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Scarlet sage 1
バンガード市街地から北へ進んだ先の森に朱鳥術士の館がある。そこには三百年以上前から朱鳥術の発展に貢献をした一族が住んでいた。
その朱鳥術士が住む館から少し離れた所に墓所が設けられている。木々に囲まれ、陽光が射し込む。鳥が歌い、季節の花も咲くこの場所に歴代の当主とその家族が眠りについていた。
現当主である男は二人の子供を連れ、度々この場所を訪れていた。先祖の慰霊として足を運んでいたが、その意味合いが少しばかり変化したのは三年前の今日。彼の妻であり、子供達の母親が他界した日だ。
白い薔薇と赤いガーベラを交ぜた花束を抱えたフレイアは隣を歩く兄と他愛もない会話を広げていた。二卵性の双子なだけあり二人はよく似ている。表情や仕草は勿論、行動パターンまで似通っている。しかし好物や苦手な物は多少違うようで、片方が苦手とする物をもう片方が補うといった形で成長を遂げてきた。互いに支え合っているのだ。些細な兄妹喧嘩はあるものの、大きないざこざは今までに無い。「たった数分違いで生まれてきただけなのに。どっちが兄か妹かなんて決めては不公平だわ」そう説いた母親の賜物だろう。
三年前、目を真っ赤にするまで泣き腫らしていた。暫くの月日、悲しみに明け暮れていた二人だが、次第に心の傷に瘡蓋が覆ってきたのだろう。大切な人を失った悲しみが完全に癒えることは決して無い。ふとしたきっかけで剥がれ、また痛み出すもの。その頻度が時の経過も兼ね少しずつ減っていき、笑顔も次第に戻ってくることとなった。
未だ自分はこうして胸に空いた穴を埋められずにいる。それが羨ましくも思うと当主は二人の背を見つめていた。娘の横顔が妻に似てきたと目を細めながら。
程なくして墓所へ到着した彼等は墓前周囲の雑草を取り除き、風で転がった小石を集めて元の箇所へ戻した。全ての掃除を終えた頃には汗が額にじわりと浮かんでいた。
風雨による劣化が見られない墓石の前へ花束を供える。赤いガーベラは男の妻が生前好んでいた花だ。薔薇と共に庭で育てているもので、今はフレイアが世話をしている。
当主は鎮かに祈りを捧げた後、二人の肩に優しく手を置いた。
ふと、当主の目にある物が留まった。最前列の墓前に赤い花が供えられている。それは今日が初めてではない。隣同士に並ぶ墓前に一輪ずつ、赤いサルビアが風で飛ばされぬように重石がされていた。
「また花が供えられている。……一体誰が」
当主は独り言のようにぽつりと漏らした。
何年も前から同じ様にあの二人の墓前に供えられている、必ず赤いサルビアが。この辺では見ない花だ。
以前当主が彼等に尋ねても首を横へ振った。自分達は供えていないと。
「……赤いサルビア。確か、花言葉は」
「家族愛、知恵、尊敬。……きっと、誰かボルカノ様を慕っていた人じゃない?」
「そうそう。きっと、その…代々尊敬されているとか!」
「グレンの言う通り、特別思い入れがあったんじゃないかしら。後世まで尊敬の念を忘れずに…とか」
誰もその姿を見た事はない。だが、同一人物であろうという考えは同じだ。彼等の先祖であるボルカノは朱鳥術士として名を馳せ、弟子も大勢いたと聞いていた。そうであれば、一度顔を見てみたいと当主は一人頷く。
「一度会ってみたいものだな」
「えっ!?」
当主がそう呟けばグレンが驚いた様に声を上げた。
「何故そんなに驚くんだ。気にならないのか?どんな方がいらっしゃっているのか。ボルカノ様とどういう関係であったのかも…お前達も気になるだろう」
「べ、別に…俺は気にしてませんけど。なあ、フレイアもそうだろ」
態度が急変したグレンと違い、話を突如振られたフレイアは落ち着いた様子でいた。兄を一瞥し、特に興味は無いといった風に答える。
