軽率なコラボシリーズ
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
究極の選択 どっちも好きなんです
究極の選択である。
まさにそんな感じで霧華さんは配膳口で立ち往生中。
食堂に来た生徒たちに「ああ、こんにちは」と漏れなく挨拶を返しているけど、完全に生返事だと思う。
霧華さんの頭をここまで悩ませている種は今日の昼食メニューだった。
A定食は肉じゃが定食に豆腐の小鉢。
B定食は豆腐の唐揚げ定食に金平ごぼうの小鉢。
この二つで悩んでいた。多分、廊下に貼り出したメニュー表の前でも相当悩んだと思うんだよね。
おばちゃんが作った肉じゃが定食か、それとも私が作った豆腐の唐揚げ定食か。霧華さんは豆腐の唐揚げが気に入ってる。それにおばちゃんの作る肉じゃがも好物だとも聞いた。
つまり、好物が目の前をチラついている状態。しかも二ついっぺんに。
「久々知さん。A定食お願いしまーす」
「ぼくはB定食!」
「A定食お願いしまーす」
「はーい! ちょっと待ってねー」
霧華さんが悩んでる間にも注文が次々に入る。
配膳口から少し離れた場所で悩んでくれてるから、邪魔ではないんだけど。ちょっと悩み過ぎじゃないかな。それこそ不破くんばりに。
「はいお待たせー。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます!」
「霧華さん。早くどっちかにしないと売り切れ御免になっちゃうよ」
結構な人数が来たからそろそろ余裕があるとは言えなくなってきた。お鍋いっぱいに作った肉じゃがも鍋の湾曲した面が見えてきたし、豆腐の唐揚げだって数が明らかに減ってきた。
「……」
「どうしたんだ紅蓮。そんなとこで突っ立って。しかも眉間に皺まで寄せて」
そこに救世主――最近姿を見るようになった留くんが現れた。
腕組みして真剣に悩んでいた霧華さんは彼の顔を見るなり、無言でその表情のまま詰め寄った。
「留三郎、良いところに!」
「な、なんだよ。そんな深刻そうな顔して」
「昼は食堂で食べていくんだろう?」
「ああ。そのつもりで来た」
「どちらを頼む」
「あー……今日は肉じゃがと豆腐の唐揚げ。なるほどな」
流石、六年間一緒の学び舎にいた仲。たった数回だけの会話で霧華さんの悩みを汲み取ったみたい。
真剣な目で留くんの顔を見つめている霧華さん。ちょっと、それは池田くんが見たら一悶着ありそうだから控えた方が良いかも。
「俺は豆腐の唐揚げにする」留くんがそう言うなり、霧華さんが手をぱんっと合わせて頭を下げた。
「頼む。私の肉じゃがを分けるから、留三郎の豆腐の唐揚げを分けてくれ」
「いいぞ」
実に快い返事だった。
前にも同じようなことがあったのかな。留くんは呆れた様子もなくて、嬉々とする霧華さんを「仕方ねぇな」といった風に笑って見守っていた。
「恩に着るぞ留三郎」
「んなことぐらいで着せなくていいっての」
「おばちゃんの肉じゃがは久しぶりなんだ」
「それじゃAとB一つずつで良い?」
「はい。お願いします」
ようやく注文が決まったので、私は鉢に肉じゃがをよそい、皿に豆腐の唐揚げを乗せた。
定食をそれぞれ一セット用意して、配膳口に揃える。
「お待たせー。留くんありがとね。霧華さんすごい悩んでてさ」
「有り難う御座います。こいつはおばちゃんが作る肉じゃが大好きなんだよ。いつもならそれ一択のはずなのに、真剣な顔して悩んでたから好物が増えたんだと察した」
「そうなんだよ。結構気に入ってくれたみたいで」
「結構どこじゃないぞこれは。相当気に入ってる」
