軽率なコラボシリーズ
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懐かしい色
その青色と、まだ幼さの残る顔を見たのは久方ぶりであった。
教室に程近い場所で柳色の髪を目にした時は、二年生にそんな生徒がいたかと。最初こそはそう思ったのだが。
あれはどこからどう見ても、三郎次だ。
今よりもだいぶ短い髷を左右に揺らし、校庭をきょろきょろと見渡している。
その表情はどこか不安げでいた。
一体全体こんなことがあるというのか。
私は先程そこで三郎次と分かれたばかりだ。野村先生に用があるからと職員室へ向かったはずなのに。
何故か二年生の制服を纏いし三郎次がそこにいる。三郎次は御年十九歳になるので、有り得ない。
いや、以前私や不二子さんも幼子の姿を現したというのだから。強ち有り得ないとも言い切れない。
その場で悩みに耽る私に気がついたのか、三郎次と思わしき生徒の視線が注がれた。
ぱたぱたと足音を立てて駆け寄ってくる。
「葉月先輩! 良かった。知ってる顔がいらっしゃった」
元から低めの調子であったその声。声変わり前の声を聞くのも久しぶり過ぎる。
私はこの三郎次の顔をじっと見つめ、誰かの変装ではないことを確かめた。軽く引っ張った頬は生身そのもの。
出会い頭に頬を引っ張られるとは考えてもいなかったのだろう。その目が驚いてまん丸に見開かれた
「な、何をされるんですか」
「いや、すまない。……三郎次、だな?」
「え……どうしちゃったんですか、先輩。まさか僕の顔、忘れたとか」
おかしなことを聞くのだと思ったんだろう。
実際、私もおかしなことを聞いたと思った。
眉を下げ、不安そうに私を見上げるものだから。膝を折り、その小さな頭を撫でる。
「忘れておらんよ」
「良かった。それより、ここって忍術学園で間違いないですよね……?」
「と、言うと」
「さっきから知らない顔ばかり見るんです。一年生にあんなやついたかなとか、先輩方も知らない人ばかりで。一番目立つはずの滝夜叉丸先輩も見掛けないし。だから、葉月先輩がいらっしゃって良かったぁと思ったんですけど」
「……三郎次は此処へ来る前、何をしていたか憶えているか?」
「僕は裏山で左近たちと」
三郎次がそう言いかけた時だ。
消された足音。背後に近づく気配が二つ。
やおら振り向くと、そこには桜木先輩と若王寺先輩がいらっしゃった。
二人は三郎次と私とを交互に何度も見比べた後、桜木先輩が真顔でこう尋ねた。
「勘兵衛。……今、何年だっけ」
「言いたいことはわかるが、一先ず落ち着け清右衛門」
「いや、最近時が経つのは早いと感じていたから」
「それもわからんでもないが」
「お二人とも。よもや私の子だと思われていないでしょうね」
「違うのか」
「この子は三郎次ですよ」
この年齢の子がいるというなら、私が十一の時の子となってしまうんですよ。
「三郎次……言われてみれば、確かに」
「一体どういうことだ」
先輩方は私の隣に視線を向けた。
穴が空きそうな程に見つめられても、三郎次は物怖じせずにお二人の顔を見上げていた。
「……桜木先輩と若王寺先輩、ですよね?」
七年の時が経過した上でこの正答。
お二人の特徴を良く捉えていたのと、正しい記憶を持ち合わせていた。流石だな三郎次。
「紅蓮、何を誇らしげにしているんだ」
「こちらの話ですので、お気になさらず」
「そうか。それで、これはどういうことなんだ」
眉間に皺を寄せた若王寺先輩は腰を屈めて三郎次と視線を合わせた。
目をぱしぱしと瞬かせた三郎次が口元を引き攣らせ、半笑いを浮かべる。
「そんなに見つめられると穴が空いちゃいそうです」
「……」
「これは前にもあったのですが、恐らく三郎次が一時的に退行してしまったのかと思われます」
「前にもあった」
眉を密かに寄せた桜木先輩は顎を擦る。
「はい。私と不二子さん、それに兵助も同じようなことがありまして」
「……前にも、あった? 同じ様なことが?」
御自分の台詞に疑問符をつけ、唸る若王寺先輩の眉間に殊更深い皺が刻まれた。
これ以上説明の仕様がないのですよ。
「この学園いつも何か起きてるな」軽く笑った桜木先輩の視線がすっと先を捉え「それが三郎次だと言うのならば、そこに立ち尽くしてるのは三郎次ではないのか?」と言った。
三郎次がいた。
私が先程廊下で分かれた際に見た姿のままの三郎次が。
信じ難いものを目の当たりにし、言葉を失い固まっている。
そして、私たちの会話から察したのだろう。二年生の三郎次もあれが数年後の自分だと理解したようであった。