「そうね。今までに害は無かったんだし、私達の御先祖様を敬っている事実だけでいいんじゃない。そこまで気にすることじゃないと思うわ」
それから二人は互いに顔を見合わせ、同時に頷いてみせた。この兄妹は分かりやすい。感情が顔に出やすいグレン、それを補う様に平然と振る舞うフレイア。二人で嘘や隠し事をする時はこのように連携を組む。その癖をとうに見抜いていた当主は敢えて素知らぬふりをして「そうだな」と返した。
「……あの手帖、何が記されていたんだろうな」
「まだそのこと惜しんでるの?」
「だってさ、封印を施してまで閲覧を禁ずるなんて…重要なことが書かれているに違いない。それなのに手帖、父さんがボルカノ様にお返ししちゃったし。真相は分からず仕舞いだ」
軽く口を尖らせたグレンは父親の方を不満そうに見上げた。誰よりも先祖を敬う彼だ。総てを知りたいという気持ちが強いのだろう。
「元より手帖はあの方の所持品。例え子孫であろうと、暴かれたくないことの一つや二つはある。そう、誰にでもな」
当主は二人に向けて微笑んでみせる。それに対し、心当たりがあるのか二人は気まずそうに視線を逸らした。
サルビアの花が風に吹かれて静かに揺れている。
◇◆◇
私は文学に縁がある訳じゃない。文系、理数系どちらかと聞かれれば文系だ。でも、図書館で丸一日過ごせるかというと無理。せいぜい三時間程度が限界だ。そんな私がまさか六時間以上も居座ることになるとは思いもしなかった。しかもお昼抜きで。
図書館のエントランスから見た空は薄っすらと夕暮れ色に染まっていた。烏が連なって西の方へ悠々と飛んで行く姿も見られる。『夕方にカラスが連なって飛んでゆくのは、ねぐらに帰るからだよ』そう小さい頃に教えてもらったことをふと思い出した。
ぼんやりと外を見ながらエントランスのベンチで過ごす。一緒に来たボルカノさんはまだ本に齧りついている。彼の調べ物は閉館時間どころか、夜明けまでかかってしまうんじゃないだろうか。
調べたいことがあるから急遽図書館に行きたいと言い出した。特に用事も無いし、とりあえずついてきたけど。三百頁程の本を二冊も読んだら流石に身体中が凝り固まってしまう。それに目も疲れて焦点がぼんやりしている。
「霧華」
エントランスでうとうとしていた。そこに声を掛けられ、ハッと頭を上げる。声がした方を向くと、本の虫がいつの間にか戻ってきていた。彼の表情は少し曇りがちだ。
「調べもの終わったんですか?……すみません欠伸が」
「ああ。……待つ間、暇を持て余していたんじゃないのか」
「だいじょーぶですよ。私が好きでついてきたんだし、限度はあるけど本を読むことは好きですし。こーんなに分厚い本2冊も読みきったから達成感あります」
私が嫌みなくそう話せば彼の表情は少しだけ緩んだ。
「そうか。付き合わせてしまった詫びも兼ねて、今からではあるが…君の行きたい場所に付き合おう」
「あ、それじゃあ晩御飯の買出しに付き合ってください。もうお腹ペコペコですもん。ボルカノさんも流石にお腹空いてますよね」
「それならば外で食べた方が早いんじゃないか」
「さっきトマトの本っていう雑誌見つけて、チキンライスにトマトの角切り入れると食感も良くて美味しいっていう記事を読んだんです。やってみたいなあと」
二冊目の本を探してうろうろしていた時、表紙に描かれた何種類ものトマトが目に留まった。内容は主にトマトの種類や採れる地方の紹介。あとは食べごろのトマトの選び方やレシピも載っていた。その中でもオムライスがとても魅力的で。お腹がまた鳴りそう。
「そのチキンライスに卵をふわっとかけてオムライスにしようかなーって。美味しそうじゃないですか?」
「そうだな。…では君が空腹で倒れてしまう前に食料を調達しに行こう」
◇
図書館から市内の市場へ。夕飯時のせいか、多くの人で賑わっていた。