お盆を受け取った留くんがちらりと霧華さんに目を向けた。にたりと笑った目はからかってるそのもの。
霧華さんはどこかバツが悪そうに肉じゃが定食のお盆を持っていた。
「どちらも甲乙付け難いんだよ」
「素直に美味いって言ってやればいいのに」
「そうそう。私たちは率直な感想を常に求めてます」
「……善処します」
その善処はいつになったら実行されるのかなぁ。
二人はそれぞれ定食を抱えて、空いている奥の席に座った。
お互い箸をつける前に肉じゃが、豆腐の唐揚げを交換。念願叶って好物二つを揃えた霧華さんはそれはもうニコニコ顔だった。
口にしない分、顔や態度に出やすい気もする。それを言ったら更に感想伝えてくれなくなりそうだから控えとこ。
「不二子ちゃん。休憩入っておくれ」
「はーい」
「あら、霧華ちゃんと留三郎くん来てたのね」
「霧華さんは肉じゃがと豆腐の唐揚げかでずーっと悩んでましたよ」
さっきようやく決まったと話せば、おばちゃんが少し驚く。つぶらな黒目を丸くして、食堂奥の席に顔を向けた。
「そうだったの。あの子、昔からあたしの作る肉じゃがに目がなくってねぇ。一年生の時だったかしら「私はおばちゃんの肉じゃがが一番好きです!」ってニコニコしながら言ってくれたわ」
「へぇ〜。昔は素直に美味しいとか好きって言ってくれてたんですね」
時が経つと人は変わるっていう話をよく耳にする。でも変わるといっても土台はあくまでそのままで、飾り付けたもので今を繕ってるものなんじゃないかな。
だから、根本的な所は変わらないと思うんだよね。
「美味しいご飯毎日有難うございますってね」
「美味しいですはこう、控えめに言ってくれるけど、笑顔はつけてくれないなぁ」
「ちょっと恥ずかしいのかもしれないわね」
優しく、微笑ましいおばちゃんの顔は生徒を見守る目だった。
生徒の成長を見守るのは何も先生方だけじやないんだよね。毎日顔を合わせていた子たちだもの。学園を卒業しても成長したよねとか、立派になってとかいう眼差しをそりゃ向けたくなる。
「おばちゃん! A定食一つお願いしまーす!」
「あいよ!」
お昼休みも後半に差し掛かった。
ピークはもう過ぎたし、あとはぽつぽつとやってくる子たちや不意の外来客ぐらいだ。学園に居る先生方も殆ど食べ終わってる。
私は急須と湯呑み三つをお盆に乗せて、食堂奥の席へ向かった。
霧華さんと留くんは話が盛り上がってるみたいで、笑い声を響かせていた。二人の会話が近づくにつれ鮮明になる。
「しかしだ、そんなにどっちも食べたいなら三郎次を待てば良かったじゃないか。それか生徒に声掛けりゃ良かったのに。お前のこと慕ってる忍たまいるんだろ? 喜んで分けてくれるだろうに」
「今日は別件で仕事なんだ。生徒に集るわけにいかないだろ、流石に」
「私も今日はお昼先に食べちゃってたからさ。分けてあげられなくってね」
留くんと向かい合って座る霧華さんの隣に腰掛けて、さり気なく話に交ざりながらお茶を注ぐ。まだ食べ終わってない二人にそれぞれ湯呑みを渡した。
「有難うございます。不二子さん今から休憩ですか」
「うん」
「因みに兵助は。珍しく姿が見えませんけれど」
「ちょっと前に食べていって、授業の準備があるからってしょげながら戻っていったよ」
「兵助らしいな」
しょげながらが兵助くんらしい。留くんが私の顔を見ながら笑う。少し呆れた感じで。
「まだ不二子さんと話していたいけど、授業の準備をしなきゃいけないから」って物凄く悲しそうな顔はしていた。授業なんだからそこは悲しそうな顔しないで。
「それにしても留くんが来てくれて良かったねほんと。今日に限って霧華さんの好物が並ぶし、池田くんはいないしで。八方塞がりだったじゃん?」
