軽率なコラボシリーズ
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物好きは自ら飛び込む
振り向いた猫の顔が全て鉢屋三郎であった。
私が先日見た夢の話を後輩たちの前で話すと、場が微妙な空気に包まれてしまう。
集まった顔ぶれは当人の鉢屋を筆頭に不破、竹谷。そして不二子さんと兵助。
三郎次と共に私たちは教員長屋の濡れ縁に腰掛けていた。
最初はいつもの四人で団欒していたのだが、そこへ鉢屋たちがひょっこりとやってきたのだ。
「……それ、怖すぎない?」
「圧巻の光景でしたよ」
「むしろ悪夢」
この話に一番引いているのは思いの外、不二子さんであった。動物が好きだと聞いていたのだが、やはり人面猫は願い下げか。
私が普段見る悪夢と比べれば大したことがない。桁違いだ。むしろ喜劇でもある。
まあ、翌朝三郎次に話したら苦い顔をされたが。今も同じ表情をしている。
「うーん。一匹ならまだしも、五十匹もの三郎顔をした猫は……」
「おいおい。何を言ってるんだ雷蔵。私の顔をしているということは、即ち雷蔵の顔ということだぞ」
「僕と同じ顔の猫が五十匹も。……その顔は面なのか、それとも元々なのか」
「不味い。雷蔵が先輩のよくわからない夢の内容で悩み始めた」
腕を組み悩む不破の眉間に皺が一本、また一本と筋が刻まれる。これは申し訳ないことをしてしまったな。
「不破。私のくだらない夢に悩む必要はない」
「そうですよ不破先輩。そちらは普段から見慣れてる顔じゃないですか。僕らは見慣れてないから気味が悪いと感じただけで」
「いや、そういう問題でもないだろ。それにいくら見慣れていたって、俺たちも五十も同じ顔を前にしたら怯むって」
「そんな城の忍者がいたなぁ」
一同、へのへのもへじの顔が頭に浮かんだに違いない。
皆が同じ顔の面を被っているので、敵に追われた際逃げ果せやすい。見つかった時にその能面を捨てれば良い。
本当の顔を伏せているからこそ出来る技。それは鉢屋にも言えたことだが。
もはやこの二人は双子のような存在だろう。鉢屋が危機に面し、わざわざその顔を捨ててまで逃げるとは考えにくい。顔を捨てた時点で疑いの刃は不破雷蔵に向いてしまう。
私は三人で談笑する後輩たちの顔を見渡した。
この後輩たちも絆が固く結ばれているのだから。
「しかしだ、完璧な兵助を纏ってもどうしても御内儀は見破ってしまう」
「三郎。お前、まだ懲りてないのか」
本当にまだ懲りてないのか。
そのうち命を落としかねないぞ。
「じゃあ、こんなのはどうだ。人目も憚らずいちゃついてる久々知夫妻の前でいちゃつく久々知夫妻を用意する」
誰がやるんだその役を。
話がいよいよもって馬鹿らしくなってきたので、私はもう一方の輪に逃げ混ざることにした。三郎次はとっくに会話から抜けていて、兵助たちと会話を広げている。
「じゃあ、時々猫の鳴き声は聞こえるんだ」
「はい。姿は相変わらず見せてくれませんけど。置き土産も相変わらずです」
流石にこの時期だと蝉は減りました、と三郎次が話す。内容からしてあの三毛猫のことだろう。
「霧華さんに似て恥ずかしがり屋なんじゃない?」
「それはありそうですね。最初に連れ帰られてきた時も俺を見たらすぐ顔引っ込めましたから」
「かわいい〜」
「不二子さんも可愛かったよ」
兵助は膝上に座らせた御内儀の頭をよしよしと撫でていた。まるで猫の頭を撫でるかのように。
それはもう愛おしそうに、人目も憚らず。
「先輩が猫お好きだなんて知りませんでした」
視界の端に映った明るい茶毛が揺れた。
