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勿忘草
提供された紅茶の味がいつもと違う事に私は一口目で気が付いた。甘くてまろやか。砂糖を一欠けらも入れていないのに、まるで花の蜜を入れたみたいに甘い。でも紅茶の風味もしっかりと活きていて、とても飲みやすかった。
紅茶の茶葉が特別なのか、水が違うのか。それとも淹れ方を変えたのだろうか。私は暫く琥珀色の紅茶を見つめていた。すると真向いに座っていたトーマスから零す様な笑い声が聞こえてくる。ソーサーごとカップをテーブルへ置いた彼の目が柔らかく微笑んだ。
「流石だよ。違いが分かったみたいだね」
「砂糖もミルクも入れてないのに、ストレートがこんなに甘いなんて…どういう仕掛け?」
「水の代わりにカエデの樹液を沸かして淹れたんだ」
「カエデってメープルシロップの原料になる木だよね」
パンケーキにかけるなら蜂蜜かメープルシロップ。私は断然後者の方が好き。焼きたてのパンケーキの上からたっぷりとメープルシロップをかけたものは、そりゃもう絶品。厚みが三センチ以上もあって、中はふわっふわで。ああ、食べたくなってきた。友達と一緒に行こうと計画していたパンケーキ屋さんも結局行けず仕舞いのままだ。
一人横道に逸れていた私はトーマスの「その通り」という相槌で話に引き戻された。
「これはメープルウォーターというもので、糖分を僅かに含んだカエデの樹液なんだ。煮詰めたものがメープルシロップになる」
「へえ…煮詰める前からこんなに甘くて美味しいんだ。初めて飲んだよ。お店で売ってるのも見たこと無いし」
「メープルウォーターはこのままだと傷みやすい。それに採取できる時期も限られているし、何よりメープルシロップの貴重な原料だからな」
「なるほど……でもそんな貴重なもの、こうして普通に飲んじゃって良かったの?」
紅茶を淹れるから飲みに来ないかと誘われた回数はそろそろ数えきれなくなってきた。私は特に用事がなくてもこうしてトーマスの所へお邪魔している。彼の淹れてくれる紅茶やコーヒーが美味しいという理由もあった。
でも、貴重なものを提供するのなら、もっと特別な相手に振る舞った方が良かったんじゃないだろうか。例えば商談の相手や大事なお客様とか。
「トーマスが淹れてくれた紅茶やコーヒーは美味しいから好きだけど、大事なお客様に振る舞った方が良かったんじゃない?」
「俺にとっては霧華も大事なお客様だよ」
そう言って眼鏡の奥で微笑むものだから、つい嬉しくなって私は頬を緩ませた。昔から憧れでいたと言っても過言じゃない。そんな人から大事な客人と言われて嬉しくないはずがないもの。
「ありがとうトーマス。…ふふ。嬉しいなあ」
「そんなに喜ぶような事を言ったつもりはないんだけどな」
「喜ぶってば。だってお茶を淹れるのも、料理も得意。それでいざという時に戦える人って凄いよ。何でもできる、そんな人におもてなしされてるんだもの」
「ははっ、ベタ褒めだな。素直に嬉しいよ、有難う」
特別照れた様子も無く、彼はやんわりと笑っていた。
その直後だ。ふっと顔に影が落ちたように見えたのは。この表情には見覚えがある。トーマスだけじゃない、ユリアンやエレンも。三人ともつい最近になってからよく見るようになった。その共通点は遠い昔を懐かしみ、感傷に浸るような眼差しをしていること。
どうしたのかと尋ねても返事は無く、俯きがちに何か考えているようだった。やや時を置いてから「いや」と首を横へ小さく振ってみせる。
「……最近、ふとした瞬間に彼女のことを思い出してね。サラのことを。何の変哲もない、誰かとの日常的な会話や動作の一端に彼女の影が見え隠れする。…シノンに居た時や旅をしていた時は当たり前のように俺達の側で過ごしていたのに。何故…記憶から抜け落ちていたのか」
