第一部
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伍|告白
薄暗い天井が眼前に広がっていた。
天井の梁の高さと広さからして、民家ではなさそうだ。朽ちた柱があちらこちらに見受けられる。空気は湿気を含んだ埃の臭いがした。
時刻は恐らく夜。虫の声が外から聞こえた。灯りが燃える音もする。
粗末な茣蓙 むしろの上に私は横たわっていた。
この酷く不安定な視界と聴覚から得られる情報は数少ない。目を開けているだけで天井が廻りだす。同時に胃の不快感が込み上げてくる。
不意に脇腹の痛みが疼いた。
嗚呼、そうだ。確か山賊共を相手にする最中、不覚にも斬られてしまった。鈍刀ゆえに切れ味は悪く、その分込められた無駄な力。恐らく、傷口は深い。
地に膝をつけてからの記憶が曖昧だ。意識が途切れる直前、私の名を呼ぶ声が聞こえた気もする。
「気がついたか」
その声を久しぶりに聞いたような気もした。それだけ長い間気を失っていたのかもしれない。
声のする方へ顔を傾ければ、ぐらつく視界に仙蔵の顔と肩から滑り落ちた長い髪が目に映る。
娘の格好からとうに着替えたようで、見慣れた私服を纏っている。
「……どうやら黄泉の国へは渡っていないらしい」
「冗談も大概にしろ。馬鹿者が。血溜まりに伏したお前を目にした私まで血の気が引いたぞ」
「それは悪かった」
仙蔵の声は低く、落ち着いた様子ではあったが珍しく動揺が入り混じっていた。
学園一冷静な忍たまと称され、火薬の扱いも左に同じく。高みの見物を好む奴がくどくどと私に小言を並べる姿を見るなど、考えたこともない。
「敵を翻弄するつもりがないあの動きはなんだ」
「そもそも刀の扱いがなっていない。優の成績を貰っていたはずじゃないのか」
「それにあの湿気た火薬の量はなんだ。それでも火薬委員会か」
山賊共を複数相手にしながらもこちらの状況をこと細やかに見ていた。それだけの余裕があったのだろう。本当に出来た男だよ、仙蔵は。
黙って小言を聞き流し続けること数分。いよいよもって「お前はそもそも不運だ」ということまで話に引き出してくる。
「悪かった」私が今一度そう詫びると、そこで仙蔵のお小言が止んだ。
それを堺に沈黙が訪れる。
灯りが燃える音が際立つ。梁から鼠の足音がする。
「仙蔵」
「なんだ」
「ここは」
「廃寺だ。人が出入りした形跡もない。一晩身を潜める程度であれば問題なかろう」
「そうか。あの山賊共は」
「とっくに役所に引き渡した。忍務は完了だ。学園にも早馬で明日の朝に文を出す」
「そうか。……仙蔵に全て任せてしまったな。それに、借りができた。卒業までになんとか返すよ」
「恩を着せるつもりなど塵ほどもない。詫びるつもりがあるならば伊作にこってり絞られるといい」
刀傷の処置は最低限しかできていないと仙蔵がぼやく。止血がされていれば十分だ。
私は右手を頭上に伸ばし、指をゆっくりと折り畳む。脳からの指令は滞りなく、指先まで流れる。痺れ、その他違和感は今のところない。ただ、杞憂がひとつだけあった。
「できれば伊作には知られたくない」
「無理な話だな。私が告げ口をせずとも何れわかる」
「怒られるのはこの際慣れているからいいんだ。その後に泣かれるから、そっちの方が堪える」
伊作は優しい。怪我人や病人を放っておけない、優しい性格だ。敵味方問わずに介抱する姿は医療者そのもの。分け隔てなく、慈悲を与える伊作を菩薩のようだと思ったこともあった。
取り分け私に対して伊作は甘い。留三郎や文次郎が大怪我を負った時よりも、私が怪我を負った日の方が手に負えなくなる。怪我の程度を見るや否や「どうしたんだいその怪我!?」と怒鳴ってくるし、ぶつぶつと小言を口にしながら手当てを行う。その後「紅蓮は女の子なんだから」と人気がない医務室でぼろぼろと涙を流した。
嗚呼、今回もそんな光景が鮮明に浮かぶ。
「お前たちは本当に仲が良いものだな」
「六年間隣の部屋だったからな。友人を通り越して互いに良き理解者だ」
「お前が女だということも伊作しか知らんのだろう」
刹那、思考が止まった。
そもそも出血多量で気分が悪い。元々朦朧としていた意識に揺さぶりを掛けた追い討ち。
思考力の低下した私に弁明する余地など砂粒程も与えられず「この状況で隠し通せると思うなよ」と冷静な声。伸ばしていた手ゆっくりと下ろし、私はその手で顔を覆った。
「何故忍たまとして在籍している」
「家の事情だ」
「確かお前の実家は名立たる棒術の道場だったか。跡継ぎ問題でも発生しているのか?」
「跡継ぎは私のみ。だが、私は女だ」
「女は正式な後継者にはなれぬ、か」