悩み事から吹っ切れた不破はこちらの会話に参加することに決めたのか、私の隣に腰掛けた。
ちらと三郎次の方を窺い見るが、特段変わった様子は見せない。不破のことは別に気にしないのか。
「そんなに意外か。兵助にも言われた」
「カッコいいが前面に出てますからね先輩。猫よりも鷹や狼って感じがします」
「なにそれカッコいい。ね、池田くん」
生物委員会に所属していたならば、そんな機会もあったやもしれない。だが、忍術学園の飼育小屋には毒蛇や毒虫も飼われていた。ちょっとそれは耐えられそうになくてだな。
「……まあ、そうですね」
「あれっ。意外に反応が薄いね」
不二子さんの言う通りであった。
三郎次のことだから「カッコいいに決まってるじゃないですか!」の一点張りかと思いきや。私の思い上がりであったか。
そう考えた矢先、三郎次が不満げに声を張り上げた。
「生物委員会なんかに霧華さんを渡すわけにいきませんでしたから。火薬委員会はただでさえ人手が足りなかったんだ。委員長として火薬委員会に入ってくださってものすごーく助かったんですから」
「とかなんとか言ってるけど。先輩が火薬委員会に入ってくださらなかったら今の関係は築けなかった。もしも生物委員会に入っていたら……それを想像して三郎次はちょっと拗ねてるんですよ」
「久々知先輩っ!!」
嗚呼、成程。
私が火薬委員会ではなく、生物委員会に入っていたとなれば自ずと接点も減る。恐らく今の私は存在していないだろうな。
三郎次や兵助とも話す機会も無く過ごし、夫婦の縁が結ばれることもなかったかもしれない。
それでも三郎次からの熱い尊敬の念は変わらずに注がれていたのだろう。少なからず接点はありそうだが、今とは違う未来を迎えているやも。
まあ、どちらにせよだ。土井先生のお言葉ありきではあるが、私は火薬委員会に入るつもりでいたよ。
私は兵助にくってかかる三郎次を宥め、後輩二人に笑みを向けた。
この光景も少し懐かしく思える。
「私は火薬委員会で出来た縁に結ばれて良かったと思っている」
「先輩」
「そうでなければ不二子さんとこうして話すこともなかっただろう」
兵助がその手を引いて連れて来なかったとしたら。
あの時、今際の際から私が戻ることができなかったら。
あいつが、もしも生きていたとしたら。
全ての事象が複雑に絡み合い、現在が存在する。
まあ、かもしれない話ばかりを考えていても仕方がないことなのだが。どうしてもふとした時に頭を過る。
「霧華さん、どうしたの」
「……いえ。三千世界とはよく言ったものだと思い。取り分け人の縁は不思議だと。……今の縁に私は満足していますよ」
私は右腕の手甲にそっと触れ、目を瞑った。
その時である。
「だが、先輩は私の素顔を知っていらっしゃるぞ」
とんでもない台詞が横から聞こえてきた。
それと同時にその場にいた者の目が一斉に私へと注がれる。目を真ん丸に見開いて。
火の粉どころか、厄介事本体に体当たりをされたような気さえした。
ツュー、ツューと仲間を呼び鳴きをするメジロの声。学園は野山に囲まれているので、メジロがここまで来て餌を啄みにくるのも珍しくはない。小さい体で樹上をすばしっこく跳び回る姿もよく見られる。
「ええーっ?!」
メジロの鳴き声が止んだ。不破たちの声に驚き、警戒しているのだろう。
「なんで三郎の素顔を知ってるんですか先輩」
「うっかり見られてしまったんだよ。いやぁ、私としたことが。うっかりだった」
鉢屋三郎はわざとらしく笑った。
そして面を喰らったような顔ぶれを見渡し、その中でも三郎次に目を留める。それから口の端をにやりと上げ、笑みを深めた。
