軽率なコラボシリーズ
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未知数
「えっ。霧華さんお酒飲まないの?」
先日、尾浜くん同席で兵助くんと一緒にお酒を飲んだ話をしたら、そういう流れになった。
この時代の人というか、忍者を仕事にしてる人ってあまり飲まないのかなぁと思ってたけど。次の日が休みの時は意外と飲んでるのを目にする。
だから霧華さんたちも休みの時はそれなりに飲んでるのかなぁと思っていたから。
「年始や祝いの席では口にしますが」
「普段飲まないんだね」
言葉通り“一杯程度”で済ませますと申し訳なさそうに話してくれる。いや、なんかそれだと私が「飲みたいから付き合って!」って飲みに誘ってるみたいだし、やんわり断られてるよねこれ。そうじゃないんだけど。
「池田くんも飲まないの?」
「長屋に居る時は飲みませんね。外では分かりませんが……付き合いもあるだろうし」
「池田くんのことだから殆ど飲んでないんじゃないかな。霧華さんの教え守ってそう」
敵に弱みを握られるべからず。
酒に溺れて気が大きくなり、べらべらと喋っては己を危険に晒すこととなる。
酒は飲んでも飲まれるな、みたいに。
「まあ、酒の耐性がどのぐらいあるか知ることは重要ですよ。それこそ潜入先の宴で飲まされることもあるでしょうし」
「霧華さんはそういう時どうするの?」
「場合にもよりますが、強い酒だと感じた時は飲んだふりをして捨てます。若しくは事前に水とすり替えますね」
「勿体ない」
「己の命には代えられませんからね」
宴の席ならそれこそ上物のお酒が用意されそう。それを躊躇いもなく捨てるとか、すり替えるとか言うんだから。プロだよなぁと感心してしまった。
「でも水とすり替えたら流石にバレちゃうんじゃない? 相手も飲むんだし」
「ああ、そういう時はこう言うんですよ。水のように飲める酒は上物の証。更には貴殿が強靭ということ。流石ですなぁ。さあさあ、今宵は存分に飲みましょう! ……といった具合に勧めます。因みに相手には本物の酒を注ぎます」
「うん。忍者怖い」
この人は間違いなく相手を酔い潰すプロだ。
軽い気持ちで一緒に飲もうなんて言ったらべろんべろんにされそう。
「不二子さんはお酒は嗜まれる方で?」
「うーん。飲むけど強くないかな。酔った後の記憶も割と残ってるから、あまり酔いたくないんだけどね」
「ほう」
湯飲みを片手に霧華さんが笑う。意味深すぎて、コワイ。
「不二子さんを酔わせても兵助の惚気しか出てこないでしょうね」
「読心術やめてぇ? そういう霧華さんはお酒の強さはどうなの」
霧華さんは番茶を啜った後にふうと一息を吐いた。そして、にこりと笑い返してくる。
「さあ、どうでしょうね」
「ずるい」
「酒は良くも悪くも人を狂わせますからね。知らない方が互いの為です」
「……酒乱?」
「ご想像にお任せしますよ」
そこまで言われると気になってくるのが人の性。
後日、池田くんだけが学園に来たのを好機にこの話をしたわけです。
「酔った時の霧華さんが見たい?」
何言ってんだこの人。みたいな表情をされながらも私は頷いた。
池田くんは私たちが祝言を上げる前よりも先に一緒になってたし、その分長く過ごしてるはず。それなら一度、いや二度くらいは酔った場面を見たことがあるんじゃないかと思って。
そう尋ねたのだけど、池田くんは腕組みをしてうーんと悩み始めてしまった。
「もしかして、ない……?」
「ない、ですね。そもそも飲まない人なので」
「年始は飲むって言ってたけど」
「まあ、それは。でも酒だってそう安いものじゃないし、二人で一合を分けてましたから。飲むより会話の方が多いので」
「池田夫婦ほんと仲睦まじい」
前に「独りで過ごす正月は嫌だ」とか言ってた霧華さんだ。今は池田くんと一緒に年を越せて幸せなんだろうな。笑顔が目に浮かぶよ。
「それはそれとして、霧華さんが酔ったところ見てみたくない?」
「人の妻酔わせて何企もうとしてるんです」
「人聞きが悪いなぁ」
池田くんは苦虫噛み潰したみたいな渋い表情をしたかと思えば、その台詞前にも聞いたよ的なことをぼやいた。私は言った記憶ないんだけどな。
「ほら、酔い方にも人それぞれあるじゃない。笑い上戸とか、泣き上戸とか」
「そりゃあそうですけど。久々知さんはどうなんです」
「私そんなに強くないよ。でも酔っても記憶はあるかな」
「下手に酔ったら翌朝恥ずかしいやつですねそれ」
うん。恥ずかしかった。
だから次に飲む機会があるなら私は飲まずに霧華さんに飲ませたい。
「本音、聞いてみたくない?」
「……とんでもない本音飛び出てきたら、立ち直れないんですけど」
何か思う節があるんだろうか。池田くんの顔がすっと曇った気がした。
「気には、なりますけど」呟くように吐かれた言葉は思っていたものより、重い。
「……何かあった?」
控えめに、そう尋ねてもはっきりとした返事はなかった。
「何かあったとかじゃなくて、これは僕の問題なんで」
「ん……何かあれば話聞くからね。私と兵助くんも。あと留くんあたりも聞いてくれると思う」
「さりげなく食満先輩巻き込んでるし。考えすぎだと思うんで、大丈夫です」
「わかった。……それで、本題に戻るんだけどね」
「戻すんですか」
「霧華さんをお酒の席に誘うにはどうしたらいいと思う?」
ただ「飲もうよ!」って誘っても来てくれないと思うし、やんわり断られるのが目に見えてる。若しくは「不二子さんたちでどうぞ」と飲んでくれないだろうな。
池田くんならずっと霧華さんのこと見てきたし、わかるかなぁと思ったんだけど。両腕を組んで考え込み始め、ついには険しい顔で唸り始めた。
「そんなに」
「だから言ったじゃないですか。普段飲まないって。……普通に誘うよりかは、好きなもので釣った方が早いんじゃないかと」
「つまり池田くんが参加すれば来てくれるし、飲んでくれる」
正論を言ったら池田くんは「何言ってんですか」と声を上げた。顔を赤らめながら、満更でもなさそうに。
「僕が率先したらそれこそ怪しまれるでしょうが」
「そっかぁ」
「……まあ、珍しいものがあれば惹かれるかも」
「珍しいもの」
「久々知さん考案の定食気に入ってますからね」
そう言われてみれば。豆腐の唐揚げを始めとして、おからドーナツにカレーパン。麻婆カレーもお気に召したとかで。確かに。この時代にはない物、つまり目新しいものに惹かれてる傾向があるかも。
日本人は新しいもの好きっていうのは昔から変わらないのかもしれない。
