RS Re;univerSe舞台
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
過去・現在・未来
今日は非番。お天気も良いので、家に閉じこもっていては勿体ない。そう思い、私は町へ繰り出した。生憎茶飲み友達は遠征中。腕の立つ朱鳥術士も近隣の魔物討伐隊として出ていた。今までは誰か彼か話し相手を見つけて暇を潰していたけど、今日はその相手がまだ見つからない。
柔らかい春の木漏れ日を身体に浴びながら街路樹を散策していた。その時だった。向こう側から歩いてくる赤毛の少年にふと目が留まる。黒いニットのセーターに赤いマントを羽織り、赤いハーフパンツを着ている。白いワイシャツに赤いネクタイをきっちり絞めている姿が誰かと酷似していた。
少年は細い片腕に分厚い辞書を抱えている。パッと見た感じだと魔法学校に通っている生徒の印象が強かった。そして私はそれを他人の空似だろうと思って、目が合うより先にすれ違おうとしたのだけど。
「すみません。道を尋ねたいのですが」
向こうから話しかけられてしまった。立ち止まった私は視線をやや下げて、少年と向き合う。私を見上げてくる琥珀色の目に益々既視感が沸く。
「え、えっと……どこまで行きたいのかな」
「この町の図書館に。……まだ此処に来て間もないので、道を把握していないんです」
年齢に似合わずとても落ち着いた喋り方で、思わずこちらが物怖じてしまう。あまりオドオドしていたら不審者と思われてしまいそうだ。
頭の中に図書館までの道筋を思い描く。が、あの図書館には一度しか行ったことがない事を思い出した。目立つ建物の側にあるので、行けば分かるけど口で説明するのが難しい。
「図書館はこの先の道を抜けて……えーっと、右…だったかな。あ、左側に大きな建物があってね。その近く…だったはず」
「分からないなら最初からそう言ってもらえませんか」
「う……行けば分かるんだけど、ね」
訝しげに細められた琥珀色の瞳。言葉を詰まらせた私は苦笑いを浮かべることしかできずにいた。やがて少年は小さな溜息をつく。この態度、やっぱり似ている。
「道に迷う人は道程を覚えず、具体的な目印しか覚えない。あとは何となくの感覚で辿り着く。貴女もそうなんですね」
「……よくご存じで」
「ではそこまで案内して貰えませんか」
「え、…私が?」
「行けば分かるんでしょう?」
少年は私が先程示した方向に一人で歩き出したので、その後を追いかけた。並んだ時にちらりと横顔を盗み見る。少年は真っすぐ前を向いていた。この髪型や顔つきも彼によく似ている。バレないように特徴を観察していたつもりが、実際は少年にはバレバレだったようで。丸みを帯びた目にじろりと睨まれてしまう。
「なにか?」
「い、いえ。……この辺じゃ見かけないなあって思って」
「さっきも言った通り、僕は此処の世界に来て数日しか経っていない。見かけていなくて当然です」
「あ、そうなんだ。……ねえ、お名前聞いてもいい?」
私がそう尋ねると彼はぴたりと足を止めた。それからじっとこちらを見上げて、何か考えるように間を置いて「ボルカノです」と答えた。ああ、やっぱりそうだった。
◇
知らない人についていったら危険じゃないのか。そう聞いた私が愚問だった。九歳の彼は「自己防衛に抜かりはないです。不用意に触れたら火傷しますよ」と答えたので流石としか言いようがない。
図書館には少し迷いながらも何とか辿り着いた。大幅に道を間違える事が無くて本当に良かった。このボルカノ少年に憐れみの目を向けられる事だけは何とか回避。
道案内を終了して、私の役目も終わったかと胸を撫で下ろした所へ「一時間位で用を済ませます。貴女を中央広場まで送り返しますから。僕の所為で家に帰れなくなったとなっても後味が悪いので」と。大人顔負けの紳士風を吹かせる。
こうして図書館内まで彼とご一緒する事となった。彼は図書館に入るなり案内図を確認し、小声で「こっちです」と指を差す。
