番外編
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ちょっとしたヤキモチ
――図書室にいる者に奇襲を仕掛け、持ち物を一つ奪え
四年生に課された忍務はそれぞれ異なる。俺の指令書に書かれていた内容は先の通り。
課題の忍務を遂行するべく、放課後の図書室に赴いた。
指令書には以下のようにも書かれていた。
同学年以下を標的とすることは不可。
つまり、久作やきり丸たちを狙うことは出来ない。課題の狙いは己の力量を踏まえた上で強者相手にどう手を打つかということだろう。策の練りどころでもある。
図書室の前で足を止め、中の気配を窺った。
気配はざっと感じたたけでも四つ。注意はそれぞれ手元の本に向いているようだった。
そっと戸を一寸ばかり開けて、見える範囲の人影を確認する。
貸出口に同級生の能勢久作。姿は見えないが「先輩、今日入荷予定の図書が見当たりません」と聞こえた声の主は摂津のきり丸。死角になった図書棚の整理をしているようだ。
右へと視線をそろりと動かせば二年生の忍たまが手前の長机に巻物を広げているのが見えた。
その後方に見えたある姿に目を見張る。
葉月先輩がいた。
二年前にこの忍術学園を卒業し、フリーの忍者として活躍している人だ。
先輩には月二回の棒術稽古をつけてもらっている。けど、今日はその日ではない。時間がある時は結構学園に立ち寄ってくれているから、何ら不思議ではない。
片肘をつき、手元の図書を捲る。その目は真剣そのもの。菜の花色の風呂敷包みが無造作に脇に置かれていた。
課題の締切は明日の正午の鐘が鳴るまで。図書室が閉まるまで一刻。明日の午前中は四年は組と合同授業。
つまり、やるなら今しかない。しかも同学年以下は対象不可とするなら、必然的に狙う相手は先輩しかいないわけで。
卒業生を相手にするのは何ら問題ない。ただ、想いを偲ばせている相手だけになんかこう迷いが薄っすら生まれる。
俺は戸の隙間から先輩の様子を静かに窺った。
先程から真面目に図書を読んでいる。確か先輩は読書に没頭すると周囲の気配に疎かになると聞いた。一点に意識が集中している今が好機。
自分の実力がどれだけ通用するのか試す良い機会だ。
さて、第一標的を定めた次は何を奪うかだ。肩から下ろされた荷物。そこから狙うのが良さそうだけど。
ふと、ある物に目が留まった。
菜の花色の包みから一本の簪が見えた。べっ甲、いや蒔絵が描かれたものだ。結構上物じゃないのか、あれ。
まあ、とりあえずあれでいいか。視認出来る物の方が直ぐに手が届く。
奇襲即ち不意をつくこと。油断したところで簪を奪う。
かんざし……いや、ちょっと待った。なんで葉月先輩が簪なんて持ってるんだ。そりゃ持っていてもおかしくはないけど。でも普段は男装してるし、女装は嫌いだと言っていた。
じゃあ、あれは何なんだ。もしかして、誰かから贈られたものなのか。そんな話聞いていない。それとも、もしかしたら葉月先輩から贈るのかも。いや、一体誰にだよ。でもあり得ないとは言い切れない。どちらにせよ、良い気はしなかった。
あの簪は一体どういう経緯で先輩の手に渡ったのだろう。気になる。いや、落ち着け。忍務前にあれこれ悩むのは忍者の三病だぞ。ああ、そうだ。気になるならその元凶を断てばいい。
俺は標的をあの簪に定めた。
「久作先輩、見つかりましたぁ。返却図書の下敷きになってました」
「まったく、誰だ。そんなことしたのは」
「すんませーん」
「お前かよ」
きり丸と久作の会話。室内の様子を窺いつつ、背後周辺の気配を探る。邪魔になりそうな者はなさそうだ。
