番外編
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女子に禁句
「あれ、霧華さん少し太りましたか?」
その一言が余計なものだと気づいた時には既に遅かった。
霧華さんは喜怒哀楽のうち二つの表情を交互に浮かべたと思えば、くるりとぼくに背を向けて走り去ってしまう。廊下の暗がりに吸い込まれるようにしてその背は消えてしまった。
火薬委員会の為に用意された夜食。人数分のおにぎりと漆の椀。「おにぎりだけじゃ足りないだろうから」ってついさっき笑顔を浮かべていた。その笑みを消してしまった。態々運んできてくれたというのに。
ぼくはお盆を受け取ったまま立ち尽くしていた。廊下の先は暗くてよく見えない。
「あーあ」という背後から先輩たちの声が聞こえた。
わかってる。さっきのぼくの一言が禁句だってことぐらい、わかってるさ。
「三郎次くん、女の子に体重のこと言っちゃダメだよ」
「あの顔は結構傷ついたんじゃないのか」
「三郎次先輩はいつも一言多いんですから」
大袈裟なまでに溜息を吐く伊助をぼくは睨みつけた。
うるさいなぁ。つい口から出ちゃったんだから、しょうがないだろ。
今夜は火薬委員会の集まりの日。
夕飯と湯あみを済ませた後、亥の刻に久々知先輩の部屋に集合。同室の尾浜先輩は夜間自主訓練で不在らしい。
ぼくたち火薬委員会の活動場所は主に焔硝蔵だ。でも、そこは火気厳禁だし夜間は冷える。だからこうして上級生の部屋や空き教室を借りて会議をする。それが会計室の隣だった時は潮江先輩の怒鳴り声がよく聞こえてきた。
委員会会議は顧問の先生や先輩方の都合で夜になることが多い。そうなるとどうしても小腹が空いてくるから、夜食を食堂に頼む機会も多くなる。
これは昼間に伊助が人数分の夜食を頼んだもの。恐らく伊助は「おにぎり四人前お願いします!」とだけ言ったんだろう。「素うどんオマケしてくれるなんて霧華さん優しい」と喜んでいたから。
「せっかく霧華さんが気を利かせてくれたのに、三郎次先輩ったら」
やれやれと首を振る伊助に苛立ちを覚えてしまう。
ほんの少し、ほんとに少しだけふくよかになったんじゃないか。そう思っただけなんだ。容姿が醜くなったとか、そんなことは微塵もない。
「三郎次。早く中に入って戸を閉めてくれないか。夜風が入り込んできてみんな凍えてしまうよ」
「すみません」
うどんの汁がこぼれない様、そろりとお盆を運んでみんなの中央に下ろす。前に左近が夜食を乗せたお盆を盛大にひっくり返したみたいで。保健室の掃除で会議どころじゃなくなったと聞いた。
相変わらず不運だなぁとその時は笑い飛ばしたけど、決して他人事じゃない。さっきのことがあって、夜食を台無しにしたとなれば、二度と口を利いてくれなくなるかも。
お盆を無事に手放したぼくは部屋の戸を閉めようと膝を立てた。そこで久々知先輩に名を呼ばれる。
「三郎次は先に謝ってきた方がいいんじゃないか。葉月さんに」
「ええっ!」
あんなことを言った直後だ。顔を合わせるのは気まずすぎる。でも、先輩の言うことは正論だ。直ぐに謝った方がいいに決まってる。それはそう、だけど。
さっきの先輩方の言葉が頭に纏わりついて離れない。
つまるところ、女子に禁句。もしかしたらもう、嫌われてしまったかも。
タカ丸さんがふにゃりとした困り顔をぼくに向けた。
「謝るのが怖いのはわかるけど、今行かないとズルズル引きずっちゃうんじゃないかな。もしかしたら、口も利いてもらえなくなるかも」
「そ、それは嫌です!」
「そうだぞ。最悪、三郎次の定食に豆腐が出なくなってしまうかも」
「それはどうでもいいです」
今後一切ぼくの定食にだけ豆腐が出なくなるのはどうでもいい。豆腐はともかく、この先ずっと無視されてしまうかもと思うと、それだけは嫌だ。早く謝りに行かなきゃ。ぼくはぐっと口元を引き締めた。
「霧華さんならまだ食堂にいるんじゃないかな。後片付けとかあるだろうし」