「養子縁組でもすればいいものの。父にその考えはなかったらしい。考えた末、私を忍術学園に入れることにした。男同様の力を身に着けてこいと言われたよ。卒業するまでは家の敷居を跨ぐなともな」
門下生に示しをつける。その為に血の繋がった娘を学園へと送り出した。十になったばかりの私は修行先が忍術学園とは知らずにいた。
ふとしたきっかけで、学園長先生からうちの道場の話を聞いたことがある。ちょっとした縁があると学園長先生は仰っていた。その縁がどういう経緯で繋がれたのか、特に知りたいとも思わなかった。
「それで長期休みも帰らずに残っていたのか。学園に残され、寂しくはなかったのか。……何がおかしい」
「仙蔵の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。寂しいと感じたことは特にない、かもな。たまに伊作や留三郎に連れられて実家にお邪魔したこともあるし」
恐らく仙蔵は私を”女子”としての心情を汲んでいるのだろう。
普通ならば寂しがる、と。それは最早要らぬ心配であった。女子らしさなど四年の時に捨て置いてきた。
暗がりに慣れた私の目はぼうっと天井の一点を捉えていた。
「卒業後は忍者にはならず、道場を継ぐのか」
「わからない」
「……わからない?」
伊作、留三郎、文次郎、小平太は城の忍者として合格通知が届いた。忍術学園と縁があり、早々敵対する城同士でもないという。この乱世。情勢がどう変わるかはわからないが、せめてもの救いであった。長次はそろそろ結果が出る頃だ。仙蔵は既にフリーの忍者として生きる道を決めたと聞いた。
それに比べ私はどこの城も受けていない。申し入れが何件か来たが、気乗りせずに断りを入れた。元来、道場を継ぐ念頭があった為もある。ただ、それが今になって揺らいでいた。いや、もうだいぶ前からだ。
「今になって迷いが出た。卒業後、道場を継ぐべきか、フリーの忍者として生きるか」
「……我々に残された時間は残り僅かだぞ」
「ああ、わかっている。いっそ姿を晦まして自由に生きる手も考えている。こんな時世だ、赦されるだろう」
「本当は跡を継ぐことに懸念を抱いているのではないか」
仙蔵の問いに対し、否定の言葉を私は持たなかった。
今宵の饒舌さに私は驚いていた。仙蔵然り、私もだ。喋り過ぎだ。
「少し眠る。頭がぐらついてきた」
「そうしろ。見張りは私がする」
灯明皿の火が揺れ、仙蔵の影が私の視界から消えた。
薄暗い天井が眼前に広がっていた。
天井の梁の高さと広さからして、民家ではなさそうだ。朽ちた柱があちらこちらに見受けられる。空気は湿気を含んだ埃の臭いがした。
時刻は恐らく夜。虫の声が外から聞こえた。灯りが燃える音もする。
粗末な
この酷く不安定な視界と聴覚から得られる情報は数少ない。目を開けているだけで天井が廻りだす。同時に胃の不快感が込み上げてくる。
不意に脇腹の痛みが疼いた。
嗚呼、そうだ。確か山賊共を相手にする最中、不覚にも斬られてしまった。鈍刀ゆえに切れ味は悪く、その分込められた無駄な力。恐らく、傷口は深い。
地に膝をつけてからの記憶が曖昧だ。意識が途切れる直前、私の名を呼ぶ声が聞こえた気もする。
「気がついたか」
その声を久しぶりに聞いたような気もした。それだけ長い間気を失っていたのかもしれない。
声のする方へ顔を傾ければ、ぐらつく視界に仙蔵の顔と肩から滑り落ちた長い髪が目に映る。
娘の格好からとうに着替えたようで、見慣れた私服を纏っている。
「……どうやら黄泉の国へは渡っていないらしい」
「冗談も大概にしろ。馬鹿者が。血溜まりに伏したお前を目にした私まで血の気が引いたぞ」
「それは悪かった」
仙蔵の声は低く、落ち着いた様子ではあったが珍しく動揺が入り混じっていた。
学園一冷静な忍たまと称され、火薬の扱いも左に同じく。高みの見物を好む奴がくどくどと私に小言を並べる姿を見るなど、考えたこともない。
「敵を翻弄するつもりがないあの動きはなんだ」
「そもそも刀の扱いがなっていない。優の成績を貰っていたはずじゃないのか」
「それにあの湿気た火薬の量はなんだ。それでも火薬委員会か」
山賊共を複数相手にしながらもこちらの状況をこと細やかに見ていた。それだけの余裕があったのだろう。本当に出来た男だよ、仙蔵は。
黙って小言を聞き流し続けること数分。いよいよもって「お前はそもそも不運だ」ということまで話に引き出してくる。
「悪かった」私が今一度そう詫びると、そこで仙蔵のお小言が止んだ。
それを堺に沈黙が訪れる。
灯りが燃える音が際立つ。梁から鼠の足音がする。
「仙蔵」
「なんだ」
「ここは」
「廃寺だ。人が出入りした形跡もない。一晩身を潜める程度であれば問題なかろう」