「そこまででは」
「いーや、そこまでだよ。さっきご満悦に肉じゃがと豆腐の唐揚げを頬張ってた奴が何言ってるんだ」
今まさに豆腐の唐揚げを箸で摘もうとした霧華さんの手がぴたりと止まった。とても気まずそうに私たちの視線を避ける。
どちらも噛み締めて味わっているようで、肉じゃがと豆腐の唐揚げを均等に食べているようだった。
一瞬手を止めていた霧華さんは少しの間を置いてから、何事もなかったように唐揚げを摘んで頬張る。
「美味しい?」
「美味しいです」
「もっと笑顔で言ってほしいなぁ」
「いや、どういう絡み方ですかそれ」
「だって、さっきおばちゃんが「とっても美味しいです!」って昔はニコニコしながら言ってくれたって」
さっき聞いたばかりの話を二人に聞かせると、留くんは「ああー」と懐かしむように笑った。その目の前で霧華さんが片手で顔を覆いながら撃沈。
「美味しいに笑顔はつきものかなーって。もうそんな風には言ってくれないのかなーって。おばちゃんが悲しそうにしていたよ」
「涼しい顔で言われるよりは、笑って言われた方が確かに気持ちが良いかもな」
「でしょ?」
「……」
お茶を啜り、私たちの視線から逃れるように下方へ向く霧華さんの目。
その自覚というか、申し訳無さはきっとあるんだろうなあ。
まあでも、ご飯食べてる時は幸せそうに顔を緩めてくれてる場面も見かけるし、池田くん情報によればかなり気に入ってるとも聞くし。おからドーナツやカレーパンも。
なんかこれ以上からかったらヤケクソで「とても美味しいです」とか言われそうだからこの辺にしておこう。
「でもさ、なんとなくだけど霧華さんは留くんや善法寺くんたちといる方が笑顔だよね」
「不二子さん。誤解を招くような言い方は控えてくれ。しばかれるのは俺なんだ」
「三郎次は兵助ほどじゃない。手練れのプロ忍相手に馬鹿な喧嘩は吹っ掛けないよ。相手の力量をしっかり弁えている」
うん。それはどうかな。頭に血が上ったら池田くんも割と暴走しそうな気もする。何せ兵助くんと同じ豆腐委員会だし。
私と留くんが顔を見合わせていれば「何か?」と問いかけてきたので首を横に振った。
「……まあ、二人とは気兼ねなく話せるからですよ。肩の力を抜いても良いというか。共に学び、歩んできたかけがえの無い友人ですから。こうして無事な顔を見ると自然に頬も緩むというものです」
霧華さんは一口ばかり残っていた味噌汁を飲み干した。お盆の上は空っぽになった食器。いつもきれいに食べてくれる。
両手を静かに合わせて「ご馳走さまでした」と呟いた。
「俺も同じだよ。お前の顔見ながらこうして下らない話をするのも懐かしくて、つい笑っちまう」
「今度伊作と三人で団子でも食べに行かないか」
「俺は構わないし、伊作もそう言うとは思うが……」
「誰か他に芳しく思わない者でも」
私は思わずズッコケそうになった。
「いや、お前の亭主だよ!」
真顔かつ首を傾げている霧華さんに留くんがすかさずツッコミを入れていた。
「じゃあ、四人で行くか」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「留くん落ち着いて。ツッコミ入れたくなる気持ちはわかるけど落ち着いて。それと霧華さんはもう少し池田くんの気持ちを汲んだ方が良いと思う」
「それを不二子さんが言うのか」呆気に取られた留くんの顔が私の目に映る。え、なんで。
「……まあ、兎に角だ。お前、三郎次のことカッコいいとか言ってやってるのか?」
「留くん、なんかもう期待してない顔だよそれは。もう少し取り繕ってあげて」
「カッコいい、か」
「ほら、困ってる」