三百年前の死食がもたらした世界存亡の危機。宿命の子として世界を再生に導いた一人、サラ。この世界でボルカノさんやトーマス達と再会することはできたけど、何故かサラだけが居なかった。最初はまだ塔から解放されていないだけだと思っていた。でもそれは違った。彼女の存在自体がみんなの記憶から消されていた。彼女のたった一人の姉であるエレンもサラの事を思い出せずにいた。
でもそれは数日前までの話。少しずつ、サラの存在を思い出している。何をきっかけとしているのかは分からない。ただ、聖王遺物が関連しているようだと見解が広まっている。
「……みんなは幼馴染、だっけ?」
「ああ。ユリアンやエレンは家族同然の存在だよ。勿論サラも。……自分が情けないと思うんだ。かけがえの無い存在を何かのせいだとはいえ忘れていた。それを知ったらサラはきっと怒る…いや、拗ねてしまうだろうな」
トーマスは物寂しい笑みを浮かべていた。
一番サラと共に過ごした時間が長いのはシノンの三人だ。だからこそ忘れる筈が無いという絶対的なものを覆されてしまった。きっと彼らはそれを許すことができないんだろう。
「サラに会ったらみんなで謝らないとね。大丈夫、リズちゃんだって戻ってきた。サラにも絶対また会える。……って何も確証はないけど。会えないって考えるより、会えるって思っている方が願いも届く気がするし」
「……そうだな。君達がまた出逢えたように、俺達も大切な人とまた逢える。そう信じる事にするよ。有難う霧華」
「私はなにも」
「そうだ、良かったら残りのメープルウォーターを持っていってくれないか」
「いいの?」
少し温めになった紅茶も美味しい。メープルウォーターで淹れた紅茶をボルカノさんにも飲ませてあげたいなあとぼんやり考えていた。その考えが読まれてしまったのかと一瞬どきりとする。
「今日中に消費しないといけないんだが……今夜は商談相手と会食があってね。使いきれそうにないんだ。紅茶を一回淹れる分には余る程度あるし、残りは料理に使っても甘みが増して美味しくなる」
紅茶やコーヒー以外にも料理に応用できるそうだ。おススメは煮込み系と聞く。それならばと頭にパッと浮かんだレシピの材料をメモに書き留めた。
透明なメープルウォーターはコルク栓の瓶に詰められている。一リットル程あるようだし、食後の紅茶を淹れる余裕もありそうだ。
◇
トーマスの部屋から此処までそんなに距離は無いはずなのに、移動するのが大変だった。一リットル瓶を抱えて歩いたせいかもしれない。結構重いんだもの。玄関でボルカノさんに出迎えられた時、何を抱えてきたんだという目をされてしまう。
非番の彼はアイテム研究でもしていたのか、机の上に薬品や試験管が沢山並べられている。
私はコップ一杯の水を飲み干してから口を開いた。
「……ボルカノさんって非番の日も研究してるんですか」
「まあな」
「趣味無いんですか。そういえば娯楽に嗜んでる姿を見たことがないような」
「趣味は研究だが。……何か問題でもあると言いたげだな」
「いえ。らしいなあ…って思ってただけです」
私にとって研究は仕事の一環というイメージが強い。この人本当に根っからの研究者だ。本を読んでいる姿は見たことがあるけれど、それも研究に必要な資料や知識を深めるだけに過ぎないんだろう。物語とか読まなさそう。
「そうそう、今からお茶淹れてもいいですか?」
「構わない。まだ休憩を挟んでいなかったからな。丁度一息入れたい所だ」
「じゃあ淹れてきますね。それと今日の夕飯にトマト煮込みハンバーグ作ってもいいですか?」
「……随分と張り切っているようだが、持ってきた物と関連があるのか」
「メープルウォーターを貰ってきたんです。カエデの樹液で、紅茶やコーヒーを淹れると甘みが出てすっごく美味しいんですよ」
