番外編
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Happy Birthday.
「ダリアス、君にプレゼントが届いてるぞ」
執務室の入口に現れたアーサーさんは大きなカゴを抱えていた。カゴにはフルーツや四角い包み、様々なお菓子が山盛りになっている。
それを見たダリアスさんは「みんな律儀だな」と少し嬉しそうにしながら言った。市民の皆さんからいつもの差し入れだと私は思っていたんだけど、どうやらそうじゃなかったみたい。
「みんな俺の誕生日なんてどこで知ったんだ」
「リアムだろうね。さっきアーニャと一緒に誕生日プレゼントを買いに行くって言ってたし。行く先々で話してるんじゃないかな」
私は二人が話す前で固まりかけた。
ダリアスさんの誕生日。今初めて知った情報。好きな人の誕生日を当日知ることになるなんて。アーサーさんは知っていたみたいだ。もしかしたらクラヴィスの人たちはみんな知っていたのかもしれない。私が知らなかったなんて言ったら幻滅されてしまうかも。でも、今はそのことでショックを受けている場合じゃない。
「……ダリアスさん、お誕生日だったんですね。おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
きっと朝から色んな人たちにお祝いの言葉を貰っているに違いない。そうだとしても、取って付けたような私の言葉ですらダリアスさんは喜んで受け取ってくれた。
前もって知っていればプレゼントを準備することが出来たのに。今からでも何か用意できないだろうか。
私は壁に掛けてある時計をちらりと見上げる。あと一時間でお昼休憩。今日は午前中だけのお手伝いということになっている。午後から雑貨屋を覗く時間がありそうだ。
そこで何か素敵な物が見つかりますように。
私はダリアスさんとアーサーさんが談笑するのを視界に入れながら、テーブルに置かれた市民からの依頼書の束を手に取った。
◇
バンガード市内にある雑貨屋は大きくジャンルが二つに分かれている。
冒険者用と一般市民用の二つ。前者は役立つアイテムや傷薬、鉱石が多く取り揃えられていて、後者は私の世界でもよく見る小物を扱う。私は小物を扱う雑貨屋に赴いていた。
お洒落な置き時計、動物を模った置物、ストームグラス、小さなグラスにゼリーボールで植えられた観葉植物。他には女性が喜びそうなネックレスやイヤリング、ピアスが沢山取り揃えられていた。
黒い宝石が埋め込まれた金装飾の腕輪。宝石の中にキラキラと虹のような輝きが見えた。綺麗だなと思って値札に目を落とす。金額に驚くあまりに手が震え、そっと元の場所に腕輪を戻した。どうやらブラックオパールという石はとても貴重な石みたいだ。
店内をぐるりと周るのはこれで何度目か。
いいものが見つからない。視点を変えて別のお店を見に行った方がいいのかも。
この店でプレゼントを見つけることを諦めかけた時だった。「ルミカちゃん?」と私の名前を呼ぶ女性の声。振り返ると、霧華お姉ちゃんが笑いながら私に手をひらりと振ってくれた。
「霧華お姉ちゃん」
「久しぶり。元気そう……でもない? 何かあった?」
「えっと、実は」
傍目に分かるほど私は浮かない表情をしていたんだろう。心配そうに訊ねられてしまった。
ひとりで思い悩んでも堂々巡り。誰かに相談を持ち掛けた方が打開策は見つかると思う。この世界、そしてクラヴィスに来てから学んだことのひとつだ。
私は同じ世界から来た霧華お姉ちゃんに悩みを打ち明けた。昔から聞き上手のお姉ちゃんは私の話に相槌をうんうんと打ってくれる。
「なるほど。ダリアスさんの誕生日が今日だって知って、そのプレゼント選びに悩んでるわけだね」
「うん。何がいいかなぁって。気づいたらお店に一時間くらいいて」
「んー……ダリアスさん好みのものかぁ」
「やっぱり冒険者向けの方がいいかな。でも、それだと普段の差し入れと変わらない気もして」
「だよねぇ。私、普段モウゼスにいるからダリアスさんが好きそうな物わからないし。ボルカノさんだったら赤系の物喜びそうなんだけど」
嫌味を含ませた様子もなく、霧華お姉ちゃんは朗らかにそう言った。
南モウゼスの朱鳥術士ボルカノ。三百年以上前に北モウゼスの玄武術士ウンディーネとある物で争った。モウゼス中央にある井戸の奥深くに眠っていた魔王の盾。
