番外編
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月夜の宴
地上を照らしていた太陽が水平線の彼方に姿を隠した。人々が営む大地は上弦の月が引き連れてきた夕闇に染め変えられる。そこに暖かい光がひとつ、またひとつと増えていった。
バンガードに構えられたクラヴィスの拠点では歓迎会が開かれた。新たな仲間を迎えた宴はそれはもう大いに盛り上がったというもの。
久方ぶりの新メンバーはこの世界に属する人間。明るく朗らかな性格で、気が利く好青年。剣術にも長けており、腕っぷしも強く文句の付け所がないとダリアスは語った。
ほんの数年前に起きた事件、世界を大々的に巻き込んだ昏睡事件は遂に幕を引いた。
異世界に通じる扉の出現が落ち着いた現在、彼等はバンガード周辺の治安維持に務めている。
しかし、現在も各地で起こる異変の報告をぽつぽつと受けていた。不確かな異変の調査、真王衆の動き、盗品の奪還、魔物退治に伴う近隣諸国との協力。詰まるところ、人手が足りないのは今も昔も変わらず。新たな仲間の歓迎にも力が入るというもの。
歓迎の宴がお開きとなってから小一時間。既存のメンバーで後片付けを粗方終わらせ、眠そうなリアムたちと就寝の挨拶を交わした。その後、キッチンで食器やカトラリーを食器棚にしまいながらダリアスとルミカはお喋りをしていた。
「皆さん楽しそうでしたね。あんなに賑やかだったの久しぶりです」
「一部賑やか過ぎたけどな。まったく」
大きな溜息がダリアスの口から漏れた。彼はつい先程の出来事を思い出し、眉根を寄せた。
宴が盛り上がること自体は大いに結構なのだが、酔いが回った者たちが次第に妙な動きを見せたのだ。酔い潰れて寝てしまうのはまだ可愛い方。調味料として小皿に注がれた醤油を酒の如く飲もうとする者。テーブルを打楽器の様に叩く者が現れ、それに合わせて食器をカトラリーで巧みに音を打ち鳴らす者まで。更には勢い余って壁に穴を空けた者もいた。
その都度ダリアスは「醤油を飲むな!」「備品を壊すな!」と注意を促す。
思い出すだけで頭が痛いと片手で顔を覆い、また溜息をひとつ零した。
「美味そうな料理が並んでたけど、ルミカはちゃんと食べて飲んだのか?」
「はい。キッシュやワイン煮、バンガード近海で獲れたお魚も美味しかったです」
いつも「ささやかな歓迎会だが」という謙遜から始まる宴。その時々で提供される料理や酒は異なるが、ささやかどころか豪勢に振舞われることの方が多い。
仲間のことを第一に考えるクラヴィスのリーダーは以前こうも話していた。「俺が掲げた旗の下に集まってくれた仲間だ。感謝の気持ちを先ずは伝えたいからな」と。
今回のメニューはバンガード近海で獲れた魚をメインディッシュにし、パエリア、茹でカニ、出汁巻き玉子など。各産地の採れたて野菜の色とりどりサラダ、キッシュ。牛肉のワイン煮にビーフシチュー。酒はワインにビール、ウイスキーと割り材も完備した。
テーブルに並んだ料理を美味い、美味いとつまむ顔はどれも幸せそうで。これには調理に携わった者たちも満足そうにしていた。
「ビーフシチュー美味そうだったな。隠し味にハチミツを入れたとか言ってた」
「……ダリアスさん、殆どご飯食べられてないですよね」
「あれだけ騒がれりゃな」
隊員の中には酒が入ればひとたび人が変わる者も少なからずいる。普段は大人しく口数の少ない者が笑い上戸になり、いつもニコニコ穏やかな態度の者は泣き上戸に。この程度であれば害は及ばずとも、先程の様に度が過ぎた隊員たちを宥め、叱り歩く破目になる。
