軽率なコラボシリーズ
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寝言 其の弐
ぽかぽかと暖かい陽気に包まれた空。
そよそよと流れる風。
暫くは天気の崩れもなさそうだ。これは絶好のお昼寝日和である。
食堂の勝手口から出てきた不二子は青い空に向かって思い切り身体を伸ばした。
忍たま及び教職員で賑わった朝の時間帯も過ぎ、後片付けも済ませた。
昼食の仕込みまで暇が出来たので、朝の散歩をしようと歩みを進める。安全であろう道を選びながら。
限られた散歩コースを進んでいると、珍しい光景を目にした。
木陰に見知った人間が二人――紅蓮と三郎次がいた。どうやらそこで小休止といった様子でいて、紅蓮は寝転がっている。二人の会話が聞こえてこないことから、紅蓮は眠っているのだろう。
不二子は慎重にそろりと歩を進め、二人に近づいていく。
その途中、三郎次は妙な気配を察し――不二子の方に顔を向けた。
ばちりと視線が合った互いの距離は五尺ほど。
三郎次と目が合った不二子はひらひらとにこやかに手を振る。
「こんな時間に珍しいね。……霧華さん寝てる?」
二人の近くにやってきた不二子は声量を抑え、仰向けに寝転がり目を瞑る紅蓮をそっと見る。
肩から下ろした荷物を枕代わりにし、右手を胸骨辺りに乗せていた。すうすうと眠るその寝顔があまりにも無防備なものだったので、これは意外だと目を瞬かせる。
「お疲れだね」
「昨夜というか深夜から明朝まで忍務だったので、その帰りなんですよ」
「池田くんも眠そうだね」
話の合間に欠伸を噛み殺した三郎次に「池田くんも寝転がればいいのに」と不思議そうに首を傾げる。
「そうも行きませんよ。二人して眠ったら有事の際に対処出来ませんから。野外で仮眠を取るときは片一方が見張りをするのが普通です」
「そっか。忍者って大変だね。でも霧華さんなら「私が見張る」って言いそうなのに。そうじゃないんだね。そこが意外」
微妙に似ていない声真似はこの際置いておこう。確かに紅蓮の性格からして三郎次を優先的に休ませるのが常なのだが、今回ばかりはどうも違うようで。
三郎次は眉尻を下げつつ、不二子に今回の経緯を語ることにした。
「流石に眠そうだったので。何せ道中の発言がちょっと」
「なになに?」
朝日が昇った後、忍務の報告を済ませて我が家へと帰路に着いた。まだ空は薄く白んでいる最中、ふと紅蓮が口を開いた。
「三郎次。猫と熊、空を飛んだらどちらが速いと思う」
例え話か、はたまた未来ではそうなのか。不二子が「未来では動物も空を飛ぶんだよ」と言っていたのかもしれない。三郎次は一瞬迷い、その後無難な返答をした。
「……猫、ですかね。熊より身軽そうですし」
「確かにそうだな。身軽さに勝るものはない」
そこでその話はぷつりと途絶えた。そこから話が発展するわけでもなく。さっきの問いは何だったのか。
そして人々が動き出す時間になり、茶屋の暖簾が垂れ始めた頃。小腹が空いてきたと店を横切った時だ。
「三郎次。田楽豆腐と団子、どちらが足が速いと思う」
「霧華さん。学園に寄って休んでいきましょうか。相当眠いの堪えてますよね」
先程から妙な問いばかりを口にする。これは尋常ではない。起きてしっかりと歩いてはいるが、脳は眠りに落ちる寸前である。そう判断した三郎次は紅蓮を忍術学園まで引っ張っていき、仮眠を取る場所としてこの木陰を選んだのであった。
「……足がはやい。それは腐る的な意味で?」
「僕も同じこと思いましたよ」
「火を通してないから団子の方が早く腐りそう。でも豆腐は水分多いし」
どちらが常温放置でより腐敗が進むのか。真剣に頭を悩ませ始めた不二子に対し、三郎次は「そこ真面目に考えるとこじゃないですから」とツッコミを入れた。
「それにしても。霧華さん寝てるとこ初めて見たかも」
「そりゃ人ですからね。潮江先輩みたく無理はしてませんよ」
