番外編
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火薬委員会委員長就任
今年も無事に進級試験を達成したおかげで、無事に四月から松葉色の学年装束を纏うことができた。先代の六年生を見送り、今年から我々が最上級生となる。
見渡した教室内の顔ぶれは幸いなことに変わらない。これに私は内心どこかでほっとしていた。
春はどうも気が滅入るものだ。
季節の変わり目は身体が外気の刺激に順応できず、心身ともに調子を崩しやすい。無理は禁物だ。昨年の秋から冬にかけ風邪を長引かせた私に伊作はそう説いた。
今春は環境の変化こそ乏しいことにありがたみを感じていたのだが、どうやらそう上手くはいかなさそうだった。
四月下旬のある日、私たち三人は教室で頭を寄せ合い策を練っていた。
人気のない放課後の教室。私と留三郎、伊作の三人で文机を囲む。明日行われるろ組との対抗戦について話をしていた。
「長次は私が引き付ける。その隙に留三郎が」
私は文机の天板に指で陣形を描き、示す。
気心の知れた仲といえど、全てが以心伝心できるわけもない。相手の情報を基に予め策を練り、互いの動きを把握することが重要となる。
しかし入念な準備をしたとて、予想外のトラブルはつきもの。
「その時は俺たちの阿吽の呼吸を見せつけてやろうぜ」白い歯を見せてにやりと笑う留三郎に私と伊作は頷いた。
刹那、気配がひとつ。
声を顰めた私たちは気配の方へ注意を向けた。廊下から微かに聞こえる、足音。
わざわざ聞こえるような足音を立て、六年は組の教室に顔をひょこりと見せたのは学園の教師であった。
「葉月はいるか?」
「はい」
一年は組の教科担任を受け持つ教師――教え子に手を焼いていると聞く――が私の顔を見て喜の表情を見せた。直後、私たちの様子を見て申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない。作戦会議中だったか」
「流石土井先生。我々がよくその策を練っている最中だとわかりましたね」
「六年生のろ組とは組で対抗戦を行うと聞いていたからな。三人とも頑張りなさい」
「はい。有難う御座います」
「それでご用件をお伺いしても」
「実はお前に折り入ってお願いしたいことがあってな」
それを聞いた留三郎が直ぐに片膝を立てようとした。
「私たちは席を外した方が良さそうですね」
「ああ、いや。そのまま居てくれて構わない。大した話じゃないんだ。それにお前たちにも後押しをしてもらいたいというか、なんというか」
席を立とうとする二人に待ったをかけた土井先生は何とも歯切れが悪い。
順を追って何から話そうか。とでも言いたげな様子を見せ、伊作と留三郎の顔を交互に見た。
「二人は保健委員会、用具委員会に属しているだろ?」
「はい。どちらも委員長に就任しました」
「今年は一年生が二人も入ってくれたから助かってますよ」
「保健委員会には乱太郎。用具委員会にはしんべヱと喜三太。うちの子たちをよろしく頼むよ」
手を焼いていると聞いていたが、やはり担任として目に入れても痛くないほどなのだろう。それは少し言い過ぎかもしれないが、土井先生の表情からは似たものを感じた。
ちらり。視線が私の方に向けられた。ああ、この話の流れが何となく読めた。
「葉月はまだどの委員会にも入っていないんだったな」
「そうですね。五年間どこにも属せずにきたので、今年も属さずにいようかと考えています」
「……そうか。葉月は火薬の成績も良いし、知識も豊富と聞いている。実技の成績も悪くないし、火器以外も得意だと。それに真面目で面倒見も良い」
「先生。あからさまな喜車の術は止めてください」
土井先生は私を煽てるべく、立て板に水の様に長所を並べていった。
ここまで全て思惑かどうかは知らないが、私の指摘に先生は困り顔のまま愛想笑いを浮かべる。
「火薬委員会に入ってくれないか。うちは人手不足で困ってるんだ。かといって火器を扱う生徒には任せられないし」
つまるところ火薬委員会への勧誘。しかも顧問から直々に。
これがタブーだったかどうかは正直覚えていない。五年間どこにも属していなかったんだ。興味は薄れるというもの。
