番外編 其の二

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始まりの


 過ぎ去りし学び舎でのひと時を思わせるような時間であった。
 今春、忍術学園を卒業した桜木清右衛門と若王寺勘兵衛はかつての後輩たちに囲まれていた。

 野山は紅に彩られ、空は高く晴れ渡る。
 此度ドクタケ勢力から土井半助を取り戻した。長い夜が明けたのである。
 方々戦いの中で怪我を負った者も多数いるが、誰一人として欠けることなく帰還。
 その帰路に着く途中で潜入班、足止め班が合流。そこで先代の六年生である清右衛門と勘兵衛は現六年生、五年生たちと話をする場を設けたのであった。

「卒業後の行動範囲は」
「依頼はどのように受けるのか」
「拠点は何処を目安とするのか」
「此度のプロ忍との戦いはどうであったか」
 
 此等の質問に答える二人を囲む六年生たちは皆、真剣な顔で耳を傾けた。
 来春、桜が散り始める頃に彼等は卒業を迎える。
 忍びはあらゆる情報が要となる生業。
 各勢力、情勢、物資の流れ、流行り。全てが己を生かす術に繋がるのだ。
 卒業生二人は可能な限り後輩たちにそれを与えようとした。

 後輩に囲まれて会話に興じるのも久方ぶりである。
 話す中身は今回や仕事だけではなく、学園内での出来事も含む。
 ひとつ思い出話にも花が咲き始めると、その延長線上にある人物の名前が挙がった。

「どうした仙蔵。浮かない顔をして」文次郎が急に押し黙った同室にそう声を掛けた。
「ああ、いや。……暫くまともに顔を合わせていなかったから、心配しているだろうと思ってな」

 仙蔵が思い浮かべたであろう人物の顔。
 彼らはその娘の顔を直ぐに思い浮かべた。卒業生二人を除いて。

「そうだな。あの人、結構心配性なところがあるし。戻ったら直ぐに顔見せに行った方がいいぞ、仙蔵」
「脇をつつくな文次郎。それとニヤつくな」
葉月さんと一番仲良いのはお前だろうが」
「もそ」
「よし、学園に帰ったら全員で霧華に顔を見せに行こう!」
「伊作は気をつけろよ。その顔と髪を見たら卒倒するかもしれん」
「これはもう仕方ないよ」

 此度の件で伊作は長い髪を半分以上も失ってしまった。それが身代わりになったと言えばあの人も納得はするだろう。泣かれることには変わりないが。伊作は短くなった後ろ髪を触りながらそう話した。

 この話に清右衛門と勘兵衛は互いの顔を見る。自分たちが知らぬ人間がどうやら学園にいるようだ。
 先の会話からではこの春からその人物が学園に居るという情報しか得られない。
 きょとんとする二人に小平太は「ああ」と明るい声で続けた。

「実はこの春ぐらいに人が来まして。その者は食堂でおばちゃんの手伝いをしております」
「そうなのか。それならおばちゃんも少しは楽になっておられるのだろうな。腰が痛く困る日も少なくなかったのだし」
「ああ、代わりに町へ買い出しに行ったり、荷運びを手伝ったりもした」

 野菜や米を乗せた荷車をよく引いたものだ。
「ありがとうねぇ」とニコニコ笑う顔。二人は共通の思い出を胸に浮かべ、温かな表情にその顔が包まれた。

「小平太、その人はもう学園には馴染まれたのかい」
「ええ、すっかり。少々ワケ有りの娘ですが、この時代にも慣れてきたのか問題なく過ごしておりますよ」
「ワケ有り?」
「……この時代?」
「色々と事情がありまして。簡潔に述べますと、未来からやってきた娘です」
「未来から」
「やってきた」

 この七松小平太という後輩は細かいことを気にしない男である。
 ワケ有りの事情をこうも簡単に述べられても、だ。それも嘘偽り、騙す素振りも全くない様子で。
 しかもこの特殊な事態をこの場にいる後輩たちは全員受け入れている模様。
 困惑に満ちた表情をするのは卒業生である勘兵衛と清右衛門ばかりであった。

「……そんな御伽草子のようなことが。あるというのか」
「お前たちはその話を信じていると」
「ええ。会えばわかると思いますが、霧華は嘘を吐けるような人間ではありませんので。そうだ、桜木先輩も顔を知っているはずです」