「まるで潮江が人じゃない言い方」
「あの人は別格ですよ」
鍛錬に励みすぎて寝不足になったある時期。神経が過敏になっていると尊敬する先輩から注意をされた。「ギンギンな忍者を目指すなら止めはしない」とも言われ、必死に首を横へ振ったのも今では懐かしい。
あの時に教えてもらった“秘密の場所”まで足を運ぶことは敢えて止めておいた。無知であったあの頃と、事情を知った今とでは重みが違うのだ。亡き友人と過ごしたあの場所を訪れるのは辛いだろうからと。これは三郎次の勝手な憶測ではある。
せめて疲れている時は気に留めることもなく、ゆっくりと休んでほしいが故にだ。
「……僕らがまだ下級生だった頃は上級生の先輩方に守られてましたから。有事の際はいつも上級生が交代で見張りをして、僕らを休ませてくれた。そのお返しってわけじゃないけど、霧華さんが眠ってる時に守れるのは俺しかいないんで」
在学中、夜間実習や鍛錬の後に顔を合せた紅蓮は一言も「眠い」「疲れた」とはおくびにも出さなかった。後輩には心配をかけるまいといった理由である。気を許した相手――同級生の伊作や留三郎には本音を漏らしていたようだ。
今でこそ三郎次に対して取り繕う顔は減っているが、まだどこか遠慮がちな空気も感じられる。
三郎次はちらりと視線を紅蓮の方へ落とした。
それでも、こうして手の届く範囲で無防備な寝顔を晒す特権は自分にしかないのだ。それだけでも心は満たされるというもの。
三郎次の眠たげな顔。その口角が僅かに上がる。
「かっこいいじゃないか三郎次」
「…………いつから居たんですか久々知先輩。神出鬼没過ぎやしませんか」
ぽっと出た気配。それが近づいてくる微兆すら感じ取れなかった。反射的に身構えた三郎次は懐から手をすっと引いた。
兵助は不二子と並ぶようにして腰を屈める。
この男、不二子のいる場所に突如生えてくるといっても過言ではない。そしてそれを全く不思議に思わない御内儀。
「まあ堅いこと言うな。それにしても先輩が人目のある所で寝るなんて珍しいなあ」
「深夜忍務だったんだって。だいぶお疲れだったみたい」
「それにしても、ですよ。俺たちから見ても警戒心が強い印象だったんで。まあ、それも今となっては頷ける理由ですけど」
六年間、女としてバレないように過ごす日々。相当気を張っていたのだろう。それ故に人の気配を読むことも得意となった。常に緊張の糸を張り詰めていた中で育まれた友情。伊作と留三郎の存在には相当救われていたことだろう。
だからこそ、今この状態に驚いている兵助であった。
「じゃあ、それってすごいことなんじゃない?」
「不二子さんもわかりますか」
「それって?」
「池田くんは数少ない信頼を霧華さんから得てるってこと。絶対的な信頼というか、そんな感じの」
「人前で眠るってのはそういうことだからな。言い換えれば三郎次が側にいるから安心して眠れてるんだ。不二子さんの言う通り、気を許してるっていう証拠であり、信頼もされてる」
「……祝言まであげてるのに、許されてなかったら流石に凹みますよ」
口ではそう皮肉を言うも、久々知夫妻の言葉に満更でもといった様子で三郎次は目を逸らした。
憧れ、その背を追い掛け続け、ようやく並んだ。今では互いに背を預け戦うこともある。
‟絶対的な信頼”この言葉はこの上ない光栄なことだ。
「あ、でもさ。立花くんと仕事してた時も交替で見張りしてたのかな」
「不二子さん」
それは余計な一言です。兵助が空笑いを浮かべ、その意を込めて妻の名を呼んだ。
どうにも悪気がない余計な一言が、何故かこの後輩よりも多い気がしてならない。そして兵助の予想通り、三郎次の片頬がひくついた。
「さっき池田くんから忍務中はそうするって聞いたから」
「それは、そうですが」
さて、ここからどう三郎次の機嫌を取りつつ不二子の疑問に答えようか。兵助が一思案するごく僅かな間、短い呻き声が彼らの耳に届いた。