「だから私に声を掛けた、ということですか」
「いいんじゃない紅蓮。紅蓮は火器を扱わないから火種も持ち歩いてないし」
「まあな。授業や実習でしか火縄銃や火矢を使わない」
「頼む! 葉月にしか頼めるのがいないんだ。私を助けると思って」
顧問から直々のご指名ともなると、断るのは忍びないし心苦しい。両手を合わせ、こうも頭を下げられては無下に断り切れない。
留三郎からも「入ってやれよ。後輩は可愛いぞ」と肩を叩かれる。
しかし二つ返事で承諾するような事柄でもない。なにせ火薬委員会は何をしているのか傍目ではわからない委員会だ。委員会の花形とは程遠いゆえに。
私はこの件を一端持ち帰らせてもらうことにした。
「考えておきます」
そう土井先生に答えてから早ひと月が過ぎ去った。
いや、本当はもっと早めに返事をするつもりだったんだ。それが学園長先生の突然の思いつきに振り回され二週間、ドクタケ忍者隊の野望阻止に駆り出され五日、その他諸々で瞬く間に時が過ぎた。
次から次へと起きる問題の対処に負われ、委員会についてゆっくりと話をする場を設けられずにきた。
「土井先生。遅くなりましたが、火薬委員会の件お引き受け致します」
私の返事をようやく伝えた際、先生の時が些か止まったかのように見えた。
呆気に取られた表情のまま数秒。ゆっくりと変化を遂げる。先生は丸めた紙屑のように顔を歪め、涙を流した。これは少し大袈裟な物言いかもしれないが、私の目にはそう映っている。
「その言葉を待っていたああああ」
「す、すみません。色々と立て込んでしまい、返事をする余裕や話を聞く暇がなく」
「いや、いや。いいんだ。私も一年は組の補習授業が重なっていたからな……これもそれもあれもどれも学園長先生の突然の思いつきのせいで」
これまた大袈裟に袖を顔に押し付け、おいおいと涙を流し続ける。
課題が実技の授業に充てられるばかりで、教科側には不利だ。不公平だと。以前食堂で土井先生がぐちぐちと零していた。教師というのも苦労が堪えない職のようだ。
「私で良ければ尽力します」
「ああ、紅蓮が委員長をやってくれると聞けばみんなも喜ぶぞ。私の方から兵助たちに話をしておく。次の委員会は明後日だ。時刻と場所は」
火薬委員会の現人数は四人。委員会経験者はそのうち二人。
火薬の知識に長け、真面目でよく気がつく性格。そこには四年生に編入した生徒も含まれる。噂ではカリスマ髪結いの御父上を持つと聞く。
久々知兵助、斉藤タカ丸、池田三郎次、二郭伊助。名前と顔が一致する者もいるが、人となりまではわからず。他の委員会に手伝いで駆り出されたことはあれど、そこまで後輩と交流を深めてこなかった。せいぜい軽い会話を交わす程度だ。
これからは火薬委員会の委員長として後輩と関わりを持つことになるのだが、五年間どこにも属さなかった弊害が出ないか心配ではいた。
後日、私は指定された場所まで足を運んでいた。
火薬委員会の主な活動場所は焔硝蔵だが、そこで会議をするには不都合。上級生の部屋もしくは空き教室を借りて行っているそうだ。
私は職員室で顧問から資料を受け取り、先に忍たま長屋に向かった。まだ仕事が片付いていないらしく、後ほど向かうから先に顔合わせを始めていてくれとのこと。
慣れた鴬張りの廊下を進み、とびきり大きな音がなる床板を静かに跳び越えた。ほんの数ヶ月前まで寝起きした部屋が目と鼻の先にある。私の部屋は誰が今使っているのだろうか。
五年い組の長屋に差し掛かると、和気藹々とした話し声が部屋から聞こえた。私の目指す部屋からだ。
それは私が近づくと、ある地点でぴたりと静まる。気配を察知したのだろう。中の気配は四つ。どうやらメンバーは揃っているようだ。
私は久々知、尾浜という木札が提げられた部屋の戸を引いた。
引き戸を開けると、視線が私に集中した。
やおら漂う緊張感の中に漂う期待、羨望、歓喜の鱗片。追従する眼差しを受けながら私はひとつぽかんと空いている場所に腰を下ろした。
と、ここで己の失態に気づく様となる。何も言わずに入ってきて、どっかり腰を下ろすのは態度が悪いじゃないか。
こほんと咳ばらいをひとつ。それから改めて自己紹介を始めることにした。
