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永遠
バレンタインデーに十二本の赤いバラをボルカノさんから贈られた。逆チョコならぬ、欧州の習わしを実行してくれた事に正直驚きを隠せずにいた。
私が三百年前の世界でイベントの話をした際、私の国では女性から男性にチョコレートを贈る日だと説明した。諸国では男性からカードやバラ等の花束を贈る風習だとも。それを覚えていてくれたようで、あやかってバラの花束を贈ってくれたようだ。
ただ、抱きしめられた時に囁かれた言葉がずっと引っかかっていた。意味が分かってからでいいから返事が欲しいと。一体何のことかさっぱりだった。
十二本のバラは花瓶に挿して楽しんだ後、干してドライフラワーにした。金縁で誂えた白いリボンで茎を結び、壁際に下げて今も飾られている。アロマオイルがあれば香りも楽しめるんだけど、それを調達するのも忘れるぐらいに忙しい日々が過ぎ去っていった。
それでも暇な時にぼんやりとバラの花束の意味を考えてきた。赤いバラが情熱や愛情という花言葉なのは知っている。本数に関しては百本や九十九本ならば知っていた。ポピュラーなものだし。でも、十二本という中途半端な数は聞いたことがない。
一人で悩み考えるうちに時は三月十四日を迎えてしまった。世間ではホワイトデーである。そんな日に、物知りであろうトーマスの部屋に私は訪れていた。
「十二本の赤いバラ、か。それをボルカノから?」
コーヒーのマグを傾けながら私の話を聞いていた彼がふむと顎下に指を当て「彼らしい」と呟いた。確かに赤いバラはボルカノさんらしい。これで白いバラでも贈られてきたらどうしたのかと聞き返したくなっただろう。
「そう。意味が分かってからでいいから、と。言われてもうひと月経っちゃうんだけどね。考えても全然分からないし……そこでトーマスの知恵を借りたいなあと思いまして」
「もう少し早めに聞いてくれた方が良かったかもしれないな、それは」
「すみません。お店が急がしくて」
何せバレンタインに乗っかってセールだ、それが終わればホワイトデーセールだと店側が張り切ってしまった。そのせいで目が回るくらい忙しかったんだ。部屋に戻っても疲れ切っていたし、休日も部屋に籠っていることが多かった。
「お疲れ様。今はようやく落ち着いてきた頃か。ホワイトデーの贈り物を買うなら前日に済ませる人が多いからね」
「うん。トーマスはもうみんなに渡す物は用意したの?」
「ああ、勿論。オレはそんなに数は貰っていないからすぐに調達できたよ」
「そっか。……私も面倒臭がらずにお世話になってる人にはチョコを渡せば良かったかなあ」
今目の前にいるトーマスを始め、この世界でお世話になっている人が沢山いる。異性に限らずだ。今度別の日に何かしようと考えていた所、彼が苦笑した。
「気持ちを形に表すのは良い考えだとは思うけど……今の話は彼にしない方が良い」
「え。なんでですか」
温かいコーヒーは酸味が少なくて飲みやすい。普段は紅茶ばかり飲んでいるから、偶に飲むコーヒーがとても美味しいと感じる。それに彼の部屋に来れば、産地から取り寄せた豆だと言って振る舞ってくれるのでついつい足を運びたくなってしまう。それにしてもトーマスはコーヒーも紅茶もどちらも似合う。絵になると見る度に思う。
「なんで、って。……彼は君以外の女性からは一切貰っていないと話したんだろう?それなのに霧華が周囲に配っていては…機嫌も損ねてしまうよ。いくら公平で感謝の気持ちだからと弁解しても、面倒な事になりかねない」
「なるほど。ご尤もです。面倒事は極力避けたいです。……それで、このバラの意味って」
「ああ。そうだった。……うーん」
優しく笑っていた彼が困ったなと言いたげに眉尻を下げた。博識な彼でも知らない事だったんだろうか。そう尋ねてみれば小さく首を横に振った。
「いや。何となくは分かる。でもオレが話していいものかどうか……。バラに詳しい人、白薔薇姫に聞いてみたらどうだ?」
「それが今遠征中で居なくて。私もバラなら白薔薇姫が、と思ったんだけど」
