軽率なコラボシリーズ
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ブロマイドの行方
「まさか食べようとしたおにぎりを烏に持っていかれて、しかも体当たりまでされるなんて。いかにも左近らしい不運だな」
「全く参ったよ。昨日の夜から殆ど食べてなくて、お腹ペコペコだったんだ」
俺は特別講師として呼ばれた霧華さんをいつものように学園内で待っていた。
今日は昼からの座学授業を担当。午前中の間に学園へ来て、食堂で昼を食べてから授業へ赴く霧華さんを見送った。
その授業が終わった後、次は二人で忍務に向かう手筈となっている。
で、待つ間暇だから先生方の手伝いでもしてこようかと教員長屋に向かう途中のことだ。
校庭で行き倒れている左近を見つけた。
重症でも負ったのかと慌てて駆け寄ってみれば「お腹が減って動けない」と蚊の鳴くような声。
これを聞いた時は流石に脱力した。腹が減って行き倒れるだなんて、どこかの自称剣豪みたいじゃないか。全く人騒がせなやつだ。
燃料が切れた左近を食堂まで引きずってきて、座らせる。まだ厨にいた久々知さんに「余り物でいいから何か食べられるものを」とお願いをした。
食堂机にぺったりと伏せた左近の姿はまるで溶けた雪だるまの様にも思えた。
今日の昼定食は豚汁定食と焼き魚定食。
魚は今が旬の秋刀魚。脂がのった身とぴりっと辛い大根おろしの組み合わせが最高に美味かった。
左近にもそれを食べて貰いたかったけど、焼き魚定食は早々に売切れ御免となってしまったんだ。
だから、定食についた小鉢の料理をそれぞれ少しずつと、豚汁一杯。それと小さな握り飯が左近の腹に収まった。
「三郎次が偶然通りかかってくれて助かったぁ。そうじゃなきゃ野垂れ死んでたかもしれない」
「大袈裟だなぁ。ま、左近なら有り得る話かもな」
「だろ? それに残り物とはいえ、久々知さんの定食にもありつけたし。今日はなんだかツイてる気がしてきた」
さっきまで腹が減って死にそうな顔をしていた友人は空腹が満たされ、実に御満悦な様子。
ひょいと厨から久々知さんが顔を覗かせた。
腹ペコの左近を肩に担いできた時は何事かと慌てふためいていたけど、理由を聞いたら落ち着いて対処してくれた。
腹を空かせて倒れる人は学園関係者含めて少なくないからだろうな。
「川西くんお腹いっぱいになった?」
「はい、お陰様で。有難う御座います」
「そりゃ良かった。今お茶淹れてあげるね」
「すみません。三郎次は先輩待ちか」
空いた食器皿を重ねて配膳口に下げ、戻ってきた左近はさっきと同じ様に俺の左隣に腰掛ける。
「ああ。合流したら別件の仕事。詳しくは言えない」
「詳しくは聞かないのがお約束、だろ。ま、二人とも怪我には気をつけてくれよ」
「わかってる」
「それにしてもさ」
「なんだよ。ニヤニヤして」
その顔は人をおよそ小馬鹿にしているものだった。頬杖をつき、小首を傾げるようにしている。
「仲が良いよなぁ三郎次と先輩。いつも揃って学園に顔出してるらしいじゃないか。講師の依頼があるなしに関わらず」
「いつもってワケじゃない。お互いそれぞれ忍務引き受けてる時だってあるんだし」
「じゃあ、あれだ。先輩は三郎次を一人にするわけにはいかない! って感じなのかも。あ、それとも三郎次の方が先輩を一人で外出させるのは不安だったりして」
「何言ってるんだ。久々知先輩じゃあるまいし」
霧華さんは例え単身であろうと、怪しい曲者をばったばったと薙ぎ倒すし、大男だって軽く捻って投げ飛ばしてしまう。分が悪ければ上手く交わして逃げ果せもする。
忍びとして出来た人だから。
でも、確かに左近の言う通り心配な点がある。
変な輩に絡まれていないかとか、花房牧之介に付き纏われていないかとか。タソガレドキ城の忍び組頭から強引にスカウトされそうになってないかとか。
考え出したらキリがなくなってきた。
「おーい三郎次。どうしたー?」
暫し黙り込んだ俺を訝しいと思ったのか、左近が手の平をひらひらと目の前で振ってきた。
「……やっぱり心配は尽きないと思って。目を離しちゃいけないような気がする」