「……どういうことですか、これ」
それは私が聞きたいよ。
◇
「……つまり、三郎次は裏山で川西たちと隠れんぼをしていた。その際、身を隠した小さな祠で奇妙な音を聞いたと。そしていつまで経っても探しに来ないので、辺りを彷徨いた」
私たちは校舎の壁際に腰を下ろし、こうなった経緯を探ることにした。
左にはかつての三郎次。反対側には現在の三郎次がいる。後にも先にも奇妙な構図はこれきりだろう。
私が簡潔に経緯を纏めると、小さな頭が縦に振ってみせた。
「はい。久作が鬼だったんですけど、全然探しに来なくて。おかしいなぁと思ってこっちから探しに行ったんです。……でも、どこにもいなくて。もしかしたら先に帰ったのかもと」
「それで山を下り忍術学園まで戻ってきたはいいが、周りは知らない顔ばかり」
「……はい」
その頭が今度はしゅんと項垂れた。
致し方あるまい。自分が過ごした時代から七年も先に転がり込んでしまったのだから。
私たちが偶然いたから良いものの。風景は見覚えあれども見知らぬ顔ばかりでは不安が勝る。
「僕、これからどうしたら良いんでしょうか」
「案ずるな。私たちが何とかする」
「葉月先輩」
「そうだぞ。大船に乗ったつもりでいろよ。お前が元の時代に帰らないと何が起きるかわからないんだし」
と、三郎次も現状をすんなりと受け入れていた。
学園で多々起きる摩訶不思議な現象に慣れていないのはこのお二人の方。
特に若王寺先輩はこの事態を受け入れ難いと言わんばかりに顔を顰めっぱなしでいた。
「勘兵衛。そんなに皺を寄せてると取れなくなるぞ」
「……お前はこの摩訶不思議で有り得ない状況を受け入れるのか」
「現に起きている。現実に起きていることを寛容に受け止めなければ」
穏やかに微笑む様はまさに菩薩のよう。
この柔和な表情に騙される者は数しれず。舐めてかかれば夜叉に返り討ちとされてしまう。
さらに先代の先輩が桜木先輩に痛い目に遭わされていたのを私は目にしたことがあった。
「それにしても」
三郎次が小さな目を先輩方に向ける。
「先輩方だとは分かったんですけど、忍務で妖者の術をされているのかと最初は思いました。お二人とも何て言うか、老け」
私がその口を塞ぐよりも先に手が横切った。
十八の三郎次が過去の自分の口を素早く手で塞いでいた。その顔は焦りの色に染まっている。
「一言多いっ!」
何を口にするか察したのだろう。
歳は違えど、中身は同じ。
ちらと先輩方の様子を窺い見れば「それはそうだ」というお顔。そして片や笑みを崩さずにいる。
三郎次は過去の自分をぐいと引き寄せ、胡座の上に座らせた。また「一言が多い」場面があれば直ぐに黙らせられるようにと。
しかしだ。こうして見ると体格差が歴然としている。本当に立派になったものだ。
「そうしていると兄弟。いや、親子みたいだ」
三郎次たちだけではなく、その目は広く私も含めての発言のように捉えられた。
まあ、そう見えなくもないのだろう。
「此処が七年後だというのは分かりました。葉月先輩は歳を重ねられても変わらずカッコいいということも」
「言うなぁ三郎次」
「完全に贔屓目だな」
「当たり前だろ」とまだ年若い自分の頭を押さえるようにした三郎次は私の方をちらと見た。
「先輩は昔も今もカッコいいんだ。だからそこは心配しなくていい」
「先輩」と呼ばれるのも久しいものであった。
初めて実名で呼ばれた時とはまた違う面映ゆさ。そこへ懐かしさも相まり、笑みが自然と零れ落ちた。
私たちの関係性は内密にしてもらいたい。
三郎次及び先輩方にこそりと耳打ちをしておいた。
未来のことを知り過ぎては過去の三郎次に悪影響を与えかねない。何かが変わってしまう可能性も捨てきれないのだから。
「ああ、そうだ紅蓮」
「なんでしょうか」
「さっきの件は承知したが、こっちはどうする」
新たに増えた二つの気配。
いち早く久々知夫妻の足音に気づかれた桜木先輩と共に私は右方へ振り向いた。
不二子さんの手を引いた兵助が「こんな所でどうしたんですか」と何食わぬ顔で尋ねてくる。
我々の顔を見渡し、はたと目を留めた先には膝上にいる青の制服を纏った三郎次。
目を豆腐のように――元から豆腐のよう目をしているか――して二人の三郎次をじっと見ていた。
「池田くんと……三郎次くんだ」不二子さんは愕然とした様子で口をぽかんとさせ、こちらもやや豆腐に近い目をする。
気のせいだろうか。顔つきも似てきたのは。夫婦は互いに似てくるとは良く聞く話である。それにしてもだ。いつか兵助が二人になってしまわないか心配である。
