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6|予算会議前夜
「夜食が豆腐っておばちゃんから聞いた時は正気かなと思ったわけですよ」
霧華は五年生の忍たま長屋に訪れていた。
久々知と書かれた木札の部屋に運び込んだのは四人分の湯豆腐。そこに薬味を添えて。
土鍋を見て目を輝かせたのは火薬委員会委員長代理の久々知兵助のみであった。
『明日は予算会議なのよ。だから最終打ち合わせで夜食を頼む子が多くてね』
その話を聞いたのは夕食の提供を終え、後片付けの最中であった。
ご飯釜にはいつもより飯が多めに余っている。これを見て首を傾げた霧華におばちゃんがそう言ったのだ。
おにぎりに漬物を添えた夜食。このセットが常なのだが、ある委員会だけ夜食の内容に指定変更があった。
それが久々知兵助が委員長代理を務める火薬委員会である。
「有難うございます葉月さん。みんな、夜食が来たから休憩しよう」
「はーい」
「土鍋まだ熱いから気をつけてね」
「わかりました」
火薬委員会の人数は現時点で四人。他の委員会と比べ、人数が少ない上に上級生は兵助とタカ丸の二人のみ。
つい先日タカ丸が編入してきたのでこの人員になったが、つい最近までは下級生二人と兵助だけの構成であった。
人出が足りなくて困っていると顧問のぼやきを霧華は聞いたことがある。火薬の取り扱いは慎重に行わなければいけないとかで。
「他の委員会はおにぎりだったんだけど、本当に豆腐で良かったの君たち」
「久々知くんがそれと言ったので」
「冷奴じゃないので百歩譲って良しとします」
「まだこの時期、夜は冷え込みますもんねぇ」
委員長代理の決定に誰も抗わない。ある意味統率が取れてもいる。
久々知兵助は豆腐料理を好むだけに留まらず、自分で手作りの豆腐を拵えるというのだから驚きだ。
土鍋から豆腐を小鉢に分けるため、蓋を摘まみ上げようとした霧華の手を兵助が制した。
「あとは自分たちでやりますので。葉月さん他の委員会にもまだ夜食を届けるんでしょう?」
「うん。あとは作法委員会の所で終わり」
「遅くまでお疲れ様です」
「みんなもね。明日の予算会議頑張って。あんまり夜更かししないようにね」
湯豆腐が入った器を手に伊助が欠伸を一つ。それに釣られて三郎次も眠そうな欠伸を漏らす。大きな欠伸だ。
揃った返事も実に眠そうなものであった。
「君たちは自分の部屋に戻る時躓いて転ばないようにね」
「だいじょーぶですよ。葉月さんじゃあるまいし」
「霧華さんこそ気をつけてくださいねぇ」
「逆に気を使われちゃった。うん、気をつけるね」
じゃあと別れの挨拶と共にひらりと手を振り、霧華は五年長屋を後にした。
次の目的地は六年長屋の潮江、立花の部屋。
向かう先を確かめ、霧華は暗がりの廊下を進んでいった。
直ぐその先で小さな不運に見舞われることになるとはこの時は未だ知らず。
それは霧華が五年長屋を出てから間もなくのことであった。
仙蔵は作法委員会の人間を自室に呼び、他の委員会と同じく明日の予算会議に向けて最終の打ち合わせをしていた。
この場に集まった顔ぶれは喜八郎、藤内、そして委員長である仙蔵の三人。
学園長先生の生首フィギュア――不気味な化粧。つまり、目力が強く唇も赤々と強調されているそれを脇へ置いた仙蔵は戸を見やる。
それと同時に「失礼しまーす」と声――ややくたびれている。
「どうぞ」
最初は穏やかに応じた仙蔵であったが、戸が開いた次には「どうしたんだその格好は」と目を丸くした。
霧華の衣服には草がついていた。襟から袖まであちこちにだ。
草刈りをしたばかりの芝生でごろごろ寝転んだのかと思えるほどの量である。
「実はさっきそこの曲がり角で伊作くんと鉢合わせちゃって。ぶつかった拍子に向こうが抱えてた薬草のカゴがこう、ばさぁっとね」