しかしここから狙うには直線上にいる二年生を巻き込んでしまう可能性がある。何かで気を逸らして誘導するか、いやそれだと先輩にも気づかれる。
そこで偶然にも二年生が巻物を片付け始めた。本紙を軸に巻き付け、表紙を紐できっちりと結ぶ。席を立ち、上手に捌ける小さな姿。俺は図書室内の間取りを頭に思い浮かべた。内容にもよるが、巻物を収める書棚は一番奥側だ。
ことりと木枠に巻物を置く音が耳に届いた瞬間、戸を三寸ばかり開け、三方手裏剣を標的目掛けて打つ。
狙い通りの軌道を描いた手裏剣は標的人物の後方壁に刺さる、はずだった。
がたりと音を立て、ひっくり返された長机の天板に命中した。不味い。気づかれた。
がらりと戸を開け放った時にはもう、先輩の姿が視界から消えていた。
「三郎次?」
「先輩? 何してんすか」
「話は後だ!」
なんだなんだと疑問を浮かべる級友と後輩へ投げやりに返し、消えた気配を探る。
一瞬にして姿を晦ましたと思いきや、目の前に感じた殺気を咄嗟に一歩退く。風切り音と突き出された拳。危うく顔面に叩き込まれるところだ。
表情を殺した、敵意を宿す鋭い眼差し。背筋が粟立ちそうになる。
素早い殴打、蹴撃。反撃しようにも隙がない。流れるような連撃を避け、退路を断たれないようにするので精一杯だ。
一旦退くか。戸口を背にした俺はそう考えた。先輩から距離を取るべく後方へ下がろうとした時だ。
右腕と襟を掴まれた。
しまった。そう思った次の瞬間には視界がぐるりと反転し、背が勢いよく畳の上に叩きつけられた。
暫しの静寂が訪れる。
背中の痛みに悶える中、視界の端に映ったのは黒い足袋と袴。
「池田三郎次、不合格」
顔を上げた先に野村先生がバツの札を持ち、立っていた。
やりきれない気持ちが沸々とするも、自分の行動をどう省みてもそれはそうだと諦めの溜息を吐く。
「それにしても見事な一本背負いだったな、葉月」
「恐れ入ります。実践ではあまり使用しないので久々でしたが」
「三郎次。知った相手だからといって油断はしないように」
「……はい」
「追試課題は追って連絡する、以上」
野村先生の気配が瞬時にして消える。
追試課題。四文字の言葉がずしりと圧し掛かる。
嗚呼、追試受けるのいつぶりだ。いや、これも力量を知る機会だったと思えば。悔しいけど。
自分の視界に先輩の手が映り込んだ。柔和な笑顔。その表情に先程までの殺気は微塵も残されていない。この人、切り替えが速いんだ。見倣いたいところでもある。
その手を掴み、身体を引き起こされながら立ち上がった。
「投げ飛ばしてすまなかったな」
「先輩、謀りましたね」
「何故そう思う」
「さっきの野村先生とのやり取り。それと無造作に置かれた荷物の上に取ってくれと言わんばかりの簪」
今になって考えてみればわかることだった。あれが簪でなければもっとマシで、冷静な段取りを考えられたかもしれない。
葉月先輩が細い眉を下げた。
「四年い組の課題を野村先生から偶然聞いてな。一役買うことにした。それはそうと手加減は」
「葉月先輩、三郎次。図書室内ではお静かに」
ぬっと俺たちの間に現れた久作。口調は穏やかでいるが、反論を許さない物言いだ。そうコワイ表情をするなよ。
このまま長居すれば図書室内の備品を傷つけるなという文句が飛んでくるに違いない。
先輩は長机を元に戻し、荷物を手早く肩から背負い、図書室から出ようと俺の背を押す。後ろ手で閉める戸の隙間からぽかんとした表情の二年生忍たまが見える。多分、一瞬の出来事で状況が把握できていないんだろうな。
廊下に出た先輩は直ぐに歩み出した。方向は教員長屋の方だ。その後に続き、横へと並ぶ。
「手加減をしてやれなくて悪かった。四年になれば外で応戦する機会が増える。少しでも実力をつけてほしいと思ってな」
