番外編
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ご武運を
新月の夜。
儚い星明かりの夜更けに忍術学園の教師が一室に集まっていた。
灯明皿に注がれた油も残り僅か。ゆらゆらと揺れる灯を囲む顔つきは皆真剣そのものであった。
「では六年生の卒業試験の日程及び組み合わせはこれで決定と致します。六年生が不在中は各先生方にもご協力を仰ぎたい」
「わかりました。怪しい動きを見せる大名もいますし、戦好きのドクタケ城がいつちょっかいを出してこないとは言い切れませんから」
「まったくだ」
一年は組の教科、実技を受け持つ両者は互いに顔を見合わせ呆れた風に笑った。
卒業を控えた六年生たちはそれぞれ日が違えど、学園を留守にする期間が少なからず出てくる。
有事に備え、極力戦力を分散した上での日程調整を行ったのだが、それでも多種の不安は尽きない。
火薬委員会顧問である土井半助はある忍たまの顔を思い浮かべた。直接の教え子ではないが、委員会で良い働きを見せてくれる者。五年生の兵助と共にメンバーを纏める面倒見の良さは自慢したいほどである。
一介の顧問ではあるが、大事な学園の生徒だ。紅蓮の卒業試験日を半助は今一度頭に叩き込んだ。
(あの子なら大丈夫だろう。機転も利くし、頭にすぐ血が上る性格でもない)
火薬委員会委員長を務める紅蓮の身をひっそりと案じ、自分にそう言い聞かせる。うんうんと二度頷き、不安を払拭したところで半助は外にひとつの気配を感じとった。小さな忍たまの気配だ。
廊下に続く戸を見た瞬間にそれは消えてしまった。
「どうしました、土井先生」
「いえ。どうやら聞き耳を立てていた子がいたようで」
「なに」
「ああ、大丈夫ですよ。あの子は誰かに口外したりするような子じゃありませんから。悪さもしないでしょうし」
卒業試験の日程は他学年の忍たまには極力伏せることになっていた。どこから情報が外部に漏れるかはわからないからだ。
それを知られてしまった。と四年生担当の教師に焦りの色がぱっと浮かぶ。
「いやいや、大丈夫ですよ。問題はありません」先程の忍たまを半助は庇う様に話す。
「おや、随分と庇い立てするのは自分の委員会の子だからですかねぇ」
「悪いですか。うちの委員会の子たちはみんないい子ですよ」
一年い組の教師からの嫌みに半助の顔が途端にむっと険しくなった。教え子たちだけではなく、委員会の子どもたちのことも言われて黙ってはいられない。
このいつものやり取りを伝蔵は「抑えて抑えて」といつもの様に宥めていた。
「それにしても」
松千代万がぽそりと呟いた。
先程の忍たまの気配に気づいていたのは半助だけではなかった。
同僚の背に隠れ、縮こまっていた松千代万は自身の顔を覆っていた大きな手を外した。その下から見えた顔はにこにこと実に嬉しそうだ。
「気配を消すのが上手くなりましたねぇ」
「嬉しそうですな松千代先生」
「ええ。二年生になった頃よりも格段に上手くなりました。野村先生、生徒の成長は嬉しいものですね」
「そうですね。……あの子ももうすぐ三年生か」
部屋の戸を開けた二年い組の教師は暗闇の空を仰いだ。
「子どもの成長とは早いものだ」
◇◆◇
夜が明ける。
青藍色の空に見えていた青い月は姿を顰め、ゆっくりと日が昇り始めた。
次第に明るさを増す空。見上げていた紅蓮の横顔に光が差す。目を瞑り、朝露の匂いがする空気を吸い込む。呼吸を静かに調えた後、編笠を頭に被せた。
忍たま長屋の朝は早い。
夜明け前から身支度を整えた紅蓮は袴姿の用心棒に扮した。松葉色の学年装束はきっちりと折り畳み、押し入れにしまわれている。