でも、なるほど。目新しいものをチラつかせたら来てくれるかもしれない。
ジト目で何か言いたそうな池田くんを他所に私は計画を練ることにしました。
◇
そんな話をした数日後、久々知先輩から文が霧華さん宛てに届いた。
文面は暗号で書かれていて、少し癖のあるものだった。が、霧華さんはそれを寸で読み解いてしまった。
途中から文を覗き込んだ俺も読み解いた後に「まじか」と思わずぼやきそうになった。
文の内容は簡単に訳せば「珍陀酒 を入手したので、お二人が都合の良い日取りを教えてほしい」というもの。
つまり、飲みに来ないかという誘いだ。
「珍陀酒なんて何処から手に入れたんだ兵助は。南蛮、ポルトガルからの舶来品だぞ」
「まあ、久々知先輩も顔が広いですからね。久々知さんの時代では葡萄酒、わいんと呼ぶそうですよ」
前に聞いたことがあります、と付け加えて俺は何とか平静を保つ。
まさか、本当に珍しいものを調達してくるとは予想だにもしない。しかも久々知先輩まで使って。恐らくは「霧華さんが食いつきそうな珍しいものって何かあるかな?」とでも尋ねたんだろう。あの先輩のことだから、理由を詳細まで知った上で「じゃあ、珍しいお酒を調達しよう」とか笑顔で応えたんだろう。御内儀の喜ぶ顔が見られるなら何でもやりそうだし。
そして、本当に釣られてしまったわけで。
四人の休みが被る日を前もって相談した上で、俺たちは忍術学園に足を運んだ。
仕事帰りだったので、学園に着く頃にはもう月が昇っている。
正門から寄り道をせずに教員長屋を目指し、久々知先輩の部屋を訪れた。
「あ、先輩に三郎次。お待ちしてました」
「すまない。仕事の関係で遅くなってしまった」
「お気になさらずに。今日はお二人で仕事だったんですか?」
「まあ、そんなとこです。あれ、久々知さんは一緒じゃないんですか」
いつも一緒に、というよりは時間外は片時も離れずに行動している二人。そのはずが珍しく御内儀の姿が見えない。
これを霧華さんも不思議に思ったようで、辺りの気配を探るように顔を廊下へ向けた。
「不二子さんはお酒のつまみを作ってるんだ。もうすぐ出来上がる頃だし、俺が迎えに行ってくる。先輩たちはここで寛いでいて下さい」
笑顔で説明をしてくれた久々知先輩がいそいそと部屋を出た。
足取りは軽く、嬉しそうだ。いつものことか。
「それにしても」
荷物を肩から下ろし、その場に腰を下ろす。隣では霧華さんが訝しい点を探るように目を細めていた。
「急に飲みたいだの、珍しいこともある。物も珍しいし」
「そうですね。先輩が態々俺たちに声を掛けるのも……尾浜先輩方を呼べばいいのに」
そこで不意に霧華さんと目が合った。
刹那動揺しそうにもなったけど、ここで俺が暴露してはいけない気もする。少しばかり後ろめたい気持ちもあり、興味本位もあり。
『ほら、酔ったら少しは甘えてくれるかもよ』
あまり気乗りじゃなかった俺に囁かれた言葉。下心が全くないと言えば嘘になる。
けど、まさか御内儀の口車に乗せられただなんて言えるわけもないし、悟られてはいけない。
「兵助も余計な気を使わなければ良いものを。私たちとでは酒もそう進まんだろうに」
「まあ、先輩方の中で一番気兼ねなく声を掛けられる人なんでしょう」
「……それもそうか」
妙に納得するように一度頷いた。
穏和な伊作先輩とは色々揉め事(主に久々知先輩のヤキモチ爆発)があったからな。声掛けるわけもないだろうし、例え同席していたとしてもそんなぎすぎすした酒の席は呼ばれても俺ならきっぱり断る。
「この件、三郎次は知らないのか」
「ええ、まあ。聞いてないですね」
そこで言葉を止めてしまったのが悪かったかもしれない。
いつもなら「どうせ久々知先輩のことだから」とか「久々知さんの願いを斜め読みしたんじゃ」とか添えているところだ。
勘鋭い目が何か言いたげにこちらを見ている。かといって、今更言い添えても怪しさに拍車を掛けてしまうだけだ。
平静でいられるのも時間の問題。
俺はこの人に嘘を吐けない。というよりも、直ぐに見破られる。大抵はこっちからわけを話したり、白状したりする。怪しい素振りを少しでも見せたらそこから綻びていく。とはいえ、問い詰めてくるような真似はしない。
この間買った櫛。実はまだ渡せずにいた。運悪く左近たちが飛び込んできたから、機会を失ってしまったわけで。恐らくはあの時言い淀んだことも霧華さんは訝しんでいる。
ただ、話を聞き返すようなことは一切なかった。興味がないのか、それとも俺から改めて話を切り出すことを待っているのか。前者だったら流石に凹みそうだ。
無言の時間がじわじわと気まずいものに変わり始めた。
早く久々知先輩戻ってこないかな。
その声が届いたのか、部屋の入口にお盆を抱えた久々知さんがやってきた。久々知先輩を引きずりながら。
「兵助くん。料理零れちゃうから」
「……不二子さん。兵助がそうなった理由を聞いても?」
そう聞きたくなる理由もわかる。久々知先輩は半泣きべそをかきながら久々知さんの腰に両腕を回して縋り付いていた。その目は潤んでいて、揺れる瞳からは大粒の涙が今にも零れそうだ。
また何かあったのか。そんな呆れた顔をしている霧華さんと、いつものことだと呆れ返る御内儀。
「不二子さん。なんで俺は参加しちゃ駄目なの」
「いや、だから言ったよね。それは最初の話だって」
「最初の話?」
「今日の飲み会。女子会みたく私と霧華さんだけで飲もうかなぁって話したら、これ」
「俺も参加したいのだぁ」
その言い方は弱々しく、風に吹かれたら消えてしまいそうなほどだった。
「不二子さん、女子会とは」
「女の子だけで集まる会。男子禁制」
「なるほど」
「じゃあ! 俺も女装してくるから!」
「そこまでして参加したいのか久々知先輩」
必死の形相で食らいつく様は迫真の演技なのか、それとも素なのか。
素だろうなこれ。
「不二子さんが料理を運んでくるから手伝うと言っていたのに。お前が荷物になってどうする」
「全くですよ。それに最初はって言ってたじゃないですか。人の話もう少しちゃんと聞いた方が良いんじゃないですか」
いよいよもって身動きが取れなくなりそうな久々知さんから料理の乗ったお盆を受けとる。
お盆には小鉢がびっしり並んでいる。これ、つまみの域じゃないぞ。
「こんなに作られたんですか」
「霧華さんが来るからはりきっちゃった。それに、お腹空いてると思って」
小鉢には豆腐の唐揚げ、麻婆豆腐、肉じゃが、カレーぱん、おからどうなつ。ちょっと、いくらなんでも揃えすぎじゃないだろうか。