「魚を捌く腕前と姿はカッコいいぞ。見事な包丁捌きなんだ。私よりも格段に上だし」
「ああ、そういやあいつ実家が漁師だったな」
そこで霧華さんの纏う空気が少しふわりとしたものに変わった気がした。
「それに、三郎次が作ったつみれ汁は最高だ。食べさせてやりたいぐらいだよ」
こう、ふわりとした笑顔。
あまり見たことがないそれに目を丸くしたのは私だけじゃなかった。
留くんがその表情のまま、私の方を向く。
「聞いたか不二子さん」
「聞いた聞いた」
「今、惚気たよな」
「うんうん」
「……惚気けたつもりは、ないんだが」
滅多に聞けない霧華さんの惚気けを確かに耳にした。空耳だとは言わせない。
「亭主の特技と料理を褒めるのは立派な惚気けだよ。……そうかようやくお前も惚気けられるようになったか」
「留くんがあまりの感動に泣いてる」
「そりゃあ、泣きたくもなりますよ。六年も傍で見てきた身としては」
そう言って熱くなる目頭を揉み解し、俯く。
鈍い鈍いと苦言を吐いてきたから、思うことが色々あるんだろう。苦労してたみたいだし。
「なんで今日に限って三郎次はいないんだ」
「だよね。まあ、今頃噂されてクシャミしてるかも」
「……茶化さないでください」
「それ、本人の前で言ってやった方が良いぞ」
どうして三郎次がこの場にいないんだ。
留くんが二度嘆いた。
「下手に褒めちぎっても喜車の術だと思われるだろ」
「いや、それはないだろ。好きな相手に褒めれたら素直に嬉しいもんだ。兵助を見てみろ。不二子さんにちょっと褒められただけで有頂天じゃないか」
「それを喜車の術というんだよ」
「……私そんなに褒めてない気もするけどなぁ」
だって、言ったら面倒なことになるんだもの。それが私から直接言ったものでも、誰かから言われたことでも。
「お前だって三郎次に褒められたら嬉しいだろ?」
「無条件で嬉しい」
「即答な上にめっちゃ微笑ましい顔してる」
「……今後輩として思い浮かべただろ」
今度は湯呑みを持ち上げた手が一瞬止まった。けれど、表情は至って平静を装っている。
お茶を飲み干した後、湯飲みを乗せたお盆を手にして席を立った。
「さてと。私はそろそろ失礼します。これ以上三郎次の噂話をして仕事に支障が出ても困りますから」
そんな言い訳を残して、すたすたと返却口に向かっていく。
ちょうどおばちゃんがそこに立っていて、霧華さんからお盆を直接返してもらっていた。
ここからだとおばちゃんの顔は見えるけど、霧華さんの姿は背中しか見えない。会話はぎりぎり聞こえるくらい。おばちゃんの声はよく通る良い声だから。
「おばちゃん。ご馳走様でした」
「お粗末さま」
「……久しぶりに食べた肉じゃが。とても、美味しかったです」
会話の途中、不意におばちゃんがきょとんとした。
まるで、珍しいものを見たように。あ、いやあれは懐かしいものを見て思い出に耽ってる目だ。
「あらあら。良かったわあ。またいつでも食べに来てちょうだいね」
「はい」
おばちゃんはとてもにこやかでいて、目を嬉しそうに細めていた。
ねえ、もしかして。
「……なんか、食堂のおばちゃんの特権だよね」
「何がだ?」
「みんなの笑顔」
「何言ってるんだ。不二子さんだってその特権持ってるじゃないか」
ほら、と促されて食堂を私は見渡した。
みんな美味しそうに定食を食べている。「これ、美味しいよね!」「豆腐の唐揚げサイコー!」って言ってくれてるし、笑顔が溢れていた。
「うん。有り難いことにそうだね。……霧華さんはシャイなのかなぁ?」
「しゃい?」
「照れ屋さんって意味」
「ああ、まあそうかもな。真正面から想いぶつけられて、どうしたらいいって狼狽えながら伊作に相談したやつだからな」
