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10.笑う門には福来る
「お前らええ加減にせんかい!」
商店街のど真ん中で個性同士の喧嘩が勃発。現場付近にいた他のヒーローが一人を取り押さえ、人の波を縫って逃げようとした男を逃さんように捕獲。なんや今日は荒ぶっとる奴ら多すぎや。だんじり祭はもうとっくに終わっとんで。いつまで余韻に浸っとるん。警察関係者にそいつらを引き渡し、自分は事務所方面へと向かった。
死穢八斎會の件で関連施設を探り、その帰りがてらパトロール中に喧嘩やイザコザを鎮静。件絡みかは分からんが、昼間だけで相当な数沈めたで。これやと霧華ちゃんに「無法地帯やないで」言うたの嘘になるやん。一時的かそうでないかにしろ、近隣事務所のヒーローと打ち合わせして、パトロール頻度考え直した方がええかもな。
道中、脂肪補給しようにもその隙すらあらへん。事務所戻るまでに脂肪使い切ってしまいそうや。交替の時間まではあと少し。腹の虫が空しく鳴き始めた。
往来の多い交差点で信号を待つ間に着信とメールをチェック。どっからも連絡は入っておらんかった。まだエリちゃんの居場所を特定できてない。今こうしてる間にも怖い目に遭うて泣いとるかもしれん。歯痒い。こう思うとるのは俺だけやない、チームアップ要請で声掛かったインターン生を含めたヒーロー全員や。
逸る気持ちを抑えんのも苦労すんねん。通常のヒーロー活動に影響までとはいかんけど、多少顔には出てしまっとるようで。昨日は「最近恐い顔してますけど、大丈夫ですか」と霧華ちゃんに気使われてしもた。事務所の人間にはこの件を話しとるが、霧華ちゃんには話しとらん。環が撃たれた日、顔を真っ青にしとった。これ以上心配かけたらあかんねん。そう思うて黙っている。
パトロール出る時は「気をつけてくださいね」といつも見送りはしてくれんけど、最近はその一言に色んな感情が混ざっている気がした。環と切島くんは学校に戻っとるし、余計にや。
今日はそろそろ戻れそうやし、先に連絡入れとこ。そう思うて、メッセージアプリを立ち上げる。信号が変わるギリギリ手前で「お仕事お疲れさん。今から戻るで」と打ち終わったんを送信。その後丁度青信号のピヨピヨが鳴り始めた。
事務所戻る前になんかお土産買ってこか。変わり種のたい焼き売っとる店、確かこの辺やったな。白いたい焼きは珍しいし、中身もキャラメルやミルククリーム、カレー、色々ある。どれがええやろ。おんなじ味にしとかんと事務所の連中で揉めそうやしな。やっぱここはキャラメルやろか。
驚いてからの嬉しそうにしとる顔思い浮かべとったら、こっちも顔が綻んだ。
『ファットの方こそ、葉月さんのこと気にしてる』
前にからかい半分で環に聞いた時、そう返されたんをふと思い出した。そら、気にするわ。うちで預かっとるんやし、大事なお客さんや。なんか妙に頭の隅に引っかかてることもあるし。
それとも、それだけやないってこと環は言いたいんやろか。と、一ミリでも考えてしまったせいで変に意識してまう。ちゃうねん。そういった感情とは違う、もっと別の何かがずっと引っかかっとる。それが何なのか分からずじまいで、ここ最近はモヤッとした霞がかかったまんまや。
「おうっ、ファット!見回りごくろーさん!うちのタコ焼き食べてきや。揚げたてやでぇ」
そこへ露店のおっちゃんの声が飛び込んできて、顔を上げると『揚げタコ焼き』とデカデカ書いたのぼり旗が目に映る。
「おお!ちょうど腹減ってたとこやねん。せや、もう一舟もら…」
「喧嘩だー!誰か来てくれええ!」
言うてるそばからこれや。ここは江戸ちゃうねんで。天下の台所大阪や。
「すまんなァおっちゃん。揚げタコはまた今度もらうわ!」
「おうっ。いつでも待っとるで。ファット気張りやー!」
店のおっちゃんにそう断って、ド派手な音立てて暴れとる奴らの所へと走る。こうなったらさっさと片付けて事務所戻るで。
◇◆◇
喧嘩に華咲かせとった連中を沈め、ようやく自分の事務所まで戻ってこられた。ゼロとまではいかんが、脂肪使いすぎてもう腹減ってしゃーないわ。一階で偶然すれ違った事務員さんに「お疲れさんです。その姿えらい久しぶりやね」と声を掛けられた。確かに久しぶりやわ。手こずったちゅうよりは数が多かったせいや。
「あ、葉月さん丁度上におるで。ファットの帰り遅いから心配しとりましたわ」
「そら悪いことしたなァ。連絡入れた直後にイザコザあってん。ちょお声掛けてくるわ」
「そうしたってください。……あっ!書類今日中に頼んますよ!」
「……何のやつやっけ」
「やっぱり忘れてんねん。役所に提出するやつ、明日までなんやから忘れずに頼んます!」
あかん。忘れとった。はよやらなこの経理に鬼の角生えてきそうや。上がったら先に片づけよ。結構な量あったから後回しにしとったあれやな。書類の厚み思い出しただけでうんざりしてきたわ。
他の事務処理も溜まっとんし、あれもそれも片付けんとなァ。階段上る足取りが気のせいか重たい。
上の事務所のドア開けて、中を覗くとここの事務所の制服着た霧華ちゃんの姿があった。髪を後ろで一つにくくって、茶色いシュシュで留めてる。初日はガチガチに緊張しとったみたいやが、ここの事務員ともなんとか上手くやってるみたいや。
