第一部
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四|美女と山賊退治
「それでは今からいろは混同卒業試験の組み合わせを渡す。相手を確認した者は試験日までに作戦を各々練ること」
六年は組の教科担任が順に我々の名を呼ぶ。二つ折りの紙片を受け取った同級生たちは自席でその紙を開き、一喜一憂した。その様子を傍目で見ながら私自身も紙片を手に受け取る。
席に戻り、二つ折りの紙片をぺらりと捲った。担任の一癖ある文字がこう連ねている。
――六年い組立花仙蔵、六年は組葉月紅蓮に以下の課題を示す。
私と組む相手の名前が目に飛び込んできた瞬間、私は思わず目を覆った。こんな偶然があって良いものか。否、嘆くべきは己の不運か。
目頭を押さえ項垂れる私の横から伊作の声が聞こえてくる。
「誰と組むことになったんだ?」
「……仙蔵」
呟いたその名と共に肺から吐き出された溜息は鉛のように重い。
頭を抱えたくなった。よりによって仙蔵だぞ。昨日の今日でだ。引きが悪いというか、まさに不運と言うべきか。
昨日の事情を知らぬ伊作が「どうしたんだ」と声色を心配レベルにまで落としていた。私の落胆ぶりに留三郎までが隣にやってくる。私の手元を覗き込み、紙片に書かれた名を一度見る。
「いいじゃねぇか。あいつと組めば試験は楽に合格できるだろ」
「いや、まあ。そうだろうけど」
「どうしたんだ? お前らそんなに仲が悪いわけでもないし」
はて、何故そうも嫌がるのか。ふたりして疑問に満ちた表情をされては答えないわけにもいかない。
私は昨日の出来事を振り返り、重い口を開いた。
「昨日、昼過ぎに仙蔵と話をしながら歩いていたら落とし穴に落ちそうになった。で、咄嗟に仙蔵の袖を掴んでしまい」
「仙蔵もろ共巻き込んで穴に落ちた、ってわけか」
「ああ」
頷く私にふたりの口から乾いた笑みが零れた。これで私が嘆く理由は全て伝わっただろう。
小平太ならばまだ笑って許してくれただろうに。「相変わらず巻き込まれ不運だな! いや、この場合巻き込まれたのは私の方か!」と小気味よい声が聞こえてきそうなほどに。
何度も言うが、よりによって仙蔵を巻き込んでしまったんだ。
「今朝、顔を合わせても無視をされた。仙蔵の視線が昨日から刺さるように痛い」
「き、気の所為だって。仙蔵も卒業試験で気が立っているだけだろうし」
「六年にもなって後輩の罠にかかるやつがいるかとも言われた」
「大丈夫だって。僕は今朝も落とし穴に落ちてきたよ」
「伊作。それは慰めにもなってないし、胸張って言えることじゃないからな。紅蓮もあまり気にし過ぎない方がいいぞ」
私は恨めしげな視線を紙片に落とす。
この采配は先生方が決め、記したもの。毎度お騒がせの事務員が準備したものではない。つまり、決定は覆らない。抗議を申し出るだけ無駄。最悪その時点で失格となる。
先ずは策を練る為に話し掛けにいかなければ。考えるだけで気が重い。
「紅蓮」
「心配かけてすまない。大丈夫だ、どんな状況であろうと忍務を果たしてみせる」
「そうこなくちゃな。伊作も気合入れていけよ。就職先決まってんだし。俺たちは六年間一緒に学んできたんだ、揃って卒業してやろうぜ」
私と伊作の肩を抱き、変わらぬ笑みを見せる留三郎。
嗚呼、私は良い友人に恵まれた。
学園の門をくぐり抜け、共に笑い、悩み、苦しみ。全てを分かちあってきた。迷惑も掛けたし、ケンカもしてきた。この学園で過ごした日々は掛け替えのないもの。