他にも定番の酒のつまみが用意されている。
「あ、肉じゃがと麻婆豆腐は夕食の残りなんだ。そこだけはゴメンね」
「いえ。むしろ残る日もあるんですね」
「ちょっとね」
「また発注数でも間違えましたか」
「そうなんだよー」
ぎこちない返事だ。それが本当かどうかは突っ込まないでおこう。余計な詮索は自分の首も絞めることになる。
「豆腐は、俺が作ったものです……」
「兵助。いつまでもそうしていたいなら私たちは帰るぞ」
「えっ」
「それは不二子さんが悲しむので帰らないでください!」
はっきりとそう言いきった久々知先輩は御内儀の手を引いて部屋に入ってきた。
既に不審な点が幾つも出てきているような気もする。
一人で気を揉む最中、設けられた軽い宴席。宴席といっても四人で車座になって料理と酒を囲むだけ。久々知さんは先輩と霧華さんに挟まれる形で座っている。
「こちらが手に入れた珍陀酒です。結構苦労しました」
実際に苦労したのは違いないだろう。其の辺で買えるような代物じゃないし、堺の貿易商とかに色々交渉をしたのかも。行動力が半端ないな本当に。
珍陀酒の瓶はよく見るような酒瓶じゃなくて、なんというか寸胴な形をしている。貼られた紙に書かれた南蛮語は読めそうにない。久作ならわかるかもしれないな。図書委員だったし、南蛮語も少しわかると言ってた。
「葡萄酒は甘いのが多いんだよ。二人は甘いの大丈夫?」
「まあいけると思います」
「じゃあ、開けますね。よっと」
「硝子栓のワイン瓶初めて見た。ちょっとお洒落。コルク栓や金属のねじ式蓋が多いんだよ」
酸っぱい匂いが微かに漂ってくる。
珍陀酒はぶどう果実を潰して発酵させた果実酒だそうで。酒よりも甘いものが多いらしく、まあ果実を原材料にしているなら頷けた。
が、ぐい呑みに注がれた酒の色に引いてしまう。
「……随分色が濃いですね。どぶろくとも違うし、透明度が殆どない」
「元は赤というか紫だからね」
「それは人が飲んでも良いものなんですか」
「うん。暗いから色ほんとわかんないね。透き通った綺麗な色だったりもするし、色や薫りを楽しむ人もいるんだよ。これは渋みより甘さが引き立ってるってさっき兵助くんが言ってた」
さっき二人が来る前に味見していたと話しているが、実質それは毒見なんだろう。御内儀も一緒に飲むとなれば、それが安全な飲み物であるか必ず確認するはずだ。
そしてその御内儀も飲むものだから毒を入れるはずがない。珍しく即断した霧華さんは先輩からぐい呑みを受け取った。
「ちょっと待った。俺が先に飲みます」
ごちゃごちゃと詳しいことは告げずに俺は言い切った。
矢羽音だと久々知さんには聞こえないだろうけど、久々知先輩には筒抜けだ。
霧華さんは言葉の意図を汲み取ってくれたのか、珍陀酒を注いだぐい呑みをもう一つ先輩から受取り、それを俺に渡してくれた。
三本の細い指先で掴まれたぐい呑みが掲げられる。霧華さんの口元が緩やかな弧を描いた。
「では、共に」
「……みんなで乾杯すればいいんじゃない?」
一般人の不思議そうな声を聞き流しながらぐい呑みに口をつけ、ぐっと飲み干す。
「甘っ」
「確かにこれは甘い、な。金木犀の茶より甘い」
喉が焼けそうなぐらいに甘い。酒よりも酒精は弱い気がするけど、味に一癖がある。
まあ、でも。
「呑兵衛は気に入りそうですね」
「そうだな」
「味見も済んだし、改めてみんなで乾杯しない?」
「はい、不二子さんの分」
「ありがとー。じゃあ、かんぱーい!」
未来式の“乾杯”とやらでぐい呑みを掲げて始まった飲み会。
最初は和気藹々とした雰囲気で、いつも通りの会話が成されていた。
「お豆腐作ってる時の兵助くん、かっこいいんだよ」
「不二子さんの新作お豆腐料理がもう、それは最高で」
「そうそう、女装した兵助くん可愛いんだよぉ」
「不二子さんの方が可愛いよぉ」
こんな惚気――いつものこと――を延々と、それはもう上機嫌に話す久々知夫妻。
それも一刻後には二人とも見事に酔い潰れてしまった。
まあ、なんとなくこの展開は予想していた。
「相変わらず仲睦まじいな、兵助たちは」
床に転がる二人を見ながら微笑ましい眼差しを向ける霧華さんはほぼ素面。おかしいな。それなりに飲んでいた気もするんだけど。
因みに最初に潰れたのは久々知さんで、その後に「もう、しょうがないなぁ不二子さん」とご機嫌面で御内儀を抱え込んで一緒に横に転がった先輩。直後、寝落ちた。
二人がこうなった一部始終を見ていた俺は殆ど飲んでいない。いや、恐ろしくて。
霧華さんは久々知夫婦に対してご機嫌取りというか、よいしょをひたすらしていた。
「こんなにも男前で御内儀思いの奴はそういませんよ。豆腐作りの天才でもある」
「兵助。不二子さんは気立てもよく見目麗しい。人柄もよく器も大きいお人だ。良い嫁を貰ったな」
「お二人が晴れて結ばれたことが実に喜ばしいというもの。いやあ、本当に良かった」
その様子はさながら喜車の術、いやそれを上回る何かだった。
これでもかと煽てられた二人はそれはもう機嫌を良くして、にこにこと笑っていたのだ。
そして酔いが完全に回って現在に至る。
床に転がしたままでは可哀想だと思ったのか、霧華さんは押し入れから掛け布団を出して二人に掛けてやった。
その足取りはしっかりとしていて、酒が一滴も入ってないんじゃないかと思えるぐらいだ。
「……完全に酔い潰れてますね」
「二人で良い夢でも見ているだろうさ」
「霧華さんはほぼ素面ですね?」
「そうでもない」
いやいや、俺からしたら全く酔っておられないんですけど。
というか、もしかして久々知さんの企てを最初から知っていたのでは。
恐る恐る、隣にいる霧華さんに俺は単刀直入に聞いてみた。
「もしかして、久々知さんの計画に気づいて」
「あれだけ不自然な点があれば、な」
やはり。
俺は頭を抱えたくなった。というよりも、この場から逃げ出したかった。
「珍陀酒の入手はまあ、偶然にも思えたが……こうも私の好物を並べられたらな。それに先日不二子さんと酒の話をしたばかりだ。そこから紐付いたんだよ。大方酔った私の姿が見たいとかで兵助に相談を持ちかけたんだろう。三郎次も片棒を担いでいたようだしな」
にこりと微笑まれた俺は罪悪感に満たされた。
ここで下手に否定をしても事態は悪化する。俺は「すみません」と頭を下げて素直に謝っておいた。
「……でも、なんでわかったんです。俺が久々知さんの企てを知っていたと」
「口数がいつもより少なかっただろ」
その言葉に目を見張った。