「そうか。それは残念だな。……他に詳しそうな人は」
部屋のドアをノックする音がトン、トンと控えめに聞こえてきた。その静かな鳴らし方から落ち着きのある人物の来訪だと思わせる。
「どうぞ」と応えたトーマスの合図で扉を開けた人物は予想通り物腰の落ち着いた女性だった。プラチナブロンドの緩く巻いた長い髪を垂らし、浅黄色のワンピースに身を包んでいる。彼女の後方には背の高い武骨な体つきをした銀髪の青年。
この二人は私がここに居るとは思っていなかったようで。目を少し丸くした後にミューズさんが微笑みかけてきた。
「こんにちは。霧華さんもいらしたのね。……私達が上がっても大丈夫かしら」
「ええ、問題ありません。今お茶を用意します。かけてお待ち下さい」
「ありがとう。貴方が淹れてくれるお茶は美味しいからいつも楽しみにしているのよ。ねえシャール」
「はい。ご教授願いたいほどです」
彼女の護衛として付き添っている元騎士であるシャールさんが表情を崩さずに言う。「誉めすぎですよ」とキッチンへトーマスが消えていった。お茶やコーヒーの淹れ方も料理も得意な男性って早々居ない。以前、それをボルカノさんの前で褒めちぎったらえらく機嫌を損ねたことがあった。ピドナに居た時だったかな。思えばあれも妬いていたんだろうか。
テーブルの空いた席に着いた後、ミューズさんが「貴女はコーヒーを飲んでいらしたのね。私も偶には飲みたいわ」と恨めし気に銀髪の彼を見た。カフェインの多さから体に障るから控えるようにと言われているんだろう。
「君はどうしてトーマス君の所にいるんだ」
「そうね。てっきり彼とデートに行っていると思っていたわ。シャールと同じ、朱鳥術を扱う術士さんと」
「あ、ボルカノさんは朝からバンガード周辺の魔物討伐隊として出掛けてますよ」
だからこそ気兼ねなく訪ねてきたのだ。
二人は目を瞬かせて、互いに顔を見合わせる。それから私の方へと同時に向いた。
「君はお返しをねだるような性格ではない、か」
「あら。それだと私が貴方に強要したみたいな言い方ね?」
「そ、そういうつもりで言ったわけではありません。ミューズ様」
小さな口を尖らせていたミューズさんが「冗談よ」と上品な笑みに変えてくすくすと笑う。慌てた彼の様子を楽しんでいるようだった。
「お待たせしました。熱いのでお気をつけください」
「ありがとう。良い香りね。私この紅茶が大好きなのよ」
ティーカップに注がれた紅茶の香りを嗅いでにっこりと笑った。ソーサーに乗せたティーカップを二人の前に差し出して「昨日焼いた物ですが」と見栄えの良いクッキーを別皿に添えた。
「以前シャールさんからお聞きしていたので用意しておいたんです」
「そうなの?わざわざありがとう。シャールもね」
「…いえ、私は別に」
「こういう時は素直に受けとるべきですよーシャールさん」
「そうよ」
私達にそう責められた彼は居心地が悪そうに咳払いを一つ。赤く染めた顔をぷいと背けてしまった。その様子をまた楽しむように微笑む女神の眼差しはとても優しい。
ピドナの旧市街で彼女と初めて会った時、身分の高い人だからと畏まっていた私に「様は要らないわ」と。気兼ねなく話してと言われたので、お言葉に甘えているのだ。
「そうだ。霧華、バラの事ならミューズ様もお詳しい。聞いてみたらどうだろう」
「あ、そっか。ミューズさんもバラに詳しいもんね」
「あら、何かしら?バラの事ならなんでも聞いてちょうだい」
私はついさっきトーマスに話したことをミューズさんにも繰り返し伝える。うん、うんと相槌をしてくれる彼女の顔が次第に綻んでいった。それに対してシャールさんは何の事やらと黙って聞いていた。すっかり話を終えた後、彼女は晴れやかな笑みを浮かべていた。これにデジャヴを覚えたのはひと月前にも同じ様に白薔薇姫がそうしていたのを思い出したからだ。
「まあ。素敵な贈り物を頂いたのね。霧華さんどうしてもっと早く聞いてくれなかったのかしら」
「さっきトーマスにも同じ事を言われました」
「本来ならばその場で返事をしなければ意味がないのよ」
「ええー…だって意味が分かってからで良いって本人も」
「悠長な方ね。貴女もその人も」
