軽率なコラボシリーズ
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
呼び名
忍術学園に半鐘の音がカーンと響いた。
午後の授業が終わりを告げ、放課後の時間が訪れる。
掃除、委員会活動、遊び、自主鍛錬。放課後の過ごし方は忍たまそれぞれである。
鐘の音が鳴り、間もなくしてから食堂に一人の来客が訪れた。
この学園の卒業生である紅蓮が食堂の台所を覗き込んだ。
そこで直ぐに目が合ったのは後輩が娶った娘。不二子であった。
「紅蓮くん! うわぁ久しぶりだね。いつ以来?」
「直接お会いするのは半年ぶりですね。お久しぶりです。まだこちらに居られて良かった」
人の良い笑顔で出迎えられ、自然と紅蓮の口角も上がる。
「来る人みんなそう言うんだけど」
「まさに神出鬼没でしたから。ですからここに来て貴女の姿があると安心しますよ」
紅蓮は嫌味なくそう言うも、不二子は苦笑いを偲ばせた。
「今日はどうしたの?」
「特別講師として招かれました。先程三年生の相手を終えたところです」
「あ、そういえば紅蓮くんは竹刀、じゃなくて棒の武器が得意だったよね?」
「六尺棒ですね。部類は握り物に属します。今日はそれに限らず忍具全般についての実技を」
過去の記憶を手繰り寄せた不二子は忍たま一人一人の得意武器があったことを思い出した。特に上級生が自分の特技、特性を活かした武器を主軸に技を磨いていたことも。
例えば、接近戦が得意な文次郎や留三郎は袋槍、鉄双節棍を。後方支援型の仙蔵は焙烙火矢を始めとした火薬全般武器を。そして紅蓮は棒術を得意手としていた。
実家が道場という話も思い出す。てっきりそこの跡を継いだのかと思いきや、卒業してから現在に至るまでフリーの忍者として活躍中だ。池田という姓を名乗りながら。
「紅蓮くん腕が立つっていう話を先生たちからも聞いてるよ。お弟子さんとか取ればいいのに」
それだけの技量があるのに。勿体ないと少なからずも不二子はそう感じていた。
これに対し紅蓮は眉を下げる。今までに幾度も言われてきた話なのだ。
「弟子を取る気はありませんよ。師範でも何でもないですし、教え子は一人だけですから」
「へぇ〜それでも一人はいたんだね」
「まあ、最初で最後のといった感じです。ところで三郎次を見ませんでしたか。此処で落ち合う約束をしているんですが」
「三郎次……池田くんも来てるの?」
妙な名前の呼び方をしている。そう思った紅蓮。まるで南蛮式の呼び方だ。これは何かあったのだろうと憶測をした。
「三郎次は座学講師として私と共に招かれたんですよ。一年生を相手に……ああ、もしかすると囲まれているやもしれませんね」
「池田くんが? へぇ……あの池田くんが。私の中ではイタズラっ子のイメージのままなんだよね。伊助……二郭くんがボヤいてたし。それが今や年下の子たちに慕われてるのかーなんか意外」
「三郎次は昔から面倒見が良い方ですよ。他者を先導する素質もあるし、飲み込みも早く腕も立つ。まあ、不二子さんが言うように一言多いのが珠に瑕ですが」
「だよね」
二人は互いに顔を見合わせ、静かに笑い合う。
立ち話もなんだからと不二子は紅蓮を席に促し「お茶を淹れてくるね」と台所へ入っていった。
誰も居ない食堂をぐるりと見渡し、左奥の席へと歩む。在学中によく利用していた席へ腰を下ろした。
両隣は伊作、留三郎がよく座っていたものだ。三人並んで食事を取っていた想い出を振り返れば、少し懐かしい気持ちに胸が満たされる。
「霧華さん。お疲れ様です」
己の名を呼ぶ声に閉じていた目を開け、口角を上げて三郎次に応じる。
「お疲れ様。座学講師の手応えはどうだった」
「みんな熱心に聞いてましたよ。一年生らしく目輝かせながら」
「そうか」
「そちらはどうでした」
「特に問題はなかったよ」
「あ、噂をすれば池田くん」
急須と湯呑みを三つおぼんに乗せ、戻ってきた不二子は三郎次の姿を見るなりそう口を開いた。
「噂って。お二人で何の話してたんですか」