 青天の霹靂とはまさにこのこと。
 予想だにしない言葉が清右衛門の目を丸くさせた。
 その様な類い稀なる人物に会ったことがあるというのならば、確実に憶えているはずだ。
 しかし記憶の中には該当者どころか、そんな話すら聞いたことがないのである。
 清右衛門は顎を擦った。細い眉を眉間に寄せて。

「小平太。本当に面識があるのか? 心当たりが全くないのだが」
「はい。まあ、一年も前のことですから無理もありません。我々体育委員会が裏裏山へランニング中に出逢った娘です。桜木先輩が熊から助けた」

 そこまで聞いたところで、すとんと記憶の欠片が天から降ってきた。
 空いていた穴に寸分違わずにそれが嵌められたのだ。

 あれは桜木清右衛門がまだ六年生として忍術学園に在籍していた年のこと。
 体育委員会の後輩を連れ、裏裏山を駆けていた。
 そこで熊に襲われかけていた娘と邂逅したのだが、その時点で何かワケ有りの様子であったことを清右衛門は思い出した。
 しかし、不思議なことにその娘は忽然と消えてしまった。跡形もなく、まるで最初からそこにはいなかったように。
 残されたのは後輩が拵えた竹の湯呑み一つ。
「もしや、幽霊だったのでは」そう零したのが最早誰かは憶えてはいないが、それを聞いて顔を青ざめた者は多かった。

 狐に化かされたのではないか。
 そんな話を同級生と交わしたことも清右衛門は思い出す。
 ちらと隣を窺えば「あの時話していた」と目が合う。同室であった友は妙に複雑な表情を携えていた。
 この反応に清右衛門の口元がゆっくりと綻んだ。

 溢れた笑みをそのままに「小平太」と後輩の名を呼ぶ。

「あの時の娘さんは、元気にしているんだな」
「はい。少々不運な所はありますが、問題なく生活を。料理の腕もめきめきと上達していますよ」
「そうか。それは何よりだ」

 恐らくは杞憂も消え去ったのだろう。
 少なくとも今の彼女は思い詰めた暗い表情はしていない。
 小平太の話しぶりからしてそれが窺えた。

「桜木先輩。気になるようでしたら今度学園に是非いらしてください。きっと霧華も喜びますよ」

 何せ命の恩人だからと小平太は胸を張っていた。
 その傍らでは「仙蔵、霧華さんが熊に襲われかけたって聞いたことあったか」「いや。そもそも一人で外に出歩くなと伝えてあるのだが」不思議そうに顔を顰める文次郎と仙蔵の姿。

 清右衛門は再びちらと隣に視線を送った。
 そこでは「摩訶不思議だ」と勘兵衛が未だ眉間に皺を寄せている。
 この様子では揃って学園に顔を出すのは難しいかと考えていたのだが「良いんじゃないか」と快い答え。

「俺も気になる。幽霊でも狐でもなく、時代を越えてきた人間だと言うのなら話を聞く価値はありそうだ」
「そうだな。今度二人で伺うとするよ」



 土井半助の日常を取り戻してから早数日。
 山の紅葉も色を一層濃く染めた頃、桜木清右衛門と若王寺勘兵衛は母校を訪れた。
 学園の門番に名を記した入門票を戻し、直ぐ二手に別れた。

 時代を越えてきたという娘。
 その娘に会いに今日は学園に立ち寄ったのだが、勘兵衛は先に図書室へ寄る用事を優先した。
 それを止める権限は清右衛門にはない。
 ならば自分も委員会の後輩たちに会いに行くか。新しい一年生が体育委員会に入ったとも聞いていたので、その顔を見に行くのも悪くないだろう。

 さて、彼らは今何処にいるだろうか。
 学園のどこかで塹壕を掘り進めているか。
 それとも裏裏山までランニングを。
 町へ課外活動という線も捨てきれぬ。
 闇雲に探し歩いては時間を潰すだけ。行き先を知る者に尋ねるのが吉である。

 後輩と入れ違いになるのを避けるべく、清右衛門は運動場へと足を向けた。
 そこで遊ぶ一年生か二年生に声を掛ければわかるだろう。

 と、考えていたのだが。
 放課後を報せる鐘はとうに鳴り響いたはず。
 それだと言うのに生徒たちの姿は見当たらない。中には補習授業を泣く泣く受けている者、真面目に予習復習を怠らない者もいるであろう。
 少しばかり歩いてようやく見つけた二年生の姿。しかし彼は清右衛門に気づくことなく去っていく。その小さな背には大きな籠が背負われていた。籠の中身は溢れんばかりの薬草。野山から戻ってきた保健委員はこれから医務室で作業を行うようだ。

