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信愛を込めて
フィリアは登り馴れた階段をトントンと上がっていく。七階まで続く長い階段は自分が元居た世界と殆んど変わりがなかった。所々傷んだ材木はその箇所だけ真新しく艶のある手摺に取り替えられている。
最上階まで登りきるが、一つも息を乱さない。
この話をして「日頃の賜物だ」と驚いたのは一人だけ。朱鳥術士二人には「それくらい剣士ならば当たり前だ」と口を揃えられたことがある。普段はいがみ合うこともしばしばあるというのに、こういった時ばかりは歩調が合うのだからおかしいものだ。
彼らは来ているのだろうか。最近は霧華に関した依頼を受けていないが、上手く事が運んでいるのか。
そんなことを一つ二つ、思い返しながらフィリアはドアノブに手をかけた。それが完全に下がる僅か数ミリ手前でぴたりと動きを止める。
部屋の中から少し苛立つ声が聞こえた。
「何故そういうことを今になって話す」
「まあまあ、いいじゃないですかボルカノさん。協力しましょうよ」
第一声の主はどちらのボルカノだろうか。並行世界の朱鳥術士との付き合いもそれなりに長くはなってきた。両者をよく観察すると、仕草や表情に僅かな違いがある。話し方も何となく違いはあるのだが、それは視覚を伴って分かること。今の様に声だけでは判断材料が少なすぎて、フィリアはどちらのボルカノか分からずにいた。但し、続いて霧華の声がしたのであちらのボルカノの可能性がある。
「私達でよければ喜んで!」
「勝手に決めるな。……まったく。君はいつもそうだ」
「お説教なら後で聞きます。今はとにかく急がないと。ね、ボルカノさん」
「ああ。……頼む」
一連の会話の最後に聞こえた声が自分のよく知る朱鳥術士だろう。どうやら一同がこの部屋に集っている。だが、フィリアの手はそのまま固まったままであった。息を潜め、会話の流れを汲み取ろうとするが、部屋の中から聞こえてきた楽しそうな笑い声にそっと手をドアノブから放した。そのまま音を立てないようドアの前から離れ、踵を返す。床板が静かに軋んだが、この程度であれば気づかれない。
自分が踏み込んではいけない。そんな気分に囚われたフィリアはこれ以上の立ち聞きも、敢えてドアを開けることも躊躇った。
フィリアは頭に纏わりつくもやもやとした物を振り払いながら階段を下りていった。下りだというのに足取りが重く感じる。
塔の半分ほどを下りたあたりで、軽快な足音が階下から聞こえてきた。その足音の主とは踊り場で出くわし、フィリアはその若い青年を見て目を丸くする。見慣れない顔ではあるが、ローブの形と色には覚えがある。この館の主である朱鳥術士の弟子が着ているものだ。
鮮やかな金髪を持つ青年はフィリアを見て茶色の双眼を細めた。
「どーも。えーと……フィリアさん、でしたっけ」
「貴方は?」
「ボルカノ様の自慢の弟子、フェイルと申します。霧華さんが知ってる方のね」
「……ああ、そういえば」
霧華の話に度々登場していたボルカノの弟子。特徴が一致しているので彼のことなんだろうとフィリアは頷いた。
こうして実際に顔を合わせるのは初めてだが、にこりと笑うその表情から底抜けに明るい雰囲気を漂わせた好青年に思えた。
「ボルカノ様、上にいました? えーと、こっちの方の。二人も居るとややこしいなホント」
「ええ。二人とも、霧華さんも一緒にいましたよ」
「そっか。……じゃあ、あんま邪魔したら悪いかもな。出直すか……あ、そうだ」
フェイルはポンと手を打ち、フィリアの顔をじっと見つめた。
「ここで会ったのも何かの縁だし、術についてフィリアさんの話を聞きたいんですけど」
「私の?」
「貴女は朱鳥術と玄武術を扱うとお伺いしていたので。どのように相反する術を身に着けたのか興味があって。ほら、術士として参考にしたいなあと思いましてね」
「別に、構わないけど。……でも、確か貴方は朱鳥よりも月術の方が得意だと聞いてます」
それはお互いの弟子の話になった時のこと。向こうのボルカノが、自分の弟子には朱鳥よりも月術に長けている者がいると話していた。その時の表情は複雑なもので、自分の教え方が悪いのかと零していた。