三人揃って学園の門を出る日を、誓おう。
◇◆◇
卒業試験を迎えた日の早朝。私と仙蔵は門前で合流し、峠を目指して学園を出発した。
今日ばかりは天候に恵まれた。潜入忍務ともなれば天候をどう味方にするか一思案するところではあるが、今回はその必要がない。
私たちに課せられた試験課題は山賊退治。峠を越えた街道に出没するという性質の悪い輩らしい。町と町を繋ぐ街道に頻出し、通行人から金品の強奪を行い、命までも奪う。この極悪非道の輩者を捕まえ、役所に引き渡せば課題は完了だ。
城に忍び込むだけが忍者ではない。
町や特定の場へ潜入し重要な情報を入手することもあれば、勢力の拡大を目論みを妨害する忍務もある。どれも危険はつきもの。私たち六年生に与えられた課題に軽いものはひとつとしてない。
今まで学んだ知識を最大限に活用し、課題を成さなければ卒業はできない。
私たちは男女二人組に扮装した。私が用心棒、仙蔵が武家の娘。娘の護衛として私が雇われたという設定だ。
学園の門を潜り抜けてからはその役にお互い徹している。峠はまだ先だが、道中で怪しまれないようにと。
私の半歩後ろを仙蔵が一定の距離を保ちながらついてくる。それにしても、相変わらず女子よりも美しい見事な女装。策を練った時にどちらが女装するか話が出たが、私は率先して男役を買って出た。私の女装の成績は下から数えた方が早い。それはもう山本シナ先生からの酷評を今思い出しても泣けてくる。身なりは整えられるが、所作が全く持って駄目だと。
私の女装成績を知る仙蔵からも意義はなく、今に至る。得意手で挑む方が良いに決まっているからな。
それはそうと、私たちの間に流れる空気は何となく気まずいものであった。
仙蔵の態度が余所余所しいと感じるのは私の考え過ぎか。無駄話のひとつも無いのは今の私には少々堪える。
「なあ、仙蔵」
私が控えめに声を掛けたが、返事はない。足音だけが響く。
ああ、そういえば。私はある取り決めを思い出した。峠に着くまでは「仙子」と呼ばなければならない。
「仙子様、少しよろしいでしょうか」
「なあに紅蓮」
紅を引いた仙蔵の口元がにこりと笑う。高めの声色、所作すべてが女子そのもの。仙蔵の役作りには感服してしまう。
私は斜め後ろを見るように顔を向け、用心棒らしく口調を調える。
「先日の件、まだご立腹でしょうか」
「先日? 何のことかしら」
「落とし穴に道連れにしたことです」
「ああ、あのことでしたら気にしていませんわ」
鈴を転がしたような声を出す仙蔵がそう答えた。本当だろうか。
仙蔵の顔を見れば、上品な笑みを携えて微笑む。その令嬢の口から「お前はまだ私が怒っていると思っているのか」と男らしい声が。
「仙子様、口調が乱れておりますが」
「こんな辺鄙な場所で聞いている者はおらん。山賊どころかネズミ一匹気配が無い。それよりも、お前はずっと私の機嫌を窺っていただろ。機嫌を損ねていないかどうかと」
「それはそうだろ。口も利いてくれなかったじゃないか」
「一時のことだ。いつまでも根に持つほど私は執念深くない。しんべヱ、喜三太に比べたら何百倍もマシだ」
仙蔵の端正な顔が僅かに引き攣った。
あの一年生ふたり組とはどうも相性が良いようで、悪い。冷静沈着なこの男の情緒を振り回すのだから、ある意味五者の術を弁えているとも思う。
私は仙蔵に同情を寄せる傍ら、胸を撫でおろした。留三郎の言うとおり、和解はあの時点で成立していたのだ。これで蟠りは解れた。
風が空高い場所で渦巻く。