「彼女の性格を知っての事でしょうからね」
「……シャールさあああん。二人が虐めてきます!」
ふざけて彼に泣きついてみるも、未だに何の事だと顔を顰めているだけだった。
「私にはさっぱり話が見えんのだが。ミューズ様、そのバラと本数には何か意味があるのですか」
「ええ。赤いバラの花言葉は愛情。そして十二本のバラには1本ずつ意味が込められているのよ。情熱、永遠、真実、栄光、誠実、感謝、努力、希望、尊敬、幸福、信頼、愛情の意味が。ダズンローズと呼ばれているの。一ダースのバラの花束だから。主にプロポーズで使われる手法よ」
「ぷっプロポーズ!?」
「そう。本来ならばその花束から一輪を抜き出して、贈られた相手の胸ポケットに挿して返事をするのよ」
だから二人とも早く聞いてくれた方が良かったと言うんだ。全てドライフラワーとなって飾りになっていると話せば「私が管理している庭のバラを一輪あげるわ」とティーカップの紅茶を飲み干し、席を立つ。そんな急にと私が宥めても「善は急げと言うでしょう。行くわよ、シャール」と彼を引き連れていってしまった。彼女は夢魔の一件から行動的になったと前にシャールさんから聞いた。本当に行動的でこちらが置いてけぼりになりそうだった。
◇◆◇
真っ赤なバラを一輪、庭の管理者から譲り受けてきた。ベルベットのような手触りで深い真紅の花びら。
自分の世界でも赤い物を見る度に彼の事を思い出していた。元気にしているのかな。また弟子を集めて拠点を設けて研究に勤しんでいるのかな、とか。そう考えるだけで何だか寂しい気持ちに囚われてしまった。だからここ暫くは赤い物は遠ざけていたんだ。
紙で丁重に包まれたバラを部屋に持ち帰り、ひとまずリビングのテーブルへ置いた。棘は全て抜いてある。それをじっと見つめながらどうやって渡そうか考えていた。あの時の返事なんですけど、と切り出せばいいんだろうか。ちょっと待って。チョコレートを渡した時以上に緊張してきたんだけど。バラの茎の長さはミューズさんが予め整えてくれた。けれど胸ポケットにバラを挿すって、あの服にそんなものあったのかな。過ぎる緊張のせいで思い出せなくなってきた。
はあと深い溜息をついた直後、玄関をノックする音に振り向く。時刻はもう17時を過ぎている。もしやと思って慌てて玄関を開けると、そこに黒いタキシードに身を包んだ渦中の人物が立っていた。いつか見た格好に近い。髪型はいつも通りだけど、ピドナの舞踏会で着ていた礼装と酷似していた。
「お、おっお帰りなさい!お疲れ様です!……その恰好で魔物討伐に行ってたんですか」
「そんな訳ないだろ。さっき戻ってから着替えたんだ。……今日はホワイトデーだからな。先月の礼で食事に誘いに来たんだが」
「ユリアンが礼装姿でポルカ達の危機に駆けつけたっていうから。ボルカノさんもそうだったのかな…って」
「奴ならさっきエレンに胸倉を掴まれていたぞ」
「……エレンの逆鱗に触れちゃったのかな」
「さあてな。それで、この後の予定は」
「無いです!着替えてくるので、リビングで待っててください」
玄関先からリビングへ彼を通した際、テーブルの上にあったバラを慌てて紙に包んで寝室へ持ち込んだ。その様が伝わってしまったようで「急がなくていい」と言われた。どうやらバラは見られていないようで安心。
寝室のクローゼットを開けて、よそ行きのワンピースに袖を通す。白い厚手のショールを肩に羽織り、化粧を簡単に直した。手早く身支度を済ませた私はバラの茎をそっと摘まみ上げる。胸の高鳴りが次第に速くなっていく。後戻りはできない。それでもいいんだと自分に言い聞かせる。
そのバラを後ろ手に隠しながらリビングへ向かった。
リビングへ戻ってくると、彼は壁際に飾られているバラのドライフラワーを見上げている所だった。どこか感心したような目で。ドライフラワーなんて珍しいものでもないんだけど。
「お待たせしました」と声を掛けると裏地が赤いテールがひらりと弧を描く。やっぱりさりげなく赤を取り入れていた。赤は切っても切り離せない色なんだろう。この人にとって。
「早かったな。……このドライフラワー、霧華が作ったものなのか」
