番外編
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赤に惹かれた理由
赤、オレンジ、ピンク。鮮やかで色とりどりの化粧品が並んでいる。
町の路傍に広げられたベージュの絨毯。蓋が開いたトランクケースがそのままディスプレイになっている。チーク、アイシャドウ、口紅といったポイントメイクを中心とした化粧品。それを売りに来ている行商人が町に来ていた。
それらは私の目を留めるには充分すぎるラインナップだ。立ち寄った町を散歩している途中、偶然それを見つけてやや離れた場所で立ち止まった。本当ならすぐさま駆け寄って吟味したい所。そうしなかったのには理由がある。以前ボルカノさんから「行商は怪しい物もあるから気をつけろ」と釘を刺された。紛い物を掴まされるなよというお達しだ。唯でさえ貨幣価値が未だにしっくり来ないので、高いか安いかの判断が曖昧にしか出来ない。モウゼスを出てからは極力一人での買い物は避けている。だからといって今この場にボルカノさんを借り出す訳にもいかないし。宿屋で文献に目を通しているのを邪魔したくない。
物陰からさり気無く、探偵の様に行商人の様子を窺った。見た感じは普通の行商人だ。いかにも怪しい形相の人間ではない。客受けも良い。立ち話を数分する女性客もいる。なによりお客さんが結構来ていた。
通りすがりのご婦人方の会話でとある事が判明した。あの行商人はこの町に何度も足を運んでいる顔馴染みらしい。それなら安心だ。私は嬉々として行商人の彼の元へ向かう。女性客が数人いるタイミングを見計らい、客の一員として混ざり込むことに成功した。
こちらの世界では中々お目にかかれない化粧品の類。どうやら値段も手頃のようだ。同じ年代の女性が「良心的な値段で助かるのよね」と言っていたので間違いない。
私の手持ちはベースメイク、ポイントメイクは最低限揃えている。派手なメイクをする事は無くとも、アイシャドウで好きな色を瞼に乗せるとその日のテンションも上がる。化粧は嫌いな方じゃない。
行商人が揃えたラインナップは口紅が特に多い。赤、オレンジ、ピンク。それぞれ五種類ずつ色合いがある。例えば明るめのライトピンク、トーンを落としたピンクベージュなどの微妙な違いだ。この色の他にも青や紫があって「これは珍しい色だからおススメだよ。滅多に仕入れできないからね」とセールスをされたけど丁重にお断りした。どんなシーンで使えばいいのか私には全く思い浮かばない。
私が普段使いする色はピンクかオレンジだ。使い勝手のいい色で、どのシーンにも合わせやすいから。華やかな赤も気になるけど、どうしても派手になりそうで敬遠しがち。でもこれだけ色合いがあるのなら、私に合いそうな赤もあるかもしれない。
小皿に盛られたサンプルの紅を掬って左手の甲に短いラインを描く。自分の肌の色に合うか比べてみても、今一つピンとくる色がない。実際に唇に乗せてみればいいのだけど、何度も落とす手間があるからそれは避けていた。
私は口紅のケースをかわるがわる手に取っては眺め続ける。どれも素敵な色ばかりで迷っていた。自分が合うと思った色は他人から見た時とではまた印象が変わる。行商の見知らぬおじさんに「どんな色がいいですかね」と尋ねたとしても、どれも似合いますよと常套句を言われるに違いない。それならいっそ自分の好きな色を選んだ方がいいかな。
ピンクとオレンジで少し濃い色の口紅をピックアップし、両手に持ってどちらにしようか悩んでいるところだった。ふと視界の右端に鮮やかな赤がチラつく。それに釣られるように顔を動かせば、宿屋にいる筈のボルカノさんがそこに立っていた。
「帰りが遅いと思えば……化粧品の行商か」
そう言われて初めて時の流れに気づかされた。空が薄っすらと橙色に染まっている。こんなに時間が経っているとは思わなかった。さっきまで沢山居たお客さんは一人も残っていない。
「す、すみません!おじさんもごめんなさい。こんなに悩んで時間取らせちゃって」
「構わないよ。今日はこの町に泊まって明日の朝に出るつもりだからね。お嬢さんの気に入った色を見つけておくれ」
「ありがとうございます……ううーん」