フェイルの視線がついと横へ逸れる。聞いていた弟子の話は紛れもなく彼のことだとフィリアは確信した。
「図星ね」
「……ハハッ。そりゃあボルカノ様の弟子なんだから、朱鳥術はそれなりに。……まあ、人には得手不得手があるワケで」
「まあいいわ。今日は暇だし」
「え、ホントにいーんですか? じゃあ、下のロビーで。お茶はオレが淹れますんで」
パッと顔を綻ばせた様子にフィリアは既視感を覚えた。柔和で愛嬌のある笑み。その様は元居た世界の彼の弟子にも居た気がする。フェイルは天術が得意だと聞いているので、自分が居た世界では朱鳥術士の弟子ではなく、また別の人生を歩んでいるに違いない。
◇◆◇
やはりボルカノの弟子は熱心な者が多い。フェイルと言葉を交わしていたフィリアはそう感じていた。第一印象としては礼儀正しい所もあるのだが、日常的な会話となればくだけた話し方をする。だが、術の話となると真剣な表情を見せていた。やはり弟子は師に似るものだ。
地術の定義、相反する術同士の結合、天術との合成は可能か否か。軽い論議を交わすうち、いつの間にかティーポットは空になっていて一時間程の時が経過していた。
「フィリアさん今日はありがとうございます。すげータメになりました。今度実際にフィリアさんの術、見せてくださいよ」
フェイルはカウンター裏のキッチンで何やら作業をしていた。それが少々時間のかかるものだったので、聞けば茶葉を変えたのでティーポットを洗っていたと話す。
「機会があれば、ね」
その機会が訪れるかは分からないが、面と向かって嫌とは答えられない。どちらともなく当たり障りのない答えを返し、お茶請けのクッキーにフィリアは再度手を伸ばした。が、やはり食感は良くない。形が違うクッキーをそれぞれ摘まんできたが、どれも粉っぽさが残っている。誰が焼いたのか。少なくとも霧華ではないだろう。他に考えられる人物はボルカノだが、彼がこんな手の抜いた物を作るだろうか。だとすれば、彼の弟子のうち誰か。
ふっ、とフィリアが顔を上げると茶色の目と視線が合う。
「やっぱそれ、不味いですか」
「えっ。あ、……いや、味は美味しいですよ」
「お世辞はいいですよ。……やっぱ上手くいかないんだよなあ。教わった通りに作ってんのに」
聞けばこのレシピは霧華から教わったものだという。彼女が焼いたクッキーはフィリアも何度か口にしたことがある。差し入れとして焼いたものを二人によく持ってくるのだ。この焼き菓子とそれとは似ても似つかぬ食感。
軽い溜息を一つ吐き出したフェイルは自分が焼いたプレーンクッキーを摘まみ上げた。
「霧華さんの焼いたクッキー、オレ好きなんですよ。美味いし、……なんて言うか優しい味がして懐かしくて」
「私もです。この間のお花見でアップルパイを頂いたんですけど、とても美味しかったです。香ばしくてサクサクで、しっとり甘い……どうかしました?」
あの時のアップルパイは本当に美味しかった。そう話すフィリアにニコニコと笑みを見せるフェイル。片腕で頬杖をつき、緩んだ口元で「いーえ」と上機嫌に返していた。
「フィリアさんがそう話してくれて、嬉しいなーと思いまして」
「……そういえば、霧華さんってどうして無償でお菓子を提供してくれるんでしょう。自分が好きでやってるからとは聞いたことありますけど」
「んー……単にお世話になってるからとかそういう理由じゃないですかね。でも大体は何となくだろうけど」
「何となくって」
「若しくは、自分ができることはそれぐらいしか無いと考えてるのかもれない。……前に本人の口から聞いたことあるんですよ。自分も術を使えたら、って。でもそれが難しいから自分にできる限りのことを……そう、考えてるのかもしれないですね」
戦う術を持たない一般人だ。かつて向こうのボルカノがそう話していたことをフィリアは思い出した。
頬杖をついた彼の弟子は眉尻を下げて笑う。
「でも結構危なっかしいことするんで、放っておけないんですよね。……それに、オレやボルカノ様にとって恩人みたいなもんだし」