鳶が頭上で旋回を続けていた。
「仙子様。この辺りは凶悪な山賊が出るという話です。気をつけて参りましょう」
「ええ。……怖いわ」
仙蔵は恐怖に怯えた様に声を震わせる。
数日前に私たちはある情報を流した。『今日、武家屋敷の娘が用心棒をひとり連れ、峠を越える』という偽の情報を山賊たちに掴ませたのだ。大層裕福な屋敷であるということも忘れずに。金に目が眩んだ山賊たちを確実に誘き出し、一網打尽とする。
不意に矢羽音を飛ばした仙蔵の歩みが止まった。
すっと睨みつけた前方に殺気がひとつ、ふたつと増える。気配はこれだけには留まらず、私の後方に更にみっつ現れる。
待ち構えていた山賊共が峠を越える前に姿を見せるとは。偽の情報が上手く渡った証拠。
仙蔵は女性らしい悲鳴を上げ、私に背を預けた。同時に私は帯刀の柄に手を掛け、相手を凄む。
「何奴!」
「これはこれは噂通りに可愛らしい娘さんだ。しかしいかんなぁ……こんな物騒な山道をたった一人の護衛だけで通ろうなんてなぁ」
「貴様らそこを退け!」
薄汚いニヤついた笑みで仙子もとい仙蔵を見る山賊共。娘の正体を知った時の顔が楽しみだ。
どうせ聞く耳は持たぬ。私は問答無用に鞘から刀身を抜き、切っ先を相手へと向けた。仙蔵を後ろ手で庇いながら。奴らの獲物は全て刀。飛び道具を使用する様子は窺えぬ。
私たちに向けられた殺気は全部で五つ。相手にとって不足なし。
「退かぬならば、貴様らを斬り捨てるまで!」
「おっと、多勢に無勢だぜ? 用心棒さんよ」
私は覇気を纏い、素早く相手の懐に踏み込んだ。
振り下ろした一撃は難なく相手の刀に受け止められてしまう。刀を薙ぎ払われるより先に身を引き、襲い掛かる男の足を勢いよく払った。
リーダーらしき男の「やっちまえ!」という怒声が響いた。一斉に私の方へ殺気が向かい掛かってくる。一撃、一撃を刀で受け流し、弾き返す。動きは忍び装束よりも制限されるが、相手の攻撃を避けるには十分だ。
高い金属音が響き合う中、暫しの打ちあい。演技もそろそろ終盤を迎えるだろう。私は思い切り男の腹を強く蹴り飛ばした。男は鳩尾を抑え、地面に悶え転がる。
刹那、仙蔵の美しい叫び声が空に響いた。
私は焦燥の色を浮かべ、その方向へ振り向く。美しい娘の白い首に刀が突きつけられていた。恐怖に身が竦み、動きが取れないといった表情だ。
さあ、ここからが本番だ。私はわざとらしく鬼気迫る声を張り上げた。
「仙子様!」
「この娘の命が惜しくば、刀を捨てな!」
「卑劣な手を!」
「さあ、どうする用心棒さんよお」
娘を捕らえたと満足げに笑うそいつの顔と、仙蔵の顔を見比べた後。私は刀を地面に捨てた。
男は知らずにいた。その瞬間に生じた隙が命取りであったということを。
刃物が砕ける音。真っ二つに折れた刃は地面に虚しい音を立てて落ちた。
男は何が起きたかわからないようであった。捕らえた娘は鋭い眼光を宿し、仕込み杖の刀を手にしていたのだ。無理もない。
「こんな鈍刀で山賊家業を働いていたのか。憐れなものだな」
美しい娘から野太い声が発せられたことに余程驚いたのか、暫し奴らは呆けていた。
仙蔵は素早く逆刃で目の前にいた男の首元を叩き込んだ。気を失った男はばたりと土埃をあげて地面に倒れ伏した。奴らが気を取られているうちに私は刀を拾い上げ、懐の焙烙火矢を近くの男の足元へ投げつけた。身を捻り、瞬時にその場を離れる。
一秒足らずで爆発した焙烙火矢は威嚇に十分役立ったようで、慌てふためいた男がひとり転げる。打ち所が悪かったようでそのまま気絶したようだ。