「……すまない。何も言わずに座ってしまったな。私は六年は組の葉月紅蓮。この度は火薬委員会の委員長を務めさせてもらうことになった。よろしく頼むよ」
四つの視線がぱっと輝いた。
初対面とまではいかないが、どうやら第一印象が最悪になることは免れたようだ。
「よろしくお願いします。では、順に自己紹介をさせていただきますね。じゃあ、伊助から順番に」
「はいっ! 一年は組の二郭伊助です。葉月先輩が火薬委員会に入ってくださって、とても嬉しいです。僕はまだ一年生だし、迷惑かけることいっぱいあると思いますけど、よろしくお願いします」
井桁模様の学年装束。懐かしさを憶えたそれに顔が緩む。
背筋をぴんと伸ばし、粗相がないよういつも気を張り詰めていたあの頃。右も左も分からずにいた学園での生活。なんだかんだ先輩方には世話になったものだ。
期待と不安が入り交じるこの時期。私にも先輩らしいことができれば。そんな気持ちが既にこの時の私には抱かれていた。
「よろしく。土井先生が教科担任だと聞いている。授業にはもう慣れてきたか?」
「それが、なかなか授業の内容がむずかしくて」
「わからないことがあれば遠慮なく聞いてくれて構わないからな。私も委員会のことでわからないことがあれば聞かせてもらうよ」
「はい! ありがとうございます! 葉月先輩も僕らをどんどん頼ってくださいね」
素直で、初々しい。
これから学ぶことは沢山ある。そのどれでもいい、何かひとつでも己の糧となることを願おう。
「じゃあ次は三郎次」
「はい。二年い組池田三郎次です。去年も火薬委員会でした。水遁の術が得意です。よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。今から水遁の術が得意なのは有利だと思うぞ。特技を伸ばすのも良し、得意な術を増やすのも良し。逆に私は水遁の術が苦手だが、他のものなら教えられる。いつでも聞いてくれ」
「ありがとうございます! 是非、お願いします!」
ここで発言権が次に移るかと思いきや、三郎次からの熱い眼差しが降り止まない。その熱量に気づいているのか久々知も先へ進めようとしなかった。聞いてやってほしいと目配せが届く。
「私の顔に何かついているか、三郎次」
「あっ、あの。先輩は憶えていらっしゃらないかもしれませんが。以前危ない所を助けて頂いたことがあって。その節は本当にありがとうございました!」
「以前?」
「と言っても、もう一年も前の話なんですけど。夜間実習の時に危ない目に遭いそうになって、そこを通りかかった葉月先輩と中在家先輩に助けていただきました」
夜間実習、中在家。その二つの単語を頼りに記憶の糸を手繰る。
確かあれは合戦場からの実習帰り。学園の敷地内まで戻って来たところで、小さな忍たまの気配を感じた。暗がりの中、怯える一年生を手助けした記憶が存在した。
暗がりではっきりと顔は憶えていなかったのだが、あの時助けた忍たまたちがこの三郎次だったのだろう。
「頭巾を木の枝に引っ掛けてそれを取ろうとした、だったな」
木から下りようとした一人の忍たまが足を滑らせ、落ちる前にと助けた記憶が確かにある。
それを語れば三郎次の顔が嬉々とした。
「憶えててくださったんですね!」
「へ~。三郎次先輩でも木から落ちるんですね」
「なんだよ伊助。ぼくが木から落ちちゃ悪いかよ」
「いいえ、別に。いつも先輩風吹かせて、なんでもできるって威張ってたじゃないですか。だから意外だなぁって」
「今は落ちたりしない!」
「ま、まあまあ。二人とも落ち着いて。ケンカはダメだよ」
言い合いを始めた二人を宥めようとタカ丸が穏やかに声を掛ける。下級生の言い合いはまだ可愛い方だ。これが学年が上がるにつれて喧しくなる。留三郎と文次郎のように。このふたりにはそうなってほしくないな。
「こら二人とも。委員長が困ってるじゃないか。それに俺たちの自己紹介がまだなんだぞ」
「あ……すみません」
「ごめんなさい」
「わかれば良いんだ。ケンカばかりしてる委員会だと思われてしまうからな」
「私がいなくとも兵助がいればこの委員会は成り立つんじゃないか?」
今のまとめ方はまさに委員長に相応しい。委員長代理としてやっていけるだろう。