「はい。会議中にすみません、すぐ戻りますから」
「早く戻ってこないと三郎次先輩の分も食べちゃいますからね」
「行ってらっしゃい三郎次くん」
先輩と生意気な後輩に見送られ、部屋を出る間際に「ぼくの分、ちゃんと残しておいてくださいよ!」と念を押した。それから戸をしっかりと閉め、ひんやりとした空気を纏う廊下を駆けだす。
日が長くなって、昼間の寒さがだいぶ和らいだ春の終わり。それでも夜はまだ寒さに震えることが多い。
冷たい風を切る月明かりの下、吐息が心なしか白く曇って見えた。
忍たま長屋から近道を使って食堂を目指す。道中、ぼくとしたことがツツジの低木を跳び越える際に裾を引っ掛けて転びそうになった。しかも、そのすぐ横には罠のサインが。小さな杭に繋がれた細い縄が木の枝に括りつけられている。その先に待ち受ける罠を回避できないんだろうな、左近は。
四年生のトラパーが仕掛けた罠を運良く回避したぼくは気を緩めずに進んだ。
食堂の明かりはまだ点いていた。水の音も聞こえる。
廊下からこっそり中を窺いみると、厨房にひとり霧華さんがいた。洗い場の片付けをしている。
どう声を掛けようか。普段通りに声を掛けて、応えてくれるだろうか。睨まれて無視をされるかもしれない。
とりあえず、洗い物が終わるタイミングを見計らおうか。いや、だめだ。あんまり先延ばしにしたら、それこそバツが悪い。
洗い終わった皿が一枚、また一枚と重なる音が耳に響く。悩むぼくに拍車を掛けるように。
その音が、不意に止む。
「誰かいるの?」
厨房から問われた不安げに揺れる声。
夜中に食堂を訪れる者といえば、盗み食いにくるヤツか曲者ぐらいしか考えられない。
余計な不安と恐怖を与えてしまったことにぼくは罪悪感を抱えた。以前、霧華さんはドクタケ忍者に攫われたことがある。その時は上級生に救出されて事無きを得た。
そりゃ、姿を見せずに様子を探ってる相手に警戒もするよな。
ぼくは顔が見える位置までぐっと食堂に足を踏み込んだ。
「すみません、ぼくです」
「三郎次くん? どうしたの」
満月のように目を丸めた霧華さんの視線がぼくを捉える。
逃げるなよ、余計なことを言うんじゃないぞ。
思っていたよりも嫌な反応が返ってこなかったことに安堵し、乾きかけた口を開いた。
「今、いいですか?」
「いいけど、どうしたの。夜食、足りなかった?」
「あ、いえ。そうじゃなくて。ええと、その……さっきはすみませんでした」
ぼくは勢い任せで頭をばっと下げた。
返ってくるのは沈黙か、はたまた罵声か。数秒後に聞こえたのはそのどちらでもなかった。
「なんだ、さっきのこと。別に気にしてないからいいよ」
朗らかに話す声が耳に届く。その声色に嫌悪や怒りとかは全く含まれていそうになかった。
恐る恐る顔を上げれば、穏やかに笑う霧華さん。その温容さに頭が下がる。
「本当にすみませんでした」
くノ一教室の連中と違うのはここだ。あいつらはこっちが頭を下げたって許してくれない。そればかりか報復される。
霧華さんはなんていうか、心が広い。大人の余裕ってやつなんだろうか。とにかく優しい人だと思う。
「まあ、ちょっと太ったのは事実だから」
手を止めていた霧華さんの指が頬を掻き、仕方なく笑う。
図星を指されて一度は怒っても、後に冷静な対応を見せる。できた人だよな。
「新作料理の味見を重ねてたら、つい。食べすぎちゃうんだよね」
「新作……どんな料理なんですか?」
「それは食堂のメニューに並んでからのお楽しみ。まだ人前に出せるほど完成してないからね」
このことも内緒だよ。そう言いながら霧華さんは人差し指を口元に当てて笑った。
悪戯を考えてる時のような表情にも思えたけど、単にこの人の場合はみんなをびっくりさせて、喜んでもらいたい方の気持ちが強いんだろうな。そういう人だから、霧華さんは。
「みんなには黙っておきますけど、その代わりに味見係を引き受けてもいいですよ。今日のお詫びも兼ねて」
