第一部
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八|忍びの名は
桜色の花は風にひらひらと舞い、散った。
惜春の情を感じる暇もなく、迎えた初夏の陽射し。桜木は青々とした葉を纏う。
この学び舎から先代の六年生を見送って、間もなく一ヶ月が経つ。
火薬委員会委員長を引き継いだ今年の委員長。松葉色の学年装束を纏うその姿に違和感をどうしても覚えてしまう。何となくそう零した言葉を拾い上げられてしまい「それは俺も同じだよ」と久々知先輩が火薬委員の顔を見渡した。きまりが悪そうに。
かくいう自分もまだこの萌黄色に馴染んでいない。でも、それもあと一ヶ月も立てば馴染むんだろう。
今日は各委員会が一同に集う日。予算会議という合戦が行われる。
申請した予算が却下、思った通りに通らなかった場合――殆どの委員会がそれにあたる――に不服を申し立てるべく、会計委員会に個人的な日頃の恨みや不満をぶつける日でもあった。最早これは毎年恒例だ。
昨年同様、うちの委員会も不服を申し立てる。僕と石人も今年度から予算会議の事前準備に参加するようになり、昨夜は久々知先輩の部屋で作戦会議を行った。
そして迎えた当日。今年も安藤先生の庵に各委員会が我先にと駆けつけていく。
僕たち火薬委員会もそれぞれ必要書類を小脇に抱え、安藤先生の庵に向かっていた。
「委員長、既に体育委員会が到着した模様です! 滝夜叉丸先輩の声が庵の方から聞こえます!」
「また体育委員会に先を越されてしまったか! 我々火薬委員会も急ぐぞ!」
「はいっ!」
石人の言うとおり、庵の方面からぐだぐだと何か聞こえてくる。体育委員会は足が速い。今年こそは一番手で不服申し立てをする算段だったというのに。
不意に、突風が吹き抜けた。
向かい風に火薬委員会の足が刹那止まる。久々知先輩の手元からするりと逃げ出すように、一枚の書類が後方へ飛ばされてしまった。砂埃と共に舞い上がる書類。
あっ、と声を上げて全員が振り向いた時にはもう手が届かない高さにまで舞い上がっていた。あれは大事な予算書の一枚だ。
久々知先輩が「あれがないと話し合いにもならない!」慌てて踵を返して追いかけていった。
風に流され、不規則な動きで漂い舞う。それを華麗な跳躍で掴み取り、音も立てずに地面に着地した人物がいた。その人は火薬委員会の誰でも、他の忍たまでもない。
淡黄蘗 染めの小袖に控えめな牡丹の花が白抜きで染めだされた模様。風で揺れる前髪を手で払った際に見えた顔。火薬員会の予算書を見るその凛とした目元、面差し。綺麗な人だと思うよりも先に既視感を覚えた。俄か、跳ねる心臓の音。
その人は初夏の風のように涼やかな目を久々知先輩に向け、橙色の紅が引かれた薄い唇が開く。
「兵助。この費目は必要不可欠だ。減額は認められん。何としてでも予算を奪い取れ」
「は、はいっ! ……って、その声、もしかして」
会計委員によって却下された予算の箇所を指摘され、反射的に返事をした先輩に渡された書類。しなやかに伸びた指先、湧き水のように澄んだ声色。もしかして、この人は。
次の瞬間には同じことを思った伊助たちと声を揃えることになった。
「葉月先輩⁉」
口角を引き上げ、微笑むその姿。数ヶ月前まで学園で共に過ごした、卒業生の葉月紅蓮先輩そのもの。立ち振る舞いや口調がそれを物語っている。むしろ女装していることに違和感しかない。
「久しぶりだな。まあ、そんなに月日は経っていないが」
「ちょ、ちょっと待ってください。何故ここにいらっしゃるんですか。それになんで女装を」
「紅蓮くんその小袖すごく似合ってるよ。化粧も綺麗だし、髪は……結わせてもらってもいい?」
「とってもお綺麗ですよ葉月先輩! これから忍務に行かれるのですか?」
「というか、女装むちゃくちゃ綺麗じゃないですか! 初めて見ましたよぼく。ねえ、三郎次先輩!」
「あ、ああ。確かに初めて見たかも」
情報収集をする忍者にとって女装は必要不可欠なもの。授業や実習で必ず白粉や紅を手に取るものだ。
委員会で女装の授業について話が出ることも何度かあった。けれど、思い返してみれば先輩の女装姿は一度も目にしたことがない。それは偶々なのかもしれないし、先輩が必要に迫られなければ女装しない主義だと思っていた節もある。
授業での評価が悪く、自信がないと本人が話していたこともあった。悪いどころか、綺麗じゃないか。
一瞬、涼やかな目と視線がぶつかった。また、心臓が跳ね上がる。