その時の霧華さんちょっと見てみたかったなぁ。善法寺くんに聞いたら様子を教えてくれるかな。
究極の選択である。
まさにそんな感じで霧華さんは配膳口で立ち往生中。
食堂に来た生徒たちに「ああ、こんにちは」と漏れなく挨拶を返しているけど、完全に生返事だと思う。
霧華さんの頭をここまで悩ませている種は今日の昼食メニューだった。
A定食は肉じゃが定食に豆腐の小鉢。
B定食は豆腐の唐揚げ定食に金平ごぼうの小鉢。
この二つで悩んでいた。多分、廊下に貼り出したメニュー表の前でも相当悩んだと思うんだよね。
おばちゃんが作った肉じゃが定食か、それとも私が作った豆腐の唐揚げ定食か。霧華さんは豆腐の唐揚げが気に入ってる。それにおばちゃんの作る肉じゃがも好物だとも聞いた。
つまり、好物が目の前をチラついている状態。しかも二ついっぺんに。
「久々知さん。A定食お願いしまーす」
「ぼくはB定食!」
「A定食お願いしまーす」
「はーい! ちょっと待ってねー」
霧華さんが悩んでる間にも注文が次々に入る。
配膳口から少し離れた場所で悩んでくれてるから、邪魔ではないんだけど。ちょっと悩み過ぎじゃないかな。それこそ不破くんばりに。
「はいお待たせー。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます!」
「霧華さん。早くどっちかにしないと売り切れ御免になっちゃうよ」
結構な人数が来たからそろそろ余裕があるとは言えなくなってきた。お鍋いっぱいに作った肉じゃがも鍋の湾曲した面が見えてきたし、豆腐の唐揚げだって数が明らかに減ってきた。
「……」
「どうしたんだ紅蓮。そんなとこで突っ立って。しかも眉間に皺まで寄せて」
そこに救世主――最近姿を見るようになった留くんが現れた。
腕組みして真剣に悩んでいた霧華さんは彼の顔を見るなり、無言でその表情のまま詰め寄った。
「留三郎、良いところに!」
「な、なんだよ。そんな深刻そうな顔して」
「昼は食堂で食べていくんだろう?」
「ああ。そのつもりで来た」
「どちらを頼む」
「あー……今日は肉じゃがと豆腐の唐揚げ。なるほどな」
流石、六年間一緒の学び舎にいた仲。たった数回だけの会話で霧華さんの悩みを汲み取ったみたい。
真剣な目で留くんの顔を見つめている霧華さん。ちょっと、それは池田くんが見たら一悶着ありそうだから控えた方が良いかも。
「俺は豆腐の唐揚げにする」留くんがそう言うなり、霧華さんが手をぱんっと合わせて頭を下げた。
「頼む。私の肉じゃがを分けるから、留三郎の豆腐の唐揚げを分けてくれ」
「いいぞ」
実に快い返事だった。
前にも同じようなことがあったのかな。留くんは呆れた様子もなくて、嬉々とする霧華さんを「仕方ねぇな」といった風に笑って見守っていた。
「恩に着るぞ留三郎」
「んなことぐらいで着せなくていいっての」
「おばちゃんの肉じゃがは久しぶりなんだ」
「それじゃAとB一つずつで良い?」
「はい。お願いします」
ようやく注文が決まったので、私は鉢に肉じゃがをよそい、皿に豆腐の唐揚げを乗せた。
定食をそれぞれ一セット用意して、配膳口に揃える。
「お待たせー。留くんありがとね。霧華さんすごい悩んでてさ」
「有り難う御座います。こいつはおばちゃんが作る肉じゃが大好きなんだよ。いつもならそれ一択のはずなのに、真剣な顔して悩んでたから好物が増えたんだと察した」
「そうなんだよ。結構気に入ってくれたみたいで」
「結構どこじゃないぞこれは。相当気に入ってる」
お盆を受け取った留くんがちらりと霧華さんに目を向けた。にたりと笑った目はからかってるそのもの。