「……それ、三郎次くんが得してない? まあ、いいけど、失敗作も食べさせちゃうぞ」
「大丈夫ですよ。霧華さんは食堂のおばちゃんの次に料理が美味しいし」
「うう……どことなくプレッシャー感じる。期待にお応えできるよう、頑張るね」
「楽しみにしてます。あ、そうだ。皿洗い手伝います。本当のお詫びとして」
懐から適当な紐を取り出し、袂が邪魔にならないよう手早くたすきを掛けた。それから厨房にお邪魔して洗い場の横に並んだ。
洗い終わった皿の側にある布巾を手に掴む。ところが、隣からの視線が気になって振り向くと霧華さんは感心したような目でぼくのこと見ていた。
「どうしたんですか」
「いや、みんなたすき掛け上手いよね。鮮やかすぎていつも見惚れちゃう。私未だになれなくてさ。急いでると自分の首絞める時あるんだよね」
「……むしろこれ出来ないと生活に困るレベルですよ。今度教えましょうか」
「ああ、助かるー! 今さら人に聞けなくてさ」
これも今さらだけど、霧華さんはこの時代の人じゃない。遥か未来を暮らしていた人だ。
その時代では和服の存在自体は残されているものの、畏まった場や人生の節目でぐらいしか袖を通さないらしい。南蛮の服ばかり着ているのかと聞いた時は「あんなに派手じゃないよ。もっと落ち着いた感じの。あと、ぴらぴらの襟は巻いてないから」と否定された。霧華さんが過ごした時代はどんな所だったのか、興味は尽きない。
「授業料前払いとして明日のご飯、ちょっとオマケしちゃうね」
「からあげ一個で手を打ちますよ」
「三郎次くんからあげ好きだよねー。よーし、それじゃお皿すぐ洗っちゃうね。まだ会議中なんでしょ?」
「急ぎ過ぎて皿割らないでくださいよ。一年ボーズみたいに」
「善処します」
「割ったんですね」
「お、おばちゃんには内緒で」
あたふたと顔色を変えた霧華さんがおかしくて、つい吹き出してしまった。
「じゃあ、からあげもう一個追加で」
「あれ、霧華さん少し太りましたか?」
その一言が余計なものだと気づいた時には既に遅かった。
霧華さんは喜怒哀楽のうち二つの表情を交互に浮かべたと思えば、くるりとぼくに背を向けて走り去ってしまう。廊下の暗がりに吸い込まれるようにしてその背は消えてしまった。
火薬委員会の為に用意された夜食。人数分のおにぎりと漆の椀。「おにぎりだけじゃ足りないだろうから」ってついさっき笑顔を浮かべていた。その笑みを消してしまった。態々運んできてくれたというのに。
ぼくはお盆を受け取ったまま立ち尽くしていた。廊下の先は暗くてよく見えない。
「あーあ」という背後から先輩たちの声が聞こえた。
わかってる。さっきのぼくの一言が禁句だってことぐらい、わかってるさ。
「三郎次くん、女の子に体重のこと言っちゃダメだよ」
「あの顔は結構傷ついたんじゃないのか」
「三郎次先輩はいつも一言多いんですから」
大袈裟なまでに溜息を吐く伊助をぼくは睨みつけた。
うるさいなぁ。つい口から出ちゃったんだから、しょうがないだろ。
今夜は火薬委員会の集まりの日。
夕飯と湯あみを済ませた後、亥の刻に久々知先輩の部屋に集合。同室の尾浜先輩は夜間自主訓練で不在らしい。
ぼくたち火薬委員会の活動場所は主に焔硝蔵だ。でも、そこは火気厳禁だし夜間は冷える。だからこうして上級生の部屋や空き教室を借りて会議をする。それが会計室の隣だった時は潮江先輩の怒鳴り声がよく聞こえてきた。
委員会会議は顧問の先生や先輩方の都合で夜になることが多い。そうなるとどうしても小腹が空いてくるから、夜食を食堂に頼む機会も多くなる。
これは昼間に伊助が人数分の夜食を頼んだもの。恐らく伊助は「おにぎり四人前お願いします!」とだけ言ったんだろう。「素うどんオマケしてくれるなんて霧華さん優しい」と喜んでいたから。
「せっかく霧華さんが気を利かせてくれたのに、三郎次先輩ったら」
やれやれと首を振る伊助に苛立ちを覚えてしまう。