私は仙蔵に背を預け、周囲の状況を探る。
「なんだ今の湿気た火矢は。調合を間違えたんじゃないのか」
「威嚇には丁度いいだろ」
残る殺気は三つ。
私たちならば手早く片付けられるだろう。
「お前ら、ただの娘と用心棒じゃねぇな!」
「芝居はここまでだ。痛い目に遭いたくなければ、降参してもらおうか」
あくまで上品でいて、艶のある笑みを見せる仙蔵。それが相手に余計に恐怖を煽ることを知ってなのか。
山賊の残党は立場が逆転したことに悔しそうに顔を歪めていた。怒りで顔が真っ赤に茹で上がり、鈍刀を高く振り上げ「やっちまえ!」と叫ぶ。
相手は冷静な状態ではない。我々には取るに足らない相手と化した。
真っすぐに向かってきた男の刀を薙ぎ払い、背後を取ることも容易いもの。手刀で確実に仕留め、残る二人を。
爆発音と熱風がすぐ近くで巻き起こった。この火力は仙蔵の焙烙火矢。視界が白煙で遮られる。刹那、横切る殺気。身に危険を感じ、すぐに退いたが遅かった。
脇腹に迫るじわじわとした痛み。しかし、その傷の程度を確認する暇などない。煙の中から姿を現した襲撃を刀で防ぐ。強い、刺すような痛みに歯を食いしばる。ここで倒れるわけにはいかない。その思いが私を奮い立たせ、猪の様に向かってくる相手に渾身の力を込め、みね打ちを叩き込んだ。
男が倒れたことを確認し、脇腹へ手を当てる。ぽたぽたと赤い雫が地面に滴り落ちる。赤く染められた箇所が放射状に広がっていく。嗚呼、不味い。思ったよりも深く斬られている。
次第に呼吸が苦しくなり、意識が朦朧としてきた。身体に力が入らない。
殺気は既に消えている。安堵した私は地面に膝をつき刀を支えにするも、限界だった。
刀が手から滑り落ちたのを見届けたのを最後に私の意識は途切れた。
「それでは今からいろは混同卒業試験の組み合わせを渡す。相手を確認した者は試験日までに作戦を各々練ること」
六年は組の教科担任が順に我々の名を呼ぶ。二つ折りの紙片を受け取った同級生たちは自席でその紙を開き、一喜一憂した。その様子を傍目で見ながら私自身も紙片を手に受け取る。
席に戻り、二つ折りの紙片をぺらりと捲った。担任の一癖ある文字がこう連ねている。
――六年い組立花仙蔵、六年は組葉月紅蓮に以下の課題を示す。
私と組む相手の名前が目に飛び込んできた瞬間、私は思わず目を覆った。こんな偶然があって良いものか。否、嘆くべきは己の不運か。
目頭を押さえ項垂れる私の横から伊作の声が聞こえてくる。
「誰と組むことになったんだ?」
「……仙蔵」
呟いたその名と共に肺から吐き出された溜息は鉛のように重い。
頭を抱えたくなった。よりによって仙蔵だぞ。昨日の今日でだ。引きが悪いというか、まさに不運と言うべきか。
昨日の事情を知らぬ伊作が「どうしたんだ」と声色を心配レベルにまで落としていた。私の落胆ぶりに留三郎までが隣にやってくる。私の手元を覗き込み、紙片に書かれた名を一度見る。
「いいじゃねぇか。あいつと組めば試験は楽に合格できるだろ」
「いや、まあ。そうだろうけど」
「どうしたんだ? お前らそんなに仲が悪いわけでもないし」
はて、何故そうも嫌がるのか。ふたりして疑問に満ちた表情をされては答えないわけにもいかない。
私は昨日の出来事を振り返り、重い口を開いた。
「昨日、昼過ぎに仙蔵と話をしながら歩いていたら落とし穴に落ちそうになった。で、咄嗟に仙蔵の袖を掴んでしまい」
