Otherworld Gate
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Otherworld Gate.1
私はガタガタと揺られていた路線バスから降りた。
肌に纏わりつく湿気を含んだ風。日差しを存分に浴びたアスファルトから熱が上がってくる。
初夏と呼ぶにはまだ早すぎる夏の空気を最近感じるようになった。
私は目的地の住宅街を目指した。最寄りバス停から徒歩五分の立地に住む友人をいつも羨ましく思う。私は日差しを手で遮りながら整備された歩道を進んだ。
久しぶりに会う高校時代の友人。彼女は甘い物が好きだ。だから今日は手土産に昨日の夜に焼いたマフィンを持参した。チョコチップを生地に練り込んだもので、家族や職場の人にも好評だったから自信がある。喜んでくれるといいな。
彼女の「美味しい、最高!」という反応を期待し、住宅街に続く一本手前の道に差し掛かった。
彼女の家には何度も遊びに行ったことがある。学校から近かったから、寄り道するには打ってつけだった。お互い部活がない日や試験前に他の友達と集まって勉強もした。ほんの数年前のことなのに、それが懐かしいとすら感じる。みんな、元気にしているかな。
少し、そんなことを考えながら歩いていただけなのに。見慣れないものに出くわした私はそこでふと立ち止まった。
大きな門が聳え立っている。巨大な門はとても大きくて、ギリシャ神話に登場する神殿の門柱のようだった。見上げていると首が痛くなってくる。
道を間違えたのかもしれない。そう思い、振り返る。来た道は何の変哲もない、アスファルトの歩道。それは門の向こう側にも同じことが言えた。向こう側にもこの道がずっと続いている。
だから、私はこう思った。観光客誘致の為に、市が建てたオブジェクトなんだろうと。潜り抜けても問題は何もない。私は躊躇いなく門を形成する二つの柱の間を通り抜けた。
それが間違った判断だと気づいた時にはもう、遅かった。
眼前に広がる見慣れない風景。湿り気がない、乾いた風が頬と髪を撫でていく。
広大な土地に緑地がどこまでも広がっていて、人工物は見渡す限りひとつもない。あると言えば、横切るようにして一本の街路が延びているだけ。
空は薄水色に染まっていて、平べったい雲がぽつん、ぽつんと浮かんでいる。
此処は一体どこなんだろう。この辺りで田舎道に続くような場所はなかった筈。
私は徐に振り向いた。そこにあったはずの、潜ってきた筈の門が無い。短い草が生えた土地が広がっているだけ。
突然知らない場所にぽーんっと放り出されてしまった。どうしたらいいんだろう。
呆然と私は立ち尽くすばかりだった。
頬を撫でていく心地良い風。空気が澄んでいる気がした。排気ガスやアスファルトが焼ける匂いもしない。
此処は私の知らない場所だと本能が報せる。まるで夢を見ている様な場面転換だったけど、肌に感じる空気や地面のざらざらとした砂の感触は現実に思える。
夢でなければ現実だ。頭の中で冷静な私がそう呟く。それならば、此処が何処なのかをまず突き止めないといけない。
トートバッグからスマホを取り出そうと手を入れたその時だった。
獰猛な獣の唸る声が聞こえてきた。すぐ、私のそばから。
振り返った先、一メートルもない距離にその唸り声の主がいた。
虎の様に大きな四つ足の獣で、ありえないほどの長い牙が二本、口の両端から剥きだしている。最初はサーベルタイガーかと思ったけれど、全く別の生き物だ。皮膚が赤黒くて、尻尾の先に青い火を灯している。こんな生き物、見たことがない。
狙われている。警鐘を鳴らす暇も許されず、不気味な獣が飛び掛かってきた。私は咄嗟に身を屈めた。
この回避行動が功を奏したのかはわからない。
巨体に体当たりされるのは防げたけれど、前足の鋭い爪が左肩を掠めていった。
私はその反動で尻もちをついてしまった。鈍い痛みに続き、左肩の違和感に気づいて右手で肩を押さえる。手のひらに生温かいものが降れた。
赤黒い血が手の平を染めていた。それを見た瞬間に背筋が凍る。
