軽率なコラボシリーズ
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一番美味しい豆腐料理
「三郎次っ! 一番美味しい料理はなんだと思う! 豆腐を使った料理で!」
久々知先輩にそう問われた俺は既視感を抱くと共に、厄介事に巻き込まれたと即座に諦めた。
思わず「なんて?」と聞き返してしまうところでもあった。
「なんで豆腐縛りなんですか。いや、理由聞かなくても久々知先輩のことだから、どうせ自分の豆腐料理が認めてもらえないから人気のあるものを調査して作って食べてもらおうっていう計画でも練ってるんですね」
俺が一息にそう言えば久々知先輩は大きな目を輝かせた。いや、そこ喜ぶところじゃないです。
「わかってくれるか、三郎次!」
「いえ、わかりたくないです。まだ諦めになられてないんですか」
溜息を添えた俺に一蹴された久々知先輩が、どんよりと沈んだ。
今しがた終えた三年生の特別講師による授業。その報告がてら教員長屋に寄ったところで久々知先輩に捕まってしまった。
やたらと嬉しそうに、というよりは楽しそうに笑っていたから嫌な予感はしていたんだ。
久々知先輩は自分の豆腐料理がみんなにウケないことを気にしていらっしゃる。同じ振る舞い方でも、御内儀だとみんな喜ぶわけで。この間は食堂で昼に同席した一年生が「お豆腐地獄はもう懲り懲りです」と泣いていた。久々知さんが提供する豆腐料理は豆腐御膳で、久々知先輩が作るものは豆腐地獄という通り名がついているようだった。
やっぱりこの人の二つ名は「豆腐なんちゃら」で良い気がする。
「俺だってみんなに喜んでもらいたいんだ。「久々知先生の作るお豆腐料理、とっても美味しいですね」って言われたい。毎日」
「それは難題ですね」
思わず本音が出た。いやこれでも羽毛に包んだつもりだ。久々知さんにはよく「もうちょっとオブラートに包んで」と言われるけど、なんだっけ。湯葉みたいなものだったかな。
廊下のど真ん中でこんな話をしているせいか、人の気配が無い。忍たまどころか先生方の気配も感じられなかった。
呑気な声でちぃちぃ鳴く鳥の声だけが聞こえてくる。
「だから!」と拳をぐっと力一杯握りしめた久々知先輩がその勢いのまま俺にずいっと迫った。反射で仰け反り、落ち着いてもらうべく「まあまあ」と宥める。
「少しでも人気があるお豆腐料理を提供しようと思って!」
「わ、わかりましたよ。因みにその調査は久々知さん公認なんですか? 勝手に行ったらまた怒られるんじゃ」
「そこは抜かりないさ。勿論、不二子さん公認のあんけえとだ。調査をしたいって言ったら快く賛成してくれたよ」
それが余程嬉しかったんだろう。
久々知先輩の周りに花がふわふわ飛んでいるような錯覚がした。
「そうですか」
「それで、三郎次が好きなお豆腐料理は? あ、多くても三つまでだぞ」
未だ周囲の気配は一つも近寄る様子がない。これ、多分久々知先輩があんけーとを取り始めたことを知って避けてるに違いないな。
しかも答えるまでは逃がしてくれなさそうな雰囲気。
仕方なく、少し頭を悩ませるように考え込むフリをする。腕組みまでして。
「はんぺんの卵とじ美味しいですよね。ふわふわの食感で。山芋と蓮根を酢醤油で和えたのは疲れた時に。ああ、あと甘酒を使った豚汁は寒い時期に最高です」
「……それはどれも豆腐を使ってないじゃないかぁ! 共通点が白い食材ってだけだぞ!」
「白い食材は肺を潤すから健康に良いんですよ」
「豆腐だって身体に良い食材なのだ!」
ムキになり、段々と大きな声で話す久々知先輩。豆腐のことになると面白いくらいに熱くなる。あんまりからかうと本気で怒られるから引き際はちゃんと弁えている。
俺はこれ以上吠えられないよう、ニヤける顔を抑えながら「冗談ですよ」と返しておいた。