己の言動を振り返るも、そこまで極端に口数を減らしたつもりはなかった。
霧華さんが目を細め、微笑う。
嗚呼、酒が廻ってるせいなのかその表情に愛しさを余計に覚えてしまう。
「分かるさ。いつも側にいる相手のことだ。余計な事を喋らぬ様、控えていたんだろ」
「……一生敵わないな」
だらしなく緩んだ口元を手で隠すようにして俺は俯いた。
「それにしても。これ、大丈夫ですかね」
すぐそこの床に転がっている二人は布団を掛けた後も身じろぎしない。完全に夢の中にいるようで、聞こえてくるのは規則正しい寝息のみ。
提供されたつまみの小鉢は全て空になっていた。料理が美味ければ酒も進む。
俺の心配を気に掛けたのか、霧華さんは脇に置かれた酒瓶に目を向けた。
「まあ大丈夫だろう。実際そんなに飲んでいないからな」
「え?」
「三郎次。瓶を持ち上げてみろ」
言われた通り、酒瓶に手を伸ばして持ち上げた。
ずっしりと重い。たっぷりの酒がまだ瓶に残っていた。これは予想外過ぎる。
「殆ど減ってない。……いや、でも飲んでましたよね。それにあんなにご機嫌になって」
「気の所為じゃないのか。まあ、敢えて言うならば酒ではなく、言葉に酔わせた。酒の席では相手を煽て上げて情報収集するのが基本。だが、今日はその必要もない。褒めちぎって二人の機嫌を最大限まで上げただけだよ」
気分が高揚すれば、例え酒を摂取していなくとも匂いが助長して酔っていると錯覚を起こす。霧華さんは酒ではなく、言葉を飲ませていたと悪気なく笑っていた。
俺は改めて肝に銘じた。この人の前で迂闊に酔えない。
「兵助は元より勝手に惚気てくれるから、少々大袈裟に相槌を打っておけば延々と喋ってくれる」
「……忍者恐い」
「何を言ってる。三郎次も忍者だろ」
「煽てる様がなんというか、勉強になりました。流石です」
「まだまだ序の口だよ」そう呟いた霧華さんは壁に背をとんっと預けた。
しんと静まり返った静寂に落ちた言葉。
それは自分に向けたものではなく、あの人に向けたものだと思えた。平間さんは口が上手かったと聞いていたから。
「俺のことは酔い潰さなかったんですね」
「三郎次まで潰れたら話し相手がいなくなってしまう」
「なるほど」
「それに、片棒を担いだ理由も聞きたかったしな?」
振り向いた笑顔。怖くてその目を見れず、つい逸らしてしまった。
いや、話し相手というよりも尋問の為に残されたようなものでは。
怒っているわけではなさそうだけど、正直に答えて大丈夫なやつだろうかこれ。いや、そもそも俺が計画したものじゃない。確かに、誘うならこうした方が確率は上がるとかはうっかり言ったかもしれないけど。
「その、なんて言うか。……興味本位、で」
「珍しい物を揃えれば私が釣れると」
「既に知られている」
「さっき不二子さんがふにゃふにゃしながら話してくれたからな。もっと甘えてあげてほしいとか、本音を聞きたいだとか」
「全部筒抜けじゃないか」
改めて、この人には嘘をつけない。秘め事は心の内だけにしておかないと、全てバレる。
これで肝に銘じることが二つ目となった。
「私自身甘え下手なのは自覚している。……これでも甘えてる方なんだ。まあ、分かりづらいのかもしれないが」
「その割に人を甘やかすのは得意ですよね」
「……私から甘やかしを取ってしまったら何も残らないぞきっと」
「常日頃思うんですけど、久々知先輩たちと足して二で割ったらちょうど良いんじゃないかって」
あんな風にべたべたしろとは言わない。むしろ、急にあんな風にされたら人が変わったと疑ってかかる。しかも人前では。それを考えると、今のままが丁度良いのかもしれない。いや、やっぱりちょっとは甘えてほしいし、頼られたい。
最早堂々巡りだった。考えるだけ意味がないのかもしれない。
そんなことをもやもやと巡らせていたら、肩に触れたもの。霧華さんが頭を預けるようにして、肩を寄せている。柔らかい髪が首筋に当たって、くすぐったい。
「私は十二分に甘えさせてもらってる。こうして三郎次の傍にいること自体が、私の甘えなんだよ」
囁かれたその声は凪いだ海のように穏やかでいた。
そっと霧華さんの顔を窺い見れば、伏せられた睫毛が憂いに震えているようにも思えて。
腕を腰に回し、抱き寄せようとしたところでその目がこちらに向けられた。
「それでも気に入らずに足りなければ、離縁してくれ」
「は!? いや、話が飛び過ぎやしません? 足して二で割ってとか言ったけど、変な所感化されないでください!」
「あんな風に甘えるのは私には無理だ。だから、もっと甘えてほしい妻が欲しいなら」
俺はその身体を抱き寄せて、霧華さんの片手をぎゅっと握りしめた。
待っ直ぐに捉えた目は、あの時と同じ様に揺れていた。初めて想いを伝えたあの日の様に。
「走って、走って、走り続けてようやく追いついて掴んだ手なんだ。離すわけがない。離せって言われても離さない、絶対に」
「三郎次」
この手は絶対に、離さない。何があってもだ。
俺はそのつもりだけど。
『本音、聞いてみたくない?』
「……霧華さんこそ、俺なんかで良かったんですか。傍に居るなら他の誰でもその役目は果たせる」
酔った拍子にとはいえ、もし「誰でも良かった」そんな言葉が口をついて出てきたらと思うと。打ち拉がれて何も手につかなくなりそうだ。
「私の手を掴み、引き戻してくれたのは紛う方なき三郎次だ。この手に甘えて、縋っているんだよ……私は。誰でも良い人の手なんか取りはしない。誰かでは駄目なんだ。三郎次でなければ」
そっと握り返された手。
少しだけ甘い空気に包まれた後、霧華さんがばっと思い切り顔を背けた。どうも顔を見られたくないようで、片腕で必死に隠そうとしている。嗚呼、これは耳まで真っ赤になっているんだろうな、きっと。
「……駄目だ。顔から火が出そうだ」と、今にも消え入りそうな声が聞こえてきた。
繋いだ手はそのままに、抱き寄せて腕の中に収める。顔どころか、熱を出したみたいに熱い。
「酔いが回ったんじゃないですか、きっと」
「そうかもな。……すっかり三郎次に酔わされてしまったよ」
そんなことを言うもんだから、俺まで顔に火が点きそうだった。
◇
「おはようございます、不二子さん」
「おはよー。……ねえ、昨日私途中で寝落ちた?」
「ええ、すっかり酔われてぐっすりと眠っていましたよ。兵助も一緒に」
「んん……そんなに飲んでた? 横になった後も話し声は聞こえてた気がしたんだけど、内容憶えてないんだよね。珍しく」
「そんな日もありますよ。まあ、それだけ酔っていたんでしょうね。随分とご機嫌に話されてましたし」