私は彼の後をついて行きながら周囲を見渡した。生活分野、術分野、生物分野と様々な図書が揃えられているようだ。図書棚の分類に気を取られていたせいか、ふっと前を向いた時には彼の姿を見失っていた。少年の姿を探してキョロキョロしていると、本棚から顔を覗かせた彼に「こっち」と声を掛けられる。
「ごめんね。余所見してたせいではぐれちゃった」
「……図書館内で迷子にはならないくださいよ。聞いたことも無い」
「う…気を付けます」
先に釘を刺されてしまった。君ぐらいの年でスーパーマーケットの中で迷子になって泣いたことがある、なんて言っても分かってもらえないんだろうなあ。迷子になる時はなるんだよ。
彼が選んだ分野は天術・地術のコーナー。朱鳥術について書かれた本を読むのかと思いきや、蒼龍術の背表紙を手に取った。
「……蒼龍術を学んでるの?」
「いえ。僕は朱鳥術を学んでいる。今日は他の術の事を調べにきた」
「勉強熱心だね」
「先生が仰っていた。この世界は精霊のバランスで成り立っていると。一つの術だけでは世界は成り立たない。総てを理解しなければ真理を追究できないんだ」
分厚い本の頁を細い指で捲りながら彼はそう話していた。真っ直ぐな眼差しはあの時に見た物と同じだ。昔から変わっていない。
聞き覚えのあるこのフレーズは彼の弟子から聞いた言葉。こうして師から弟子へと受け継がれていくものなんだ。そう思うと胸が少し熱い。
「……それにこうして調べていくうちに、もとの世界に帰る方法も見つかるかもしれない」
「そっか。君も喚ばれちゃった人だもんね」
彼は蒼龍術に書かれた本を両手でぱたんと閉じた。それを元の棚に戻し、一段上の棚から今度は白虎術の基礎という本を手に取る。表紙をすぐに捲らず、一度私の方を見た。
「貴女はこの世界の人なんですか。…僕が見聞きした限りでは色々な世界から喚ばれた人が此処に集まっている」
「ううん。私は……全然関係のない世界から来たの。しかもこれで二度目」
「二度目?……何かこの世界と関連性があるのでは」
そう言って手を顎の下へ。彼が考え事をする時の見慣れた癖。私はつい可笑しくて笑みを零し、肩を竦めてみせた。
「どうだろうね。私はみんなみたいに戦えないし、役に立っているといえばお店番くらいかな。アイテムは少し作れるけど……一緒に行ったら足手まといになっちゃうかなって」
「アイテム……どんな物ですか」
「火星の砂っていうアイテムで……こんなやつ。図書館は火気厳禁だから気を付けてね」
私はポケットに忍ばせていた小さな袋からそら豆大の小石を取り出す。石の中に揺らめく炎を見た彼の目が輝いているように見えた。それを彼の手に乗せる。親指と人差し指で摘み上げ、明かりにかざす様にしていた。
「……凄い。石の中に炎が渦巻いている」
「見た目は綺麗でしょ?これが衝撃を受けると爆発するんだからびっくりだよね」
返してもらった小石を袋に戻し、またポケットに忍ばせた。有事の時は遠慮なく火柱を上げていいとヴァルドーさんからも許可が出ている。来るべきその時に備えるのには私も賛成だ。来ないのが一番いいんだけど。
彼は本を抱えたまま私の左手に視線を注いでいた。何か他に持っていたかと自分の手の平を見る。興味はどうやらこの指輪のようで、食い入るように見ていた。
「その指輪、御符が入っている。それも貴女が?」
「これは……えっと、私の大切な人が作ってくれた物で」
「……ルビー。スタールビーだ。……成程、術が発動した時に力を分散させる為に…。もっとよく見せてもらってもいいですか」
小さな手が左手に添えられた。角度を変えてルースを観察している。外して見せてあげたいのは山々なんだけど。どうにもこうにも外せない代物だ。
「これ呪われてて外せないの」
「なっ…なんで呪われたアイテムなんか身に着けてるんですか」
「まあ外せないだけだし……もう慣れちゃった」
「……その相手、考え直した方がいいのでは」
その相手が大人になった君だよ。とは言いたくても言えない。無闇やたらと未来の事を口にしてはいけない。ヴァルドーさんにそう怒られたとジニーが口を尖らせていた。
◇