因みにさっき挙げた料理は全部霧華さんが作ったことあるものだ。俺が風邪の咳を長引かせた時に伊作先輩に色々聞いてくれたみたいで。おかげで拗らせる前に完治した。
「医食同源って言葉があるんだぞ」と口を酸っぱくして言っていた友の顔が刹那浮かぶ。食事は馬鹿に出来ないんだ。
「ところで、霧華さんはもうそのあんけえとに答えたんですか」
「先輩は麻婆豆腐が気に入ってると仰ってた」
「ああ、確かに久々知先輩が作った料理の中で一番美味しそうに食べてましたよね」
久々知先輩が在学時は結構な頻度でお豆腐パーティーが開催された。先輩お手製の豆腐を使用した数々の豆腐料理が振る舞われたのだが、今思えばその頃から豆腐地獄の序曲が始まったのだと思う。
当時の火薬委員会委員長であった霧華さんは先輩のお豆腐パーティーを容認していた。久々知先輩は「葉月先輩は俺のことを後輩と認識してないんじゃ」と言っていたけど、あれを寛容に認めていたんだ。霧華さんにとって先輩も後輩の部類に漏れなく入ってるんですよ。
そんな久々知先輩が振る舞った豆腐料理の中で、いつも最初に手に取る料理は麻婆豆腐だった。辛いものが好きだなんて意外だと思った一面だ。
「最近だと豆腐の唐揚げがお気に入りみたいですよ」
先日、久々知さんが定食で豆腐の唐揚げを提供した。物珍しさから売れ行きがよく、味も好評だったという。
それともう一つ。偶然これを食べてきた霧華さんがおからどうなつを久々知さんからお土産に貰ったといって、その日の夕食につけてくれた。
油で揚げた甘味だというのに、重すぎない食感と程よい甘さ。何より今までに見たことがないお菓子だったし、物珍しさがあった。ぼうろよりも優しい甘さで柔らかい。
「美味いだろ」と聞いてきた霧華さんの表情は実に嬉しそうだった。余程気に入ったらしい。
豆腐の唐揚げについても事細やかに感想を話してくれて、その間も視線がちらちらと俺の手元を捉えた。本当に気に入ったんだなと。だから「食べかけですけど、半分食べます?」と声を掛けたら、目を丸めた後に「いいのか?」と遠慮がちに聞き返してきた。どうなつの残りを千切って渡せば御礼の言葉と柔らかい微笑み。
あの笑顔が見られるなら何でも差し出しそうな自分が垣間見えた気もした。
この話を久々知さんにすると意外過ぎるという顔をされた。まあ、確かに霧華さんはしんべヱやタカ丸さんみたいに感情が直に表に出るような人ではない。かといって、中在家先輩ほど無表情でもない。
凛々しくかっこいいと思っていた人が、最近はちょっとお茶目で可愛らしい人という印象に傾いている。
伊作先輩によれば「昔の紅蓮はそんな感じだったよ」らしい。
それは自分の影響かと考えるのは自惚れかもしれないけど、そうであれば良い。
豆腐の唐揚げ、おからどうなつの一連を思い返していた俺は前方からの視線に睨みを効かせた。久々知先輩が口角を両方上げてにこにこ笑っているものだから。
「なんですか」
「いや、流石三郎次だなあと思って。先輩のことよく見ている。そうだ、三郎次が先輩の変装をしたら誰か騙せるんじゃないのか?」
「誰を騙すんですか。僕は鉢屋先輩みたいに無謀じゃありませんよ。忍務ならまだしも」
自ら手痛い報復を受けるような真似はしたくない。
でも、ちょっと面白そうだなとは思った。
「それで、三郎次の一押し豆腐料理は?」
「甲乙付け難いので麻婆豆腐に一票だけ入れます」
◇
昼下がり。一時的に食堂から人が引くこの時間帯。訪れるのは昼飯を運悪く食いっぱぐれた者か、私のように駄弁るべく残った者に限られる。
有り難く頂いた番茶で食後の胃を休ませ一息をついた。
「そういえば兵助が豆腐料理について調査をしているようですね」
卓の反対側に腰掛けた相手に話を振れば、こくりと頷かれた。
「うん。一番好きなお豆腐料理は何かアンケート取りたいって。私も人気があるやつ知りたいし。いいんじゃない? って返したよ」
私は思わず驚いてしまった。
