軽率なコラボシリーズ
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二人の先輩
「調理方法が違うだけでこんなにも変わった料理が出来るとはな。これは確かに物珍しい料理で口にしたくなる」
食堂から聞き慣れない声と気配が一つ――いや二つか。
その声から読み取れる情報は不二子さんの料理を『珍しいもの』と感じている点だ。学園関係者の殆どは不二子さんの料理を口にしている。つまり、声の主は学園関係者ではない外部の人間である可能性が高い。
一体誰が来ているのやら。
学園関係者なら兎も角、見知らぬ者がいるならば不二子さんと長話も出来そうにない。
そう、思っていたのだが。食堂の一角に居たのは私の良く知る人物であった。
淡い菫色の髪、烏の濡羽色をした髪の人物。その前者が私に気が付き、菫色の髪を揺らす。
二人と目が合った私は間髪入れずに頭を下げた。
「桜木先輩、若王寺先輩。お久しぶりです」
「誰かと思えば紅蓮じゃないか。久しいな」
若王寺先輩の明るい声が響いた。
このお二人は私の一つ上の学年、先輩にあたる方々だ。直接言葉を交わしたのはそれこそ七年も前のこと。お二人とも然程お変わりがないようで良かった。
若王寺先輩の向かいに座る桜木先輩がにこりと微笑む。笑い方もお変わりがない。
「本当に久しぶりだ。ああ、でも時々姿を見掛けてはいた。流石に忍務中で声は掛けられなかったけど」
「互いに忍務中であるとなれば、流石に。私もそちらに掛けてよろしいでしょうか」
「構わないよ」
快い許可に「失礼します」と礼をし、若王寺先輩の側へ掛けさせていただく。
お二人の手元には湯呑みと皿。茶は底が見える程に減っており、皿には食べかけのおからどうなつが一つずつ残っていた。
「それにしても、だ。久々知さんが言った通り此処へ来ると同窓会になる」
「と、仰いますと……先輩方は以前もこちらに」
「偶々立ち寄ったんだ。学園の教師になった奴が多いだろ。その様子を見に来たんだ。仙蔵に文次郎、それに兵助までが嫁を貰ってここにいる」
「そうですね。確かに馴染みのある顔ぶれが集まります。斯く言う私もその一人ではあります」
中でも元火薬委員の率が高いのは偶然か否か。仙蔵に「火薬委員会の同窓会か」とまで言われる程。
先輩方の話によれば、兵助に特別講師として頼まれたそうだ。
若王寺先輩は棍平、桜木先輩は振り杖を得意武器とする。どちらも扱うにはコツが必要なもので、侮れば自身が怪我を負う羽目に。これはどの武器にも言えることではあるが、特に振り杖は杖先から分銅が飛び出す。それを踏まえ自在に操るのは難しいものなのだ。
「紅蓮も特別講師として招かれていると聞いたよ。火薬の知識に留まらず、あらゆる武器の指南をしているとか。生徒からの評判も大層良いそうだね」
「恐れ入ります」
「今日も特別講師として来ているのか?」
「いえ。今日は三郎次と合流するべく此方へ参りました」
「三郎次……ああ、池田三郎次か。確か紅蓮の四つ下の後輩」
「つまり私たちの五つ下だな。その名を聞くのも懐かしい。紅蓮の後をちょこまかとついて歩いていた子だろう?」
眉を下げ、くすくすと笑みを零したのは桜木先輩。
「お前の後を健気について歩く一年生がいるぞ」と昔言われたことを思い出した。「お前に憧れているんじゃないか」とも。
「その三郎次と今は共に仕事をしております。三郎次も特別講師として呼ばれておりまして。今日は三年生の火器実習に付き添っております。火薬免許も所持していますよ」
「……あの一年生が立派になったもんだなぁ」
腕を組み、うんうんと頷く若王寺先輩に私は誇らしげな気持ちに満たされる。
「それにしても、紅蓮は実家を継ぐとばかり思っていたよ。フリーの忍者になったと聞いて驚いた」
「まあ、色々とありまして」
「同級生ならまだしも、まさか後輩と組んでいるとは」
「そこも色々とありまして」
「随分と濁すじゃないか。まあ、お前が話したくないのであれば無理に聞き出すのも野暮か」
実家や三郎次との話を今更隠すわけでもないが、全てを話すには時間を要する。私事で先輩方の貴重な時間を費やすわけにもいくまい。
そこへ足音――未だ消しきれていないものが一つ聞こえてきた。
食堂に顔をひょこりと出したのは四年生の忍たま、火薬委員の生徒だ。