「今頃は一年生の良い子たちに囲まれているだろうと話をしていたんだ。面倒見が良い三郎次は意外だとも不二子さんが仰っていた」
「意外は余計です」
「ごめんごめん。まあ、とりあえず座って」
急須から注がれた茶の芳醇な薫りが湯気と共に立つ。
温かいお茶で喉の渇きを潤し、一息ついたところで紅蓮が不二子に一つ訊ねた。
「兵助とは上手くやっていますか」
「まあ、うん。多分」
「そう言う割に歯切れが悪いですね」
「だってさぁ。池田くんには前に話したけどさぁ」
「ああ、あのことですか」
ぷくぅと頬を膨らませたその姿はフグのようだ。
以前訪れた時に零された愚痴。未だ納得していない様子だと三郎次は湯呑み傾ける。
「それは皆の呼び方ですか」
「ちょ、なんでわかったの紅蓮くん」
「先程から妙な呼び方をされていたので。これは憶測ですが兵助から皆のことは姓で呼ぶように……とでも言われているのかと。その顔は当たりの様ですね」
目を皿のように丸くした不二子は湯呑みを両手に持ったまま固まっていた。
「……忍者って探偵も兼ねてる?」
「たんてい、とは」
「僅かな手掛かりから真実を見出す職業、かな」
「時代が変われば様々な職業があるものですね」
「この場合は久々知さんの顔に出てるからですよ」
「それ。みんなの呼び方もだけど、みんなから久々知さんって呼ばれることがちょっと」
今まで親しげに名前で呼んでくれていた人たちが祝言を挙げた後は「久々知さん」と呼んでくるようになった。更には自分から誰かを呼ぶ時も苗字で呼ばなければいけなくなったのだ。
そうしなければいけない理由は単純明快。夫婦となった兵助が機嫌を損ねるのだ。
「兵助も存外心が狭い。豆腐のように広い心を持っているかと思いきや」
「豆腐のような心の広さってなに。むしろそれ面積狭いよね。なんでも豆腐に例えたら良いわけじゃないよ。だってさ、今だってそうだよ。池田くんって呼んだら二人とも振り返るでしょ」
三郎次と紅蓮がちらりとお互いの顔を見る。
「まあ、そうですね」
「こうして二人揃っている時は確かに紛らわしい。伊作や留三郎たちには今も変わらず名で呼ばれてもいますし」
「やっぱり名前で呼ぶの普通だよね? 紛らわしいよね。だから紅蓮くんのことは紅蓮くんって呼んでもいい?」
「私のことはどう呼んでもらっても構いません。と、言いたいところですが……そこに微妙な表情をしている貴女の伴侶がいるので話し合いはした方が良いかもしれませんね」
「ぴぃ」
食堂の入口にそれはもう複雑な表情をした久々知兵助が立っていた。
◇
「……葉月先輩、というか池田先輩のことは実名で呼んであげた方が良いんじゃないですか」
「兵助。お前そんなに心が狭かったか」
「久々知さんに関することだけ針の穴ぐらい狭いんですよ」
「三郎次は相変わらず一言多いな」
火薬委員会の同窓会とも言えるこのメンバー。顔を合わせれば学園生活の思い出話に花が咲くかと思いきや、不二子に関する話題で持ち切りであった。
兵助は伴侶が紅蓮を呼ぶ時の呼称を気にしている。もとより女子なのだから、そこまで目くじら立てる程のことではないだろうと不二子、紅蓮は言う。
「いやだって、この姿で霧華さんって呼ぶのだいぶ抵抗というか違和感ない?」
「俺は呼んでますけど」
「池田くんは良いんだよ。奥さんなんだから」
「私は六年間葉月紅蓮を名乗っていたのでこちらの方が馴染みがあるといえばありますね」
「偶に気づくの遅れますよね。呼んでも無視されてるのかと思うぐらいに」
特に忍務中は実名で呼んでも反応が悪いと三郎次が零した。それに関しては申し訳ないといった風に紅蓮は半笑いを浮かべた。
「だから今は使い分けてます。忍務に支障も出るので」
「でも逆になんか特別感あっていいんじゃない? 二人だけの呼び名というかそんな感じで」
不二子がにこりとそう笑えば、はたと紅蓮の頬に紅が差す。
「うん。だからやっぱり私は今まで通り紅蓮くんのことは紅蓮くんと呼び……兵助くん顔がとても恐い」
「……不二子さん。俺の気持ち全然わかってないでしょう? 先輩が女装しているなら一歩譲りますけど」