生活を共にしていると、その相手の言動を知らぬうちに自分の癖に取り込みがちだ。口調、仕草、食の好み。これらは必ずしも完全一致するわけではない。だが、今の喋り方は兵助にそっくりであった。委員会別対抗戦の際、当時の生物委員会委員長代理であった竹谷へ放った時のものと。
ここまで似るものなのか。
一抹の不安が過る。
「どうしたの」
「不二子さん。付かぬ事を訊ねますが」
「え、なになに改まって」
「……私は三郎次に似てきましたか」
「どういう事?」
私は脈絡のない話を振ったことを先ず謝り、それから事の経緯を話す。
不二子さんは「そんなに似てた?」と小首を傾げていた。
「共に過ごす時間が長ければそれだけ相手の考えや物言いに感化されやすい。ですから、知らぬうちに貴女に不快な思いをさせていやしないかと」
「それ暗に池田くんのことディスってない?」
「でぃす……?」
結構な頻度で不二子さんと会話をしているとは思うのだが、未だ聞き馴染まない言葉を耳にする。
その度に呆けた表情をしているであろう私に「こういう意味だよ」と丁寧に教えてくれるのだ。
「貶してるって意味」
「いえそうでは……ただ、あの子は一言多いでしょう。今でこそだいぶ減りましたが、年上相手にも割と容赦がない。力量は弁えているようではありますが」
「まあ、一言多いよね。それが池田くんって感じだし」
「すみません」
「霧華さん。それもう母親目線。前にも似たようなこと言ったけど」
私にとって三郎次と過ごした時間は先輩、後輩としての期間が殆どだ。棒術の稽古をつけていたことも相俟って、可愛い後輩の印象が強く焼き付いている。
これを当人に話すとだいぶへそを曲げてしまうので、極力口にしないよう気をつけている。昔も今も、大事だということには変わりないのだが念の為。
「まあ、私は霧華さんに何か言われて傷ついたー! ってことは特にないから大丈夫だと思う」
「有難う御座います。以後も気をつけようかと」
「そこまで気を配らなくても。というか、むしろ池田くんの方が霧華さんに似てきたって兵助くんと話してたことあるよ」
それに関しては昔から言われていたことだった。
留三郎には「立ち回りがお前にそっくりだ」と。川西には「三郎次と組手試合したら、動き読めなさすぎたんですけど!?」と不満を口にされたこともある。敵に読まれにくい型を身に着けた方が良いと教えたのは事実。
私が教えたことを貪欲に吸収し、己のものとしたのは三郎次自身の努力の賜物だろう。
「まあ、私が育てましたからね。似るのは当然かと」
「親目線その弐。私が言いたかったのは好きな人のことはよく見てるから、似てくるよね……ってこと」
「……まあ、それも分かる気がします」
私の間合いの取り方、戦闘型並びに棒手裏剣の打ち方は亡き友を真似たもの。教科よりも実技に明るいあいつのことを尊敬していたから。
「二人がお互いに変装して入れ替わっても気づく人いないんじゃない?」
「どうでしょう。貴女のように勘が鋭い者には見破られてしまうかもしれませんよ」
片手で頬杖をつき、不二子さんに笑い掛ける。
「話が逸れてしまいましたが、その豆腐のあんけえとを許した理由は」
「人気の料理がわかればそれで定食のメニュー組めるし、売れ行きもその方が良いじゃない?」
「成程。それで兵助を利用した、と」
「食堂の経営をする側にとっては人気料理を知ることも大事だからね」
一理ある。
食堂は決して善意で経営されているわけではない。
忍術学園の生徒は授業で煮炊きを教わるので、食堂が提供する料理の質が万が一にでも落ちた場合は自分たちで食事の用意をするだろう。
そうして食堂を利用する人間が減ってしまい、閉鎖に追い込まれてしまう事態となれば。食堂のおばちゃん、不二子さんが職を失うことに繋がる。
だが、おばちゃんと不二子さんの提供する料理に不満の声を挙げるものはいない。――この際個人の好き嫌いは置いておく。
その安定さに胡座をかく様な真似はせず、日々模索するお二人には本当に頭が下がる思いだ。