きっかり一時間、本に囲まれて過ごした私達は図書館の外へ出た。本は借りないのかと聞けば「またすぐに来るので」と足繁く通う発言をする。図書館の本全てを読破しそうな勢いに感服してしまいそう。
そして私が歩き出そうとすると、左手を小さな手にがっちり掴まれた。「一人で歩かせると迷子になる」との理由で。もはや私の方が子ども扱いだ。
「目を離した隙に居なくなりそうですから」
「……私ってそんなに迷子になりそう?」
「はい。現に来た道はそっちじゃない」
ぐうの音も出ない。
彼の手に引かれ、元来た道を歩いていく。胸の奥にまで届くこの小さな温もり。今と全く変わらない。
自然と顔が綻んでいたんだろう。くるりと振り向いた彼に「一人で笑って、おかしい人ですね」と言われてしまった。
「顔に出てた?」
「ええ。貴女は感情が表に出やすくて分かりやすい。この短時間でもそう思えるほどに」
「ふふ……よく言われる」
中央広場が見えてきた。小さな彼のエスコートもあと少し。また会いたい気もするけど、余計な事まで喋っちゃいそうだから会わない方がいい気もする。別れ際になんて言おうかな。そう考えていた時に後ろから「霧華」と聞き慣れた声がした。振り向いた先には真紅の衣装を纏った青年。まさにこの少年を成長させた本人だ。討伐隊の任務を遂行した帰りだろうか。少しくたびれている様に思える。
しまった。一番やってはいけない事をしてしまった。当人同士を対面させるのはかなり不味いのではないだろうか。とりあえず慌てて私は少年の目を両手で覆った。
「あわわ……タイムパラドックスが!未来が変わっちゃう!」
「……もう遅い気もするがな」
酷く落ち着いた声でボルカノさんはそう言った。その口ぶりからして事情はもう察していそうだ。それでもこの少年は大人になった自分を見てどう思うのか。知らない方がいい事もある。
私の心配をよそに少年はこの手を振り払い、彼をじっと見上げた。大丈夫かな。世界滅亡とかしないかな。かの有名な科学者は別時点の自分同士が対面すると地球が滅びるとか言ってたし。
「……この人が」
「う、うん?」
「貴女の恋人ですか」
「そう、だけど」
少年は彼の頭から爪先まで視線を往復させる。そして「趣味が悪い」と真顔で言い放った。それは私の趣味が悪いのか、彼の服のセンスが悪いのかは分からない。どちらとも取れる発言に彼の眉と口の端がひくりと吊り上がった。衝動的に何か言いたそうにしていた彼は咳払いを一つ。十五年前の自分を見下ろす。やがて静かに話し始めた。
「一つだけ忠告しておこう。いずれ決断を迫られる時が来る。……その時は自分の感情を偽るな。少しは未来が変わるかもしれん。オレが…教えてやれるのはそれだけだ」
お前の事だから真実を知りたいだろうがな。これ以上は言えん、と。踵を返した彼の背を小さな彼が追いかけていく。ああ、後ろ姿もなんだか変わり無い。
「待ってください」
静かに呼び止めてきた少年を無視することもできなかったんだろう。立ち止まった彼は振り向かずに待っていた。
「貴方は、今の自分に後悔しているのか」
その背に少年時代の彼が問いかける。
「……この間まではな。今は違う」
「今は……?」
「あと十五年も経てば分かることだ。それと…少しは素直になった方がいい」
長すぎる、と愚痴を零す少年。毎日が煌めきに溢れた日々だと、年月の経過は遅く感じる。そして気が付けばあっという間に一ヶ月が過ぎ、季節が変わっていく。歳を重ねれば重ねる程、その感覚は短くなる。「あっという間だ」と答えた彼に同感した。
気が付けばボルカノさんはもう歩き始めていた。その場で難しい顔で悩む少年に私は「またね」と手を振り、大きな背中を追いかけていく。
小走りで追いついた彼の横に並ぶ。横を見上げると、彼もまた眉を寄せて小難しそうな表情だった。
「どうかしたんですか。……やっぱり昔の自分に会うのは不味かったとか」
「違う。それに関しては問題ない」
聞けばタチアナちゃんも九歳の自分と対面していたようで、彼女達は仲良く手を繋いでお出かけをしているとか。想像したらちょっとかわいい。双子みたい。