「断る。小袖は動きにくい上、私の女装成績を知っているだろ。変に怪しまれるだけだ」
「三郎次はそれでいいのか?」
わざわざ紅蓮の気に障ることを口にしたのは謀りごとか、否か。
兵助の問いに三郎次は何ら動揺の色も、表情一つ崩さずにこう言った。
「霧華さんは霧華さんなので」
「三郎次に訊いた俺が浅はかだった。まあ、そうだよな」
「伊達に四年も片想いしてませんから」
「頑張ったよね池田くん」
「……」
三人の会話を聞き流す紅蓮はそれは気まずそうに目を逸らした。
四年も想いを寄せられていたことに全く気が付かなかった。これに対しては申し訳なさが非常に勝る。慕う思いと恋慕は紙一重なのだ。
「俺も不二子さんをずっと待っているつもりでしたけどね。十年でも二十年でも」
「そこ張り合うとこじゃないからね兵助くん」
「まあ、良かったじゃないか兵助。待ち侘びていた想い人とまた巡り会えた。その縁は大切にした方が良い」
両人の顔をゆっくり見比べ、柔らかく紅蓮は微笑んだ。
※
「なんだ火薬委員会で仲良く同窓会でもしているのか」
食堂に現れた涼やかな声と姿――立花仙蔵は食卓を囲む同窓生及び後輩たちと不二子の姿を捉え、やや丸みを帯びた棘を言葉に含ませた。
その刹那、仙蔵と三郎次の視線がぶつかる。互いに表情は変えずにいるが、この状況下を「不味い」と瞬時に察知したのは紅蓮であった。
食卓を間に挟んで久々知夫婦、池田夫婦とそれぞれが並び座っている。空いた席は幾らでもあるというのに、仙蔵は敢えて紅蓮の空いている隣へと腰を下ろした。何食わぬ顔で。しかも距離を詰めて。
それが先ず気に食わないと三郎次の不快指数ならぬ不機嫌指数が上がった。
「私お茶淹れてくるね」
不二子が何かを察したのかはわからないが、この良いタイミングで席を立った。
「そういえば特別講師として呼ばれていたな。夫婦揃って」
「僕たちは優秀な卒業生ですから」
「その実力は教師陣で話題にもなっているぞ。……だが、旧友に顔くらい見せに来ても良いんじゃないのか」
「日頃お忙しい先生方を用もないのに捕まえて話し込む様な真似はせんよ」
正面を向いたまま、湯呑みを傾けた紅蓮の目はどこか遠くを見ていたと兵助は感じていた。
暫し無言の時間が流れた。
仙蔵、紅蓮、三郎次と並んだ周囲には非常に気まずい空気も漂っている。
まさに一触即発でぴりぴりとした緊張感。下手なことを言えば火蓋が切れる。兵助は飛び交う両者の矢羽音を聞きながらどうしたものかと顔を引きつらせていた。
一番心労を拵えているのは言うまでもなく、間に挟まれている紅蓮である。眉間の皺が段々と濃くなっていく。
そこへ新しいお茶を一つおぼんに乗せて戻ってきた不二子は「なんか空気重くない?」と兵助のやや後ろで立ち止まった。
「いや、まあ……そうですね」
「池田くんってそんなに立花くんと仲悪かった? この前来た時は普通に話してたと思うんだけど」
正門前で久しぶりに顔を合わせた二人はここまでいがみ合う様子は全く見られなかったと不二子は兵助に語る。
「不仲ではないよね」そう話す彼女が知らないことはまだ沢山あるのだ。
「なんというか、個々で話をする分にはそこまでじゃあないのかと。この三人が揃うと厄介なことになるというか」
相も変わらず顔を引きつらせた兵助は歯切れが悪い。
不二子はおぼんを持ったまま、三人の方へ目を向ける。険悪な雰囲気の二人。非常に気まずそうで居た堪れない様子の紅蓮。
そこで閃きの音と共に電球が不二子の頭上で光った。
「ねえ、兵助くん。立花くんに浮いた話がないのってもしかして」
「不二子さん。それ以上は口にしない方が」
「三角関係?」
ぴしっ。場の凍りつく音がした。
兵助の奮闘虚しく、火蓋が切って落とされてしまった。
「立花先輩も大概お可哀想ですよね。人攫いの様な真似までしたのに全く振り向いてもらえないし、逃げられてたんですから」
「そういうお前こそ四年もよくこの鈍い人間に付き合っていられたな。ああ、それ以外の相手は居らんかったか。性格も一言多いゆえに相手にしてくれる女子もいなさそうだ」