呻き声を発するのは紅蓮。悪い夢に魘されているのか、閉じた目をさらに固く瞑り、眉間に皺も寄せていた。
「ね、起こした方が良いんじゃないかな。悪夢って自分でどうにかしようって思っても、中々抜け出せないし」
「そう、ですね」
「豆腐の城、豆腐の城が目の前にありますよ先輩」
「って、何吹き込んでるんですか久々知先輩!」
「いや、不二子さんはこれで悪夢が緩和されたっていう実績があるし。俺も豆腐が夢に出てきたら吉夢だ」
「普通の人間は豆腐の城が出てきたらむしろ悪夢になりそうなんですけど!」
兵助があらぬことを紅蓮の耳元で囁いたので、思わず三郎次は声を張り上げる。もはや寝ている人間に配慮しない声量で。
ぎゃあぎゃあと側で騒いでいるので、流石に紅蓮も目を覚ますかと思いきやまだ夢の中にいる様子。
「う……田村、頼む」
寝言で呟かれた名前。田村から連想されるのは只一人。忍術学園卒業生の過激な火器を得意とする田村三木ヱ門。ここで不二子の脳内には「お待たせしました! あなたのアイドル、田村三木ヱ門です」と意気揚々、声高々に登場した三木ヱ門の姿が即座に浮かび上がった。きらりと白い歯、瞳を輝かせている。
一体夢の中で何がどう展開されているのか。アイドル合戦でも行われているのだろうか。
この時はまだわからなかったが、次の寝言で全貌が明らかとなる。
「田村……お前の鹿子なら、落城させることが……豆腐の城を」
「霧華さん起きてください! 事態が収拾つかなくなる前に!」
絶望にも近い表情をする兵助を前に、三郎次は夢の中で豆腐の城を落城させようとしている紅蓮の肩を掴み揺さぶり起こした。
◇
強制的に夢から引きずり出された紅蓮の顔色は大層良くなかった。
半身を起こして胡坐をかき、ズキズキと脈を打つこめかみ辺りを手の平で押さえ、眉間に皺を寄せたまま俯いている。
「すみません」
「いや、いい……私も変な夢を見ていたから」
「先輩、豆腐の城を落城させるなんて酷すぎます。お豆腐が何をしたって言うんですか!」
「だから! 豆腐は万人受けすると思わないでもらえますか?」
「お前たち……静かにしてくれ。頭に響く」
叩き起こされた時ほど目覚めが悪いものはない。側で騒ぐ二人へ静かに紅蓮はそう投げかけた。
「それで、私が仮眠を取っている間に何の話を。まさか豆腐の城などと」
「それもあるけど」
「あるのか」
「霧華さんが人前で寝るの珍しいって話から始まって、忍者は交替で見張りをしながら寝るって聞いて、じゃあ立花くんと一緒に仕事してた時もそうだったのかなーって」
至極簡潔に話を纏めた不二子は悪びれた様子などない。
三郎次は二度その顔を歪めた。最近は仙蔵の話が出る度にこの表情をする。
「確かに夜間は交替で見張りもしましたが、私は殆ど休んでませんよ。警戒していたので。旧知の仲である伊作や留三郎ならまだしも、正体を知った上で信頼していない者が側にいる状態では碌に眠れませんからね」
卒業後、仙蔵と組んで仕事をしたのは半年ばかりだったという。その期間で信頼関係が築けたかと聞かれたならば否と即答するだろう。
「ほら、やっぱり池田くんはすごいんだよ」
「……何の話を?」
「池田くんの側ではぐっすり休めるんだなーって。それって信頼してるからだよね」
「ええ。三郎次のことは全面的に信頼していますよ。私の背も預けていますから」
紅蓮はどこかぼんやりとした目元ではあるが、その口調はハッキリとしていた。
一方、改めて言葉にされると恥ずかしいのか、三郎次はそっぽを向いてしまっていた。「照れてるなぁ」とニコニコするのは不二子のみ。兵助はというと、未だにいじけていた。
「兵助くん。いつまでへそ曲げてるの」
「どうした兵助。不二子さんとケンカでもしたのか」
「してません! 先輩がお豆腐に対してむごい仕打ちをするからですよ!」
と、ここで疑問符を頭上に浮かべる紅蓮。全くもって身に覚えがないといった風に。