「ほう。メープルシロップになる前のものか」
「流石ボルカノさん。よくご存知で。ボルカノさんにも是非飲んでもらいたいなーと思って。それと煮込み料理にも使えるってトーマスから聞いたので実践したいんです」
彼は私の話を物珍しそうに聞いていたと思いきや、相手の名前が出た途端に口をへの字に曲げて目を細めた。それから目を伏せて俯く。ボルカノさんが機嫌を損ねた時によく見る仕草だ。
「またそいつの所に行っていたのか」
「いいじゃないですか。茶飲み友達なんだし」
「……」
「ボルカノさんって案外ヤキモチ妬きですよね」
「妬くなと言われる方が無理だ」
「開き直ってる。心配しなくても、私が好きなのはボルカノさんですよ」
私がそう言うと彼はぷいとそっぽを向いてしまった。これは照れている時の仕草だと気づいたのはつい最近のこと。
徐にボルカノさんは瓶を持ち上げた。「お茶を淹れるんだろ」とだけ言ってキッチンへ向かう。私はその後を追いかけ、歩みに合わせて揺れる赤い羽織を何となく見つめていた。不規則に揺らめくそれに気を取られ、急に立ち止まった彼の背中に顔をぶつけてしまいそうになる。
「何を呆けているんだ」
「あ、いえ。瓶、運んでくれてありがとうございます。お茶淹れたら持っていきますから、趣味に没頭しててください」
「……いや。オレも手伝おう。君と過ごす方が有意義な時間となるからな」
私は食器棚へ手を伸ばし、ティーポットの持ち手を掴んだ。茶葉の缶を探していると「こっちだ」と別の戸棚から真新しい四角い缶を取り出してくれる。缶のラベルにはアールグレイと表記されていた。私の好きな紅茶をわざわざ用意してくれたのかと思うと、にわかに嬉しさが込み上げてくる。好きな銘柄を忘れずにいてくれたんだ。
彼の記憶に私が、私の記憶には彼がいる。ボルカノさんが私のことを忘れずにいてくれたから、不思議な力に手繰り寄せられて、こうしてまた巡り会えた。そんな気がする。
提供された紅茶の味がいつもと違う事に私は一口目で気が付いた。甘くてまろやか。砂糖を一欠けらも入れていないのに、まるで花の蜜を入れたみたいに甘い。でも紅茶の風味もしっかりと活きていて、とても飲みやすかった。
紅茶の茶葉が特別なのか、水が違うのか。それとも淹れ方を変えたのだろうか。私は暫く琥珀色の紅茶を見つめていた。すると真向いに座っていたトーマスから零す様な笑い声が聞こえてくる。ソーサーごとカップをテーブルへ置いた彼の目が柔らかく微笑んだ。
「流石だよ。違いが分かったみたいだね」
「砂糖もミルクも入れてないのに、ストレートがこんなに甘いなんて…どういう仕掛け?」
「水の代わりにカエデの樹液を沸かして淹れたんだ」
「カエデってメープルシロップの原料になる木だよね」
パンケーキにかけるなら蜂蜜かメープルシロップ。私は断然後者の方が好き。焼きたてのパンケーキの上からたっぷりとメープルシロップをかけたものは、そりゃもう絶品。厚みが三センチ以上もあって、中はふわっふわで。ああ、食べたくなってきた。友達と一緒に行こうと計画していたパンケーキ屋さんも結局行けず仕舞いのままだ。
一人横道に逸れていた私はトーマスの「その通り」という相槌で話に引き戻された。
「これはメープルウォーターというもので、糖分を僅かに含んだカエデの樹液なんだ。煮詰めたものがメープルシロップになる」
「へえ…煮詰める前からこんなに甘くて美味しいんだ。初めて飲んだよ。お店で売ってるのも見たこと無いし」
「メープルウォーターはこのままだと傷みやすい。それに採取できる時期も限られているし、何よりメープルシロップの貴重な原料だからな」
「なるほど……でもそんな貴重なもの、こうして普通に飲んじゃって良かったの?」