足に力が入らない。痛みよりも恐怖が勝り、血の気が引いていく。
目の前には牙を剥く獣。じりじりとこちらに詰め寄ってくる。
声を出すことも、指一本すら動かすこともできない。多大な恐怖に身体が押さえ付けられていた。
もう駄目だ。
短い人生の走馬灯が脳内に過る。目尻に涙が浮かぶその時だった。
銃声がひとつ、聞こえた。風を切り割く鋭い弾丸が獣の前足を掠めた。獣が刹那、動きを止めて狼狽える素振りを見せる。
そこへ現れた人影が私の視界に映った。
短い黒髪。ロングコートの裾がばさりと翻される。
背には身の丈以上もある大きな斧を背負っていた。
一瞬だけ見えた鋭い目が獣を睨みつける。
「お前の相手はこっちだ!」
雄々しい声が響いた。
その声が癇に障ったのか、獰猛な獣の標的が彼に移る。間髪入れずに襲い掛かってきた鋭い爪と牙を、両手で携えた斧で受け止め、弾き返した。
攻撃態勢を崩した四つ足の獣が三度目の牙を剥く。それを迎え撃つように、大きな斧を軽々と斜めに振り上げた。
一刀両断。まさにその表現が相応しい斬撃。それに耐えられなかった獣の肉体が一瞬にして塵となる。それは吹く風に流されていき、跡形もなく消えてしまった。
この時ばかりは肩の痛みを忘れた。それほどまでに私は呆然としていた。
一体何が起きているんだろうか。
振り返った彼の瞳は澄んだ太陽のようだった。
情熱のように燃えているというよりも、優しくて暖かい光を宿していた。
耳元のピアスに光が反射して、きらりと輝いた。
私はこの世界が現実とかけ離れた場所にあること、この人が命の恩人だということをようやく理解する。
彼は私の前に膝をついて、右を向く。端正な顔が痛々しい表情に歪んだ。
「大丈夫……じゃないよな、どう見ても。応急処置はするが、あとでちゃんとした治療を受けてくれ」
「あ、あの」
「傷口を手で押さえられるか?」
「は、はい」
恐怖で貼り付いてしまった喉から出る私の言葉は短く拙くて、とりあえず言われるがままに右手で肩口をぐっと押さえつけた。途端にじくじくとした痛みが走りだす。
彼は大腿にベルトで括りつけてあるポーチからガラスの小瓶と白いガーゼのようなハンカチを取り出した。それを私の肩に近づけ、瓶を傾ける前に私と目を合わせた。真面目なその眼差しに少しどきりとしてしまう。
「沁みるだろうけど、ちょっと我慢してくれ」
瓶の口から消毒薬の臭いがする。消毒液が傷口に触れた瞬間は容易に想像できる。
私はぎゅっと目を瞑り、痛みで悲鳴を上げないようにぐっと奥歯を噛みしめた。
消毒を終えた後の応急処置は瞬く間に済んだ。ずきずきとした痛みに涙がぽろぽろと出そうになる。
「包帯はきつくないか」
「大丈夫、です。……あの」
私がそう口を開いた直後だった。「ダリアス!」と呼ぶ声が聞こえた。
髪を振り乱して息を切らしながら駆けてきた少年。太陽光を受けて美しく透き通るようなブロンドの髪。幼さが見え隠れするその顔が私を見て、途端に悲痛な表情を浮かべた。
「ごめんなさい。僕がもう少し早く気がついていれば」
「リアム、お前の威嚇射撃がなけりゃ危ないとこだった。とは言え、俺も怪我人出しといて偉そうに言えた立場じゃねぇけどな。てっきり扉から出てきた異界の戦士だと思い込んでたから判断が遅れちまった」
どうやら先程の銃声はこの少年が発砲したものらしかった。見れば厳ついハンドガンを腰から提げている。
彼らの話では、私が門から出てきたのを遠目で確認。直後、魔獣がにじり寄るのを見たそうだ。
彼らが私の窮地を救ってくれたことには感謝しきれない。でも、二人の服装はやはり現実離れしている。まるで彼らは物語の世界から出て来たように思えた。でも、実際は逆だったということを後から知ることになる。
「あの、あなた方は?」
「俺達は怪しいもんじゃない。この世界の調査機関クラヴィスの人間だ」
「貴女は扉世界から出てきたんです」
調査機関、クラヴィス、扉世界。
聞き慣れない単語ばかりが次々と現れる。
ふと、目の前が霞んできた。ぐらり、ふわふわと視界が揺れる。
嗚呼、やっぱりこれは夢なのかもしれない。