ヤーマスの夕暮れ時を彷彿とさせる。あの時はロビンに会えるかなと期待を抱きながら散策していた。今はバンガードに何か事件が起きれば、彼を筆頭に戦士達が駆けつけてくれるからとても頼もしい。
「野菜はトマトを買い足せばいい。肉は薫製のベーコンがある」
「じゃあそれを使います。あとはタマゴですね。大きさにもよるけど、一人二つがベストかな」
市場を歩きながら食材を広く扱ってる店の前で止まり、竹で編んだ籠に積まれたトマトとタマゴを見つけて、店主のおじさんに「トマト二つとタマゴ四つください」と声をかけた。
付け合わせのサラダは何を作ろうか。グリーンサラダもいいけど、ポテトサラダでもいいかな。そんな事をぼんやり考えていると、私達の背後から若い男の人の声が聞こえてきた。
「やっぱタマゴあと二つ追加で」
「あいよ。トマト二つとタマゴは全部で六つだね。はい、お待ちどう」
「あ、ありがとう…ございます」
追加注文は私でもボルカノさんでもない。違いますと言うよりも先に編み籠に入ったタマゴを受け取ってしまった。
一先ず言われた金額を店主に手渡し、それから二人で後ろを振り返った。その明るい声に聞き覚えがあったので、もしかしてと。
そこには裾の長い鼠色のローブを身に纏った金髪の青年が立っていた。私達を捉えたブラウンの瞳がきゅっと細められ、笑う。
「……フェイル君?」
「お久しぶりです。ボルカノ様、霧華さん」
彼は自身の左胸に右手を添え、ゆっくりと会釈をした。その声や仕草に酷く懐かしさを感じてしまう。姿も声もあの時と殆ど変わらない彼がそこに居る。たかが一年、実際の時間は大した月日じゃないかもしれない。でも、私にとっては何年も会っていない気さえした。だって、もう二度と逢えないと思っていたから。
私が一人呆けている間に師弟は至って普通に会話を交わしていた。彼にとっては感動の再会という空気は全くなく、つい昨日会っていたかのように接している。
「お前も来ていたのか」
「はい。…いやーびっくりしましたよ。見覚えのある後ろ姿見かけて、もしかしたらって。お二人で買い物ですか?相変わらず仲良しで……って、どうしたの霧華さん」
気が付いたら私はあの時の様に涙を流していた。ポロポロと両目から溢れてくる涙を指で拭い、込み上げてくる感情を何とか抑えて声を出そうとする。でも上手くいかない。
もう少しだけ待って。心のなかでそう呟いたその時、俯いた頭の上に感じた温かい手の平にまた涙腺が緩む。頭を撫でられた後にポンポンと優しくあやされた。見上げた先には優しい眼差しがある。
「……変わんないな霧華さんは。泣き虫なトコ」
「…っだって、また逢えると思ってなかったから。ピドナで会ったきり、…ごめんね。黙っていなくなって…私」
送還の準備が調ったと言われたのは本当に急だった。だから、お世話になった人達に別れを告げる暇も無くて。彼から受け取ったタリスマンを返しておいてほしい、今までありがとう。そう伝えてほしいと頼むだけで精一杯だった。
月を模ったローブの留め金。その下にムーンストーンのタリスマンが覗いていた。
私はここまで感情のままに話していたせいで、彼がどの時間軸から来たのか全く考えてもいなかった。もしかしたら、私が帰るより前の時点からやって来たのかもしれない。そうだとしたら話が全く噛み合わないのでは。
でもどうやらその心配は要らなかったみたいで、私の話を聞いていたフェイル君は眉をきゅっと潜めて「そうだよ」と相槌を打つ。
「ボルカノ様から話聞いた時、すげーびっくりしたんだ。思わず師に向かって怒鳴っちまったし、勢い余って殴り掛かりそうにもなった」
「えっ」
「あれ、ボルカノ様から聞いてない?魂抜けたみたいな表情で「還した」なんて言うもんだから、ホント」
悪口雑言を吐いたという話はちらっと聞いたけど、後者は初耳だ。話の続きを聞こうとしていたら、割って入るようにボルカノさんがわざとらしく咳払いを一つ。
「その話は今ここでする必要は無い。…店に迷惑をかける。積もる話は後でしろ。フェイル、お前もオレの部屋に来い」