紅茶を淹れるから飲みに来ないかと誘われた回数はそろそろ数えきれなくなってきた。私は特に用事がなくてもこうしてトーマスの所へお邪魔している。彼の淹れてくれる紅茶やコーヒーが美味しいという理由もあった。
でも、貴重なものを提供するのなら、もっと特別な相手に振る舞った方が良かったんじゃないだろうか。例えば商談の相手や大事なお客様とか。
「トーマスが淹れてくれた紅茶やコーヒーは美味しいから好きだけど、大事なお客様に振る舞った方が良かったんじゃない?」
「俺にとっては霧華も大事なお客様だよ」
そう言って眼鏡の奥で微笑むものだから、つい嬉しくなって私は頬を緩ませた。昔から憧れでいたと言っても過言じゃない。そんな人から大事な客人と言われて嬉しくないはずがないもの。
「ありがとうトーマス。…ふふ。嬉しいなあ」
「そんなに喜ぶような事を言ったつもりはないんだけどな」
「喜ぶってば。だってお茶を淹れるのも、料理も得意。それでいざという時に戦える人って凄いよ。何でもできる、そんな人におもてなしされてるんだもの」
「ははっ、ベタ褒めだな。素直に嬉しいよ、有難う」
特別照れた様子も無く、彼はやんわりと笑っていた。
その直後だ。ふっと顔に影が落ちたように見えたのは。この表情には見覚えがある。トーマスだけじゃない、ユリアンやエレンも。三人ともつい最近になってからよく見るようになった。その共通点は遠い昔を懐かしみ、感傷に浸るような眼差しをしていること。
どうしたのかと尋ねても返事は無く、俯きがちに何か考えているようだった。やや時を置いてから「いや」と首を横へ小さく振ってみせる。
「……最近、ふとした瞬間に彼女のことを思い出してね。サラのことを。何の変哲もない、誰かとの日常的な会話や動作の一端に彼女の影が見え隠れする。…シノンに居た時や旅をしていた時は当たり前のように俺達の側で過ごしていたのに。何故…記憶から抜け落ちていたのか」
三百年前の死食がもたらした世界存亡の危機。宿命の子として世界を再生に導いた一人、サラ。この世界でボルカノさんやトーマス達と再会することはできたけど、何故かサラだけが居なかった。最初はまだ塔から解放されていないだけだと思っていた。でもそれは違った。彼女の存在自体がみんなの記憶から消されていた。彼女のたった一人の姉であるエレンもサラの事を思い出せずにいた。
でもそれは数日前までの話。少しずつ、サラの存在を思い出している。何をきっかけとしているのかは分からない。ただ、聖王遺物が関連しているようだと見解が広まっている。
「……みんなは幼馴染、だっけ?」
「ああ。ユリアンやエレンは家族同然の存在だよ。勿論サラも。……自分が情けないと思うんだ。かけがえの無い存在を何かのせいだとはいえ忘れていた。それを知ったらサラはきっと怒る…いや、拗ねてしまうだろうな」
トーマスは物寂しい笑みを浮かべていた。
一番サラと共に過ごした時間が長いのはシノンの三人だ。だからこそ忘れる筈が無いという絶対的なものを覆されてしまった。きっと彼らはそれを許すことができないんだろう。
「サラに会ったらみんなで謝らないとね。大丈夫、リズちゃんだって戻ってきた。サラにも絶対また会える。……って何も確証はないけど。会えないって考えるより、会えるって思っている方が願いも届く気がするし」
「……そうだな。君達がまた出逢えたように、俺達も大切な人とまた逢える。そう信じる事にするよ。有難う霧華」
「私はなにも」
「そうだ、良かったら残りのメープルウォーターを持っていってくれないか」
「いいの?」
少し温めになった紅茶も美味しい。メープルウォーターで淹れた紅茶をボルカノさんにも飲ませてあげたいなあとぼんやり考えていた。その考えが読まれてしまったのかと一瞬どきりとする。