この世界線の史実では北の術士に軍配が上がったらしい。でも、霧華お姉ちゃんがいた世界線では二人とも生きている。モウゼスを訪れた際にそう話してくれた。色々あったらしい。九死に一生を得るような話を霧華お姉ちゃんは軽いノリで話すものだから。聞いているこっちが顔を青ざめてばかりだった。
以前はバンガードで異界の戦士をサポートしていたらしい。今はボルカノさんと一緒にモウゼスでお弟子さんたちと暮らしている。
「あ、そうだ! 自分で何か作ってみたらどうかな」
「お菓子、とか?」
「それもいいし、手作りのアクセ……例えばストラップとかそういうのでも」
「ストラップ……今から作って間に合うかな」
私はお菓子や料理ならまだしも、小物やアクセサリーを作る知識は殆ど持ち合わせていない。その点、霧華お姉ちゃんは手先が器用で色々と作りだしていた。この世界のアイテム『火星の砂』も作れる。用途を聞けば、綺麗な見た目とは裏腹に結構物騒な物でびっくりした。
「ストラップなら一時間くらいで作れるよ。作り方教えてあげる」
「いいの? でも、モウゼスに戻るの遅くなっちゃう」
「今日はこっちに泊まる予定で来てるんだ。だからどれだけボルカノさん待たせても大丈夫。よーし、それじゃあ材料探しにレッツゴー!」
霧華お姉ちゃんは悩む私の背中をいつも押してくれる。
昔、花瓶を落として割ってしまった時もそう。怒られるのが怖くてぐずっていたら、私の頭をよしよしと撫でてくれて、一緒に謝りに行ってくれた。
近所に住んでいた三つ年上のお姉ちゃん。いつも一緒に遊んでくれた大好きなお姉ちゃん。中学生になる少し前に引っ越すことになって、大泣きして引き留めた記憶が今でも残っている。
だから形はどうであれ、こうして大人になってから再会出来たことがすごく嬉しかった。
こうして手を繋いで歩くのも、振り返る霧華お姉ちゃんと楽しくお喋りするのも。私の胸は懐かしさで胸がいっぱいになった。
◇◆◇
ああ、すっかり遅くなってしまった。
私は日が暮れて薄暗くなったクラヴィス本部の廊下を急ぐ。廊下を点々とした灯りが照らす。恐怖を助長するまでとはいかないけど、現代文明の明るさに慣れている私にはちょっとだけこの薄暗さが怖い。だから、夜はあまり出歩かないようにしていた。
食堂に向かう途中、反対側から誰かの足音が響いてきた。それは私と同じように急ぎ足のもので、間もなくしてその足音の主と顔を合わせた。
「ルミカ!」
「リアムくん。こんばんは」
「こんばんは。良かった、丁度探してたんだよ」
「私を? どうしたの」
「昼間、アーニャから話は聞いていると思うんだけど。ダリアスのバースデーパーティーやるって」
私は頷いた。
あれから霧華お姉ちゃんとストラップに使うパーツを探して、自室でずっと作業をしていた。初めて使う専用の道具が中々使い慣れなくて手間取っていた時だ。ダリアスさんのバースデーパーティーを開くから、私にも手伝ってほしいとアーニャが声を掛けに来てくれた。
せっかくのお誘いだし、手伝いに行きたかった。でも、プレゼント制作が間に合わないかもしれない。悩む私の手元を控えめに覗いてきたアーニャが「ダリアスさんのプレゼント?」と首を傾げた。少しだけ気恥ずかしくて、返事に戸惑っていると「そうだよ」と私の代わりに霧華お姉ちゃんが返してくれた。
「終わったらすぐ手伝いに行くね」と申し訳ない気持ちになりながら私も返す。アーニャは静かに首を横に振って「大丈夫。こっちは私たちに任せて。ダリアスさん、喜んでくれるといいね」とふわりと笑ってくれた。
「夕飯までには間に合わせようってみんなで準備してるんだけど、ちょっとまだ時間がかかりそうなんだ」
「うん。私も今から手伝いに行こうと思ってたの」
「助かるよ。じゃあ、ルミカはちょっとの間ダリアスを足止めしておいてくれないかな」
まだ執務室にいると思うから。リアムくんはさらりとそう言った。
私は会場になる場所の手伝いをするつもりでいた。料理のセッティングや飾り付け。それがまさかの主役を足止めすることを頼まれてしまった。
「私にそんな大役務まるかな」
「ルミカが適任なんだよ。準備が終わったら迎えに行くから。それじゃあ、よろしく!」
リアムくんは口早にそう伝えると、また早足で私の前から去ってしまった。
私にそんな大役が務まるかな。
ひとり残された私は心の中で呟く。お喋りでもして時間を稼げばいいのかな。でも私はそんなにお喋りが得意じゃない。
私は廊下の真ん中でくるりと踵を返した。もと来た道を進む足取りは心なしか重い。