「目が離せないのは昔からじゃないか。いっつも先輩のこと目で追ってたし」
「そういう意味じゃなく!」
「違うの?」
久々知さんが自然と会話に混ざり込んできた。湯呑みを俺と左近の前に置き、すとんと向かい側に腰掛ける。
「池田くん、私が来た頃にはもう霧華さんにべったりだったというか。あの頃は紅蓮くんか」
「そうそう。学園長先生の突然の思いつきや委員会別の時が特にそうでしたよ。憧れの葉月先輩と組むことになったーとか、葉月先輩が扱う六尺棒が、棒手裏剣捌きが素晴らしいって。よく先輩自慢されたもんですよ」
「ああーしてたねぇ。まさに限界オタクって感じだった」
そんなに先輩自慢をしたつもりはないんだけど。左近や久々知さんに言わせたら「耳にタコちゃんが出来るくらいだよ」と言われてしまった。
「三郎次は息をするように先輩の自慢してたからなぁ」
「……左近だって有名人に会った時は目を輝かせてたじゃないか。町でばったり竜王丸さんに会った時とか」
「あの時は僕だけじゃなく、みんなそうだっただろ。お前の先輩に対する情熱だけがおかしかったの」
「おかしいとはなんだよ、おかしいとは。上級生に憧憬を抱くのは至極当たり前のことだろ」
自分よりも優れてカッコいい人には憧れるもの。昔からそうだったけど、それは今も変わらずだ。この分だと一生憧れているかもしれない。
左近があまりにも揶揄するものだから、こっちも躍起になりかける。そこに久々知さんが「まあまあ」と宥めに入ってきた。
ふと、廊下からバタバタと走る足音が聞こえてきた。この足音から察するに一年生か。
「久々知さん! 食器洗い当番に来ました!」
「遅れてすみませんっ」
井桁模様の制服を着た生徒が二人。息を切らしながら食堂に飛び込んできた。
「おー待ってたよぉ。食器は水に漬けてあるから、よろしくね」
「はーい。あっ、池田三郎次先生とそのご友人の川西左近先輩。こんにちは」
挙手よろしく、弾んだ元気な挨拶。一年生らしさが全身から溢れ出ている。この頃は可愛げがあるもんだ。
「今日は池田霧華先生とご一緒じゃないんですかぁ? あ、もしかしてケンカされたとか」
「それとも愛想尽かされたとか」
「してないし尽かされてもいない!」
前言撤回だ。可愛げがまっったくない。
ニヤニヤと人を小馬鹿にしたような顔で笑う。本っ当に可愛げがない。
「ですよねぇ。お二人は久々知先生方とは違ってケンカするような人達でもないし」
「それどういう意味かなぁ」
「な、なんでもないでーす!」
「食器洗いかんばるぞー!」
一年生二人はそそくさと厨に入っていった。
直ぐに皿洗いを始めるかと思いきや「そういえば、知ってる?」と、少し声を落として雑談を始めた。
俺は何となしにその会話に耳を傾けてみる。
「菜園の側に小屋があるじゃない。その辺りに見たことのない変な芽が出てるんだって」
「変な芽? そんなのあったかなぁ。どの辺に」
「えーっと……小屋の東側だったよ」
その時、左近がお茶を飲み損ねて咽返った。
二人の会話を聞いていたのか、それとも偶々咽たのか。涙目になりながら咳き込む左近の背を軽く叩いてやった。
「おいおい、大丈夫か。どうしたんだよ急に咽たりして」
「げほっ……げほ。いや、……まさか。でも、確かにあの場所」
「あの場所って?」
「どの場所だよ」
その後も何度か咳き込んで、気管に入りかけたお茶をようやく追い出してから左近が口を開いた。
「三郎次」
「なんだよ改まって。しかもやけに真面目な顔で」
「昔、僕たちが忍術学園一迷惑な先輩は誰かってことでケンカしたことがあったろ」
「ああ、あった。随分昔の話じゃないか、それ」
詳細は伏せておくけれど、掻い摘んで言うなら滝夜叉丸先輩と伊賀崎先輩のどっちが一番迷惑かっていう話をしたんだ。
俺は伊賀崎先輩で、左近は滝夜叉丸先輩が一番迷惑じゃないかと言い争いになって。
「その時、僕が滝夜叉丸先輩のブロマイドが捌けなくて、残ったやつを埋めたって話したの憶えてる?」
「埋めた」
「そうだった。そんなこと言ってたよな。埋めた場所から変な芽が出るかも……って、まさか」
口角を引き攣らせた左近が乾いた笑みを漏らした。目は左右に泳いでいる。