「ちょっと落ち着いてくれ。順番に話す。先ず、その予算についてだが」
「そこからなんですね。見直しはしたんですが、この予算だけ何故か跳ねられてしまって」
「ハの書類は持ってきているか」
「その書類なら私が」
「よし。石人、大事に持っていてくれよ。それと一緒に会計委員会委員長代理に突きつけろ。これは推測ではあるが、単に見落とされた可能性が高い。会計委員会は決算期でボロボロになっている上、田村が文次郎の後釜として奮起もしている。引継ぎしたばかりでまだ慣れておらず、目が滑ったんだろう。私も引き継ぎに関しては人のことは言えんがな」
その場にいた全員が見識の高さに感服の声を上げた。タカ丸さんだけは生返事でいて、いつの間にか葉月先輩の背後にいる。緩く纏められていた髪を手に取り、にこにこ顔で櫛を通していた。
「次に、タカ丸。髪を弄らないでくれ」
「だってやっと紅蓮くんの髪を女の子の髪に結えるんだもん。どれがいいかなぁ。町で流行りの髪型にしてもいい?」
「言いだしたら聞かないな相変わらず。わかった。好きにしてくれ」
「やったー」
「葉月先輩、女装の評価が低いって前に仰ってませんでした? どう見ても優にしか思えないんですが」
久々知先輩のそれには同意しかない。どこからどう見ても女の人にしか見えない。程度が高いし、立花先輩にも引けを取らない。いやそれ以上かも。
「評価が低いのは事実だ。仕草、態度、口調が伴っていないと。それはもう、山本シナ先生からは酷評だったぞ。……何度補習を受けたことか」
「ああ」
「成る程」
「格好は女子でも、そのまんま葉月先輩ですもんね」
葉月先輩はどこか遠い目をしておられた。
見た目だけで判断してはいけない。仕草も口調もそれなりに伴わなくてはならない。それをこなせずに減点を重ねられたと言う。確かに、先輩の口から「あらやだ」とか言ってる姿はとても想像が出来そうにない。
「減点方式で零になる人って本当にいるんですね」
「黙って立っていれば別嬪さんなのにねぇ」
「こらお前たち。先輩が傷つくだろ!」
「いや、いいんだ兵助。それもこれも山本シナ先生に言われたことだ。……まあ、それはいいとして。お前たちに言わなければならないことがある」
葉月先輩の視線が横へ逸れた。躊躇、後ろめたさすら感じさせる表情。その間もタカ丸さんが髪型を模索して、次々と結っていく。緊張感がそのせいであまりない。
「みんなには黙っていたんだが、私は女だ」
間。
次々に上がる驚愕の声。この時はまだ何を言っているのか、頭が理解に追いついていなかった。まさか、とんでもない事実を打ち明けられるとはこの二年間夢にも思っていない。
伊助と石人の素っ頓狂な声のせいで益々ワケもわからなくなった。タカ丸さんはあくまで平常心でいて、というよりも全く驚いている様子がない。
「ええーっ⁉」
「そ、そうだったんですか⁉」
「はっ、そういえば肌艶がやけにいいなとは思ってましたけど」
「それは火薬委員会に入ってから豆腐を食す機会が増えたからだよ。兵助が何かと美味い豆腐を振舞ってくれたからな」
久々知先輩すら正体に気づいていなかった。いや、むしろ豆腐にしか目が向いてなかったからだとも思う。
そこで驚いたのが、タカ丸さんの言葉だ。動揺一つすらない、ふにゃりとした笑顔を浮かべている。
「僕は結構前から気づいてたよ。きっと何か事情があるんだろうと思って、黙ってたんだけど」
「タカ丸さんなんでわかったんですか?」
「髪質。やっぱり男女で差が出てくるんだ。前に紅蓮くんの髪を結った時に気づいたよ」
「成程な。その職業に精通した者だからこそわかるというわけだ」
「はい、出来上がり。町で流行りのゆるふわ三つ編み」
一つに緩く編まれた髪が先輩の肩口で動きに合わせて揺れる。タカ丸さんの髪結い技術は勿論素晴らしいし、先輩にとても似合っていた。
「でも、どうして忍たまとして過ごしていらっしゃったんですか。くノ一教室でも良かったのでは?」
「色々と家の事情もあってな。在籍中は男として過ごしていた」
石人の質問に対し、先輩は重い溜息を吐いた。後ろ首に右手を当て秀眉を潜める。格好は女子でも、中身はそのまま葉月先輩だ。格好と仕草が一致しなくて違和感しかない。
「その理由はやはりご実家のことですか。先輩のご実家は道場でしたよね。もしかして跡継ぎとかそういう問題で」
「流石鋭いな、兵助。家には跡継ぎが娘の私しかいなかった。まあ、その辺のごたつきも折り合いがついたから隠す必要もなくなった、というわけだ。それでも六年こうして過ごしてきたから今更性別に拘るつもりもないがな」