何を話そう。話題のことばかりを考えながら歩く。仕事、趣味、黒い星、キャンディのこと。
執務室に着くまではあっという間だった。ドアの隙間から漏れる僅かな光。物音が室内から聞こえてくる。ダリアスさん、それともしかしたらアーサーさんがいるかもしれない。誰かと一緒なら、話が膨らむかも。
後者の期待を膨らませ、私はドアを静かにノックした。心臓が高鳴っている。間もなくして返事がした。
私は固唾を飲み、ドアノブに手を掛ける。
「失礼します」
広い執務室にいたのはダリアスさんだけだった。淡い期待は泡沫に消え、私の姿を見ればすぐに足元に駆け寄ってくるキャンディの姿も無い。ダリアスさんとふたりきりだ。
彼は手元の書類を纏め終えたところのようで、書類の束をファイリングしている途中だった。顔を上げたダリアスさんの表情は少し驚いているようにも見えた。
「どうした? 忘れ物でもしたのか」
「あ、えっと……忘れ物というか、その。だ、大丈夫です」
忘れ物はしていないはず。あれから半ば上の空で午前中は仕事をしていたけれど、気に留めるミスや気がかりなこともないはず。
それよりもこの時間まで仕事をしていたのかと思うと、午前で切り上げたのが申し訳なくなってくる。私だったら誕生日に残業するのは嫌だもの。
「気が利かなくてすみません」
「ん? 何がだ」
「もう少し手伝って行けば良かったな……って」
「……あー。これはちょっとな。色々気が散ったせいで遅くなっちまったんだ」
私が気にすることじゃないよ。そうやんわりと言ってくれたダリアスさん。苦笑いを浮かべていた。
「腹も減ったし、そろそろ食堂に行こうと思ってる。ルミカも良かったら」
「しょ、食堂にですか? え、えっと……まだ行かないほうが。その……今はちょっと」
「今はって……何かトラブルでもあったのか」
「そ、そうなんです! だからもう少し時間を空けてから行ったほうが良いかもしれません」
バレバレの見え透いた嘘。どんなトラブルなのかと内容を聞かれたら、その先のことはもう考えられない。
嘘を吐くのが苦手な私にダリアスさんは「そうか」と短く返した。
不自然な会話はここで途切れてしまった。
どこか気まずい空気が私たちの間に流れる。リアムくん。やっぱり私には荷が重すぎるよ。
ダリアスさんは黙々と書類を片付けている。
端正な横顔に少し疲れが見えていた。あれからずっとほぼ缶詰めだったのかと思うと気の毒とさえ思えてくる。組織の上に立つものとして事務作業もこなさなければいけない。最近は空に現れた黒い星の一件もあって、忙しさに拍車がかかっている。だからせめてお休みの日はゆっくり過ごしてほしい。
「ダリアスさんは」
そう切り出した私の声は不自然な程に枯れていた。喉の奥がカラカラに乾いていて、何度も小さな咳払いをして声を調える。
「お休みの日はどう過ごしてるんですか」
「そうだな……外に出掛けることが多いかもな。市場を見て歩いたり、骨董品見たりもするし。観劇も見に行く」
私の突拍子もない質問にも丁寧に答えてくれる。怪しまれているんだろうけど、後で理由を話せばわかるきっと大丈夫。ダリアスさんならわかってくれる。
「活動的なんですね」
「実家が商家だからな。そういうのに目を向けろ、耳を傾けろって言われてきたんだ。今じゃ良い息抜きになってる。ルミカは休みの日は何してるんだ。こっちの世界と住んでた世界とじゃ色々勝手が違うだろ」
「私は家でお菓子を焼いたり、植物園や水族館に行ったり……ふらっと街にショッピングに出掛けることも多かったです。今はバンガード市内の雑貨屋さんを覗いたり、喫茶店でのんびり本を読みながら過ごすことが増えました」
「ルミカも充分活動的だって。……今日も誰かと出掛けてきたのか?」
私の方に顔を向けていたダリアスさんの視線が僅かに外れた。どこか不機嫌な様子にすら感じた。それがどうしてなのかわからなくて、思わず聞き返す。
「いや、手伝いが終わったら慌てて出て行っただろ。誰かと約束してんのかなって。デートとか」
「えっ。そ、そんな約束してません。急いでいたのは他に理由があって、それで」
確かにお仕事の手伝いが終わった後、急いで周りを片付けて飛び出すように執務室を出た気がする。傍から見てもバタバタしていたんだと思う。だから、忘れ物したんじゃないかって思われたんだろう。
誰かとデートしていたんじゃないかって、ダリアスさんに思われているんだ。そうじゃない、誤解を解きたい。