兵助が嘆く話は先程の夢のことであるのだが、紅蓮は既に内容を忘れかけていた。睡魔が再び、うつらうつらと忍び寄ってきていたのだ。
「先輩、俺の作る豆腐料理は絶品だなって褒めてくれたことあったじゃないですか! 肌艶も良くなったと実感されてましたよね!?」
「まあ、言った記憶はある。だが豆腐料理を無下に扱ったことはない」
「豆腐の城を落城させるとか、そんなことしたらお豆腐が泣いちゃうじゃないですか!」
「既に久々知先輩が泣いている」
「兵助くん豆腐説が浮上」
「……兵助、やはりお前は豆腐だったか。並々ならぬ豆腐への愛情が何よりの証拠」
「霧華さん、寝惚けてますね?」
紅蓮は時折茶目っ気のある発言をすることはあれど、今日ほど頓珍漢な受け答えをすることは珍しい。仮眠中に無理やり起こされたこと。そして道中の発言も踏まえると、相当眠いのだろうと見て取れた。
豆腐に関することでひと悶着の予感がしたので、無理にでも現実に引き戻した。それが今更になって三郎次に後ろめたい気持ちを押しつけてくる。
「眠い」
ぽつりとそう呟いた紅蓮。それとほぼ同時にぽすりと三郎次の肩口に頭を預けた。その眼は既に閉じられている。
「一刻経ったら起こしてくれ」囁くようなその声は、三郎次の耳にしか届かないほどのもの。この直後に寝落ちたようで、全体重を預けてくる形となった。
人前で。身動きが取れなくなった。これは一刻どころか二刻は起きそうにない。といった様々な感情が三郎次の中に駆け巡る。
「三郎次」
「……何ですか」
「顔が茹蛸みたいだな」
「わかってますよ、そんなこと」
今度こそ起こさないよう、三郎次は小声でそう返した。愛しい人の身体を支えるよう、抱き留めながら。
◇◆◆◇
「久々知先輩」
「あ?」
「出来ればここに居てほしいんですが」
「なんで? 俺たちがいない方が二人でゆっくりできるじゃないか」
「何かあった時に対処ができないので」
「何かって……まあ、相変わらず曲者くらいは来るからなぁ。でも、いちゃついてた方が曲者も気後れしてそれどこじゃ」
「何言ってるの兵助くん」
ぽかぽかと暖かい陽気に包まれた空。
そよそよと流れる風。
暫くは天気の崩れもなさそうだ。これは絶好のお昼寝日和である。
食堂の勝手口から出てきた不二子は青い空に向かって思い切り身体を伸ばした。
忍たま及び教職員で賑わった朝の時間帯も過ぎ、後片付けも済ませた。
昼食の仕込みまで暇が出来たので、朝の散歩をしようと歩みを進める。安全であろう道を選びながら。
限られた散歩コースを進んでいると、珍しい光景を目にした。
木陰に見知った人間が二人――紅蓮と三郎次がいた。どうやらそこで小休止といった様子でいて、紅蓮は寝転がっている。二人の会話が聞こえてこないことから、紅蓮は眠っているのだろう。
不二子は慎重にそろりと歩を進め、二人に近づいていく。
その途中、三郎次は妙な気配を察し――不二子の方に顔を向けた。
ばちりと視線が合った互いの距離は五尺ほど。
三郎次と目が合った不二子はひらひらとにこやかに手を振る。
「こんな時間に珍しいね。……霧華さん寝てる?」
二人の近くにやってきた不二子は声量を抑え、仰向けに寝転がり目を瞑る紅蓮をそっと見る。
肩から下ろした荷物を枕代わりにし、右手を胸骨辺りに乗せていた。すうすうと眠るその寝顔があまりにも無防備なものだったので、これは意外だと目を瞬かせる。
「お疲れだね」
「昨夜というか深夜から明朝まで忍務だったので、その帰りなんですよ」
「池田くんも眠そうだね」
話の合間に欠伸を噛み殺した三郎次に「池田くんも寝転がればいいのに」と不思議そうに首を傾げる。
「そうも行きませんよ。二人して眠ったら有事の際に対処出来ませんから。野外で仮眠を取るときは片一方が見張りをするのが普通です」
「そっか。忍者って大変だね。でも霧華さんなら「私が見張る」って言いそうなのに。そうじゃないんだね。そこが意外」