あくまでそれは宴が半ば過ぎた頃の話。ダリアスはグラスを掲げた後、テーブルをひとつひとつ回っていた。「調子はどうだ」「不便なことが何かあれば言ってくれ」「悩みは抱え込むんじゃないぞ」と、肩を叩きながらひとりずつ声を掛けていたのだ。そこから日常的な会話に繋がることもあるので、時間を掛けながらも交流を図る。酒が空きっ腹を刺激するのにも構わずにだ。喉を潤す為の酒も殆ど減っていない。
ダリアスは飲みの席で料理に手をつけることが少ない。自分はあくまでもてなし役。相手を気遣うその性格にルミカは好感を抱いている。
「良かったら、これから飲み直しませんか。手つかずの料理もまだ少し残ってるし、夜風に当たりながら」
キッチンのカウンターには余った料理が皿に寄せ集められていた。これらはキャンディの腹に収まりきらなかったものでもある。ハムの塩漬け、出汁巻き玉子、スモークサーモン。これだけあれば小腹も満たされ、酒のつまみにもなる。
この提案自体にダリアスは目を丸くした。てっきりこのままお開きとなると思っていたからだ。互いに朝から事務仕事や魔獣退治で疲労は蓄積しているはず。週末ならば尚の事。二次会の考えはそもそも念頭になかった。
己の腹の空き具合はどうとでもなるが、折角の誘いを無下に断るわけにもいかない。ふたりでゆっくり過ごす時間を得られるのであれば、それは休息にも値する。
ダリアスは口角を上げ、頷いた。
「それいいな。いつもの場所でゆっくりするか。ああ、そうだ。貰い物の酒があるからそれを開けるか。大事に取っておいたワケじゃないが、個人宛てに贈られてきた物でな。中々飲む機会がなかったんだ。口に合いそうならルミカも飲んでくれ」
「良いんですか? ダリアスさんが頂いた物なのに」
「ひとりで飲むよりも誰かと飲む方が酒は美味いからな。よし、そうとなれば遅くなる前に準備しよう」
白い皿とタンブラー、カトラリーを二人分。ラタンのバスケットに料理とワインの瓶も詰め込んだ。三階バルコニーまでのちょっとしたピクニック。ある日の夏に二人で過ごしたその場所。今ではちょっとした時に語らい合う場となっていた。
*
頭上に煌めく無数の星。数年前よりも空が少し霞んで見えるのは、明かりを灯す家々が増えたことによるもの。それはバンガード復興の証でもあった。
バルコニーを照らす月明かりと星の煌めき。ふたりは月見酒をひっそりと誰にも邪魔されずに満喫していた。
「美味いな、これ」
一口サイズに切り分けられたスモークサーモン。空腹は最高の調味料とも言うが、お世辞なしにこれは美味しいとダリアスは料理を褒めた。
それは氷湖で獲れた上等なサーモンを丁寧に下ごしらえをして、燻製チップで燻したもの。風味が豊かで、粒胡椒との相性も抜群だ。これは酒のつまみとしてそのままいけるが、玉ねぎのマリネ、パスタに和えても良さそうだ。ベーグルにサンドしたものも美味しいとルミカも相槌を打つ。
「ホークさんが用意してくれたんです。これなら刺身に抵抗がある人でも食べられるからって」
「そういやルミカの国じゃ魚介類を生で食うんだったか。新鮮なまま輸送、衛生面を管理できる技術があるからこそ出来る食べ方だよな」
「それが当たり前の環境で育ってきたから、他国では生魚を食べないと聞いて驚きました。刺身のサーモンを軽く炙ったものもとても美味しいんですよ」
「へえ、いつか食ってみたいもんだな。……炙るくらいならバーナーでいけそうな気もする」
ふと、ダリアスの視線が空に向く。星空を映す琥珀色の瞳は深い海の様。どこか憂いに満ちたその横顔にルミカは見惚れていた。
「確か研究部に火炎放射器があったな。あれ使えるんじゃないか」
猪口を片手に至極真面目な表情でそう聞いてくるのだ。
調理用の小型バーナーとは似ても似つかない、戦闘メカ向きの火炎放射器。つい先日「広範囲用に改良したんだ!」と研究部の人間が嬉々と話していたばかりだ。