私はトートバッグの肩ひもをぎゅっと握った。あれこれ言い訳するよりも、行動に移してしまった方がきっと良い。
トートバッグからそっと取り出した長方形の小さな箱を私はダリアスさんに差し出した。青い花びらの飾り細工が小刻みに震える。
「ダリアスさんお誕生日おめでとうございます。良かったらプレゼント、貰ってください」
私が一気にそう言うと、澄んだ蜂蜜色の目が丸く見開いた。
仰々しく化粧箱に入れてラッピングをしたけど、大したものじゃない。だから、気に入ってもらえるかわからない。なにせ自分で何かを作るのは初めてだったから。
喜んでもらえたらいいな。そう零しながら細かいパーツを繋ぎ合わせていた。「心が籠ったものなら喜ばれるよ」と背中を押されながら。
箱を受け取ったダリアスさんはまるで意表を突かれたかのように呆然としていた。サプライズの反応は特に期待していなかったから、ここまで意外そうにされるとこっちもどんな顔をすればいいのかわからなくなる。
「夢じゃない、よな」
暫くその箱を見つめた後、ぽつりとそう呟いた。
「祝ってくれただけでも嬉しいってのに、プレゼントまで貰えるとは思ってなかった」
「……実はそれを用意する為に急いでたんです。どうしても今日中にプレゼントを贈りたくて。その、大したものじゃないんですけれど」
「そうだったのか。……昼間にメイレンとクーンが来たんだ。ルミカがお洒落してたからこれからデートなんじゃないかって話してて」
お昼にここを出た後、廊下でその二人とすれ違った。挨拶程度の会話しか交わしていない。それに、お洒落と言ってもリップカラーを偶々変えただけ。今朝、ダリアスさんとアーサーさんに「似合ってるよ」と褒められたから嬉しかった。でも、そんなことで。
私はふるふると首を横に降った。
「デートだなんて。そんな相手、いないです」
「それ聞いてちょっと安心した。なんか俺の早とちりだったみたいだ。……我ながら余裕ねぇな。笑っちまうぜ。それはともかく、開けてもいいか?」
「はい」
グローブの指先がゆっくりと箱のフタを持ち上げる。中身が見えるその瞬間までドキドキしていた。
黒のガラスビーズに水色と澄んだ橙色を繋ぎ止めて、最後に真っ白なフェザーパーツを取り付けたシンプルな一連ストラップ。
ダリアスさんはストラップの紐を指で摘み上げて、じっとそれを見つめていた。私自身が見られているわけじゃないのに、すごく緊張してしまう。
「え、えっと……ダリアスさんのイメージカラーで作ってみたんです。羽根は運気の上昇って意味があるみたいで、だから……お守りみたいな感じで使ってもらえたら」
初めて作ったものだから、作りが甘いところがあるかもしれない。それに、こういうのは趣味じゃないかも。色々な不安が渦巻きそうになったその時、聞こえてきた「すごいな」という感嘆の声。
「こういう細工物って手先が器用じゃなきゃ出来ないだろ。それに、わざわざ俺の為に作ってくれたんだ。嬉しいに決まってる」
「すごいな」って声が聞けただけでも私は満足で頬が火照るのに。
「イメージカラーってのも初めて貰ったし、なんかくすぐったい。でも、俺のことそれだけ見てくれてるってことだよな」
少し照れた風に笑う貴方を見て、胸が高鳴る。喜んでもらえて良かった。ただ、その冥利に尽きた。
「喜んでもらえて私も嬉しいです」
「礼を言うのはこっちの方だ。大切にするよ」
いつの間にか私たちの間に流れる空気はいつもの物に戻っていた。ダリアスさんと過ごす時間に感じる居心地の良い空気。
それから間もなくしてドアをノックする音とリアムくんの声が聞こえた。強張っていた私の肩からすっと荷が降りる。
「ダリアス。ちょっと食堂まで来てほしいんだ」
「トラブルはもう解決したのか?」
「うん。もう大丈夫。早く来てくれないと今度は別の問題が発生しそうで……急いで来てほしいんだ」
「わかった」
ダリアスさんが執務室の灯りを消す為に離れた隙に私はリアムくんに耳打ちをするように訊ねた。
「リアムくん、別の問題って」
「用意したご馳走にキャンディが今にも飛びつきそうで」
「大変。全部食べられちゃう前にダリアスさんを案内しないと」
「うん。ルミカもプレゼント無事に渡せたみたいで良かった」
「う、うん」
にっこりとあどけない笑みを浮かべるリアムくん。もしかしたら、私がプレゼントを渡す時間を作ってくれたのかもしれなかった。
「よし。火の元は始末した」
「それじゃあ行こう。ダリアス、なんかご機嫌だね」
「ああ。最高の誕生日を迎えられたからな」