微妙に似ていない声真似はこの際置いておこう。確かに紅蓮の性格からして三郎次を優先的に休ませるのが常なのだが、今回ばかりはどうも違うようで。
三郎次は眉尻を下げつつ、不二子に今回の経緯を語ることにした。
「流石に眠そうだったので。何せ道中の発言がちょっと」
「なになに?」
朝日が昇った後、忍務の報告を済ませて我が家へと帰路に着いた。まだ空は薄く白んでいる最中、ふと紅蓮が口を開いた。
「三郎次。猫と熊、空を飛んだらどちらが速いと思う」
例え話か、はたまた未来ではそうなのか。不二子が「未来では動物も空を飛ぶんだよ」と言っていたのかもしれない。三郎次は一瞬迷い、その後無難な返答をした。
「……猫、ですかね。熊より身軽そうですし」
「確かにそうだな。身軽さに勝るものはない」
そこでその話はぷつりと途絶えた。そこから話が発展するわけでもなく。さっきの問いは何だったのか。
そして人々が動き出す時間になり、茶屋の暖簾が垂れ始めた頃。小腹が空いてきたと店を横切った時だ。
「三郎次。田楽豆腐と団子、どちらが足が速いと思う」
「霧華さん。学園に寄って休んでいきましょうか。相当眠いの堪えてますよね」
先程から妙な問いばかりを口にする。これは尋常ではない。起きてしっかりと歩いてはいるが、脳は眠りに落ちる寸前である。そう判断した三郎次は紅蓮を忍術学園まで引っ張っていき、仮眠を取る場所としてこの木陰を選んだのであった。
「……足がはやい。それは腐る的な意味で?」
「僕も同じこと思いましたよ」
「火を通してないから団子の方が早く腐りそう。でも豆腐は水分多いし」
どちらが常温放置でより腐敗が進むのか。真剣に頭を悩ませ始めた不二子に対し、三郎次は「そこ真面目に考えるとこじゃないですから」とツッコミを入れた。
「それにしても。霧華さん寝てるとこ初めて見たかも」
「そりゃ人ですからね。潮江先輩みたく無理はしてませんよ」
「まるで潮江が人じゃない言い方」
「あの人は別格ですよ」
鍛錬に励みすぎて寝不足になったある時期。神経が過敏になっていると尊敬する先輩から注意をされた。「ギンギンな忍者を目指すなら止めはしない」とも言われ、必死に首を横へ振ったのも今では懐かしい。
あの時に教えてもらった“秘密の場所”まで足を運ぶことは敢えて止めておいた。無知であったあの頃と、事情を知った今とでは重みが違うのだ。亡き友人と過ごしたあの場所を訪れるのは辛いだろうからと。これは三郎次の勝手な憶測ではある。
せめて疲れている時は気に留めることもなく、ゆっくりと休んでほしいが故にだ。
「……僕らがまだ下級生だった頃は上級生の先輩方に守られてましたから。有事の際はいつも上級生が交代で見張りをして、僕らを休ませてくれた。そのお返しってわけじゃないけど、霧華さんが眠ってる時に守れるのは俺しかいないんで」
在学中、夜間実習や鍛錬の後に顔を合せた紅蓮は一言も「眠い」「疲れた」とはおくびにも出さなかった。後輩には心配をかけるまいといった理由である。気を許した相手――同級生の伊作や留三郎には本音を漏らしていたようだ。
今でこそ三郎次に対して取り繕う顔は減っているが、まだどこか遠慮がちな空気も感じられる。
三郎次はちらりと視線を紅蓮の方へ落とした。
それでも、こうして手の届く範囲で無防備な寝顔を晒す特権は自分にしかないのだ。それだけでも心は満たされるというもの。
三郎次の眠たげな顔。その口角が僅かに上がる。
「かっこいいじゃないか三郎次」
「…………いつから居たんですか久々知先輩。神出鬼没過ぎやしませんか」
ぽっと出た気配。それが近づいてくる微兆すら感じ取れなかった。反射的に身構えた三郎次は懐から手をすっと引いた。
兵助は不二子と並ぶようにして腰を屈める。
この男、不二子のいる場所に突如生えてくるといっても過言ではない。そしてそれを全く不思議に思わない御内儀。
「まあ堅いこと言うな。それにしても先輩が人目のある所で寝るなんて珍しいなあ」