「頭から薬草の雨を被ったんですか。……なんと言うか、その」
「不運ですよね葉月さんって」
「喜八郎」
藤内が言い難そうに飲みこんだ言葉を喜八郎がすかさず補填した。
それを嗜めた仙蔵の咳払いが一つ、二つと。
「転ぶよりはマシかなって。おにぎりにも布巾被せてたから薬草被ってないし」
霧華は手元の布巾をそっと取り払う。
はらはらと薬草の一片が落ち、足元に着く頃には薄闇に紛れて見えなくなってしまった。
「転んでたらもっと悲惨なことになってましたね」
「そうなんだよ。プチ不運でもあるけどプチラッキー。というわけで、お待たせしました夜食でーす」
「ああ、有難う。小休止としよう」
「はい」
「これ中身は何ですか?」
「梅干しと鰹節。梅干しは種取ってあるから。鰹節には醤油を少々垂らしてあるし、パサパサはしないと思う」
小ぶりのおにぎりが全部で六つ。それぞれワンセットにしてあると霧華は説明を述べた。
喜八郎がひょいと手を伸ばし、かぶりつく。もごもごしながら「梅干しだ」と言った。
「そういえば文次郎くんは? 同じ部屋だよね」
「あいつは会計室だ。我々も明日に備えて色々と準備をしている」
「仙蔵くんのお隣にいる不気味なフィギュアも関係してるの」
ゆらゆらと揺れ照らす灯明皿の明かり。これが不気味さを一層引き立てていた。
霧華は少なからずそれに恐怖を抱くも、一人ではないので何とか悲鳴を上げずにいられるというもの。
薄暗がりでコレと対面したら悲鳴を上げた後、その場にへたり込んでしまうだろう。
「これは学園長先生の生首フィギュアです」
「生首フィギュア……あっ! ほんとだこれ学園長先生の御顔だ。えっ、失礼すぎないこれ? バチバチに化粧されてるし」
「化粧自体はくノ一教室が施したものだ。まあ、これはこれで武器として役立つからこのままにしてある」
「武器とは」そう疑問符を打った霧華に仙蔵は「明日の予算会議は荒れるだろうからな」と笑みを浮かべてみせた。
「昨年の予算会議。それはもう見ものだったぞ」
「見もの」
「各委員会が予算決定に対し直談判する日だからな。各々抗議の仕方に特徴が現れる」
「僕たち作法委員会はこの生首フィギュアを使います」
「な、なるほど。……他の委員会は?」
「委員会によっては壊れた備品を投げつけ、これらを買う予算を寄越せと抗議する」
「……乱定剣って言うんだっけ、それ」
話を聞けば委員会活動中に壊れてしまったものを見せつけ、予算を認めさせるという算段だと言う。
しかし、体育委員会は例年活動中に"壊した"ものが多いそうだ。霧華はこの話に頷いた。体育委員会の活動量を見れば容易く想像できる。
「私が思ってる予算会議とだいぶ違うというか、実力行使系なんだね。見に行きたい気もするけど、ちょっと危なそう」
「遠目に見学する分には問題ないと思うが、何が起きるかわからんからな」
「去年の体育委員会凄かったですからね。……特に体育委員会委員長の凄み方が」
「あれはまさに夜叉だった」
藤内は目をすっと横へ逸らした。それは何か恐ろしいものを見たかのような表情で。
普段飄々とした態度を見せる喜八郎すら眉を顰め、口をへの字に曲げるのである。
しかも「夜叉」と称されたその人物。どれほどなのかと霧華の表情も険しくなる。
「まあ、兎に角。それだけ各委員会が本気で予算を奪いにいくという日だ」
「そうだね怖い。というか今、奪うって言った。……気が向いたら見学に行こうかな」
気が向いたら。霧華は言葉を繰り返した。
不運に巻き込まれやすい為、何も無いとは言い切れないのだ。
迂闊に近づきでもすれば、各委員会によって投げられた物がこちらへ向かって飛んでくる。
「ごちそうさまでした。おにぎり美味しかったです」
喜八郎はいつの間にかぺろりとおにぎり二つを平らげていた。
これに慌てた藤内が口いっぱいにおにぎりを詰め込む。
「はい、お粗末さま。あ、藤内くん慌てて食べなくていいよ」