人を挑発する時の表情だ。
「おや、三郎次は先輩から聞いていなかったのか? これはこれは、先輩も律儀に私との約束を今も守ってくださってるのか」
おい。余計な火を導火線に点けようとするんじゃない。
「約束もなにもお前が脅したからだ。私の正体を知っていると」
「ちょ、ちょっと待ってください。それいつの話なんですか先輩」
「私が六年次の時だ。不破に用があって部屋を訪れた時に。……いや、あれは見た部類には入らない」
何せ戸を開けた一瞬の出来事だ。その顔をじっくり見ていられるほどの余裕がその時の私にはなかった。
「どんな顔だったかも憶えておらんよ」
「酷いですね。この眉目秀麗の顔をお忘れとは」
「仙蔵の顔に化けるのはよせ」
サッと腕を顔の前で振ったかと思えば、三郎の顔面が立花仙蔵のものに早変わりした。
ふざけるのも大概にしておけ。
三郎次の雲行きが怪しくなってきたじゃないか。
「三郎。早く雷蔵の顔に戻した方がいいぞ。冗談抜きで」
「仕方ない。我が友の顔に戻すとしよう」
流石に悪ふざけが過ぎると気にしたのは珍しく兵助であり、苛々を募らせんとしている三郎次を抑えていた。
三郎は顔の前で手をごちゃごちゃと動かして見せ、手を離した時には元の顔――不破雷蔵の顔に戻っていた。
「それにしても、だ。兵助のような優秀な奴が先輩の正体に気づかずにいたとはな」
「え?」
「言われてみればそうだよな。兵助は同じ委員会だったんだし。先輩と接する機会は俺たちより多かっただろ」
鉢屋、竹谷両者の意見は尤もである。
委員会別対抗戦、文化祭、模擬店。何かと委員会単位で動くことも多かった。故に顔を合わせる回数も増える。
実のところ、委員会の後輩には何れバレるだろうと危惧もしていた。が、実際はどうだ。気づいたのはタカ丸のみであった。
「久々知先輩は豆腐と御内儀しか見てなかったからですよ」
「池田くんのその言い方」
「いやぁ。それほどでも」
「兵助。褒められてないからねそれ」
やんわりと笑った不破が優しいツッコミを入れた。
ふと、背後に人の気配を感じた。
ちらと後ろを見やれば私の後ろに三郎次が胡座をかいて座っている。先程まで兵助の隣にいたというのに、わざわざ移動してきたようだ。心なしか近い。肩が触れるぐらいにまで何も距離を詰めなくとも。
「でも三郎はどうして分かったんだい?」
「よくぞ訊いてくれた友よ。まあ、詳しい時期はこの際割愛しよう。先輩、風呂時は警戒していましたね? 伊作先輩や食満先輩を見張りに立てていることも多かった。そして烏の行水並の速さ。それに水遁の術に関わる実技を学内では受けていなかったようですし。そこでピンと来たんですよ」
観察眼が鋭いのは認めよう。
だが、それだけ張っていたとは。暇人か。
「気配に敏感な先輩が三郎の追跡に気づいていなかった……?」
「いや、大体は撒かれていた。だからこそ怪しんだのだよ竹谷くん」
「暇人でいらっしゃったんですね」
棘を含む苛々とした声が背後から聞こえる。
三郎次はちょこちょこと私の後ろをついて回っていた。それは純粋な慕う気持ちであったとわかっていたし、私の正体を暴こうともしなかったので気を許していた節もある。
裏を返せば私の懐に潜り込みやすい人間でもあったのだが。
「そして、私はついに決定打を目撃した!」
「決定打って、何を」
兵助にそう問われ、鉢屋は悪い顔で笑い返した。
「目撃した、と言っただろ?」
もしや。
私は心当たりが一つあることを思い出した。五年次に湯を浴びている最中、気配を感じたが誰のものか結局不明だったのだ。