「深夜忍務だったんだって。だいぶお疲れだったみたい」
「それにしても、ですよ。俺たちから見ても警戒心が強い印象だったんで。まあ、それも今となっては頷ける理由ですけど」
六年間、女としてバレないように過ごす日々。相当気を張っていたのだろう。それ故に人の気配を読むことも得意となった。常に緊張の糸を張り詰めていた中で育まれた友情。伊作と留三郎の存在には相当救われていたことだろう。
だからこそ、今この状態に驚いている兵助であった。
「じゃあ、それってすごいことなんじゃない?」
「不二子さんもわかりますか」
「それって?」
「池田くんは数少ない信頼を霧華さんから得てるってこと。絶対的な信頼というか、そんな感じの」
「人前で眠るってのはそういうことだからな。言い換えれば三郎次が側にいるから安心して眠れてるんだ。不二子さんの言う通り、気を許してるっていう証拠であり、信頼もされてる」
「……祝言まであげてるのに、許されてなかったら流石に凹みますよ」
口ではそう皮肉を言うも、久々知夫妻の言葉に満更でもといった様子で三郎次は目を逸らした。
憧れ、その背を追い掛け続け、ようやく並んだ。今では互いに背を預け戦うこともある。
‟絶対的な信頼”この言葉はこの上ない光栄なことだ。
「あ、でもさ。立花くんと仕事してた時も交替で見張りしてたのかな」
「不二子さん」
それは余計な一言です。兵助が空笑いを浮かべ、その意を込めて妻の名を呼んだ。
どうにも悪気がない余計な一言が、何故かこの後輩よりも多い気がしてならない。そして兵助の予想通り、三郎次の片頬がひくついた。
「さっき池田くんから忍務中はそうするって聞いたから」
「それは、そうですが」
さて、ここからどう三郎次の機嫌を取りつつ不二子の疑問に答えようか。兵助が一思案するごく僅かな間、短い呻き声が彼らの耳に届いた。
呻き声を発するのは紅蓮。悪い夢に魘されているのか、閉じた目をさらに固く瞑り、眉間に皺も寄せていた。
「ね、起こした方が良いんじゃないかな。悪夢って自分でどうにかしようって思っても、中々抜け出せないし」
「そう、ですね」
「豆腐の城、豆腐の城が目の前にありますよ先輩」
「って、何吹き込んでるんですか久々知先輩!」
「いや、不二子さんはこれで悪夢が緩和されたっていう実績があるし。俺も豆腐が夢に出てきたら吉夢だ」
「普通の人間は豆腐の城が出てきたらむしろ悪夢になりそうなんですけど!」
兵助があらぬことを紅蓮の耳元で囁いたので、思わず三郎次は声を張り上げる。もはや寝ている人間に配慮しない声量で。
ぎゃあぎゃあと側で騒いでいるので、流石に紅蓮も目を覚ますかと思いきやまだ夢の中にいる様子。
「う……田村、頼む」
寝言で呟かれた名前。田村から連想されるのは只一人。忍術学園卒業生の過激な火器を得意とする田村三木ヱ門。ここで不二子の脳内には「お待たせしました! あなたのアイドル、田村三木ヱ門です」と意気揚々、声高々に登場した三木ヱ門の姿が即座に浮かび上がった。きらりと白い歯、瞳を輝かせている。
一体夢の中で何がどう展開されているのか。アイドル合戦でも行われているのだろうか。
この時はまだわからなかったが、次の寝言で全貌が明らかとなる。
「田村……お前の鹿子なら、落城させることが……豆腐の城を」
「霧華さん起きてください! 事態が収拾つかなくなる前に!」
絶望にも近い表情をする兵助を前に、三郎次は夢の中で豆腐の城を落城させようとしている紅蓮の肩を掴み揺さぶり起こした。
◇
強制的に夢から引きずり出された紅蓮の顔色は大層良くなかった。
半身を起こして胡坐をかき、ズキズキと脈を打つこめかみ辺りを手の平で押さえ、眉間に皺を寄せたまま俯いている。
「すみません」
「いや、いい……私も変な夢を見ていたから」
「先輩、豆腐の城を落城させるなんて酷すぎます。お豆腐が何をしたって言うんですか!」
「だから! 豆腐は万人受けすると思わないでもらえますか?」