「ただ、一つだけ」そう続けた葉月先輩の声に陰りが差した。
「委員会で世話になったみんなに嘘を吐いたままでいたのが心苦しかった」
「そんな、嘘だなんて。俺たちは気にしてなんかいませんよ。先輩は先輩じゃないですか」
「うん。それに僕たちは紅蓮くんに世話かけちゃった方だし。全然気にしてないよ」
「はい! むしろこれは絵師を呼んで絵に残すべきですよ! そうだ、乱太郎くんに描いていただきましょう!」
「い、いや。それはちょっと勘弁してくれないか石人。私はあまり自分の女装姿に慣れていないというか、好きじゃない」
「こんなにお美しいのに。……山田伝子さんの次に」
まるで心奪われたようにはしゃいでいた石人。そして、我に返り忘れずに言葉をとってつけ加える。伝子さんを持ち上げることを決して忘れてはいけない。乱太郎たちにそう教わったんだろう。
それが可笑しかったようで、先輩は屈託のない笑みを零した。嗚呼、こんな風に笑う人でもあったんだ。二年間、ずっと追いかけてきたつもりが知らないことがまだまだある。
「葉月先輩。それじゃあ態々僕たちに伝える為にその格好でいらしたんですか」
「ああ、いや。この格好には理由がある。仙蔵の指示だ。気に喰わんがな」
「そういえば立花先輩と組んで仕事してらっしゃるんでしたっけ。ということは、先輩も今日いらっしゃってるんですね」
「作法委員会の様子を見に行くと言ってさっき正門で別れた。仙蔵だけではなく、文次郎たちも来ているはずだ」
「皆さん予算会議の見学にいらしたんですか」
「元会計委員会委員長もいるのか。……不安になってきた」
共に出掛ける時は女子の格好でとか。先代の六年生が集合するとか。先輩方の会話が少し、遠くで聞こえているような錯覚がした。
ずっと、近くで見ていたと思っていた人が急に遠い存在に思えたのは何故だろうか。立花先輩とそんなに親しかっただろうか。
もやもやと胸の中心で何かが渦巻いていた。
会話から少し離れていたのは僕だけじゃなかった。伊助もどうしてか距離を置いているようで、その顔色は浮かばれないもの。それが気になった僕は肘で伊助の脇をつついた。
「どうしたんだ、伊助。顔色が悪いぞ」
「三郎次先輩。……その、ぼく。ぼくのせい、かもしれないと思って」
歯切れの悪い伊助は俯いてしまった。今にも消え入りそうな声で、只事とは思えない。
僕は伊助の腕を掴んで先輩方に背を向けた。先輩方は体育委員会の話で盛り上がっている。声を顰めればこちらの話は聞こえないだろう。
「何が伊助のせいかもしれないんだよ」
「実は、卒業式の日に葉月先輩と立花先輩が勝負してるのを見掛けたんです。送別会が始まる前に忘れ物を思い出して、忍たま長屋に行ったら偶然その場面に出くわして」
「葉月先輩と、立花先輩が勝負? 潮江先輩と食満先輩ならわかるけど、なんでその二人が」
「なんか、三郎次先輩の悪口を言われたとかで」
益々意味がわからなかった。犬猿と呼ばれた武闘派の先輩方ならまだしも、どちらかと言えば落ち着き払っているあの二人が。しかもその原因が僕にあると伊助が話した。確かに葉月先輩は後輩思いだけど。
先輩が立花先輩と組んで仕事をしているという話は風の噂で知っていた。それを耳にした時でさえ、どうしてなのかと思っていたが、もしかするとその勝負が関係しているのかもしれない。
「それで、その勝負はどっちが勝ったんだ」
目を伏せ、押し黙る伊助からの答えは明白なものだった。薄々そんな予感はしていたんだ。ぐしゃぐしゃに絡まりかけていた糸が解れ、現状に繋がる。卒業式の日、命運の秤は悔しくも立花先輩の方へと傾いたんだ。
葉月先輩の進路を誰も明確に知らずにいた。伊作先輩にすらはっきりと告げていなかったらしい。恐らく、そこに声を掛けたんだろう。
「でも!」伊助が顔をばっと上げた。
「あのまま続けていたら、絶対に葉月先輩が勝っていました! 互角、いや先輩が有利だったんです! でも、ぼくが通りかかったせいで。あの時、何故かバレーボールが勢いよく飛んできて、長屋の廊下屋根に当たったんです。それで、崩れて落ちてくる破片からぼくを庇うために、葉月先輩が」
自分を庇う為に、勝負を放棄した。悔しくて堪らない。両拳を握りしめ、しょぼくれた顔で伊助がそう話してくれた。
本気で戦う先輩の姿を見たことがない。むしろその勝負の様子を見てみたかった気持ちもある。