ほんの少し、ほんとに少しだけふくよかになったんじゃないか。そう思っただけなんだ。容姿が醜くなったとか、そんなことは微塵もない。
「三郎次。早く中に入って戸を閉めてくれないか。夜風が入り込んできてみんな凍えてしまうよ」
「すみません」
うどんの汁がこぼれない様、そろりとお盆を運んでみんなの中央に下ろす。前に左近が夜食を乗せたお盆を盛大にひっくり返したみたいで。保健室の掃除で会議どころじゃなくなったと聞いた。
相変わらず不運だなぁとその時は笑い飛ばしたけど、決して他人事じゃない。さっきのことがあって、夜食を台無しにしたとなれば、二度と口を利いてくれなくなるかも。
お盆を無事に手放したぼくは部屋の戸を閉めようと膝を立てた。そこで久々知先輩に名を呼ばれる。
「三郎次は先に謝ってきた方がいいんじゃないか。葉月さんに」
「ええっ!」
あんなことを言った直後だ。顔を合わせるのは気まずすぎる。でも、先輩の言うことは正論だ。直ぐに謝った方がいいに決まってる。それはそう、だけど。
さっきの先輩方の言葉が頭に纏わりついて離れない。
つまるところ、女子に禁句。もしかしたらもう、嫌われてしまったかも。
タカ丸さんがふにゃりとした困り顔をぼくに向けた。
「謝るのが怖いのはわかるけど、今行かないとズルズル引きずっちゃうんじゃないかな。もしかしたら、口も利いてもらえなくなるかも」
「そ、それは嫌です!」
「そうだぞ。最悪、三郎次の定食に豆腐が出なくなってしまうかも」
「それはどうでもいいです」
今後一切ぼくの定食にだけ豆腐が出なくなるのはどうでもいい。豆腐はともかく、この先ずっと無視されてしまうかもと思うと、それだけは嫌だ。早く謝りに行かなきゃ。ぼくはぐっと口元を引き締めた。
「霧華さんならまだ食堂にいるんじゃないかな。後片付けとかあるだろうし」
「はい。会議中にすみません、すぐ戻りますから」
「早く戻ってこないと三郎次先輩の分も食べちゃいますからね」
「行ってらっしゃい三郎次くん」
先輩と生意気な後輩に見送られ、部屋を出る間際に「ぼくの分、ちゃんと残しておいてくださいよ!」と念を押した。それから戸をしっかりと閉め、ひんやりとした空気を纏う廊下を駆けだす。
日が長くなって、昼間の寒さがだいぶ和らいだ春の終わり。それでも夜はまだ寒さに震えることが多い。
冷たい風を切る月明かりの下、吐息が心なしか白く曇って見えた。
忍たま長屋から近道を使って食堂を目指す。道中、ぼくとしたことがツツジの低木を跳び越える際に裾を引っ掛けて転びそうになった。しかも、そのすぐ横には罠のサインが。小さな杭に繋がれた細い縄が木の枝に括りつけられている。その先に待ち受ける罠を回避できないんだろうな、左近は。
四年生のトラパーが仕掛けた罠を運良く回避したぼくは気を緩めずに進んだ。
食堂の明かりはまだ点いていた。水の音も聞こえる。
廊下からこっそり中を窺いみると、厨房にひとり霧華さんがいた。洗い場の片付けをしている。
どう声を掛けようか。普段通りに声を掛けて、応えてくれるだろうか。睨まれて無視をされるかもしれない。
とりあえず、洗い物が終わるタイミングを見計らおうか。いや、だめだ。あんまり先延ばしにしたら、それこそバツが悪い。
洗い終わった皿が一枚、また一枚と重なる音が耳に響く。悩むぼくに拍車を掛けるように。
その音が、不意に止む。
「誰かいるの?」
厨房から問われた不安げに揺れる声。
夜中に食堂を訪れる者といえば、盗み食いにくるヤツか曲者ぐらいしか考えられない。
余計な不安と恐怖を与えてしまったことにぼくは罪悪感を抱えた。以前、霧華さんはドクタケ忍者に攫われたことがある。その時は上級生に救出されて事無きを得た。
そりゃ、姿を見せずに様子を探ってる相手に警戒もするよな。
ぼくは顔が見える位置までぐっと食堂に足を踏み込んだ。
「すみません、ぼくです」
「三郎次くん? どうしたの」