「霧華さんは?」
「さあ。ご想像にお任せしますよ」
「……結局未知数だぁ」
「えっ。霧華さんお酒飲まないの?」
先日、尾浜くん同席で兵助くんと一緒にお酒を飲んだ話をしたら、そういう流れになった。
この時代の人というか、忍者を仕事にしてる人ってあまり飲まないのかなぁと思ってたけど。次の日が休みの時は意外と飲んでるのを目にする。
だから霧華さんたちも休みの時はそれなりに飲んでるのかなぁと思っていたから。
「年始や祝いの席では口にしますが」
「普段飲まないんだね」
言葉通り“一杯程度”で済ませますと申し訳なさそうに話してくれる。いや、なんかそれだと私が「飲みたいから付き合って!」って飲みに誘ってるみたいだし、やんわり断られてるよねこれ。そうじゃないんだけど。
「池田くんも飲まないの?」
「長屋に居る時は飲みませんね。外では分かりませんが……付き合いもあるだろうし」
「池田くんのことだから殆ど飲んでないんじゃないかな。霧華さんの教え守ってそう」
敵に弱みを握られるべからず。
酒に溺れて気が大きくなり、べらべらと喋っては己を危険に晒すこととなる。
酒は飲んでも飲まれるな、みたいに。
「まあ、酒の耐性がどのぐらいあるか知ることは重要ですよ。それこそ潜入先の宴で飲まされることもあるでしょうし」
「霧華さんはそういう時どうするの?」
「場合にもよりますが、強い酒だと感じた時は飲んだふりをして捨てます。若しくは事前に水とすり替えますね」
「勿体ない」
「己の命には代えられませんからね」
宴の席ならそれこそ上物のお酒が用意されそう。それを躊躇いもなく捨てるとか、すり替えるとか言うんだから。プロだよなぁと感心してしまった。
「でも水とすり替えたら流石にバレちゃうんじゃない? 相手も飲むんだし」
「ああ、そういう時はこう言うんですよ。水のように飲める酒は上物の証。更には貴殿が強靭ということ。流石ですなぁ。さあさあ、今宵は存分に飲みましょう! ……といった具合に勧めます。因みに相手には本物の酒を注ぎます」
「うん。忍者怖い」
この人は間違いなく相手を酔い潰すプロだ。
軽い気持ちで一緒に飲もうなんて言ったらべろんべろんにされそう。
「不二子さんはお酒は嗜まれる方で?」
「うーん。飲むけど強くないかな。酔った後の記憶も割と残ってるから、あまり酔いたくないんだけどね」
「ほう」
湯飲みを片手に霧華さんが笑う。意味深すぎて、コワイ。
「不二子さんを酔わせても兵助の惚気しか出てこないでしょうね」
「読心術やめてぇ? そういう霧華さんはお酒の強さはどうなの」
霧華さんは番茶を啜った後にふうと一息を吐いた。そして、にこりと笑い返してくる。
「さあ、どうでしょうね」
「ずるい」
「酒は良くも悪くも人を狂わせますからね。知らない方が互いの為です」
「……酒乱?」
「ご想像にお任せしますよ」
そこまで言われると気になってくるのが人の性。
後日、池田くんだけが学園に来たのを好機にこの話をしたわけです。
「酔った時の霧華さんが見たい?」
何言ってんだこの人。みたいな表情をされながらも私は頷いた。
池田くんは私たちが祝言を上げる前よりも先に一緒になってたし、その分長く過ごしてるはず。それなら一度、いや二度くらいは酔った場面を見たことがあるんじゃないかと思って。
そう尋ねたのだけど、池田くんは腕組みをしてうーんと悩み始めてしまった。
「もしかして、ない……?」
「ない、ですね。そもそも飲まない人なので」
「年始は飲むって言ってたけど」
「まあ、それは。でも酒だってそう安いものじゃないし、二人で一合を分けてましたから。飲むより会話の方が多いので」
「池田夫婦ほんと仲睦まじい」
前に「独りで過ごす正月は嫌だ」とか言ってた霧華さんだ。今は池田くんと一緒に年を越せて幸せなんだろうな。笑顔が目に浮かぶよ。
「それはそれとして、霧華さんが酔ったところ見てみたくない?」
「人の妻酔わせて何企もうとしてるんです」
「人聞きが悪いなぁ」
池田くんは苦虫噛み潰したみたいな渋い表情をしたかと思えば、その台詞前にも聞いたよ的なことをぼやいた。私は言った記憶ないんだけどな。
「ほら、酔い方にも人それぞれあるじゃない。笑い上戸とか、泣き上戸とか」
「そりゃあそうですけど。久々知さんはどうなんです」
「私そんなに強くないよ。でも酔っても記憶はあるかな」
「下手に酔ったら翌朝恥ずかしいやつですねそれ」
うん。恥ずかしかった。
だから次に飲む機会があるなら私は飲まずに霧華さんに飲ませたい。
「本音、聞いてみたくない?」
「……とんでもない本音飛び出てきたら、立ち直れないんですけど」
何か思う節があるんだろうか。池田くんの顔がすっと曇った気がした。
「気には、なりますけど」呟くように吐かれた言葉は思っていたものより、重い。
「……何かあった?」
控えめに、そう尋ねてもはっきりとした返事はなかった。
「何かあったとかじゃなくて、これは僕の問題なんで」
「ん……何かあれば話聞くからね。私と兵助くんも。あと留くんあたりも聞いてくれると思う」
「さりげなく食満先輩巻き込んでるし。考えすぎだと思うんで、大丈夫です」
「わかった。……それで、本題に戻るんだけどね」
「戻すんですか」
「霧華さんをお酒の席に誘うにはどうしたらいいと思う?」
ただ「飲もうよ!」って誘っても来てくれないと思うし、やんわり断られるのが目に見えてる。若しくは「不二子さんたちでどうぞ」と飲んでくれないだろうな。
池田くんならずっと霧華さんのこと見てきたし、わかるかなぁと思ったんだけど。両腕を組んで考え込み始め、ついには険しい顔で唸り始めた。
「そんなに」
「だから言ったじゃないですか。普段飲まないって。……普通に誘うよりかは、好きなもので釣った方が早いんじゃないかと」
「つまり池田くんが参加すれば来てくれるし、飲んでくれる」
正論を言ったら池田くんは「何言ってんですか」と声を上げた。顔を赤らめながら、満更でもなさそうに。
「僕が率先したらそれこそ怪しまれるでしょうが」
「そっかぁ」
「……まあ、珍しいものがあれば惹かれるかも」
「珍しいもの」
「久々知さん考案の定食気に入ってますからね」
そう言われてみれば。豆腐の唐揚げを始めとして、おからドーナツにカレーパン。麻婆カレーもお気に召したとかで。確かに。この時代にはない物、つまり目新しいものに惹かれてる傾向があるかも。
日本人は新しいもの好きっていうのは昔から変わらないのかもしれない。