妙な噂や言いふらされた様子もなかったので、暫く経ってから警戒は解いたのだけど。
今の口ぶりからして、その気配は鉢屋だったのだろう。過ぎた事だし、今更と思っていたのはどうやら私だけのようで。
背後から矢のように放たれた殺気が鉢屋へと向いた。いや、何故お前が怒るんだ。
「おっ、落ち着けー三郎次……」
「少しは冷静に」
「いや、むしろなんで霧華さんがそんなに落ち着いていられるの。それ立派な覗きじゃん」
貴女はもっと怒っていいと言われても。
私は不二子さんを盗み見る。
「……見られて困るような程度でもないし」
「そういう問題じゃないんですよ!!」
三郎次の張り上げた声量からして、これは、相当怒っているな。ちょっと振り向けそうにない。
「お、落ち着こう三郎次。先輩も多分怒ってないし」
「兵助くん。そういう問題じゃないんだよほんと。覗きは悪だよ。男の人にはわかんないだろうけど」
「久々知先輩。もし鉢屋先輩が久々知さんの着替えや風呂を覗いてても、そんな落ち着いていられるんですか?」
待て。例えでもそれは出してはいけない。
兵助はそのままぴたりと動きを止めたかと思えば、瞬時に手の内に寸鉄を忍ばせた。纏う空気が戦場で見かけたそれとよく似ている。
「うわぁー! 落ち着け兵助! まだそうとは決まってないんだろ?!」
「三郎ならやりかねない」
「前科ありますからね」
「そこ煽るんじゃない! 雷蔵、お前も兵助と三郎次を止めてくれ!」
「……でも、先輩はそうお怒りでもないし。うーん」
「悩んでるバヤイかー!」
この場をなんとか収めようとする竹谷がもはや不憫に思えてきた。
「先輩も黙って見てないで止めてくださいよ!」と、竹谷に助けを乞われもする。
だがまあ、言われてみれば私は被害者だしな。鉢屋なら自分でなんとかするだろうと私は不二子さんと共に傍観に徹することにした。
自分で撒いた種だ。自分で刈り取れ。
振り向いた猫の顔が全て鉢屋三郎であった。
私が先日見た夢の話を後輩たちの前で話すと、場が微妙な空気に包まれてしまう。
集まった顔ぶれは当人の鉢屋を筆頭に不破、竹谷。そして不二子さんと兵助。
三郎次と共に私たちは教員長屋の濡れ縁に腰掛けていた。
最初はいつもの四人で団欒していたのだが、そこへ鉢屋たちがひょっこりとやってきたのだ。
「……それ、怖すぎない?」
「圧巻の光景でしたよ」
「むしろ悪夢」
この話に一番引いているのは思いの外、不二子さんであった。動物が好きだと聞いていたのだが、やはり人面猫は願い下げか。
私が普段見る悪夢と比べれば大したことがない。桁違いだ。むしろ喜劇でもある。
まあ、翌朝三郎次に話したら苦い顔をされたが。今も同じ表情をしている。
「うーん。一匹ならまだしも、五十匹もの三郎顔をした猫は……」
「おいおい。何を言ってるんだ雷蔵。私の顔をしているということは、即ち雷蔵の顔ということだぞ」
「僕と同じ顔の猫が五十匹も。……その顔は面なのか、それとも元々なのか」
「不味い。雷蔵が先輩のよくわからない夢の内容で悩み始めた」
腕を組み悩む不破の眉間に皺が一本、また一本と筋が刻まれる。これは申し訳ないことをしてしまったな。
「不破。私のくだらない夢に悩む必要はない」
「そうですよ不破先輩。そちらは普段から見慣れてる顔じゃないですか。僕らは見慣れてないから気味が悪いと感じただけで」
「いや、そういう問題でもないだろ。それにいくら見慣れていたって、俺たちも五十も同じ顔を前にしたら怯むって」
「そんな城の忍者がいたなぁ」
一同、へのへのもへじの顔が頭に浮かんだに違いない。