名のある朱鳥術士が扱う術に引けを取らない威力。そんな研究部自慢の火炎放射器で炙ろうものなら、新鮮で脂が乗ったサーモンが一瞬にして炭と化すだろう。
憐れな姿と化した炭の塊を想像し、止めようとしたルミカの声は裏返っていた。
「そ、それはやりすぎです! 炙りどころか消し炭に……火器だと火力調整にも限界があるでしょうし」
「冗談だ」
ふっと柔らかな笑みを浮かべたダリアス。その表情はどこか楽しそうでいて、無邪気さも垣間見える。
いくら異世界の未知のものとはいえ、頭の良いダリアスがこうも突拍子もないことを考えるわけがない。
誂われたのだ。しかし、それに対して怒りや羞恥心など湧くはずもない。穏やかでいて、楽しそうに笑う顔を前にして。
シィレイがバンガードを訪れてからというものの、その回数は確実に増えた。
盗品の奪還調査は半ば口車に乗せられての同行であった。隊員の悪口を言われては黙っていられないと。
数時間後、バッハロー邸の調査から帰還したダリアスはどこか吹っ切れたような顔をしていた。同行したアーニャもこう語ったという。「楽しそうな顔をしていた」と。
詩い人の言動がきっかけとなったのか、良い起爆剤となったのだろう。あの日から冷静かつ慎重な判断を下すようになっていたクラヴィスのリーダーにかつての覇気を宿した。奥底に眠らせていた炎が再び燻り始めている。
もとより、軽い冗談を口にできるほど気が晴れたこと。ルミカはシィレイに感謝の念を抱いていた。
「美味い酒だな。御礼がてら感想を送ってやらねえと。仕入れて商売するつもりなんだろうし」
ダリアス宛てに贈られた酒は東方の銘酒だという。良質の米を使用した澄んだ酒。口当たりはさっぱりと軽く、滑らかでいてクセがない。西の人間もきっと気に入るだろうからと、まずは味見の意見を聞かせて欲しいと頼まれた。ダリアスは酒に特段詳しいわけでもないが、忖度無しの評価を期待してとのこと。それだけ信頼されているのである。
猪口に酌んだ酒を浮かべた月ごと、グイと飲み干した。
「……どうした?」
「いえ、なんだか様になってるなぁと思って」
長い指先に掴まれた猪口。月を見上げ、それを傾ける姿があまりにも似合う。和服姿が容易に想像できるほどだ。その格好良さに思わず見惚れてしまうというもの。
先の件も併せ、ルミカは月明かりにも似た柔らかい笑みを頬に浮かべる。
「そうか?」
「カッコいいです」
「……そうか」
真っ向からの褒め言葉にダリアスは一言だけ返し、何とも言えないむず痒そうな表情で、視線をふいと逸らした。
「意外と強いんだな」
「何がですか?」
「酒。あんまり一緒に飲む機会なかったし。この酒だって度数が低いわけじゃない」
東方の酒は甘く飲みやすいワインとは異なり、どちらかと言えば喉が焼ける部類の強さ。初めて口にした時はストレートで飲むものだと知り驚いたもの。
これを顔色ひとつ変えずに飲むものだから。酔った兆しすら見られない。普段と何ら変わりのない様子を保つルミカ。問題行動を何一つ起こさないのがダリアスにとっては有難い。
膝の上に乗せた手には同じ猪口が握られていた。
「祖父がお酒に強かったんです。母は全く飲めないんですけどね」
「隔世遺伝ってやつか」
「はい。でも、そのせいで飲み会は酔った人の介抱する役に回ることが多くて」
「ああ、わかるぞ。先に酔っ払ったもん勝ちみたいなもんだしな。俺もここに来てからは気持ちよく酔えた試しがない」
複数人で飲むともなれば、酒のペースに違いが出る。酒に弱い者が強い者に合わせようとすれば、前者が潰れる未来は確実に見えるというもの。己の限界を知っていながらもペースを落とさない者がいるので、介抱する側は苦労する。喜怒哀楽が際立つ者を宥めたり、手洗い場に籠った者を気に掛けたりする場面にいつも遭遇するとふたりは話した。
両者ともに面倒見が良い性格ゆえ、周囲に気を配る。その為、ほろ酔い気分も直ぐに醒めてしまうのだ。