ふと出た言葉に兵助が「なんてことを言うんですか!」と目を見開いた。ああ、すまない。苦労しているんだな。人手が足りない場に不適切な発言だった。
「俺は先輩が来るのを心待ちにしていたんですよ! やっと人手不足が解消できそうだし、なにより予算も一人分増える!」
「ああ、予算か。……毎年会計委員会がバッサバッサと斬り捨てているという予算会議がそろそろだな」
「はい。今年こそは全額通してもらいます。今日もその作戦会議を……と、その前にタカ丸さん自己紹介をどうぞ」
「忘れられちゃったかと思ったよ。四年は組斉藤タカ丸。実家は髪結い処でぼくも元髪結いです。爺ちゃんが忍者だったんだけど、ぼくは忍術の経験がないので四年生に編入してきました。よろしくお願いしまーす」
「そして俺は五年い組久々知兵助。六年生の先輩がいない間、委員長代理を務めていました。改めて葉月先輩、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
やや個性が強そうな者もいるが、全体的にまとまっている委員会に思えた。
事前に聞いていた通り、しっかり者が多い。だが、何か忘れている気がする。タカ丸が元髪結いという話は学園内の噂から耳に届いた。何かもう一つ、あったような。
「土井先生はまだいらっしゃらないんですね」
「ああ。仕事を片付けてから向かうと仰っていたよ。そろそろ来るとは思うんだが」
「そうでしたか。じゃあ、先にこちらを葉月委員長にプレゼントさせてください」
そう言って、兵助がどこからともなく皿に乗せた絹豆腐を取り出した。両手でその皿を大事そうに持ち、愛おし気な視線を豆腐に注ぐ。この視線、誰かに似ている。そうだ、三年い組の伊賀崎だ。真っ赤な毒蛇のジュンコに向ける愛情と似たものを感じた。
「兵助。それは」
「今日の為に町のお豆腐屋さんで買ってきた、絹ごし豆腐です! このお店のお豆腐がとても美味しいので、是非とも委員長に食べていただきたくて! 就任祝いとして贈らせてください!」
なんと返せばいいのか。刹那私は絶句してしまった。
タカ丸たちは「またか」といった顔で兵助を見ている。私は思い出した。久々知兵助は豆腐小僧の異名を持つということを。豆腐のことになると見境がなくなるといった話も聞いている。
「久々知先輩、葉月先輩が困っていらっしゃいますよ」
「何故だ⁉ ちゃんと薬味と醤油も準備してあるんだぞ。ここのお豆腐は冷奴で食べるのが堪らなく美味いのだあ」
「だからって今豆腐を用意しなくても。あ、でも先輩が見立てた豆腐は間違いなく美味しいので安心してください」
「……そうか。兵助、有難う。あとでこちらを頂くとするよ。先生も到着したようだしな」
部屋の外に感じた気配ひとつ。引き戸をがらりと開けた火薬委員会の顧問は半分呆れたように笑っていた。
「遅れてすまない。みんな揃っているようだな。もう自己紹介は済ませたのか?」
「はい。ちょうど終えた所です」
「そうか。では……私が火薬委員会の顧問土井半助。一年は組の教科担当だ。紅蓮、よろしく頼むぞ」
「こちらこそよろしくお願いします。みんな、私は五年間どの委員会にも属さずにいた。ゆえに委員会活動の勝手がわからず、迷惑を掛けることもあるだろう。その時は遠慮なく叱ってほしい。委員長の名に恥じぬよう務めさせてもらうよ」
快い返事が四つ、返ってきた。
「よし、では今日は予算会議に向けての準備を行う。三郎次とタカ丸は備品、伊助は消耗品資材の在庫チェックを。兵助は紅蓮に予算書の内容を説明してくれ。紅蓮、予算書の見方は?」
「伊作と留三郎に頼まれて手伝ったことがあるので、なんとなくは」
「それなら直ぐわかりますよ。うちは保健委員会や用具委員会と比べて費目が少ないですから。では、失礼してこちらの予算書を」
昨年度の収支を傍らに予算の説明に耳を傾ける。
予算会議は毎年大混乱を極めていた。実力行使ありきの予算会議は合戦とも呼ばれる。
いよいよもって他人事ではなくなった予算会議。毎年「予算がないんだ」と嘆く声を聞いてきた。うちの委員会がそうならないよう、全力を尽くさねば。
私は委員会の顔ぶれを見渡し、人知れず笑みを零した。
どうしたのかと兵助に目を丸くされ、首を軽く横へ振る。