「むしろ有難いです。先輩の殺気や立ち回りを学べましたし。それにしても読みにくいですよね、葉月先輩の立ち回り方」
「読まれない方が有利だからな。余裕があるなら複数の型を身に着けておくといいぞ」
「はい。……先輩、あの簪は」
「簪? ああ、これのことか」
懐からひょいと取り出された一本の簪。
本漆塗りに桜の蒔絵が描かれている。やっぱりかなりの上物だ。
「借り物だよ。山田伝子さんからのな」
「借り物?」
「ああ。野村先生と一緒に山田先生も居られたんだ。課題の持ち物として、これが良いんじゃないかという話になった。それでお借りしたというわけだよ。用も済んだし、返しに行くところだ」
「誰かから貰ったというわけじゃないんですね」
それを聞き、呼吸が楽になる。贈られた物でも、贈る物でもない。ただの借り物。その事実がわかっただけでも良かった。
「大切な物ならば人目に触れるような所に敢えて置いたりはしない。少なくとも私はな。本当に大切な物は失くさぬように扱う」
「そうなんですか。……どうしたんですか先輩」
話の途中、急に先輩が懐を探って何かを探し始めた。
「いや、さっきので……ああ、あった。図書室を慌てて追い出されたから落としてしまったかと」
先輩の手の平に乗せられた小さな鏡。螺鈿 細工が施されたそれは、去年俺が元結と一緒に贈ったものだ。
どこも壊れていないことを確認したそれをさっと懐に仕舞う。
もしかして、肌身離さず持ち歩いてくれているんだろうか。そう思うと顔が熱くなりそうだ。
「それ、大事にされてるみたいで嬉しいです」
「三郎次から貰った物だからな。肌身離さず持ち歩いているよ」
この返し。しかも何ら意図もせずに笑いかけてくるんだ、この人は。
俺は目頭を抑えつけ、先輩から目を背けた。至って不思議そうに「どうした」と訊いてくるこの人は本当に鈍い。
「思い違いしそうなんで、黙ります」
俺の想いが本当に届くのはいつの日になるんだろうか。
――図書室にいる者に奇襲を仕掛け、持ち物を一つ奪え
四年生に課された忍務はそれぞれ異なる。俺の指令書に書かれていた内容は先の通り。
課題の忍務を遂行するべく、放課後の図書室に赴いた。
指令書には以下のようにも書かれていた。
同学年以下を標的とすることは不可。
つまり、久作やきり丸たちを狙うことは出来ない。課題の狙いは己の力量を踏まえた上で強者相手にどう手を打つかということだろう。策の練りどころでもある。
図書室の前で足を止め、中の気配を窺った。
気配はざっと感じたたけでも四つ。注意はそれぞれ手元の本に向いているようだった。
そっと戸を一寸ばかり開けて、見える範囲の人影を確認する。
貸出口に同級生の能勢久作。姿は見えないが「先輩、今日入荷予定の図書が見当たりません」と聞こえた声の主は摂津のきり丸。死角になった図書棚の整理をしているようだ。
右へと視線をそろりと動かせば二年生の忍たまが手前の長机に巻物を広げているのが見えた。
その後方に見えたある姿に目を見張る。
葉月先輩がいた。
二年前にこの忍術学園を卒業し、フリーの忍者として活躍している人だ。
先輩には月二回の棒術稽古をつけてもらっている。けど、今日はその日ではない。時間がある時は結構学園に立ち寄ってくれているから、何ら不思議ではない。
片肘をつき、手元の図書を捲る。その目は真剣そのもの。菜の花色の風呂敷包みが無造作に脇に置かれていた。
課題の締切は明日の正午の鐘が鳴るまで。図書室が閉まるまで一刻。明日の午前中は四年は組と合同授業。
つまり、やるなら今しかない。しかも同学年以下は対象不可とするなら、必然的に狙う相手は先輩しかいないわけで。