「お前たち……静かにしてくれ。頭に響く」
叩き起こされた時ほど目覚めが悪いものはない。側で騒ぐ二人へ静かに紅蓮はそう投げかけた。
「それで、私が仮眠を取っている間に何の話を。まさか豆腐の城などと」
「それもあるけど」
「あるのか」
「霧華さんが人前で寝るの珍しいって話から始まって、忍者は交替で見張りをしながら寝るって聞いて、じゃあ立花くんと一緒に仕事してた時もそうだったのかなーって」
至極簡潔に話を纏めた不二子は悪びれた様子などない。
三郎次は二度その顔を歪めた。最近は仙蔵の話が出る度にこの表情をする。
「確かに夜間は交替で見張りもしましたが、私は殆ど休んでませんよ。警戒していたので。旧知の仲である伊作や留三郎ならまだしも、正体を知った上で信頼していない者が側にいる状態では碌に眠れませんからね」
卒業後、仙蔵と組んで仕事をしたのは半年ばかりだったという。その期間で信頼関係が築けたかと聞かれたならば否と即答するだろう。
「ほら、やっぱり池田くんはすごいんだよ」
「……何の話を?」
「池田くんの側ではぐっすり休めるんだなーって。それって信頼してるからだよね」
「ええ。三郎次のことは全面的に信頼していますよ。私の背も預けていますから」
紅蓮はどこかぼんやりとした目元ではあるが、その口調はハッキリとしていた。
一方、改めて言葉にされると恥ずかしいのか、三郎次はそっぽを向いてしまっていた。「照れてるなぁ」とニコニコするのは不二子のみ。兵助はというと、未だにいじけていた。
「兵助くん。いつまでへそ曲げてるの」
「どうした兵助。不二子さんとケンカでもしたのか」
「してません! 先輩がお豆腐に対してむごい仕打ちをするからですよ!」
と、ここで疑問符を頭上に浮かべる紅蓮。全くもって身に覚えがないといった風に。
兵助が嘆く話は先程の夢のことであるのだが、紅蓮は既に内容を忘れかけていた。睡魔が再び、うつらうつらと忍び寄ってきていたのだ。
「先輩、俺の作る豆腐料理は絶品だなって褒めてくれたことあったじゃないですか! 肌艶も良くなったと実感されてましたよね!?」
「まあ、言った記憶はある。だが豆腐料理を無下に扱ったことはない」
「豆腐の城を落城させるとか、そんなことしたらお豆腐が泣いちゃうじゃないですか!」
「既に久々知先輩が泣いている」
「兵助くん豆腐説が浮上」
「……兵助、やはりお前は豆腐だったか。並々ならぬ豆腐への愛情が何よりの証拠」
「霧華さん、寝惚けてますね?」
紅蓮は時折茶目っ気のある発言をすることはあれど、今日ほど頓珍漢な受け答えをすることは珍しい。仮眠中に無理やり起こされたこと。そして道中の発言も踏まえると、相当眠いのだろうと見て取れた。
豆腐に関することでひと悶着の予感がしたので、無理にでも現実に引き戻した。それが今更になって三郎次に後ろめたい気持ちを押しつけてくる。
「眠い」
ぽつりとそう呟いた紅蓮。それとほぼ同時にぽすりと三郎次の肩口に頭を預けた。その眼は既に閉じられている。
「一刻経ったら起こしてくれ」囁くようなその声は、三郎次の耳にしか届かないほどのもの。この直後に寝落ちたようで、全体重を預けてくる形となった。
人前で。身動きが取れなくなった。これは一刻どころか二刻は起きそうにない。といった様々な感情が三郎次の中に駆け巡る。
「三郎次」
「……何ですか」
「顔が茹蛸みたいだな」
「わかってますよ、そんなこと」
今度こそ起こさないよう、三郎次は小声でそう返した。愛しい人の身体を支えるよう、抱き留めながら。
◇◆◆◇
「久々知先輩」
「あ?」
「出来ればここに居てほしいんですが」
「なんで? 俺たちがいない方が二人でゆっくりできるじゃないか」
「何かあった時に対処ができないので」
「何かって……まあ、相変わらず曲者くらいは来るからなぁ。でも、いちゃついてた方が曲者も気後れしてそれどこじゃ」
「何言ってるの兵助くん」