霧華ちゃんは俺のデスクの上に書類を並べ終えたみたいで、ゆっくりこっちの方を向いた。というよりは顔を上げた先にたまたま俺が居たせいか、驚いとった。入ってきたん気づかなかったんやろか。
「戻ったでー。なんや今日は暴れとる奴ら仰山おってなァ遅なってしもた」
そう声かけてもその場で霧華ちゃんは固まっとった。と思えば元から良い姿勢なんをさらにしゃんとさせてこう言う。
「あ、あの…。お客様が来ると聞いていなかったもので…。申し訳ございませんが、ファットガムはパトロールから戻っておりません。……もしかしてアポイントメントを取られていましたか」
本気の他人行儀に思わず真顔になる。いや、そらそうか。この姿一度もお披露目したこと無かったわ。
「俺がそのファットさんやで」
自分を指しながらそう言うと、何言うてんのこの人みたいな顔をされた。まあ、そらそうなるわな。けして声には出さず、戸惑いながらも客対応を続けてくる。
「…あの、ご冗談は」
「冗談もなにも、俺やて」
「……お、オレオレ詐欺っ…!?」
「いやいやなんでそうなるん!」
「…お引き取りください!…け、警察呼びますよ!」
ちょ、待ってや。なんで自分の事務所に戻ってきたんに警察呼ばれなあかんの。俺を不審者だと完全に思い込んどる霧華ちゃんは制服のポッケから取り出したスマホを両手で握りしめとる。恐怖にも似ている怯えた表情で。
「ヒーロー事務所に不法侵入者有りで警察呼ばれたとか洒落にならんがな。とりあえず落ち着こか、霧華ちゃん。な?」
「…どうして、私の名前を。ますます、怪しい……出ていってくださいっ」
「せやから俺がファットさんやて!…あーどうしたら信じてくれんねん。なんか証拠でも……あ。これならどうや」
このままやと本気で警察呼ばれかねん。なんとかこの警戒心を解いてもらわんと。そこで名案を思いついた俺は自分のスマホを差し出す。左角にはこの間霧華ちゃんから貰うた無病息災のお守りがついとる。裏面の刺繍も見せる。神社の名前が書かれとるとこや。
「これ…私が渡した、お守り」
「そうやで。もひとつ貰うた家内安全のはデスクに飾っとる。因みに環は厄除け、切島くんには必勝守りやったな」
「……本当にファットさんなんですか?」
そん時に誰が何を貰うたか知っとるのはその場に居た当人達だけや。確たる証拠を目にしてもまだ不安そうに尋ねてきた。その気持ちも分からんでもないわ。よく「別人や!」と言われるし。見慣れとった姿から一変しとるしな。
にこーと笑顔浮かべながら後押しをする。
「ほんまもんのファットさんやでぇ。…先に言うておけばえかったな。俺の個性は脂肪吸着。衝撃を吸収、それをエネルギーに変えることもできるが…脂肪燃焼し過ぎると…こーなるっちゅうわけや」
「……あ。す、すみません。私、失礼なことを…ごめんなさい」
「ええよ。気にせんで。大概そう言われんねん」
「コスチューム…」
「これな、特殊な素材でできてん。伸縮自在やから、まさに俺にうってつけのもんなんや」
常人やったら確かに考えにくいことやな。あのまん丸体型にフィットしてたコスチュームがこんな縮んでるんやから。
霧華ちゃんは少しボロくなったコスチュームを物珍しそうに眺めた後、俺の顔をじっと見上げてきた。このアイマスクも伸縮性あるんやで。と、説明しても視線が外れん。穴が空きそうなほど見つめられとる気がする。
「なんや、ファットさんがええ男やからて惚れたら火傷すんでぇ」
「あ、いえ……何でも、ないです」
照れてわたわたするのを予想しとったが、大ハズレや。一つも動揺せんで、普通に返されてしもた。さらりと受け流されてちょお凹んだわ。少しくらいドキドキしてくれてもええのに。
虚しさに呼応するかのごとく、腹が盛大に鳴いた。
「あかん。腹減っていよいよ倒れそうや…」
「…あっ!お茶、用意します。戴き物のケーキもありますからそれも」
「ほんまに助かるわァ…。お土産にたい焼きでも買うて来よう思てもそんな暇も無くてな。そんならお茶淹れてくれてる間にささっと汗流してくるわ」
「わかりました。あ、ファットさん…」
「ん?」
「パトロールお疲れ様です。お帰りなさい」
そう言って見せてくれたんは、ふわりとした笑顔。さっきまでピリピリしとった雰囲気はもうそこには無い。やっぱ、事務所戻ってきてこの顔見るとホッとするな。空腹は紛れんけど、溜まっとった疲れが一気に吹っ飛んだわ。この笑顔、曇らせたらあかんやろな。心配性なとこあるし、例の件勘付かせないようにせんと。
経理から頼まれとった書類をようやく捌き終えて、デスクチェアの背もたれに反り返る。反対に映った窓の景色はもう夕焼け空で、烏が連なって飛んでいくのが見えた。事務所戻ってきてから何時間経ってんねん。ずーっと書類と睨めっこしとったせいで目がしょぼしょぼしとるわ。
ドアノックの音に応じ、勢いつけてデスクチェアから起き上がる。入ってきた霧華ちゃんが軽くぺこりとお辞儀をした。
「お疲れ様です」
「霧華ちゃんもお疲れさん。…ってもう終業時間過ぎとるやん。下、もうみんな帰ったんか」
「はい。今日はノー残業デーだから皆さんすぐに帰られましたよ」
「そか。そんならええわ。俺も明日までの書類やっつけたし、今日はもう終いやな」
「……すごい。あんなにあった書類もう片付けられたんですか」