どこの世界も同じだとふたりは笑いあった。
「私は大丈夫なので、ダリアスさんは気が済むまで飲んでください。こんな時ぐらいしかゆっくり飲めないでしょうし」
「その気持ちだけ貰っておくよ。酒は飲んでも飲まれるな、俺が失態晒してたら周りに示しがつかねえし。それに、酔いが回ると気が緩んであれこれ話しちまいそうだ」
からりと笑った顔にはうっすらと星明かりが差していた。
数年前、空に突如現れた黒い星が世界を怖れで包み込んだ。
幾度もの死食を乗り越えた人々の胸に過ぎる、漠然とした不安。しかし、世界が混沌の渦に飲み込まれるより先に平穏を取り戻すことができた。
何の変哲もない空。それが一番だと空を見上げる度にダリアスは思う。
平穏が訪れた世界で未だ自分たちクラヴィスを必要としてくれることも、感謝しきれない。
「平和が一番だな」薄く開いた口からぽつりと出た言葉は願いにも近い。
「急にどうされたんですか」
「いや、そう思っただけだ。こうしてのんびり過ごす時間も増えたし」
「そうですね。少し前までは調査、魔獣対策、戦士たちの訓練……それこそ目が回りそうな程忙しそうでしたから」
「ルミカが手伝ってくれるようになって本当に助かった。山積みの書類に埋もれる回数も減ったしな」
「少しでもお役に立てて良かったです」
「少しどころじゃないって。そこは素直に喜んでいいとこだぞ」
丸い目が数回瞬いた。普段は謙遜が前に出てくる彼女の性格。しかし、今日ばかりはほんの少しだけ酔いが優しく回っているのだろう。頷いたルミカは柔らかく微笑んでみせた。
「それに、だ。……正直、此処に残ってくれるの意外だった」
バンガード襲撃の件をダリアスは僅かながら引き摺っていた。
多くの仲間が去り、市民から悪口雑言を浴びせられる。氷の様に凍てついた眼差しで、後ろ指を差されるだろうと。
しかし、異界の戦士達は散るどころかこの世界の住人の為に力を貸してくれた。市民からも「あんた達が居てくれたから」と温かい言葉。
彼等の優しさに救われたからこそ、今此処にいる。クラヴィスの解散を考える傍ら、まだ共にこの場所で過ごしたいと言う気持ちが彼を引き留めていた。
「こんな不甲斐ないヤツ、愛想尽かされて当然だって思ってたからな」
「不甲斐ないだなんて。ダリアスさんはクラヴィスで一番頼れる人ですよ。クラヴィスの人たちや町の人たちみんなに信頼されてます」
「そこまで慕われてる自覚、ないんだけどな」
「素直に喜んでいい所、ですよ」
肩を竦めたダリアスの目元がくしゃりと歪む。口元には弧を浮かべて。
現在のクラヴィスが機能しているのもダリアスの人望が築き上げた賜物。自らの意思で残った者ばかりだ。そこは誇りを持っていいことだとルミカは常々思っている。
「私も自分の意志で此処にいます。居心地が良いんです。それに」
そこで言葉を止めたルミカの頬がほんのりと赤く染まった。
ダリアスさんの側にいたいから。この想いを今更秘める必要はない間柄。それでも直接言葉にするにはどこか気恥ずかしく、はにかむように微笑む。
しかし、どうしてかそれが表に出ていたようで。
不意に俯くダリアスは目頭を押さえた。
顔を上げた刹那、口元を隠すように覆っていた指の隙間から頬の緩みがちらりと見えた。「やっぱこういうのは酔ってる時に言うもんじゃないよな」と、ぽそりと呟かれた独り言。
「ダリアスさん?」
「いや。……不安とか色々あるが、それはこれから片付けてくつもりだ。いつか、なんてのは待っちゃくれないのもわかってる。その不安をひとつ片付けたら、聞いて欲しいことがある」
切れ長の瞳に宿る熱は酒によるものか、否か。
今はまだ明かされない話に憂いは微塵もない。己を見つめる真摯な眼差しにルミカはしっかりと頷いてみせた。