「仙蔵もろ共巻き込んで穴に落ちた、ってわけか」
「ああ」
頷く私にふたりの口から乾いた笑みが零れた。これで私が嘆く理由は全て伝わっただろう。
小平太ならばまだ笑って許してくれただろうに。「相変わらず巻き込まれ不運だな! いや、この場合巻き込まれたのは私の方か!」と小気味よい声が聞こえてきそうなほどに。
何度も言うが、よりによって仙蔵を巻き込んでしまったんだ。
「今朝、顔を合わせても無視をされた。仙蔵の視線が昨日から刺さるように痛い」
「き、気の所為だって。仙蔵も卒業試験で気が立っているだけだろうし」
「六年にもなって後輩の罠にかかるやつがいるかとも言われた」
「大丈夫だって。僕は今朝も落とし穴に落ちてきたよ」
「伊作。それは慰めにもなってないし、胸張って言えることじゃないからな。紅蓮もあまり気にし過ぎない方がいいぞ」
私は恨めしげな視線を紙片に落とす。
この采配は先生方が決め、記したもの。毎度お騒がせの事務員が準備したものではない。つまり、決定は覆らない。抗議を申し出るだけ無駄。最悪その時点で失格となる。
先ずは策を練る為に話し掛けにいかなければ。考えるだけで気が重い。
「紅蓮」
「心配かけてすまない。大丈夫だ、どんな状況であろうと忍務を果たしてみせる」
「そうこなくちゃな。伊作も気合入れていけよ。就職先決まってんだし。俺たちは六年間一緒に学んできたんだ、揃って卒業してやろうぜ」
私と伊作の肩を抱き、変わらぬ笑みを見せる留三郎。
嗚呼、私は良い友人に恵まれた。
学園の門をくぐり抜け、共に笑い、悩み、苦しみ。全てを分かちあってきた。迷惑も掛けたし、ケンカもしてきた。この学園で過ごした日々は掛け替えのないもの。
三人揃って学園の門を出る日を、誓おう。
◇◆◇
卒業試験を迎えた日の早朝。私と仙蔵は門前で合流し、峠を目指して学園を出発した。
今日ばかりは天候に恵まれた。潜入忍務ともなれば天候をどう味方にするか一思案するところではあるが、今回はその必要がない。
私たちに課せられた試験課題は山賊退治。峠を越えた街道に出没するという性質の悪い輩らしい。町と町を繋ぐ街道に頻出し、通行人から金品の強奪を行い、命までも奪う。この極悪非道の輩者を捕まえ、役所に引き渡せば課題は完了だ。
城に忍び込むだけが忍者ではない。
町や特定の場へ潜入し重要な情報を入手することもあれば、勢力の拡大を目論みを妨害する忍務もある。どれも危険はつきもの。私たち六年生に与えられた課題に軽いものはひとつとしてない。
今まで学んだ知識を最大限に活用し、課題を成さなければ卒業はできない。
私たちは男女二人組に扮装した。私が用心棒、仙蔵が武家の娘。娘の護衛として私が雇われたという設定だ。
学園の門を潜り抜けてからはその役にお互い徹している。峠はまだ先だが、道中で怪しまれないようにと。
私の半歩後ろを仙蔵が一定の距離を保ちながらついてくる。それにしても、相変わらず女子よりも美しい見事な女装。策を練った時にどちらが女装するか話が出たが、私は率先して男役を買って出た。私の女装の成績は下から数えた方が早い。それはもう山本シナ先生からの酷評を今思い出しても泣けてくる。身なりは整えられるが、所作が全く持って駄目だと。
私の女装成績を知る仙蔵からも意義はなく、今に至る。得意手で挑む方が良いに決まっているからな。
それはそうと、私たちの間に流れる空気は何となく気まずいものであった。
仙蔵の態度が余所余所しいと感じるのは私の考え過ぎか。無駄話のひとつも無いのは今の私には少々堪える。