「……先輩はそういう人だよな。委員会別対抗戦の時や、園田村の時だって。文化祭の時もだ。僕たちのことを助けてくれた」
上級生は下級生を手助けする機会が本当に多かった。取り分け葉月先輩は僕たち後輩に甘い気がした。面倒見の良さは食満先輩に引けを取らない。自分の身も顧みずに庇って、助けてくれることばかりだった。
そうだ。二年前の夜間実習の時も、僕たちは先輩に助けられた。
「伊助」
「は、はいいいっ!」
伊助を呼んだ葉月先輩の落ち着いた声に僕まで肩が跳ね上がった。今の話を聞かれてしまったのかもしれない。
もしや、伊助は口止めされていたのでは。それを洗いざらい喋ってしまい、聞いてしまった。
怒られる。僕たちが恐る恐る振り向くと、そこには膝を地面について屈む葉月先輩の姿。これっぽっちも、怒っている様子はなかった。合わせられたその視線は穏やかなもので、優しい眼差し。距離の近いそれに、眩しいものすら覚える。頬が熱い。
「私はあの時伊助に怪我がなくて良かったと心底思っている。伊助が気に病むことは一つもないよ」
「先輩。……ありがとうございます」
「それに、向こうの挑発に乗ってしまったのは私の落ち度だ。伊作にも言われたよ。過保護をなんとかした方が良いとな」
「葉月先輩。立花先輩が僕のことを馬鹿にしたと聞いたのですが、一体なんて」
「臆病な私に教わった三郎次は腑抜けにしか育たんと言い捨てた。自慢の後輩をそう悪く言われてはな。黙っていられなかったよ」
立花先輩が仕掛けた怒車の術に乗せられた。今は淡々と話しているこの先輩が自分の為に。ああ、やっぱりこの人はお人好しで情に厚い。
そして、時間差で僕もその怒車の術に嵌められてしまった。沸々と湧いた怒りの感情を抑えられず、つい声が大きくなる。
「先輩は臆病なんかじゃありませんよ。強くて、優しくて、立派な人です。僕にとって憧れの人です」
この気持ちだけは決して揺らがない。何があってもだ。
「私も同じだよ。みんな自慢の後輩だ」
砂埃を掃い、立ち上がる。その場にいる僕たちの顔を見渡しながら先輩はそう言った。この空の様に晴れやかな顔で。
「さて、そろそろ我々も予算会議に向かうぞ。立ち話をしているバヤイではない」
「そうだ大変だ。急がないと後手に回ってしまう!」
その時、石火矢の轟音が聞こえてきた。庵の方からだ。どうやらもう体育委員会と会計委員会が合戦を始めたようだ。僕たちは小走りで安藤先生の庵へと急ぐ。
「元会計委員会委員長も見学に来てるんですよね、葉月先輩」
「ああ。現会計委員会にとっては鬼に金棒だろう」
「はは……どっちが鬼ですかね」
「何言ってるんですか久々知先輩。潮江先輩が鬼に決まってるじゃないですか」
「言うなあ三郎次。でも、先輩方は口出しできないんじゃないですか? 卒業生とはいえ」
久々知先輩の横に並ぶ葉月先輩の口元がにやりと弧を描いた。
「実は先程、学園長先生による突然の思いつきが発動した。今年の予算会議は卒業生も参加して良いとのことだ」
「じゃあ、先輩方が後ろ盾に? こいつは今年もてんやわんやになりそうだあ」
「昨年の恨みを晴らす時が来た。行くぞ、火薬委員会!」
「おおーっ!」
勢いや良し。予算零で昨年過ごしたことを相当根に持っているみたいだった。でも、それも恐らくは僕たち後輩に苦労を掛けてしまったという思いからだろうな。まあ、甘酒代を計上したのがそもそもの原因なんだけど。去年の光景がふと脳裏に蘇ってくる。「雑費として認めろ」と会計委員会委員長に凄む葉月先輩の姿を思い出し、思わず笑いを零した。
「あれ、そういえば」
「どうしたんですかタカ丸さん」
「うん。紅蓮くんの名前って偽名だよなーと思って」
「急だな。私の実名を知るのは伊作と留三郎だけだ。一年の時にバレてしまってその時に教えた。この間仙蔵にも訊かれたが、腹が立つから教えておらん」
「葉月先輩って結構意地っ張りでいらっしゃるんですね」
石人が先輩の背中に半笑いで投げかけた。意外とこういう一面があるんだよな、先輩。意地っ張りというか、子どもっぽい所もある。
庵に到着した我々は足を止めた。庭には各委員会がひしめき合う。昨年と変わらない光景。
一番手の体育委員会が会計委員会に食ってかかっている真っ最中だ。委員長代理同士が睨み合っている。
一つだけ違うのは私服姿の先代六年生たちの姿があること。保健委員会はどうやらまだ到着していないようだ。
その場で徐に振り向いた元火薬委員会委員長。顔にはいつも僕たちに笑い掛けてくれたあの笑みを携えていた。