地上を照らしていた太陽が水平線の彼方に姿を隠した。人々が営む大地は上弦の月が引き連れてきた夕闇に染め変えられる。そこに暖かい光がひとつ、またひとつと増えていった。
バンガードに構えられたクラヴィスの拠点では歓迎会が開かれた。新たな仲間を迎えた宴はそれはもう大いに盛り上がったというもの。
久方ぶりの新メンバーはこの世界に属する人間。明るく朗らかな性格で、気が利く好青年。剣術にも長けており、腕っぷしも強く文句の付け所がないとダリアスは語った。
ほんの数年前に起きた事件、世界を大々的に巻き込んだ昏睡事件は遂に幕を引いた。
異世界に通じる扉の出現が落ち着いた現在、彼等はバンガード周辺の治安維持に務めている。
しかし、現在も各地で起こる異変の報告をぽつぽつと受けていた。不確かな異変の調査、真王衆の動き、盗品の奪還、魔物退治に伴う近隣諸国との協力。詰まるところ、人手が足りないのは今も昔も変わらず。新たな仲間の歓迎にも力が入るというもの。
歓迎の宴がお開きとなってから小一時間。既存のメンバーで後片付けを粗方終わらせ、眠そうなリアムたちと就寝の挨拶を交わした。その後、キッチンで食器やカトラリーを食器棚にしまいながらダリアスとルミカはお喋りをしていた。
「皆さん楽しそうでしたね。あんなに賑やかだったの久しぶりです」
「一部賑やか過ぎたけどな。まったく」
大きな溜息がダリアスの口から漏れた。彼はつい先程の出来事を思い出し、眉根を寄せた。
宴が盛り上がること自体は大いに結構なのだが、酔いが回った者たちが次第に妙な動きを見せたのだ。酔い潰れて寝てしまうのはまだ可愛い方。調味料として小皿に注がれた醤油を酒の如く飲もうとする者。テーブルを打楽器の様に叩く者が現れ、それに合わせて食器をカトラリーで巧みに音を打ち鳴らす者まで。更には勢い余って壁に穴を空けた者もいた。
その都度ダリアスは「醤油を飲むな!」「備品を壊すな!」と注意を促す。
思い出すだけで頭が痛いと片手で顔を覆い、また溜息をひとつ零した。
「美味そうな料理が並んでたけど、ルミカはちゃんと食べて飲んだのか?」
「はい。キッシュやワイン煮、バンガード近海で獲れたお魚も美味しかったです」
いつも「ささやかな歓迎会だが」という謙遜から始まる宴。その時々で提供される料理や酒は異なるが、ささやかどころか豪勢に振舞われることの方が多い。
仲間のことを第一に考えるクラヴィスのリーダーは以前こうも話していた。「俺が掲げた旗の下に集まってくれた仲間だ。感謝の気持ちを先ずは伝えたいからな」と。
今回のメニューはバンガード近海で獲れた魚をメインディッシュにし、パエリア、茹でカニ、出汁巻き玉子など。各産地の採れたて野菜の色とりどりサラダ、キッシュ。牛肉のワイン煮にビーフシチュー。酒はワインにビール、ウイスキーと割り材も完備した。
テーブルに並んだ料理を美味い、美味いとつまむ顔はどれも幸せそうで。これには調理に携わった者たちも満足そうにしていた。
「ビーフシチュー美味そうだったな。隠し味にハチミツを入れたとか言ってた」
「……ダリアスさん、殆どご飯食べられてないですよね」
「あれだけ騒がれりゃな」
隊員の中には酒が入ればひとたび人が変わる者も少なからずいる。普段は大人しく口数の少ない者が笑い上戸になり、いつもニコニコ穏やかな態度の者は泣き上戸に。この程度であれば害は及ばずとも、先程の様に度が過ぎた隊員たちを宥め、叱り歩く破目になる。
あくまでそれは宴が半ば過ぎた頃の話。ダリアスはグラスを掲げた後、テーブルをひとつひとつ回っていた。「調子はどうだ」「不便なことが何かあれば言ってくれ」「悩みは抱え込むんじゃないぞ」と、肩を叩きながらひとりずつ声を掛けていたのだ。そこから日常的な会話に繋がることもあるので、時間を掛けながらも交流を図る。酒が空きっ腹を刺激するのにも構わずにだ。喉を潤す為の酒も殆ど減っていない。