「なあ、仙蔵」
私が控えめに声を掛けたが、返事はない。足音だけが響く。
ああ、そういえば。私はある取り決めを思い出した。峠に着くまでは「仙子」と呼ばなければならない。
「仙子様、少しよろしいでしょうか」
「なあに紅蓮」
紅を引いた仙蔵の口元がにこりと笑う。高めの声色、所作すべてが女子そのもの。仙蔵の役作りには感服してしまう。
私は斜め後ろを見るように顔を向け、用心棒らしく口調を調える。
「先日の件、まだご立腹でしょうか」
「先日? 何のことかしら」
「落とし穴に道連れにしたことです」
「ああ、あのことでしたら気にしていませんわ」
鈴を転がしたような声を出す仙蔵がそう答えた。本当だろうか。
仙蔵の顔を見れば、上品な笑みを携えて微笑む。その令嬢の口から「お前はまだ私が怒っていると思っているのか」と男らしい声が。
「仙子様、口調が乱れておりますが」
「こんな辺鄙な場所で聞いている者はおらん。山賊どころかネズミ一匹気配が無い。それよりも、お前はずっと私の機嫌を窺っていただろ。機嫌を損ねていないかどうかと」
「それはそうだろ。口も利いてくれなかったじゃないか」
「一時のことだ。いつまでも根に持つほど私は執念深くない。しんべヱ、喜三太に比べたら何百倍もマシだ」
仙蔵の端正な顔が僅かに引き攣った。
あの一年生ふたり組とはどうも相性が良いようで、悪い。冷静沈着なこの男の情緒を振り回すのだから、ある意味五者の術を弁えているとも思う。
私は仙蔵に同情を寄せる傍ら、胸を撫でおろした。留三郎の言うとおり、和解はあの時点で成立していたのだ。これで蟠りは解れた。
風が空高い場所で渦巻く。
鳶が頭上で旋回を続けていた。
「仙子様。この辺りは凶悪な山賊が出るという話です。気をつけて参りましょう」
「ええ。……怖いわ」
仙蔵は恐怖に怯えた様に声を震わせる。
数日前に私たちはある情報を流した。『今日、武家屋敷の娘が用心棒をひとり連れ、峠を越える』という偽の情報を山賊たちに掴ませたのだ。大層裕福な屋敷であるということも忘れずに。金に目が眩んだ山賊たちを確実に誘き出し、一網打尽とする。
不意に矢羽音を飛ばした仙蔵の歩みが止まった。
すっと睨みつけた前方に殺気がひとつ、ふたつと増える。気配はこれだけには留まらず、私の後方に更にみっつ現れる。
待ち構えていた山賊共が峠を越える前に姿を見せるとは。偽の情報が上手く渡った証拠。
仙蔵は女性らしい悲鳴を上げ、私に背を預けた。同時に私は帯刀の柄に手を掛け、相手を凄む。
「何奴!」
「これはこれは噂通りに可愛らしい娘さんだ。しかしいかんなぁ……こんな物騒な山道をたった一人の護衛だけで通ろうなんてなぁ」
「貴様らそこを退け!」
薄汚いニヤついた笑みで仙子もとい仙蔵を見る山賊共。娘の正体を知った時の顔が楽しみだ。
どうせ聞く耳は持たぬ。私は問答無用に鞘から刀身を抜き、切っ先を相手へと向けた。仙蔵を後ろ手で庇いながら。奴らの獲物は全て刀。飛び道具を使用する様子は窺えぬ。
私たちに向けられた殺気は全部で五つ。相手にとって不足なし。
「退かぬならば、貴様らを斬り捨てるまで!」
「おっと、多勢に無勢だぜ? 用心棒さんよ」
私は覇気を纏い、素早く相手の懐に踏み込んだ。
振り下ろした一撃は難なく相手の刀に受け止められてしまう。刀を薙ぎ払われるより先に身を引き、襲い掛かる男の足を勢いよく払った。