私に目を留めた生徒は顔をパッと綻ばせ、頭を下げる。
「池田先生! あっ、それに若王寺先生と桜木先生も。こんにちは」
「先生」という言葉に反応したのか、お二人は面映ゆしそうにされる。
が、その直後に桜木先輩は目を二度瞬かせ、隣にいらっしゃる若王寺先輩からは「ん?」と不思議そうな声が。
「授業お疲れ様。皿洗い当番か」
「はい。……あれ、御内儀の姿が見当たりませんけれど」
「御内儀。……ああ、久々知さんなら今野菜を採りに菜園に行っている」
「そうでしたか。池田先生は今来られたんですか」
「そうだよ」
「それではお茶をお持ちしますので、お待ちください」
「有難う。……桜木先輩、どうされました。先程から目を豆腐……ではなく、皿のようにされていますが」
桜木先輩の困り眉はさらに顰められ、顎に指を当て深く考え事をされていた。その様子はさながら不破にも思える。
「あっ」と驚きの声が私の隣から上がった。
口をへの字に曲げたまま、桜木先輩が私に首を傾げながらこう問うてきた。
「今、池田先生と言っていたよな」
「ええ」
「三郎次は此処にいないのに」
「私も池田なので。時に生徒が呼び間違うこともありますが」
「……」
嘘偽りなくそう答えれば、先輩は黙り込んでしまった。
「……仙蔵が言っていたことを薄っすら思い出した。もしや「嫁に行った奴がいる」と言う話は」
「ああ、私のことですね。三郎次の所へ嫁ぎました」
間。
お二人は互いに顔を見合わせてから、私の顔を凝視。そんなに見られては穴が空いてしまいますよ。
「紅蓮が、嫁に?! 三郎次の!?」
素っ頓狂な声を上げたのは桜木先輩であった。酷く取り乱す状態を見兼ねたのか若王寺先輩が「落ち着け」と肩を宥めるように叩く。
「そこまで驚くことでしょうか」
「いや、正体を知らぬ者なら清右衛門の様に驚くだろ。全く気づいていなかったようだし」
「……ということは、若王寺先輩はお気づきでしたか。それにも拘わらずご配慮恐れ入ります」
「ああ、いや。何か訳ありなのだろうと思ってな。いつ祝言を?」
頭を深々と下げた私に「畏まらないでくれ」と声を掛けられた。
お言葉に甘え、頭を上げた先では平常の若王寺先輩の端正な顔。文次郎を思わせる顔つきだ。
桜木先輩はと言うと、信じられないといった表情で私を変わらず見ている。むしろ貴方が気づかなかった事に驚くのですが。
「一年半程前に。その節は文の一つも送らずに大変申し訳ございません。諸事情であまり大々的には行いませんでして」
「それぞれ事情もある。気にしないでくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。……私を置いていかないでくれ。まだ頭が追い付いていない」
額に手を当て、天井を仰ぐ。
桜木先輩は困惑に陥っていた。
先述したように先輩方には気づく者が多かったと思っていたんだがな。
「……つまり、紅蓮は女子」
「普段は男装をしております。紅蓮は偽名で実名は霧華と申します」
「嫁に行った。三郎次のところに」
「はい。夫婦ともに特別講師の依頼を受けております」
「池田先生……二人共、そうだな。うん。池田先生になるか」
「お前、相当混乱しているな」
可笑しそうに笑う若王寺先輩に対し、未だ目を白黒させている桜木先輩。
こうして見るとお二方は実に対極的だ。
そこへ「お茶が入りました」と湯呑みが一つ私の前に置かれた。
「若王寺先生と桜木先生もお茶をどうぞ」
「ああ、頂くとしよう。清右衛門のにも注いでくれ」
「はい」
番茶で暫しの間を繋いだ後、ようやく落ち着いた桜木先輩がゆっくりと口を開いた。
「勘兵衛。お前はいつ気づいたんだ」
「さて、いつだったかな。結構前だったと思う」
「……気づいていなかったのは私だけか、もしや」
「さあてな。答え合わせするような物でもないだろ。ああ、そうだ紅蓮は六年次に火薬委員会に入ったのだろう? 後輩たちにはバレなかったのか」
「後輩で一人気づいた者がおりましたが、先輩と同じく口外せず。他であれば仙蔵にはバレましたね。長次も気づいていたようですが黙っていてくれたようです」
「ああ……長次の気遣いぶりに思い当たる節が。しかし、その口ぶりからして兵助ではないのだな。一番気づきそうなものだが」