「一途と言ってもらえないですかね。一言も二言も多いのはそちらじゃないですか。というかわざわざ霧華さんの隣に座らないでもらえます?」
元想われ人と現夫に板挟みにされている。
直感的に不二子はそう捉えた。
俯いて頭を抱える紅蓮の姿を見た兵助は「ああ、地味に先輩に刺さってる」と感じたという。
鈍い、待たせすぎたことを少なからず気にされているのだろうと。
そしてこの直後、紅蓮から「兵助。助けてくれ」という弱々しい矢羽音が飛んできた。
「無理です」と返そうとしたところで思わぬ割り込みが。
「というかちょっと待って。私の知らないこと多いんだけど。人攫いって」
お茶を仙蔵の前に置いた不二子は兵助の隣に腰を下ろした。その顔は実に人の恋話に首を突っ込みたそうであった。
溜息を漏らした紅蓮は顔を上げ、不二子の方を見る。
「まあ、色々と」
「その色々が知りたい」
「……引き下がるおつもりはないようですね。卒業式の日に仙蔵との勝負に敗北しまして。それで不本意ながらも組んで仕事をすることになったんですよ」
「ああ〜なるほど。それで一緒に仕事してたんだ。でも、人攫い?」
「勝負の最中に伊助を庇って霧華さんが負傷したんですよ。だから立花先輩の不戦勝。しかも条件を先に提示していなかったと言うじゃないですか。だから人攫いと変わらない」
今日の三郎次はやけに尖っている。まるで毬栗のような刺々しさだ。
ここまで仙蔵相手に噛みつくのには他の理由もあった。
その理由を知る紅蓮は「あの件は和解したと思っていたのだが」と目を伏せる。
数年前、紅蓮は死線を彷徨う窮地に陥った。その元凶が仙蔵であると三郎次が勘違いを起こす場面が生じた。後日、一堂に介した旧知の友にも理由を話し、仇ではないと三郎次にも話をした。
その時は不服そうな表情ながらも納得をしたはずなのだが、現にこの状況である。
一体何が彼をそうさせているのか。単にただの嫉妬だと紅蓮はまだ気づいていない。
「死線を彷徨った際の誤解は解いたと思ったのですがね」
「待って。ちょっと待って、死線って……え、紅蓮くん死にそうになったの!?」
「ええ、二度ほど」
素っ頓狂な声を上げる不二子に対して至極冷静な返し。彼女は信じられないといった風に目を白黒とさせた。
「二度も!? え、大丈夫なのそれ。二度あることは三度あるからホント気をつけてね?」
「久々知さん縁起でもないこと言わないでください」
「すみません」
三郎次にキッと睨み据えられた不二子は間髪入れずに謝罪を口にした。
「これ以上は申し訳ないですが私の口からは……と言うよりも、今話すと更に縺れそうなので」
「既に縺れてません?」
兵助が口元を引きつらせながらそう言えば、ふんっと鼻で笑う声が仙蔵の口から漏れた。
「まさか池田に落ちるとはな。せいぜい愛想を尽かされんようにすることだ。人の心とは揺らぎ移ろいやすい」
「言っておくが」静かにそう口を開いた紅蓮は横目で仙蔵を睨みつけるようにその目を細めた。
「私の心は揺らがんぞ。共に生きると決めた相手だ。この生涯、添い遂げる」
カッコいい。
不二子の脳裏にその単語が過った。まさに宝塚歌劇団の男役を至近距離で見ているようだと。その逆上せた様な恍惚とした嫁の表情を視界に入れてしまった兵助がまたも複雑な思いに駆られているとは露知らず。
一方、三郎次はその想いに恥ずかしながらも「むしろその台詞は自分が言いたかった」と思うのである。
「……つまらんな。昔からお前はこれと決めたらテコでも動かん」
仙蔵はそう言うと、がたりと席を立ち食堂を後にした。
「なんか、ちょっとグッとくる台詞だったよ。紅蓮くんかっこい〜」
「……霧華さんは昔から格好いいですよ。俺の憧れの人でしたから」
「うんうん。ちょっとわかるかも」
「先輩が格好いいのはわかりましたが、やっぱり不二子さんのことは姓で呼んでもらえませんか。あと不二子さんは先輩のことを霧華さんと呼んでください」
「急にそこに戻るのか」
「ちょっと苛々したので」
「兵助。私はお前の嫁御をとったりしないから安心しろ」
今しがた見せたミーハーな表情を前にどう安心しろと。そう言いたげな兵助は怖いくらいに真顔である。