「久々知先輩、ですよね?」
当然、驚いたのはこの二人だけではない。
三郎次の視線が兵助の頭から爪先までを二度往復した後「その格好、もしかして」と続けた。
「ああ。先生だよ、忍術学園の」
「意外です。久々知先輩はてっきり城勤めだと思っていたので」
「まあ、色々とあってね。それより、どうして三郎次と三郎次がいるんですか先輩」
「斯々然々でな。それはそうと兵助」
私はその先の言葉を矢羽音と視線で兵助に告げた。迂闊なことを喋らぬように、と。
兵助はこくりと頷いてみせたが、些か不安が残るのは何故だろうか。
「三郎次くんこんなに小さかった?」
「小さいは余計です」
「だって、そうしてるとビフォーアフター過ぎて」
「比べてみると確かにそうかもなぁ。不二子さんの言う通りだ」
「七年も前なんだから当たり前でしょう。お前もむくれるなって。ちゃんとこうしてデカくなってるんだから」
三郎次が昔の自分を冷静に宥める。稀な事態とはいえ、この光景は貴重に思えてきた。
年齢は違えど、同じ人間。反発するかと思いきや存外穏やかで。
まるで仲睦まじい兄弟を見ているようだった。
私が二人の三郎次を微笑ましく見守っている脇で「ところで、何故手を繋いできたんだお前たちは」と若王寺先輩がついに尋ねた。
先輩方は既に久々知夫婦の洗礼を受けているはず。
講師依頼で学園にも訪れる機会が増えたと聞いた。こういった光景は何度も目にしていると思うのだが、それでも未だ慣れないというかツッコミを入れずにはいられないのだろう。
「仲睦まじいのは良いことだ」片や既に慣れてしまった方はただ笑みを携えていた。
「昨日、授業で塹壕や落とし穴を掘ったと聞いたので。不二子さんがそれに落っこちないようにと」
「……その一帯を避ければいいだけの話ではないのか」
「それは野暮だぞ勘兵衛。まだ新婚なのだから手を取り合っていたいこともあるだろう」
「私が見掛けたのは手を取り合うどころではなかったのだが」
「まあ、兵助だからな。そこはもう仕方がない」
先輩にまで仕方がないと言われているぞ兵助。
まあ、憎まれないのも人となりであり、それが忍務に役立つこともあるか。
そこで私は三郎次が酷く考える仕草と表情をしていたことに今更気がついてしまった。
この小さな耳に「新婚」という言葉はしっかりと届いてしまっているのだろう。
兵助がなんやかんやあって、紆余曲折の末に不二子さんを嫁に迎え入れたという話も今は伏せて置いた方が良い。どう話を逸らすか。
「ああ、三郎次。紹介が遅れてしまったけど、こちら俺のお嫁さんの不二子さん」
「え」
「兵助っ!」私は思わず声を荒げた。
こいつ私の話を全くもって聞いていないではないか。しかも良い笑顔かつ悪びれた様子もない。
ひと睨みしたところでそれに変化などあるはずもなく。
「いや、この方が良いかなぁと思って。将来が確約されるかもしれないし」
「三郎次に伝えたところで何も変わらんだろう。紅蓮もそう気を立てるな」
「しかし」
「その証拠に、過去の三郎次は一つも驚いていないじゃないか」
渋い表情をした三郎次。ではなく、もう一人の三郎次は「そうなんだ」と言いたそうにしているだけであった。
私が女だと明かした日よりもかなり反応が薄い。
「まあ、そうなったかぁって思いました。不二子さん久々知先輩に懐いてたし」
「そんなに懐いてた私……?」
「懐いてるじゃないですか。久々知先輩も甘やかしてたし」
それは昔から何も変わっておらんよ。
「それにしても」三郎次が不二子さんの顔をじっと眺めた。何か、嫌な予感がする。
同様に察した三郎次がその先を言わせまいと再び手のひらで口を覆う。先程より強めに。
「んぐっ」
「え、何?」
「いえ、大したことではありませんよ。この三郎次も不二子さんと兵助が共に居ることを喜ばしく思っているそうです」
三郎次の一言を要約してそう伝えれば兵助の顔がだらしなく緩んだ。そして愛しい人の手を強く握り返す。
その傍らに笑いを必死に堪えていらっしゃる先輩方の姿。顔を背け、肩を静かに震わせている。
御二方は三郎次が何と口にしようとしたかわかっているのだろう。
私はその場に膝を立て、三郎次に呼び掛けた。
「はい!」
返事が早かったのはあの日の三郎次であった。
羨望の眼差しを携えた顔。懐かしくもあり、微笑ましくもある。こんなにも慕ってくれていたんだと。
胸の奥が陽射しを受けたように暖かくなる。
「お前が話した祠の辺りに行ってみよう。何もせずこうしているわけにもいかないだろうし」