 突然、校舎二階から「教えたはずだー!」という声が降ってきた。
 それは教室内にいる生徒に向けて発せられたもの。予想通り補習授業を受けている生徒が数名いる。
 頭上を仰いだ清右衛門は微笑を浮かべた。

 かさり。落ち葉を踏む音が不意に耳へと届いた。
 音のした方を見やれば、校舎脇に生えた木の側に娘が一人いた。
 小袖に割烹着を纏う年若い娘。紅葉した桜を見上げるその横顔に見覚えがある。
 あの時の娘さんだ。一目で確信を得た清右衛門は声を掛けようとしたのだが、前触れもなく娘がその場に腰を屈めた。

 その娘――葉月霧華は紅葉で落ちた葉を一枚ひょいと摘まみあげ、葉柄の部分を持ってくるくると回転させていた。
 何が面白いとかいう理由も特段なく、ただくるくると葉を回し、木を見上げる。

「どうかされましたか」
「んー。どうもしないけど、この桜の木だけ紅葉が遅いなぁって思ってたの。ほら、他の木はとっくに色付いて葉が落ちてるのに」

 少し前、学園を囲む山々は美しい紅や黄に染められていた。
 その見頃はとっくに過ぎ、今やはらはらと葉を落として冬の支度を整えている。
 しかし、この一本の木だけは未だ美しい紅を枝に纏っていた。

「ああ、そうですね。昔からこの木だけは紅葉がどうも遅いようでして」
「へぇー。日当たりの関係かな、それとも気温。どっちにしろ紅葉が長く楽しめていいよね。それに桜の木は四季折々楽しめるし。春は桜が咲いて、夏は青々とした葉を茂らせる。秋はこうして綺麗な赤に染まって、厳しい冬を越したら薄紅の桜が咲く」

 日本列島は縦に長く、地域によって桜の開花時期がずれ込む。
 南から次第に上昇していく桜の開花日を結んだものを桜前線と呼ぶんだよ。
 二つ先の季節に想いを馳せた霧華は柔らかい笑みを浮かべていた。
 暖かい陽射しのような笑顔だ。

「いいよね、桜ってさ」

 霧華は閑談相手の方にふわりと笑い掛けた。
 と、直後ぴたりとその表情のまま固まってしまった。
 無理もない。知っている生徒だと思い込んで話をしていたつもりでいたのだ。
 はらりと霧華の手から葉が落ちた。

「すっ、すみません! てっきり生徒だと思って。私、知らない人にずっと話し掛け……あっ、でも知ってる人。知ってる人ですよね?」

 早口でわあわあと喋った後、霧華はふらりと傾いた身体を支えるべく地面に手をついた。
 そして慌てて立ち上がり、手の泥を掃い落とす。

「落ち着いてください。私もここの生徒でしたから、強ち間違いでは。それに、顔を覚えていてくださって嬉しい限りです」

 人の印象は服装でだいぶ変わるものだ。
 山中で会った時は深緑色の制服を身に纏っていたが、今は常の服――浅緑色に薄紅の桜花弁をあしらったものを纏う。
 それでも「見覚えのある顔だ」と言ってくれたことに今回だけは満更でもなかった。
 一度会っただけ。大勢の民衆に紛れ、その記憶はとうに薄れていると思っていたのだから。

「桜木さん、ですよね。小平太くんたちの一つ上で、前体育委員会委員長の」
「桜木清右衛門と言います」
「……桜木さんに桜のことを語ってたとか恥ずかしすぎる」

 穴があったら入りたいと霧華は消え入るような声で呟いた。
 気まずさに顔を染めた霧華は下方に俯き、口をへの字に曲げる。

 随分と表情がくるくると変わる娘だ。
 かつて浮かべていた哀の色。それが今ではどこにも見当たらない。
 無邪気で朗らか。これが本来の性分なのだろう。
 清右衛門はやおら微笑んだ。

「お元気そうで何よりです。……何せ忽然と姿を消されたので。その後どうされたのかと気掛かりでしたから」
「あ……すみません。その節は熊から助けていただいて、本当に有難うございました。その、自分でもよくわからないんですけど。気がついたら元の場所に戻っていたというか」
「それは一年先の忍術学園という解釈で間違いはないかな」