卒業生を相手にするのは何ら問題ない。ただ、想いを偲ばせている相手だけになんかこう迷いが薄っすら生まれる。
俺は戸の隙間から先輩の様子を静かに窺った。
先程から真面目に図書を読んでいる。確か先輩は読書に没頭すると周囲の気配に疎かになると聞いた。一点に意識が集中している今が好機。
自分の実力がどれだけ通用するのか試す良い機会だ。
さて、第一標的を定めた次は何を奪うかだ。肩から下ろされた荷物。そこから狙うのが良さそうだけど。
ふと、ある物に目が留まった。
菜の花色の包みから一本の簪が見えた。べっ甲、いや蒔絵が描かれたものだ。結構上物じゃないのか、あれ。
まあ、とりあえずあれでいいか。視認出来る物の方が直ぐに手が届く。
奇襲即ち不意をつくこと。油断したところで簪を奪う。
かんざし……いや、ちょっと待った。なんで葉月先輩が簪なんて持ってるんだ。そりゃ持っていてもおかしくはないけど。でも普段は男装してるし、女装は嫌いだと言っていた。
じゃあ、あれは何なんだ。もしかして、誰かから贈られたものなのか。そんな話聞いていない。それとも、もしかしたら葉月先輩から贈るのかも。いや、一体誰にだよ。でもあり得ないとは言い切れない。どちらにせよ、良い気はしなかった。
あの簪は一体どういう経緯で先輩の手に渡ったのだろう。気になる。いや、落ち着け。忍務前にあれこれ悩むのは忍者の三病だぞ。ああ、そうだ。気になるならその元凶を断てばいい。
俺は標的をあの簪に定めた。
「久作先輩、見つかりましたぁ。返却図書の下敷きになってました」
「まったく、誰だ。そんなことしたのは」
「すんませーん」
「お前かよ」
きり丸と久作の会話。室内の様子を窺いつつ、背後周辺の気配を探る。邪魔になりそうな者はなさそうだ。
しかしここから狙うには直線上にいる二年生を巻き込んでしまう可能性がある。何かで気を逸らして誘導するか、いやそれだと先輩にも気づかれる。
そこで偶然にも二年生が巻物を片付け始めた。本紙を軸に巻き付け、表紙を紐できっちりと結ぶ。席を立ち、上手に捌ける小さな姿。俺は図書室内の間取りを頭に思い浮かべた。内容にもよるが、巻物を収める書棚は一番奥側だ。
ことりと木枠に巻物を置く音が耳に届いた瞬間、戸を三寸ばかり開け、三方手裏剣を標的目掛けて打つ。
狙い通りの軌道を描いた手裏剣は標的人物の後方壁に刺さる、はずだった。
がたりと音を立て、ひっくり返された長机の天板に命中した。不味い。気づかれた。
がらりと戸を開け放った時にはもう、先輩の姿が視界から消えていた。
「三郎次?」
「先輩? 何してんすか」
「話は後だ!」
なんだなんだと疑問を浮かべる級友と後輩へ投げやりに返し、消えた気配を探る。
一瞬にして姿を晦ましたと思いきや、目の前に感じた殺気を咄嗟に一歩退く。風切り音と突き出された拳。危うく顔面に叩き込まれるところだ。
表情を殺した、敵意を宿す鋭い眼差し。背筋が粟立ちそうになる。
素早い殴打、蹴撃。反撃しようにも隙がない。流れるような連撃を避け、退路を断たれないようにするので精一杯だ。
一旦退くか。戸口を背にした俺はそう考えた。先輩から距離を取るべく後方へ下がろうとした時だ。
右腕と襟を掴まれた。
しまった。そう思った次の瞬間には視界がぐるりと反転し、背が勢いよく畳の上に叩きつけられた。
暫しの静寂が訪れる。
背中の痛みに悶える中、視界の端に映ったのは黒い足袋と袴。
「池田三郎次、不合格」
顔を上げた先に野村先生がバツの札を持ち、立っていた。
やりきれない気持ちが沸々とするも、自分の行動をどう省みてもそれはそうだと諦めの溜息を吐く。
「それにしても見事な一本背負いだったな、葉月」
「恐れ入ります。実践ではあまり使用しないので久々でしたが」