そう言って顎を擦る若王寺先輩。
誰もがそう言うのだ。兵助の優秀ぶりは卒業した先輩方の耳にも入っているのだろう。
「仰りたいことはよくわかります。三郎次の言葉を借りるならば兵助は豆腐と御内儀のことしか見ていないそうで」
「……嗚呼。文次郎もそんなことを言っていたな。色の授業も受けずに補習のレポートで突破したとか」
「でも、これで合点がいくな勘兵衛」
「ああ」
「何がでしょうか」
お二人が同時に私の顔を見た。
軽く目を伏せるように細めた菫色が微笑む。それは外面如菩薩の名に相応しい笑みだ。
「紅蓮の雰囲気が少し柔らかくなったと思ってね。表情が特に」
「そう、でしょうか。……こればかりは自分では何とも」
「清右衛門の言う通りだ。私たちが卒業した頃はもっと気を張り詰めていた。ピリピリとした空気を纏っていたのが、今ではだいぶ心地が良い。まあ、勿論使い分けているのだろうけど」
「心地が良いは誤解を招くぞ」と笑く桜木先輩からのツッコミ。
咳払いを一つ零した若王寺先輩が気まずそうに「特にあの頃は」と言葉を濁した。
「心配でもあった」
「……先輩にまでご心配を掛けてしまい、申し訳ありません」
「私たちが声を掛けるよりも先に伊作たちが手を差し伸べた。出る幕はなかったよ」
「はい。伊作や留三郎、それに三郎次が私の手を取ってくれたお陰で今の私が此処におります」
「そうか」
思いもよらず染み染みとした話が展開されてしまったが、そこへ食堂の番人である一人が野菜の籠を抱えて戻ってきた。
「お、霧華さん来てる。おからドーナツ食べる? 今日はシナモン風味だよ」
「頂きます」
「即答」
「霧華さんは珍しいもの好きなんだよね」
「ところで、お前のことはどちらで呼んだ方が良いんだ」
「好きな方で構いませんよ。特に拘りはありませんので」
「拘りって……お前らしいな」
「あー……でも池田くんは良い顔しないかも」
「では今まで通り、私は紅蓮と呼ばせてもらおう。馬に蹴られる趣味はないのでね」
「……」
「おい、清右衛門。後輩を誂おうだなんて考えてるんじゃないだろうな」
「面白そうだと思って」
今思い出したことだが、そういえばこの桜木清右衛門という人間は仙蔵と同じくらい厄介な人間だった。
「調理方法が違うだけでこんなにも変わった料理が出来るとはな。これは確かに物珍しい料理で口にしたくなる」
食堂から聞き慣れない声と気配が一つ――いや二つか。
その声から読み取れる情報は不二子さんの料理を『珍しいもの』と感じている点だ。学園関係者の殆どは不二子さんの料理を口にしている。つまり、声の主は学園関係者ではない外部の人間である可能性が高い。
一体誰が来ているのやら。
学園関係者なら兎も角、見知らぬ者がいるならば不二子さんと長話も出来そうにない。
そう、思っていたのだが。食堂の一角に居たのは私の良く知る人物であった。
淡い菫色の髪、烏の濡羽色をした髪の人物。その前者が私に気が付き、菫色の髪を揺らす。
二人と目が合った私は間髪入れずに頭を下げた。
「桜木先輩、若王寺先輩。お久しぶりです」
「誰かと思えば紅蓮じゃないか。久しいな」
若王寺先輩の明るい声が響いた。
このお二人は私の一つ上の学年、先輩にあたる方々だ。直接言葉を交わしたのはそれこそ七年も前のこと。お二人とも然程お変わりがないようで良かった。
若王寺先輩の向かいに座る桜木先輩がにこりと微笑む。笑い方もお変わりがない。
「本当に久しぶりだ。ああ、でも時々姿を見掛けてはいた。流石に忍務中で声は掛けられなかったけど」
「互いに忍務中であるとなれば、流石に。私もそちらに掛けてよろしいでしょうか」
「構わないよ」
快い許可に「失礼します」と礼をし、若王寺先輩の側へ掛けさせていただく。
お二人の手元には湯呑みと皿。茶は底が見える程に減っており、皿には食べかけのおからどうなつが一つずつ残っていた。
「それにしても、だ。久々知さんが言った通り此処へ来ると同窓会になる」
「と、仰いますと……先輩方は以前もこちらに」
「偶々立ち寄ったんだ。学園の教師になった奴が多いだろ。その様子を見に来たんだ。仙蔵に文次郎、それに兵助までが嫁を貰ってここにいる」
「そうですね。確かに馴染みのある顔ぶれが集まります。斯く言う私もその一人ではあります」