「ふぁい」
「皿は後で私が片付ける。我々のことは気にせずに戻ってくれ」
「ありがと。……喜八郎くん、どうかした?」
喜八郎は視線をじっと霧華に注いでいた。
気になることでもあるのか、何か言いたげな表情。瞬きすら控えたその眼差し。見つめられていると穴が空いてしまいそうであった。
「いえ。ところで立花先輩」
「なんだ」
「葉月さんを長屋まで送っていった方が良いのでは。葉月さんは不運だし、どこかで転んで穴にでも落ちたら朝になるまで発見されませんよ」
「まるで未来予知みたいに言わないで喜八郎くん」
「強ち否定できんな」
「えっ酷い。私そんなに?」
ごくんとご飯を飲み込んだ藤内が頷いた。
「ほらやっぱり」と喜八郎から声が上がる。
「もう常に立花先輩と行動を共にした方が良いですよ。その方が罠にかかる頻度もぐっと減りますし。朝起きた時から夕方寝るまでずっと付き添ってもらってください」
「……それはもう保護者だな」
「保護者」
仙蔵は腕を胸の前で組み、視線を少しだけ落とす。真剣に考える様な眼差しだ。
「私も付き添ってやりたいのは山々だが」
「いや、そこまで真剣に考えなくても。私だって四六時中面倒見てもらうわけにいかないし」
はたと、霧華は口を噤んだ。
笑いながら話していた口元をきゅっと結び、目を軽く伏せる。
しかしそれが彼らの目に留まるより先に笑顔を繕うので、憂いに沈んだ表情は気づかれずに済んだ。
ただ一人を除いて。
仙蔵の視線を感じた霧華はふにゃりと笑ってみせる。
「そんなに本気で考えなくても。私なら一人でも大丈夫。だから、心配しないで」
「霧華」
「じゃあ、私はそろそろ戻るね。打ち合わせもあまり遅くならないようにね」
仙蔵の呼び止める声にも構わず、ひらりと手を振ってそのまま部屋から霧華は去っていった。
戸の閉められた音。遠ざかる足音。室内は静まり返る。
やがて夜の静寂が再び訪れた。
「夜食が豆腐っておばちゃんから聞いた時は正気かなと思ったわけですよ」
霧華は五年生の忍たま長屋に訪れていた。
久々知と書かれた木札の部屋に運び込んだのは四人分の湯豆腐。そこに薬味を添えて。
土鍋を見て目を輝かせたのは火薬委員会委員長代理の久々知兵助のみであった。
『明日は予算会議なのよ。だから最終打ち合わせで夜食を頼む子が多くてね』
その話を聞いたのは夕食の提供を終え、後片付けの最中であった。
ご飯釜にはいつもより飯が多めに余っている。これを見て首を傾げた霧華におばちゃんがそう言ったのだ。
おにぎりに漬物を添えた夜食。このセットが常なのだが、ある委員会だけ夜食の内容に指定変更があった。
それが久々知兵助が委員長代理を務める火薬委員会である。
「有難うございます葉月さん。みんな、夜食が来たから休憩しよう」
「はーい」
「土鍋まだ熱いから気をつけてね」
「わかりました」
火薬委員会の人数は現時点で四人。他の委員会と比べ、人数が少ない上に上級生は兵助とタカ丸の二人のみ。
つい先日タカ丸が編入してきたのでこの人員になったが、つい最近までは下級生二人と兵助だけの構成であった。
人出が足りなくて困っていると顧問のぼやきを霧華は聞いたことがある。火薬の取り扱いは慎重に行わなければいけないとかで。
「他の委員会はおにぎりだったんだけど、本当に豆腐で良かったの君たち」
「久々知くんがそれと言ったので」
「冷奴じゃないので百歩譲って良しとします」
「まだこの時期、夜は冷え込みますもんねぇ」
委員長代理の決定に誰も抗わない。ある意味統率が取れてもいる。
久々知兵助は豆腐料理を好むだけに留まらず、自分で手作りの豆腐を拵えるというのだから驚きだ。
土鍋から豆腐を小鉢に分けるため、蓋を摘まみ上げようとした霧華の手を兵助が制した。
「あとは自分たちでやりますので。葉月さん他の委員会にもまだ夜食を届けるんでしょう?」