おいおい、まさか。本当にそこに埋めたのか。そして本当に変な芽が出てきたっていうのか。
「そのまさかで」
「いやいや、そんなはずないだろ?! だってそれ、七年も前の話じゃないか! 芽が出るならとっくに主張が激しくて、やたらキラキラしたのが出て噂になってるはずだろ。太陽に向かってぐんぐん伸びて、そのうち光り輝きだすかもしれないぐらいの」
「どんな植物だよそれ!」
滝夜叉丸先輩のブロマイド養分を吸い取って、摩訶不思議な植物が育ってしまうかもしれない。
これは早々に刈り取ってしまった方が良いのでは。花なんて咲いた日にはグダグダと喋り出すかもしれないぞ。
「賑やかだと思ったら、左近が来ていたのか」
「あっ、久々知先輩」
「何をそんなに慌てて、というよりも怯えているんだ」
「実は、斯々然々というわけで」
この時間帯は受け持つ科目が無い様子の久々知先輩。食堂に御内儀がいると分かっているので喋りに来たんだろう。
最早当たり前の様に久々知さんの隣に腰を下ろしていた。相変わらずその距離も近い。
「……滝夜叉丸のブロマイド」
理由を聞いた久々知先輩の顔が呆れ、笑顔のまま歪んだ。そんな顔したくなるのもわかります。
「ねえ、そのブロマイドって川西くんが大量に抱えて途方に暮れてた時の?」
「あ、はい。先輩から配ってくるように! って言われて……誰も貰ってくれなくて」
「それ、私持ってたかも」
沈黙が流れた。
厨から聞こえる皿の重なり合う音、ジャブジャブと洗う水音が際立つ。
「ええーっ!?」
「どうして久々知さんが」
「あっ。思い出した! そういえばあの時一枚、いや二枚くらい捌けたんだった」
「その一枚が久々知さんの手に渡っていたということか」
この話を聞いた直後、俺はそっと久々知先輩の機嫌を窺った。
驚いたのか僅かに眉と目に動きがあったくらいで、特段不機嫌には見えない。でも油断は出来ないぞ。何せこの人は全方向型やきもち焼きだから。やきもちが爆発したら滝夜叉丸先輩は兎も角、左近の身にも危険が及んでしまう。
俺の心配は完全に考慮されることなく、久々知さんの話は続けられた。
「川西くんがトボトボ歩いてたから、どうしたのーって声掛けたんだよね。そしたら『不二子さん! 滝夜叉丸先輩のブロマイド要りませんかっ!』って言われて」
「声の掛け方が必死過ぎる」
「まあ、断る理由もなかったし。じゃあ、貰うねーって」
「そして物凄く軽い気持ちで受け取ってた」
その場面が容易く目に浮かぶ。
渡した左近はあまりの嬉しさに目尻に涙を浮かべているし、ブロマイドを手にした久々知さんは何とも言えない顔をしていた。
「そのブロマイド、もしかしてまだ持ってたりするんですか」
「聞いてどうする?!」
「いやぁ気になって。捌けたうちの貴重な一枚だし。あと一枚は誰に渡したんだっけ」
左近は左近で自ら久々知先輩の逆鱗に触れに行こうとしているし。笑ってるバヤイじゃないんだぞ。満身創痍になりかねないんだぞ。
「それが、行方不明というか見当たらなくて。私が置いていった荷物はおばちゃんが持っててくれたんだけどね。その中にあるはずの滝夜叉丸くんのブロマイドがなかったの」
「……消えたブロマイド」
「意味深な言い方するなよ三郎次ぃ……ブロマイドが一人で勝手に歩きだすわけないだろ」
「滝夜叉丸先輩ならわからないぞ」
「池田くんたちの中で滝夜叉丸くんのイメージ割と酷い」
良いとは言い切れないですからね。
ところで、久々知先輩がさっきから黙って傍観しているのが物凄く気になっていた。
御内儀がブロマイド受け取っていた事実を知っても尚、機嫌を損ねるどころか乾いた笑みを浮かべてばかりいる。
これはどうも怪しい。そう睨んだ俺は久々知先輩に探りを、いや単刀直入に訊ねることにした。
「久々知先輩。もしかして、御内儀が受け取ったという滝夜叉丸先輩のブロマイドをこっそり捨てたのでは」
「えっ」
「んなっ!? そんなことするわけないだろ!」
「久々知先輩ならやりかねない」
「確かに」
「兵助くん、そうなの?」
三人で畳み掛ける様に問えば、先輩の表情に段々と焦りが現れた。
しかしそれでも首を横へぶんぶんと振って「捨ててない!」と否定をする。何とも例え難い複雑な表情を携えて。