「あ、いいんですか?折角水入らずなのに」
「何を馬鹿な事を言っている。最初からそのつもりで追加オーダーをしたんだろう」
「…バレてました?んじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらいます」
お店の前で長話をしては確かに他のお客さんに迷惑がかかる。私達は市場から彼の宿舎へ向けて歩き出した。
隣を歩くフェイル君をちらりと見上げる。少し顔つきが逞しくなっている気がした。髪を伸ばしているのか、緩く編んで肩の前に垂らしている。
ふとローブ下から見えた腰巻きの模様に目が留まる。この柄には覚えがあった。彼の腕が折れた時に応急処置で三角巾代わりに使ったものだ。かなり色褪せていて、小さな穴や端が擦れて切れている部分も多い。
「フェイル君、そのスカーフまだ持っててくれたの?」
「ん?……ああ、これ。捨てるに捨てれなくて。防寒を兼ねてお洒落アイテムとして使わせてもらってるんだ。柄も気に入ってるし」
「ボロボロになるまで使わなくてもいいのに。ほら、穴だって結構空いてるじゃない」
「あー…これね。面倒な奴らに絡まれる事多くてさ。なにせボルカノ様の弟子だから」
「……今しがたもその連中から逃げ果せたということか。森の中を駆け回っていたようだな」
そう言いながらボルカノさんが彼のローブの裾からひょいと葉っぱを摘まみ上げた。葉柄を親指と人差し指で挟み、くるりと回しながら一枚の葉を観察している。葉の形や葉脈を見ただけで何の植物か分かったみたいだ。流石としか言いようがない。
「サルビアか」
「そーいや群生地を横切ったんで、そん時についたのかもしれませんね」
「薬用の物とは少し形が違うが」とボルカノさんが零していた。サルビアと言えば秋頃に咲いている赤い花のイメージがある。彼の説明によればセージという呼び名もあって、代表的なハーブだそうだ。これは観賞用の花らしい。
赤い花。ボルカノさんにぴったりな花だ。
バンガード市街地から北へ進んだ先の森に朱鳥術士の館がある。そこには三百年以上前から朱鳥術の発展に貢献をした一族が住んでいた。
その朱鳥術士が住む館から少し離れた所に墓所が設けられている。木々に囲まれ、陽光が射し込む。鳥が歌い、季節の花も咲くこの場所に歴代の当主とその家族が眠りについていた。
現当主である男は二人の子供を連れ、度々この場所を訪れていた。先祖の慰霊として足を運んでいたが、その意味合いが少しばかり変化したのは三年前の今日。彼の妻であり、子供達の母親が他界した日だ。
白い薔薇と赤いガーベラを交ぜた花束を抱えたフレイアは隣を歩く兄と他愛もない会話を広げていた。二卵性の双子なだけあり二人はよく似ている。表情や仕草は勿論、行動パターンまで似通っている。しかし好物や苦手な物は多少違うようで、片方が苦手とする物をもう片方が補うといった形で成長を遂げてきた。互いに支え合っているのだ。些細な兄妹喧嘩はあるものの、大きないざこざは今までに無い。「たった数分違いで生まれてきただけなのに。どっちが兄か妹かなんて決めては不公平だわ」そう説いた母親の賜物だろう。
三年前、目を真っ赤にするまで泣き腫らしていた。暫くの月日、悲しみに明け暮れていた二人だが、次第に心の傷に瘡蓋が覆ってきたのだろう。大切な人を失った悲しみが完全に癒えることは決して無い。ふとしたきっかけで剥がれ、また痛み出すもの。その頻度が時の経過も兼ね少しずつ減っていき、笑顔も次第に戻ってくることとなった。
未だ自分はこうして胸に空いた穴を埋められずにいる。それが羨ましくも思うと当主は二人の背を見つめていた。娘の横顔が妻に似てきたと目を細めながら。
程なくして墓所へ到着した彼等は墓前周囲の雑草を取り除き、風で転がった小石を集めて元の箇所へ戻した。全ての掃除を終えた頃には汗が額にじわりと浮かんでいた。