火薬委員会に入って良かったと思える日が来るのもそう遠くないだろう。
今年も無事に進級試験を達成したおかげで、無事に四月から松葉色の学年装束を纏うことができた。先代の六年生を見送り、今年から我々が最上級生となる。
見渡した教室内の顔ぶれは幸いなことに変わらない。これに私は内心どこかでほっとしていた。
春はどうも気が滅入るものだ。
季節の変わり目は身体が外気の刺激に順応できず、心身ともに調子を崩しやすい。無理は禁物だ。昨年の秋から冬にかけ風邪を長引かせた私に伊作はそう説いた。
今春は環境の変化こそ乏しいことにありがたみを感じていたのだが、どうやらそう上手くはいかなさそうだった。
四月下旬のある日、私たち三人は教室で頭を寄せ合い策を練っていた。
人気のない放課後の教室。私と留三郎、伊作の三人で文机を囲む。明日行われるろ組との対抗戦について話をしていた。
「長次は私が引き付ける。その隙に留三郎が」
私は文机の天板に指で陣形を描き、示す。
気心の知れた仲といえど、全てが以心伝心できるわけもない。相手の情報を基に予め策を練り、互いの動きを把握することが重要となる。
しかし入念な準備をしたとて、予想外のトラブルはつきもの。
「その時は俺たちの阿吽の呼吸を見せつけてやろうぜ」白い歯を見せてにやりと笑う留三郎に私と伊作は頷いた。
刹那、気配がひとつ。
声を顰めた私たちは気配の方へ注意を向けた。廊下から微かに聞こえる、足音。
わざわざ聞こえるような足音を立て、六年は組の教室に顔をひょこりと見せたのは学園の教師であった。
「葉月はいるか?」
「はい」
一年は組の教科担任を受け持つ教師――教え子に手を焼いていると聞く――が私の顔を見て喜の表情を見せた。直後、私たちの様子を見て申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない。作戦会議中だったか」
「流石土井先生。我々がよくその策を練っている最中だとわかりましたね」
「六年生のろ組とは組で対抗戦を行うと聞いていたからな。三人とも頑張りなさい」
「はい。有難う御座います」
「それでご用件をお伺いしても」
「実はお前に折り入ってお願いしたいことがあってな」
それを聞いた留三郎が直ぐに片膝を立てようとした。
「私たちは席を外した方が良さそうですね」
「ああ、いや。そのまま居てくれて構わない。大した話じゃないんだ。それにお前たちにも後押しをしてもらいたいというか、なんというか」
席を立とうとする二人に待ったをかけた土井先生は何とも歯切れが悪い。
順を追って何から話そうか。とでも言いたげな様子を見せ、伊作と留三郎の顔を交互に見た。
「二人は保健委員会、用具委員会に属しているだろ?」
「はい。どちらも委員長に就任しました」
「今年は一年生が二人も入ってくれたから助かってますよ」
「保健委員会には乱太郎。用具委員会にはしんべヱと喜三太。うちの子たちをよろしく頼むよ」
手を焼いていると聞いていたが、やはり担任として目に入れても痛くないほどなのだろう。それは少し言い過ぎかもしれないが、土井先生の表情からは似たものを感じた。
ちらり。視線が私の方に向けられた。ああ、この話の流れが何となく読めた。
「葉月はまだどの委員会にも入っていないんだったな」
「そうですね。五年間どこにも属せずにきたので、今年も属さずにいようかと考えています」
「……そうか。葉月は火薬の成績も良いし、知識も豊富と聞いている。実技の成績も悪くないし、火器以外も得意だと。それに真面目で面倒見も良い」
「先生。あからさまな喜車の術は止めてください」
土井先生は私を煽てるべく、立て板に水の様に長所を並べていった。
ここまで全て思惑かどうかは知らないが、私の指摘に先生は困り顔のまま愛想笑いを浮かべる。
「火薬委員会に入ってくれないか。うちは人手不足で困ってるんだ。かといって火器を扱う生徒には任せられないし」
つまるところ火薬委員会への勧誘。しかも顧問から直々に。
これがタブーだったかどうかは正直覚えていない。五年間どこにも属していなかったんだ。興味は薄れるというもの。
「だから私に声を掛けた、ということですか」