「それで、順位付けは決まりそうですか」
「それがね」
不意に不二子さんの顔が曇った。
懐から取り出した数枚の紙を卓の上に並べ、見てほしいと私に促す。
紙には兵助の字で書かれた豆腐料理の名前と票数が書かれている。それが五枚にも渡って、様々な豆腐料理名が連なっていた。
「何故か票が割れちゃって」
「これは、割れすぎですね」
「でしょ?」
豆腐飯、炒り豆腐、田楽豆腐、麻婆豆腐、豆腐の唐揚げ、揚げだし豆腐、卯の花、あんかけ豆腐、豆腐ステーキ。これ以上挙げるとキリがないので割愛しよう。
まあ、これだけの人数がいる忍術学園だ。しかも自由回答式。好みは千差万別に別れるというもの。票は割れるのが自然だ。それにしても、だ。
「これは割れすぎですね。一票、二票のものばかりだ。……豆腐の味噌汁と回答した奴もいるようですし」
「なんかおかしいよね」
不二子さんが抱く疑念の通り、これには策が張られている。
生徒たちが一致団結し、票が割れるように計ったのだろう。
私も兵助に訊ねられた際に「人気のあるお豆腐料理を振る舞いたいんです!」と自分が作る前提でいた。もし同じ様に聞き回っているのであれば、生徒たちは最大限の警戒をする。
「豆腐地獄はもう懲り懲りです」としょんぼりしながら定食を食べる生徒が可哀想にも思えた。
そしてこの結果に不二子さんも別の意味で困っていたようで、溜息を一つ零した。
「全然参考にならなくて」
唯一票が少し多いのは『久々知不二子さんが作った豆腐料理』だった。
これを書いた兵助はさぞかし複雑な心境だったのだろうな。
「不二子さんが作るお豆腐料理は美味しいし、俺も大好きだからわかる」と嬉しそうでいて悔しそうに涙ぐむ顔が浮かぶ。
実際、半紙には涙で濡れた痕跡があった。
「……もうこれは私が作る豆腐料理なら何でも良いってこと?」
「改めて不二子さん発信で票を取ってみたら正しい結果が導かれると思いますよ」
腕を組み「うーん」と悩む不二子さんにそう提案する。
「じゃあ今日の夕飯時から取ってみようかな」
「あと品数は予め決めておいた方が良いかと。いくら美味しいからと喜ばれても、予算や手間がかかるものでは実現し難いでしょうし」
「そうだよね。それは思った。じゃあ、五品くらい挙げて廊下に貼り出してみる」
空を見上げ、指をゆっくりと折って五品数える不二子さん。既に候補は決まったようで、ひとり頷いてみせた。
「良い結果が出ることを願っていますよ」
「ありがと。因みに霧華さんのイチオシは?」
「麻婆豆腐、豆腐の唐揚げですね」
「そんなに気に入ったんだね、豆腐の唐揚げ」
「美味しかったですよ。……どうしましたか」
私の顔をじっと見てくる目つきに既視感。
それにしても穴が空きそうなほど見られるのはどうにも居心地が悪い。
「霧華さんあまり顔に出ないよね」
「忍びを生業にしてるので、其の辺はどうにも」
「豆腐の唐揚げとおからドーナツ、凄く美味しくて気に入ったみたいだーって池田くんから聞いたの。ここで食べてた時はそんな風に見えなかったから」
私の返しが相殺される事となるその発言。
嗚呼、確かに三郎次の前では不二子さんの料理に賞賛の言葉を並べもした。物珍しさもあったので、普段よりも饒舌に。
思えば土産として渡したのに「半分食べますか」と三郎次が訊いてきたのもこのせいか。
その時の事を思い返した私は気恥ずかしくなり、思わず目を背けた。
「……気が緩みすぎだな。気をつけます」
「いやそうじゃなくてね。感想は本人に伝えないと意味がないんだよってこと。いくら他所で美味しい美味しいって呟かれてもさ、届かないかもしれないじゃん」
「善処します」
「忍者の善処しますは充てにならないんだよ」
「ご尤もです」
そして数日が経過。不二子さんが主催した豆腐料理のあんけえとはあっという間に票が集まったと聞く。
翌日から一番人気の豆腐料理が振る舞われたそうだ。