「はい。有難うございます先輩」
「それにしても三郎次くん、全然不安とかそんな感じてなさそう。普段通り」
確かに。不二子さんの仰る通りだ。そして普段通りでも余計な一言は多い。
学び舎の友人たちは影も形もない。数年後の自分や私たちの姿はあれど、不安にならないものなのか。
この問いに対し三郎次は不思議そうに首を傾げた。
「葉月先輩がいらっしゃるんだし、何も不安とかありませんけど」
「……えっと、紅蓮くんに対する絶対的な信頼感すごくない?」
「慕われている証だな。そして脇で三郎次が顔を上げられなくなっているぞ」
「まさに穴があったら入りたいってやつだな」
先輩方が笑う傍ら、三郎次は耳まで赤く染めて顔を覆っていた。
「早く行きましょう」蚊の鳴くような声ですらいる。
私と三郎次は先輩方と別れ、過去の後輩を連れて裏山に続く道を目指した。
「久々知先輩と不二子さんが一緒になったなら、利吉さんや伊作先輩はフラれたってことですよね。大変だったんじゃないですか?」
「まあ、色々とあったらしい」
「不二子さんはふわふわして掴みどころがない人だったし、よく久々知先輩と夫婦になったなぁ。……もしかして、久々知先輩が無理やり」
兵助。昔からそう思われていたようだぞ。
三郎次に縁の話は互いに合意の上だと伝えてやった。
そこで不意に頭をぽんと叩かれた青色が上を向く。
「お前、あれこれ聞きすぎだぞ」
「そうだな。未来の情報を持ち帰って現在が変わってしまうのは少々困る」
「す、すみません。……でも、あの。一つだけ聞いてもいいですか」
「気になることでもあるのか」
「答えられることしか教えてやらないからな」
小さな目が左右に動く。
「桜木先輩と若王寺先輩はお二人で組んで仕事をなさっているんですよね。あ、これは前に七松先輩から聞いた話です」
「卒業後からずっとそうしておられるそうだ」
「それなら、葉月先輩は」
遠慮がちにその声は窄められた。
じっと見上げてくる双眼に潜む不安の色。
嗚呼、そういえば。その頃の私はまだ進路を明確に定めていなかった。
実家の道場を継ぐか、忍びとして生きるか。それとも別の道を往くか。
いつだったか、三郎次と伊助に「卒業後はどうされるんですか」と問われた際「諸国を放浪するかもしれない」と答えた。
ふと、三郎次から視線が送られてきた。
質問の意図を汲み、このぐらいは答えても良いだろうと合図を送り返す。
「私も忍者になった。フリーで」
「フリーの忍者」
「ああ。それに今はそこの三郎次と共に仕事をしているよ」
「ええっ?! ほ、本当に? ……俄かには信じられない」
「本当だ。葉月先輩は後輩に嘘を吐く人じゃないって、言ったじゃないか」
途端に三郎次は目を爛々と輝かせた。
ずいと未来の自分に迫り、矢継ぎ早に質問を浴びせていく。
「ということは、僕も将来はフリーの忍者。先輩と組んでどんな仕事をしてるんだ。得意武器は、足は速くなってるのか?」
「お、落ち着けって。一つだけって言っただろ」
「いいや、これだけは聞いておきたい! ……左近たちは、元気にしていますか」
不安に差す影の色が一つ濃く染まった。
こんな世の中だ。さらには生死が隣り合わせとなるこの生業。
友人のことを心配するのは頷けること。
私は道の途中で腰を屈め、三郎次と視線を合わせた。
不安で曇るその顔に優しく笑いかける。
「川西たちも変わりなく過ごしている」
「それなら、良かった」
「この間会った時も、躓いて籠の薬草をばら撒いてたぐらい元気にしてたから心配するな」
「変わらなさすぎて逆に不安だ」
「まあ、そういうわけで心配することはない。私と三郎次も仲違いすることなく上手くやっているから」
「はい」
素直に頷いた三郎次の表情からは曇りが消えていた。
「それと、此処で見聞きしたことは三郎次だけの物にしてほしい。くれぐれも内密にな。約束してくれるか」
「はい! 僕、先輩の足手まといにならないようにこれからも鍛錬に励みます!」
「私もお前と組める日が来ることを楽しみに待っている。だが、無理はしないようにな。隈も作らないように」
「大丈夫ですよ。僕が目指してるのは葉月先輩のような御方ですから」
眩しい笑顔を浮かべる三郎次に釣られてこちらも頬が緩む。
昔はこんなにも愛らしい笑みを見せてくれていた。胸が実に温まる。
今はといえば。ちらと伴侶の方を見上げれば、三郎次は決まり悪そうに口をへの字に曲げていた。
まあ、これはこれで。
「……何でしょうか」
「いや、今も存外可愛らしいと思ってな」