満月のように目を丸めた霧華さんの視線がぼくを捉える。
逃げるなよ、余計なことを言うんじゃないぞ。
思っていたよりも嫌な反応が返ってこなかったことに安堵し、乾きかけた口を開いた。
「今、いいですか?」
「いいけど、どうしたの。夜食、足りなかった?」
「あ、いえ。そうじゃなくて。ええと、その……さっきはすみませんでした」
ぼくは勢い任せで頭をばっと下げた。
返ってくるのは沈黙か、はたまた罵声か。数秒後に聞こえたのはそのどちらでもなかった。
「なんだ、さっきのこと。別に気にしてないからいいよ」
朗らかに話す声が耳に届く。その声色に嫌悪や怒りとかは全く含まれていそうになかった。
恐る恐る顔を上げれば、穏やかに笑う霧華さん。その温容さに頭が下がる。
「本当にすみませんでした」
くノ一教室の連中と違うのはここだ。あいつらはこっちが頭を下げたって許してくれない。そればかりか報復される。
霧華さんはなんていうか、心が広い。大人の余裕ってやつなんだろうか。とにかく優しい人だと思う。
「まあ、ちょっと太ったのは事実だから」
手を止めていた霧華さんの指が頬を掻き、仕方なく笑う。
図星を指されて一度は怒っても、後に冷静な対応を見せる。できた人だよな。
「新作料理の味見を重ねてたら、つい。食べすぎちゃうんだよね」
「新作……どんな料理なんですか?」
「それは食堂のメニューに並んでからのお楽しみ。まだ人前に出せるほど完成してないからね」
このことも内緒だよ。そう言いながら霧華さんは人差し指を口元に当てて笑った。
悪戯を考えてる時のような表情にも思えたけど、単にこの人の場合はみんなをびっくりさせて、喜んでもらいたい方の気持ちが強いんだろうな。そういう人だから、霧華さんは。
「みんなには黙っておきますけど、その代わりに味見係を引き受けてもいいですよ。今日のお詫びも兼ねて」
「……それ、三郎次くんが得してない? まあ、いいけど、失敗作も食べさせちゃうぞ」
「大丈夫ですよ。霧華さんは食堂のおばちゃんの次に料理が美味しいし」
「うう……どことなくプレッシャー感じる。期待にお応えできるよう、頑張るね」
「楽しみにしてます。あ、そうだ。皿洗い手伝います。本当のお詫びとして」
懐から適当な紐を取り出し、袂が邪魔にならないよう手早くたすきを掛けた。それから厨房にお邪魔して洗い場の横に並んだ。
洗い終わった皿の側にある布巾を手に掴む。ところが、隣からの視線が気になって振り向くと霧華さんは感心したような目でぼくのこと見ていた。
「どうしたんですか」
「いや、みんなたすき掛け上手いよね。鮮やかすぎていつも見惚れちゃう。私未だになれなくてさ。急いでると自分の首絞める時あるんだよね」
「……むしろこれ出来ないと生活に困るレベルですよ。今度教えましょうか」
「ああ、助かるー! 今さら人に聞けなくてさ」
これも今さらだけど、霧華さんはこの時代の人じゃない。遥か未来を暮らしていた人だ。
その時代では和服の存在自体は残されているものの、畏まった場や人生の節目でぐらいしか袖を通さないらしい。南蛮の服ばかり着ているのかと聞いた時は「あんなに派手じゃないよ。もっと落ち着いた感じの。あと、ぴらぴらの襟は巻いてないから」と否定された。霧華さんが過ごした時代はどんな所だったのか、興味は尽きない。
「授業料前払いとして明日のご飯、ちょっとオマケしちゃうね」
「からあげ一個で手を打ちますよ」
「三郎次くんからあげ好きだよねー。よーし、それじゃお皿すぐ洗っちゃうね。まだ会議中なんでしょ?」
「急ぎ過ぎて皿割らないでくださいよ。一年ボーズみたいに」
「善処します」
「割ったんですね」
「お、おばちゃんには内緒で」
あたふたと顔色を変えた霧華さんがおかしくて、つい吹き出してしまった。
「じゃあ、からあげもう一個追加で」
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