豆腐御膳と豆腐地獄。言わずもがな御内儀に軍配が上がったのである。
「三郎次っ! 一番美味しい料理はなんだと思う! 豆腐を使った料理で!」
久々知先輩にそう問われた俺は既視感を抱くと共に、厄介事に巻き込まれたと即座に諦めた。
思わず「なんて?」と聞き返してしまうところでもあった。
「なんで豆腐縛りなんですか。いや、理由聞かなくても久々知先輩のことだから、どうせ自分の豆腐料理が認めてもらえないから人気のあるものを調査して作って食べてもらおうっていう計画でも練ってるんですね」
俺が一息にそう言えば久々知先輩は大きな目を輝かせた。いや、そこ喜ぶところじゃないです。
「わかってくれるか、三郎次!」
「いえ、わかりたくないです。まだ諦めになられてないんですか」
溜息を添えた俺に一蹴された久々知先輩が、どんよりと沈んだ。
今しがた終えた三年生の特別講師による授業。その報告がてら教員長屋に寄ったところで久々知先輩に捕まってしまった。
やたらと嬉しそうに、というよりは楽しそうに笑っていたから嫌な予感はしていたんだ。
久々知先輩は自分の豆腐料理がみんなにウケないことを気にしていらっしゃる。同じ振る舞い方でも、御内儀だとみんな喜ぶわけで。この間は食堂で昼に同席した一年生が「お豆腐地獄はもう懲り懲りです」と泣いていた。久々知さんが提供する豆腐料理は豆腐御膳で、久々知先輩が作るものは豆腐地獄という通り名がついているようだった。
やっぱりこの人の二つ名は「豆腐なんちゃら」で良い気がする。
「俺だってみんなに喜んでもらいたいんだ。「久々知先生の作るお豆腐料理、とっても美味しいですね」って言われたい。毎日」
「それは難題ですね」
思わず本音が出た。いやこれでも羽毛に包んだつもりだ。久々知さんにはよく「もうちょっとオブラートに包んで」と言われるけど、なんだっけ。湯葉みたいなものだったかな。
廊下のど真ん中でこんな話をしているせいか、人の気配が無い。忍たまどころか先生方の気配も感じられなかった。
呑気な声でちぃちぃ鳴く鳥の声だけが聞こえてくる。
「だから!」と拳をぐっと力一杯握りしめた久々知先輩がその勢いのまま俺にずいっと迫った。反射で仰け反り、落ち着いてもらうべく「まあまあ」と宥める。
「少しでも人気があるお豆腐料理を提供しようと思って!」
「わ、わかりましたよ。因みにその調査は久々知さん公認なんですか? 勝手に行ったらまた怒られるんじゃ」
「そこは抜かりないさ。勿論、不二子さん公認のあんけえとだ。調査をしたいって言ったら快く賛成してくれたよ」
それが余程嬉しかったんだろう。
久々知先輩の周りに花がふわふわ飛んでいるような錯覚がした。
「そうですか」
「それで、三郎次が好きなお豆腐料理は? あ、多くても三つまでだぞ」
未だ周囲の気配は一つも近寄る様子がない。これ、多分久々知先輩があんけーとを取り始めたことを知って避けてるに違いないな。
しかも答えるまでは逃がしてくれなさそうな雰囲気。
仕方なく、少し頭を悩ませるように考え込むフリをする。腕組みまでして。
「はんぺんの卵とじ美味しいですよね。ふわふわの食感で。山芋と蓮根を酢醤油で和えたのは疲れた時に。ああ、あと甘酒を使った豚汁は寒い時期に最高です」
「……それはどれも豆腐を使ってないじゃないかぁ! 共通点が白い食材ってだけだぞ!」
「白い食材は肺を潤すから健康に良いんですよ」
「豆腐だって身体に良い食材なのだ!」
ムキになり、段々と大きな声で話す久々知先輩。豆腐のことになると面白いくらいに熱くなる。あんまりからかうと本気で怒られるから引き際はちゃんと弁えている。
俺はこれ以上吠えられないよう、ニヤける顔を抑えながら「冗談ですよ」と返しておいた。
因みにさっき挙げた料理は全部霧華さんが作ったことあるものだ。俺が風邪の咳を長引かせた時に伊作先輩に色々聞いてくれたみたいで。おかげで拗らせる前に完治した。