意識の浮上を期待して、私は静かに目を閉じた。
私はガタガタと揺られていた路線バスから降りた。
肌に纏わりつく湿気を含んだ風。日差しを存分に浴びたアスファルトから熱が上がってくる。
初夏と呼ぶにはまだ早すぎる夏の空気を最近感じるようになった。
私は目的地の住宅街を目指した。最寄りバス停から徒歩五分の立地に住む友人をいつも羨ましく思う。私は日差しを手で遮りながら整備された歩道を進んだ。
久しぶりに会う高校時代の友人。彼女は甘い物が好きだ。だから今日は手土産に昨日の夜に焼いたマフィンを持参した。チョコチップを生地に練り込んだもので、家族や職場の人にも好評だったから自信がある。喜んでくれるといいな。
彼女の「美味しい、最高!」という反応を期待し、住宅街に続く一本手前の道に差し掛かった。
彼女の家には何度も遊びに行ったことがある。学校から近かったから、寄り道するには打ってつけだった。お互い部活がない日や試験前に他の友達と集まって勉強もした。ほんの数年前のことなのに、それが懐かしいとすら感じる。みんな、元気にしているかな。
少し、そんなことを考えながら歩いていただけなのに。見慣れないものに出くわした私はそこでふと立ち止まった。
大きな門が聳え立っている。巨大な門はとても大きくて、ギリシャ神話に登場する神殿の門柱のようだった。見上げていると首が痛くなってくる。
道を間違えたのかもしれない。そう思い、振り返る。来た道は何の変哲もない、アスファルトの歩道。それは門の向こう側にも同じことが言えた。向こう側にもこの道がずっと続いている。
だから、私はこう思った。観光客誘致の為に、市が建てたオブジェクトなんだろうと。潜り抜けても問題は何もない。私は躊躇いなく門を形成する二つの柱の間を通り抜けた。
それが間違った判断だと気づいた時にはもう、遅かった。
眼前に広がる見慣れない風景。湿り気がない、乾いた風が頬と髪を撫でていく。
広大な土地に緑地がどこまでも広がっていて、人工物は見渡す限りひとつもない。あると言えば、横切るようにして一本の街路が延びているだけ。
空は薄水色に染まっていて、平べったい雲がぽつん、ぽつんと浮かんでいる。
此処は一体どこなんだろう。この辺りで田舎道に続くような場所はなかった筈。
私は徐に振り向いた。そこにあったはずの、潜ってきた筈の門が無い。短い草が生えた土地が広がっているだけ。
突然知らない場所にぽーんっと放り出されてしまった。どうしたらいいんだろう。
呆然と私は立ち尽くすばかりだった。
頬を撫でていく心地良い風。空気が澄んでいる気がした。排気ガスやアスファルトが焼ける匂いもしない。
此処は私の知らない場所だと本能が報せる。まるで夢を見ている様な場面転換だったけど、肌に感じる空気や地面のざらざらとした砂の感触は現実に思える。
夢でなければ現実だ。頭の中で冷静な私がそう呟く。それならば、此処が何処なのかをまず突き止めないといけない。
トートバッグからスマホを取り出そうと手を入れたその時だった。
獰猛な獣の唸る声が聞こえてきた。すぐ、私のそばから。
振り返った先、一メートルもない距離にその唸り声の主がいた。
虎の様に大きな四つ足の獣で、ありえないほどの長い牙が二本、口の両端から剥きだしている。最初はサーベルタイガーかと思ったけれど、全く別の生き物だ。皮膚が赤黒くて、尻尾の先に青い火を灯している。こんな生き物、見たことがない。
狙われている。警鐘を鳴らす暇も許されず、不気味な獣が飛び掛かってきた。私は咄嗟に身を屈めた。
この回避行動が功を奏したのかはわからない。
巨体に体当たりされるのは防げたけれど、前足の鋭い爪が左肩を掠めていった。
私はその反動で尻もちをついてしまった。鈍い痛みに続き、左肩の違和感に気づいて右手で肩を押さえる。手のひらに生温かいものが降れた。
赤黒い血が手の平を染めていた。それを見た瞬間に背筋が凍る。
足に力が入らない。痛みよりも恐怖が勝り、血の気が引いていく。
目の前には牙を剥く獣。じりじりとこちらに詰め寄ってくる。