中でも元火薬委員の率が高いのは偶然か否か。仙蔵に「火薬委員会の同窓会か」とまで言われる程。
先輩方の話によれば、兵助に特別講師として頼まれたそうだ。
若王寺先輩は棍平、桜木先輩は振り杖を得意武器とする。どちらも扱うにはコツが必要なもので、侮れば自身が怪我を負う羽目に。これはどの武器にも言えることではあるが、特に振り杖は杖先から分銅が飛び出す。それを踏まえ自在に操るのは難しいものなのだ。
「紅蓮も特別講師として招かれていると聞いたよ。火薬の知識に留まらず、あらゆる武器の指南をしているとか。生徒からの評判も大層良いそうだね」
「恐れ入ります」
「今日も特別講師として来ているのか?」
「いえ。今日は三郎次と合流するべく此方へ参りました」
「三郎次……ああ、池田三郎次か。確か紅蓮の四つ下の後輩」
「つまり私たちの五つ下だな。その名を聞くのも懐かしい。紅蓮の後をちょこまかとついて歩いていた子だろう?」
眉を下げ、くすくすと笑みを零したのは桜木先輩。
「お前の後を健気について歩く一年生がいるぞ」と昔言われたことを思い出した。「お前に憧れているんじゃないか」とも。
「その三郎次と今は共に仕事をしております。三郎次も特別講師として呼ばれておりまして。今日は三年生の火器実習に付き添っております。火薬免許も所持していますよ」
「……あの一年生が立派になったもんだなぁ」
腕を組み、うんうんと頷く若王寺先輩に私は誇らしげな気持ちに満たされる。
「それにしても、紅蓮は実家を継ぐとばかり思っていたよ。フリーの忍者になったと聞いて驚いた」
「まあ、色々とありまして」
「同級生ならまだしも、まさか後輩と組んでいるとは」
「そこも色々とありまして」
「随分と濁すじゃないか。まあ、お前が話したくないのであれば無理に聞き出すのも野暮か」
実家や三郎次との話を今更隠すわけでもないが、全てを話すには時間を要する。私事で先輩方の貴重な時間を費やすわけにもいくまい。
そこへ足音――未だ消しきれていないものが一つ聞こえてきた。
食堂に顔をひょこりと出したのは四年生の忍たま、火薬委員の生徒だ。
私に目を留めた生徒は顔をパッと綻ばせ、頭を下げる。
「池田先生! あっ、それに若王寺先生と桜木先生も。こんにちは」
「先生」という言葉に反応したのか、お二人は面映ゆしそうにされる。
が、その直後に桜木先輩は目を二度瞬かせ、隣にいらっしゃる若王寺先輩からは「ん?」と不思議そうな声が。
「授業お疲れ様。皿洗い当番か」
「はい。……あれ、御内儀の姿が見当たりませんけれど」
「御内儀。……ああ、久々知さんなら今野菜を採りに菜園に行っている」
「そうでしたか。池田先生は今来られたんですか」
「そうだよ」
「それではお茶をお持ちしますので、お待ちください」
「有難う。……桜木先輩、どうされました。先程から目を豆腐……ではなく、皿のようにされていますが」
桜木先輩の困り眉はさらに顰められ、顎に指を当て深く考え事をされていた。その様子はさながら不破にも思える。
「あっ」と驚きの声が私の隣から上がった。
口をへの字に曲げたまま、桜木先輩が私に首を傾げながらこう問うてきた。
「今、池田先生と言っていたよな」
「ええ」
「三郎次は此処にいないのに」
「私も池田なので。時に生徒が呼び間違うこともありますが」
「……」
嘘偽りなくそう答えれば、先輩は黙り込んでしまった。
「……仙蔵が言っていたことを薄っすら思い出した。もしや「嫁に行った奴がいる」と言う話は」
「ああ、私のことですね。三郎次の所へ嫁ぎました」
間。
お二人は互いに顔を見合わせてから、私の顔を凝視。そんなに見られては穴が空いてしまいますよ。
「紅蓮が、嫁に?! 三郎次の!?」
素っ頓狂な声を上げたのは桜木先輩であった。酷く取り乱す状態を見兼ねたのか若王寺先輩が「落ち着け」と肩を宥めるように叩く。
「そこまで驚くことでしょうか」
「いや、正体を知らぬ者なら清右衛門の様に驚くだろ。全く気づいていなかったようだし」
「……ということは、若王寺先輩はお気づきでしたか。それにも拘わらずご配慮恐れ入ります」
「ああ、いや。何か訳ありなのだろうと思ってな。いつ祝言を?」
頭を深々と下げた私に「畏まらないでくれ」と声を掛けられた。
お言葉に甘え、頭を上げた先では平常の若王寺先輩の端正な顔。文次郎を思わせる顔つきだ。