そう言ってダリアスさんは私の方にも笑いかけてくれた。
「ダリアス、君にプレゼントが届いてるぞ」
執務室の入口に現れたアーサーさんは大きなカゴを抱えていた。カゴにはフルーツや四角い包み、様々なお菓子が山盛りになっている。
それを見たダリアスさんは「みんな律儀だな」と少し嬉しそうにしながら言った。市民の皆さんからいつもの差し入れだと私は思っていたんだけど、どうやらそうじゃなかったみたい。
「みんな俺の誕生日なんてどこで知ったんだ」
「リアムだろうね。さっきアーニャと一緒に誕生日プレゼントを買いに行くって言ってたし。行く先々で話してるんじゃないかな」
私は二人が話す前で固まりかけた。
ダリアスさんの誕生日。今初めて知った情報。好きな人の誕生日を当日知ることになるなんて。アーサーさんは知っていたみたいだ。もしかしたらクラヴィスの人たちはみんな知っていたのかもしれない。私が知らなかったなんて言ったら幻滅されてしまうかも。でも、今はそのことでショックを受けている場合じゃない。
「……ダリアスさん、お誕生日だったんですね。おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
きっと朝から色んな人たちにお祝いの言葉を貰っているに違いない。そうだとしても、取って付けたような私の言葉ですらダリアスさんは喜んで受け取ってくれた。
前もって知っていればプレゼントを準備することが出来たのに。今からでも何か用意できないだろうか。
私は壁に掛けてある時計をちらりと見上げる。あと一時間でお昼休憩。今日は午前中だけのお手伝いということになっている。午後から雑貨屋を覗く時間がありそうだ。
そこで何か素敵な物が見つかりますように。
私はダリアスさんとアーサーさんが談笑するのを視界に入れながら、テーブルに置かれた市民からの依頼書の束を手に取った。
◇
バンガード市内にある雑貨屋は大きくジャンルが二つに分かれている。
冒険者用と一般市民用の二つ。前者は役立つアイテムや傷薬、鉱石が多く取り揃えられていて、後者は私の世界でもよく見る小物を扱う。私は小物を扱う雑貨屋に赴いていた。
お洒落な置き時計、動物を模った置物、ストームグラス、小さなグラスにゼリーボールで植えられた観葉植物。他には女性が喜びそうなネックレスやイヤリング、ピアスが沢山取り揃えられていた。
黒い宝石が埋め込まれた金装飾の腕輪。宝石の中にキラキラと虹のような輝きが見えた。綺麗だなと思って値札に目を落とす。金額に驚くあまりに手が震え、そっと元の場所に腕輪を戻した。どうやらブラックオパールという石はとても貴重な石みたいだ。
店内をぐるりと周るのはこれで何度目か。
いいものが見つからない。視点を変えて別のお店を見に行った方がいいのかも。
この店でプレゼントを見つけることを諦めかけた時だった。「ルミカちゃん?」と私の名前を呼ぶ女性の声。振り返ると、霧華お姉ちゃんが笑いながら私に手をひらりと振ってくれた。
「霧華お姉ちゃん」
「久しぶり。元気そう……でもない? 何かあった?」
「えっと、実は」
傍目に分かるほど私は浮かない表情をしていたんだろう。心配そうに訊ねられてしまった。
ひとりで思い悩んでも堂々巡り。誰かに相談を持ち掛けた方が打開策は見つかると思う。この世界、そしてクラヴィスに来てから学んだことのひとつだ。
私は同じ世界から来た霧華お姉ちゃんに悩みを打ち明けた。昔から聞き上手のお姉ちゃんは私の話に相槌をうんうんと打ってくれる。
「なるほど。ダリアスさんの誕生日が今日だって知って、そのプレゼント選びに悩んでるわけだね」
「うん。何がいいかなぁって。気づいたらお店に一時間くらいいて」
「んー……ダリアスさん好みのものかぁ」
「やっぱり冒険者向けの方がいいかな。でも、それだと普段の差し入れと変わらない気もして」
「だよねぇ。私、普段モウゼスにいるからダリアスさんが好きそうな物わからないし。ボルカノさんだったら赤系の物喜びそうなんだけど」
嫌味を含ませた様子もなく、霧華お姉ちゃんは朗らかにそう言った。
南モウゼスの朱鳥術士ボルカノ。三百年以上前に北モウゼスの玄武術士ウンディーネとある物で争った。モウゼス中央にある井戸の奥深くに眠っていた魔王の盾。
この世界線の史実では北の術士に軍配が上がったらしい。でも、霧華お姉ちゃんがいた世界線では二人とも生きている。モウゼスを訪れた際にそう話してくれた。色々あったらしい。九死に一生を得るような話を霧華お姉ちゃんは軽いノリで話すものだから。聞いているこっちが顔を青ざめてばかりだった。