「お前たちには教えておくよ。隠し事はもうしたくないからな」
堂々たるその立ち振る舞い。あの日見た光景と重なり、思わず目を見張る。
感情を揺さぶられたのはこれで二度目だ。
「私の実名は霧華。葉月霧華だ」
桜色の花は風にひらひらと舞い、散った。
惜春の情を感じる暇もなく、迎えた初夏の陽射し。桜木は青々とした葉を纏う。
この学び舎から先代の六年生を見送って、間もなく一ヶ月が経つ。
火薬委員会委員長を引き継いだ今年の委員長。松葉色の学年装束を纏うその姿に違和感をどうしても覚えてしまう。何となくそう零した言葉を拾い上げられてしまい「それは俺も同じだよ」と久々知先輩が火薬委員の顔を見渡した。きまりが悪そうに。
かくいう自分もまだこの萌黄色に馴染んでいない。でも、それもあと一ヶ月も立てば馴染むんだろう。
今日は各委員会が一同に集う日。予算会議という合戦が行われる。
申請した予算が却下、思った通りに通らなかった場合――殆どの委員会がそれにあたる――に不服を申し立てるべく、会計委員会に個人的な日頃の恨みや不満をぶつける日でもあった。最早これは毎年恒例だ。
昨年同様、うちの委員会も不服を申し立てる。僕と石人も今年度から予算会議の事前準備に参加するようになり、昨夜は久々知先輩の部屋で作戦会議を行った。
そして迎えた当日。今年も安藤先生の庵に各委員会が我先にと駆けつけていく。
僕たち火薬委員会もそれぞれ必要書類を小脇に抱え、安藤先生の庵に向かっていた。
「委員長、既に体育委員会が到着した模様です! 滝夜叉丸先輩の声が庵の方から聞こえます!」
「また体育委員会に先を越されてしまったか! 我々火薬委員会も急ぐぞ!」
「はいっ!」
石人の言うとおり、庵の方面からぐだぐだと何か聞こえてくる。体育委員会は足が速い。今年こそは一番手で不服申し立てをする算段だったというのに。
不意に、突風が吹き抜けた。
向かい風に火薬委員会の足が刹那止まる。久々知先輩の手元からするりと逃げ出すように、一枚の書類が後方へ飛ばされてしまった。砂埃と共に舞い上がる書類。
あっ、と声を上げて全員が振り向いた時にはもう手が届かない高さにまで舞い上がっていた。あれは大事な予算書の一枚だ。
久々知先輩が「あれがないと話し合いにもならない!」慌てて踵を返して追いかけていった。
風に流され、不規則な動きで漂い舞う。それを華麗な跳躍で掴み取り、音も立てずに地面に着地した人物がいた。その人は火薬委員会の誰でも、他の忍たまでもない。
その人は初夏の風のように涼やかな目を久々知先輩に向け、橙色の紅が引かれた薄い唇が開く。
「兵助。この費目は必要不可欠だ。減額は認められん。何としてでも予算を奪い取れ」
「は、はいっ! ……って、その声、もしかして」
会計委員によって却下された予算の箇所を指摘され、反射的に返事をした先輩に渡された書類。しなやかに伸びた指先、湧き水のように澄んだ声色。もしかして、この人は。
次の瞬間には同じことを思った伊助たちと声を揃えることになった。
「葉月先輩⁉」
口角を引き上げ、微笑むその姿。数ヶ月前まで学園で共に過ごした、卒業生の葉月紅蓮先輩そのもの。立ち振る舞いや口調がそれを物語っている。むしろ女装していることに違和感しかない。
「久しぶりだな。まあ、そんなに月日は経っていないが」
「ちょ、ちょっと待ってください。何故ここにいらっしゃるんですか。それになんで女装を」
「紅蓮くんその小袖すごく似合ってるよ。化粧も綺麗だし、髪は……結わせてもらってもいい?」
「とってもお綺麗ですよ葉月先輩! これから忍務に行かれるのですか?」
「というか、女装むちゃくちゃ綺麗じゃないですか! 初めて見ましたよぼく。ねえ、三郎次先輩!」
「あ、ああ。確かに初めて見たかも」
情報収集をする忍者にとって女装は必要不可欠なもの。授業や実習で必ず白粉や紅を手に取るものだ。
委員会で女装の授業について話が出ることも何度かあった。けれど、思い返してみれば先輩の女装姿は一度も目にしたことがない。それは偶々なのかもしれないし、先輩が必要に迫られなければ女装しない主義だと思っていた節もある。
授業での評価が悪く、自信がないと本人が話していたこともあった。悪いどころか、綺麗じゃないか。
一瞬、涼やかな目と視線がぶつかった。また、心臓が跳ね上がる。
「ちょっと落ち着いてくれ。順番に話す。先ず、その予算についてだが」
「そこからなんですね。見直しはしたんですが、この予算だけ何故か跳ねられてしまって」
「ハの書類は持ってきているか」