ボルカノと霧華の話は何かの折で聞いた気もするが、詳細までは知らずにいた。どういう出逢いを果たし、縁があったのか。フィリアもボルカノも気にはなっているのだが。向こうのボルカノからの「聞くな」という圧が強い為に聞けずにいる。「知られたくない事の一つや二つ誰にでもある」とこちらのボルカノも深追いはするなとフィリアに諭していた。
足音が聞こえてきた。上階から階段を下りてくる足音が一つ。三人のうち、誰かが下りてきたのだろう。つい先刻に立ち聞きしていた事がバレていないだろうか。フィリアはなみなみと注がれた紅茶のカップを持ち上げ、平静を取り繕おうとした。
ロビーに下りて来たのはボルカノだった。ボルカノは小さなお茶会へ目を留め、二人の顔を順に見る。
「お疲れ様でーす」
「……お前も来ていたのか」
「ええ、先ほど着いたところで。ボルカノ様が霧華さんとお話し中だったみたいで、邪魔しちゃ悪いかなーと」
「余計な気は使わんでいい。……フィリア」
フィリアが持つティーカップがかたりと音を立てた。ソーサーにそれをゆっくりと置き、普段通りの返事をする。ボルカノの表情を見る限り、動揺は伝わっていないようだとほっと息を吐く。
「頼みたいことがある。上まで来てもらいたい」
「分かりました。また霧華さん絡みの依頼ですか?」
「ボルカノ様、そんなこと頼んでるんですか? あんまパシってたら嫌われますよ」
「……フェイル。お前には後で話がある。そこで待機していろ」
「分かりました。お説教は短めでお願いしまーす」
ボルカノの後に続いて階段を上る途中、この二人のやり取りに些かフィリアは驚いていた。何と軽いものか。弟子の軽口を許しているのは元々なのだろうか。
先程よりも足取りが重い。普段は気にも留めない気圧の微々たる変化に息が詰まりそうだとフィリアは感じていた。
「あの、ボルカノさん」
「なんだ」
歩みを少し緩めたボルカノがそう返事をする。顔は前を向いたままだ。どことなく、居たたまれない空気に喉がきゅっと締まりそうになる。
「用件、ここで聞けることなら」
「……来れば分かる。君が来なければ意味が無い」
上の部屋に足を踏み入れたくない一心でそう聞いたのだが、それは直ぐに却下されてしまう。自分が赴かなければならないのなら、仕方がない。そう割り切りながらもモヤモヤとした思いを抱いていた。
最上階の部屋に着いたボルカノはドアを開けずにその場で立ち止まった。ドアノブに手を掛けようともせず、ちらりとフィリアの方を振り返る。その表情は神妙なもので、普段見かけないようなものだ。
「君にとっては迷惑なことかもしれん。……だが、できれば彼等の気持ちも汲み取ってもらいたい」
「……はい? 一体、何の話ですか」
全く話の意図が読み取れない。小首を傾げたフィリアだが、ボルカノは答えを返さずにドアへ向き直った。
「いいぞ」
ボルカノが一言そう呟いた後、ドアが内側に開け放たれた。同時に小気味よい破裂音が二つ、その場に鳴り響いた。
何事かと咄嗟にフィリアは飛び退き、愛剣へ手をかける。が、空中にひらひらと小さな正方形の紙が舞うのが目に映った。そして、部屋の入口に霧華とフェイルの姿。二人の手には小さな三角錐の筒が握られていた。
「フィリアさん、お誕生日おめでとー!」
ひらひらと小さな紙切れが舞う中、フィリアは呆然としていた。何やら二人は「サプライズ大成功!」などと会話をしているが、思考が止まりかけていたフィリアの頭にはまだ入ってこない。それについ先程まで下のロビーで話していた相手もいる。まるで瞬間移動のようだ。と、考えた所でようやくこの館の特殊構造を思い出したのである。
「何を呆けている。早く入れ」
部屋の中に仁王立ちで構えているもう一人のボルカノが声をかけてようやく時が動き出した。弾かれたようにフィリアは返事をし、ゆっくりと部屋の中へ踏み入る。
室内の様子が普段とかなり変わっていた。窓枠や壁のあちこちに色紙で作られた赤と白の花が飾られている。テーブルには真っ白なクロスが掛けられ、そこには大きなケーキが乗っていた。皿やグラスなどの食器は五人分揃えてある。
白い生クリームで覆われたケーキの表面に真っ赤なイチゴが飾り付けられ、アイシングの文字で「ハッピーバースデー」と共にフィリアの名前が描かれていた。
「これ、……えっ、どういうことですか」