「そうです。ボルカノさんからひと月前に貰ったやつ、です。枯らすだけじゃ嫌だなあって」
「飾り方に君らしい部分が見えた。それに上手く出来上がっている。ここまで綺麗な形を残すには大変だったろう。……生花とはいえ大事にしてくれていたんだな」
ふっと口元を綻ばせた笑み。相変わらずカッコイイなと見惚れるようになったのはいつからだったか。自分でも気が付かないうちに、惹かれていたのかもしれない。そうじゃなきゃ還り際に残された告白に一年も悩まされる事が無かった。
「そ、そりゃあそうですよ。…好きな人から貰った物だし。あの、ボルカノさん。あの時の返事ってまだ、待ってます…よね」
「ああ。気長に待っている」
顔色一つ変えずにそう答えられた。本当に悠長だなあと思う反面、そんな風にさせてしまったのは私のせいでもある。私が無知なばっかりに。こうして自分の首も絞めているのだから。改めてその返事をするのってとてつもなく勇気がいる事だと今まさに思い知っていた。
「その返事、今してもいいですか」
最高の演出をと考えてもみたけど、私には無理だ。どこかで失敗してしまうよりも、真っ向からの方が誠心誠意伝わる。後ろ手に隠していた赤いバラを彼に差し出すと、俄かに目を見開いていた。
「今日、十二本のバラの意味をミューズさんから聞いたんです。……貰ったバラは全部ドライフラワーにしちゃったし、代わりの物なんだけど。……この未来の世界から帰る時、私も一緒に連れていってください」
声も、手も震えていた。その震えた手を支える様にして彼の手が包み込む。サテンの生地から人肌の熱がじわじわと伝わってきた。距離を詰めて近づけられた顔に呼吸が止まりそうになる。
「正式な返事として受け取っていいんだな」
「は、はい。……むしろ置いてかれでもしたら、どうしたらいいか分かんなくなるし。もう、忘れる事に時間かけたくないです」
「そんな心配は無用だ。一生添い遂げてもらうつもりだからな」
バラを持つ手の甲に口づけが落とされる。
私から貴方へ返すバラの言葉は永遠の意味を込めて、彼の胸ポケットにそっとバラを挿した。
バレンタインデーに十二本の赤いバラをボルカノさんから贈られた。逆チョコならぬ、欧州の習わしを実行してくれた事に正直驚きを隠せずにいた。
私が三百年前の世界でイベントの話をした際、私の国では女性から男性にチョコレートを贈る日だと説明した。諸国では男性からカードやバラ等の花束を贈る風習だとも。それを覚えていてくれたようで、あやかってバラの花束を贈ってくれたようだ。
ただ、抱きしめられた時に囁かれた言葉がずっと引っかかっていた。意味が分かってからでいいから返事が欲しいと。一体何のことかさっぱりだった。
十二本のバラは花瓶に挿して楽しんだ後、干してドライフラワーにした。金縁で誂えた白いリボンで茎を結び、壁際に下げて今も飾られている。アロマオイルがあれば香りも楽しめるんだけど、それを調達するのも忘れるぐらいに忙しい日々が過ぎ去っていった。
それでも暇な時にぼんやりとバラの花束の意味を考えてきた。赤いバラが情熱や愛情という花言葉なのは知っている。本数に関しては百本や九十九本ならば知っていた。ポピュラーなものだし。でも、十二本という中途半端な数は聞いたことがない。
一人で悩み考えるうちに時は三月十四日を迎えてしまった。世間ではホワイトデーである。そんな日に、物知りであろうトーマスの部屋に私は訪れていた。
「十二本の赤いバラ、か。それをボルカノから?」
コーヒーのマグを傾けながら私の話を聞いていた彼がふむと顎下に指を当て「彼らしい」と呟いた。確かに赤いバラはボルカノさんらしい。これで白いバラでも贈られてきたらどうしたのかと聞き返したくなっただろう。
「そう。意味が分かってからでいいから、と。言われてもうひと月経っちゃうんだけどね。考えても全然分からないし……そこでトーマスの知恵を借りたいなあと思いまして」
「もう少し早めに聞いてくれた方が良かったかもしれないな、それは」
「すみません。お店が急がしくて」