左手を帯刀の柄に置き、手の甲まで覆う黒い手甲の緩みを直す。すらりとしたその様はどこからどう見ても、凄腕の用心棒に見えた。
卒業試験日を迎えた葉月紅蓮、立花仙蔵はこれから峠を越えた先で課題をこなす。仙蔵とは門前で待ち合わせる約束であった。
「紅蓮、気をつけてね」
隣部屋から出てきた伊作はついに声を掛けた。紅蓮の支度が終わるのを待ち、機を見計らっていたのだ。
伊作は友の顔を心配そうに窺う。自身は寝間着のまま、髪も寝癖がついたままだ。その後ろから同じ格好の留三郎が顔を覗かせる。
「伊作、それでもう五回目だぞ。こいつさっきからずっと同じこと言ってやがるんだぜ」
「伊作の心配性は昔から変わらないな」
「なんだよ留三郎。心配に決まってるじゃないか。紅蓮は刀の扱いにあまり慣れてないって昔言ってただろ」
「よく憶えてるな、そんなこと」
用心棒に変装したということは、獲物は腰に差した刀のみ。臨機応変に忍器で応戦も視野に入れているとは思うが、普段使い慣れないそれに紅蓮よりも伊作の方が不安を抱いていた。
「同じ長物でも勝手が違うからな。まあ、仙蔵もいるから何とかなる」
「無事に和解もできたみたいだしな」
「……いや、和解というよりは。仕方なくといった様子だった」
先日の落とし穴道連れ事件については一応頭を下げたものの、態度は冷ややかなものだったと紅蓮は語る。試験の課題について策を練る間も仙蔵の顔色を窺っていたのだが、あくまで冷静な様子であったと。
それを今日まで引きずって紅蓮に「大丈夫だ」と同級生が背中を優しく叩く。
「余計なこと考えずに行ってこい。迷いや悩みは忍者の三病だぞ」
「……ああ。課題に集中しよう。よし、そろそろ出発する。行ってくるよ」
紅蓮はふたりの顔をしっかりと交互に見、目に焼き付ける。これでは永遠の別れみたいだと伊作に怒られやしないか。と、思わぬ方から軽く小突かれた。「馬鹿。今生の別れじゃねぇんだ。絶対に帰ってこい」と。
ふと聞こえた物音に三人は声を顰めた。
鶯張りの廊下を走る足音がひとつ。下級生が立てる忍び足の音。その方向を見やると、廊下の曲がり角から二年生の忍たまが姿を現した。
三郎次は柳色の髪を揺らし、紅蓮たちの姿をその目に捉え「間に合った」と呟く。
どうやら二年忍たま長屋から走ってきたようだ。彼らの前に立ち止まった三郎次は前屈みの状態で何度も息を整える。ようやく口を利ける状態になってから三郎次は顔を上げた。
「間に合って良かった」
「どうしたんだ三郎次。こんな朝早くに」
「今日が卒業試験日だと聞いていたので」
三郎次がそう口にしたので、これには三人も驚いた。
卒業試験は日程を含め、課題内容も他学年には伏せられているはず。それを何故二年生が知り得たのか。
すると、得意げに三郎次は笑ってみせた。
「情報収集は忍者の基本ですよ」
「やるじゃないか三郎次。先生方相手にそれを難なくこなしてきたとは」
「うちの三郎次は優秀だからな。五年生の宿題をこなしたぐらいだ。……しかし、態々見送りにきてくれるとは思っていなかった」
「はい。どうしても試験前に直接伝えたくて。葉月先輩、卒業試験頑張ってください!」
真剣な眼差しがしっかりと紅蓮の元へ届いた。
早朝にも関わらず、三郎次の身支度はすっかり整っている。一分一秒でも寝ていたい気持ちもあっただろうに。こうして見送りに出向いてきた心遣いに紅蓮の頬は自然と緩んだ。
「有り難う。予定では長くとも三日だ。留守の間、学園と火薬委員会を頼んだぞ三郎次」
「はいっ。先輩、ご武運を」