「医食同源って言葉があるんだぞ」と口を酸っぱくして言っていた友の顔が刹那浮かぶ。食事は馬鹿に出来ないんだ。
「ところで、霧華さんはもうそのあんけえとに答えたんですか」
「先輩は麻婆豆腐が気に入ってると仰ってた」
「ああ、確かに久々知先輩が作った料理の中で一番美味しそうに食べてましたよね」
久々知先輩が在学時は結構な頻度でお豆腐パーティーが開催された。先輩お手製の豆腐を使用した数々の豆腐料理が振る舞われたのだが、今思えばその頃から豆腐地獄の序曲が始まったのだと思う。
当時の火薬委員会委員長であった霧華さんは先輩のお豆腐パーティーを容認していた。久々知先輩は「葉月先輩は俺のことを後輩と認識してないんじゃ」と言っていたけど、あれを寛容に認めていたんだ。霧華さんにとって先輩も後輩の部類に漏れなく入ってるんですよ。
そんな久々知先輩が振る舞った豆腐料理の中で、いつも最初に手に取る料理は麻婆豆腐だった。辛いものが好きだなんて意外だと思った一面だ。
「最近だと豆腐の唐揚げがお気に入りみたいですよ」
先日、久々知さんが定食で豆腐の唐揚げを提供した。物珍しさから売れ行きがよく、味も好評だったという。
それともう一つ。偶然これを食べてきた霧華さんがおからどうなつを久々知さんからお土産に貰ったといって、その日の夕食につけてくれた。
油で揚げた甘味だというのに、重すぎない食感と程よい甘さ。何より今までに見たことがないお菓子だったし、物珍しさがあった。ぼうろよりも優しい甘さで柔らかい。
「美味いだろ」と聞いてきた霧華さんの表情は実に嬉しそうだった。余程気に入ったらしい。
豆腐の唐揚げについても事細やかに感想を話してくれて、その間も視線がちらちらと俺の手元を捉えた。本当に気に入ったんだなと。だから「食べかけですけど、半分食べます?」と声を掛けたら、目を丸めた後に「いいのか?」と遠慮がちに聞き返してきた。どうなつの残りを千切って渡せば御礼の言葉と柔らかい微笑み。
あの笑顔が見られるなら何でも差し出しそうな自分が垣間見えた気もした。
この話を久々知さんにすると意外過ぎるという顔をされた。まあ、確かに霧華さんはしんべヱやタカ丸さんみたいに感情が直に表に出るような人ではない。かといって、中在家先輩ほど無表情でもない。
凛々しくかっこいいと思っていた人が、最近はちょっとお茶目で可愛らしい人という印象に傾いている。
伊作先輩によれば「昔の紅蓮はそんな感じだったよ」らしい。
それは自分の影響かと考えるのは自惚れかもしれないけど、そうであれば良い。
豆腐の唐揚げ、おからどうなつの一連を思い返していた俺は前方からの視線に睨みを効かせた。久々知先輩が口角を両方上げてにこにこ笑っているものだから。
「なんですか」
「いや、流石三郎次だなあと思って。先輩のことよく見ている。そうだ、三郎次が先輩の変装をしたら誰か騙せるんじゃないのか?」
「誰を騙すんですか。僕は鉢屋先輩みたいに無謀じゃありませんよ。忍務ならまだしも」
自ら手痛い報復を受けるような真似はしたくない。
でも、ちょっと面白そうだなとは思った。
「それで、三郎次の一押し豆腐料理は?」
「甲乙付け難いので麻婆豆腐に一票だけ入れます」
◇
昼下がり。一時的に食堂から人が引くこの時間帯。訪れるのは昼飯を運悪く食いっぱぐれた者か、私のように駄弁るべく残った者に限られる。
有り難く頂いた番茶で食後の胃を休ませ一息をついた。
「そういえば兵助が豆腐料理について調査をしているようですね」
卓の反対側に腰掛けた相手に話を振れば、こくりと頷かれた。
「うん。一番好きなお豆腐料理は何かアンケート取りたいって。私も人気があるやつ知りたいし。いいんじゃない? って返したよ」
私は思わず驚いてしまった。