これ以上はもう何も言うまい。やれやれと溜息を吐く紅蓮であった。
忍術学園に半鐘の音がカーンと響いた。
午後の授業が終わりを告げ、放課後の時間が訪れる。
掃除、委員会活動、遊び、自主鍛錬。放課後の過ごし方は忍たまそれぞれである。
鐘の音が鳴り、間もなくしてから食堂に一人の来客が訪れた。
この学園の卒業生である紅蓮が食堂の台所を覗き込んだ。
そこで直ぐに目が合ったのは後輩が娶った娘。不二子であった。
「紅蓮くん! うわぁ久しぶりだね。いつ以来?」
「直接お会いするのは半年ぶりですね。お久しぶりです。まだこちらに居られて良かった」
人の良い笑顔で出迎えられ、自然と紅蓮の口角も上がる。
「来る人みんなそう言うんだけど」
「まさに神出鬼没でしたから。ですからここに来て貴女の姿があると安心しますよ」
紅蓮は嫌味なくそう言うも、不二子は苦笑いを偲ばせた。
「今日はどうしたの?」
「特別講師として招かれました。先程三年生の相手を終えたところです」
「あ、そういえば紅蓮くんは竹刀、じゃなくて棒の武器が得意だったよね?」
「六尺棒ですね。部類は握り物に属します。今日はそれに限らず忍具全般についての実技を」
過去の記憶を手繰り寄せた不二子は忍たま一人一人の得意武器があったことを思い出した。特に上級生が自分の特技、特性を活かした武器を主軸に技を磨いていたことも。
例えば、接近戦が得意な文次郎や留三郎は袋槍、鉄双節棍を。後方支援型の仙蔵は焙烙火矢を始めとした火薬全般武器を。そして紅蓮は棒術を得意手としていた。
実家が道場という話も思い出す。てっきりそこの跡を継いだのかと思いきや、卒業してから現在に至るまでフリーの忍者として活躍中だ。池田という姓を名乗りながら。
「紅蓮くん腕が立つっていう話を先生たちからも聞いてるよ。お弟子さんとか取ればいいのに」
それだけの技量があるのに。勿体ないと少なからずも不二子はそう感じていた。
これに対し紅蓮は眉を下げる。今までに幾度も言われてきた話なのだ。
「弟子を取る気はありませんよ。師範でも何でもないですし、教え子は一人だけですから」
「へぇ〜それでも一人はいたんだね」
「まあ、最初で最後のといった感じです。ところで三郎次を見ませんでしたか。此処で落ち合う約束をしているんですが」
「三郎次……池田くんも来てるの?」
妙な名前の呼び方をしている。そう思った紅蓮。まるで南蛮式の呼び方だ。これは何かあったのだろうと憶測をした。
「三郎次は座学講師として私と共に招かれたんですよ。一年生を相手に……ああ、もしかすると囲まれているやもしれませんね」
「池田くんが? へぇ……あの池田くんが。私の中ではイタズラっ子のイメージのままなんだよね。伊助……二郭くんがボヤいてたし。それが今や年下の子たちに慕われてるのかーなんか意外」
「三郎次は昔から面倒見が良い方ですよ。他者を先導する素質もあるし、飲み込みも早く腕も立つ。まあ、不二子さんが言うように一言多いのが珠に瑕ですが」
「だよね」
二人は互いに顔を見合わせ、静かに笑い合う。
立ち話もなんだからと不二子は紅蓮を席に促し「お茶を淹れてくるね」と台所へ入っていった。
誰も居ない食堂をぐるりと見渡し、左奥の席へと歩む。在学中によく利用していた席へ腰を下ろした。
両隣は伊作、留三郎がよく座っていたものだ。三人並んで食事を取っていた想い出を振り返れば、少し懐かしい気持ちに胸が満たされる。
「霧華さん。お疲れ様です」
己の名を呼ぶ声に閉じていた目を開け、口角を上げて三郎次に応じる。
「お疲れ様。座学講師の手応えはどうだった」
「みんな熱心に聞いてましたよ。一年生らしく目輝かせながら」
「そうか」
「そちらはどうでした」
「特に問題はなかったよ」
「あ、噂をすれば池田くん」
急須と湯呑みを三つおぼんに乗せ、戻ってきた不二子は三郎次の姿を見るなりそう口を開いた。
「噂って。お二人で何の話してたんですか」
「今頃は一年生の良い子たちに囲まれているだろうと話をしていたんだ。面倒見が良い三郎次は意外だとも不二子さんが仰っていた」