 清右衛門にそう尋ねられた霧華の目は点となった。
 細い指を顎に当て、暫し考え込む。
 この桜木という男は自分が抱えた複雑な事情を少なからずは知っている。おおよそのことを小平太たちから聞いているのだろう。
 それならば複雑な事情を話しても良いかと頷いてみせた。

「俄かには信じてもらえないと思うんですけど。私、数百年先の未来からこの時代に転がり込んできてしまって。この学園でお世話になってる葉月霧華です。よろしくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします。食堂でおばちゃんの手伝いをしていると聞いています」
「……因みにどの程度聞いてます?」

 時代を超えてきた娘がいる。
 これ以上の詳しい話を後輩たちから聞くには時間が限られていた。
 先述した内容に加え、自分は一年前に会ったことがあると。
 その程度だと清右衛門は答えた。

「ああ、後は少し不運だとも聞いたよ」
「不運。まあ、うん。……否定は出来ない」

 競合地域である学園内に仕掛けられた罠。霧華はそれらに尽く引っ掛かるのだ。
 生徒が仕掛けた物には必ず印が側にあるのだが、彼女が通る際は風で飛ばされた後であったり、見つけたその瞬間に罠が発動してしまう。
 これを聞いた生徒たちは閉口し「不運過ぎる」と心の内で嘆く。
 清右衛門も例に漏れず。苦笑いを密やかに浮かべた。

「まあ、引っ掛かったら大体誰かが助けてくれるのでそこは有り難いです。あと今日はまだ何も引っ掛かってません」
「それは良かった」

 胸を張って誇らしげに笑う仕草に釣られ、清右衛門も笑い返した。
 葉月霧華という娘は本当に表情が豊かである。

「……あの、何か?」
「いえ。あの時は随分と哀しそうにされていたので」
「ああ、うん。そうですね。知ってる人たちなのに、向こうは私のこと知らないんだって気づいた途端に色々怖くなっちゃったんです」 

――何者だ。怪しい奴め。

 疑惑の目を一度向けられでもしたら。
 肺の底まで石を詰め込まれたように息が出来なくなりそうだった。
 そう、怯えていたと霧華は心情を語った。
 伏せられた睫毛は小刻みに震えていた。
 かと思いきや、パッと顔を上げて笑う。少し困り気味に。

「あの後、菜園の側に座り込んでたんです。服も割烹着も泥だらけだったからおばちゃんにびっくりされちゃって。滝夜叉丸くんと四郎兵衛くんにはお化けでも見たみたいな顔されたし」
「ああ、それには心当たりがあります。あの二人は葉月さんが消えた後に幽霊だったのではないかと怯えておりまして」 
「……なるほど。どこからどう見ても生身の人間だったと思うんだけど。足もあったし……今、笑いました?」

 話の傍らで清右衛門はくすりと笑みを一つ零してしまった。
「これは失礼」と非礼を詫びるも、童子のように拗ねた顔を見てまたも笑いそうになるのを堪えた。

「小平太も同じようなことを言っていたので」
「あー……小平太くんには「元気そうで何よりだ!」って肩をばんばん叩かれました。痛かった」
「相変わらずだな小平太は。後できつく言っておきましょう」

 柔らかく笑んだその顔に何処となく募る危機感。怒らせてはいけない部類の人だと此処で霧華は改めて感じたのであった。

「お、お手柔らかに。……あ、そういえば。桜木さんは学園に何か用事があって来られたんですよね。小平太くんたちの様子でも?」
「いえ。今日は貴女に会いに来ました」

 足元で渦巻く風に枯れ葉が躍る。
 ゆっくりと二度霧華が瞬く間にそれは桜の下に転がっていった。

「あれはまるで狐に抓まれたかのような出来事。その行く末をこうして見定めることができた。貴女のことを知る人々の元へ戻れたこと。……それで充分だった筈が、色々と話を聞いてみたくなって」
「……あんまり面白い話、できませんよ?」
「先程の雑学も興味深いものでしたよ。私の友人もああいった話は気に入るかと」
「さっきの話は忘れてください。お願いします」

 気まずそうに目を横へ逸らした霧華の頬が紅葉に染まる。
 この赤々と燃える桜の紅葉の様に。
 これに清右衛門は柔らかく笑うのであった。
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