「その書類なら私が」
「よし。石人、大事に持っていてくれよ。それと一緒に会計委員会委員長代理に突きつけろ。これは推測ではあるが、単に見落とされた可能性が高い。会計委員会は決算期でボロボロになっている上、田村が文次郎の後釜として奮起もしている。引継ぎしたばかりでまだ慣れておらず、目が滑ったんだろう。私も引き継ぎに関しては人のことは言えんがな」
その場にいた全員が見識の高さに感服の声を上げた。タカ丸さんだけは生返事でいて、いつの間にか葉月先輩の背後にいる。緩く纏められていた髪を手に取り、にこにこ顔で櫛を通していた。
「次に、タカ丸。髪を弄らないでくれ」
「だってやっと紅蓮くんの髪を女の子の髪に結えるんだもん。どれがいいかなぁ。町で流行りの髪型にしてもいい?」
「言いだしたら聞かないな相変わらず。わかった。好きにしてくれ」
「やったー」
「葉月先輩、女装の評価が低いって前に仰ってませんでした? どう見ても優にしか思えないんですが」
久々知先輩のそれには同意しかない。どこからどう見ても女の人にしか見えない。程度が高いし、立花先輩にも引けを取らない。いやそれ以上かも。
「評価が低いのは事実だ。仕草、態度、口調が伴っていないと。それはもう、山本シナ先生からは酷評だったぞ。……何度補習を受けたことか」
「ああ」
「成る程」
「格好は女子でも、そのまんま葉月先輩ですもんね」
葉月先輩はどこか遠い目をしておられた。
見た目だけで判断してはいけない。仕草も口調もそれなりに伴わなくてはならない。それをこなせずに減点を重ねられたと言う。確かに、先輩の口から「あらやだ」とか言ってる姿はとても想像が出来そうにない。
「減点方式で零になる人って本当にいるんですね」
「黙って立っていれば別嬪さんなのにねぇ」
「こらお前たち。先輩が傷つくだろ!」
「いや、いいんだ兵助。それもこれも山本シナ先生に言われたことだ。……まあ、それはいいとして。お前たちに言わなければならないことがある」
葉月先輩の視線が横へ逸れた。躊躇、後ろめたさすら感じさせる表情。その間もタカ丸さんが髪型を模索して、次々と結っていく。緊張感がそのせいであまりない。
「みんなには黙っていたんだが、私は女だ」
間。
次々に上がる驚愕の声。この時はまだ何を言っているのか、頭が理解に追いついていなかった。まさか、とんでもない事実を打ち明けられるとはこの二年間夢にも思っていない。
伊助と石人の素っ頓狂な声のせいで益々ワケもわからなくなった。タカ丸さんはあくまで平常心でいて、というよりも全く驚いている様子がない。
「ええーっ⁉」
「そ、そうだったんですか⁉」
「はっ、そういえば肌艶がやけにいいなとは思ってましたけど」
「それは火薬委員会に入ってから豆腐を食す機会が増えたからだよ。兵助が何かと美味い豆腐を振舞ってくれたからな」
久々知先輩すら正体に気づいていなかった。いや、むしろ豆腐にしか目が向いてなかったからだとも思う。
そこで驚いたのが、タカ丸さんの言葉だ。動揺一つすらない、ふにゃりとした笑顔を浮かべている。
「僕は結構前から気づいてたよ。きっと何か事情があるんだろうと思って、黙ってたんだけど」
「タカ丸さんなんでわかったんですか?」
「髪質。やっぱり男女で差が出てくるんだ。前に紅蓮くんの髪を結った時に気づいたよ」
「成程な。その職業に精通した者だからこそわかるというわけだ」
「はい、出来上がり。町で流行りのゆるふわ三つ編み」
一つに緩く編まれた髪が先輩の肩口で動きに合わせて揺れる。タカ丸さんの髪結い技術は勿論素晴らしいし、先輩にとても似合っていた。
「でも、どうして忍たまとして過ごしていらっしゃったんですか。くノ一教室でも良かったのでは?」
「色々と家の事情もあってな。在籍中は男として過ごしていた」
石人の質問に対し、先輩は重い溜息を吐いた。後ろ首に右手を当て秀眉を潜める。格好は女子でも、中身はそのまま葉月先輩だ。格好と仕草が一致しなくて違和感しかない。
「その理由はやはりご実家のことですか。先輩のご実家は道場でしたよね。もしかして跡継ぎとかそういう問題で」
「流石鋭いな、兵助。家には跡継ぎが娘の私しかいなかった。まあ、その辺のごたつきも折り合いがついたから隠す必要もなくなった、というわけだ。それでも六年こうして過ごしてきたから今更性別に拘るつもりもないがな」
「ただ、一つだけ」そう続けた葉月先輩の声に陰りが差した。
「委員会で世話になったみんなに嘘を吐いたままでいたのが心苦しかった」