紅蓮はひらりとて後ろ手を振り、学園の門前へ向かっていく。
その後ろ姿を不安が入り交じる表情で見守っていたのは三郎次だけではない。
「しかし、朝早くから後輩が応援に来るなんて。あいつも慕われてるな。あと、委員会に入ってから変わったよな」
「そうだね。元々面倒見が良い方だったけど、今はもう目に入れても痛くないってほど後輩を可愛がってる」
「そうなんですか?」
「ああ。後輩自慢もよくしてるぞ。耳にタコができそうなほど。特に三郎次のことをな。自慢の後輩だと」
紅蓮のことは委員長としての顔はよく知っているが、同級生との語らいで自分の話が頻出するとは思ってもいない。俄かに恥ずかしいと感じた三郎次は目を逸らした。
「そうだ、変わったと言えば三郎次」
「はい」
「最近、棒術を学んでいるんだってな」
「なっ、どどうしてそれを!」
秘密裏に行っている鍛錬を同級生にもまだ話していない。それを何故知り得るのか。
留三郎は慌てふためく級友の後輩にニッと歯を見せて笑った。
「忍者は情報収集が基本。この間、鍛錬しているのを偶然見かけてな。あの動きは紅蓮に似て」
「食満先輩っ! こ、このことは葉月先輩には黙っていてください」
「何故だ? 知ればあいつも喜ぶぞ」
可愛がっている後輩が同じ武術を学ぶと聞けば自分では嬉しいもの。それは恐らく紅蓮も同じであろう。そう考えていた留三郎であったのだが。三郎次は意外にも謙遜している。
「まあまあ、黙っていようよ留三郎。何れわかることなんだし」
「お願いします。……当面の目標は先輩に稽古をつけてもらうことなので、それまでは」
「そうか。それなら黙っていよう。頑張れよ、三郎次。お前がいつか紅蓮を打ち負かす日が来るのを楽しみにしてるぞ」
それはいつの日になるか。
そう遠い日のことではないだろう。
頭上に広がる薄い空を仰ぎながら伊作はそんな予感を胸に抱くのである。
新月の夜。
儚い星明かりの夜更けに忍術学園の教師が一室に集まっていた。
灯明皿に注がれた油も残り僅か。ゆらゆらと揺れる灯を囲む顔つきは皆真剣そのものであった。
「では六年生の卒業試験の日程及び組み合わせはこれで決定と致します。六年生が不在中は各先生方にもご協力を仰ぎたい」
「わかりました。怪しい動きを見せる大名もいますし、戦好きのドクタケ城がいつちょっかいを出してこないとは言い切れませんから」
「まったくだ」
一年は組の教科、実技を受け持つ両者は互いに顔を見合わせ呆れた風に笑った。
卒業を控えた六年生たちはそれぞれ日が違えど、学園を留守にする期間が少なからず出てくる。
有事に備え、極力戦力を分散した上での日程調整を行ったのだが、それでも多種の不安は尽きない。
火薬委員会顧問である土井半助はある忍たまの顔を思い浮かべた。直接の教え子ではないが、委員会で良い働きを見せてくれる者。五年生の兵助と共にメンバーを纏める面倒見の良さは自慢したいほどである。
一介の顧問ではあるが、大事な学園の生徒だ。紅蓮の卒業試験日を半助は今一度頭に叩き込んだ。
(あの子なら大丈夫だろう。機転も利くし、頭にすぐ血が上る性格でもない)
火薬委員会委員長を務める紅蓮の身をひっそりと案じ、自分にそう言い聞かせる。うんうんと二度頷き、不安を払拭したところで半助は外にひとつの気配を感じとった。小さな忍たまの気配だ。
廊下に続く戸を見た瞬間にそれは消えてしまった。
「どうしました、土井先生」
「いえ。どうやら聞き耳を立てていた子がいたようで」
「なに」
「ああ、大丈夫ですよ。あの子は誰かに口外したりするような子じゃありませんから。悪さもしないでしょうし」