「どうもこうもない。……フィリア、今日はお前がこの世に生を受けた日だ。……日を間違えたか?」
「ま、間違ってないです。今日は、私の誕生日、です」
恥ずかしながら自分の誕生日を忘れていたなんて言えるはずもない。しかし完全に忘れていたわけではない。日が近づくにつれもうすぐ歳を取るのかと思ってはいた。だが、目まぐるしく過ぎる此処での生活に流され、気がつけばという感じだった。
自身がそうだというのに、周囲の人間は忘れずに覚えていた。いつかの会話の断片にこの月の日が誕生日だと話した記憶はある。それは本当にすぐ忘れてしまうような会話の流れだったので、まさかボルカノが覚えていたとは努々思うまい。
彼が覚えていてくれた。それだけで涙腺がぐっと緩みそうになるというのに。控えめに差し出された長方形の箱と言葉が拍車をかける。
「この間、偶然見つけた物を加工してみた。……お前が気に入る物かは分からんが、受け取ってほしい」
細い赤のリボンをほどいて開けた箱の中には色濃く輝く、自分の髪色と同系色のピンクのアクリルストーンをあしらったアクセサリーが納められていた。
「おめでとう、フィリア」
◇◆◇
「ケーキ、ビスケットを土台にしてるんです」
「えっ、全然そんな風に見えない」
「なにせ突然頼まれたから。スポンジ焼く時間もないし。すぐ手に入るものでって急いで買ってきたんですよ。フェザーシールって役にたちますね」
「……フェイルさんは私を足止めするために?」
「廊下で物音が聞こえたから、もしかしたらってそっちのボルカノ様が。で、モウゼスから離れられたら呼び戻すのに時間かかるって言うんで……こっちのボルカノ様に頼まれて引き留めたんですよ」
「最初私が行きましょうかって言ったんですけどね」
「霧華ではすぐばれる。怪しまれて事も思い通りに進まなくなってしまう」
「……そっちのボルカノさんがヒドイこと言う」
「すまんがフォローはできん」
「ボルカノさんもヒドイ!」
「そういえば、ドアの前で破裂した小さな三角のあれは?」
「クラッカーっていうやつらしーですよ。霧華さんのアイディアでボルカノ様方が作成したんです」
「へえ……火薬も使い方によってはああいう演出もできるんですね」
フィリアは登り馴れた階段をトントンと上がっていく。七階まで続く長い階段は自分が元居た世界と殆んど変わりがなかった。所々傷んだ材木はその箇所だけ真新しく艶のある手摺に取り替えられている。
最上階まで登りきるが、一つも息を乱さない。
この話をして「日頃の賜物だ」と驚いたのは一人だけ。朱鳥術士二人には「それくらい剣士ならば当たり前だ」と口を揃えられたことがある。普段はいがみ合うこともしばしばあるというのに、こういった時ばかりは歩調が合うのだからおかしいものだ。
彼らは来ているのだろうか。最近は霧華に関した依頼を受けていないが、上手く事が運んでいるのか。
そんなことを一つ二つ、思い返しながらフィリアはドアノブに手をかけた。それが完全に下がる僅か数ミリ手前でぴたりと動きを止める。
部屋の中から少し苛立つ声が聞こえた。
「何故そういうことを今になって話す」
「まあまあ、いいじゃないですかボルカノさん。協力しましょうよ」
第一声の主はどちらのボルカノだろうか。並行世界の朱鳥術士との付き合いもそれなりに長くはなってきた。両者をよく観察すると、仕草や表情に僅かな違いがある。話し方も何となく違いはあるのだが、それは視覚を伴って分かること。今の様に声だけでは判断材料が少なすぎて、フィリアはどちらのボルカノか分からずにいた。但し、続いて霧華の声がしたのであちらのボルカノの可能性がある。
「私達でよければ喜んで!」
「勝手に決めるな。……まったく。君はいつもそうだ」
「お説教なら後で聞きます。今はとにかく急がないと。ね、ボルカノさん」
「ああ。……頼む」
一連の会話の最後に聞こえた声が自分のよく知る朱鳥術士だろう。どうやら一同がこの部屋に集っている。だが、フィリアの手はそのまま固まったままであった。息を潜め、会話の流れを汲み取ろうとするが、部屋の中から聞こえてきた楽しそうな笑い声にそっと手をドアノブから放した。そのまま音を立てないようドアの前から離れ、踵を返す。床板が静かに軋んだが、この程度であれば気づかれない。