その青色と、まだ幼さの残る顔を見たのは久方ぶりであった。
教室に程近い場所で柳色の髪を目にした時は、二年生にそんな生徒がいたかと。最初こそはそう思ったのだが。
あれはどこからどう見ても、三郎次だ。
今よりもだいぶ短い髷を左右に揺らし、校庭をきょろきょろと見渡している。
その表情はどこか不安げでいた。
一体全体こんなことがあるというのか。
私は先程そこで三郎次と分かれたばかりだ。野村先生に用があるからと職員室へ向かったはずなのに。
何故か二年生の制服を纏いし三郎次がそこにいる。三郎次は御年十九歳になるので、有り得ない。
いや、以前私や不二子さんも幼子の姿を現したというのだから。強ち有り得ないとも言い切れない。
その場で悩みに耽る私に気がついたのか、三郎次と思わしき生徒の視線が注がれた。
ぱたぱたと足音を立てて駆け寄ってくる。
「葉月先輩! 良かった。知ってる顔がいらっしゃった」
元から低めの調子であったその声。声変わり前の声を聞くのも久しぶり過ぎる。
私はこの三郎次の顔をじっと見つめ、誰かの変装ではないことを確かめた。軽く引っ張った頬は生身そのもの。
出会い頭に頬を引っ張られるとは考えてもいなかったのだろう。その目が驚いてまん丸に見開かれた
「な、何をされるんですか」
「いや、すまない。……三郎次、だな?」
「え……どうしちゃったんですか、先輩。まさか僕の顔、忘れたとか」
おかしなことを聞くのだと思ったんだろう。
実際、私もおかしなことを聞いたと思った。
眉を下げ、不安そうに私を見上げるものだから。膝を折り、その小さな頭を撫でる。
「忘れておらんよ」
「良かった。それより、ここって忍術学園で間違いないですよね……?」
「と、言うと」
「さっきから知らない顔ばかり見るんです。一年生にあんなやついたかなとか、先輩方も知らない人ばかりで。一番目立つはずの滝夜叉丸先輩も見掛けないし。だから、葉月先輩がいらっしゃって良かったぁと思ったんですけど」
「……三郎次は此処へ来る前、何をしていたか憶えているか?」
「僕は裏山で左近たちと」
三郎次がそう言いかけた時だ。
消された足音。背後に近づく気配が二つ。
やおら振り向くと、そこには桜木先輩と若王寺先輩がいらっしゃった。
二人は三郎次と私とを交互に何度も見比べた後、桜木先輩が真顔でこう尋ねた。
「勘兵衛。……今、何年だっけ」
「言いたいことはわかるが、一先ず落ち着け清右衛門」
「いや、最近時が経つのは早いと感じていたから」
「それもわからんでもないが」
「お二人とも。よもや私の子だと思われていないでしょうね」
「違うのか」
「この子は三郎次ですよ」
この年齢の子がいるというなら、私が十一の時の子となってしまうんですよ。
「三郎次……言われてみれば、確かに」
「一体どういうことだ」
先輩方は私の隣に視線を向けた。
穴が空きそうな程に見つめられても、三郎次は物怖じせずにお二人の顔を見上げていた。
「……桜木先輩と若王寺先輩、ですよね?」
七年の時が経過した上でこの正答。
お二人の特徴を良く捉えていたのと、正しい記憶を持ち合わせていた。流石だな三郎次。
「紅蓮、何を誇らしげにしているんだ」
「こちらの話ですので、お気になさらず」
「そうか。それで、これはどういうことなんだ」
眉間に皺を寄せた若王寺先輩は腰を屈めて三郎次と視線を合わせた。
目をぱしぱしと瞬かせた三郎次が口元を引き攣らせ、半笑いを浮かべる。
「そんなに見つめられると穴が空いちゃいそうです」
「……」
「これは前にもあったのですが、恐らく三郎次が一時的に退行してしまったのかと思われます」
「前にもあった」
眉を密かに寄せた桜木先輩は顎を擦る。
「はい。私と不二子さん、それに兵助も同じようなことがありまして」
「……前にも、あった? 同じ様なことが?」
御自分の台詞に疑問符をつけ、唸る若王寺先輩の眉間に殊更深い皺が刻まれた。
これ以上説明の仕様がないのですよ。
「この学園いつも何か起きてるな」軽く笑った桜木先輩の視線がすっと先を捉え「それが三郎次だと言うのならば、そこに立ち尽くしてるのは三郎次ではないのか?」と言った。
三郎次がいた。
私が先程廊下で分かれた際に見た姿のままの三郎次が。
信じ難いものを目の当たりにし、言葉を失い固まっている。
そして、私たちの会話から察したのだろう。二年生の三郎次もあれが数年後の自分だと理解したようであった。
「……どういうことですか、これ」
それは私が聞きたいよ。
◇