「うん。あとは作法委員会の所で終わり」
「遅くまでお疲れ様です」
「みんなもね。明日の予算会議頑張って。あんまり夜更かししないようにね」
湯豆腐が入った器を手に伊助が欠伸を一つ。それに釣られて三郎次も眠そうな欠伸を漏らす。大きな欠伸だ。
揃った返事も実に眠そうなものであった。
「君たちは自分の部屋に戻る時躓いて転ばないようにね」
「だいじょーぶですよ。葉月さんじゃあるまいし」
「霧華さんこそ気をつけてくださいねぇ」
「逆に気を使われちゃった。うん、気をつけるね」
じゃあと別れの挨拶と共にひらりと手を振り、霧華は五年長屋を後にした。
次の目的地は六年長屋の潮江、立花の部屋。
向かう先を確かめ、霧華は暗がりの廊下を進んでいった。
直ぐその先で小さな不運に見舞われることになるとはこの時は未だ知らず。
それは霧華が五年長屋を出てから間もなくのことであった。
仙蔵は作法委員会の人間を自室に呼び、他の委員会と同じく明日の予算会議に向けて最終の打ち合わせをしていた。
この場に集まった顔ぶれは喜八郎、藤内、そして委員長である仙蔵の三人。
学園長先生の生首フィギュア――不気味な化粧。つまり、目力が強く唇も赤々と強調されているそれを脇へ置いた仙蔵は戸を見やる。
それと同時に「失礼しまーす」と声――ややくたびれている。
「どうぞ」
最初は穏やかに応じた仙蔵であったが、戸が開いた次には「どうしたんだその格好は」と目を丸くした。
霧華の衣服には草がついていた。襟から袖まであちこちにだ。
草刈りをしたばかりの芝生でごろごろ寝転んだのかと思えるほどの量である。
「実はさっきそこの曲がり角で伊作くんと鉢合わせちゃって。ぶつかった拍子に向こうが抱えてた薬草のカゴがこう、ばさぁっとね」
「頭から薬草の雨を被ったんですか。……なんと言うか、その」
「不運ですよね葉月さんって」
「喜八郎」
藤内が言い難そうに飲みこんだ言葉を喜八郎がすかさず補填した。
それを嗜めた仙蔵の咳払いが一つ、二つと。
「転ぶよりはマシかなって。おにぎりにも布巾被せてたから薬草被ってないし」
霧華は手元の布巾をそっと取り払う。
はらはらと薬草の一片が落ち、足元に着く頃には薄闇に紛れて見えなくなってしまった。
「転んでたらもっと悲惨なことになってましたね」
「そうなんだよ。プチ不運でもあるけどプチラッキー。というわけで、お待たせしました夜食でーす」
「ああ、有難う。小休止としよう」
「はい」
「これ中身は何ですか?」
「梅干しと鰹節。梅干しは種取ってあるから。鰹節には醤油を少々垂らしてあるし、パサパサはしないと思う」
小ぶりのおにぎりが全部で六つ。それぞれワンセットにしてあると霧華は説明を述べた。
喜八郎がひょいと手を伸ばし、かぶりつく。もごもごしながら「梅干しだ」と言った。
「そういえば文次郎くんは? 同じ部屋だよね」
「あいつは会計室だ。我々も明日に備えて色々と準備をしている」
「仙蔵くんのお隣にいる不気味なフィギュアも関係してるの」
ゆらゆらと揺れ照らす灯明皿の明かり。これが不気味さを一層引き立てていた。
霧華は少なからずそれに恐怖を抱くも、一人ではないので何とか悲鳴を上げずにいられるというもの。
薄暗がりでコレと対面したら悲鳴を上げた後、その場にへたり込んでしまうだろう。
「これは学園長先生の生首フィギュアです」
「生首フィギュア……あっ! ほんとだこれ学園長先生の御顔だ。えっ、失礼すぎないこれ? バチバチに化粧されてるし」
「化粧自体はくノ一教室が施したものだ。まあ、これはこれで武器として役立つからこのままにしてある」
「武器とは」そう疑問符を打った霧華に仙蔵は「明日の予算会議は荒れるだろうからな」と笑みを浮かべてみせた。
「昨年の予算会議。それはもう見ものだったぞ」
「見もの」
「各委員会が予算決定に対し直談判する日だからな。各々抗議の仕方に特徴が現れる」