「捨ててないというなら、どこにあるんですか。仮にも御内儀の持ち物なんですよ。あるというなら返してあげてください」
「返すって……いや、そう言われても」
「兵助くん」
「……その、不二子さんの荷物から櫛を取った時に偶然それを見つけてしまって。それを手にした時はものすごおく複雑な気持ちにはなったんだけど」
「やっぱり」
「でも、これをどうこうして、もし不二子さんの身に何かあったら。何か良くないことが起きてしまったらどうしようかと。それで、悩みに悩んだ末」
そこで久々知先輩が言葉を止めた。
やがて、注がれる三つの視線に耐え切れなくなって長い溜息を吐き出した。
「今は長屋の机の裏に貼ってあるんだ」
「……なんて?」
「だから、暫く俺が持ってて、不二子さんが戻ってきた後は長屋の机の裏に」
「なんかそれ、隠れファンみたいじゃない……?」
返してくれれば良かったのに。
久々知さんのそれは正論だけど、この先輩には通じない。ブロマイドを返して「これ探してたんだぁ!」嬉々として満面の笑みで言われでもしたら。
また顔がぐしゃぐしゃになるぐらい泣いてしまうに違いない。
詰まるところ直接返しそびれた結果、人の目に触れにくい場所にそっと貼ることにしたらしい。
「……勝手に私の持ち物捨てなかったことに関しては、うん。でも、机の裏」
「なんか滝夜叉丸先輩に家を護られてる感じですね。変なのは寄ってこなさそう」
「や、やっぱり剥がそうか?」
「人の目が触れる所に貼ってあげた方が良い気もする」
「えっ」
◇
「……とまあ、昼間はこんな感じでバタついていました」
ようやく人里の灯りが見えてきた。
忍務を終え帰路に着く途中で霧華さんに昼間の出来事を伝えると、薄闇でもわかる苦笑いを浮かべていた。
「それであの二人はなんとも言えぬ表情だったのか」
「ブロマイドどうしようかって感じでしたね」
「……何も問題がなければそのままで良い気もする」
「そのままで……って、なんかそれも守り札みたいでちょっと嫌じゃありません? 滝夜叉丸先輩だし」
「そう、だろうか」
ふいっと霧華さんの視線が前に逸れた。
それは傍から見れば進行方向に向いただけかもしれないが、俺から見ればおかしい。
どことなく先程から気まずそうでいて、歯切れも悪い。昼間の久々知先輩の様子と似ている。
「霧華さん。何か隠してません?」
「……いや。大したことではない、と思う」
「それなら話してくれても良いんじゃないですか」
そう訊ねれば一文字に唇が結ばれる。
大したことないと言っておきながら、重大な事のように醸し出してませんか。
「実は」
「実は?」
「家の柱に平のブロマイドが貼ってある」
ちょっと待った。
「なんで我が家の柱に滝夜叉丸先輩のブロマイドが貼ってあるんです!?」
「三郎次。夜間だぞ、声をもう少し」
「デカくもなりますよ! ……もしかして、左近が配ったもう一枚ってまさか」
霧華さんのことだ。憔悴した左近の顔を見て、可哀想に思って受け取ったんだろう。もしくは「要りませんか」と聞かれても「要らない」と答えるような人じゃないから。どこまでも後輩に甘いんだよ、この人は。
まだ町長屋に差し掛かっていない。煩いと怒鳴られる心配はないが、あまり大声を出さないようにと霧華さんは宥めてくる。
「……まあ、私が貰った物と不二子さんが手にしたのは同じ構図のブロマイドだろうな」
「お二人共お人好し過ぎるんですよっ。後輩だからって何でもかんでも受け取らないでください!」
「いや、あの時の川西は本当に……待て、三郎次。心なしか足早になっていないか。まさか、ブロマイドを剥がそうと」
「そのまさかですよ! 何が悲しくて家に滝夜叉丸先輩のブロマイド貼ってなきゃいけないんですかっ。御札じゃあるまいし」
早足、やがて駆け足でその日は家に帰り着いた。
帰ってから厨付近の柱、しかも目立たない所に滝夜叉丸先輩のブロマイドを発見。なんで今まで気付かなかったんだ。
「火の用心も兼ねて人の目があった方が良いかと」
「すみません。こればっかりはちょっと意味が分からないし賛同しかねます」
とりあえずべりっとそのブロマイドは剥がしました。