自分が踏み込んではいけない。そんな気分に囚われたフィリアはこれ以上の立ち聞きも、敢えてドアを開けることも躊躇った。
フィリアは頭に纏わりつくもやもやとした物を振り払いながら階段を下りていった。下りだというのに足取りが重く感じる。
塔の半分ほどを下りたあたりで、軽快な足音が階下から聞こえてきた。その足音の主とは踊り場で出くわし、フィリアはその若い青年を見て目を丸くする。見慣れない顔ではあるが、ローブの形と色には覚えがある。この館の主である朱鳥術士の弟子が着ているものだ。
鮮やかな金髪を持つ青年はフィリアを見て茶色の双眼を細めた。
「どーも。えーと……フィリアさん、でしたっけ」
「貴方は?」
「ボルカノ様の自慢の弟子、フェイルと申します。霧華さんが知ってる方のね」
「……ああ、そういえば」
霧華の話に度々登場していたボルカノの弟子。特徴が一致しているので彼のことなんだろうとフィリアは頷いた。
こうして実際に顔を合わせるのは初めてだが、にこりと笑うその表情から底抜けに明るい雰囲気を漂わせた好青年に思えた。
「ボルカノ様、上にいました? えーと、こっちの方の。二人も居るとややこしいなホント」
「ええ。二人とも、霧華さんも一緒にいましたよ」
「そっか。……じゃあ、あんま邪魔したら悪いかもな。出直すか……あ、そうだ」
フェイルはポンと手を打ち、フィリアの顔をじっと見つめた。
「ここで会ったのも何かの縁だし、術についてフィリアさんの話を聞きたいんですけど」
「私の?」
「貴女は朱鳥術と玄武術を扱うとお伺いしていたので。どのように相反する術を身に着けたのか興味があって。ほら、術士として参考にしたいなあと思いましてね」
「別に、構わないけど。……でも、確か貴方は朱鳥よりも月術の方が得意だと聞いてます」
それはお互いの弟子の話になった時のこと。向こうのボルカノが、自分の弟子には朱鳥よりも月術に長けている者がいると話していた。その時の表情は複雑なもので、自分の教え方が悪いのかと零していた。
フェイルの視線がついと横へ逸れる。聞いていた弟子の話は紛れもなく彼のことだとフィリアは確信した。
「図星ね」
「……ハハッ。そりゃあボルカノ様の弟子なんだから、朱鳥術はそれなりに。……まあ、人には得手不得手があるワケで」
「まあいいわ。今日は暇だし」
「え、ホントにいーんですか? じゃあ、下のロビーで。お茶はオレが淹れますんで」
パッと顔を綻ばせた様子にフィリアは既視感を覚えた。柔和で愛嬌のある笑み。その様は元居た世界の彼の弟子にも居た気がする。フェイルは天術が得意だと聞いているので、自分が居た世界では朱鳥術士の弟子ではなく、また別の人生を歩んでいるに違いない。
◇◆◇
やはりボルカノの弟子は熱心な者が多い。フェイルと言葉を交わしていたフィリアはそう感じていた。第一印象としては礼儀正しい所もあるのだが、日常的な会話となればくだけた話し方をする。だが、術の話となると真剣な表情を見せていた。やはり弟子は師に似るものだ。
地術の定義、相反する術同士の結合、天術との合成は可能か否か。軽い論議を交わすうち、いつの間にかティーポットは空になっていて一時間程の時が経過していた。
「フィリアさん今日はありがとうございます。すげータメになりました。今度実際にフィリアさんの術、見せてくださいよ」
フェイルはカウンター裏のキッチンで何やら作業をしていた。それが少々時間のかかるものだったので、聞けば茶葉を変えたのでティーポットを洗っていたと話す。
「機会があれば、ね」
その機会が訪れるかは分からないが、面と向かって嫌とは答えられない。どちらともなく当たり障りのない答えを返し、お茶請けのクッキーにフィリアは再度手を伸ばした。が、やはり食感は良くない。形が違うクッキーをそれぞれ摘まんできたが、どれも粉っぽさが残っている。誰が焼いたのか。少なくとも霧華ではないだろう。他に考えられる人物はボルカノだが、彼がこんな手の抜いた物を作るだろうか。だとすれば、彼の弟子のうち誰か。
ふっ、とフィリアが顔を上げると茶色の目と視線が合う。
「やっぱそれ、不味いですか」
「えっ。あ、……いや、味は美味しいですよ」