デスクに山積みになっとった書類を三時間ばかりで六割片付けた。提出期限ギリギリのやつを優先して、残ったんはまだ期限に余裕があるやつや。
「せやろ~。俺が本気出したらこないな量アッと言う間に捌けるで!…と、言いたいとこやけど。期限順にしといてくれたおかげでほんまに助かったわ」
「先輩方がそれぞれファイルに纏めておいてくださったので、私はそれを並べ替えただけですよ」
「そーゆう細かい気遣いが嬉しいねん。そや、今日は晩飯外で食べよか。美味い店連れてくで」
偶には外で一杯やりながら食うのもええかなァと話す。「いいですよ」と霧華ちゃんからの良い返事にデスクチェアから立ち上がった。
「よっしゃ決まりやな!そんなら着替えたら此処に集合で」
「はい」
◇◆◇
ここ最近忙しいせいもあって、外食はほんまに久方ぶりやった。昼間は歩きながら食べとるけど。普段の状態やと場所取るし、店側にも迷惑かけんねん。どっかの店入ってゆっくりお食事なんて滅多に無い。
霧華ちゃんはさっきからキョロキョロしていた。そういや、日が暮れてから出掛けたいって言われたことあらへんな。夜の大阪を歩くのが初めてで、お上りさんみたいに街の明かりを見とった。振っていた小さな顔がこっちに向いて、小首を傾げて見上げてくる。
「…どうかしましたか?」
「ん、珍しそうに見とんなー思うて」
「え、あ…その。暗くなった後は外に出たことがなかったし、ネオンがすごいなあと思って…」
「繁華街やからなァ。昼間とはまた違った景色に見えるやろ」
「はい。…大阪で有名な大きい看板、モデルがオールマイトさんで驚きました」
オールマイトが両腕を上げた状態のでかでかと描かれた看板を指す。製菓会社が設置しとるあの看板も霧華ちゃんの世界にあるらしい。勿論、そこに描かれてるのはオールマイトじゃあらへん。他にもテレビや雑誌で見たことあると都度教えてくれる。間違い探しみたいやと本人は笑っとるが、その横顔は少し寂しそうに見えた。
環が言うとったな。知らない場所なんに一人頑張っとるて。こっちが気づいてないだけで、やっぱホームシックみたいになっとるんやろか。
「あ、あの…何か変ですか。…服とか」
「そんなことあらへんよ。イケてるでーその服」
あんまりにも俺が見とったせいか、おろしたての服が似合わないのかと余計な心配をさせてしもた。
ふんわりした長いスカートに半袖のサマーニット。大人しめな感じがよく似合っとる。今日初めてその格好見たし、前に何着か見繕いにいったうちの一つなんやろ。褒めたら褒めたで気恥ずかしそうに目を逸らした。
「ありがとうございます。……この服買いに行った時、結構大変だったんです」
「なんや、なんかあったんかいな」
「はい。何件かお店回ってた時なんですけど、あるお店で天喰くんが店員さんに捕まっちゃって。そのお店、あまり好みの服が無かったからすぐ出ようと思った矢先に」
「環がしどろもどろしとる様子が目に浮かぶわァ。そんで、そこで買わされてしもたん?」
商売魂強い店も多いからな。霧華ちゃんと環やったら押しに負けて買わされてそうや。
「なんとか逃げ出せました。切島くんが「この人に一番似合う服を!」って…機転を効かせてくれたおかげで」
「お店の人が服探しに行っとる間に、ちゅうわけやな。上手い切り返しやなァ切島くん。やるやん」
「おかげで助かりました。…でも、あのお店はもう行けません」
今着とる服はその次の店で見つけたもんやと話してくれた。仲良う三人並んでショッピングしてる姿が目に浮かぶ。三人はいつ見ても楽しそうに話とるし。ほんま仲良しこよしやで。俺も仲間に入れてもらいたいわ。
「…ええなァショッピング。俺もそろそろ服新調したいねん、この低脂肪状態の」
「私服は伸び縮み…さすがに難しそうですね」
「あるにはあるんやけど、そればっか着てんのも飽きてな。俺かてオシャレしたいで」
「着たい服と似合う服は違うってよく言いますけど、なんだかそれに近いですね」
好きな色や形があるんに、実際に鏡であわせてみたらなんか思ってたんと違う。そんなチグハグが女の子は多いらしく、悩みの種やと。
「せや、今度服買うの付き合うてや」
「わ、私でいいんですか?」
「勿論やで。俺も霧華ちゃんとお出かけしたいねん。そん時に俺のオススメグルメも教えたるわ」
俺に似合う服見繕ってやーと軽く言うたつもりが、責任重大だと霧華ちゃんがかしこまってしもた。
「……そういえば、元のファットさんに戻るまではどのぐらいかかるんですか」
「んーそうやなァ…大体ニ、三日やろか。食べるもんと量にもよるけど」
「ニ、三日で…!……観察日記つけてみたい」
驚いた最後の方でぽそりと呟いた言葉。俺には聞こえてないと思ったんやろ。でもそれを偶然にも拾い上げてしもたからな。その発想は考えもしなかったわ。おもろいなァと笑ってみせれば「聞こえてたんですか」と慌てていた。
「そらええわァ。ファットさん観察日記、ええよつけてくれても」
「え、え…でも」
「何をどんくらい食ったら脂肪つくんか目安になるしな。今までは自分の勘やったし、それ霧華ちゃんがつけてくれたら助かるわ」
「……う。わ、わかりました。がんばります」
そんな気負わんで気軽な気持ちでええよと霧華ちゃんの頭をポンポンと叩く。すると今度は俯いてしもた。恥ずかしがり屋さんやな。