「意外は余計です」
「ごめんごめん。まあ、とりあえず座って」
急須から注がれた茶の芳醇な薫りが湯気と共に立つ。
温かいお茶で喉の渇きを潤し、一息ついたところで紅蓮が不二子に一つ訊ねた。
「兵助とは上手くやっていますか」
「まあ、うん。多分」
「そう言う割に歯切れが悪いですね」
「だってさぁ。池田くんには前に話したけどさぁ」
「ああ、あのことですか」
ぷくぅと頬を膨らませたその姿はフグのようだ。
以前訪れた時に零された愚痴。未だ納得していない様子だと三郎次は湯呑み傾ける。
「それは皆の呼び方ですか」
「ちょ、なんでわかったの紅蓮くん」
「先程から妙な呼び方をされていたので。これは憶測ですが兵助から皆のことは姓で呼ぶように……とでも言われているのかと。その顔は当たりの様ですね」
目を皿のように丸くした不二子は湯呑みを両手に持ったまま固まっていた。
「……忍者って探偵も兼ねてる?」
「たんてい、とは」
「僅かな手掛かりから真実を見出す職業、かな」
「時代が変われば様々な職業があるものですね」
「この場合は久々知さんの顔に出てるからですよ」
「それ。みんなの呼び方もだけど、みんなから久々知さんって呼ばれることがちょっと」
今まで親しげに名前で呼んでくれていた人たちが祝言を挙げた後は「久々知さん」と呼んでくるようになった。更には自分から誰かを呼ぶ時も苗字で呼ばなければいけなくなったのだ。
そうしなければいけない理由は単純明快。夫婦となった兵助が機嫌を損ねるのだ。
「兵助も存外心が狭い。豆腐のように広い心を持っているかと思いきや」
「豆腐のような心の広さってなに。むしろそれ面積狭いよね。なんでも豆腐に例えたら良いわけじゃないよ。だってさ、今だってそうだよ。池田くんって呼んだら二人とも振り返るでしょ」
三郎次と紅蓮がちらりとお互いの顔を見る。
「まあ、そうですね」
「こうして二人揃っている時は確かに紛らわしい。伊作や留三郎たちには今も変わらず名で呼ばれてもいますし」
「やっぱり名前で呼ぶの普通だよね? 紛らわしいよね。だから紅蓮くんのことは紅蓮くんって呼んでもいい?」
「私のことはどう呼んでもらっても構いません。と、言いたいところですが……そこに微妙な表情をしている貴女の伴侶がいるので話し合いはした方が良いかもしれませんね」
「ぴぃ」
食堂の入口にそれはもう複雑な表情をした久々知兵助が立っていた。
◇
「……葉月先輩、というか池田先輩のことは実名で呼んであげた方が良いんじゃないですか」
「兵助。お前そんなに心が狭かったか」
「久々知さんに関することだけ針の穴ぐらい狭いんですよ」
「三郎次は相変わらず一言多いな」
火薬委員会の同窓会とも言えるこのメンバー。顔を合わせれば学園生活の思い出話に花が咲くかと思いきや、不二子に関する話題で持ち切りであった。
兵助は伴侶が紅蓮を呼ぶ時の呼称を気にしている。もとより女子なのだから、そこまで目くじら立てる程のことではないだろうと不二子、紅蓮は言う。
「いやだって、この姿で霧華さんって呼ぶのだいぶ抵抗というか違和感ない?」
「俺は呼んでますけど」
「池田くんは良いんだよ。奥さんなんだから」
「私は六年間葉月紅蓮を名乗っていたのでこちらの方が馴染みがあるといえばありますね」
「偶に気づくの遅れますよね。呼んでも無視されてるのかと思うぐらいに」
特に忍務中は実名で呼んでも反応が悪いと三郎次が零した。それに関しては申し訳ないといった風に紅蓮は半笑いを浮かべた。
「だから今は使い分けてます。忍務に支障も出るので」
「でも逆になんか特別感あっていいんじゃない? 二人だけの呼び名というかそんな感じで」
不二子がにこりとそう笑えば、はたと紅蓮の頬に紅が差す。
「うん。だからやっぱり私は今まで通り紅蓮くんのことは紅蓮くんと呼び……兵助くん顔がとても恐い」
「……不二子さん。俺の気持ち全然わかってないでしょう? 先輩が女装しているなら一歩譲りますけど」
「断る。小袖は動きにくい上、私の女装成績を知っているだろ。変に怪しまれるだけだ」
「三郎次はそれでいいのか?」