皆が同じ顔の面を被っているので、敵に追われた際逃げ果せやすい。見つかった時にその能面を捨てれば良い。
本当の顔を伏せているからこそ出来る技。それは鉢屋にも言えたことだが。
もはやこの二人は双子のような存在だろう。鉢屋が危機に面し、わざわざその顔を捨ててまで逃げるとは考えにくい。顔を捨てた時点で疑いの刃は不破雷蔵に向いてしまう。
私は三人で談笑する後輩たちの顔を見渡した。
この後輩たちも絆が固く結ばれているのだから。
「しかしだ、完璧な兵助を纏ってもどうしても御内儀は見破ってしまう」
「三郎。お前、まだ懲りてないのか」
本当にまだ懲りてないのか。
そのうち命を落としかねないぞ。
「じゃあ、こんなのはどうだ。人目も憚らずいちゃついてる久々知夫妻の前でいちゃつく久々知夫妻を用意する」
誰がやるんだその役を。
話がいよいよもって馬鹿らしくなってきたので、私はもう一方の輪に逃げ混ざることにした。三郎次はとっくに会話から抜けていて、兵助たちと会話を広げている。
「じゃあ、時々猫の鳴き声は聞こえるんだ」
「はい。姿は相変わらず見せてくれませんけど。置き土産も相変わらずです」
流石にこの時期だと蝉は減りました、と三郎次が話す。内容からしてあの三毛猫のことだろう。
「霧華さんに似て恥ずかしがり屋なんじゃない?」
「それはありそうですね。最初に連れ帰られてきた時も俺を見たらすぐ顔引っ込めましたから」
「かわいい〜」
「不二子さんも可愛かったよ」
兵助は膝上に座らせた御内儀の頭をよしよしと撫でていた。まるで猫の頭を撫でるかのように。
それはもう愛おしそうに、人目も憚らず。
「先輩が猫お好きだなんて知りませんでした」
視界の端に映った明るい茶毛が揺れた。
悩み事から吹っ切れた不破はこちらの会話に参加することに決めたのか、私の隣に腰掛けた。
ちらと三郎次の方を窺い見るが、特段変わった様子は見せない。不破のことは別に気にしないのか。
「そんなに意外か。兵助にも言われた」
「カッコいいが前面に出てますからね先輩。猫よりも鷹や狼って感じがします」
「なにそれカッコいい。ね、池田くん」
生物委員会に所属していたならば、そんな機会もあったやもしれない。だが、忍術学園の飼育小屋には毒蛇や毒虫も飼われていた。ちょっとそれは耐えられそうになくてだな。
「……まあ、そうですね」
「あれっ。意外に反応が薄いね」
不二子さんの言う通りであった。
三郎次のことだから「カッコいいに決まってるじゃないですか!」の一点張りかと思いきや。私の思い上がりであったか。
そう考えた矢先、三郎次が不満げに声を張り上げた。
「生物委員会なんかに霧華さんを渡すわけにいきませんでしたから。火薬委員会はただでさえ人手が足りなかったんだ。委員長として火薬委員会に入ってくださってものすごーく助かったんですから」
「とかなんとか言ってるけど。先輩が火薬委員会に入ってくださらなかったら今の関係は築けなかった。もしも生物委員会に入っていたら……それを想像して三郎次はちょっと拗ねてるんですよ」
「久々知先輩っ!!」
嗚呼、成程。
私が火薬委員会ではなく、生物委員会に入っていたとなれば自ずと接点も減る。恐らく今の私は存在していないだろうな。
三郎次や兵助とも話す機会も無く過ごし、夫婦の縁が結ばれることもなかったかもしれない。
それでも三郎次からの熱い尊敬の念は変わらずに注がれていたのだろう。少なからず接点はありそうだが、今とは違う未来を迎えているやも。
まあ、どちらにせよだ。土井先生のお言葉ありきではあるが、私は火薬委員会に入るつもりでいたよ。