馴染みの店まではまだ少し歩く。この辺も美味い店は多い。けど、ゆっくりはできん場所ばかりや。賑やかなんはええことなんやけどな。霧華ちゃん嫌がるやろし。
タコ焼き屋のでかい看板を横切った辺りでぽつりと呟く声がした。
「天喰くん達、元気でしょうか」
「…なんやもう寂しくなってしもたんか」
「あんなこと、あったばかり…ですから」
過日、パトロール中に捕えた連中が使用しとった銃弾。そん中に仕込まれとった薬の影響で環の個性因子が傷つけられた。個性の発動が出来のうなってしもたが、幸いにもそれは一時的なものやった。事務所経由で一旦戻ってきた時、霧華ちゃんは泣きそうな勢いで環を心配しとったわ。今もこうして案じとる。人の痛みが分かる優しい子なんやと思う。
「大丈夫や。個性発動出来んかったのも一時的なもんやったし、ああ見えて環は雄英のビッグ3呼ばれとる成績優秀者なんやで。切島くんは元気の塊みたいなもんやし心配あらへん。…まァ、環は小さいことばっか言うとるせいで不安煽っとんのかもしれへんな。あんま心配させるようなことぼやかんように言うとくわ。ヒーローは市民を不安にさせたらあかんねん。…せやから、」
俯きながら歩いとった霧華ちゃんの顔を下から覗き込んだ。すると弾いたように驚いて、一歩引いた場所に立ち止まる。
「何も心配あらへん。霧華ちゃんは笑って待っとればええねん。事務所戻ってきた時、笑顔で出迎えてくれると疲れも吹っ飛ぶん。二人もそう言っとったわ」
「そ、うですか…?」
「せやせや。それにな、笑う門には福来たる言うねん。しょんぼりしてるよりも何倍もええんやで。嫌なことも悪いことも逃げてくん」
人差し指を口の両端に当ててとびきりのスマイルを作ってみせる。せやけど何の反応も無かった。それは昼間と似たような感じやったけど。どないしたんかと口の両端上げたままでおったら、何か言いたそうにしとった。自分の顔が映り込むほど真ん丸な目して。
それからようやく「あの」と発せられた声は露店から飛んできた威勢の良い声にかき消されてしまった。
「なんや、たいしろー。珍しいやんかその姿。…なんやなんや、別嬪なお嬢さん連れおって。ははーん…逢引か!」
露店の居酒屋に立っとる大将がニヤニヤ笑いながらそう言いおった。古すぎやでその表現。
「逢引て…いつの時代やねん。今はオフやさかい。プライベート邪魔せんといてや!」
「こらすまんかったなぁ。そんならうち寄ってき。サービスするで!」
「おっちゃんの店入ったらそれこそゆっくりできへんがな。また今度な!」
「おう待っとるで!」
灯りのついた赤白提灯の下で大将が豪快に笑っとる。すぐ次の客見つけたんか、こっち向いとった注意が逸れた。この隙にさっさと移動せな。これ以上野次飛ばされんうちに。
「この辺顔見知り多いねん。もうちょい先行けば静かに飯食えるとこあるから、そこ着くまで我慢してや」
「はい。…あの、さっきのお名前って、もしかして」
「あ。言うてへんかった?本名、豊満太志郎て言うん。プライベートん時はこっちで呼んでや」
「分かりました。豊満さんですね。……あ、あれ。間違ってましたか?」
「いや、間違ってへんけど。…なんやそれやと距離置かれた気が。下の名前でええよ」
ファットさん呼びされ過ぎたせいやろか。そう呼ばれると敬遠されてるような気がするわ。「太志郎さんでええよ」と言っても首を横へふるふると振られた。
「で、ででも失礼ですし」
「何も失礼やないで。俺かて霧華ちゃん呼んどるし。平等やん。ほい練習」
「えっ!?たっ、たい…と、とよ」
なんて無茶ぶりをすれば意外にもノッてくれる。どもっとる様子がかわええ言うたらそっぽ向かれてしまいそうやな。そう無理強いすることでもないし、無理せんでええよと言おうとしたら。
「とっ、とよしろうさんっ」
「惜しい!ええあだ名できたわァ。今度からそれ使わせてもらお。みんな大好き、とよしろーさんやでぇ」
苗字と名前が絶妙に合わさった新しい名前が爆誕しよった。あまりに面白いんで、ついボケかまし返したら霧華ちゃんが両手で顔を覆ってしもた。
「……勘弁してください」
「ウソウソ。呼びやすいのでかまへんよ。……お、次の交差点越えたら店すぐやで」
人の往来が多いのもここまでや。この交差点渡れば人の流れが一気に落ち着く。知る人ぞ知るっちゅう店がもうすぐや。
早い時間やのに酔っ払いが増えてきとった。赤い顔した飲兵衛がフラフラと歩いとる。そのうちの一人が千鳥足で、霧華ちゃんの肩に意図せずぶつかってきた。華奢な体がよろめいたんで、倒れんように手を添える。その酔っ払いは「こらすんまへんなぁ」と生半可な謝罪をしてまたフラフラ歩いていった。あのリーマンだいじょぶか。その辺で眠りこけんとええけど。
信号待ちしとる間、観光客の団体さんが向こう側に居るのを見つけた。大きな声で話し合っとるな。もう一次会終わって次の店行く様子で、出来上がっとる奴らが多い。それを見た霧華ちゃんが不安そうにしとった。
青に変わった直後、その小さな手の平を掴む。驚いて見上げてきた霧華ちゃんに笑みを浮かべてみせる。
「ここまで来てはぐれんのもイヤやしな」
繋いだ手の感覚がどこか懐かしい。前にもこんなことあったような気がした。でもそれがいつのことやったか思い出せんままや。