生活を共にしていると、その相手の言動を知らぬうちに自分の癖に取り込みがちだ。口調、仕草、食の好み。これらは必ずしも完全一致するわけではない。だが、今の喋り方は兵助にそっくりであった。委員会別対抗戦の際、当時の生物委員会委員長代理であった竹谷へ放った時のものと。
ここまで似るものなのか。
一抹の不安が過る。
「どうしたの」
「不二子さん。付かぬ事を訊ねますが」
「え、なになに改まって」
「……私は三郎次に似てきましたか」
「どういう事?」
私は脈絡のない話を振ったことを先ず謝り、それから事の経緯を話す。
不二子さんは「そんなに似てた?」と小首を傾げていた。
「共に過ごす時間が長ければそれだけ相手の考えや物言いに感化されやすい。ですから、知らぬうちに貴女に不快な思いをさせていやしないかと」
「それ暗に池田くんのことディスってない?」
「でぃす……?」
結構な頻度で不二子さんと会話をしているとは思うのだが、未だ聞き馴染まない言葉を耳にする。
その度に呆けた表情をしているであろう私に「こういう意味だよ」と丁寧に教えてくれるのだ。
「貶してるって意味」
「いえそうでは……ただ、あの子は一言多いでしょう。今でこそだいぶ減りましたが、年上相手にも割と容赦がない。力量は弁えているようではありますが」
「まあ、一言多いよね。それが池田くんって感じだし」
「すみません」
「霧華さん。それもう母親目線。前にも似たようなこと言ったけど」
私にとって三郎次と過ごした時間は先輩、後輩としての期間が殆どだ。棒術の稽古をつけていたことも相俟って、可愛い後輩の印象が強く焼き付いている。
これを当人に話すとだいぶへそを曲げてしまうので、極力口にしないよう気をつけている。昔も今も、大事だということには変わりないのだが念の為。
「まあ、私は霧華さんに何か言われて傷ついたー! ってことは特にないから大丈夫だと思う」
「有難う御座います。以後も気をつけようかと」
「そこまで気を配らなくても。というか、むしろ池田くんの方が霧華さんに似てきたって兵助くんと話してたことあるよ」
それに関しては昔から言われていたことだった。
留三郎には「立ち回りがお前にそっくりだ」と。川西には「三郎次と組手試合したら、動き読めなさすぎたんですけど!?」と不満を口にされたこともある。敵に読まれにくい型を身に着けた方が良いと教えたのは事実。
私が教えたことを貪欲に吸収し、己のものとしたのは三郎次自身の努力の賜物だろう。
「まあ、私が育てましたからね。似るのは当然かと」
「親目線その弐。私が言いたかったのは好きな人のことはよく見てるから、似てくるよね……ってこと」
「……まあ、それも分かる気がします」
私の間合いの取り方、戦闘型並びに棒手裏剣の打ち方は亡き友を真似たもの。教科よりも実技に明るいあいつのことを尊敬していたから。
「二人がお互いに変装して入れ替わっても気づく人いないんじゃない?」
「どうでしょう。貴女のように勘が鋭い者には見破られてしまうかもしれませんよ」
片手で頬杖をつき、不二子さんに笑い掛ける。
「話が逸れてしまいましたが、その豆腐のあんけえとを許した理由は」
「人気の料理がわかればそれで定食のメニュー組めるし、売れ行きもその方が良いじゃない?」
「成程。それで兵助を利用した、と」
「食堂の経営をする側にとっては人気料理を知ることも大事だからね」
一理ある。
食堂は決して善意で経営されているわけではない。
忍術学園の生徒は授業で煮炊きを教わるので、食堂が提供する料理の質が万が一にでも落ちた場合は自分たちで食事の用意をするだろう。
そうして食堂を利用する人間が減ってしまい、閉鎖に追い込まれてしまう事態となれば。食堂のおばちゃん、不二子さんが職を失うことに繋がる。
だが、おばちゃんと不二子さんの提供する料理に不満の声を挙げるものはいない。――この際個人の好き嫌いは置いておく。
その安定さに胡座をかく様な真似はせず、日々模索するお二人には本当に頭が下がる思いだ。
「それで、順位付けは決まりそうですか」