風雨による劣化が見られない墓石の前へ花束を供える。赤いガーベラは男の妻が生前好んでいた花だ。薔薇と共に庭で育てているもので、今はフレイアが世話をしている。
当主は鎮かに祈りを捧げた後、二人の肩に優しく手を置いた。
ふと、当主の目にある物が留まった。最前列の墓前に赤い花が供えられている。それは今日が初めてではない。隣同士に並ぶ墓前に一輪ずつ、赤いサルビアが風で飛ばされぬように重石がされていた。
「また花が供えられている。……一体誰が」
当主は独り言のようにぽつりと漏らした。
何年も前から同じ様にあの二人の墓前に供えられている、必ず赤いサルビアが。この辺では見ない花だ。
以前当主が彼等に尋ねても首を横へ振った。自分達は供えていないと。
「……赤いサルビア。確か、花言葉は」
「家族愛、知恵、尊敬。……きっと、誰かボルカノ様を慕っていた人じゃない?」
「そうそう。きっと、その…代々尊敬されているとか!」
「グレンの言う通り、特別思い入れがあったんじゃないかしら。後世まで尊敬の念を忘れずに…とか」
誰もその姿を見た事はない。だが、同一人物であろうという考えは同じだ。彼等の先祖であるボルカノは朱鳥術士として名を馳せ、弟子も大勢いたと聞いていた。そうであれば、一度顔を見てみたいと当主は一人頷く。
「一度会ってみたいものだな」
「えっ!?」
当主がそう呟けばグレンが驚いた様に声を上げた。
「何故そんなに驚くんだ。気にならないのか?どんな方がいらっしゃっているのか。ボルカノ様とどういう関係であったのかも…お前達も気になるだろう」
「べ、別に…俺は気にしてませんけど。なあ、フレイアもそうだろ」
態度が急変したグレンと違い、話を突如振られたフレイアは落ち着いた様子でいた。兄を一瞥し、特に興味は無いといった風に答える。
「そうね。今までに害は無かったんだし、私達の御先祖様を敬っている事実だけでいいんじゃない。そこまで気にすることじゃないと思うわ」
それから二人は互いに顔を見合わせ、同時に頷いてみせた。この兄妹は分かりやすい。感情が顔に出やすいグレン、それを補う様に平然と振る舞うフレイア。二人で嘘や隠し事をする時はこのように連携を組む。その癖をとうに見抜いていた当主は敢えて素知らぬふりをして「そうだな」と返した。
「……あの手帖、何が記されていたんだろうな」
「まだそのこと惜しんでるの?」
「だってさ、封印を施してまで閲覧を禁ずるなんて…重要なことが書かれているに違いない。それなのに手帖、父さんがボルカノ様にお返ししちゃったし。真相は分からず仕舞いだ」
軽く口を尖らせたグレンは父親の方を不満そうに見上げた。誰よりも先祖を敬う彼だ。総てを知りたいという気持ちが強いのだろう。
「元より手帖はあの方の所持品。例え子孫であろうと、暴かれたくないことの一つや二つはある。そう、誰にでもな」
当主は二人に向けて微笑んでみせる。それに対し、心当たりがあるのか二人は気まずそうに視線を逸らした。
サルビアの花が風に吹かれて静かに揺れている。
◇◆◇
私は文学に縁がある訳じゃない。文系、理数系どちらかと聞かれれば文系だ。でも、図書館で丸一日過ごせるかというと無理。せいぜい三時間程度が限界だ。そんな私がまさか六時間以上も居座ることになるとは思いもしなかった。しかもお昼抜きで。
図書館のエントランスから見た空は薄っすらと夕暮れ色に染まっていた。烏が連なって西の方へ悠々と飛んで行く姿も見られる。『夕方にカラスが連なって飛んでゆくのは、ねぐらに帰るからだよ』そう小さい頃に教えてもらったことをふと思い出した。
ぼんやりと外を見ながらエントランスのベンチで過ごす。一緒に来たボルカノさんはまだ本に齧りついている。彼の調べ物は閉館時間どころか、夜明けまでかかってしまうんじゃないだろうか。