霧華さんはどこかバツが悪そうに肉じゃが定食のお盆を持っていた。
「どちらも甲乙付け難いんだよ」
「素直に美味いって言ってやればいいのに」
「そうそう。私たちは率直な感想を常に求めてます」
「……善処します」
その善処はいつになったら実行されるのかなぁ。
二人はそれぞれ定食を抱えて、空いている奥の席に座った。
お互い箸をつける前に肉じゃが、豆腐の唐揚げを交換。念願叶って好物二つを揃えた霧華さんはそれはもうニコニコ顔だった。
口にしない分、顔や態度に出やすい気もする。それを言ったら更に感想伝えてくれなくなりそうだから控えとこ。
「不二子ちゃん。休憩入っておくれ」
「はーい」
「あら、霧華ちゃんと留三郎くん来てたのね」
「霧華さんは肉じゃがと豆腐の唐揚げかでずーっと悩んでましたよ」
さっきようやく決まったと話せば、おばちゃんが少し驚く。つぶらな黒目を丸くして、食堂奥の席に顔を向けた。
「そうだったの。あの子、昔からあたしの作る肉じゃがに目がなくってねぇ。一年生の時だったかしら「私はおばちゃんの肉じゃがが一番好きです!」ってニコニコしながら言ってくれたわ」
「へぇ〜。昔は素直に美味しいとか好きって言ってくれてたんですね」
時が経つと人は変わるっていう話をよく耳にする。でも変わるといっても土台はあくまでそのままで、飾り付けたもので今を繕ってるものなんじゃないかな。
だから、根本的な所は変わらないと思うんだよね。
「美味しいご飯毎日有難うございますってね」
「美味しいですはこう、控えめに言ってくれるけど、笑顔はつけてくれないなぁ」
「ちょっと恥ずかしいのかもしれないわね」
優しく、微笑ましいおばちゃんの顔は生徒を見守る目だった。
生徒の成長を見守るのは何も先生方だけじやないんだよね。毎日顔を合わせていた子たちだもの。学園を卒業しても成長したよねとか、立派になってとかいう眼差しをそりゃ向けたくなる。
「おばちゃん! A定食一つお願いしまーす!」
「あいよ!」
お昼休みも後半に差し掛かった。
ピークはもう過ぎたし、あとはぽつぽつとやってくる子たちや不意の外来客ぐらいだ。学園に居る先生方も殆ど食べ終わってる。
私は急須と湯呑み三つをお盆に乗せて、食堂奥の席へ向かった。
霧華さんと留くんは話が盛り上がってるみたいで、笑い声を響かせていた。二人の会話が近づくにつれ鮮明になる。
「しかしだ、そんなにどっちも食べたいなら三郎次を待てば良かったじゃないか。それか生徒に声掛けりゃ良かったのに。お前のこと慕ってる忍たまいるんだろ? 喜んで分けてくれるだろうに」
「今日は別件で仕事なんだ。生徒に集るわけにいかないだろ、流石に」
「私も今日はお昼先に食べちゃってたからさ。分けてあげられなくってね」
留くんと向かい合って座る霧華さんの隣に腰掛けて、さり気なく話に交ざりながらお茶を注ぐ。まだ食べ終わってない二人にそれぞれ湯呑みを渡した。
「有難うございます。不二子さん今から休憩ですか」
「うん」
「因みに兵助は。珍しく姿が見えませんけれど」
「ちょっと前に食べていって、授業の準備があるからってしょげながら戻っていったよ」
「兵助らしいな」
しょげながらが兵助くんらしい。留くんが私の顔を見ながら笑う。少し呆れた感じで。
「まだ不二子さんと話していたいけど、授業の準備をしなきゃいけないから」って物凄く悲しそうな顔はしていた。授業なんだからそこは悲しそうな顔しないで。
「それにしても留くんが来てくれて良かったねほんと。今日に限って霧華さんの好物が並ぶし、池田くんはいないしで。八方塞がりだったじゃん?」
「そこまででは」
「いーや、そこまでだよ。さっきご満悦に肉じゃがと豆腐の唐揚げを頬張ってた奴が何言ってるんだ」