何せバレンタインに乗っかってセールだ、それが終わればホワイトデーセールだと店側が張り切ってしまった。そのせいで目が回るくらい忙しかったんだ。部屋に戻っても疲れ切っていたし、休日も部屋に籠っていることが多かった。
「お疲れ様。今はようやく落ち着いてきた頃か。ホワイトデーの贈り物を買うなら前日に済ませる人が多いからね」
「うん。トーマスはもうみんなに渡す物は用意したの?」
「ああ、勿論。オレはそんなに数は貰っていないからすぐに調達できたよ」
「そっか。……私も面倒臭がらずにお世話になってる人にはチョコを渡せば良かったかなあ」
今目の前にいるトーマスを始め、この世界でお世話になっている人が沢山いる。異性に限らずだ。今度別の日に何かしようと考えていた所、彼が苦笑した。
「気持ちを形に表すのは良い考えだとは思うけど……今の話は彼にしない方が良い」
「え。なんでですか」
温かいコーヒーは酸味が少なくて飲みやすい。普段は紅茶ばかり飲んでいるから、偶に飲むコーヒーがとても美味しいと感じる。それに彼の部屋に来れば、産地から取り寄せた豆だと言って振る舞ってくれるのでついつい足を運びたくなってしまう。それにしてもトーマスはコーヒーも紅茶もどちらも似合う。絵になると見る度に思う。
「なんで、って。……彼は君以外の女性からは一切貰っていないと話したんだろう?それなのに霧華が周囲に配っていては…機嫌も損ねてしまうよ。いくら公平で感謝の気持ちだからと弁解しても、面倒な事になりかねない」
「なるほど。ご尤もです。面倒事は極力避けたいです。……それで、このバラの意味って」
「ああ。そうだった。……うーん」
優しく笑っていた彼が困ったなと言いたげに眉尻を下げた。博識な彼でも知らない事だったんだろうか。そう尋ねてみれば小さく首を横に振った。
「いや。何となくは分かる。でもオレが話していいものかどうか……。バラに詳しい人、白薔薇姫に聞いてみたらどうだ?」
「それが今遠征中で居なくて。私もバラなら白薔薇姫が、と思ったんだけど」
「そうか。それは残念だな。……他に詳しそうな人は」
部屋のドアをノックする音がトン、トンと控えめに聞こえてきた。その静かな鳴らし方から落ち着きのある人物の来訪だと思わせる。
「どうぞ」と応えたトーマスの合図で扉を開けた人物は予想通り物腰の落ち着いた女性だった。プラチナブロンドの緩く巻いた長い髪を垂らし、浅黄色のワンピースに身を包んでいる。彼女の後方には背の高い武骨な体つきをした銀髪の青年。
この二人は私がここに居るとは思っていなかったようで。目を少し丸くした後にミューズさんが微笑みかけてきた。
「こんにちは。霧華さんもいらしたのね。……私達が上がっても大丈夫かしら」
「ええ、問題ありません。今お茶を用意します。かけてお待ち下さい」
「ありがとう。貴方が淹れてくれるお茶は美味しいからいつも楽しみにしているのよ。ねえシャール」
「はい。ご教授願いたいほどです」
彼女の護衛として付き添っている元騎士であるシャールさんが表情を崩さずに言う。「誉めすぎですよ」とキッチンへトーマスが消えていった。お茶やコーヒーの淹れ方も料理も得意な男性って早々居ない。以前、それをボルカノさんの前で褒めちぎったらえらく機嫌を損ねたことがあった。ピドナに居た時だったかな。思えばあれも妬いていたんだろうか。
テーブルの空いた席に着いた後、ミューズさんが「貴女はコーヒーを飲んでいらしたのね。私も偶には飲みたいわ」と恨めし気に銀髪の彼を見た。カフェインの多さから体に障るから控えるようにと言われているんだろう。
「君はどうしてトーマス君の所にいるんだ」
「そうね。てっきり彼とデートに行っていると思っていたわ。シャールと同じ、朱鳥術を扱う術士さんと」
「あ、ボルカノさんは朝からバンガード周辺の魔物討伐隊として出掛けてますよ」
だからこそ気兼ねなく訪ねてきたのだ。
二人は目を瞬かせて、互いに顔を見合わせる。それから私の方へと同時に向いた。
「君はお返しをねだるような性格ではない、か」
「あら。それだと私が貴方に強要したみたいな言い方ね?」
「そ、そういうつもりで言ったわけではありません。ミューズ様」