リーダーらしき男の「やっちまえ!」という怒声が響いた。一斉に私の方へ殺気が向かい掛かってくる。一撃、一撃を刀で受け流し、弾き返す。動きは忍び装束よりも制限されるが、相手の攻撃を避けるには十分だ。
高い金属音が響き合う中、暫しの打ちあい。演技もそろそろ終盤を迎えるだろう。私は思い切り男の腹を強く蹴り飛ばした。男は鳩尾を抑え、地面に悶え転がる。
刹那、仙蔵の美しい叫び声が空に響いた。
私は焦燥の色を浮かべ、その方向へ振り向く。美しい娘の白い首に刀が突きつけられていた。恐怖に身が竦み、動きが取れないといった表情だ。
さあ、ここからが本番だ。私はわざとらしく鬼気迫る声を張り上げた。
「仙子様!」
「この娘の命が惜しくば、刀を捨てな!」
「卑劣な手を!」
「さあ、どうする用心棒さんよお」
娘を捕らえたと満足げに笑うそいつの顔と、仙蔵の顔を見比べた後。私は刀を地面に捨てた。
男は知らずにいた。その瞬間に生じた隙が命取りであったということを。
刃物が砕ける音。真っ二つに折れた刃は地面に虚しい音を立てて落ちた。
男は何が起きたかわからないようであった。捕らえた娘は鋭い眼光を宿し、仕込み杖の刀を手にしていたのだ。無理もない。
「こんな鈍刀で山賊家業を働いていたのか。憐れなものだな」
美しい娘から野太い声が発せられたことに余程驚いたのか、暫し奴らは呆けていた。
仙蔵は素早く逆刃で目の前にいた男の首元を叩き込んだ。気を失った男はばたりと土埃をあげて地面に倒れ伏した。奴らが気を取られているうちに私は刀を拾い上げ、懐の焙烙火矢を近くの男の足元へ投げつけた。身を捻り、瞬時にその場を離れる。
一秒足らずで爆発した焙烙火矢は威嚇に十分役立ったようで、慌てふためいた男がひとり転げる。打ち所が悪かったようでそのまま気絶したようだ。
私は仙蔵に背を預け、周囲の状況を探る。
「なんだ今の湿気た火矢は。調合を間違えたんじゃないのか」
「威嚇には丁度いいだろ」
残る殺気は三つ。
私たちならば手早く片付けられるだろう。
「お前ら、ただの娘と用心棒じゃねぇな!」
「芝居はここまでだ。痛い目に遭いたくなければ、降参してもらおうか」
あくまで上品でいて、艶のある笑みを見せる仙蔵。それが相手に余計に恐怖を煽ることを知ってなのか。
山賊の残党は立場が逆転したことに悔しそうに顔を歪めていた。怒りで顔が真っ赤に茹で上がり、鈍刀を高く振り上げ「やっちまえ!」と叫ぶ。
相手は冷静な状態ではない。我々には取るに足らない相手と化した。
真っすぐに向かってきた男の刀を薙ぎ払い、背後を取ることも容易いもの。手刀で確実に仕留め、残る二人を。
爆発音と熱風がすぐ近くで巻き起こった。この火力は仙蔵の焙烙火矢。視界が白煙で遮られる。刹那、横切る殺気。身に危険を感じ、すぐに退いたが遅かった。
脇腹に迫るじわじわとした痛み。しかし、その傷の程度を確認する暇などない。煙の中から姿を現した襲撃を刀で防ぐ。強い、刺すような痛みに歯を食いしばる。ここで倒れるわけにはいかない。その思いが私を奮い立たせ、猪の様に向かってくる相手に渾身の力を込め、みね打ちを叩き込んだ。
男が倒れたことを確認し、脇腹へ手を当てる。ぽたぽたと赤い雫が地面に滴り落ちる。赤く染められた箇所が放射状に広がっていく。嗚呼、不味い。思ったよりも深く斬られている。
次第に呼吸が苦しくなり、意識が朦朧としてきた。身体に力が入らない。
殺気は既に消えている。安堵した私は地面に膝をつき刀を支えにするも、限界だった。
刀が手から滑り落ちたのを見届けたのを最後に私の意識は途切れた。