「そうか。あの山賊共は」
「とっくに役所に引き渡した。忍務は完了だ。学園にも早馬で明日の朝に文を出す」
「そうか。……仙蔵に全て任せてしまったな。それに、借りができた。卒業までになんとか返すよ」
「恩を着せるつもりなど塵ほどもない。詫びるつもりがあるならば伊作にこってり絞られるといい」
刀傷の処置は最低限しかできていないと仙蔵がぼやく。止血がされていれば十分だ。
私は右手を頭上に伸ばし、指をゆっくりと折り畳む。脳からの指令は滞りなく、指先まで流れる。痺れ、その他違和感は今のところない。ただ、杞憂がひとつだけあった。
「できれば伊作には知られたくない」
「無理な話だな。私が告げ口をせずとも何れわかる」
「怒られるのはこの際慣れているからいいんだ。その後に泣かれるから、そっちの方が堪える」
伊作は優しい。怪我人や病人を放っておけない、優しい性格だ。敵味方問わずに介抱する姿は医療者そのもの。分け隔てなく、慈悲を与える伊作を菩薩のようだと思ったこともあった。
取り分け私に対して伊作は甘い。留三郎や文次郎が大怪我を負った時よりも、私が怪我を負った日の方が手に負えなくなる。怪我の程度を見るや否や「どうしたんだいその怪我!?」と怒鳴ってくるし、ぶつぶつと小言を口にしながら手当てを行う。その後「紅蓮は女の子なんだから」と人気がない医務室でぼろぼろと涙を流した。
嗚呼、今回もそんな光景が鮮明に浮かぶ。
「お前たちは本当に仲が良いものだな」
「六年間隣の部屋だったからな。友人を通り越して互いに良き理解者だ」
「お前が女だということも伊作しか知らんのだろう」
刹那、思考が止まった。
そもそも出血多量で気分が悪い。元々朦朧としていた意識に揺さぶりを掛けた追い討ち。
思考力の低下した私に弁明する余地など砂粒程も与えられず「この状況で隠し通せると思うなよ」と冷静な声。伸ばしていた手ゆっくりと下ろし、私はその手で顔を覆った。
「何故忍たまとして在籍している」
「家の事情だ」
「確かお前の実家は名立たる棒術の道場だったか。跡継ぎ問題でも発生しているのか?」
「跡継ぎは私のみ。だが、私は女だ」
「女は正式な後継者にはなれぬ、か」
「養子縁組でもすればいいものの。父にその考えはなかったらしい。考えた末、私を忍術学園に入れることにした。男同様の力を身に着けてこいと言われたよ。卒業するまでは家の敷居を跨ぐなともな」
門下生に示しをつける。その為に血の繋がった娘を学園へと送り出した。十になったばかりの私は修行先が忍術学園とは知らずにいた。
ふとしたきっかけで、学園長先生からうちの道場の話を聞いたことがある。ちょっとした縁があると学園長先生は仰っていた。その縁がどういう経緯で繋がれたのか、特に知りたいとも思わなかった。
「それで長期休みも帰らずに残っていたのか。学園に残され、寂しくはなかったのか。……何がおかしい」
「仙蔵の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。寂しいと感じたことは特にない、かもな。たまに伊作や留三郎に連れられて実家にお邪魔したこともあるし」
恐らく仙蔵は私を”女子”としての心情を汲んでいるのだろう。
普通ならば寂しがる、と。それは最早要らぬ心配であった。女子らしさなど四年の時に捨て置いてきた。
暗がりに慣れた私の目はぼうっと天井の一点を捉えていた。
「卒業後は忍者にはならず、道場を継ぐのか」
「わからない」
「……わからない?」
伊作、留三郎、文次郎、小平太は城の忍者として合格通知が届いた。忍術学園と縁があり、早々敵対する城同士でもないという。この乱世。情勢がどう変わるかはわからないが、せめてもの救いであった。長次はそろそろ結果が出る頃だ。仙蔵は既にフリーの忍者として生きる道を決めたと聞いた。
それに比べ私はどこの城も受けていない。申し入れが何件か来たが、気乗りせずに断りを入れた。元来、道場を継ぐ念頭があった為もある。ただ、それが今になって揺らいでいた。いや、もうだいぶ前からだ。
「今になって迷いが出た。卒業後、道場を継ぐべきか、フリーの忍者として生きるか」
「……我々に残された時間は残り僅かだぞ」
「ああ、わかっている。いっそ姿を晦まして自由に生きる手も考えている。こんな時世だ、赦されるだろう」
「本当は跡を継ぐことに懸念を抱いているのではないか」
仙蔵の問いに対し、否定の言葉を私は持たなかった。
今宵の饒舌さに私は驚いていた。仙蔵然り、私もだ。喋り過ぎだ。
「少し眠る。頭がぐらついてきた」
「そうしろ。見張りは私がする」
灯明皿の火が揺れ、仙蔵の影が私の視界から消えた。