調べたいことがあるから急遽図書館に行きたいと言い出した。特に用事も無いし、とりあえずついてきたけど。三百頁程の本を二冊も読んだら流石に身体中が凝り固まってしまう。それに目も疲れて焦点がぼんやりしている。
「霧華」
エントランスでうとうとしていた。そこに声を掛けられ、ハッと頭を上げる。声がした方を向くと、本の虫がいつの間にか戻ってきていた。彼の表情は少し曇りがちだ。
「調べもの終わったんですか?……すみません欠伸が」
「ああ。……待つ間、暇を持て余していたんじゃないのか」
「だいじょーぶですよ。私が好きでついてきたんだし、限度はあるけど本を読むことは好きですし。こーんなに分厚い本2冊も読みきったから達成感あります」
私が嫌みなくそう話せば彼の表情は少しだけ緩んだ。
「そうか。付き合わせてしまった詫びも兼ねて、今からではあるが…君の行きたい場所に付き合おう」
「あ、それじゃあ晩御飯の買出しに付き合ってください。もうお腹ペコペコですもん。ボルカノさんも流石にお腹空いてますよね」
「それならば外で食べた方が早いんじゃないか」
「さっきトマトの本っていう雑誌見つけて、チキンライスにトマトの角切り入れると食感も良くて美味しいっていう記事を読んだんです。やってみたいなあと」
二冊目の本を探してうろうろしていた時、表紙に描かれた何種類ものトマトが目に留まった。内容は主にトマトの種類や採れる地方の紹介。あとは食べごろのトマトの選び方やレシピも載っていた。その中でもオムライスがとても魅力的で。お腹がまた鳴りそう。
「そのチキンライスに卵をふわっとかけてオムライスにしようかなーって。美味しそうじゃないですか?」
「そうだな。…では君が空腹で倒れてしまう前に食料を調達しに行こう」
◇
図書館から市内の市場へ。夕飯時のせいか、多くの人で賑わっていた。
ヤーマスの夕暮れ時を彷彿とさせる。あの時はロビンに会えるかなと期待を抱きながら散策していた。今はバンガードに何か事件が起きれば、彼を筆頭に戦士達が駆けつけてくれるからとても頼もしい。
「野菜はトマトを買い足せばいい。肉は薫製のベーコンがある」
「じゃあそれを使います。あとはタマゴですね。大きさにもよるけど、一人二つがベストかな」
市場を歩きながら食材を広く扱ってる店の前で止まり、竹で編んだ籠に積まれたトマトとタマゴを見つけて、店主のおじさんに「トマト二つとタマゴ四つください」と声をかけた。
付け合わせのサラダは何を作ろうか。グリーンサラダもいいけど、ポテトサラダでもいいかな。そんな事をぼんやり考えていると、私達の背後から若い男の人の声が聞こえてきた。
「やっぱタマゴあと二つ追加で」
「あいよ。トマト二つとタマゴは全部で六つだね。はい、お待ちどう」
「あ、ありがとう…ございます」
追加注文は私でもボルカノさんでもない。違いますと言うよりも先に編み籠に入ったタマゴを受け取ってしまった。
一先ず言われた金額を店主に手渡し、それから二人で後ろを振り返った。その明るい声に聞き覚えがあったので、もしかしてと。
そこには裾の長い鼠色のローブを身に纏った金髪の青年が立っていた。私達を捉えたブラウンの瞳がきゅっと細められ、笑う。
「……フェイル君?」
「お久しぶりです。ボルカノ様、霧華さん」
彼は自身の左胸に右手を添え、ゆっくりと会釈をした。その声や仕草に酷く懐かしさを感じてしまう。姿も声もあの時と殆ど変わらない彼がそこに居る。たかが一年、実際の時間は大した月日じゃないかもしれない。でも、私にとっては何年も会っていない気さえした。だって、もう二度と逢えないと思っていたから。
私が一人呆けている間に師弟は至って普通に会話を交わしていた。彼にとっては感動の再会という空気は全くなく、つい昨日会っていたかのように接している。
「お前も来ていたのか」
「はい。…いやーびっくりしましたよ。見覚えのある後ろ姿見かけて、もしかしたらって。お二人で買い物ですか?相変わらず仲良しで……って、どうしたの霧華さん」