例えそれがご好意だとしても早く選ばなければ。私は逸る気持ちを抑えながら両方の色を見比べた。焦れば焦るほどどっちがいいか分からなくなってくる。不意に手元を覗き込まれたので彼の方をちらりと見上げた。彼は下顎に手を当て、私の悩みの原因を直ぐに見極めたようだった。
「色で悩んでいるのか」
「はい。実は持ってたやつを失くしちゃって。どっかで落としたか忘れてきたと思うんですけど。口紅はあった方が良いしなあ……って。これだけ色があると悩んじゃうんです」
「……ふむ。その色よりも一つ明るい方がいいんじゃないか」
「え」
私が右手に掴んでいたピンク色の口紅を指す。その指でサンプルの小皿を示した。薄い桜色で私の好みでもあり、前に使っていた色と似ている。もしかして、私が普段引いていた口紅の色を覚えていたんだろうか。まさかそんなはずない。
「ボルカノさん……色のセンスあるんですか?」つい本音が漏れてしまった。だって、何かあれば「赤」という二文字を推してくる人だ。
赤毛の髪と同色の眉が顰められた。心外だと。
「失礼な。……君に似合いそうな色を挙げただけだ」
「……だって、やたらと赤を勧めてくる人ですもん。纏ってる服もそうだし。私が服選んでる時も赤勧めてきたじゃないですか」
それはこの世界の服に初めて着替えた時のことだ。無難な形で纏めていた私に対して「赤を取り入れた方がいい」としつこかった。赤いパンプス、赤いロングスカート、真っ赤な長袖ワンピース。どれも私の目には留まらなかった。結局、赤縁の大判ストールで妥協。それも今は手元に無いのだけど。
何でもかんでも赤であればいい。そういう感性の持ち主だと思っていた。それが真面目に私に合いそうな赤以外の色を挙げてくれたんだから驚きも隠せない。
「赤はオレの好む色だ」
「存じております。そうじゃなきゃ真っ赤な服を着て歩いてませんよね」
「……赤は嫌いか」
「いーえ。特段好きってわけでもないですけどね。最近は少し気になる色かなって程度です」
いつも隣を赤い人が歩いているせいか、もはや日常にその色が溶け込んでいる。珍しい色でもないのに気になるのはそういった理由だと思っていた。彼に感化されているのかもしれない。
彼が示した色でいいかな。これ以上悩んでいられない。二人に迷惑がかかってしまう。下手に色を変えるよりも無難な線でいこう。持っていた商品を元の場所へ戻し、桜色の口紅に手を伸ばそうとした。
しかし、彼が「それなら」とまたサンプルをざっと眺め始める。あの、もうこの色に決めたんですけど。
サンプルを見比べた彼の視線が一つの色に止まった。赤だ。やっぱり赤を薦めてくるんじゃないか。すると徐に白手袋を脱いで上着のポケットへ。顕わになった素手の小指の先に赤い紅を掬い取る。左手の甲はもう沢山ラインが引かれているので、逆の手を出そうとした私に「上を向け」と彼が言った。何だと思って顔を少し上に向けると、左頬を彼の手に固定される。見上げた視線の先に端整な顔。赤みを帯びた真剣な目つき。それにどきりとしたのも一瞬で、薄く開いていた唇に彼の指がすっと紅を引いた。
あまりにも突然の出来事だったので私は呆然と固まっていた。紅を引き終えた後もしばらくその目が私を見つめていた。やがて唇の両端を持ち上げて、笑う。間近で見た優しい笑みに頬が熱くなった。
「この控えめな赤の方が霧華に似合う。いくら手の甲に試したところで実際に塗ってみなければ……鏡で確かめないのか」
「え、あっ。はい!」
思わず見惚れていたなんて言える筈ない。私は慌てて設置されていた楕円形のお洒落な装飾鏡と向かい合う。その赤は派手になりすぎず、上品で落ち着いた色だった。浮いていなくていい。「いいですね。この赤気に入りました」と言えば鏡越しにまた彼が目を細めて笑った。さっきから心臓に悪いこの笑顔。
「そうか。ではこれを一つ」
「毎度あり」
「あ、自分で買います」
「オレが選んだ色を気に入ってくれた礼だ。贈らせてくれ」
そうこう言っている間に財布を出す暇もなく会計が済まされ、小さな紙袋に包まれた口紅を彼から渡される。何故だかそれがとても特別な物に思えた。
「あ、ありがとうございます。……大事にします」
「ああ。そろそろ宿に戻るぞ」
長い外套を翻した彼の後を追いかけていく。触れただけで分かる程、まだ顔に熱を帯びている。今が夕方で良かった。顔が赤いと言われても夕日のせいだと誤魔化せる。
最近になって私が赤を気にする理由はもしかして。彼に恋をしているのでは。