小さな口を尖らせていたミューズさんが「冗談よ」と上品な笑みに変えてくすくすと笑う。慌てた彼の様子を楽しんでいるようだった。
「お待たせしました。熱いのでお気をつけください」
「ありがとう。良い香りね。私この紅茶が大好きなのよ」
ティーカップに注がれた紅茶の香りを嗅いでにっこりと笑った。ソーサーに乗せたティーカップを二人の前に差し出して「昨日焼いた物ですが」と見栄えの良いクッキーを別皿に添えた。
「以前シャールさんからお聞きしていたので用意しておいたんです」
「そうなの?わざわざありがとう。シャールもね」
「…いえ、私は別に」
「こういう時は素直に受けとるべきですよーシャールさん」
「そうよ」
私達にそう責められた彼は居心地が悪そうに咳払いを一つ。赤く染めた顔をぷいと背けてしまった。その様子をまた楽しむように微笑む女神の眼差しはとても優しい。
ピドナの旧市街で彼女と初めて会った時、身分の高い人だからと畏まっていた私に「様は要らないわ」と。気兼ねなく話してと言われたので、お言葉に甘えているのだ。
「そうだ。霧華、バラの事ならミューズ様もお詳しい。聞いてみたらどうだろう」
「あ、そっか。ミューズさんもバラに詳しいもんね」
「あら、何かしら?バラの事ならなんでも聞いてちょうだい」
私はついさっきトーマスに話したことをミューズさんにも繰り返し伝える。うん、うんと相槌をしてくれる彼女の顔が次第に綻んでいった。それに対してシャールさんは何の事やらと黙って聞いていた。すっかり話を終えた後、彼女は晴れやかな笑みを浮かべていた。これにデジャヴを覚えたのはひと月前にも同じ様に白薔薇姫がそうしていたのを思い出したからだ。
「まあ。素敵な贈り物を頂いたのね。霧華さんどうしてもっと早く聞いてくれなかったのかしら」
「さっきトーマスにも同じ事を言われました」
「本来ならばその場で返事をしなければ意味がないのよ」
「ええー…だって意味が分かってからで良いって本人も」
「悠長な方ね。貴女もその人も」
「彼女の性格を知っての事でしょうからね」
「……シャールさあああん。二人が虐めてきます!」
ふざけて彼に泣きついてみるも、未だに何の事だと顔を顰めているだけだった。
「私にはさっぱり話が見えんのだが。ミューズ様、そのバラと本数には何か意味があるのですか」
「ええ。赤いバラの花言葉は愛情。そして十二本のバラには1本ずつ意味が込められているのよ。情熱、永遠、真実、栄光、誠実、感謝、努力、希望、尊敬、幸福、信頼、愛情の意味が。ダズンローズと呼ばれているの。一ダースのバラの花束だから。主にプロポーズで使われる手法よ」
「ぷっプロポーズ!?」
「そう。本来ならばその花束から一輪を抜き出して、贈られた相手の胸ポケットに挿して返事をするのよ」
だから二人とも早く聞いてくれた方が良かったと言うんだ。全てドライフラワーとなって飾りになっていると話せば「私が管理している庭のバラを一輪あげるわ」とティーカップの紅茶を飲み干し、席を立つ。そんな急にと私が宥めても「善は急げと言うでしょう。行くわよ、シャール」と彼を引き連れていってしまった。彼女は夢魔の一件から行動的になったと前にシャールさんから聞いた。本当に行動的でこちらが置いてけぼりになりそうだった。
◇◆◇
真っ赤なバラを一輪、庭の管理者から譲り受けてきた。ベルベットのような手触りで深い真紅の花びら。
自分の世界でも赤い物を見る度に彼の事を思い出していた。元気にしているのかな。また弟子を集めて拠点を設けて研究に勤しんでいるのかな、とか。そう考えるだけで何だか寂しい気持ちに囚われてしまった。だからここ暫くは赤い物は遠ざけていたんだ。
紙で丁重に包まれたバラを部屋に持ち帰り、ひとまずリビングのテーブルへ置いた。棘は全て抜いてある。それをじっと見つめながらどうやって渡そうか考えていた。あの時の返事なんですけど、と切り出せばいいんだろうか。ちょっと待って。チョコレートを渡した時以上に緊張してきたんだけど。バラの茎の長さはミューズさんが予め整えてくれた。けれど胸ポケットにバラを挿すって、あの服にそんなものあったのかな。過ぎる緊張のせいで思い出せなくなってきた。