私は兵助にくってかかる三郎次を宥め、後輩二人に笑みを向けた。
この光景も少し懐かしく思える。
「私は火薬委員会で出来た縁に結ばれて良かったと思っている」
「先輩」
「そうでなければ不二子さんとこうして話すこともなかっただろう」
兵助がその手を引いて連れて来なかったとしたら。
あの時、今際の際から私が戻ることができなかったら。
あいつが、もしも生きていたとしたら。
全ての事象が複雑に絡み合い、現在が存在する。
まあ、かもしれない話ばかりを考えていても仕方がないことなのだが。どうしてもふとした時に頭を過る。
「霧華さん、どうしたの」
「……いえ。三千世界とはよく言ったものだと思い。取り分け人の縁は不思議だと。……今の縁に私は満足していますよ」
私は右腕の手甲にそっと触れ、目を瞑った。
その時である。
「だが、先輩は私の素顔を知っていらっしゃるぞ」
とんでもない台詞が横から聞こえてきた。
それと同時にその場にいた者の目が一斉に私へと注がれる。目を真ん丸に見開いて。
火の粉どころか、厄介事本体に体当たりをされたような気さえした。
ツュー、ツューと仲間を呼び鳴きをするメジロの声。学園は野山に囲まれているので、メジロがここまで来て餌を啄みにくるのも珍しくはない。小さい体で樹上をすばしっこく跳び回る姿もよく見られる。
「ええーっ?!」
メジロの鳴き声が止んだ。不破たちの声に驚き、警戒しているのだろう。
「なんで三郎の素顔を知ってるんですか先輩」
「うっかり見られてしまったんだよ。いやぁ、私としたことが。うっかりだった」
鉢屋三郎はわざとらしく笑った。
そして面を喰らったような顔ぶれを見渡し、その中でも三郎次に目を留める。それから口の端をにやりと上げ、笑みを深めた。
人を挑発する時の表情だ。
「おや、三郎次は先輩から聞いていなかったのか? これはこれは、先輩も律儀に私との約束を今も守ってくださってるのか」
おい。余計な火を導火線に点けようとするんじゃない。
「約束もなにもお前が脅したからだ。私の正体を知っていると」
「ちょ、ちょっと待ってください。それいつの話なんですか先輩」
「私が六年次の時だ。不破に用があって部屋を訪れた時に。……いや、あれは見た部類には入らない」
何せ戸を開けた一瞬の出来事だ。その顔をじっくり見ていられるほどの余裕がその時の私にはなかった。
「どんな顔だったかも憶えておらんよ」
「酷いですね。この眉目秀麗の顔をお忘れとは」
「仙蔵の顔に化けるのはよせ」
サッと腕を顔の前で振ったかと思えば、三郎の顔面が立花仙蔵のものに早変わりした。
ふざけるのも大概にしておけ。
三郎次の雲行きが怪しくなってきたじゃないか。
「三郎。早く雷蔵の顔に戻した方がいいぞ。冗談抜きで」
「仕方ない。我が友の顔に戻すとしよう」
流石に悪ふざけが過ぎると気にしたのは珍しく兵助であり、苛々を募らせんとしている三郎次を抑えていた。
三郎は顔の前で手をごちゃごちゃと動かして見せ、手を離した時には元の顔――不破雷蔵の顔に戻っていた。
「それにしても、だ。兵助のような優秀な奴が先輩の正体に気づかずにいたとはな」
「え?」
「言われてみればそうだよな。兵助は同じ委員会だったんだし。先輩と接する機会は俺たちより多かっただろ」
鉢屋、竹谷両者の意見は尤もである。
委員会別対抗戦、文化祭、模擬店。何かと委員会単位で動くことも多かった。故に顔を合わせる回数も増える。
実のところ、委員会の後輩には何れバレるだろうと危惧もしていた。が、実際はどうだ。気づいたのはタカ丸のみであった。
「久々知先輩は豆腐と御内儀しか見てなかったからですよ」