ただ、緩く握り返された指先は震えておらんかったし、温かかった。
「お前らええ加減にせんかい!」
商店街のど真ん中で個性同士の喧嘩が勃発。現場付近にいた他のヒーローが一人を取り押さえ、人の波を縫って逃げようとした男を逃さんように捕獲。なんや今日は荒ぶっとる奴ら多すぎや。だんじり祭はもうとっくに終わっとんで。いつまで余韻に浸っとるん。警察関係者にそいつらを引き渡し、自分は事務所方面へと向かった。
死穢八斎會の件で関連施設を探り、その帰りがてらパトロール中に喧嘩やイザコザを鎮静。件絡みかは分からんが、昼間だけで相当な数沈めたで。これやと霧華ちゃんに「無法地帯やないで」言うたの嘘になるやん。一時的かそうでないかにしろ、近隣事務所のヒーローと打ち合わせして、パトロール頻度考え直した方がええかもな。
道中、脂肪補給しようにもその隙すらあらへん。事務所戻るまでに脂肪使い切ってしまいそうや。交替の時間まではあと少し。腹の虫が空しく鳴き始めた。
往来の多い交差点で信号を待つ間に着信とメールをチェック。どっからも連絡は入っておらんかった。まだエリちゃんの居場所を特定できてない。今こうしてる間にも怖い目に遭うて泣いとるかもしれん。歯痒い。こう思うとるのは俺だけやない、チームアップ要請で声掛かったインターン生を含めたヒーロー全員や。
逸る気持ちを抑えんのも苦労すんねん。通常のヒーロー活動に影響までとはいかんけど、多少顔には出てしまっとるようで。昨日は「最近恐い顔してますけど、大丈夫ですか」と霧華ちゃんに気使われてしもた。事務所の人間にはこの件を話しとるが、霧華ちゃんには話しとらん。環が撃たれた日、顔を真っ青にしとった。これ以上心配かけたらあかんねん。そう思うて黙っている。
パトロール出る時は「気をつけてくださいね」といつも見送りはしてくれんけど、最近はその一言に色んな感情が混ざっている気がした。環と切島くんは学校に戻っとるし、余計にや。
今日はそろそろ戻れそうやし、先に連絡入れとこ。そう思うて、メッセージアプリを立ち上げる。信号が変わるギリギリ手前で「お仕事お疲れさん。今から戻るで」と打ち終わったんを送信。その後丁度青信号のピヨピヨが鳴り始めた。
事務所戻る前になんかお土産買ってこか。変わり種のたい焼き売っとる店、確かこの辺やったな。白いたい焼きは珍しいし、中身もキャラメルやミルククリーム、カレー、色々ある。どれがええやろ。おんなじ味にしとかんと事務所の連中で揉めそうやしな。やっぱここはキャラメルやろか。
驚いてからの嬉しそうにしとる顔思い浮かべとったら、こっちも顔が綻んだ。
『ファットの方こそ、葉月さんのこと気にしてる』
前にからかい半分で環に聞いた時、そう返されたんをふと思い出した。そら、気にするわ。うちで預かっとるんやし、大事なお客さんや。なんか妙に頭の隅に引っかかてることもあるし。
それとも、それだけやないってこと環は言いたいんやろか。と、一ミリでも考えてしまったせいで変に意識してまう。ちゃうねん。そういった感情とは違う、もっと別の何かがずっと引っかかっとる。それが何なのか分からずじまいで、ここ最近はモヤッとした霞がかかったまんまや。
「おうっ、ファット!見回りごくろーさん!うちのタコ焼き食べてきや。揚げたてやでぇ」
そこへ露店のおっちゃんの声が飛び込んできて、顔を上げると『揚げタコ焼き』とデカデカ書いたのぼり旗が目に映る。
「おお!ちょうど腹減ってたとこやねん。せや、もう一舟もら…」
「喧嘩だー!誰か来てくれええ!」
言うてるそばからこれや。ここは江戸ちゃうねんで。天下の台所大阪や。
「すまんなァおっちゃん。揚げタコはまた今度もらうわ!」
「おうっ。いつでも待っとるで。ファット気張りやー!」
店のおっちゃんにそう断って、ド派手な音立てて暴れとる奴らの所へと走る。こうなったらさっさと片付けて事務所戻るで。
◇◆◇
喧嘩に華咲かせとった連中を沈め、ようやく自分の事務所まで戻ってこられた。ゼロとまではいかんが、脂肪使いすぎてもう腹減ってしゃーないわ。一階で偶然すれ違った事務員さんに「お疲れさんです。その姿えらい久しぶりやね」と声を掛けられた。確かに久しぶりやわ。手こずったちゅうよりは数が多かったせいや。
「あ、葉月さん丁度上におるで。ファットの帰り遅いから心配しとりましたわ」
「そら悪いことしたなァ。連絡入れた直後にイザコザあってん。ちょお声掛けてくるわ」
「そうしたってください。……あっ!書類今日中に頼んますよ!」
「……何のやつやっけ」
「やっぱり忘れてんねん。役所に提出するやつ、明日までなんやから忘れずに頼んます!」
あかん。忘れとった。はよやらなこの経理に鬼の角生えてきそうや。上がったら先に片づけよ。結構な量あったから後回しにしとったあれやな。書類の厚み思い出しただけでうんざりしてきたわ。
他の事務処理も溜まっとんし、あれもそれも片付けんとなァ。階段上る足取りが気のせいか重たい。
上の事務所のドア開けて、中を覗くとここの事務所の制服着た霧華ちゃんの姿があった。髪を後ろで一つにくくって、茶色いシュシュで留めてる。初日はガチガチに緊張しとったみたいやが、ここの事務員ともなんとか上手くやってるみたいや。