「まさか食べようとしたおにぎりを烏に持っていかれて、しかも体当たりまでされるなんて。いかにも左近らしい不運だな」
「全く参ったよ。昨日の夜から殆ど食べてなくて、お腹ペコペコだったんだ」
俺は特別講師として呼ばれた霧華さんをいつものように学園内で待っていた。
今日は昼からの座学授業を担当。午前中の間に学園へ来て、食堂で昼を食べてから授業へ赴く霧華さんを見送った。
その授業が終わった後、次は二人で忍務に向かう手筈となっている。
で、待つ間暇だから先生方の手伝いでもしてこようかと教員長屋に向かう途中のことだ。
校庭で行き倒れている左近を見つけた。
重症でも負ったのかと慌てて駆け寄ってみれば「お腹が減って動けない」と蚊の鳴くような声。
これを聞いた時は流石に脱力した。腹が減って行き倒れるだなんて、どこかの自称剣豪みたいじゃないか。全く人騒がせなやつだ。
燃料が切れた左近を食堂まで引きずってきて、座らせる。まだ厨にいた久々知さんに「余り物でいいから何か食べられるものを」とお願いをした。
食堂机にぺったりと伏せた左近の姿はまるで溶けた雪だるまの様にも思えた。
今日の昼定食は豚汁定食と焼き魚定食。
魚は今が旬の秋刀魚。脂がのった身とぴりっと辛い大根おろしの組み合わせが最高に美味かった。
左近にもそれを食べて貰いたかったけど、焼き魚定食は早々に売切れ御免となってしまったんだ。
だから、定食についた小鉢の料理をそれぞれ少しずつと、豚汁一杯。それと小さな握り飯が左近の腹に収まった。
「三郎次が偶然通りかかってくれて助かったぁ。そうじゃなきゃ野垂れ死んでたかもしれない」
「大袈裟だなぁ。ま、左近なら有り得る話かもな」
「だろ? それに残り物とはいえ、久々知さんの定食にもありつけたし。今日はなんだかツイてる気がしてきた」
さっきまで腹が減って死にそうな顔をしていた友人は空腹が満たされ、実に御満悦な様子。
ひょいと厨から久々知さんが顔を覗かせた。
腹ペコの左近を肩に担いできた時は何事かと慌てふためいていたけど、理由を聞いたら落ち着いて対処してくれた。
腹を空かせて倒れる人は学園関係者含めて少なくないからだろうな。
「川西くんお腹いっぱいになった?」
「はい、お陰様で。有難う御座います」
「そりゃ良かった。今お茶淹れてあげるね」
「すみません。三郎次は先輩待ちか」
空いた食器皿を重ねて配膳口に下げ、戻ってきた左近はさっきと同じ様に俺の左隣に腰掛ける。
「ああ。合流したら別件の仕事。詳しくは言えない」
「詳しくは聞かないのがお約束、だろ。ま、二人とも怪我には気をつけてくれよ」
「わかってる」
「それにしてもさ」
「なんだよ。ニヤニヤして」
その顔は人をおよそ小馬鹿にしているものだった。頬杖をつき、小首を傾げるようにしている。
「仲が良いよなぁ三郎次と先輩。いつも揃って学園に顔出してるらしいじゃないか。講師の依頼があるなしに関わらず」
「いつもってワケじゃない。お互いそれぞれ忍務引き受けてる時だってあるんだし」
「じゃあ、あれだ。先輩は三郎次を一人にするわけにはいかない! って感じなのかも。あ、それとも三郎次の方が先輩を一人で外出させるのは不安だったりして」
「何言ってるんだ。久々知先輩じゃあるまいし」
霧華さんは例え単身であろうと、怪しい曲者をばったばったと薙ぎ倒すし、大男だって軽く捻って投げ飛ばしてしまう。分が悪ければ上手く交わして逃げ果せもする。
忍びとして出来た人だから。
でも、確かに左近の言う通り心配な点がある。
変な輩に絡まれていないかとか、花房牧之介に付き纏われていないかとか。タソガレドキ城の忍び組頭から強引にスカウトされそうになってないかとか。
考え出したらキリがなくなってきた。
「おーい三郎次。どうしたー?」
暫し黙り込んだ俺を訝しいと思ったのか、左近が手の平をひらひらと目の前で振ってきた。
「……やっぱり心配は尽きないと思って。目を離しちゃいけないような気がする」
「目が離せないのは昔からじゃないか。いっつも先輩のこと目で追ってたし」
「そういう意味じゃなく!」
「違うの?」