「それがね」
不意に不二子さんの顔が曇った。
懐から取り出した数枚の紙を卓の上に並べ、見てほしいと私に促す。
紙には兵助の字で書かれた豆腐料理の名前と票数が書かれている。それが五枚にも渡って、様々な豆腐料理名が連なっていた。
「何故か票が割れちゃって」
「これは、割れすぎですね」
「でしょ?」
豆腐飯、炒り豆腐、田楽豆腐、麻婆豆腐、豆腐の唐揚げ、揚げだし豆腐、卯の花、あんかけ豆腐、豆腐ステーキ。これ以上挙げるとキリがないので割愛しよう。
まあ、これだけの人数がいる忍術学園だ。しかも自由回答式。好みは千差万別に別れるというもの。票は割れるのが自然だ。それにしても、だ。
「これは割れすぎですね。一票、二票のものばかりだ。……豆腐の味噌汁と回答した奴もいるようですし」
「なんかおかしいよね」
不二子さんが抱く疑念の通り、これには策が張られている。
生徒たちが一致団結し、票が割れるように計ったのだろう。
私も兵助に訊ねられた際に「人気のあるお豆腐料理を振る舞いたいんです!」と自分が作る前提でいた。もし同じ様に聞き回っているのであれば、生徒たちは最大限の警戒をする。
「豆腐地獄はもう懲り懲りです」としょんぼりしながら定食を食べる生徒が可哀想にも思えた。
そしてこの結果に不二子さんも別の意味で困っていたようで、溜息を一つ零した。
「全然参考にならなくて」
唯一票が少し多いのは『久々知不二子さんが作った豆腐料理』だった。
これを書いた兵助はさぞかし複雑な心境だったのだろうな。
「不二子さんが作るお豆腐料理は美味しいし、俺も大好きだからわかる」と嬉しそうでいて悔しそうに涙ぐむ顔が浮かぶ。
実際、半紙には涙で濡れた痕跡があった。
「……もうこれは私が作る豆腐料理なら何でも良いってこと?」
「改めて不二子さん発信で票を取ってみたら正しい結果が導かれると思いますよ」
腕を組み「うーん」と悩む不二子さんにそう提案する。
「じゃあ今日の夕飯時から取ってみようかな」
「あと品数は予め決めておいた方が良いかと。いくら美味しいからと喜ばれても、予算や手間がかかるものでは実現し難いでしょうし」
「そうだよね。それは思った。じゃあ、五品くらい挙げて廊下に貼り出してみる」
空を見上げ、指をゆっくりと折って五品数える不二子さん。既に候補は決まったようで、ひとり頷いてみせた。
「良い結果が出ることを願っていますよ」
「ありがと。因みに霧華さんのイチオシは?」
「麻婆豆腐、豆腐の唐揚げですね」
「そんなに気に入ったんだね、豆腐の唐揚げ」
「美味しかったですよ。……どうしましたか」
私の顔をじっと見てくる目つきに既視感。
それにしても穴が空きそうなほど見られるのはどうにも居心地が悪い。
「霧華さんあまり顔に出ないよね」
「忍びを生業にしてるので、其の辺はどうにも」
「豆腐の唐揚げとおからドーナツ、凄く美味しくて気に入ったみたいだーって池田くんから聞いたの。ここで食べてた時はそんな風に見えなかったから」
私の返しが相殺される事となるその発言。
嗚呼、確かに三郎次の前では不二子さんの料理に賞賛の言葉を並べもした。物珍しさもあったので、普段よりも饒舌に。
思えば土産として渡したのに「半分食べますか」と三郎次が訊いてきたのもこのせいか。
その時の事を思い返した私は気恥ずかしくなり、思わず目を背けた。
「……気が緩みすぎだな。気をつけます」
「いやそうじゃなくてね。感想は本人に伝えないと意味がないんだよってこと。いくら他所で美味しい美味しいって呟かれてもさ、届かないかもしれないじゃん」
「善処します」
「忍者の善処しますは充てにならないんだよ」
「ご尤もです」
そして数日が経過。不二子さんが主催した豆腐料理のあんけえとはあっという間に票が集まったと聞く。
翌日から一番人気の豆腐料理が振る舞われたそうだ。
豆腐御膳と豆腐地獄。言わずもがな御内儀に軍配が上がったのである。