霧華ちゃんは俺のデスクの上に書類を並べ終えたみたいで、ゆっくりこっちの方を向いた。というよりは顔を上げた先にたまたま俺が居たせいか、驚いとった。入ってきたん気づかなかったんやろか。
「戻ったでー。なんや今日は暴れとる奴ら仰山おってなァ遅なってしもた」
そう声かけてもその場で霧華ちゃんは固まっとった。と思えば元から良い姿勢なんをさらにしゃんとさせてこう言う。
「あ、あの…。お客様が来ると聞いていなかったもので…。申し訳ございませんが、ファットガムはパトロールから戻っておりません。……もしかしてアポイントメントを取られていましたか」
本気の他人行儀に思わず真顔になる。いや、そらそうか。この姿一度もお披露目したこと無かったわ。
「俺がそのファットさんやで」
自分を指しながらそう言うと、何言うてんのこの人みたいな顔をされた。まあ、そらそうなるわな。けして声には出さず、戸惑いながらも客対応を続けてくる。
「…あの、ご冗談は」
「冗談もなにも、俺やて」
「……お、オレオレ詐欺っ…!?」
「いやいやなんでそうなるん!」
「…お引き取りください!…け、警察呼びますよ!」
ちょ、待ってや。なんで自分の事務所に戻ってきたんに警察呼ばれなあかんの。俺を不審者だと完全に思い込んどる霧華ちゃんは制服のポッケから取り出したスマホを両手で握りしめとる。恐怖にも似ている怯えた表情で。
「ヒーロー事務所に不法侵入者有りで警察呼ばれたとか洒落にならんがな。とりあえず落ち着こか、霧華ちゃん。な?」
「…どうして、私の名前を。ますます、怪しい……出ていってくださいっ」
「せやから俺がファットさんやて!…あーどうしたら信じてくれんねん。なんか証拠でも……あ。これならどうや」
このままやと本気で警察呼ばれかねん。なんとかこの警戒心を解いてもらわんと。そこで名案を思いついた俺は自分のスマホを差し出す。左角にはこの間霧華ちゃんから貰うた無病息災のお守りがついとる。裏面の刺繍も見せる。神社の名前が書かれとるとこや。
「これ…私が渡した、お守り」
「そうやで。もひとつ貰うた家内安全のはデスクに飾っとる。因みに環は厄除け、切島くんには必勝守りやったな」
「……本当にファットさんなんですか?」
そん時に誰が何を貰うたか知っとるのはその場に居た当人達だけや。確たる証拠を目にしてもまだ不安そうに尋ねてきた。その気持ちも分からんでもないわ。よく「別人や!」と言われるし。見慣れとった姿から一変しとるしな。
にこーと笑顔浮かべながら後押しをする。
「ほんまもんのファットさんやでぇ。…先に言うておけばえかったな。俺の個性は脂肪吸着。衝撃を吸収、それをエネルギーに変えることもできるが…脂肪燃焼し過ぎると…こーなるっちゅうわけや」
「……あ。す、すみません。私、失礼なことを…ごめんなさい」
「ええよ。気にせんで。大概そう言われんねん」
「コスチューム…」
「これな、特殊な素材でできてん。伸縮自在やから、まさに俺にうってつけのもんなんや」
常人やったら確かに考えにくいことやな。あのまん丸体型にフィットしてたコスチュームがこんな縮んでるんやから。
霧華ちゃんは少しボロくなったコスチュームを物珍しそうに眺めた後、俺の顔をじっと見上げてきた。このアイマスクも伸縮性あるんやで。と、説明しても視線が外れん。穴が空きそうなほど見つめられとる気がする。
「なんや、ファットさんがええ男やからて惚れたら火傷すんでぇ」
「あ、いえ……何でも、ないです」
照れてわたわたするのを予想しとったが、大ハズレや。一つも動揺せんで、普通に返されてしもた。さらりと受け流されてちょお凹んだわ。少しくらいドキドキしてくれてもええのに。
虚しさに呼応するかのごとく、腹が盛大に鳴いた。
「あかん。腹減っていよいよ倒れそうや…」
「…あっ!お茶、用意します。戴き物のケーキもありますからそれも」
「ほんまに助かるわァ…。お土産にたい焼きでも買うて来よう思てもそんな暇も無くてな。そんならお茶淹れてくれてる間にささっと汗流してくるわ」
「わかりました。あ、ファットさん…」
「ん?」
「パトロールお疲れ様です。お帰りなさい」
そう言って見せてくれたんは、ふわりとした笑顔。さっきまでピリピリしとった雰囲気はもうそこには無い。やっぱ、事務所戻ってきてこの顔見るとホッとするな。空腹は紛れんけど、溜まっとった疲れが一気に吹っ飛んだわ。この笑顔、曇らせたらあかんやろな。心配性なとこあるし、例の件勘付かせないようにせんと。
経理から頼まれとった書類をようやく捌き終えて、デスクチェアの背もたれに反り返る。反対に映った窓の景色はもう夕焼け空で、烏が連なって飛んでいくのが見えた。事務所戻ってきてから何時間経ってんねん。ずーっと書類と睨めっこしとったせいで目がしょぼしょぼしとるわ。
ドアノックの音に応じ、勢いつけてデスクチェアから起き上がる。入ってきた霧華ちゃんが軽くぺこりとお辞儀をした。
「お疲れ様です」
「霧華ちゃんもお疲れさん。…ってもう終業時間過ぎとるやん。下、もうみんな帰ったんか」
「はい。今日はノー残業デーだから皆さんすぐに帰られましたよ」
「そか。そんならええわ。俺も明日までの書類やっつけたし、今日はもう終いやな」
「……すごい。あんなにあった書類もう片付けられたんですか」