久々知さんが自然と会話に混ざり込んできた。湯呑みを俺と左近の前に置き、すとんと向かい側に腰掛ける。
「池田くん、私が来た頃にはもう霧華さんにべったりだったというか。あの頃は紅蓮くんか」
「そうそう。学園長先生の突然の思いつきや委員会別の時が特にそうでしたよ。憧れの葉月先輩と組むことになったーとか、葉月先輩が扱う六尺棒が、棒手裏剣捌きが素晴らしいって。よく先輩自慢されたもんですよ」
「ああーしてたねぇ。まさに限界オタクって感じだった」
そんなに先輩自慢をしたつもりはないんだけど。左近や久々知さんに言わせたら「耳にタコちゃんが出来るくらいだよ」と言われてしまった。
「三郎次は息をするように先輩の自慢してたからなぁ」
「……左近だって有名人に会った時は目を輝かせてたじゃないか。町でばったり竜王丸さんに会った時とか」
「あの時は僕だけじゃなく、みんなそうだっただろ。お前の先輩に対する情熱だけがおかしかったの」
「おかしいとはなんだよ、おかしいとは。上級生に憧憬を抱くのは至極当たり前のことだろ」
自分よりも優れてカッコいい人には憧れるもの。昔からそうだったけど、それは今も変わらずだ。この分だと一生憧れているかもしれない。
左近があまりにも揶揄するものだから、こっちも躍起になりかける。そこに久々知さんが「まあまあ」と宥めに入ってきた。
ふと、廊下からバタバタと走る足音が聞こえてきた。この足音から察するに一年生か。
「久々知さん! 食器洗い当番に来ました!」
「遅れてすみませんっ」
井桁模様の制服を着た生徒が二人。息を切らしながら食堂に飛び込んできた。
「おー待ってたよぉ。食器は水に漬けてあるから、よろしくね」
「はーい。あっ、池田三郎次先生とそのご友人の川西左近先輩。こんにちは」
挙手よろしく、弾んだ元気な挨拶。一年生らしさが全身から溢れ出ている。この頃は可愛げがあるもんだ。
「今日は池田霧華先生とご一緒じゃないんですかぁ? あ、もしかしてケンカされたとか」
「それとも愛想尽かされたとか」
「してないし尽かされてもいない!」
前言撤回だ。可愛げがまっったくない。
ニヤニヤと人を小馬鹿にしたような顔で笑う。本っ当に可愛げがない。
「ですよねぇ。お二人は久々知先生方とは違ってケンカするような人達でもないし」
「それどういう意味かなぁ」
「な、なんでもないでーす!」
「食器洗いかんばるぞー!」
一年生二人はそそくさと厨に入っていった。
直ぐに皿洗いを始めるかと思いきや「そういえば、知ってる?」と、少し声を落として雑談を始めた。
俺は何となしにその会話に耳を傾けてみる。
「菜園の側に小屋があるじゃない。その辺りに見たことのない変な芽が出てるんだって」
「変な芽? そんなのあったかなぁ。どの辺に」
「えーっと……小屋の東側だったよ」
その時、左近がお茶を飲み損ねて咽返った。
二人の会話を聞いていたのか、それとも偶々咽たのか。涙目になりながら咳き込む左近の背を軽く叩いてやった。
「おいおい、大丈夫か。どうしたんだよ急に咽たりして」
「げほっ……げほ。いや、……まさか。でも、確かにあの場所」
「あの場所って?」
「どの場所だよ」
その後も何度か咳き込んで、気管に入りかけたお茶をようやく追い出してから左近が口を開いた。
「三郎次」
「なんだよ改まって。しかもやけに真面目な顔で」
「昔、僕たちが忍術学園一迷惑な先輩は誰かってことでケンカしたことがあったろ」
「ああ、あった。随分昔の話じゃないか、それ」
詳細は伏せておくけれど、掻い摘んで言うなら滝夜叉丸先輩と伊賀崎先輩のどっちが一番迷惑かっていう話をしたんだ。
俺は伊賀崎先輩で、左近は滝夜叉丸先輩が一番迷惑じゃないかと言い争いになって。
「その時、僕が滝夜叉丸先輩のブロマイドが捌けなくて、残ったやつを埋めたって話したの憶えてる?」
「埋めた」
「そうだった。そんなこと言ってたよな。埋めた場所から変な芽が出るかも……って、まさか」
口角を引き攣らせた左近が乾いた笑みを漏らした。目は左右に泳いでいる。
おいおい、まさか。本当にそこに埋めたのか。そして本当に変な芽が出てきたっていうのか。
「そのまさかで」