「お世辞はいいですよ。……やっぱ上手くいかないんだよなあ。教わった通りに作ってんのに」
聞けばこのレシピは霧華から教わったものだという。彼女が焼いたクッキーはフィリアも何度か口にしたことがある。差し入れとして焼いたものを二人によく持ってくるのだ。この焼き菓子とそれとは似ても似つかぬ食感。
軽い溜息を一つ吐き出したフェイルは自分が焼いたプレーンクッキーを摘まみ上げた。
「霧華さんの焼いたクッキー、オレ好きなんですよ。美味いし、……なんて言うか優しい味がして懐かしくて」
「私もです。この間のお花見でアップルパイを頂いたんですけど、とても美味しかったです。香ばしくてサクサクで、しっとり甘い……どうかしました?」
あの時のアップルパイは本当に美味しかった。そう話すフィリアにニコニコと笑みを見せるフェイル。片腕で頬杖をつき、緩んだ口元で「いーえ」と上機嫌に返していた。
「フィリアさんがそう話してくれて、嬉しいなーと思いまして」
「……そういえば、霧華さんってどうして無償でお菓子を提供してくれるんでしょう。自分が好きでやってるからとは聞いたことありますけど」
「んー……単にお世話になってるからとかそういう理由じゃないですかね。でも大体は何となくだろうけど」
「何となくって」
「若しくは、自分ができることはそれぐらいしか無いと考えてるのかもれない。……前に本人の口から聞いたことあるんですよ。自分も術を使えたら、って。でもそれが難しいから自分にできる限りのことを……そう、考えてるのかもしれないですね」
戦う術を持たない一般人だ。かつて向こうのボルカノがそう話していたことをフィリアは思い出した。
頬杖をついた彼の弟子は眉尻を下げて笑う。
「でも結構危なっかしいことするんで、放っておけないんですよね。……それに、オレやボルカノ様にとって恩人みたいなもんだし」
ボルカノと霧華の話は何かの折で聞いた気もするが、詳細までは知らずにいた。どういう出逢いを果たし、縁があったのか。フィリアもボルカノも気にはなっているのだが。向こうのボルカノからの「聞くな」という圧が強い為に聞けずにいる。「知られたくない事の一つや二つ誰にでもある」とこちらのボルカノも深追いはするなとフィリアに諭していた。
足音が聞こえてきた。上階から階段を下りてくる足音が一つ。三人のうち、誰かが下りてきたのだろう。つい先刻に立ち聞きしていた事がバレていないだろうか。フィリアはなみなみと注がれた紅茶のカップを持ち上げ、平静を取り繕おうとした。
ロビーに下りて来たのはボルカノだった。ボルカノは小さなお茶会へ目を留め、二人の顔を順に見る。
「お疲れ様でーす」
「……お前も来ていたのか」
「ええ、先ほど着いたところで。ボルカノ様が霧華さんとお話し中だったみたいで、邪魔しちゃ悪いかなーと」
「余計な気は使わんでいい。……フィリア」
フィリアが持つティーカップがかたりと音を立てた。ソーサーにそれをゆっくりと置き、普段通りの返事をする。ボルカノの表情を見る限り、動揺は伝わっていないようだとほっと息を吐く。
「頼みたいことがある。上まで来てもらいたい」
「分かりました。また霧華さん絡みの依頼ですか?」
「ボルカノ様、そんなこと頼んでるんですか? あんまパシってたら嫌われますよ」
「……フェイル。お前には後で話がある。そこで待機していろ」
「分かりました。お説教は短めでお願いしまーす」
ボルカノの後に続いて階段を上る途中、この二人のやり取りに些かフィリアは驚いていた。何と軽いものか。弟子の軽口を許しているのは元々なのだろうか。
先程よりも足取りが重い。普段は気にも留めない気圧の微々たる変化に息が詰まりそうだとフィリアは感じていた。
「あの、ボルカノさん」
「なんだ」
歩みを少し緩めたボルカノがそう返事をする。顔は前を向いたままだ。どことなく、居たたまれない空気に喉がきゅっと締まりそうになる。
「用件、ここで聞けることなら」
「……来れば分かる。君が来なければ意味が無い」
上の部屋に足を踏み入れたくない一心でそう聞いたのだが、それは直ぐに却下されてしまう。自分が赴かなければならないのなら、仕方がない。そう割り切りながらもモヤモヤとした思いを抱いていた。