「池田くんのその言い方」
「いやぁ。それほどでも」
「兵助。褒められてないからねそれ」
やんわりと笑った不破が優しいツッコミを入れた。
ふと、背後に人の気配を感じた。
ちらと後ろを見やれば私の後ろに三郎次が胡座をかいて座っている。先程まで兵助の隣にいたというのに、わざわざ移動してきたようだ。心なしか近い。肩が触れるぐらいにまで何も距離を詰めなくとも。
「でも三郎はどうして分かったんだい?」
「よくぞ訊いてくれた友よ。まあ、詳しい時期はこの際割愛しよう。先輩、風呂時は警戒していましたね? 伊作先輩や食満先輩を見張りに立てていることも多かった。そして烏の行水並の速さ。それに水遁の術に関わる実技を学内では受けていなかったようですし。そこでピンと来たんですよ」
観察眼が鋭いのは認めよう。
だが、それだけ張っていたとは。暇人か。
「気配に敏感な先輩が三郎の追跡に気づいていなかった……?」
「いや、大体は撒かれていた。だからこそ怪しんだのだよ竹谷くん」
「暇人でいらっしゃったんですね」
棘を含む苛々とした声が背後から聞こえる。
三郎次はちょこちょこと私の後ろをついて回っていた。それは純粋な慕う気持ちであったとわかっていたし、私の正体を暴こうともしなかったので気を許していた節もある。
裏を返せば私の懐に潜り込みやすい人間でもあったのだが。
「そして、私はついに決定打を目撃した!」
「決定打って、何を」
兵助にそう問われ、鉢屋は悪い顔で笑い返した。
「目撃した、と言っただろ?」
もしや。
私は心当たりが一つあることを思い出した。五年次に湯を浴びている最中、気配を感じたが誰のものか結局不明だったのだ。
妙な噂や言いふらされた様子もなかったので、暫く経ってから警戒は解いたのだけど。
今の口ぶりからして、その気配は鉢屋だったのだろう。過ぎた事だし、今更と思っていたのはどうやら私だけのようで。
背後から矢のように放たれた殺気が鉢屋へと向いた。いや、何故お前が怒るんだ。
「おっ、落ち着けー三郎次……」
「少しは冷静に」
「いや、むしろなんで霧華さんがそんなに落ち着いていられるの。それ立派な覗きじゃん」
貴女はもっと怒っていいと言われても。
私は不二子さんを盗み見る。
「……見られて困るような程度でもないし」
「そういう問題じゃないんですよ!!」
三郎次の張り上げた声量からして、これは、相当怒っているな。ちょっと振り向けそうにない。
「お、落ち着こう三郎次。先輩も多分怒ってないし」
「兵助くん。そういう問題じゃないんだよほんと。覗きは悪だよ。男の人にはわかんないだろうけど」
「久々知先輩。もし鉢屋先輩が久々知さんの着替えや風呂を覗いてても、そんな落ち着いていられるんですか?」
待て。例えでもそれは出してはいけない。
兵助はそのままぴたりと動きを止めたかと思えば、瞬時に手の内に寸鉄を忍ばせた。纏う空気が戦場で見かけたそれとよく似ている。
「うわぁー! 落ち着け兵助! まだそうとは決まってないんだろ?!」
「三郎ならやりかねない」
「前科ありますからね」
「そこ煽るんじゃない! 雷蔵、お前も兵助と三郎次を止めてくれ!」
「……でも、先輩はそうお怒りでもないし。うーん」
「悩んでるバヤイかー!」
この場をなんとか収めようとする竹谷がもはや不憫に思えてきた。
「先輩も黙って見てないで止めてくださいよ!」と、竹谷に助けを乞われもする。
だがまあ、言われてみれば私は被害者だしな。鉢屋なら自分でなんとかするだろうと私は不二子さんと共に傍観に徹することにした。
自分で撒いた種だ。自分で刈り取れ。