「いいんじゃない紅蓮。紅蓮は火器を扱わないから火種も持ち歩いてないし」
「まあな。授業や実習でしか火縄銃や火矢を使わない」
「頼む! 葉月にしか頼めるのがいないんだ。私を助けると思って」
顧問から直々のご指名ともなると、断るのは忍びないし心苦しい。両手を合わせ、こうも頭を下げられては無下に断り切れない。
留三郎からも「入ってやれよ。後輩は可愛いぞ」と肩を叩かれる。
しかし二つ返事で承諾するような事柄でもない。なにせ火薬委員会は何をしているのか傍目ではわからない委員会だ。委員会の花形とは程遠いゆえに。
私はこの件を一端持ち帰らせてもらうことにした。
「考えておきます」
そう土井先生に答えてから早ひと月が過ぎ去った。
いや、本当はもっと早めに返事をするつもりだったんだ。それが学園長先生の突然の思いつきに振り回され二週間、ドクタケ忍者隊の野望阻止に駆り出され五日、その他諸々で瞬く間に時が過ぎた。
次から次へと起きる問題の対処に負われ、委員会についてゆっくりと話をする場を設けられずにきた。
「土井先生。遅くなりましたが、火薬委員会の件お引き受け致します」
私の返事をようやく伝えた際、先生の時が些か止まったかのように見えた。
呆気に取られた表情のまま数秒。ゆっくりと変化を遂げる。先生は丸めた紙屑のように顔を歪め、涙を流した。これは少し大袈裟な物言いかもしれないが、私の目にはそう映っている。
「その言葉を待っていたああああ」
「す、すみません。色々と立て込んでしまい、返事をする余裕や話を聞く暇がなく」
「いや、いや。いいんだ。私も一年は組の補習授業が重なっていたからな……これもそれもあれもどれも学園長先生の突然の思いつきのせいで」
これまた大袈裟に袖を顔に押し付け、おいおいと涙を流し続ける。
課題が実技の授業に充てられるばかりで、教科側には不利だ。不公平だと。以前食堂で土井先生がぐちぐちと零していた。教師というのも苦労が堪えない職のようだ。
「私で良ければ尽力します」
「ああ、紅蓮が委員長をやってくれると聞けばみんなも喜ぶぞ。私の方から兵助たちに話をしておく。次の委員会は明後日だ。時刻と場所は」
火薬委員会の現人数は四人。委員会経験者はそのうち二人。
火薬の知識に長け、真面目でよく気がつく性格。そこには四年生に編入した生徒も含まれる。噂ではカリスマ髪結いの御父上を持つと聞く。
久々知兵助、斉藤タカ丸、池田三郎次、二郭伊助。名前と顔が一致する者もいるが、人となりまではわからず。他の委員会に手伝いで駆り出されたことはあれど、そこまで後輩と交流を深めてこなかった。せいぜい軽い会話を交わす程度だ。
これからは火薬委員会の委員長として後輩と関わりを持つことになるのだが、五年間どこにも属さなかった弊害が出ないか心配ではいた。
後日、私は指定された場所まで足を運んでいた。
火薬委員会の主な活動場所は焔硝蔵だが、そこで会議をするには不都合。上級生の部屋もしくは空き教室を借りて行っているそうだ。
私は職員室で顧問から資料を受け取り、先に忍たま長屋に向かった。まだ仕事が片付いていないらしく、後ほど向かうから先に顔合わせを始めていてくれとのこと。
慣れた鴬張りの廊下を進み、とびきり大きな音がなる床板を静かに跳び越えた。ほんの数ヶ月前まで寝起きした部屋が目と鼻の先にある。私の部屋は誰が今使っているのだろうか。
五年い組の長屋に差し掛かると、和気藹々とした話し声が部屋から聞こえた。私の目指す部屋からだ。
それは私が近づくと、ある地点でぴたりと静まる。気配を察知したのだろう。中の気配は四つ。どうやらメンバーは揃っているようだ。
私は久々知、尾浜という木札が提げられた部屋の戸を引いた。
引き戸を開けると、視線が私に集中した。
やおら漂う緊張感の中に漂う期待、羨望、歓喜の鱗片。追従する眼差しを受けながら私はひとつぽかんと空いている場所に腰を下ろした。
と、ここで己の失態に気づく様となる。何も言わずに入ってきて、どっかり腰を下ろすのは態度が悪いじゃないか。
こほんと咳ばらいをひとつ。それから改めて自己紹介を始めることにした。
「……すまない。何も言わずに座ってしまったな。私は六年は組の葉月紅蓮。この度は火薬委員会の委員長を務めさせてもらうことになった。よろしく頼むよ」