以前はバンガードで異界の戦士をサポートしていたらしい。今はボルカノさんと一緒にモウゼスでお弟子さんたちと暮らしている。
「あ、そうだ! 自分で何か作ってみたらどうかな」
「お菓子、とか?」
「それもいいし、手作りのアクセ……例えばストラップとかそういうのでも」
「ストラップ……今から作って間に合うかな」
私はお菓子や料理ならまだしも、小物やアクセサリーを作る知識は殆ど持ち合わせていない。その点、霧華お姉ちゃんは手先が器用で色々と作りだしていた。この世界のアイテム『火星の砂』も作れる。用途を聞けば、綺麗な見た目とは裏腹に結構物騒な物でびっくりした。
「ストラップなら一時間くらいで作れるよ。作り方教えてあげる」
「いいの? でも、モウゼスに戻るの遅くなっちゃう」
「今日はこっちに泊まる予定で来てるんだ。だからどれだけボルカノさん待たせても大丈夫。よーし、それじゃあ材料探しにレッツゴー!」
霧華お姉ちゃんは悩む私の背中をいつも押してくれる。
昔、花瓶を落として割ってしまった時もそう。怒られるのが怖くてぐずっていたら、私の頭をよしよしと撫でてくれて、一緒に謝りに行ってくれた。
近所に住んでいた三つ年上のお姉ちゃん。いつも一緒に遊んでくれた大好きなお姉ちゃん。中学生になる少し前に引っ越すことになって、大泣きして引き留めた記憶が今でも残っている。
だから形はどうであれ、こうして大人になってから再会出来たことがすごく嬉しかった。
こうして手を繋いで歩くのも、振り返る霧華お姉ちゃんと楽しくお喋りするのも。私の胸は懐かしさで胸がいっぱいになった。
◇◆◇
ああ、すっかり遅くなってしまった。
私は日が暮れて薄暗くなったクラヴィス本部の廊下を急ぐ。廊下を点々とした灯りが照らす。恐怖を助長するまでとはいかないけど、現代文明の明るさに慣れている私にはちょっとだけこの薄暗さが怖い。だから、夜はあまり出歩かないようにしていた。
食堂に向かう途中、反対側から誰かの足音が響いてきた。それは私と同じように急ぎ足のもので、間もなくしてその足音の主と顔を合わせた。
「ルミカ!」
「リアムくん。こんばんは」
「こんばんは。良かった、丁度探してたんだよ」
「私を? どうしたの」
「昼間、アーニャから話は聞いていると思うんだけど。ダリアスのバースデーパーティーやるって」
私は頷いた。
あれから霧華お姉ちゃんとストラップに使うパーツを探して、自室でずっと作業をしていた。初めて使う専用の道具が中々使い慣れなくて手間取っていた時だ。ダリアスさんのバースデーパーティーを開くから、私にも手伝ってほしいとアーニャが声を掛けに来てくれた。
せっかくのお誘いだし、手伝いに行きたかった。でも、プレゼント制作が間に合わないかもしれない。悩む私の手元を控えめに覗いてきたアーニャが「ダリアスさんのプレゼント?」と首を傾げた。少しだけ気恥ずかしくて、返事に戸惑っていると「そうだよ」と私の代わりに霧華お姉ちゃんが返してくれた。
「終わったらすぐ手伝いに行くね」と申し訳ない気持ちになりながら私も返す。アーニャは静かに首を横に振って「大丈夫。こっちは私たちに任せて。ダリアスさん、喜んでくれるといいね」とふわりと笑ってくれた。
「夕飯までには間に合わせようってみんなで準備してるんだけど、ちょっとまだ時間がかかりそうなんだ」
「うん。私も今から手伝いに行こうと思ってたの」
「助かるよ。じゃあ、ルミカはちょっとの間ダリアスを足止めしておいてくれないかな」
まだ執務室にいると思うから。リアムくんはさらりとそう言った。
私は会場になる場所の手伝いをするつもりでいた。料理のセッティングや飾り付け。それがまさかの主役を足止めすることを頼まれてしまった。
「私にそんな大役務まるかな」
「ルミカが適任なんだよ。準備が終わったら迎えに行くから。それじゃあ、よろしく!」
リアムくんは口早にそう伝えると、また早足で私の前から去ってしまった。
私にそんな大役が務まるかな。
ひとり残された私は心の中で呟く。お喋りでもして時間を稼げばいいのかな。でも私はそんなにお喋りが得意じゃない。
私は廊下の真ん中でくるりと踵を返した。もと来た道を進む足取りは心なしか重い。
何を話そう。話題のことばかりを考えながら歩く。仕事、趣味、黒い星、キャンディのこと。