赤、オレンジ、ピンク。鮮やかで色とりどりの化粧品が並んでいる。
町の路傍に広げられたベージュの絨毯。蓋が開いたトランクケースがそのままディスプレイになっている。チーク、アイシャドウ、口紅といったポイントメイクを中心とした化粧品。それを売りに来ている行商人が町に来ていた。
それらは私の目を留めるには充分すぎるラインナップだ。立ち寄った町を散歩している途中、偶然それを見つけてやや離れた場所で立ち止まった。本当ならすぐさま駆け寄って吟味したい所。そうしなかったのには理由がある。以前ボルカノさんから「行商は怪しい物もあるから気をつけろ」と釘を刺された。紛い物を掴まされるなよというお達しだ。唯でさえ貨幣価値が未だにしっくり来ないので、高いか安いかの判断が曖昧にしか出来ない。モウゼスを出てからは極力一人での買い物は避けている。だからといって今この場にボルカノさんを借り出す訳にもいかないし。宿屋で文献に目を通しているのを邪魔したくない。
物陰からさり気無く、探偵の様に行商人の様子を窺った。見た感じは普通の行商人だ。いかにも怪しい形相の人間ではない。客受けも良い。立ち話を数分する女性客もいる。なによりお客さんが結構来ていた。
通りすがりのご婦人方の会話でとある事が判明した。あの行商人はこの町に何度も足を運んでいる顔馴染みらしい。それなら安心だ。私は嬉々として行商人の彼の元へ向かう。女性客が数人いるタイミングを見計らい、客の一員として混ざり込むことに成功した。
こちらの世界では中々お目にかかれない化粧品の類。どうやら値段も手頃のようだ。同じ年代の女性が「良心的な値段で助かるのよね」と言っていたので間違いない。
私の手持ちはベースメイク、ポイントメイクは最低限揃えている。派手なメイクをする事は無くとも、アイシャドウで好きな色を瞼に乗せるとその日のテンションも上がる。化粧は嫌いな方じゃない。
行商人が揃えたラインナップは口紅が特に多い。赤、オレンジ、ピンク。それぞれ五種類ずつ色合いがある。例えば明るめのライトピンク、トーンを落としたピンクベージュなどの微妙な違いだ。この色の他にも青や紫があって「これは珍しい色だからおススメだよ。滅多に仕入れできないからね」とセールスをされたけど丁重にお断りした。どんなシーンで使えばいいのか私には全く思い浮かばない。
私が普段使いする色はピンクかオレンジだ。使い勝手のいい色で、どのシーンにも合わせやすいから。華やかな赤も気になるけど、どうしても派手になりそうで敬遠しがち。でもこれだけ色合いがあるのなら、私に合いそうな赤もあるかもしれない。
小皿に盛られたサンプルの紅を掬って左手の甲に短いラインを描く。自分の肌の色に合うか比べてみても、今一つピンとくる色がない。実際に唇に乗せてみればいいのだけど、何度も落とす手間があるからそれは避けていた。
私は口紅のケースをかわるがわる手に取っては眺め続ける。どれも素敵な色ばかりで迷っていた。自分が合うと思った色は他人から見た時とではまた印象が変わる。行商の見知らぬおじさんに「どんな色がいいですかね」と尋ねたとしても、どれも似合いますよと常套句を言われるに違いない。それならいっそ自分の好きな色を選んだ方がいいかな。
ピンクとオレンジで少し濃い色の口紅をピックアップし、両手に持ってどちらにしようか悩んでいるところだった。ふと視界の右端に鮮やかな赤がチラつく。それに釣られるように顔を動かせば、宿屋にいる筈のボルカノさんがそこに立っていた。
「帰りが遅いと思えば……化粧品の行商か」
そう言われて初めて時の流れに気づかされた。空が薄っすらと橙色に染まっている。こんなに時間が経っているとは思わなかった。さっきまで沢山居たお客さんは一人も残っていない。
「す、すみません!おじさんもごめんなさい。こんなに悩んで時間取らせちゃって」
「構わないよ。今日はこの町に泊まって明日の朝に出るつもりだからね。お嬢さんの気に入った色を見つけておくれ」
「ありがとうございます……ううーん」
例えそれがご好意だとしても早く選ばなければ。私は逸る気持ちを抑えながら両方の色を見比べた。焦れば焦るほどどっちがいいか分からなくなってくる。不意に手元を覗き込まれたので彼の方をちらりと見上げた。彼は下顎に手を当て、私の悩みの原因を直ぐに見極めたようだった。