そして、星読みの話でも星のズレは確認されておらず、この件に関しては特に問題は生じていないらしい。つくづくこの世界は何でもありだなあ。
「……いい加減頭がおかしくなりそうだ。過去の自分、未来の……。それにしてもどうして今まで気がつかなかったのか」
「何がですか?」
「君を最初に喚び出した要因はオレだ」
「まあそうですよね」
一年前、自宅の部屋から召び出されたのが事の始まり。あの時、彼は実験的に召喚術を行っていたと話した。自分の責任だからと送還術を組み立てる為に諸国を回り、術を完成させた。
でもそれは分かっている。他の要因があったんだろうか。
あの時、と彼はどこか遠くを見つめるようにぽつりと話し始めた。
「…昔会ったあの人は自分の世界に帰れたんだろうかと。心のどこかで気にかけていたんだ。ほんの一瞬、そう考えてしまったせいで霧華を引き寄せてしまった。……それがまさかこんなことになるとはな」
「今さらですよ。…色々ありましたけど、私はまたボルカノさんに会えたから別に気にしてません」
「そうか。…有り難う」
「それよりも昔の自分にあんなこと言っちゃって良かったんですか?…未来が変わってしまうかもしれないんですよ」
過去の出来事が変われば未来も同時に塗り替えられていく。どこかの時点で何かが変われば、私がこの場所にいない可能性も出てくるんだ。
私のそんな不安を払拭させるかのように彼がふっと笑いかけてきた。
「心配するな。…未来は無数に存在するもの。彼の選択により変わるのは彼の未来。今のオレたちには影響しない。彼の時間とオレの時間軸が交わることはないということだ」
「……すみません。難しすぎて理解ができそうにないです」
どうやら過去を変えれば未来が変わるという単純な話ではないらしい。あらゆる時点での自分が存在するとかそういう話だそうだ。
彼が私の左手を掴んで、軽く握りしめた。この温もりが不安を和らげてくれる。今が塗り替えられなければ、まあ、いいか。
私はその手を握り返して肩を寄せた。この先に続く道が私達にとってかけがえのない物になりますように。
今日は非番。お天気も良いので、家に閉じこもっていては勿体ない。そう思い、私は町へ繰り出した。生憎茶飲み友達は遠征中。腕の立つ朱鳥術士も近隣の魔物討伐隊として出ていた。今までは誰か彼か話し相手を見つけて暇を潰していたけど、今日はその相手がまだ見つからない。
柔らかい春の木漏れ日を身体に浴びながら街路樹を散策していた。その時だった。向こう側から歩いてくる赤毛の少年にふと目が留まる。黒いニットのセーターに赤いマントを羽織り、赤いハーフパンツを着ている。白いワイシャツに赤いネクタイをきっちり絞めている姿が誰かと酷似していた。
少年は細い片腕に分厚い辞書を抱えている。パッと見た感じだと魔法学校に通っている生徒の印象が強かった。そして私はそれを他人の空似だろうと思って、目が合うより先にすれ違おうとしたのだけど。
「すみません。道を尋ねたいのですが」
向こうから話しかけられてしまった。立ち止まった私は視線をやや下げて、少年と向き合う。私を見上げてくる琥珀色の目に益々既視感が沸く。
「え、えっと……どこまで行きたいのかな」
「この町の図書館に。……まだ此処に来て間もないので、道を把握していないんです」
年齢に似合わずとても落ち着いた喋り方で、思わずこちらが物怖じてしまう。あまりオドオドしていたら不審者と思われてしまいそうだ。
頭の中に図書館までの道筋を思い描く。が、あの図書館には一度しか行ったことがない事を思い出した。目立つ建物の側にあるので、行けば分かるけど口で説明するのが難しい。
「図書館はこの先の道を抜けて……えーっと、右…だったかな。あ、左側に大きな建物があってね。その近く…だったはず」
「分からないなら最初からそう言ってもらえませんか」
「う……行けば分かるんだけど、ね」
訝しげに細められた琥珀色の瞳。言葉を詰まらせた私は苦笑いを浮かべることしかできずにいた。やがて少年は小さな溜息をつく。この態度、やっぱり似ている。