「今日中に消費しないといけないんだが……今夜は商談相手と会食があってね。使いきれそうにないんだ。紅茶を一回淹れる分には余る程度あるし、残りは料理に使っても甘みが増して美味しくなる」
紅茶やコーヒー以外にも料理に応用できるそうだ。おススメは煮込み系と聞く。それならばと頭にパッと浮かんだレシピの材料をメモに書き留めた。
透明なメープルウォーターはコルク栓の瓶に詰められている。一リットル程あるようだし、食後の紅茶を淹れる余裕もありそうだ。
◇
トーマスの部屋から此処までそんなに距離は無いはずなのに、移動するのが大変だった。一リットル瓶を抱えて歩いたせいかもしれない。結構重いんだもの。玄関でボルカノさんに出迎えられた時、何を抱えてきたんだという目をされてしまう。
非番の彼はアイテム研究でもしていたのか、机の上に薬品や試験管が沢山並べられている。
私はコップ一杯の水を飲み干してから口を開いた。
「……ボルカノさんって非番の日も研究してるんですか」
「まあな」
「趣味無いんですか。そういえば娯楽に嗜んでる姿を見たことがないような」
「趣味は研究だが。……何か問題でもあると言いたげだな」
「いえ。らしいなあ…って思ってただけです」
私にとって研究は仕事の一環というイメージが強い。この人本当に根っからの研究者だ。本を読んでいる姿は見たことがあるけれど、それも研究に必要な資料や知識を深めるだけに過ぎないんだろう。物語とか読まなさそう。
「そうそう、今からお茶淹れてもいいですか?」
「構わない。まだ休憩を挟んでいなかったからな。丁度一息入れたい所だ」
「じゃあ淹れてきますね。それと今日の夕飯にトマト煮込みハンバーグ作ってもいいですか?」
「……随分と張り切っているようだが、持ってきた物と関連があるのか」
「メープルウォーターを貰ってきたんです。カエデの樹液で、紅茶やコーヒーを淹れると甘みが出てすっごく美味しいんですよ」
「ほう。メープルシロップになる前のものか」
「流石ボルカノさん。よくご存知で。ボルカノさんにも是非飲んでもらいたいなーと思って。それと煮込み料理にも使えるってトーマスから聞いたので実践したいんです」
彼は私の話を物珍しそうに聞いていたと思いきや、相手の名前が出た途端に口をへの字に曲げて目を細めた。それから目を伏せて俯く。ボルカノさんが機嫌を損ねた時によく見る仕草だ。
「またそいつの所に行っていたのか」
「いいじゃないですか。茶飲み友達なんだし」
「……」
「ボルカノさんって案外ヤキモチ妬きですよね」
「妬くなと言われる方が無理だ」
「開き直ってる。心配しなくても、私が好きなのはボルカノさんですよ」
私がそう言うと彼はぷいとそっぽを向いてしまった。これは照れている時の仕草だと気づいたのはつい最近のこと。
徐にボルカノさんは瓶を持ち上げた。「お茶を淹れるんだろ」とだけ言ってキッチンへ向かう。私はその後を追いかけ、歩みに合わせて揺れる赤い羽織を何となく見つめていた。不規則に揺らめくそれに気を取られ、急に立ち止まった彼の背中に顔をぶつけてしまいそうになる。
「何を呆けているんだ」
「あ、いえ。瓶、運んでくれてありがとうございます。お茶淹れたら持っていきますから、趣味に没頭しててください」
「……いや。オレも手伝おう。君と過ごす方が有意義な時間となるからな」
私は食器棚へ手を伸ばし、ティーポットの持ち手を掴んだ。茶葉の缶を探していると「こっちだ」と別の戸棚から真新しい四角い缶を取り出してくれる。缶のラベルにはアールグレイと表記されていた。私の好きな紅茶をわざわざ用意してくれたのかと思うと、にわかに嬉しさが込み上げてくる。好きな銘柄を忘れずにいてくれたんだ。
彼の記憶に私が、私の記憶には彼がいる。ボルカノさんが私のことを忘れずにいてくれたから、不思議な力に手繰り寄せられて、こうしてまた巡り会えた。そんな気がする。