「……つまり、三郎次は裏山で川西たちと隠れんぼをしていた。その際、身を隠した小さな祠で奇妙な音を聞いたと。そしていつまで経っても探しに来ないので、辺りを彷徨いた」
私たちは校舎の壁際に腰を下ろし、こうなった経緯を探ることにした。
左にはかつての三郎次。反対側には現在の三郎次がいる。後にも先にも奇妙な構図はこれきりだろう。
私が簡潔に経緯を纏めると、小さな頭が縦に振ってみせた。
「はい。久作が鬼だったんですけど、全然探しに来なくて。おかしいなぁと思ってこっちから探しに行ったんです。……でも、どこにもいなくて。もしかしたら先に帰ったのかもと」
「それで山を下り忍術学園まで戻ってきたはいいが、周りは知らない顔ばかり」
「……はい」
その頭が今度はしゅんと項垂れた。
致し方あるまい。自分が過ごした時代から七年も先に転がり込んでしまったのだから。
私たちが偶然いたから良いものの。風景は見覚えあれども見知らぬ顔ばかりでは不安が勝る。
「僕、これからどうしたら良いんでしょうか」
「案ずるな。私たちが何とかする」
「葉月先輩」
「そうだぞ。大船に乗ったつもりでいろよ。お前が元の時代に帰らないと何が起きるかわからないんだし」
と、三郎次も現状をすんなりと受け入れていた。
学園で多々起きる摩訶不思議な現象に慣れていないのはこのお二人の方。
特に若王寺先輩はこの事態を受け入れ難いと言わんばかりに顔を顰めっぱなしでいた。
「勘兵衛。そんなに皺を寄せてると取れなくなるぞ」
「……お前はこの摩訶不思議で有り得ない状況を受け入れるのか」
「現に起きている。現実に起きていることを寛容に受け止めなければ」
穏やかに微笑む様はまさに菩薩のよう。
この柔和な表情に騙される者は数しれず。舐めてかかれば夜叉に返り討ちとされてしまう。
さらに先代の先輩が桜木先輩に痛い目に遭わされていたのを私は目にしたことがあった。
「それにしても」
三郎次が小さな目を先輩方に向ける。
「先輩方だとは分かったんですけど、忍務で妖者の術をされているのかと最初は思いました。お二人とも何て言うか、老け」
私がその口を塞ぐよりも先に手が横切った。
十八の三郎次が過去の自分の口を素早く手で塞いでいた。その顔は焦りの色に染まっている。
「一言多いっ!」
何を口にするか察したのだろう。
歳は違えど、中身は同じ。
ちらと先輩方の様子を窺い見れば「それはそうだ」というお顔。そして片や笑みを崩さずにいる。
三郎次は過去の自分をぐいと引き寄せ、胡座の上に座らせた。また「一言が多い」場面があれば直ぐに黙らせられるようにと。
しかしだ。こうして見ると体格差が歴然としている。本当に立派になったものだ。
「そうしていると兄弟。いや、親子みたいだ」
三郎次たちだけではなく、その目は広く私も含めての発言のように捉えられた。
まあ、そう見えなくもないのだろう。
「此処が七年後だというのは分かりました。葉月先輩は歳を重ねられても変わらずカッコいいということも」
「言うなぁ三郎次」
「完全に贔屓目だな」
「当たり前だろ」とまだ年若い自分の頭を押さえるようにした三郎次は私の方をちらと見た。
「先輩は昔も今もカッコいいんだ。だからそこは心配しなくていい」
「先輩」と呼ばれるのも久しいものであった。
初めて実名で呼ばれた時とはまた違う面映ゆさ。そこへ懐かしさも相まり、笑みが自然と零れ落ちた。
私たちの関係性は内密にしてもらいたい。
三郎次及び先輩方にこそりと耳打ちをしておいた。
未来のことを知り過ぎては過去の三郎次に悪影響を与えかねない。何かが変わってしまう可能性も捨てきれないのだから。
「ああ、そうだ紅蓮」
「なんでしょうか」
「さっきの件は承知したが、こっちはどうする」
新たに増えた二つの気配。
いち早く久々知夫妻の足音に気づかれた桜木先輩と共に私は右方へ振り向いた。
不二子さんの手を引いた兵助が「こんな所でどうしたんですか」と何食わぬ顔で尋ねてくる。
我々の顔を見渡し、はたと目を留めた先には膝上にいる青の制服を纏った三郎次。
目を豆腐のように――元から豆腐のよう目をしているか――して二人の三郎次をじっと見ていた。
「池田くんと……三郎次くんだ」不二子さんは愕然とした様子で口をぽかんとさせ、こちらもやや豆腐に近い目をする。
気のせいだろうか。顔つきも似てきたのは。夫婦は互いに似てくるとは良く聞く話である。それにしてもだ。いつか兵助が二人になってしまわないか心配である。
「久々知先輩、ですよね?」
当然、驚いたのはこの二人だけではない。