デスクに山積みになっとった書類を三時間ばかりで六割片付けた。提出期限ギリギリのやつを優先して、残ったんはまだ期限に余裕があるやつや。
「せやろ~。俺が本気出したらこないな量アッと言う間に捌けるで!…と、言いたいとこやけど。期限順にしといてくれたおかげでほんまに助かったわ」
「先輩方がそれぞれファイルに纏めておいてくださったので、私はそれを並べ替えただけですよ」
「そーゆう細かい気遣いが嬉しいねん。そや、今日は晩飯外で食べよか。美味い店連れてくで」
偶には外で一杯やりながら食うのもええかなァと話す。「いいですよ」と霧華ちゃんからの良い返事にデスクチェアから立ち上がった。
「よっしゃ決まりやな!そんなら着替えたら此処に集合で」
「はい」
◇◆◇
ここ最近忙しいせいもあって、外食はほんまに久方ぶりやった。昼間は歩きながら食べとるけど。普段の状態やと場所取るし、店側にも迷惑かけんねん。どっかの店入ってゆっくりお食事なんて滅多に無い。
霧華ちゃんはさっきからキョロキョロしていた。そういや、日が暮れてから出掛けたいって言われたことあらへんな。夜の大阪を歩くのが初めてで、お上りさんみたいに街の明かりを見とった。振っていた小さな顔がこっちに向いて、小首を傾げて見上げてくる。
「…どうかしましたか?」
「ん、珍しそうに見とんなー思うて」
「え、あ…その。暗くなった後は外に出たことがなかったし、ネオンがすごいなあと思って…」
「繁華街やからなァ。昼間とはまた違った景色に見えるやろ」
「はい。…大阪で有名な大きい看板、モデルがオールマイトさんで驚きました」
オールマイトが両腕を上げた状態のでかでかと描かれた看板を指す。製菓会社が設置しとるあの看板も霧華ちゃんの世界にあるらしい。勿論、そこに描かれてるのはオールマイトじゃあらへん。他にもテレビや雑誌で見たことあると都度教えてくれる。間違い探しみたいやと本人は笑っとるが、その横顔は少し寂しそうに見えた。
環が言うとったな。知らない場所なんに一人頑張っとるて。こっちが気づいてないだけで、やっぱホームシックみたいになっとるんやろか。
「あ、あの…何か変ですか。…服とか」
「そんなことあらへんよ。イケてるでーその服」
あんまりにも俺が見とったせいか、おろしたての服が似合わないのかと余計な心配をさせてしもた。
ふんわりした長いスカートに半袖のサマーニット。大人しめな感じがよく似合っとる。今日初めてその格好見たし、前に何着か見繕いにいったうちの一つなんやろ。褒めたら褒めたで気恥ずかしそうに目を逸らした。
「ありがとうございます。……この服買いに行った時、結構大変だったんです」
「なんや、なんかあったんかいな」
「はい。何件かお店回ってた時なんですけど、あるお店で天喰くんが店員さんに捕まっちゃって。そのお店、あまり好みの服が無かったからすぐ出ようと思った矢先に」
「環がしどろもどろしとる様子が目に浮かぶわァ。そんで、そこで買わされてしもたん?」
商売魂強い店も多いからな。霧華ちゃんと環やったら押しに負けて買わされてそうや。
「なんとか逃げ出せました。切島くんが「この人に一番似合う服を!」って…機転を効かせてくれたおかげで」
「お店の人が服探しに行っとる間に、ちゅうわけやな。上手い切り返しやなァ切島くん。やるやん」
「おかげで助かりました。…でも、あのお店はもう行けません」
今着とる服はその次の店で見つけたもんやと話してくれた。仲良う三人並んでショッピングしてる姿が目に浮かぶ。三人はいつ見ても楽しそうに話とるし。ほんま仲良しこよしやで。俺も仲間に入れてもらいたいわ。
「…ええなァショッピング。俺もそろそろ服新調したいねん、この低脂肪状態の」
「私服は伸び縮み…さすがに難しそうですね」
「あるにはあるんやけど、そればっか着てんのも飽きてな。俺かてオシャレしたいで」
「着たい服と似合う服は違うってよく言いますけど、なんだかそれに近いですね」
好きな色や形があるんに、実際に鏡であわせてみたらなんか思ってたんと違う。そんなチグハグが女の子は多いらしく、悩みの種やと。
「せや、今度服買うの付き合うてや」
「わ、私でいいんですか?」
「勿論やで。俺も霧華ちゃんとお出かけしたいねん。そん時に俺のオススメグルメも教えたるわ」
俺に似合う服見繕ってやーと軽く言うたつもりが、責任重大だと霧華ちゃんがかしこまってしもた。
「……そういえば、元のファットさんに戻るまではどのぐらいかかるんですか」
「んーそうやなァ…大体ニ、三日やろか。食べるもんと量にもよるけど」
「ニ、三日で…!……観察日記つけてみたい」
驚いた最後の方でぽそりと呟いた言葉。俺には聞こえてないと思ったんやろ。でもそれを偶然にも拾い上げてしもたからな。その発想は考えもしなかったわ。おもろいなァと笑ってみせれば「聞こえてたんですか」と慌てていた。
「そらええわァ。ファットさん観察日記、ええよつけてくれても」
「え、え…でも」
「何をどんくらい食ったら脂肪つくんか目安になるしな。今までは自分の勘やったし、それ霧華ちゃんがつけてくれたら助かるわ」
「……う。わ、わかりました。がんばります」
そんな気負わんで気軽な気持ちでええよと霧華ちゃんの頭をポンポンと叩く。すると今度は俯いてしもた。恥ずかしがり屋さんやな。