でも、なるほど。目新しいものをチラつかせたら来てくれるかもしれない。
ジト目で何か言いたそうな池田くんを他所に私は計画を練ることにしました。
◇
そんな話をした数日後、久々知先輩から文が霧華さん宛てに届いた。
文面は暗号で書かれていて、少し癖のあるものだった。が、霧華さんはそれを寸で読み解いてしまった。
途中から文を覗き込んだ俺も読み解いた後に「まじか」と思わずぼやきそうになった。
文の内容は簡単に訳せば「
つまり、飲みに来ないかという誘いだ。
「珍陀酒なんて何処から手に入れたんだ兵助は。南蛮、ポルトガルからの舶来品だぞ」
「まあ、久々知先輩も顔が広いですからね。久々知さんの時代では葡萄酒、わいんと呼ぶそうですよ」
前に聞いたことがあります、と付け加えて俺は何とか平静を保つ。
まさか、本当に珍しいものを調達してくるとは予想だにもしない。しかも久々知先輩まで使って。恐らくは「霧華さんが食いつきそうな珍しいものって何かあるかな?」とでも尋ねたんだろう。あの先輩のことだから、理由を詳細まで知った上で「じゃあ、珍しいお酒を調達しよう」とか笑顔で応えたんだろう。御内儀の喜ぶ顔が見られるなら何でもやりそうだし。
そして、本当に釣られてしまったわけで。
四人の休みが被る日を前もって相談した上で、俺たちは忍術学園に足を運んだ。
仕事帰りだったので、学園に着く頃にはもう月が昇っている。
正門から寄り道をせずに教員長屋を目指し、久々知先輩の部屋を訪れた。
「あ、先輩に三郎次。お待ちしてました」
「すまない。仕事の関係で遅くなってしまった」
「お気になさらずに。今日はお二人で仕事だったんですか?」
「まあ、そんなとこです。あれ、久々知さんは一緒じゃないんですか」
いつも一緒に、というよりは時間外は片時も離れずに行動している二人。そのはずが珍しく御内儀の姿が見えない。
これを霧華さんも不思議に思ったようで、辺りの気配を探るように顔を廊下へ向けた。
「不二子さんはお酒のつまみを作ってるんだ。もうすぐ出来上がる頃だし、俺が迎えに行ってくる。先輩たちはここで寛いでいて下さい」
笑顔で説明をしてくれた久々知先輩がいそいそと部屋を出た。
足取りは軽く、嬉しそうだ。いつものことか。
「それにしても」
荷物を肩から下ろし、その場に腰を下ろす。隣では霧華さんが訝しい点を探るように目を細めていた。
「急に飲みたいだの、珍しいこともある。物も珍しいし」
「そうですね。先輩が態々俺たちに声を掛けるのも……尾浜先輩方を呼べばいいのに」
そこで不意に霧華さんと目が合った。
刹那動揺しそうにもなったけど、ここで俺が暴露してはいけない気もする。少しばかり後ろめたい気持ちもあり、興味本位もあり。
『ほら、酔ったら少しは甘えてくれるかもよ』
あまり気乗りじゃなかった俺に囁かれた言葉。下心が全くないと言えば嘘になる。
けど、まさか御内儀の口車に乗せられただなんて言えるわけもないし、悟られてはいけない。
「兵助も余計な気を使わなければ良いものを。私たちとでは酒もそう進まんだろうに」
「まあ、先輩方の中で一番気兼ねなく声を掛けられる人なんでしょう」
「……それもそうか」
妙に納得するように一度頷いた。
穏和な伊作先輩とは色々揉め事(主に久々知先輩のヤキモチ爆発)があったからな。声掛けるわけもないだろうし、例え同席していたとしてもそんなぎすぎすした酒の席は呼ばれても俺ならきっぱり断る。
「この件、三郎次は知らないのか」
「ええ、まあ。聞いてないですね」
そこで言葉を止めてしまったのが悪かったかもしれない。
いつもなら「どうせ久々知先輩のことだから」とか「久々知さんの願いを斜め読みしたんじゃ」とか添えているところだ。
勘鋭い目が何か言いたげにこちらを見ている。かといって、今更言い添えても怪しさに拍車を掛けてしまうだけだ。
平静でいられるのも時間の問題。
俺はこの人に嘘を吐けない。というよりも、直ぐに見破られる。大抵はこっちからわけを話したり、白状したりする。怪しい素振りを少しでも見せたらそこから綻びていく。とはいえ、問い詰めてくるような真似はしない。
この間買った櫛。実はまだ渡せずにいた。運悪く左近たちが飛び込んできたから、機会を失ってしまったわけで。恐らくはあの時言い淀んだことも霧華さんは訝しんでいる。
ただ、話を聞き返すようなことは一切なかった。興味がないのか、それとも俺から改めて話を切り出すことを待っているのか。前者だったら流石に凹みそうだ。
無言の時間がじわじわと気まずいものに変わり始めた。
早く久々知先輩戻ってこないかな。
その声が届いたのか、部屋の入口にお盆を抱えた久々知さんがやってきた。久々知先輩を引きずりながら。
「兵助くん。料理零れちゃうから」
「……不二子さん。兵助がそうなった理由を聞いても?」
そう聞きたくなる理由もわかる。久々知先輩は半泣きべそをかきながら久々知さんの腰に両腕を回して縋り付いていた。その目は潤んでいて、揺れる瞳からは大粒の涙が今にも零れそうだ。
また何かあったのか。そんな呆れた顔をしている霧華さんと、いつものことだと呆れ返る御内儀。
「不二子さん。なんで俺は参加しちゃ駄目なの」
「いや、だから言ったよね。それは最初の話だって」
「最初の話?」
「今日の飲み会。女子会みたく私と霧華さんだけで飲もうかなぁって話したら、これ」
「俺も参加したいのだぁ」
その言い方は弱々しく、風に吹かれたら消えてしまいそうなほどだった。
「不二子さん、女子会とは」
「女の子だけで集まる会。男子禁制」
「なるほど」
「じゃあ! 俺も女装してくるから!」
「そこまでして参加したいのか久々知先輩」
必死の形相で食らいつく様は迫真の演技なのか、それとも素なのか。
素だろうなこれ。
「不二子さんが料理を運んでくるから手伝うと言っていたのに。お前が荷物になってどうする」
「全くですよ。それに最初はって言ってたじゃないですか。人の話もう少しちゃんと聞いた方が良いんじゃないですか」
いよいよもって身動きが取れなくなりそうな久々知さんから料理の乗ったお盆を受けとる。
お盆には小鉢がびっしり並んでいる。これ、つまみの域じゃないぞ。
「こんなに作られたんですか」
「霧華さんが来るからはりきっちゃった。それに、お腹空いてると思って」
小鉢には豆腐の唐揚げ、麻婆豆腐、肉じゃが、カレーぱん、おからどうなつ。ちょっと、いくらなんでも揃えすぎじゃないだろうか。
他にも定番の酒のつまみが用意されている。
「あ、肉じゃがと麻婆豆腐は夕食の残りなんだ。そこだけはゴメンね」
