甲の部分に白い猫のキャラクターが描かれている。
「……わたしの、くつ」
「そうやで。君のクツや。ちゃーんと取り返してきたで」
「……」
「ここではいたら頭ぶつけてまう。こっち来てはきや、ほれ」
そう言って暗がりに座り込む女の子に少年は手を伸ばした。目の前に差し出されたその手と、少年の顔を交互に見る。そして、こわごわとその手を掴んだ。
お日様の眩しい光を浴びるのは久しぶりかもしれない。どれだけあの場所にいたのかはもう考えたくないと女の子は俯いていた。
境内から出た場所、砂利道の上で少年はしゃがみ、女の子の足元にクツを置く。
「肩貸したる。しっかりつかまりや。転ばんよーにな」
「うん」
女の子は小さな手でその肩に掴まり、自分のクツに足を入れる。爪先や踵のいつもの感覚に間違いなく自分のお気に入りのクツだと安心した。泣き疲れてしまった顔に笑顔が浮かぶ。
「おにいちゃん、ありがとう」
「ええよ、お礼なんて。君、この辺に住んどるん?」
こくりと女の子が頷いた。
「そか。よく神社に遊びにくるんか?」
「…うん。……」
おとなしい子だと少年は思った。何か喋ろうとしても、度々目を伏せてしまう。引っ込み思案な所があるせいでいじめっ子に目をつけられてしまうのだろう。少年はしゃがんだまはま女の子と目線を合わせ、笑顔を向ける。
「君、何才なん?オレは今年で五年生や」
「…もうすぐいちねんせい」
「おー。そんならピッカピカの一年生やな!」
「…おんなじがっこう?」
「んーそうやなァ…おんなじやとええなァ」
この辺に住んでいるならば学区が異なる可能性が高い。しかし、そこで違うとは言わないでおいた。女の子がまた不安そうにしてしまうだろうと思ってだ。
「そんならそろそろ……おわっ?!な、なんや。どないしたん」
立ち上がろうとした少年は腕を掴まれてしまった。どうしたのかと見やると女の子は左手首をじっと見ていた。
少年の衣服はところどころ擦り切れた後があり、泥汚れもついている。
「けが、すりむいてる…!」
「あー…これな。大したことあらへんよ。さっき取っ組み合いになってすりむいただけやし」
「ケンカ、したの…?」
「…し、してへんよ!仲良く話し合いで解決や!」
女の子の目元が潤んだので、咄嗟に噓をついてしまう。どうやら争いごとは好まない性格のようだ。
「こないな傷、ケガのうちに入らんがな。ほっぽいても治るし」
大丈夫だとそう伝えても、女の子は袖を掴んだまま首をぶんぶんと横へ振った。しかし、徐に手を放したかと思うと自分のワンピースのポケットから細長い紙をつまみ出す。
「サビオ。これ、つかって」
「さびお?」
女の子がその細長い紙を小さな両手で一生懸命に捲り、左右に引くと中から絆創膏が現れた。白い剥離紙を剥がし、絆創膏を少年の手首にぺたりと貼り付ける。絆創膏の真ん中には白い猫のキャラクターが描かれていた。女の子の靴と同じものだ。
「あのね、ちいさいきずでもちゃんとしないと、そこからバイキンがはいって、たいへんなんだよ。おかあさんがいってた」
「…そか。ありがとな。これ、サビオって言うん?」
「うん。そうだよ?」
不思議なことを聞いてくるねと小首をかしげる。少年にとってはどこからどうみても、それは絆創膏なのだが。この女の子にとってはサビオというものらしい。もしくはおまじない的な何かなのだろうかと少年は考えた。
「…ごめんなさい。おにいちゃんのケガ、わたしのせい」
「君はなんも悪くないで。悪いんはイジメっ子のあいつらや」
「でも」
俯きそうになった女の子の顔を除きこみ、にこりと笑いかけた。
「そんなメソメソしてたらあかんで?もっと笑わな。笑う門には福来たる、言うん」
「……わら、ふく?」
「泣いているよりも、笑ってた方がいいこといーっぱいやってくるんやで。コトワザってやつや」
「おにいちゃん、むずかしいことばかりしってるね。…おにいちゃんがものしりはかせ?」
「んー…博士かァ。それも悪うないけど、オレの夢はヒーローや」
「…ヒーロー?」
女の子は目をぱちぱちと瞬かせて、少年を見上げた。
「そうや。困ってる人を助ける、カッコいいヒーローになるんやでぇ」
「ヒーロー……へんしんするの?」
「おお!コスチューム着たらカッコいいヒーローに変身や!」
「……すごいね。カッコいいね」
「そうやろー。まぁ、まだまだ先の話やけどな」
「おにいちゃんなら、なれるよ。だって、わたしをたすけてくれたもん」
だから、カッコいいヒーローに絶対なれる。
やんわりと笑った女の子に少年は「おおきに!」と笑顔で答えた。
今から十年後の未来に想いを馳せながら。