卒業試験の日程は他学年の忍たまには極力伏せることになっていた。どこから情報が外部に漏れるかはわからないからだ。
それを知られてしまった。と四年生担当の教師に焦りの色がぱっと浮かぶ。
「いやいや、大丈夫ですよ。問題はありません」先程の忍たまを半助は庇う様に話す。
「おや、随分と庇い立てするのは自分の委員会の子だからですかねぇ」
「悪いですか。うちの委員会の子たちはみんないい子ですよ」
一年い組の教師からの嫌みに半助の顔が途端にむっと険しくなった。教え子たちだけではなく、委員会の子どもたちのことも言われて黙ってはいられない。
このいつものやり取りを伝蔵は「抑えて抑えて」といつもの様に宥めていた。
「それにしても」
松千代万がぽそりと呟いた。
先程の忍たまの気配に気づいていたのは半助だけではなかった。
同僚の背に隠れ、縮こまっていた松千代万は自身の顔を覆っていた大きな手を外した。その下から見えた顔はにこにこと実に嬉しそうだ。
「気配を消すのが上手くなりましたねぇ」
「嬉しそうですな松千代先生」
「ええ。二年生になった頃よりも格段に上手くなりました。野村先生、生徒の成長は嬉しいものですね」
「そうですね。……あの子ももうすぐ三年生か」
部屋の戸を開けた二年い組の教師は暗闇の空を仰いだ。
「子どもの成長とは早いものだ」
◇◆◇
夜が明ける。
青藍色の空に見えていた青い月は姿を顰め、ゆっくりと日が昇り始めた。
次第に明るさを増す空。見上げていた紅蓮の横顔に光が差す。目を瞑り、朝露の匂いがする空気を吸い込む。呼吸を静かに調えた後、編笠を頭に被せた。
忍たま長屋の朝は早い。
夜明け前から身支度を整えた紅蓮は袴姿の用心棒に扮した。松葉色の学年装束はきっちりと折り畳み、押し入れにしまわれている。
左手を帯刀の柄に置き、手の甲まで覆う黒い手甲の緩みを直す。すらりとしたその様はどこからどう見ても、凄腕の用心棒に見えた。
卒業試験日を迎えた葉月紅蓮、立花仙蔵はこれから峠を越えた先で課題をこなす。仙蔵とは門前で待ち合わせる約束であった。
「紅蓮、気をつけてね」
隣部屋から出てきた伊作はついに声を掛けた。紅蓮の支度が終わるのを待ち、機を見計らっていたのだ。
伊作は友の顔を心配そうに窺う。自身は寝間着のまま、髪も寝癖がついたままだ。その後ろから同じ格好の留三郎が顔を覗かせる。
「伊作、それでもう五回目だぞ。こいつさっきからずっと同じこと言ってやがるんだぜ」
「伊作の心配性は昔から変わらないな」
「なんだよ留三郎。心配に決まってるじゃないか。紅蓮は刀の扱いにあまり慣れてないって昔言ってただろ」
「よく憶えてるな、そんなこと」
用心棒に変装したということは、獲物は腰に差した刀のみ。臨機応変に忍器で応戦も視野に入れているとは思うが、普段使い慣れないそれに紅蓮よりも伊作の方が不安を抱いていた。
「同じ長物でも勝手が違うからな。まあ、仙蔵もいるから何とかなる」
「無事に和解もできたみたいだしな」
「……いや、和解というよりは。仕方なくといった様子だった」
先日の落とし穴道連れ事件については一応頭を下げたものの、態度は冷ややかなものだったと紅蓮は語る。試験の課題について策を練る間も仙蔵の顔色を窺っていたのだが、あくまで冷静な様子であったと。
それを今日まで引きずって紅蓮に「大丈夫だ」と同級生が背中を優しく叩く。
「余計なこと考えずに行ってこい。迷いや悩みは忍者の三病だぞ」
「……ああ。課題に集中しよう。よし、そろそろ出発する。行ってくるよ」