執務室に着くまではあっという間だった。ドアの隙間から漏れる僅かな光。物音が室内から聞こえてくる。ダリアスさん、それともしかしたらアーサーさんがいるかもしれない。誰かと一緒なら、話が膨らむかも。
後者の期待を膨らませ、私はドアを静かにノックした。心臓が高鳴っている。間もなくして返事がした。
私は固唾を飲み、ドアノブに手を掛ける。
「失礼します」
広い執務室にいたのはダリアスさんだけだった。淡い期待は泡沫に消え、私の姿を見ればすぐに足元に駆け寄ってくるキャンディの姿も無い。ダリアスさんとふたりきりだ。
彼は手元の書類を纏め終えたところのようで、書類の束をファイリングしている途中だった。顔を上げたダリアスさんの表情は少し驚いているようにも見えた。
「どうした? 忘れ物でもしたのか」
「あ、えっと……忘れ物というか、その。だ、大丈夫です」
忘れ物はしていないはず。あれから半ば上の空で午前中は仕事をしていたけれど、気に留めるミスや気がかりなこともないはず。
それよりもこの時間まで仕事をしていたのかと思うと、午前で切り上げたのが申し訳なくなってくる。私だったら誕生日に残業するのは嫌だもの。
「気が利かなくてすみません」
「ん? 何がだ」
「もう少し手伝って行けば良かったな……って」
「……あー。これはちょっとな。色々気が散ったせいで遅くなっちまったんだ」
私が気にすることじゃないよ。そうやんわりと言ってくれたダリアスさん。苦笑いを浮かべていた。
「腹も減ったし、そろそろ食堂に行こうと思ってる。ルミカも良かったら」
「しょ、食堂にですか? え、えっと……まだ行かないほうが。その……今はちょっと」
「今はって……何かトラブルでもあったのか」
「そ、そうなんです! だからもう少し時間を空けてから行ったほうが良いかもしれません」
バレバレの見え透いた嘘。どんなトラブルなのかと内容を聞かれたら、その先のことはもう考えられない。
嘘を吐くのが苦手な私にダリアスさんは「そうか」と短く返した。
不自然な会話はここで途切れてしまった。
どこか気まずい空気が私たちの間に流れる。リアムくん。やっぱり私には荷が重すぎるよ。
ダリアスさんは黙々と書類を片付けている。
端正な横顔に少し疲れが見えていた。あれからずっとほぼ缶詰めだったのかと思うと気の毒とさえ思えてくる。組織の上に立つものとして事務作業もこなさなければいけない。最近は空に現れた黒い星の一件もあって、忙しさに拍車がかかっている。だからせめてお休みの日はゆっくり過ごしてほしい。
「ダリアスさんは」
そう切り出した私の声は不自然な程に枯れていた。喉の奥がカラカラに乾いていて、何度も小さな咳払いをして声を調える。
「お休みの日はどう過ごしてるんですか」
「そうだな……外に出掛けることが多いかもな。市場を見て歩いたり、骨董品見たりもするし。観劇も見に行く」
私の突拍子もない質問にも丁寧に答えてくれる。怪しまれているんだろうけど、後で理由を話せばわかるきっと大丈夫。ダリアスさんならわかってくれる。
「活動的なんですね」
「実家が商家だからな。そういうのに目を向けろ、耳を傾けろって言われてきたんだ。今じゃ良い息抜きになってる。ルミカは休みの日は何してるんだ。こっちの世界と住んでた世界とじゃ色々勝手が違うだろ」
「私は家でお菓子を焼いたり、植物園や水族館に行ったり……ふらっと街にショッピングに出掛けることも多かったです。今はバンガード市内の雑貨屋さんを覗いたり、喫茶店でのんびり本を読みながら過ごすことが増えました」
「ルミカも充分活動的だって。……今日も誰かと出掛けてきたのか?」
私の方に顔を向けていたダリアスさんの視線が僅かに外れた。どこか不機嫌な様子にすら感じた。それがどうしてなのかわからなくて、思わず聞き返す。
「いや、手伝いが終わったら慌てて出て行っただろ。誰かと約束してんのかなって。デートとか」
「えっ。そ、そんな約束してません。急いでいたのは他に理由があって、それで」
確かにお仕事の手伝いが終わった後、急いで周りを片付けて飛び出すように執務室を出た気がする。傍から見てもバタバタしていたんだと思う。だから、忘れ物したんじゃないかって思われたんだろう。
誰かとデートしていたんじゃないかって、ダリアスさんに思われているんだ。そうじゃない、誤解を解きたい。
私はトートバッグの肩ひもをぎゅっと握った。あれこれ言い訳するよりも、行動に移してしまった方がきっと良い。