四つの視線がぱっと輝いた。
初対面とまではいかないが、どうやら第一印象が最悪になることは免れたようだ。
「よろしくお願いします。では、順に自己紹介をさせていただきますね。じゃあ、伊助から順番に」
「はいっ! 一年は組の二郭伊助です。葉月先輩が火薬委員会に入ってくださって、とても嬉しいです。僕はまだ一年生だし、迷惑かけることいっぱいあると思いますけど、よろしくお願いします」
井桁模様の学年装束。懐かしさを憶えたそれに顔が緩む。
背筋をぴんと伸ばし、粗相がないよういつも気を張り詰めていたあの頃。右も左も分からずにいた学園での生活。なんだかんだ先輩方には世話になったものだ。
期待と不安が入り交じるこの時期。私にも先輩らしいことができれば。そんな気持ちが既にこの時の私には抱かれていた。
「よろしく。土井先生が教科担任だと聞いている。授業にはもう慣れてきたか?」
「それが、なかなか授業の内容がむずかしくて」
「わからないことがあれば遠慮なく聞いてくれて構わないからな。私も委員会のことでわからないことがあれば聞かせてもらうよ」
「はい! ありがとうございます! 葉月先輩も僕らをどんどん頼ってくださいね」
素直で、初々しい。
これから学ぶことは沢山ある。そのどれでもいい、何かひとつでも己の糧となることを願おう。
「じゃあ次は三郎次」
「はい。二年い組池田三郎次です。去年も火薬委員会でした。水遁の術が得意です。よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。今から水遁の術が得意なのは有利だと思うぞ。特技を伸ばすのも良し、得意な術を増やすのも良し。逆に私は水遁の術が苦手だが、他のものなら教えられる。いつでも聞いてくれ」
「ありがとうございます! 是非、お願いします!」
ここで発言権が次に移るかと思いきや、三郎次からの熱い眼差しが降り止まない。その熱量に気づいているのか久々知も先へ進めようとしなかった。聞いてやってほしいと目配せが届く。
「私の顔に何かついているか、三郎次」
「あっ、あの。先輩は憶えていらっしゃらないかもしれませんが。以前危ない所を助けて頂いたことがあって。その節は本当にありがとうございました!」
「以前?」
「と言っても、もう一年も前の話なんですけど。夜間実習の時に危ない目に遭いそうになって、そこを通りかかった葉月先輩と中在家先輩に助けていただきました」
夜間実習、中在家。その二つの単語を頼りに記憶の糸を手繰る。
確かあれは合戦場からの実習帰り。学園の敷地内まで戻って来たところで、小さな忍たまの気配を感じた。暗がりの中、怯える一年生を手助けした記憶が存在した。
暗がりではっきりと顔は憶えていなかったのだが、あの時助けた忍たまたちがこの三郎次だったのだろう。
「頭巾を木の枝に引っ掛けてそれを取ろうとした、だったな」
木から下りようとした一人の忍たまが足を滑らせ、落ちる前にと助けた記憶が確かにある。
それを語れば三郎次の顔が嬉々とした。
「憶えててくださったんですね!」
「へ~。三郎次先輩でも木から落ちるんですね」
「なんだよ伊助。ぼくが木から落ちちゃ悪いかよ」
「いいえ、別に。いつも先輩風吹かせて、なんでもできるって威張ってたじゃないですか。だから意外だなぁって」
「今は落ちたりしない!」
「ま、まあまあ。二人とも落ち着いて。ケンカはダメだよ」
言い合いを始めた二人を宥めようとタカ丸が穏やかに声を掛ける。下級生の言い合いはまだ可愛い方だ。これが学年が上がるにつれて喧しくなる。留三郎と文次郎のように。このふたりにはそうなってほしくないな。
「こら二人とも。委員長が困ってるじゃないか。それに俺たちの自己紹介がまだなんだぞ」
「あ……すみません」
「ごめんなさい」
「わかれば良いんだ。ケンカばかりしてる委員会だと思われてしまうからな」
「私がいなくとも兵助がいればこの委員会は成り立つんじゃないか?」
今のまとめ方はまさに委員長に相応しい。委員長代理としてやっていけるだろう。
ふと出た言葉に兵助が「なんてことを言うんですか!」と目を見開いた。ああ、すまない。苦労しているんだな。人手が足りない場に不適切な発言だった。