「いえ。むしろ残る日もあるんですね」
「ちょっとね」
「また発注数でも間違えましたか」
「そうなんだよー」
ぎこちない返事だ。それが本当かどうかは突っ込まないでおこう。余計な詮索は自分の首も絞めることになる。
「豆腐は、俺が作ったものです……」
「兵助。いつまでもそうしていたいなら私たちは帰るぞ」
「えっ」
「それは不二子さんが悲しむので帰らないでください!」
はっきりとそう言いきった久々知先輩は御内儀の手を引いて部屋に入ってきた。
既に不審な点が幾つも出てきているような気もする。
一人で気を揉む最中、設けられた軽い宴席。宴席といっても四人で車座になって料理と酒を囲むだけ。久々知さんは先輩と霧華さんに挟まれる形で座っている。
「こちらが手に入れた珍陀酒です。結構苦労しました」
実際に苦労したのは違いないだろう。其の辺で買えるような代物じゃないし、堺の貿易商とかに色々交渉をしたのかも。行動力が半端ないな本当に。
珍陀酒の瓶はよく見るような酒瓶じゃなくて、なんというか寸胴な形をしている。貼られた紙に書かれた南蛮語は読めそうにない。久作ならわかるかもしれないな。図書委員だったし、南蛮語も少しわかると言ってた。
「葡萄酒は甘いのが多いんだよ。二人は甘いの大丈夫?」
「まあいけると思います」
「じゃあ、開けますね。よっと」
「硝子栓のワイン瓶初めて見た。ちょっとお洒落。コルク栓や金属のねじ式蓋が多いんだよ」
酸っぱい匂いが微かに漂ってくる。
珍陀酒はぶどう果実を潰して発酵させた果実酒だそうで。酒よりも甘いものが多いらしく、まあ果実を原材料にしているなら頷けた。
が、ぐい呑みに注がれた酒の色に引いてしまう。
「……随分色が濃いですね。どぶろくとも違うし、透明度が殆どない」
「元は赤というか紫だからね」
「それは人が飲んでも良いものなんですか」
「うん。暗いから色ほんとわかんないね。透き通った綺麗な色だったりもするし、色や薫りを楽しむ人もいるんだよ。これは渋みより甘さが引き立ってるってさっき兵助くんが言ってた」
さっき二人が来る前に味見していたと話しているが、実質それは毒見なんだろう。御内儀も一緒に飲むとなれば、それが安全な飲み物であるか必ず確認するはずだ。
そしてその御内儀も飲むものだから毒を入れるはずがない。珍しく即断した霧華さんは先輩からぐい呑みを受け取った。
「ちょっと待った。俺が先に飲みます」
ごちゃごちゃと詳しいことは告げずに俺は言い切った。
矢羽音だと久々知さんには聞こえないだろうけど、久々知先輩には筒抜けだ。
霧華さんは言葉の意図を汲み取ってくれたのか、珍陀酒を注いだぐい呑みをもう一つ先輩から受取り、それを俺に渡してくれた。
三本の細い指先で掴まれたぐい呑みが掲げられる。霧華さんの口元が緩やかな弧を描いた。
「では、共に」
「……みんなで乾杯すればいいんじゃない?」
一般人の不思議そうな声を聞き流しながらぐい呑みに口をつけ、ぐっと飲み干す。
「甘っ」
「確かにこれは甘い、な。金木犀の茶より甘い」
喉が焼けそうなぐらいに甘い。酒よりも酒精は弱い気がするけど、味に一癖がある。
まあ、でも。
「呑兵衛は気に入りそうですね」
「そうだな」
「味見も済んだし、改めてみんなで乾杯しない?」
「はい、不二子さんの分」
「ありがとー。じゃあ、かんぱーい!」
未来式の“乾杯”とやらでぐい呑みを掲げて始まった飲み会。
最初は和気藹々とした雰囲気で、いつも通りの会話が成されていた。
「お豆腐作ってる時の兵助くん、かっこいいんだよ」
「不二子さんの新作お豆腐料理がもう、それは最高で」
「そうそう、女装した兵助くん可愛いんだよぉ」
「不二子さんの方が可愛いよぉ」
こんな惚気――いつものこと――を延々と、それはもう上機嫌に話す久々知夫妻。
それも一刻後には二人とも見事に酔い潰れてしまった。
まあ、なんとなくこの展開は予想していた。
「相変わらず仲睦まじいな、兵助たちは」
床に転がる二人を見ながら微笑ましい眼差しを向ける霧華さんはほぼ素面。おかしいな。それなりに飲んでいた気もするんだけど。
因みに最初に潰れたのは久々知さんで、その後に「もう、しょうがないなぁ不二子さん」とご機嫌面で御内儀を抱え込んで一緒に横に転がった先輩。直後、寝落ちた。
二人がこうなった一部始終を見ていた俺は殆ど飲んでいない。いや、恐ろしくて。
霧華さんは久々知夫婦に対してご機嫌取りというか、よいしょをひたすらしていた。
「こんなにも男前で御内儀思いの奴はそういませんよ。豆腐作りの天才でもある」
「兵助。不二子さんは気立てもよく見目麗しい。人柄もよく器も大きいお人だ。良い嫁を貰ったな」
「お二人が晴れて結ばれたことが実に喜ばしいというもの。いやあ、本当に良かった」
その様子はさながら喜車の術、いやそれを上回る何かだった。
これでもかと煽てられた二人はそれはもう機嫌を良くして、にこにこと笑っていたのだ。
そして酔いが完全に回って現在に至る。
床に転がしたままでは可哀想だと思ったのか、霧華さんは押し入れから掛け布団を出して二人に掛けてやった。
その足取りはしっかりとしていて、酒が一滴も入ってないんじゃないかと思えるぐらいだ。
「……完全に酔い潰れてますね」
「二人で良い夢でも見ているだろうさ」
「霧華さんはほぼ素面ですね?」
「そうでもない」
いやいや、俺からしたら全く酔っておられないんですけど。
というか、もしかして久々知さんの企てを最初から知っていたのでは。
恐る恐る、隣にいる霧華さんに俺は単刀直入に聞いてみた。
「もしかして、久々知さんの計画に気づいて」
「あれだけ不自然な点があれば、な」
やはり。
俺は頭を抱えたくなった。というよりも、この場から逃げ出したかった。
「珍陀酒の入手はまあ、偶然にも思えたが……こうも私の好物を並べられたらな。それに先日不二子さんと酒の話をしたばかりだ。そこから紐付いたんだよ。大方酔った私の姿が見たいとかで兵助に相談を持ちかけたんだろう。三郎次も片棒を担いでいたようだしな」
にこりと微笑まれた俺は罪悪感に満たされた。
ここで下手に否定をしても事態は悪化する。俺は「すみません」と頭を下げて素直に謝っておいた。
「……でも、なんでわかったんです。俺が久々知さんの企てを知っていたと」
「口数がいつもより少なかっただろ」
その言葉に目を見張った。
己の言動を振り返るも、そこまで極端に口数を減らしたつもりはなかった。
霧華さんが目を細め、微笑う。