ダリアスは飲みの席で料理に手をつけることが少ない。自分はあくまでもてなし役。相手を気遣うその性格にルミカは好感を抱いている。
「良かったら、これから飲み直しませんか。手つかずの料理もまだ少し残ってるし、夜風に当たりながら」
キッチンのカウンターには余った料理が皿に寄せ集められていた。これらはキャンディの腹に収まりきらなかったものでもある。ハムの塩漬け、出汁巻き玉子、スモークサーモン。これだけあれば小腹も満たされ、酒のつまみにもなる。
この提案自体にダリアスは目を丸くした。てっきりこのままお開きとなると思っていたからだ。互いに朝から事務仕事や魔獣退治で疲労は蓄積しているはず。週末ならば尚の事。二次会の考えはそもそも念頭になかった。
己の腹の空き具合はどうとでもなるが、折角の誘いを無下に断るわけにもいかない。ふたりでゆっくり過ごす時間を得られるのであれば、それは休息にも値する。
ダリアスは口角を上げ、頷いた。
「それいいな。いつもの場所でゆっくりするか。ああ、そうだ。貰い物の酒があるからそれを開けるか。大事に取っておいたワケじゃないが、個人宛てに贈られてきた物でな。中々飲む機会がなかったんだ。口に合いそうならルミカも飲んでくれ」
「良いんですか? ダリアスさんが頂いた物なのに」
「ひとりで飲むよりも誰かと飲む方が酒は美味いからな。よし、そうとなれば遅くなる前に準備しよう」
白い皿とタンブラー、カトラリーを二人分。ラタンのバスケットに料理とワインの瓶も詰め込んだ。三階バルコニーまでのちょっとしたピクニック。ある日の夏に二人で過ごしたその場所。今ではちょっとした時に語らい合う場となっていた。
*
頭上に煌めく無数の星。数年前よりも空が少し霞んで見えるのは、明かりを灯す家々が増えたことによるもの。それはバンガード復興の証でもあった。
バルコニーを照らす月明かりと星の煌めき。ふたりは月見酒をひっそりと誰にも邪魔されずに満喫していた。
「美味いな、これ」
一口サイズに切り分けられたスモークサーモン。空腹は最高の調味料とも言うが、お世辞なしにこれは美味しいとダリアスは料理を褒めた。
それは氷湖で獲れた上等なサーモンを丁寧に下ごしらえをして、燻製チップで燻したもの。風味が豊かで、粒胡椒との相性も抜群だ。これは酒のつまみとしてそのままいけるが、玉ねぎのマリネ、パスタに和えても良さそうだ。ベーグルにサンドしたものも美味しいとルミカも相槌を打つ。
「ホークさんが用意してくれたんです。これなら刺身に抵抗がある人でも食べられるからって」
「そういやルミカの国じゃ魚介類を生で食うんだったか。新鮮なまま輸送、衛生面を管理できる技術があるからこそ出来る食べ方だよな」
「それが当たり前の環境で育ってきたから、他国では生魚を食べないと聞いて驚きました。刺身のサーモンを軽く炙ったものもとても美味しいんですよ」
「へえ、いつか食ってみたいもんだな。……炙るくらいならバーナーでいけそうな気もする」
ふと、ダリアスの視線が空に向く。星空を映す琥珀色の瞳は深い海の様。どこか憂いに満ちたその横顔にルミカは見惚れていた。
「確か研究部に火炎放射器があったな。あれ使えるんじゃないか」
猪口を片手に至極真面目な表情でそう聞いてくるのだ。
調理用の小型バーナーとは似ても似つかない、戦闘メカ向きの火炎放射器。つい先日「広範囲用に改良したんだ!」と研究部の人間が嬉々と話していたばかりだ。
名のある朱鳥術士が扱う術に引けを取らない威力。そんな研究部自慢の火炎放射器で炙ろうものなら、新鮮で脂が乗ったサーモンが一瞬にして炭と化すだろう。