三郎次の視線が兵助の頭から爪先までを二度往復した後「その格好、もしかして」と続けた。
「ああ。先生だよ、忍術学園の」
「意外です。久々知先輩はてっきり城勤めだと思っていたので」
「まあ、色々とあってね。それより、どうして三郎次と三郎次がいるんですか先輩」
「斯々然々でな。それはそうと兵助」
私はその先の言葉を矢羽音と視線で兵助に告げた。迂闊なことを喋らぬように、と。
兵助はこくりと頷いてみせたが、些か不安が残るのは何故だろうか。
「三郎次くんこんなに小さかった?」
「小さいは余計です」
「だって、そうしてるとビフォーアフター過ぎて」
「比べてみると確かにそうかもなぁ。不二子さんの言う通りだ」
「七年も前なんだから当たり前でしょう。お前もむくれるなって。ちゃんとこうしてデカくなってるんだから」
三郎次が昔の自分を冷静に宥める。稀な事態とはいえ、この光景は貴重に思えてきた。
年齢は違えど、同じ人間。反発するかと思いきや存外穏やかで。
まるで仲睦まじい兄弟を見ているようだった。
私が二人の三郎次を微笑ましく見守っている脇で「ところで、何故手を繋いできたんだお前たちは」と若王寺先輩がついに尋ねた。
先輩方は既に久々知夫婦の洗礼を受けているはず。
講師依頼で学園にも訪れる機会が増えたと聞いた。こういった光景は何度も目にしていると思うのだが、それでも未だ慣れないというかツッコミを入れずにはいられないのだろう。
「仲睦まじいのは良いことだ」片や既に慣れてしまった方はただ笑みを携えていた。
「昨日、授業で塹壕や落とし穴を掘ったと聞いたので。不二子さんがそれに落っこちないようにと」
「……その一帯を避ければいいだけの話ではないのか」
「それは野暮だぞ勘兵衛。まだ新婚なのだから手を取り合っていたいこともあるだろう」
「私が見掛けたのは手を取り合うどころではなかったのだが」
「まあ、兵助だからな。そこはもう仕方がない」
先輩にまで仕方がないと言われているぞ兵助。
まあ、憎まれないのも人となりであり、それが忍務に役立つこともあるか。
そこで私は三郎次が酷く考える仕草と表情をしていたことに今更気がついてしまった。
この小さな耳に「新婚」という言葉はしっかりと届いてしまっているのだろう。
兵助がなんやかんやあって、紆余曲折の末に不二子さんを嫁に迎え入れたという話も今は伏せて置いた方が良い。どう話を逸らすか。
「ああ、三郎次。紹介が遅れてしまったけど、こちら俺のお嫁さんの不二子さん」
「え」
「兵助っ!」私は思わず声を荒げた。
こいつ私の話を全くもって聞いていないではないか。しかも良い笑顔かつ悪びれた様子もない。
ひと睨みしたところでそれに変化などあるはずもなく。
「いや、この方が良いかなぁと思って。将来が確約されるかもしれないし」
「三郎次に伝えたところで何も変わらんだろう。紅蓮もそう気を立てるな」
「しかし」
「その証拠に、過去の三郎次は一つも驚いていないじゃないか」
渋い表情をした三郎次。ではなく、もう一人の三郎次は「そうなんだ」と言いたそうにしているだけであった。
私が女だと明かした日よりもかなり反応が薄い。
「まあ、そうなったかぁって思いました。不二子さん久々知先輩に懐いてたし」
「そんなに懐いてた私……?」
「懐いてるじゃないですか。久々知先輩も甘やかしてたし」
それは昔から何も変わっておらんよ。
「それにしても」三郎次が不二子さんの顔をじっと眺めた。何か、嫌な予感がする。
同様に察した三郎次がその先を言わせまいと再び手のひらで口を覆う。先程より強めに。
「んぐっ」
「え、何?」
「いえ、大したことではありませんよ。この三郎次も不二子さんと兵助が共に居ることを喜ばしく思っているそうです」
三郎次の一言を要約してそう伝えれば兵助の顔がだらしなく緩んだ。そして愛しい人の手を強く握り返す。
その傍らに笑いを必死に堪えていらっしゃる先輩方の姿。顔を背け、肩を静かに震わせている。
御二方は三郎次が何と口にしようとしたかわかっているのだろう。
私はその場に膝を立て、三郎次に呼び掛けた。
「はい!」
返事が早かったのはあの日の三郎次であった。
羨望の眼差しを携えた顔。懐かしくもあり、微笑ましくもある。こんなにも慕ってくれていたんだと。
胸の奥が陽射しを受けたように暖かくなる。
「お前が話した祠の辺りに行ってみよう。何もせずこうしているわけにもいかないだろうし」
「はい。有難うございます先輩」
「それにしても三郎次くん、全然不安とかそんな感じてなさそう。普段通り」