トートバッグからそっと取り出した長方形の小さな箱を私はダリアスさんに差し出した。青い花びらの飾り細工が小刻みに震える。
「ダリアスさんお誕生日おめでとうございます。良かったらプレゼント、貰ってください」
私が一気にそう言うと、澄んだ蜂蜜色の目が丸く見開いた。
仰々しく化粧箱に入れてラッピングをしたけど、大したものじゃない。だから、気に入ってもらえるかわからない。なにせ自分で何かを作るのは初めてだったから。
喜んでもらえたらいいな。そう零しながら細かいパーツを繋ぎ合わせていた。「心が籠ったものなら喜ばれるよ」と背中を押されながら。
箱を受け取ったダリアスさんはまるで意表を突かれたかのように呆然としていた。サプライズの反応は特に期待していなかったから、ここまで意外そうにされるとこっちもどんな顔をすればいいのかわからなくなる。
「夢じゃない、よな」
暫くその箱を見つめた後、ぽつりとそう呟いた。
「祝ってくれただけでも嬉しいってのに、プレゼントまで貰えるとは思ってなかった」
「……実はそれを用意する為に急いでたんです。どうしても今日中にプレゼントを贈りたくて。その、大したものじゃないんですけれど」
「そうだったのか。……昼間にメイレンとクーンが来たんだ。ルミカがお洒落してたからこれからデートなんじゃないかって話してて」
お昼にここを出た後、廊下でその二人とすれ違った。挨拶程度の会話しか交わしていない。それに、お洒落と言ってもリップカラーを偶々変えただけ。今朝、ダリアスさんとアーサーさんに「似合ってるよ」と褒められたから嬉しかった。でも、そんなことで。
私はふるふると首を横に降った。
「デートだなんて。そんな相手、いないです」
「それ聞いてちょっと安心した。なんか俺の早とちりだったみたいだ。……我ながら余裕ねぇな。笑っちまうぜ。それはともかく、開けてもいいか?」
「はい」
グローブの指先がゆっくりと箱のフタを持ち上げる。中身が見えるその瞬間までドキドキしていた。
黒のガラスビーズに水色と澄んだ橙色を繋ぎ止めて、最後に真っ白なフェザーパーツを取り付けたシンプルな一連ストラップ。
ダリアスさんはストラップの紐を指で摘み上げて、じっとそれを見つめていた。私自身が見られているわけじゃないのに、すごく緊張してしまう。
「え、えっと……ダリアスさんのイメージカラーで作ってみたんです。羽根は運気の上昇って意味があるみたいで、だから……お守りみたいな感じで使ってもらえたら」
初めて作ったものだから、作りが甘いところがあるかもしれない。それに、こういうのは趣味じゃないかも。色々な不安が渦巻きそうになったその時、聞こえてきた「すごいな」という感嘆の声。
「こういう細工物って手先が器用じゃなきゃ出来ないだろ。それに、わざわざ俺の為に作ってくれたんだ。嬉しいに決まってる」
「すごいな」って声が聞けただけでも私は満足で頬が火照るのに。
「イメージカラーってのも初めて貰ったし、なんかくすぐったい。でも、俺のことそれだけ見てくれてるってことだよな」
少し照れた風に笑う貴方を見て、胸が高鳴る。喜んでもらえて良かった。ただ、その冥利に尽きた。
「喜んでもらえて私も嬉しいです」
「礼を言うのはこっちの方だ。大切にするよ」
いつの間にか私たちの間に流れる空気はいつもの物に戻っていた。ダリアスさんと過ごす時間に感じる居心地の良い空気。
それから間もなくしてドアをノックする音とリアムくんの声が聞こえた。強張っていた私の肩からすっと荷が降りる。
「ダリアス。ちょっと食堂まで来てほしいんだ」
「トラブルはもう解決したのか?」
「うん。もう大丈夫。早く来てくれないと今度は別の問題が発生しそうで……急いで来てほしいんだ」
「わかった」
ダリアスさんが執務室の灯りを消す為に離れた隙に私はリアムくんに耳打ちをするように訊ねた。
「リアムくん、別の問題って」
「用意したご馳走にキャンディが今にも飛びつきそうで」
「大変。全部食べられちゃう前にダリアスさんを案内しないと」
「うん。ルミカもプレゼント無事に渡せたみたいで良かった」
「う、うん」
にっこりとあどけない笑みを浮かべるリアムくん。もしかしたら、私がプレゼントを渡す時間を作ってくれたのかもしれなかった。
「よし。火の元は始末した」
「それじゃあ行こう。ダリアス、なんかご機嫌だね」
「ああ。最高の誕生日を迎えられたからな」
そう言ってダリアスさんは私の方にも笑いかけてくれた。