気が付いたら私はあの時の様に涙を流していた。ポロポロと両目から溢れてくる涙を指で拭い、込み上げてくる感情を何とか抑えて声を出そうとする。でも上手くいかない。
もう少しだけ待って。心のなかでそう呟いたその時、俯いた頭の上に感じた温かい手の平にまた涙腺が緩む。頭を撫でられた後にポンポンと優しくあやされた。見上げた先には優しい眼差しがある。
「……変わんないな霧華さんは。泣き虫なトコ」
「…っだって、また逢えると思ってなかったから。ピドナで会ったきり、…ごめんね。黙っていなくなって…私」
送還の準備が調ったと言われたのは本当に急だった。だから、お世話になった人達に別れを告げる暇も無くて。彼から受け取ったタリスマンを返しておいてほしい、今までありがとう。そう伝えてほしいと頼むだけで精一杯だった。
月を模ったローブの留め金。その下にムーンストーンのタリスマンが覗いていた。
私はここまで感情のままに話していたせいで、彼がどの時間軸から来たのか全く考えてもいなかった。もしかしたら、私が帰るより前の時点からやって来たのかもしれない。そうだとしたら話が全く噛み合わないのでは。
でもどうやらその心配は要らなかったみたいで、私の話を聞いていたフェイル君は眉をきゅっと潜めて「そうだよ」と相槌を打つ。
「ボルカノ様から話聞いた時、すげーびっくりしたんだ。思わず師に向かって怒鳴っちまったし、勢い余って殴り掛かりそうにもなった」
「えっ」
「あれ、ボルカノ様から聞いてない?魂抜けたみたいな表情で「還した」なんて言うもんだから、ホント」
悪口雑言を吐いたという話はちらっと聞いたけど、後者は初耳だ。話の続きを聞こうとしていたら、割って入るようにボルカノさんがわざとらしく咳払いを一つ。
「その話は今ここでする必要は無い。…店に迷惑をかける。積もる話は後でしろ。フェイル、お前もオレの部屋に来い」
「あ、いいんですか?折角水入らずなのに」
「何を馬鹿な事を言っている。最初からそのつもりで追加オーダーをしたんだろう」
「…バレてました?んじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらいます」
お店の前で長話をしては確かに他のお客さんに迷惑がかかる。私達は市場から彼の宿舎へ向けて歩き出した。
隣を歩くフェイル君をちらりと見上げる。少し顔つきが逞しくなっている気がした。髪を伸ばしているのか、緩く編んで肩の前に垂らしている。
ふとローブ下から見えた腰巻きの模様に目が留まる。この柄には覚えがあった。彼の腕が折れた時に応急処置で三角巾代わりに使ったものだ。かなり色褪せていて、小さな穴や端が擦れて切れている部分も多い。
「フェイル君、そのスカーフまだ持っててくれたの?」
「ん?……ああ、これ。捨てるに捨てれなくて。防寒を兼ねてお洒落アイテムとして使わせてもらってるんだ。柄も気に入ってるし」
「ボロボロになるまで使わなくてもいいのに。ほら、穴だって結構空いてるじゃない」
「あー…これね。面倒な奴らに絡まれる事多くてさ。なにせボルカノ様の弟子だから」
「……今しがたもその連中から逃げ果せたということか。森の中を駆け回っていたようだな」
そう言いながらボルカノさんが彼のローブの裾からひょいと葉っぱを摘まみ上げた。葉柄を親指と人差し指で挟み、くるりと回しながら一枚の葉を観察している。葉の形や葉脈を見ただけで何の植物か分かったみたいだ。流石としか言いようがない。
「サルビアか」
「そーいや群生地を横切ったんで、そん時についたのかもしれませんね」
「薬用の物とは少し形が違うが」とボルカノさんが零していた。サルビアと言えば秋頃に咲いている赤い花のイメージがある。彼の説明によればセージという呼び名もあって、代表的なハーブだそうだ。これは観賞用の花らしい。
赤い花。ボルカノさんにぴったりな花だ。