わざわざ紅蓮の気に障ることを口にしたのは謀りごとか、否か。
兵助の問いに三郎次は何ら動揺の色も、表情一つ崩さずにこう言った。
「霧華さんは霧華さんなので」
「三郎次に訊いた俺が浅はかだった。まあ、そうだよな」
「伊達に四年も片想いしてませんから」
「頑張ったよね池田くん」
「……」
三人の会話を聞き流す紅蓮はそれは気まずそうに目を逸らした。
四年も想いを寄せられていたことに全く気が付かなかった。これに対しては申し訳なさが非常に勝る。慕う思いと恋慕は紙一重なのだ。
「俺も不二子さんをずっと待っているつもりでしたけどね。十年でも二十年でも」
「そこ張り合うとこじゃないからね兵助くん」
「まあ、良かったじゃないか兵助。待ち侘びていた想い人とまた巡り会えた。その縁は大切にした方が良い」
両人の顔をゆっくり見比べ、柔らかく紅蓮は微笑んだ。
※
「なんだ火薬委員会で仲良く同窓会でもしているのか」
食堂に現れた涼やかな声と姿――立花仙蔵は食卓を囲む同窓生及び後輩たちと不二子の姿を捉え、やや丸みを帯びた棘を言葉に含ませた。
その刹那、仙蔵と三郎次の視線がぶつかる。互いに表情は変えずにいるが、この状況下を「不味い」と瞬時に察知したのは紅蓮であった。
食卓を間に挟んで久々知夫婦、池田夫婦とそれぞれが並び座っている。空いた席は幾らでもあるというのに、仙蔵は敢えて紅蓮の空いている隣へと腰を下ろした。何食わぬ顔で。しかも距離を詰めて。
それが先ず気に食わないと三郎次の不快指数ならぬ不機嫌指数が上がった。
「私お茶淹れてくるね」
不二子が何かを察したのかはわからないが、この良いタイミングで席を立った。
「そういえば特別講師として呼ばれていたな。夫婦揃って」
「僕たちは優秀な卒業生ですから」
「その実力は教師陣で話題にもなっているぞ。……だが、旧友に顔くらい見せに来ても良いんじゃないのか」
「日頃お忙しい先生方を用もないのに捕まえて話し込む様な真似はせんよ」
正面を向いたまま、湯呑みを傾けた紅蓮の目はどこか遠くを見ていたと兵助は感じていた。
暫し無言の時間が流れた。
仙蔵、紅蓮、三郎次と並んだ周囲には非常に気まずい空気も漂っている。
まさに一触即発でぴりぴりとした緊張感。下手なことを言えば火蓋が切れる。兵助は飛び交う両者の矢羽音を聞きながらどうしたものかと顔を引きつらせていた。
一番心労を拵えているのは言うまでもなく、間に挟まれている紅蓮である。眉間の皺が段々と濃くなっていく。
そこへ新しいお茶を一つおぼんに乗せて戻ってきた不二子は「なんか空気重くない?」と兵助のやや後ろで立ち止まった。
「いや、まあ……そうですね」
「池田くんってそんなに立花くんと仲悪かった? この前来た時は普通に話してたと思うんだけど」
正門前で久しぶりに顔を合わせた二人はここまでいがみ合う様子は全く見られなかったと不二子は兵助に語る。
「不仲ではないよね」そう話す彼女が知らないことはまだ沢山あるのだ。
「なんというか、個々で話をする分にはそこまでじゃあないのかと。この三人が揃うと厄介なことになるというか」
相も変わらず顔を引きつらせた兵助は歯切れが悪い。
不二子はおぼんを持ったまま、三人の方へ目を向ける。険悪な雰囲気の二人。非常に気まずそうで居た堪れない様子の紅蓮。
そこで閃きの音と共に電球が不二子の頭上で光った。
「ねえ、兵助くん。立花くんに浮いた話がないのってもしかして」
「不二子さん。それ以上は口にしない方が」
「三角関係?」
ぴしっ。場の凍りつく音がした。
兵助の奮闘虚しく、火蓋が切って落とされてしまった。
「立花先輩も大概お可哀想ですよね。人攫いの様な真似までしたのに全く振り向いてもらえないし、逃げられてたんですから」
「そういうお前こそ四年もよくこの鈍い人間に付き合っていられたな。ああ、それ以外の相手は居らんかったか。性格も一言多いゆえに相手にしてくれる女子もいなさそうだ」
「一途と言ってもらえないですかね。一言も二言も多いのはそちらじゃないですか。というかわざわざ霧華さんの隣に座らないでもらえます?」