馴染みの店まではまだ少し歩く。この辺も美味い店は多い。けど、ゆっくりはできん場所ばかりや。賑やかなんはええことなんやけどな。霧華ちゃん嫌がるやろし。
タコ焼き屋のでかい看板を横切った辺りでぽつりと呟く声がした。
「天喰くん達、元気でしょうか」
「…なんやもう寂しくなってしもたんか」
「あんなこと、あったばかり…ですから」
過日、パトロール中に捕えた連中が使用しとった銃弾。そん中に仕込まれとった薬の影響で環の個性因子が傷つけられた。個性の発動が出来のうなってしもたが、幸いにもそれは一時的なものやった。事務所経由で一旦戻ってきた時、霧華ちゃんは泣きそうな勢いで環を心配しとったわ。今もこうして案じとる。人の痛みが分かる優しい子なんやと思う。
「大丈夫や。個性発動出来んかったのも一時的なもんやったし、ああ見えて環は雄英のビッグ3呼ばれとる成績優秀者なんやで。切島くんは元気の塊みたいなもんやし心配あらへん。…まァ、環は小さいことばっか言うとるせいで不安煽っとんのかもしれへんな。あんま心配させるようなことぼやかんように言うとくわ。ヒーローは市民を不安にさせたらあかんねん。…せやから、」
俯きながら歩いとった霧華ちゃんの顔を下から覗き込んだ。すると弾いたように驚いて、一歩引いた場所に立ち止まる。
「何も心配あらへん。霧華ちゃんは笑って待っとればええねん。事務所戻ってきた時、笑顔で出迎えてくれると疲れも吹っ飛ぶん。二人もそう言っとったわ」
「そ、うですか…?」
「せやせや。それにな、笑う門には福来たる言うねん。しょんぼりしてるよりも何倍もええんやで。嫌なことも悪いことも逃げてくん」
人差し指を口の両端に当ててとびきりのスマイルを作ってみせる。せやけど何の反応も無かった。それは昼間と似たような感じやったけど。どないしたんかと口の両端上げたままでおったら、何か言いたそうにしとった。自分の顔が映り込むほど真ん丸な目して。
それからようやく「あの」と発せられた声は露店から飛んできた威勢の良い声にかき消されてしまった。
「なんや、たいしろー。珍しいやんかその姿。…なんやなんや、別嬪なお嬢さん連れおって。ははーん…逢引か!」
露店の居酒屋に立っとる大将がニヤニヤ笑いながらそう言いおった。古すぎやでその表現。
「逢引て…いつの時代やねん。今はオフやさかい。プライベート邪魔せんといてや!」
「こらすまんかったなぁ。そんならうち寄ってき。サービスするで!」
「おっちゃんの店入ったらそれこそゆっくりできへんがな。また今度な!」
「おう待っとるで!」
灯りのついた赤白提灯の下で大将が豪快に笑っとる。すぐ次の客見つけたんか、こっち向いとった注意が逸れた。この隙にさっさと移動せな。これ以上野次飛ばされんうちに。
「この辺顔見知り多いねん。もうちょい先行けば静かに飯食えるとこあるから、そこ着くまで我慢してや」
「はい。…あの、さっきのお名前って、もしかして」
「あ。言うてへんかった?本名、豊満太志郎て言うん。プライベートん時はこっちで呼んでや」
「分かりました。豊満さんですね。……あ、あれ。間違ってましたか?」
「いや、間違ってへんけど。…なんやそれやと距離置かれた気が。下の名前でええよ」
ファットさん呼びされ過ぎたせいやろか。そう呼ばれると敬遠されてるような気がするわ。「太志郎さんでええよ」と言っても首を横へふるふると振られた。
「で、ででも失礼ですし」
「何も失礼やないで。俺かて霧華ちゃん呼んどるし。平等やん。ほい練習」
「えっ!?たっ、たい…と、とよ」
なんて無茶ぶりをすれば意外にもノッてくれる。どもっとる様子がかわええ言うたらそっぽ向かれてしまいそうやな。そう無理強いすることでもないし、無理せんでええよと言おうとしたら。
「とっ、とよしろうさんっ」
「惜しい!ええあだ名できたわァ。今度からそれ使わせてもらお。みんな大好き、とよしろーさんやでぇ」
苗字と名前が絶妙に合わさった新しい名前が爆誕しよった。あまりに面白いんで、ついボケかまし返したら霧華ちゃんが両手で顔を覆ってしもた。
「……勘弁してください」
「ウソウソ。呼びやすいのでかまへんよ。……お、次の交差点越えたら店すぐやで」
人の往来が多いのもここまでや。この交差点渡れば人の流れが一気に落ち着く。知る人ぞ知るっちゅう店がもうすぐや。
早い時間やのに酔っ払いが増えてきとった。赤い顔した飲兵衛がフラフラと歩いとる。そのうちの一人が千鳥足で、霧華ちゃんの肩に意図せずぶつかってきた。華奢な体がよろめいたんで、倒れんように手を添える。その酔っ払いは「こらすんまへんなぁ」と生半可な謝罪をしてまたフラフラ歩いていった。あのリーマンだいじょぶか。その辺で眠りこけんとええけど。
信号待ちしとる間、観光客の団体さんが向こう側に居るのを見つけた。大きな声で話し合っとるな。もう一次会終わって次の店行く様子で、出来上がっとる奴らが多い。それを見た霧華ちゃんが不安そうにしとった。
青に変わった直後、その小さな手の平を掴む。驚いて見上げてきた霧華ちゃんに笑みを浮かべてみせる。
「ここまで来てはぐれんのもイヤやしな」
繋いだ手の感覚がどこか懐かしい。前にもこんなことあったような気がした。でもそれがいつのことやったか思い出せんままや。
ただ、緩く握り返された指先は震えておらんかったし、温かかった。