「道に迷う人は道程を覚えず、具体的な目印しか覚えない。あとは何となくの感覚で辿り着く。貴女もそうなんですね」
「……よくご存じで」
「ではそこまで案内して貰えませんか」
「え、…私が?」
「行けば分かるんでしょう?」
少年は私が先程示した方向に一人で歩き出したので、その後を追いかけた。並んだ時にちらりと横顔を盗み見る。少年は真っすぐ前を向いていた。この髪型や顔つきも彼によく似ている。バレないように特徴を観察していたつもりが、実際は少年にはバレバレだったようで。丸みを帯びた目にじろりと睨まれてしまう。
「なにか?」
「い、いえ。……この辺じゃ見かけないなあって思って」
「さっきも言った通り、僕は此処の世界に来て数日しか経っていない。見かけていなくて当然です」
「あ、そうなんだ。……ねえ、お名前聞いてもいい?」
私がそう尋ねると彼はぴたりと足を止めた。それからじっとこちらを見上げて、何か考えるように間を置いて「ボルカノです」と答えた。ああ、やっぱりそうだった。
◇
知らない人についていったら危険じゃないのか。そう聞いた私が愚問だった。九歳の彼は「自己防衛に抜かりはないです。不用意に触れたら火傷しますよ」と答えたので流石としか言いようがない。
図書館には少し迷いながらも何とか辿り着いた。大幅に道を間違える事が無くて本当に良かった。このボルカノ少年に憐れみの目を向けられる事だけは何とか回避。
道案内を終了して、私の役目も終わったかと胸を撫で下ろした所へ「一時間位で用を済ませます。貴女を中央広場まで送り返しますから。僕の所為で家に帰れなくなったとなっても後味が悪いので」と。大人顔負けの紳士風を吹かせる。
こうして図書館内まで彼とご一緒する事となった。彼は図書館に入るなり案内図を確認し、小声で「こっちです」と指を差す。
私は彼の後をついて行きながら周囲を見渡した。生活分野、術分野、生物分野と様々な図書が揃えられているようだ。図書棚の分類に気を取られていたせいか、ふっと前を向いた時には彼の姿を見失っていた。少年の姿を探してキョロキョロしていると、本棚から顔を覗かせた彼に「こっち」と声を掛けられる。
「ごめんね。余所見してたせいではぐれちゃった」
「……図書館内で迷子にはならないくださいよ。聞いたことも無い」
「う…気を付けます」
先に釘を刺されてしまった。君ぐらいの年でスーパーマーケットの中で迷子になって泣いたことがある、なんて言っても分かってもらえないんだろうなあ。迷子になる時はなるんだよ。
彼が選んだ分野は天術・地術のコーナー。朱鳥術について書かれた本を読むのかと思いきや、蒼龍術の背表紙を手に取った。
「……蒼龍術を学んでるの?」
「いえ。僕は朱鳥術を学んでいる。今日は他の術の事を調べにきた」
「勉強熱心だね」
「先生が仰っていた。この世界は精霊のバランスで成り立っていると。一つの術だけでは世界は成り立たない。総てを理解しなければ真理を追究できないんだ」
分厚い本の頁を細い指で捲りながら彼はそう話していた。真っ直ぐな眼差しはあの時に見た物と同じだ。昔から変わっていない。
聞き覚えのあるこのフレーズは彼の弟子から聞いた言葉。こうして師から弟子へと受け継がれていくものなんだ。そう思うと胸が少し熱い。
「……それにこうして調べていくうちに、もとの世界に帰る方法も見つかるかもしれない」
「そっか。君も喚ばれちゃった人だもんね」
彼は蒼龍術に書かれた本を両手でぱたんと閉じた。それを元の棚に戻し、一段上の棚から今度は白虎術の基礎という本を手に取る。表紙をすぐに捲らず、一度私の方を見た。
「貴女はこの世界の人なんですか。…僕が見聞きした限りでは色々な世界から喚ばれた人が此処に集まっている」
「ううん。私は……全然関係のない世界から来たの。しかもこれで二度目」
「二度目?……何かこの世界と関連性があるのでは」
そう言って手を顎の下へ。彼が考え事をする時の見慣れた癖。私はつい可笑しくて笑みを零し、肩を竦めてみせた。