「いやいや、そんなはずないだろ?! だってそれ、七年も前の話じゃないか! 芽が出るならとっくに主張が激しくて、やたらキラキラしたのが出て噂になってるはずだろ。太陽に向かってぐんぐん伸びて、そのうち光り輝きだすかもしれないぐらいの」
「どんな植物だよそれ!」
滝夜叉丸先輩のブロマイド養分を吸い取って、摩訶不思議な植物が育ってしまうかもしれない。
これは早々に刈り取ってしまった方が良いのでは。花なんて咲いた日にはグダグダと喋り出すかもしれないぞ。
「賑やかだと思ったら、左近が来ていたのか」
「あっ、久々知先輩」
「何をそんなに慌てて、というよりも怯えているんだ」
「実は、斯々然々というわけで」
この時間帯は受け持つ科目が無い様子の久々知先輩。食堂に御内儀がいると分かっているので喋りに来たんだろう。
最早当たり前の様に久々知さんの隣に腰を下ろしていた。相変わらずその距離も近い。
「……滝夜叉丸のブロマイド」
理由を聞いた久々知先輩の顔が呆れ、笑顔のまま歪んだ。そんな顔したくなるのもわかります。
「ねえ、そのブロマイドって川西くんが大量に抱えて途方に暮れてた時の?」
「あ、はい。先輩から配ってくるように! って言われて……誰も貰ってくれなくて」
「それ、私持ってたかも」
沈黙が流れた。
厨から聞こえる皿の重なり合う音、ジャブジャブと洗う水音が際立つ。
「ええーっ!?」
「どうして久々知さんが」
「あっ。思い出した! そういえばあの時一枚、いや二枚くらい捌けたんだった」
「その一枚が久々知さんの手に渡っていたということか」
この話を聞いた直後、俺はそっと久々知先輩の機嫌を窺った。
驚いたのか僅かに眉と目に動きがあったくらいで、特段不機嫌には見えない。でも油断は出来ないぞ。何せこの人は全方向型やきもち焼きだから。やきもちが爆発したら滝夜叉丸先輩は兎も角、左近の身にも危険が及んでしまう。
俺の心配は完全に考慮されることなく、久々知さんの話は続けられた。
「川西くんがトボトボ歩いてたから、どうしたのーって声掛けたんだよね。そしたら『不二子さん! 滝夜叉丸先輩のブロマイド要りませんかっ!』って言われて」
「声の掛け方が必死過ぎる」
「まあ、断る理由もなかったし。じゃあ、貰うねーって」
「そして物凄く軽い気持ちで受け取ってた」
その場面が容易く目に浮かぶ。
渡した左近はあまりの嬉しさに目尻に涙を浮かべているし、ブロマイドを手にした久々知さんは何とも言えない顔をしていた。
「そのブロマイド、もしかしてまだ持ってたりするんですか」
「聞いてどうする?!」
「いやぁ気になって。捌けたうちの貴重な一枚だし。あと一枚は誰に渡したんだっけ」
左近は左近で自ら久々知先輩の逆鱗に触れに行こうとしているし。笑ってるバヤイじゃないんだぞ。満身創痍になりかねないんだぞ。
「それが、行方不明というか見当たらなくて。私が置いていった荷物はおばちゃんが持っててくれたんだけどね。その中にあるはずの滝夜叉丸くんのブロマイドがなかったの」
「……消えたブロマイド」
「意味深な言い方するなよ三郎次ぃ……ブロマイドが一人で勝手に歩きだすわけないだろ」
「滝夜叉丸先輩ならわからないぞ」
「池田くんたちの中で滝夜叉丸くんのイメージ割と酷い」
良いとは言い切れないですからね。
ところで、久々知先輩がさっきから黙って傍観しているのが物凄く気になっていた。
御内儀がブロマイド受け取っていた事実を知っても尚、機嫌を損ねるどころか乾いた笑みを浮かべてばかりいる。
これはどうも怪しい。そう睨んだ俺は久々知先輩に探りを、いや単刀直入に訊ねることにした。
「久々知先輩。もしかして、御内儀が受け取ったという滝夜叉丸先輩のブロマイドをこっそり捨てたのでは」
「えっ」
「んなっ!? そんなことするわけないだろ!」
「久々知先輩ならやりかねない」
「確かに」
「兵助くん、そうなの?」
三人で畳み掛ける様に問えば、先輩の表情に段々と焦りが現れた。
しかしそれでも首を横へぶんぶんと振って「捨ててない!」と否定をする。何とも例え難い複雑な表情を携えて。
「捨ててないというなら、どこにあるんですか。仮にも御内儀の持ち物なんですよ。あるというなら返してあげてください」