「そんな、嘘だなんて。俺たちは気にしてなんかいませんよ。先輩は先輩じゃないですか」
「うん。それに僕たちは紅蓮くんに世話かけちゃった方だし。全然気にしてないよ」
「はい! むしろこれは絵師を呼んで絵に残すべきですよ! そうだ、乱太郎くんに描いていただきましょう!」
「い、いや。それはちょっと勘弁してくれないか石人。私はあまり自分の女装姿に慣れていないというか、好きじゃない」
「こんなにお美しいのに。……山田伝子さんの次に」
まるで心奪われたようにはしゃいでいた石人。そして、我に返り忘れずに言葉をとってつけ加える。伝子さんを持ち上げることを決して忘れてはいけない。乱太郎たちにそう教わったんだろう。
それが可笑しかったようで、先輩は屈託のない笑みを零した。嗚呼、こんな風に笑う人でもあったんだ。二年間、ずっと追いかけてきたつもりが知らないことがまだまだある。
「葉月先輩。それじゃあ態々僕たちに伝える為にその格好でいらしたんですか」
「ああ、いや。この格好には理由がある。仙蔵の指示だ。気に喰わんがな」
「そういえば立花先輩と組んで仕事してらっしゃるんでしたっけ。ということは、先輩も今日いらっしゃってるんですね」
「作法委員会の様子を見に行くと言ってさっき正門で別れた。仙蔵だけではなく、文次郎たちも来ているはずだ」
「皆さん予算会議の見学にいらしたんですか」
「元会計委員会委員長もいるのか。……不安になってきた」
共に出掛ける時は女子の格好でとか。先代の六年生が集合するとか。先輩方の会話が少し、遠くで聞こえているような錯覚がした。
ずっと、近くで見ていたと思っていた人が急に遠い存在に思えたのは何故だろうか。立花先輩とそんなに親しかっただろうか。
もやもやと胸の中心で何かが渦巻いていた。
会話から少し離れていたのは僕だけじゃなかった。伊助もどうしてか距離を置いているようで、その顔色は浮かばれないもの。それが気になった僕は肘で伊助の脇をつついた。
「どうしたんだ、伊助。顔色が悪いぞ」
「三郎次先輩。……その、ぼく。ぼくのせい、かもしれないと思って」
歯切れの悪い伊助は俯いてしまった。今にも消え入りそうな声で、只事とは思えない。
僕は伊助の腕を掴んで先輩方に背を向けた。先輩方は体育委員会の話で盛り上がっている。声を顰めればこちらの話は聞こえないだろう。
「何が伊助のせいかもしれないんだよ」
「実は、卒業式の日に葉月先輩と立花先輩が勝負してるのを見掛けたんです。送別会が始まる前に忘れ物を思い出して、忍たま長屋に行ったら偶然その場面に出くわして」
「葉月先輩と、立花先輩が勝負? 潮江先輩と食満先輩ならわかるけど、なんでその二人が」
「なんか、三郎次先輩の悪口を言われたとかで」
益々意味がわからなかった。犬猿と呼ばれた武闘派の先輩方ならまだしも、どちらかと言えば落ち着き払っているあの二人が。しかもその原因が僕にあると伊助が話した。確かに葉月先輩は後輩思いだけど。
先輩が立花先輩と組んで仕事をしているという話は風の噂で知っていた。それを耳にした時でさえ、どうしてなのかと思っていたが、もしかするとその勝負が関係しているのかもしれない。
「それで、その勝負はどっちが勝ったんだ」
目を伏せ、押し黙る伊助からの答えは明白なものだった。薄々そんな予感はしていたんだ。ぐしゃぐしゃに絡まりかけていた糸が解れ、現状に繋がる。卒業式の日、命運の秤は悔しくも立花先輩の方へと傾いたんだ。
葉月先輩の進路を誰も明確に知らずにいた。伊作先輩にすらはっきりと告げていなかったらしい。恐らく、そこに声を掛けたんだろう。
「でも!」伊助が顔をばっと上げた。
「あのまま続けていたら、絶対に葉月先輩が勝っていました! 互角、いや先輩が有利だったんです! でも、ぼくが通りかかったせいで。あの時、何故かバレーボールが勢いよく飛んできて、長屋の廊下屋根に当たったんです。それで、崩れて落ちてくる破片からぼくを庇うために、葉月先輩が」
自分を庇う為に、勝負を放棄した。悔しくて堪らない。両拳を握りしめ、しょぼくれた顔で伊助がそう話してくれた。
本気で戦う先輩の姿を見たことがない。むしろその勝負の様子を見てみたかった気持ちもある。
「……先輩はそういう人だよな。委員会別対抗戦の時や、園田村の時だって。文化祭の時もだ。僕たちのことを助けてくれた」
上級生は下級生を手助けする機会が本当に多かった。取り分け葉月先輩は僕たち後輩に甘い気がした。面倒見の良さは食満先輩に引けを取らない。自分の身も顧みずに庇って、助けてくれることばかりだった。