「どうだろうね。私はみんなみたいに戦えないし、役に立っているといえばお店番くらいかな。アイテムは少し作れるけど……一緒に行ったら足手まといになっちゃうかなって」
「アイテム……どんな物ですか」
「火星の砂っていうアイテムで……こんなやつ。図書館は火気厳禁だから気を付けてね」
私はポケットに忍ばせていた小さな袋からそら豆大の小石を取り出す。石の中に揺らめく炎を見た彼の目が輝いているように見えた。それを彼の手に乗せる。親指と人差し指で摘み上げ、明かりにかざす様にしていた。
「……凄い。石の中に炎が渦巻いている」
「見た目は綺麗でしょ?これが衝撃を受けると爆発するんだからびっくりだよね」
返してもらった小石を袋に戻し、またポケットに忍ばせた。有事の時は遠慮なく火柱を上げていいとヴァルドーさんからも許可が出ている。来るべきその時に備えるのには私も賛成だ。来ないのが一番いいんだけど。
彼は本を抱えたまま私の左手に視線を注いでいた。何か他に持っていたかと自分の手の平を見る。興味はどうやらこの指輪のようで、食い入るように見ていた。
「その指輪、御符が入っている。それも貴女が?」
「これは……えっと、私の大切な人が作ってくれた物で」
「……ルビー。スタールビーだ。……成程、術が発動した時に力を分散させる為に…。もっとよく見せてもらってもいいですか」
小さな手が左手に添えられた。角度を変えてルースを観察している。外して見せてあげたいのは山々なんだけど。どうにもこうにも外せない代物だ。
「これ呪われてて外せないの」
「なっ…なんで呪われたアイテムなんか身に着けてるんですか」
「まあ外せないだけだし……もう慣れちゃった」
「……その相手、考え直した方がいいのでは」
その相手が大人になった君だよ。とは言いたくても言えない。無闇やたらと未来の事を口にしてはいけない。ヴァルドーさんにそう怒られたとジニーが口を尖らせていた。
◇
きっかり一時間、本に囲まれて過ごした私達は図書館の外へ出た。本は借りないのかと聞けば「またすぐに来るので」と足繁く通う発言をする。図書館の本全てを読破しそうな勢いに感服してしまいそう。
そして私が歩き出そうとすると、左手を小さな手にがっちり掴まれた。「一人で歩かせると迷子になる」との理由で。もはや私の方が子ども扱いだ。
「目を離した隙に居なくなりそうですから」
「……私ってそんなに迷子になりそう?」
「はい。現に来た道はそっちじゃない」
ぐうの音も出ない。
彼の手に引かれ、元来た道を歩いていく。胸の奥にまで届くこの小さな温もり。今と全く変わらない。
自然と顔が綻んでいたんだろう。くるりと振り向いた彼に「一人で笑って、おかしい人ですね」と言われてしまった。
「顔に出てた?」
「ええ。貴女は感情が表に出やすくて分かりやすい。この短時間でもそう思えるほどに」
「ふふ……よく言われる」
中央広場が見えてきた。小さな彼のエスコートもあと少し。また会いたい気もするけど、余計な事まで喋っちゃいそうだから会わない方がいい気もする。別れ際になんて言おうかな。そう考えていた時に後ろから「霧華」と聞き慣れた声がした。振り向いた先には真紅の衣装を纏った青年。まさにこの少年を成長させた本人だ。討伐隊の任務を遂行した帰りだろうか。少しくたびれている様に思える。
しまった。一番やってはいけない事をしてしまった。当人同士を対面させるのはかなり不味いのではないだろうか。とりあえず慌てて私は少年の目を両手で覆った。
「あわわ……タイムパラドックスが!未来が変わっちゃう!」
「……もう遅い気もするがな」
酷く落ち着いた声でボルカノさんはそう言った。その口ぶりからして事情はもう察していそうだ。それでもこの少年は大人になった自分を見てどう思うのか。知らない方がいい事もある。
私の心配をよそに少年はこの手を振り払い、彼をじっと見上げた。大丈夫かな。世界滅亡とかしないかな。かの有名な科学者は別時点の自分同士が対面すると地球が滅びるとか言ってたし。
「……この人が」
「う、うん?」
「貴女の恋人ですか」