紅蓮はふたりの顔をしっかりと交互に見、目に焼き付ける。これでは永遠の別れみたいだと伊作に怒られやしないか。と、思わぬ方から軽く小突かれた。「馬鹿。今生の別れじゃねぇんだ。絶対に帰ってこい」と。
ふと聞こえた物音に三人は声を顰めた。
鶯張りの廊下を走る足音がひとつ。下級生が立てる忍び足の音。その方向を見やると、廊下の曲がり角から二年生の忍たまが姿を現した。
三郎次は柳色の髪を揺らし、紅蓮たちの姿をその目に捉え「間に合った」と呟く。
どうやら二年忍たま長屋から走ってきたようだ。彼らの前に立ち止まった三郎次は前屈みの状態で何度も息を整える。ようやく口を利ける状態になってから三郎次は顔を上げた。
「間に合って良かった」
「どうしたんだ三郎次。こんな朝早くに」
「今日が卒業試験日だと聞いていたので」
三郎次がそう口にしたので、これには三人も驚いた。
卒業試験は日程を含め、課題内容も他学年には伏せられているはず。それを何故二年生が知り得たのか。
すると、得意げに三郎次は笑ってみせた。
「情報収集は忍者の基本ですよ」
「やるじゃないか三郎次。先生方相手にそれを難なくこなしてきたとは」
「うちの三郎次は優秀だからな。五年生の宿題をこなしたぐらいだ。……しかし、態々見送りにきてくれるとは思っていなかった」
「はい。どうしても試験前に直接伝えたくて。葉月先輩、卒業試験頑張ってください!」
真剣な眼差しがしっかりと紅蓮の元へ届いた。
早朝にも関わらず、三郎次の身支度はすっかり整っている。一分一秒でも寝ていたい気持ちもあっただろうに。こうして見送りに出向いてきた心遣いに紅蓮の頬は自然と緩んだ。
「有り難う。予定では長くとも三日だ。留守の間、学園と火薬委員会を頼んだぞ三郎次」
「はいっ。先輩、ご武運を」
紅蓮はひらりとて後ろ手を振り、学園の門前へ向かっていく。
その後ろ姿を不安が入り交じる表情で見守っていたのは三郎次だけではない。
「しかし、朝早くから後輩が応援に来るなんて。あいつも慕われてるな。あと、委員会に入ってから変わったよな」
「そうだね。元々面倒見が良い方だったけど、今はもう目に入れても痛くないってほど後輩を可愛がってる」
「そうなんですか?」
「ああ。後輩自慢もよくしてるぞ。耳にタコができそうなほど。特に三郎次のことをな。自慢の後輩だと」
紅蓮のことは委員長としての顔はよく知っているが、同級生との語らいで自分の話が頻出するとは思ってもいない。俄かに恥ずかしいと感じた三郎次は目を逸らした。
「そうだ、変わったと言えば三郎次」
「はい」
「最近、棒術を学んでいるんだってな」
「なっ、どどうしてそれを!」
秘密裏に行っている鍛錬を同級生にもまだ話していない。それを何故知り得るのか。
留三郎は慌てふためく級友の後輩にニッと歯を見せて笑った。
「忍者は情報収集が基本。この間、鍛錬しているのを偶然見かけてな。あの動きは紅蓮に似て」
「食満先輩っ! こ、このことは葉月先輩には黙っていてください」
「何故だ? 知ればあいつも喜ぶぞ」
可愛がっている後輩が同じ武術を学ぶと聞けば自分では嬉しいもの。それは恐らく紅蓮も同じであろう。そう考えていた留三郎であったのだが。三郎次は意外にも謙遜している。
「まあまあ、黙っていようよ留三郎。何れわかることなんだし」
「お願いします。……当面の目標は先輩に稽古をつけてもらうことなので、それまでは」
「そうか。それなら黙っていよう。頑張れよ、三郎次。お前がいつか紅蓮を打ち負かす日が来るのを楽しみにしてるぞ」
それはいつの日になるか。
そう遠い日のことではないだろう。
頭上に広がる薄い空を仰ぎながら伊作はそんな予感を胸に抱くのである。