そうだ。二年前の夜間実習の時も、僕たちは先輩に助けられた。
「伊助」
「は、はいいいっ!」
伊助を呼んだ葉月先輩の落ち着いた声に僕まで肩が跳ね上がった。今の話を聞かれてしまったのかもしれない。
もしや、伊助は口止めされていたのでは。それを洗いざらい喋ってしまい、聞いてしまった。
怒られる。僕たちが恐る恐る振り向くと、そこには膝を地面について屈む葉月先輩の姿。これっぽっちも、怒っている様子はなかった。合わせられたその視線は穏やかなもので、優しい眼差し。距離の近いそれに、眩しいものすら覚える。頬が熱い。
「私はあの時伊助に怪我がなくて良かったと心底思っている。伊助が気に病むことは一つもないよ」
「先輩。……ありがとうございます」
「それに、向こうの挑発に乗ってしまったのは私の落ち度だ。伊作にも言われたよ。過保護をなんとかした方が良いとな」
「葉月先輩。立花先輩が僕のことを馬鹿にしたと聞いたのですが、一体なんて」
「臆病な私に教わった三郎次は腑抜けにしか育たんと言い捨てた。自慢の後輩をそう悪く言われてはな。黙っていられなかったよ」
立花先輩が仕掛けた怒車の術に乗せられた。今は淡々と話しているこの先輩が自分の為に。ああ、やっぱりこの人はお人好しで情に厚い。
そして、時間差で僕もその怒車の術に嵌められてしまった。沸々と湧いた怒りの感情を抑えられず、つい声が大きくなる。
「先輩は臆病なんかじゃありませんよ。強くて、優しくて、立派な人です。僕にとって憧れの人です」
この気持ちだけは決して揺らがない。何があってもだ。
「私も同じだよ。みんな自慢の後輩だ」
砂埃を掃い、立ち上がる。その場にいる僕たちの顔を見渡しながら先輩はそう言った。この空の様に晴れやかな顔で。
「さて、そろそろ我々も予算会議に向かうぞ。立ち話をしているバヤイではない」
「そうだ大変だ。急がないと後手に回ってしまう!」
その時、石火矢の轟音が聞こえてきた。庵の方からだ。どうやらもう体育委員会と会計委員会が合戦を始めたようだ。僕たちは小走りで安藤先生の庵へと急ぐ。
「元会計委員会委員長も見学に来てるんですよね、葉月先輩」
「ああ。現会計委員会にとっては鬼に金棒だろう」
「はは……どっちが鬼ですかね」
「何言ってるんですか久々知先輩。潮江先輩が鬼に決まってるじゃないですか」
「言うなあ三郎次。でも、先輩方は口出しできないんじゃないですか? 卒業生とはいえ」
久々知先輩の横に並ぶ葉月先輩の口元がにやりと弧を描いた。
「実は先程、学園長先生による突然の思いつきが発動した。今年の予算会議は卒業生も参加して良いとのことだ」
「じゃあ、先輩方が後ろ盾に? こいつは今年もてんやわんやになりそうだあ」
「昨年の恨みを晴らす時が来た。行くぞ、火薬委員会!」
「おおーっ!」
勢いや良し。予算零で昨年過ごしたことを相当根に持っているみたいだった。でも、それも恐らくは僕たち後輩に苦労を掛けてしまったという思いからだろうな。まあ、甘酒代を計上したのがそもそもの原因なんだけど。去年の光景がふと脳裏に蘇ってくる。「雑費として認めろ」と会計委員会委員長に凄む葉月先輩の姿を思い出し、思わず笑いを零した。
「あれ、そういえば」
「どうしたんですかタカ丸さん」
「うん。紅蓮くんの名前って偽名だよなーと思って」
「急だな。私の実名を知るのは伊作と留三郎だけだ。一年の時にバレてしまってその時に教えた。この間仙蔵にも訊かれたが、腹が立つから教えておらん」
「葉月先輩って結構意地っ張りでいらっしゃるんですね」
石人が先輩の背中に半笑いで投げかけた。意外とこういう一面があるんだよな、先輩。意地っ張りというか、子どもっぽい所もある。
庵に到着した我々は足を止めた。庭には各委員会がひしめき合う。昨年と変わらない光景。
一番手の体育委員会が会計委員会に食ってかかっている真っ最中だ。委員長代理同士が睨み合っている。
一つだけ違うのは私服姿の先代六年生たちの姿があること。保健委員会はどうやらまだ到着していないようだ。
その場で徐に振り向いた元火薬委員会委員長。顔にはいつも僕たちに笑い掛けてくれたあの笑みを携えていた。
「お前たちには教えておくよ。隠し事はもうしたくないからな」
堂々たるその立ち振る舞い。あの日見た光景と重なり、思わず目を見張る。
感情を揺さぶられたのはこれで二度目だ。
「私の実名は霧華。葉月霧華だ」