確かに。不二子さんの仰る通りだ。そして普段通りでも余計な一言は多い。
学び舎の友人たちは影も形もない。数年後の自分や私たちの姿はあれど、不安にならないものなのか。
この問いに対し三郎次は不思議そうに首を傾げた。
「葉月先輩がいらっしゃるんだし、何も不安とかありませんけど」
「……えっと、紅蓮くんに対する絶対的な信頼感すごくない?」
「慕われている証だな。そして脇で三郎次が顔を上げられなくなっているぞ」
「まさに穴があったら入りたいってやつだな」
先輩方が笑う傍ら、三郎次は耳まで赤く染めて顔を覆っていた。
「早く行きましょう」蚊の鳴くような声ですらいる。
私と三郎次は先輩方と別れ、過去の後輩を連れて裏山に続く道を目指した。
「久々知先輩と不二子さんが一緒になったなら、利吉さんや伊作先輩はフラれたってことですよね。大変だったんじゃないですか?」
「まあ、色々とあったらしい」
「不二子さんはふわふわして掴みどころがない人だったし、よく久々知先輩と夫婦になったなぁ。……もしかして、久々知先輩が無理やり」
兵助。昔からそう思われていたようだぞ。
三郎次に縁の話は互いに合意の上だと伝えてやった。
そこで不意に頭をぽんと叩かれた青色が上を向く。
「お前、あれこれ聞きすぎだぞ」
「そうだな。未来の情報を持ち帰って現在が変わってしまうのは少々困る」
「す、すみません。……でも、あの。一つだけ聞いてもいいですか」
「気になることでもあるのか」
「答えられることしか教えてやらないからな」
小さな目が左右に動く。
「桜木先輩と若王寺先輩はお二人で組んで仕事をなさっているんですよね。あ、これは前に七松先輩から聞いた話です」
「卒業後からずっとそうしておられるそうだ」
「それなら、葉月先輩は」
遠慮がちにその声は窄められた。
じっと見上げてくる双眼に潜む不安の色。
嗚呼、そういえば。その頃の私はまだ進路を明確に定めていなかった。
実家の道場を継ぐか、忍びとして生きるか。それとも別の道を往くか。
いつだったか、三郎次と伊助に「卒業後はどうされるんですか」と問われた際「諸国を放浪するかもしれない」と答えた。
ふと、三郎次から視線が送られてきた。
質問の意図を汲み、このぐらいは答えても良いだろうと合図を送り返す。
「私も忍者になった。フリーで」
「フリーの忍者」
「ああ。それに今はそこの三郎次と共に仕事をしているよ」
「ええっ?! ほ、本当に? ……俄かには信じられない」
「本当だ。葉月先輩は後輩に嘘を吐く人じゃないって、言ったじゃないか」
途端に三郎次は目を爛々と輝かせた。
ずいと未来の自分に迫り、矢継ぎ早に質問を浴びせていく。
「ということは、僕も将来はフリーの忍者。先輩と組んでどんな仕事をしてるんだ。得意武器は、足は速くなってるのか?」
「お、落ち着けって。一つだけって言っただろ」
「いいや、これだけは聞いておきたい! ……左近たちは、元気にしていますか」
不安に差す影の色が一つ濃く染まった。
こんな世の中だ。さらには生死が隣り合わせとなるこの生業。
友人のことを心配するのは頷けること。
私は道の途中で腰を屈め、三郎次と視線を合わせた。
不安で曇るその顔に優しく笑いかける。
「川西たちも変わりなく過ごしている」
「それなら、良かった」
「この間会った時も、躓いて籠の薬草をばら撒いてたぐらい元気にしてたから心配するな」
「変わらなさすぎて逆に不安だ」
「まあ、そういうわけで心配することはない。私と三郎次も仲違いすることなく上手くやっているから」
「はい」
素直に頷いた三郎次の表情からは曇りが消えていた。
「それと、此処で見聞きしたことは三郎次だけの物にしてほしい。くれぐれも内密にな。約束してくれるか」
「はい! 僕、先輩の足手まといにならないようにこれからも鍛錬に励みます!」
「私もお前と組める日が来ることを楽しみに待っている。だが、無理はしないようにな。隈も作らないように」
「大丈夫ですよ。僕が目指してるのは葉月先輩のような御方ですから」
眩しい笑顔を浮かべる三郎次に釣られてこちらも頬が緩む。
昔はこんなにも愛らしい笑みを見せてくれていた。胸が実に温まる。
今はといえば。ちらと伴侶の方を見上げれば、三郎次は決まり悪そうに口をへの字に曲げていた。
まあ、これはこれで。
「……何でしょうか」
「いや、今も存外可愛らしいと思ってな」
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