「僕たち作法委員会はこの生首フィギュアを使います」
「な、なるほど。……他の委員会は?」
「委員会によっては壊れた備品を投げつけ、これらを買う予算を寄越せと抗議する」
「……乱定剣って言うんだっけ、それ」
話を聞けば委員会活動中に壊れてしまったものを見せつけ、予算を認めさせるという算段だと言う。
しかし、体育委員会は例年活動中に"壊した"ものが多いそうだ。霧華はこの話に頷いた。体育委員会の活動量を見れば容易く想像できる。
「私が思ってる予算会議とだいぶ違うというか、実力行使系なんだね。見に行きたい気もするけど、ちょっと危なそう」
「遠目に見学する分には問題ないと思うが、何が起きるかわからんからな」
「去年の体育委員会凄かったですからね。……特に体育委員会委員長の凄み方が」
「あれはまさに夜叉だった」
藤内は目をすっと横へ逸らした。それは何か恐ろしいものを見たかのような表情で。
普段飄々とした態度を見せる喜八郎すら眉を顰め、口をへの字に曲げるのである。
しかも「夜叉」と称されたその人物。どれほどなのかと霧華の表情も険しくなる。
「まあ、兎に角。それだけ各委員会が本気で予算を奪いにいくという日だ」
「そうだね怖い。というか今、奪うって言った。……気が向いたら見学に行こうかな」
気が向いたら。霧華は言葉を繰り返した。
不運に巻き込まれやすい為、何も無いとは言い切れないのだ。
迂闊に近づきでもすれば、各委員会によって投げられた物がこちらへ向かって飛んでくる。
「ごちそうさまでした。おにぎり美味しかったです」
喜八郎はいつの間にかぺろりとおにぎり二つを平らげていた。
これに慌てた藤内が口いっぱいにおにぎりを詰め込む。
「はい、お粗末さま。あ、藤内くん慌てて食べなくていいよ」
「ふぁい」
「皿は後で私が片付ける。我々のことは気にせずに戻ってくれ」
「ありがと。……喜八郎くん、どうかした?」
喜八郎は視線をじっと霧華に注いでいた。
気になることでもあるのか、何か言いたげな表情。瞬きすら控えたその眼差し。見つめられていると穴が空いてしまいそうであった。
「いえ。ところで立花先輩」
「なんだ」
「葉月さんを長屋まで送っていった方が良いのでは。葉月さんは不運だし、どこかで転んで穴にでも落ちたら朝になるまで発見されませんよ」
「まるで未来予知みたいに言わないで喜八郎くん」
「強ち否定できんな」
「えっ酷い。私そんなに?」
ごくんとご飯を飲み込んだ藤内が頷いた。
「ほらやっぱり」と喜八郎から声が上がる。
「もう常に立花先輩と行動を共にした方が良いですよ。その方が罠にかかる頻度もぐっと減りますし。朝起きた時から夕方寝るまでずっと付き添ってもらってください」
「……それはもう保護者だな」
「保護者」
仙蔵は腕を胸の前で組み、視線を少しだけ落とす。真剣に考える様な眼差しだ。
「私も付き添ってやりたいのは山々だが」
「いや、そこまで真剣に考えなくても。私だって四六時中面倒見てもらうわけにいかないし」
はたと、霧華は口を噤んだ。
笑いながら話していた口元をきゅっと結び、目を軽く伏せる。
しかしそれが彼らの目に留まるより先に笑顔を繕うので、憂いに沈んだ表情は気づかれずに済んだ。
ただ一人を除いて。
仙蔵の視線を感じた霧華はふにゃりと笑ってみせる。
「そんなに本気で考えなくても。私なら一人でも大丈夫。だから、心配しないで」
「霧華」
「じゃあ、私はそろそろ戻るね。打ち合わせもあまり遅くならないようにね」
仙蔵の呼び止める声にも構わず、ひらりと手を振ってそのまま部屋から霧華は去っていった。
戸の閉められた音。遠ざかる足音。室内は静まり返る。
やがて夜の静寂が再び訪れた。
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