桜木先輩はと言うと、信じられないといった表情で私を変わらず見ている。むしろ貴方が気づかなかった事に驚くのですが。
「一年半程前に。その節は文の一つも送らずに大変申し訳ございません。諸事情であまり大々的には行いませんでして」
「それぞれ事情もある。気にしないでくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。……私を置いていかないでくれ。まだ頭が追い付いていない」
額に手を当て、天井を仰ぐ。
桜木先輩は困惑に陥っていた。
先述したように先輩方には気づく者が多かったと思っていたんだがな。
「……つまり、紅蓮は女子」
「普段は男装をしております。紅蓮は偽名で実名は霧華と申します」
「嫁に行った。三郎次のところに」
「はい。夫婦ともに特別講師の依頼を受けております」
「池田先生……二人共、そうだな。うん。池田先生になるか」
「お前、相当混乱しているな」
可笑しそうに笑う若王寺先輩に対し、未だ目を白黒させている桜木先輩。
こうして見るとお二方は実に対極的だ。
そこへ「お茶が入りました」と湯呑みが一つ私の前に置かれた。
「若王寺先生と桜木先生もお茶をどうぞ」
「ああ、頂くとしよう。清右衛門のにも注いでくれ」
「はい」
番茶で暫しの間を繋いだ後、ようやく落ち着いた桜木先輩がゆっくりと口を開いた。
「勘兵衛。お前はいつ気づいたんだ」
「さて、いつだったかな。結構前だったと思う」
「……気づいていなかったのは私だけか、もしや」
「さあてな。答え合わせするような物でもないだろ。ああ、そうだ紅蓮は六年次に火薬委員会に入ったのだろう? 後輩たちにはバレなかったのか」
「後輩で一人気づいた者がおりましたが、先輩と同じく口外せず。他であれば仙蔵にはバレましたね。長次も気づいていたようですが黙っていてくれたようです」
「ああ……長次の気遣いぶりに思い当たる節が。しかし、その口ぶりからして兵助ではないのだな。一番気づきそうなものだが」
そう言って顎を擦る若王寺先輩。
誰もがそう言うのだ。兵助の優秀ぶりは卒業した先輩方の耳にも入っているのだろう。
「仰りたいことはよくわかります。三郎次の言葉を借りるならば兵助は豆腐と御内儀のことしか見ていないそうで」
「……嗚呼。文次郎もそんなことを言っていたな。色の授業も受けずに補習のレポートで突破したとか」
「でも、これで合点がいくな勘兵衛」
「ああ」
「何がでしょうか」
お二人が同時に私の顔を見た。
軽く目を伏せるように細めた菫色が微笑む。それは外面如菩薩の名に相応しい笑みだ。
「紅蓮の雰囲気が少し柔らかくなったと思ってね。表情が特に」
「そう、でしょうか。……こればかりは自分では何とも」
「清右衛門の言う通りだ。私たちが卒業した頃はもっと気を張り詰めていた。ピリピリとした空気を纏っていたのが、今ではだいぶ心地が良い。まあ、勿論使い分けているのだろうけど」
「心地が良いは誤解を招くぞ」と笑く桜木先輩からのツッコミ。
咳払いを一つ零した若王寺先輩が気まずそうに「特にあの頃は」と言葉を濁した。
「心配でもあった」
「……先輩にまでご心配を掛けてしまい、申し訳ありません」
「私たちが声を掛けるよりも先に伊作たちが手を差し伸べた。出る幕はなかったよ」
「はい。伊作や留三郎、それに三郎次が私の手を取ってくれたお陰で今の私が此処におります」
「そうか」
思いもよらず染み染みとした話が展開されてしまったが、そこへ食堂の番人である一人が野菜の籠を抱えて戻ってきた。
「お、霧華さん来てる。おからドーナツ食べる? 今日はシナモン風味だよ」
「頂きます」
「即答」
「霧華さんは珍しいもの好きなんだよね」
「ところで、お前のことはどちらで呼んだ方が良いんだ」
「好きな方で構いませんよ。特に拘りはありませんので」
「拘りって……お前らしいな」
「あー……でも池田くんは良い顔しないかも」
「では今まで通り、私は紅蓮と呼ばせてもらおう。馬に蹴られる趣味はないのでね」
「……」
「おい、清右衛門。後輩を誂おうだなんて考えてるんじゃないだろうな」
「面白そうだと思って」
今思い出したことだが、そういえばこの桜木清右衛門という人間は仙蔵と同じくらい厄介な人間だった。