今まさに豆腐の唐揚げを箸で摘もうとした霧華さんの手がぴたりと止まった。とても気まずそうに私たちの視線を避ける。
どちらも噛み締めて味わっているようで、肉じゃがと豆腐の唐揚げを均等に食べているようだった。
一瞬手を止めていた霧華さんは少しの間を置いてから、何事もなかったように唐揚げを摘んで頬張る。
「美味しい?」
「美味しいです」
「もっと笑顔で言ってほしいなぁ」
「いや、どういう絡み方ですかそれ」
「だって、さっきおばちゃんが「とっても美味しいです!」って昔はニコニコしながら言ってくれたって」
さっき聞いたばかりの話を二人に聞かせると、留くんは「ああー」と懐かしむように笑った。その目の前で霧華さんが片手で顔を覆いながら撃沈。
「美味しいに笑顔はつきものかなーって。もうそんな風には言ってくれないのかなーって。おばちゃんが悲しそうにしていたよ」
「涼しい顔で言われるよりは、笑って言われた方が確かに気持ちが良いかもな」
「でしょ?」
「……」
お茶を啜り、私たちの視線から逃れるように下方へ向く霧華さんの目。
その自覚というか、申し訳無さはきっとあるんだろうなあ。
まあでも、ご飯食べてる時は幸せそうに顔を緩めてくれてる場面も見かけるし、池田くん情報によればかなり気に入ってるとも聞くし。おからドーナツやカレーパンも。
なんかこれ以上からかったらヤケクソで「とても美味しいです」とか言われそうだからこの辺にしておこう。
「でもさ、なんとなくだけど霧華さんは留くんや善法寺くんたちといる方が笑顔だよね」
「不二子さん。誤解を招くような言い方は控えてくれ。しばかれるのは俺なんだ」
「三郎次は兵助ほどじゃない。手練れのプロ忍相手に馬鹿な喧嘩は吹っ掛けないよ。相手の力量をしっかり弁えている」
うん。それはどうかな。頭に血が上ったら池田くんも割と暴走しそうな気もする。何せ兵助くんと同じ豆腐委員会だし。
私と留くんが顔を見合わせていれば「何か?」と問いかけてきたので首を横に振った。
「……まあ、二人とは気兼ねなく話せるからですよ。肩の力を抜いても良いというか。共に学び、歩んできたかけがえの無い友人ですから。こうして無事な顔を見ると自然に頬も緩むというものです」
霧華さんは一口ばかり残っていた味噌汁を飲み干した。お盆の上は空っぽになった食器。いつもきれいに食べてくれる。
両手を静かに合わせて「ご馳走さまでした」と呟いた。
「俺も同じだよ。お前の顔見ながらこうして下らない話をするのも懐かしくて、つい笑っちまう」
「今度伊作と三人で団子でも食べに行かないか」
「俺は構わないし、伊作もそう言うとは思うが……」
「誰か他に芳しく思わない者でも」
私は思わずズッコケそうになった。
「いや、お前の亭主だよ!」
真顔かつ首を傾げている霧華さんに留くんがすかさずツッコミを入れていた。
「じゃあ、四人で行くか」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「留くん落ち着いて。ツッコミ入れたくなる気持ちはわかるけど落ち着いて。それと霧華さんはもう少し池田くんの気持ちを汲んだ方が良いと思う」
「それを不二子さんが言うのか」呆気に取られた留くんの顔が私の目に映る。え、なんで。
「……まあ、兎に角だ。お前、三郎次のことカッコいいとか言ってやってるのか?」
「留くん、なんかもう期待してない顔だよそれは。もう少し取り繕ってあげて」
「カッコいい、か」
「ほら、困ってる」
「魚を捌く腕前と姿はカッコいいぞ。見事な包丁捌きなんだ。私よりも格段に上だし」
「ああ、そういやあいつ実家が漁師だったな」