「そう、だけど」
少年は彼の頭から爪先まで視線を往復させる。そして「趣味が悪い」と真顔で言い放った。それは私の趣味が悪いのか、彼の服のセンスが悪いのかは分からない。どちらとも取れる発言に彼の眉と口の端がひくりと吊り上がった。衝動的に何か言いたそうにしていた彼は咳払いを一つ。十五年前の自分を見下ろす。やがて静かに話し始めた。
「一つだけ忠告しておこう。いずれ決断を迫られる時が来る。……その時は自分の感情を偽るな。少しは未来が変わるかもしれん。オレが…教えてやれるのはそれだけだ」
お前の事だから真実を知りたいだろうがな。これ以上は言えん、と。踵を返した彼の背を小さな彼が追いかけていく。ああ、後ろ姿もなんだか変わり無い。
「待ってください」
静かに呼び止めてきた少年を無視することもできなかったんだろう。立ち止まった彼は振り向かずに待っていた。
「貴方は、今の自分に後悔しているのか」
その背に少年時代の彼が問いかける。
「……この間まではな。今は違う」
「今は……?」
「あと十五年も経てば分かることだ。それと…少しは素直になった方がいい」
長すぎる、と愚痴を零す少年。毎日が煌めきに溢れた日々だと、年月の経過は遅く感じる。そして気が付けばあっという間に一ヶ月が過ぎ、季節が変わっていく。歳を重ねれば重ねる程、その感覚は短くなる。「あっという間だ」と答えた彼に同感した。
気が付けばボルカノさんはもう歩き始めていた。その場で難しい顔で悩む少年に私は「またね」と手を振り、大きな背中を追いかけていく。
小走りで追いついた彼の横に並ぶ。横を見上げると、彼もまた眉を寄せて小難しそうな表情だった。
「どうかしたんですか。……やっぱり昔の自分に会うのは不味かったとか」
「違う。それに関しては問題ない」
聞けばタチアナちゃんも九歳の自分と対面していたようで、彼女達は仲良く手を繋いでお出かけをしているとか。想像したらちょっとかわいい。双子みたい。
そして、星読みの話でも星のズレは確認されておらず、この件に関しては特に問題は生じていないらしい。つくづくこの世界は何でもありだなあ。
「……いい加減頭がおかしくなりそうだ。過去の自分、未来の……。それにしてもどうして今まで気がつかなかったのか」
「何がですか?」
「君を最初に喚び出した要因はオレだ」
「まあそうですよね」
一年前、自宅の部屋から召び出されたのが事の始まり。あの時、彼は実験的に召喚術を行っていたと話した。自分の責任だからと送還術を組み立てる為に諸国を回り、術を完成させた。
でもそれは分かっている。他の要因があったんだろうか。
あの時、と彼はどこか遠くを見つめるようにぽつりと話し始めた。
「…昔会ったあの人は自分の世界に帰れたんだろうかと。心のどこかで気にかけていたんだ。ほんの一瞬、そう考えてしまったせいで霧華を引き寄せてしまった。……それがまさかこんなことになるとはな」
「今さらですよ。…色々ありましたけど、私はまたボルカノさんに会えたから別に気にしてません」
「そうか。…有り難う」
「それよりも昔の自分にあんなこと言っちゃって良かったんですか?…未来が変わってしまうかもしれないんですよ」
過去の出来事が変われば未来も同時に塗り替えられていく。どこかの時点で何かが変われば、私がこの場所にいない可能性も出てくるんだ。
私のそんな不安を払拭させるかのように彼がふっと笑いかけてきた。
「心配するな。…未来は無数に存在するもの。彼の選択により変わるのは彼の未来。今のオレたちには影響しない。彼の時間とオレの時間軸が交わることはないということだ」
「……すみません。難しすぎて理解ができそうにないです」
どうやら過去を変えれば未来が変わるという単純な話ではないらしい。あらゆる時点での自分が存在するとかそういう話だそうだ。
彼が私の左手を掴んで、軽く握りしめた。この温もりが不安を和らげてくれる。今が塗り替えられなければ、まあ、いいか。
私はその手を握り返して肩を寄せた。この先に続く道が私達にとってかけがえのない物になりますように。