「三郎次。知った相手だからといって油断はしないように」
「……はい」
「追試課題は追って連絡する、以上」
野村先生の気配が瞬時にして消える。
追試課題。四文字の言葉がずしりと圧し掛かる。
嗚呼、追試受けるのいつぶりだ。いや、これも力量を知る機会だったと思えば。悔しいけど。
自分の視界に先輩の手が映り込んだ。柔和な笑顔。その表情に先程までの殺気は微塵も残されていない。この人、切り替えが速いんだ。見倣いたいところでもある。
その手を掴み、身体を引き起こされながら立ち上がった。
「投げ飛ばしてすまなかったな」
「先輩、謀りましたね」
「何故そう思う」
「さっきの野村先生とのやり取り。それと無造作に置かれた荷物の上に取ってくれと言わんばかりの簪」
今になって考えてみればわかることだった。あれが簪でなければもっとマシで、冷静な段取りを考えられたかもしれない。
葉月先輩が細い眉を下げた。
「四年い組の課題を野村先生から偶然聞いてな。一役買うことにした。それはそうと手加減は」
「葉月先輩、三郎次。図書室内ではお静かに」
ぬっと俺たちの間に現れた久作。口調は穏やかでいるが、反論を許さない物言いだ。そうコワイ表情をするなよ。
このまま長居すれば図書室内の備品を傷つけるなという文句が飛んでくるに違いない。
先輩は長机を元に戻し、荷物を手早く肩から背負い、図書室から出ようと俺の背を押す。後ろ手で閉める戸の隙間からぽかんとした表情の二年生忍たまが見える。多分、一瞬の出来事で状況が把握できていないんだろうな。
廊下に出た先輩は直ぐに歩み出した。方向は教員長屋の方だ。その後に続き、横へと並ぶ。
「手加減をしてやれなくて悪かった。四年になれば外で応戦する機会が増える。少しでも実力をつけてほしいと思ってな」
「むしろ有難いです。先輩の殺気や立ち回りを学べましたし。それにしても読みにくいですよね、葉月先輩の立ち回り方」
「読まれない方が有利だからな。余裕があるなら複数の型を身に着けておくといいぞ」
「はい。……先輩、あの簪は」
「簪? ああ、これのことか」
懐からひょいと取り出された一本の簪。
本漆塗りに桜の蒔絵が描かれている。やっぱりかなりの上物だ。
「借り物だよ。山田伝子さんからのな」
「借り物?」
「ああ。野村先生と一緒に山田先生も居られたんだ。課題の持ち物として、これが良いんじゃないかという話になった。それでお借りしたというわけだよ。用も済んだし、返しに行くところだ」
「誰かから貰ったというわけじゃないんですね」
それを聞き、呼吸が楽になる。贈られた物でも、贈る物でもない。ただの借り物。その事実がわかっただけでも良かった。
「大切な物ならば人目に触れるような所に敢えて置いたりはしない。少なくとも私はな。本当に大切な物は失くさぬように扱う」
「そうなんですか。……どうしたんですか先輩」
話の途中、急に先輩が懐を探って何かを探し始めた。
「いや、さっきので……ああ、あった。図書室を慌てて追い出されたから落としてしまったかと」
先輩の手の平に乗せられた小さな鏡。
どこも壊れていないことを確認したそれをさっと懐に仕舞う。
もしかして、肌身離さず持ち歩いてくれているんだろうか。そう思うと顔が熱くなりそうだ。
「それ、大事にされてるみたいで嬉しいです」
「三郎次から貰った物だからな。肌身離さず持ち歩いているよ」
この返し。しかも何ら意図もせずに笑いかけてくるんだ、この人は。
俺は目頭を抑えつけ、先輩から目を背けた。至って不思議そうに「どうした」と訊いてくるこの人は本当に鈍い。
「思い違いしそうなんで、黙ります」
俺の想いが本当に届くのはいつの日になるんだろうか。