嗚呼、酒が廻ってるせいなのかその表情に愛しさを余計に覚えてしまう。
「分かるさ。いつも側にいる相手のことだ。余計な事を喋らぬ様、控えていたんだろ」
「……一生敵わないな」
だらしなく緩んだ口元を手で隠すようにして俺は俯いた。
「それにしても。これ、大丈夫ですかね」
すぐそこの床に転がっている二人は布団を掛けた後も身じろぎしない。完全に夢の中にいるようで、聞こえてくるのは規則正しい寝息のみ。
提供されたつまみの小鉢は全て空になっていた。料理が美味ければ酒も進む。
俺の心配を気に掛けたのか、霧華さんは脇に置かれた酒瓶に目を向けた。
「まあ大丈夫だろう。実際そんなに飲んでいないからな」
「え?」
「三郎次。瓶を持ち上げてみろ」
言われた通り、酒瓶に手を伸ばして持ち上げた。
ずっしりと重い。たっぷりの酒がまだ瓶に残っていた。これは予想外過ぎる。
「殆ど減ってない。……いや、でも飲んでましたよね。それにあんなにご機嫌になって」
「気の所為じゃないのか。まあ、敢えて言うならば酒ではなく、言葉に酔わせた。酒の席では相手を煽て上げて情報収集するのが基本。だが、今日はその必要もない。褒めちぎって二人の機嫌を最大限まで上げただけだよ」
気分が高揚すれば、例え酒を摂取していなくとも匂いが助長して酔っていると錯覚を起こす。霧華さんは酒ではなく、言葉を飲ませていたと悪気なく笑っていた。
俺は改めて肝に銘じた。この人の前で迂闊に酔えない。
「兵助は元より勝手に惚気てくれるから、少々大袈裟に相槌を打っておけば延々と喋ってくれる」
「……忍者恐い」
「何を言ってる。三郎次も忍者だろ」
「煽てる様がなんというか、勉強になりました。流石です」
「まだまだ序の口だよ」そう呟いた霧華さんは壁に背をとんっと預けた。
しんと静まり返った静寂に落ちた言葉。
それは自分に向けたものではなく、あの人に向けたものだと思えた。平間さんは口が上手かったと聞いていたから。
「俺のことは酔い潰さなかったんですね」
「三郎次まで潰れたら話し相手がいなくなってしまう」
「なるほど」
「それに、片棒を担いだ理由も聞きたかったしな?」
振り向いた笑顔。怖くてその目を見れず、つい逸らしてしまった。
いや、話し相手というよりも尋問の為に残されたようなものでは。
怒っているわけではなさそうだけど、正直に答えて大丈夫なやつだろうかこれ。いや、そもそも俺が計画したものじゃない。確かに、誘うならこうした方が確率は上がるとかはうっかり言ったかもしれないけど。
「その、なんて言うか。……興味本位、で」
「珍しい物を揃えれば私が釣れると」
「既に知られている」
「さっき不二子さんがふにゃふにゃしながら話してくれたからな。もっと甘えてあげてほしいとか、本音を聞きたいだとか」
「全部筒抜けじゃないか」
改めて、この人には嘘をつけない。秘め事は心の内だけにしておかないと、全てバレる。
これで肝に銘じることが二つ目となった。
「私自身甘え下手なのは自覚している。……これでも甘えてる方なんだ。まあ、分かりづらいのかもしれないが」
「その割に人を甘やかすのは得意ですよね」
「……私から甘やかしを取ってしまったら何も残らないぞきっと」
「常日頃思うんですけど、久々知先輩たちと足して二で割ったらちょうど良いんじゃないかって」
あんな風にべたべたしろとは言わない。むしろ、急にあんな風にされたら人が変わったと疑ってかかる。しかも人前では。それを考えると、今のままが丁度良いのかもしれない。いや、やっぱりちょっとは甘えてほしいし、頼られたい。
最早堂々巡りだった。考えるだけ意味がないのかもしれない。
そんなことをもやもやと巡らせていたら、肩に触れたもの。霧華さんが頭を預けるようにして、肩を寄せている。柔らかい髪が首筋に当たって、くすぐったい。
「私は十二分に甘えさせてもらってる。こうして三郎次の傍にいること自体が、私の甘えなんだよ」
囁かれたその声は凪いだ海のように穏やかでいた。
そっと霧華さんの顔を窺い見れば、伏せられた睫毛が憂いに震えているようにも思えて。
腕を腰に回し、抱き寄せようとしたところでその目がこちらに向けられた。
「それでも気に入らずに足りなければ、離縁してくれ」
「は!? いや、話が飛び過ぎやしません? 足して二で割ってとか言ったけど、変な所感化されないでください!」
「あんな風に甘えるのは私には無理だ。だから、もっと甘えてほしい妻が欲しいなら」
俺はその身体を抱き寄せて、霧華さんの片手をぎゅっと握りしめた。
待っ直ぐに捉えた目は、あの時と同じ様に揺れていた。初めて想いを伝えたあの日の様に。
「走って、走って、走り続けてようやく追いついて掴んだ手なんだ。離すわけがない。離せって言われても離さない、絶対に」
「三郎次」
この手は絶対に、離さない。何があってもだ。
俺はそのつもりだけど。
『本音、聞いてみたくない?』
「……霧華さんこそ、俺なんかで良かったんですか。傍に居るなら他の誰でもその役目は果たせる」
酔った拍子にとはいえ、もし「誰でも良かった」そんな言葉が口をついて出てきたらと思うと。打ち拉がれて何も手につかなくなりそうだ。
「私の手を掴み、引き戻してくれたのは紛う方なき三郎次だ。この手に甘えて、縋っているんだよ……私は。誰でも良い人の手なんか取りはしない。誰かでは駄目なんだ。三郎次でなければ」
そっと握り返された手。
少しだけ甘い空気に包まれた後、霧華さんがばっと思い切り顔を背けた。どうも顔を見られたくないようで、片腕で必死に隠そうとしている。嗚呼、これは耳まで真っ赤になっているんだろうな、きっと。
「……駄目だ。顔から火が出そうだ」と、今にも消え入りそうな声が聞こえてきた。
繋いだ手はそのままに、抱き寄せて腕の中に収める。顔どころか、熱を出したみたいに熱い。
「酔いが回ったんじゃないですか、きっと」
「そうかもな。……すっかり三郎次に酔わされてしまったよ」
そんなことを言うもんだから、俺まで顔に火が点きそうだった。
◇
「おはようございます、不二子さん」
「おはよー。……ねえ、昨日私途中で寝落ちた?」
「ええ、すっかり酔われてぐっすりと眠っていましたよ。兵助も一緒に」
「んん……そんなに飲んでた? 横になった後も話し声は聞こえてた気がしたんだけど、内容憶えてないんだよね。珍しく」
「そんな日もありますよ。まあ、それだけ酔っていたんでしょうね。随分とご機嫌に話されてましたし」
「霧華さんは?」
「さあ。ご想像にお任せしますよ」
「……結局未知数だぁ」