はあと深い溜息をついた直後、玄関をノックする音に振り向く。時刻はもう17時を過ぎている。もしやと思って慌てて玄関を開けると、そこに黒いタキシードに身を包んだ渦中の人物が立っていた。いつか見た格好に近い。髪型はいつも通りだけど、ピドナの舞踏会で着ていた礼装と酷似していた。
「お、おっお帰りなさい!お疲れ様です!……その恰好で魔物討伐に行ってたんですか」
「そんな訳ないだろ。さっき戻ってから着替えたんだ。……今日はホワイトデーだからな。先月の礼で食事に誘いに来たんだが」
「ユリアンが礼装姿でポルカ達の危機に駆けつけたっていうから。ボルカノさんもそうだったのかな…って」
「奴ならさっきエレンに胸倉を掴まれていたぞ」
「……エレンの逆鱗に触れちゃったのかな」
「さあてな。それで、この後の予定は」
「無いです!着替えてくるので、リビングで待っててください」
玄関先からリビングへ彼を通した際、テーブルの上にあったバラを慌てて紙に包んで寝室へ持ち込んだ。その様が伝わってしまったようで「急がなくていい」と言われた。どうやらバラは見られていないようで安心。
寝室のクローゼットを開けて、よそ行きのワンピースに袖を通す。白い厚手のショールを肩に羽織り、化粧を簡単に直した。手早く身支度を済ませた私はバラの茎をそっと摘まみ上げる。胸の高鳴りが次第に速くなっていく。後戻りはできない。それでもいいんだと自分に言い聞かせる。
そのバラを後ろ手に隠しながらリビングへ向かった。
リビングへ戻ってくると、彼は壁際に飾られているバラのドライフラワーを見上げている所だった。どこか感心したような目で。ドライフラワーなんて珍しいものでもないんだけど。
「お待たせしました」と声を掛けると裏地が赤いテールがひらりと弧を描く。やっぱりさりげなく赤を取り入れていた。赤は切っても切り離せない色なんだろう。この人にとって。
「早かったな。……このドライフラワー、霧華が作ったものなのか」
「そうです。ボルカノさんからひと月前に貰ったやつ、です。枯らすだけじゃ嫌だなあって」
「飾り方に君らしい部分が見えた。それに上手く出来上がっている。ここまで綺麗な形を残すには大変だったろう。……生花とはいえ大事にしてくれていたんだな」
ふっと口元を綻ばせた笑み。相変わらずカッコイイなと見惚れるようになったのはいつからだったか。自分でも気が付かないうちに、惹かれていたのかもしれない。そうじゃなきゃ還り際に残された告白に一年も悩まされる事が無かった。
「そ、そりゃあそうですよ。…好きな人から貰った物だし。あの、ボルカノさん。あの時の返事ってまだ、待ってます…よね」
「ああ。気長に待っている」
顔色一つ変えずにそう答えられた。本当に悠長だなあと思う反面、そんな風にさせてしまったのは私のせいでもある。私が無知なばっかりに。こうして自分の首も絞めているのだから。改めてその返事をするのってとてつもなく勇気がいる事だと今まさに思い知っていた。
「その返事、今してもいいですか」
最高の演出をと考えてもみたけど、私には無理だ。どこかで失敗してしまうよりも、真っ向からの方が誠心誠意伝わる。後ろ手に隠していた赤いバラを彼に差し出すと、俄かに目を見開いていた。
「今日、十二本のバラの意味をミューズさんから聞いたんです。……貰ったバラは全部ドライフラワーにしちゃったし、代わりの物なんだけど。……この未来の世界から帰る時、私も一緒に連れていってください」
声も、手も震えていた。その震えた手を支える様にして彼の手が包み込む。サテンの生地から人肌の熱がじわじわと伝わってきた。距離を詰めて近づけられた顔に呼吸が止まりそうになる。
「正式な返事として受け取っていいんだな」
「は、はい。……むしろ置いてかれでもしたら、どうしたらいいか分かんなくなるし。もう、忘れる事に時間かけたくないです」
「そんな心配は無用だ。一生添い遂げてもらうつもりだからな」
バラを持つ手の甲に口づけが落とされる。
私から貴方へ返すバラの言葉は永遠の意味を込めて、彼の胸ポケットにそっとバラを挿した。