憐れな姿と化した炭の塊を想像し、止めようとしたルミカの声は裏返っていた。
「そ、それはやりすぎです! 炙りどころか消し炭に……火器だと火力調整にも限界があるでしょうし」
「冗談だ」
ふっと柔らかな笑みを浮かべたダリアス。その表情はどこか楽しそうでいて、無邪気さも垣間見える。
いくら異世界の未知のものとはいえ、頭の良いダリアスがこうも突拍子もないことを考えるわけがない。
誂われたのだ。しかし、それに対して怒りや羞恥心など湧くはずもない。穏やかでいて、楽しそうに笑う顔を前にして。
シィレイがバンガードを訪れてからというものの、その回数は確実に増えた。
盗品の奪還調査は半ば口車に乗せられての同行であった。隊員の悪口を言われては黙っていられないと。
数時間後、バッハロー邸の調査から帰還したダリアスはどこか吹っ切れたような顔をしていた。同行したアーニャもこう語ったという。「楽しそうな顔をしていた」と。
詩い人の言動がきっかけとなったのか、良い起爆剤となったのだろう。あの日から冷静かつ慎重な判断を下すようになっていたクラヴィスのリーダーにかつての覇気を宿した。奥底に眠らせていた炎が再び燻り始めている。
もとより、軽い冗談を口にできるほど気が晴れたこと。ルミカはシィレイに感謝の念を抱いていた。
「美味い酒だな。御礼がてら感想を送ってやらねえと。仕入れて商売するつもりなんだろうし」
ダリアス宛てに贈られた酒は東方の銘酒だという。良質の米を使用した澄んだ酒。口当たりはさっぱりと軽く、滑らかでいてクセがない。西の人間もきっと気に入るだろうからと、まずは味見の意見を聞かせて欲しいと頼まれた。ダリアスは酒に特段詳しいわけでもないが、忖度無しの評価を期待してとのこと。それだけ信頼されているのである。
猪口に酌んだ酒を浮かべた月ごと、グイと飲み干した。
「……どうした?」
「いえ、なんだか様になってるなぁと思って」
長い指先に掴まれた猪口。月を見上げ、それを傾ける姿があまりにも似合う。和服姿が容易に想像できるほどだ。その格好良さに思わず見惚れてしまうというもの。
先の件も併せ、ルミカは月明かりにも似た柔らかい笑みを頬に浮かべる。
「そうか?」
「カッコいいです」
「……そうか」
真っ向からの褒め言葉にダリアスは一言だけ返し、何とも言えないむず痒そうな表情で、視線をふいと逸らした。
「意外と強いんだな」
「何がですか?」
「酒。あんまり一緒に飲む機会なかったし。この酒だって度数が低いわけじゃない」
東方の酒は甘く飲みやすいワインとは異なり、どちらかと言えば喉が焼ける部類の強さ。初めて口にした時はストレートで飲むものだと知り驚いたもの。
これを顔色ひとつ変えずに飲むものだから。酔った兆しすら見られない。普段と何ら変わりのない様子を保つルミカ。問題行動を何一つ起こさないのがダリアスにとっては有難い。
膝の上に乗せた手には同じ猪口が握られていた。
「祖父がお酒に強かったんです。母は全く飲めないんですけどね」
「隔世遺伝ってやつか」
「はい。でも、そのせいで飲み会は酔った人の介抱する役に回ることが多くて」
「ああ、わかるぞ。先に酔っ払ったもん勝ちみたいなもんだしな。俺もここに来てからは気持ちよく酔えた試しがない」
複数人で飲むともなれば、酒のペースに違いが出る。酒に弱い者が強い者に合わせようとすれば、前者が潰れる未来は確実に見えるというもの。己の限界を知っていながらもペースを落とさない者がいるので、介抱する側は苦労する。喜怒哀楽が際立つ者を宥めたり、手洗い場に籠った者を気に掛けたりする場面にいつも遭遇するとふたりは話した。
両者ともに面倒見が良い性格ゆえ、周囲に気を配る。その為、ほろ酔い気分も直ぐに醒めてしまうのだ。
どこの世界も同じだとふたりは笑いあった。