「色で悩んでいるのか」
「はい。実は持ってたやつを失くしちゃって。どっかで落としたか忘れてきたと思うんですけど。口紅はあった方が良いしなあ……って。これだけ色があると悩んじゃうんです」
「……ふむ。その色よりも一つ明るい方がいいんじゃないか」
「え」
私が右手に掴んでいたピンク色の口紅を指す。その指でサンプルの小皿を示した。薄い桜色で私の好みでもあり、前に使っていた色と似ている。もしかして、私が普段引いていた口紅の色を覚えていたんだろうか。まさかそんなはずない。
「ボルカノさん……色のセンスあるんですか?」つい本音が漏れてしまった。だって、何かあれば「赤」という二文字を推してくる人だ。
赤毛の髪と同色の眉が顰められた。心外だと。
「失礼な。……君に似合いそうな色を挙げただけだ」
「……だって、やたらと赤を勧めてくる人ですもん。纏ってる服もそうだし。私が服選んでる時も赤勧めてきたじゃないですか」
それはこの世界の服に初めて着替えた時のことだ。無難な形で纏めていた私に対して「赤を取り入れた方がいい」としつこかった。赤いパンプス、赤いロングスカート、真っ赤な長袖ワンピース。どれも私の目には留まらなかった。結局、赤縁の大判ストールで妥協。それも今は手元に無いのだけど。
何でもかんでも赤であればいい。そういう感性の持ち主だと思っていた。それが真面目に私に合いそうな赤以外の色を挙げてくれたんだから驚きも隠せない。
「赤はオレの好む色だ」
「存じております。そうじゃなきゃ真っ赤な服を着て歩いてませんよね」
「……赤は嫌いか」
「いーえ。特段好きってわけでもないですけどね。最近は少し気になる色かなって程度です」
いつも隣を赤い人が歩いているせいか、もはや日常にその色が溶け込んでいる。珍しい色でもないのに気になるのはそういった理由だと思っていた。彼に感化されているのかもしれない。
彼が示した色でいいかな。これ以上悩んでいられない。二人に迷惑がかかってしまう。下手に色を変えるよりも無難な線でいこう。持っていた商品を元の場所へ戻し、桜色の口紅に手を伸ばそうとした。
しかし、彼が「それなら」とまたサンプルをざっと眺め始める。あの、もうこの色に決めたんですけど。
サンプルを見比べた彼の視線が一つの色に止まった。赤だ。やっぱり赤を薦めてくるんじゃないか。すると徐に白手袋を脱いで上着のポケットへ。顕わになった素手の小指の先に赤い紅を掬い取る。左手の甲はもう沢山ラインが引かれているので、逆の手を出そうとした私に「上を向け」と彼が言った。何だと思って顔を少し上に向けると、左頬を彼の手に固定される。見上げた視線の先に端整な顔。赤みを帯びた真剣な目つき。それにどきりとしたのも一瞬で、薄く開いていた唇に彼の指がすっと紅を引いた。
あまりにも突然の出来事だったので私は呆然と固まっていた。紅を引き終えた後もしばらくその目が私を見つめていた。やがて唇の両端を持ち上げて、笑う。間近で見た優しい笑みに頬が熱くなった。
「この控えめな赤の方が霧華に似合う。いくら手の甲に試したところで実際に塗ってみなければ……鏡で確かめないのか」
「え、あっ。はい!」
思わず見惚れていたなんて言える筈ない。私は慌てて設置されていた楕円形のお洒落な装飾鏡と向かい合う。その赤は派手になりすぎず、上品で落ち着いた色だった。浮いていなくていい。「いいですね。この赤気に入りました」と言えば鏡越しにまた彼が目を細めて笑った。さっきから心臓に悪いこの笑顔。
「そうか。ではこれを一つ」
「毎度あり」
「あ、自分で買います」
「オレが選んだ色を気に入ってくれた礼だ。贈らせてくれ」
そうこう言っている間に財布を出す暇もなく会計が済まされ、小さな紙袋に包まれた口紅を彼から渡される。何故だかそれがとても特別な物に思えた。
「あ、ありがとうございます。……大事にします」
「ああ。そろそろ宿に戻るぞ」
長い外套を翻した彼の後を追いかけていく。触れただけで分かる程、まだ顔に熱を帯びている。今が夕方で良かった。顔が赤いと言われても夕日のせいだと誤魔化せる。
最近になって私が赤を気にする理由はもしかして。彼に恋をしているのでは。
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