そこで霧華さんの纏う空気が少しふわりとしたものに変わった気がした。
「それに、三郎次が作ったつみれ汁は最高だ。食べさせてやりたいぐらいだよ」
こう、ふわりとした笑顔。
あまり見たことがないそれに目を丸くしたのは私だけじゃなかった。
留くんがその表情のまま、私の方を向く。
「聞いたか不二子さん」
「聞いた聞いた」
「今、惚気たよな」
「うんうん」
「……惚気けたつもりは、ないんだが」
滅多に聞けない霧華さんの惚気けを確かに耳にした。空耳だとは言わせない。
「亭主の特技と料理を褒めるのは立派な惚気けだよ。……そうかようやくお前も惚気けられるようになったか」
「留くんがあまりの感動に泣いてる」
「そりゃあ、泣きたくもなりますよ。六年も傍で見てきた身としては」
そう言って熱くなる目頭を揉み解し、俯く。
鈍い鈍いと苦言を吐いてきたから、思うことが色々あるんだろう。苦労してたみたいだし。
「なんで今日に限って三郎次はいないんだ」
「だよね。まあ、今頃噂されてクシャミしてるかも」
「……茶化さないでください」
「それ、本人の前で言ってやった方が良いぞ」
どうして三郎次がこの場にいないんだ。
留くんが二度嘆いた。
「下手に褒めちぎっても喜車の術だと思われるだろ」
「いや、それはないだろ。好きな相手に褒めれたら素直に嬉しいもんだ。兵助を見てみろ。不二子さんにちょっと褒められただけで有頂天じゃないか」
「それを喜車の術というんだよ」
「……私そんなに褒めてない気もするけどなぁ」
だって、言ったら面倒なことになるんだもの。それが私から直接言ったものでも、誰かから言われたことでも。
「お前だって三郎次に褒められたら嬉しいだろ?」
「無条件で嬉しい」
「即答な上にめっちゃ微笑ましい顔してる」
「……今後輩として思い浮かべただろ」
今度は湯呑みを持ち上げた手が一瞬止まった。けれど、表情は至って平静を装っている。
お茶を飲み干した後、湯飲みを乗せたお盆を手にして席を立った。
「さてと。私はそろそろ失礼します。これ以上三郎次の噂話をして仕事に支障が出ても困りますから」
そんな言い訳を残して、すたすたと返却口に向かっていく。
ちょうどおばちゃんがそこに立っていて、霧華さんからお盆を直接返してもらっていた。
ここからだとおばちゃんの顔は見えるけど、霧華さんの姿は背中しか見えない。会話はぎりぎり聞こえるくらい。おばちゃんの声はよく通る良い声だから。
「おばちゃん。ご馳走様でした」
「お粗末さま」
「……久しぶりに食べた肉じゃが。とても、美味しかったです」
会話の途中、不意におばちゃんがきょとんとした。
まるで、珍しいものを見たように。あ、いやあれは懐かしいものを見て思い出に耽ってる目だ。
「あらあら。良かったわあ。またいつでも食べに来てちょうだいね」
「はい」
おばちゃんはとてもにこやかでいて、目を嬉しそうに細めていた。
ねえ、もしかして。
「……なんか、食堂のおばちゃんの特権だよね」
「何がだ?」
「みんなの笑顔」
「何言ってるんだ。不二子さんだってその特権持ってるじゃないか」
ほら、と促されて食堂を私は見渡した。
みんな美味しそうに定食を食べている。「これ、美味しいよね!」「豆腐の唐揚げサイコー!」って言ってくれてるし、笑顔が溢れていた。
「うん。有り難いことにそうだね。……霧華さんはシャイなのかなぁ?」
「しゃい?」
「照れ屋さんって意味」
「ああ、まあそうかもな。真正面から想いぶつけられて、どうしたらいいって狼狽えながら伊作に相談したやつだからな」
その時の霧華さんちょっと見てみたかったなぁ。善法寺くんに聞いたら様子を教えてくれるかな。