「俺は先輩が来るのを心待ちにしていたんですよ! やっと人手不足が解消できそうだし、なにより予算も一人分増える!」
「ああ、予算か。……毎年会計委員会がバッサバッサと斬り捨てているという予算会議がそろそろだな」
「はい。今年こそは全額通してもらいます。今日もその作戦会議を……と、その前にタカ丸さん自己紹介をどうぞ」
「忘れられちゃったかと思ったよ。四年は組斉藤タカ丸。実家は髪結い処でぼくも元髪結いです。爺ちゃんが忍者だったんだけど、ぼくは忍術の経験がないので四年生に編入してきました。よろしくお願いしまーす」
「そして俺は五年い組久々知兵助。六年生の先輩がいない間、委員長代理を務めていました。改めて葉月先輩、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
やや個性が強そうな者もいるが、全体的にまとまっている委員会に思えた。
事前に聞いていた通り、しっかり者が多い。だが、何か忘れている気がする。タカ丸が元髪結いという話は学園内の噂から耳に届いた。何かもう一つ、あったような。
「土井先生はまだいらっしゃらないんですね」
「ああ。仕事を片付けてから向かうと仰っていたよ。そろそろ来るとは思うんだが」
「そうでしたか。じゃあ、先にこちらを葉月委員長にプレゼントさせてください」
そう言って、兵助がどこからともなく皿に乗せた絹豆腐を取り出した。両手でその皿を大事そうに持ち、愛おし気な視線を豆腐に注ぐ。この視線、誰かに似ている。そうだ、三年い組の伊賀崎だ。真っ赤な毒蛇のジュンコに向ける愛情と似たものを感じた。
「兵助。それは」
「今日の為に町のお豆腐屋さんで買ってきた、絹ごし豆腐です! このお店のお豆腐がとても美味しいので、是非とも委員長に食べていただきたくて! 就任祝いとして贈らせてください!」
なんと返せばいいのか。刹那私は絶句してしまった。
タカ丸たちは「またか」といった顔で兵助を見ている。私は思い出した。久々知兵助は豆腐小僧の異名を持つということを。豆腐のことになると見境がなくなるといった話も聞いている。
「久々知先輩、葉月先輩が困っていらっしゃいますよ」
「何故だ⁉ ちゃんと薬味と醤油も準備してあるんだぞ。ここのお豆腐は冷奴で食べるのが堪らなく美味いのだあ」
「だからって今豆腐を用意しなくても。あ、でも先輩が見立てた豆腐は間違いなく美味しいので安心してください」
「……そうか。兵助、有難う。あとでこちらを頂くとするよ。先生も到着したようだしな」
部屋の外に感じた気配ひとつ。引き戸をがらりと開けた火薬委員会の顧問は半分呆れたように笑っていた。
「遅れてすまない。みんな揃っているようだな。もう自己紹介は済ませたのか?」
「はい。ちょうど終えた所です」
「そうか。では……私が火薬委員会の顧問土井半助。一年は組の教科担当だ。紅蓮、よろしく頼むぞ」
「こちらこそよろしくお願いします。みんな、私は五年間どの委員会にも属さずにいた。ゆえに委員会活動の勝手がわからず、迷惑を掛けることもあるだろう。その時は遠慮なく叱ってほしい。委員長の名に恥じぬよう務めさせてもらうよ」
快い返事が四つ、返ってきた。
「よし、では今日は予算会議に向けての準備を行う。三郎次とタカ丸は備品、伊助は消耗品資材の在庫チェックを。兵助は紅蓮に予算書の内容を説明してくれ。紅蓮、予算書の見方は?」
「伊作と留三郎に頼まれて手伝ったことがあるので、なんとなくは」
「それなら直ぐわかりますよ。うちは保健委員会や用具委員会と比べて費目が少ないですから。では、失礼してこちらの予算書を」
昨年度の収支を傍らに予算の説明に耳を傾ける。
予算会議は毎年大混乱を極めていた。実力行使ありきの予算会議は合戦とも呼ばれる。
いよいよもって他人事ではなくなった予算会議。毎年「予算がないんだ」と嘆く声を聞いてきた。うちの委員会がそうならないよう、全力を尽くさねば。
私は委員会の顔ぶれを見渡し、人知れず笑みを零した。
どうしたのかと兵助に目を丸くされ、首を軽く横へ振る。
火薬委員会に入って良かったと思える日が来るのもそう遠くないだろう。