「返すって……いや、そう言われても」
「兵助くん」
「……その、不二子さんの荷物から櫛を取った時に偶然それを見つけてしまって。それを手にした時はものすごおく複雑な気持ちにはなったんだけど」
「やっぱり」
「でも、これをどうこうして、もし不二子さんの身に何かあったら。何か良くないことが起きてしまったらどうしようかと。それで、悩みに悩んだ末」
そこで久々知先輩が言葉を止めた。
やがて、注がれる三つの視線に耐え切れなくなって長い溜息を吐き出した。
「今は長屋の机の裏に貼ってあるんだ」
「……なんて?」
「だから、暫く俺が持ってて、不二子さんが戻ってきた後は長屋の机の裏に」
「なんかそれ、隠れファンみたいじゃない……?」
返してくれれば良かったのに。
久々知さんのそれは正論だけど、この先輩には通じない。ブロマイドを返して「これ探してたんだぁ!」嬉々として満面の笑みで言われでもしたら。
また顔がぐしゃぐしゃになるぐらい泣いてしまうに違いない。
詰まるところ直接返しそびれた結果、人の目に触れにくい場所にそっと貼ることにしたらしい。
「……勝手に私の持ち物捨てなかったことに関しては、うん。でも、机の裏」
「なんか滝夜叉丸先輩に家を護られてる感じですね。変なのは寄ってこなさそう」
「や、やっぱり剥がそうか?」
「人の目が触れる所に貼ってあげた方が良い気もする」
「えっ」
◇
「……とまあ、昼間はこんな感じでバタついていました」
ようやく人里の灯りが見えてきた。
忍務を終え帰路に着く途中で霧華さんに昼間の出来事を伝えると、薄闇でもわかる苦笑いを浮かべていた。
「それであの二人はなんとも言えぬ表情だったのか」
「ブロマイドどうしようかって感じでしたね」
「……何も問題がなければそのままで良い気もする」
「そのままで……って、なんかそれも守り札みたいでちょっと嫌じゃありません? 滝夜叉丸先輩だし」
「そう、だろうか」
ふいっと霧華さんの視線が前に逸れた。
それは傍から見れば進行方向に向いただけかもしれないが、俺から見ればおかしい。
どことなく先程から気まずそうでいて、歯切れも悪い。昼間の久々知先輩の様子と似ている。
「霧華さん。何か隠してません?」
「……いや。大したことではない、と思う」
「それなら話してくれても良いんじゃないですか」
そう訊ねれば一文字に唇が結ばれる。
大したことないと言っておきながら、重大な事のように醸し出してませんか。
「実は」
「実は?」
「家の柱に平のブロマイドが貼ってある」
ちょっと待った。
「なんで我が家の柱に滝夜叉丸先輩のブロマイドが貼ってあるんです!?」
「三郎次。夜間だぞ、声をもう少し」
「デカくもなりますよ! ……もしかして、左近が配ったもう一枚ってまさか」
霧華さんのことだ。憔悴した左近の顔を見て、可哀想に思って受け取ったんだろう。もしくは「要りませんか」と聞かれても「要らない」と答えるような人じゃないから。どこまでも後輩に甘いんだよ、この人は。
まだ町長屋に差し掛かっていない。煩いと怒鳴られる心配はないが、あまり大声を出さないようにと霧華さんは宥めてくる。
「……まあ、私が貰った物と不二子さんが手にしたのは同じ構図のブロマイドだろうな」
「お二人共お人好し過ぎるんですよっ。後輩だからって何でもかんでも受け取らないでください!」
「いや、あの時の川西は本当に……待て、三郎次。心なしか足早になっていないか。まさか、ブロマイドを剥がそうと」
「そのまさかですよ! 何が悲しくて家に滝夜叉丸先輩のブロマイド貼ってなきゃいけないんですかっ。御札じゃあるまいし」
早足、やがて駆け足でその日は家に帰り着いた。
帰ってから厨付近の柱、しかも目立たない所に滝夜叉丸先輩のブロマイドを発見。なんで今まで気付かなかったんだ。
「火の用心も兼ねて人の目があった方が良いかと」
「すみません。こればっかりはちょっと意味が分からないし賛同しかねます」
とりあえずべりっとそのブロマイドは剥がしました。
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