「私は大丈夫なので、ダリアスさんは気が済むまで飲んでください。こんな時ぐらいしかゆっくり飲めないでしょうし」
「その気持ちだけ貰っておくよ。酒は飲んでも飲まれるな、俺が失態晒してたら周りに示しがつかねえし。それに、酔いが回ると気が緩んであれこれ話しちまいそうだ」
からりと笑った顔にはうっすらと星明かりが差していた。
数年前、空に突如現れた黒い星が世界を怖れで包み込んだ。
幾度もの死食を乗り越えた人々の胸に過ぎる、漠然とした不安。しかし、世界が混沌の渦に飲み込まれるより先に平穏を取り戻すことができた。
何の変哲もない空。それが一番だと空を見上げる度にダリアスは思う。
平穏が訪れた世界で未だ自分たちクラヴィスを必要としてくれることも、感謝しきれない。
「平和が一番だな」薄く開いた口からぽつりと出た言葉は願いにも近い。
「急にどうされたんですか」
「いや、そう思っただけだ。こうしてのんびり過ごす時間も増えたし」
「そうですね。少し前までは調査、魔獣対策、戦士たちの訓練……それこそ目が回りそうな程忙しそうでしたから」
「ルミカが手伝ってくれるようになって本当に助かった。山積みの書類に埋もれる回数も減ったしな」
「少しでもお役に立てて良かったです」
「少しどころじゃないって。そこは素直に喜んでいいとこだぞ」
丸い目が数回瞬いた。普段は謙遜が前に出てくる彼女の性格。しかし、今日ばかりはほんの少しだけ酔いが優しく回っているのだろう。頷いたルミカは柔らかく微笑んでみせた。
「それに、だ。……正直、此処に残ってくれるの意外だった」
バンガード襲撃の件をダリアスは僅かながら引き摺っていた。
多くの仲間が去り、市民から悪口雑言を浴びせられる。氷の様に凍てついた眼差しで、後ろ指を差されるだろうと。
しかし、異界の戦士達は散るどころかこの世界の住人の為に力を貸してくれた。市民からも「あんた達が居てくれたから」と温かい言葉。
彼等の優しさに救われたからこそ、今此処にいる。クラヴィスの解散を考える傍ら、まだ共にこの場所で過ごしたいと言う気持ちが彼を引き留めていた。
「こんな不甲斐ないヤツ、愛想尽かされて当然だって思ってたからな」
「不甲斐ないだなんて。ダリアスさんはクラヴィスで一番頼れる人ですよ。クラヴィスの人たちや町の人たちみんなに信頼されてます」
「そこまで慕われてる自覚、ないんだけどな」
「素直に喜んでいい所、ですよ」
肩を竦めたダリアスの目元がくしゃりと歪む。口元には弧を浮かべて。
現在のクラヴィスが機能しているのもダリアスの人望が築き上げた賜物。自らの意思で残った者ばかりだ。そこは誇りを持っていいことだとルミカは常々思っている。
「私も自分の意志で此処にいます。居心地が良いんです。それに」
そこで言葉を止めたルミカの頬がほんのりと赤く染まった。
ダリアスさんの側にいたいから。この想いを今更秘める必要はない間柄。それでも直接言葉にするにはどこか気恥ずかしく、はにかむように微笑む。
しかし、どうしてかそれが表に出ていたようで。
不意に俯くダリアスは目頭を押さえた。
顔を上げた刹那、口元を隠すように覆っていた指の隙間から頬の緩みがちらりと見えた。「やっぱこういうのは酔ってる時に言うもんじゃないよな」と、ぽそりと呟かれた独り言。
「ダリアスさん?」
「いや。……不安とか色々あるが、それはこれから片付けてくつもりだ。いつか、なんてのは待っちゃくれないのもわかってる。その不安をひとつ片付けたら、聞いて欲しいことがある」
切れ長の瞳に宿る熱は酒によるものか、否か。
今はまだ明かされない話に憂いは微塵もない。己を見つめる真摯な眼差しにルミカはしっかりと頷いてみせた。
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