声を出すことも、指一本すら動かすこともできない。多大な恐怖に身体が押さえ付けられていた。
もう駄目だ。
短い人生の走馬灯が脳内に過る。目尻に涙が浮かぶその時だった。
銃声がひとつ、聞こえた。風を切り割く鋭い弾丸が獣の前足を掠めた。獣が刹那、動きを止めて狼狽える素振りを見せる。
そこへ現れた人影が私の視界に映った。
短い黒髪。ロングコートの裾がばさりと翻される。
背には身の丈以上もある大きな斧を背負っていた。
一瞬だけ見えた鋭い目が獣を睨みつける。
「お前の相手はこっちだ!」
雄々しい声が響いた。
その声が癇に障ったのか、獰猛な獣の標的が彼に移る。間髪入れずに襲い掛かってきた鋭い爪と牙を、両手で携えた斧で受け止め、弾き返した。
攻撃態勢を崩した四つ足の獣が三度目の牙を剥く。それを迎え撃つように、大きな斧を軽々と斜めに振り上げた。
一刀両断。まさにその表現が相応しい斬撃。それに耐えられなかった獣の肉体が一瞬にして塵となる。それは吹く風に流されていき、跡形もなく消えてしまった。
この時ばかりは肩の痛みを忘れた。それほどまでに私は呆然としていた。
一体何が起きているんだろうか。
振り返った彼の瞳は澄んだ太陽のようだった。
情熱のように燃えているというよりも、優しくて暖かい光を宿していた。
耳元のピアスに光が反射して、きらりと輝いた。
私はこの世界が現実とかけ離れた場所にあること、この人が命の恩人だということをようやく理解する。
彼は私の前に膝をついて、右を向く。端正な顔が痛々しい表情に歪んだ。
「大丈夫……じゃないよな、どう見ても。応急処置はするが、あとでちゃんとした治療を受けてくれ」
「あ、あの」
「傷口を手で押さえられるか?」
「は、はい」
恐怖で貼り付いてしまった喉から出る私の言葉は短く拙くて、とりあえず言われるがままに右手で肩口をぐっと押さえつけた。途端にじくじくとした痛みが走りだす。
彼は大腿にベルトで括りつけてあるポーチからガラスの小瓶と白いガーゼのようなハンカチを取り出した。それを私の肩に近づけ、瓶を傾ける前に私と目を合わせた。真面目なその眼差しに少しどきりとしてしまう。
「沁みるだろうけど、ちょっと我慢してくれ」
瓶の口から消毒薬の臭いがする。消毒液が傷口に触れた瞬間は容易に想像できる。
私はぎゅっと目を瞑り、痛みで悲鳴を上げないようにぐっと奥歯を噛みしめた。
消毒を終えた後の応急処置は瞬く間に済んだ。ずきずきとした痛みに涙がぽろぽろと出そうになる。
「包帯はきつくないか」
「大丈夫、です。……あの」
私がそう口を開いた直後だった。「ダリアス!」と呼ぶ声が聞こえた。
髪を振り乱して息を切らしながら駆けてきた少年。太陽光を受けて美しく透き通るようなブロンドの髪。幼さが見え隠れするその顔が私を見て、途端に悲痛な表情を浮かべた。
「ごめんなさい。僕がもう少し早く気がついていれば」
「リアム、お前の威嚇射撃がなけりゃ危ないとこだった。とは言え、俺も怪我人出しといて偉そうに言えた立場じゃねぇけどな。てっきり扉から出てきた異界の戦士だと思い込んでたから判断が遅れちまった」
どうやら先程の銃声はこの少年が発砲したものらしかった。見れば厳ついハンドガンを腰から提げている。
彼らの話では、私が門から出てきたのを遠目で確認。直後、魔獣がにじり寄るのを見たそうだ。
彼らが私の窮地を救ってくれたことには感謝しきれない。でも、二人の服装はやはり現実離れしている。まるで彼らは物語の世界から出て来たように思えた。でも、実際は逆だったということを後から知ることになる。
「あの、あなた方は?」
「俺達は怪しいもんじゃない。この世界の調査機関クラヴィスの人間だ」
「貴女は扉世界から出てきたんです」
調査機関、クラヴィス、扉世界。
聞き慣れない単語ばかりが次々と現れる。
ふと、目の前が霞んできた。ぐらり、ふわふわと視界が揺れる。
嗚呼、やっぱりこれは夢なのかもしれない。
意識の浮上を期待して、私は静かに目を閉じた。
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