元想われ人と現夫に板挟みにされている。
直感的に不二子はそう捉えた。
俯いて頭を抱える紅蓮の姿を見た兵助は「ああ、地味に先輩に刺さってる」と感じたという。
鈍い、待たせすぎたことを少なからず気にされているのだろうと。
そしてこの直後、紅蓮から「兵助。助けてくれ」という弱々しい矢羽音が飛んできた。
「無理です」と返そうとしたところで思わぬ割り込みが。
「というかちょっと待って。私の知らないこと多いんだけど。人攫いって」
お茶を仙蔵の前に置いた不二子は兵助の隣に腰を下ろした。その顔は実に人の恋話に首を突っ込みたそうであった。
溜息を漏らした紅蓮は顔を上げ、不二子の方を見る。
「まあ、色々と」
「その色々が知りたい」
「……引き下がるおつもりはないようですね。卒業式の日に仙蔵との勝負に敗北しまして。それで不本意ながらも組んで仕事をすることになったんですよ」
「ああ〜なるほど。それで一緒に仕事してたんだ。でも、人攫い?」
「勝負の最中に伊助を庇って霧華さんが負傷したんですよ。だから立花先輩の不戦勝。しかも条件を先に提示していなかったと言うじゃないですか。だから人攫いと変わらない」
今日の三郎次はやけに尖っている。まるで毬栗のような刺々しさだ。
ここまで仙蔵相手に噛みつくのには他の理由もあった。
その理由を知る紅蓮は「あの件は和解したと思っていたのだが」と目を伏せる。
数年前、紅蓮は死線を彷徨う窮地に陥った。その元凶が仙蔵であると三郎次が勘違いを起こす場面が生じた。後日、一堂に介した旧知の友にも理由を話し、仇ではないと三郎次にも話をした。
その時は不服そうな表情ながらも納得をしたはずなのだが、現にこの状況である。
一体何が彼をそうさせているのか。単にただの嫉妬だと紅蓮はまだ気づいていない。
「死線を彷徨った際の誤解は解いたと思ったのですがね」
「待って。ちょっと待って、死線って……え、紅蓮くん死にそうになったの!?」
「ええ、二度ほど」
素っ頓狂な声を上げる不二子に対して至極冷静な返し。彼女は信じられないといった風に目を白黒とさせた。
「二度も!? え、大丈夫なのそれ。二度あることは三度あるからホント気をつけてね?」
「久々知さん縁起でもないこと言わないでください」
「すみません」
三郎次にキッと睨み据えられた不二子は間髪入れずに謝罪を口にした。
「これ以上は申し訳ないですが私の口からは……と言うよりも、今話すと更に縺れそうなので」
「既に縺れてません?」
兵助が口元を引きつらせながらそう言えば、ふんっと鼻で笑う声が仙蔵の口から漏れた。
「まさか池田に落ちるとはな。せいぜい愛想を尽かされんようにすることだ。人の心とは揺らぎ移ろいやすい」
「言っておくが」静かにそう口を開いた紅蓮は横目で仙蔵を睨みつけるようにその目を細めた。
「私の心は揺らがんぞ。共に生きると決めた相手だ。この生涯、添い遂げる」
カッコいい。
不二子の脳裏にその単語が過った。まさに宝塚歌劇団の男役を至近距離で見ているようだと。その逆上せた様な恍惚とした嫁の表情を視界に入れてしまった兵助がまたも複雑な思いに駆られているとは露知らず。
一方、三郎次はその想いに恥ずかしながらも「むしろその台詞は自分が言いたかった」と思うのである。
「……つまらんな。昔からお前はこれと決めたらテコでも動かん」
仙蔵はそう言うと、がたりと席を立ち食堂を後にした。
「なんか、ちょっとグッとくる台詞だったよ。紅蓮くんかっこい〜」
「……霧華さんは昔から格好いいですよ。俺の憧れの人でしたから」
「うんうん。ちょっとわかるかも」
「先輩が格好いいのはわかりましたが、やっぱり不二子さんのことは姓で呼んでもらえませんか。あと不二子さんは先輩のことを霧華さんと呼んでください」
「急にそこに戻るのか」
「ちょっと苛々したので」
「兵助。私はお前の嫁御をとったりしないから安心しろ」
今しがた見せたミーハーな表情を前にどう安心しろと。そう言いたげな兵助は怖いくらいに真顔である。
これ以上はもう何も言うまい。やれやれと溜息を吐く紅蓮であった。