最上階の部屋に着いたボルカノはドアを開けずにその場で立ち止まった。ドアノブに手を掛けようともせず、ちらりとフィリアの方を振り返る。その表情は神妙なもので、普段見かけないようなものだ。
「君にとっては迷惑なことかもしれん。……だが、できれば彼等の気持ちも汲み取ってもらいたい」
「……はい? 一体、何の話ですか」
全く話の意図が読み取れない。小首を傾げたフィリアだが、ボルカノは答えを返さずにドアへ向き直った。
「いいぞ」
ボルカノが一言そう呟いた後、ドアが内側に開け放たれた。同時に小気味よい破裂音が二つ、その場に鳴り響いた。
何事かと咄嗟にフィリアは飛び退き、愛剣へ手をかける。が、空中にひらひらと小さな正方形の紙が舞うのが目に映った。そして、部屋の入口に霧華とフェイルの姿。二人の手には小さな三角錐の筒が握られていた。
「フィリアさん、お誕生日おめでとー!」
ひらひらと小さな紙切れが舞う中、フィリアは呆然としていた。何やら二人は「サプライズ大成功!」などと会話をしているが、思考が止まりかけていたフィリアの頭にはまだ入ってこない。それについ先程まで下のロビーで話していた相手もいる。まるで瞬間移動のようだ。と、考えた所でようやくこの館の特殊構造を思い出したのである。
「何を呆けている。早く入れ」
部屋の中に仁王立ちで構えているもう一人のボルカノが声をかけてようやく時が動き出した。弾かれたようにフィリアは返事をし、ゆっくりと部屋の中へ踏み入る。
室内の様子が普段とかなり変わっていた。窓枠や壁のあちこちに色紙で作られた赤と白の花が飾られている。テーブルには真っ白なクロスが掛けられ、そこには大きなケーキが乗っていた。皿やグラスなどの食器は五人分揃えてある。
白い生クリームで覆われたケーキの表面に真っ赤なイチゴが飾り付けられ、アイシングの文字で「ハッピーバースデー」と共にフィリアの名前が描かれていた。
「これ、……えっ、どういうことですか」
「どうもこうもない。……フィリア、今日はお前がこの世に生を受けた日だ。……日を間違えたか?」
「ま、間違ってないです。今日は、私の誕生日、です」
恥ずかしながら自分の誕生日を忘れていたなんて言えるはずもない。しかし完全に忘れていたわけではない。日が近づくにつれもうすぐ歳を取るのかと思ってはいた。だが、目まぐるしく過ぎる此処での生活に流され、気がつけばという感じだった。
自身がそうだというのに、周囲の人間は忘れずに覚えていた。いつかの会話の断片にこの月の日が誕生日だと話した記憶はある。それは本当にすぐ忘れてしまうような会話の流れだったので、まさかボルカノが覚えていたとは努々思うまい。
彼が覚えていてくれた。それだけで涙腺がぐっと緩みそうになるというのに。控えめに差し出された長方形の箱と言葉が拍車をかける。
「この間、偶然見つけた物を加工してみた。……お前が気に入る物かは分からんが、受け取ってほしい」
細い赤のリボンをほどいて開けた箱の中には色濃く輝く、自分の髪色と同系色のピンクのアクリルストーンをあしらったアクセサリーが納められていた。
「おめでとう、フィリア」
◇◆◇
「ケーキ、ビスケットを土台にしてるんです」
「えっ、全然そんな風に見えない」
「なにせ突然頼まれたから。スポンジ焼く時間もないし。すぐ手に入るものでって急いで買ってきたんですよ。フェザーシールって役にたちますね」
「……フェイルさんは私を足止めするために?」
「廊下で物音が聞こえたから、もしかしたらってそっちのボルカノ様が。で、モウゼスから離れられたら呼び戻すのに時間かかるって言うんで……こっちのボルカノ様に頼まれて引き留めたんですよ」
「最初私が行きましょうかって言ったんですけどね」
「霧華ではすぐばれる。怪しまれて事も思い通りに進まなくなってしまう」
「……そっちのボルカノさんがヒドイこと言う」
「すまんがフォローはできん」
「ボルカノさんもヒドイ!」
「そういえば、ドアの前で破裂した小さな三角のあれは?」
「クラッカーっていうやつらしーですよ。霧華さんのアイディアでボルカノ様方が作成したんです」
「へえ……火薬も使い方によってはああいう演出もできるんですね」