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Dozen Rose
バンガードよりも北方に位置する小さな村、キドラント。そこでお菓子屋を祖父と営む孫娘の依頼を受けたポルカ達はネズミ退治に森の奥へと進んだ。村の名前といい、動物の種類といいデジャヴを覚えた私は嫌な予感がした。けれど、無事に彼らは洞窟の奥に潜んでいたネズミを懲らしめて帰還。ポルカが蜂に刺されて大変だったと言う話は聞いたけど。
これでようやく店を開けると気合を入れた少女が外に設置した販売スペース。商品は勿論、この時期が一番売れるチョコレート。バレンタイン用に可愛らしくラッピングされた物が飛ぶように売れたのも売り子達のおかげだろう。エレン曰く商魂逞しい少女を見ているとバレンタインはお菓子屋の陰謀だという自分の世界の事を思い出した。
交替で休憩に入ってもいいとお達しが出たので、私はエレン、白薔薇姫と一緒に店内の小さな休憩スペースで休んでいた。私は普段から雑貨屋の手伝いをしているからこういった仕事には慣れている。でも、エレンは服装から仕事まで全てに慣れていないせいか随分とぐったりしている。椅子に座り込んだ彼女は背を丸く屈め、深い溜息まで聞こえてきた。
「エレン、大丈夫?」
「ええ。……ただ、色々慣れない事したから。気疲れかしら。あたしには向いてないわ。貴女も災難ね。無理やり連れて来られたんだし」
屈めていた体をぐっと上に伸ばしながら「私はこれっきり御免ね」とぼやく。力仕事や魔物退治の方が気楽でいいそうだ。
休憩スペースにふわりと芳しい香りが漂った。その香りを手繰るように探すと、白い薔薇の可憐なドレスに身を包んだ女性に辿り着く。にこりと笑った目と目が合った。彼女が持つトレイには三つのマグカップ。透き通ったルビー色の水面から湯気が立っている。
「温かい紅茶が入りました。どうぞお飲みになってください」
「ありがとう白薔薇姫。…これ、ローズティー?」
受け取ったマグカップから香る紅茶の香りに交じる薔薇の芳香。口をつけるより先にその事に気が付いたのが彼女にとって嬉しかったのか、ふわりと花のように微笑んだ。
「はい。霧華様は紅茶にお詳しいのですね」
「前にも飲んだことあったから。美味しいよね、ローズティー。私も好き」
「そう言っていただけて嬉しいですわ。エレン様もどうぞ」
「ありがと。……あたしは紅茶詳しくないからよく分かんないけど、白薔薇姫が淹れてくれた紅茶は美味しいと思うよ」
彼女の白い頬に赤みが薄っすらと刺す。嬉しそうにしていた。上級妖魔ともなると照れ方も上品で綺麗だ。人を惹きつける魅力をひしひしと感じる。
かじかんだ手をマグカップで温めながら、私は外の賑わいをどこか遠い世界の事のように聞いていた。二人が取り留めのない会話をしている最中、不意に私に振られた話に一気に引き戻される。
「霧華はあげるんでしょ、チョコレート」
「へ?あげるって、誰に?」
私の回答はあんまりなものだったらしい。シノン村一番の美人と称された彼女の眉が訝しげに寄せられた。というか、物凄く険しい顔をされている。それとは対照的に白薔薇姫は顔を綻ばせた。
「誰にって、ボルカノに決まってるじゃない。他にあげる人いるわけ?」
「えっ!?あ、いや……だって、今さらかなあって」
バレンタインデーと言えば、女の子が告白の手段に乗じるイベントだと思う節がある。普段は中々言える勇気がないからこれを機に。やけくそと言ったら失礼かもしれない。でも、私にとってはそういう認識だ。むしろ今回に至っては義理も用意していない。だって、バレンタインがあると思わなかったし。
「霧華様にも想いを寄せる御方がいらっしゃるのですね」
「う、うん。……一年、というか向こうは半年ぶりらしいけど。まさかまた逢えるとはお互い思ってなくて」
「まあ……運命的な再会を果たされたのですね。素敵ですわ。それでしたら尚更の事、その御方に霧華様からチョコレートを贈るべきです。特別な想いを込められた物、とても喜ばれるに違いません」
「ええ~…」
「そうよ。チョコ貰えなかったってヘソ曲げられても困るんだから。塔士の任務に影響が出たらどうするの」
「そんなことでヘソ曲げるような人じゃない気もするけど」
じゃあ二人はどうなのか、と尋ねてみると。白薔薇姫はアセルスに、エレンはとりあえず幼馴染二人に義理チョコを渡すと言っていた。ユリアンにも義理なんだ、とツッコミたい気もしたけど黙っていた。
渡さない私の方がおかしいのか、二人に渡せ渡せと責められる。いつまでも渋っていると、細くしなやかな指が私の左手をそっと掴んだ。薬指に嵌められた指輪の輪郭をその指が撫でる。白薔薇姫の手は雪のように綺麗で美しい。
「この指輪もその御方から頂いた物でしょう?強い想いを感じられますわ。……温かく、炎の様に情熱的な愛情。霧華様の事をとても大切に想われているようですわね」
この指輪には外せない呪いがかかっています。とはちょっと言いにくい雰囲気だった。いや、言わなくても白薔薇姫は感じ取っているかもしれない。
それにしても彼女の微笑みが綺麗すぎて、女性の私から見ても溢れる魅力に照れてしまいそう
「そういえば」と私の左手に視線を向けていたエレンが話を割ってきた。
「あの時にその指輪がどうのこうのって言ってたわね」
「あの時?」
「ポドールイにある吸血鬼の城。そこの地下まであたし達と同行したでしょ。その時、書庫で霧華が呪われた剣に意識を乗っ取られた……って流石に覚えていると思うけど」
「まあ……そんな事があったのですね」
「それは覚えてるけど…乗っ取られてた時の事は覚えてないんだよね。その前後しか…目が覚めたらエレンに背負われてたし」
あの時は本当に迷惑をかけたと改めて彼女にお礼を伝えた。
当時の状況を思い返したのか、彼女が「ホント、大変だったのよ」と零した。
「剣に騎士の怨霊が宿ってたとかで、迂闊に近づくことも出来なかったんだから。下手に直接攻撃を与えたら指輪の御符が発動して反撃を喰らうからよせって言われたし。それでなのか知らないけど、ボルカノは自分から貴女を止めにいったのよ。術士が素手で剣を受け止めるなんて、見てるこっちがヒヤヒヤしたわよ。その後、無茶しすぎだってトムに怒られてたわ」
「……それ、本当なの?」
半年前、レオニード城の地下にある書庫を訪れた時のことだ。彼が古い文献を探している間、私は小部屋に足を踏み入れた事までは覚えている。そして、気が付いたらエレンに背負われて地上へ向かっていた。その間の記憶がハサミで切り取られたように全く無い。何があったのかと聞いても「呪われた剣に意識を乗っ取られ、止めるのが大変だった」としか話してくれなかった。そんな大変な事になっていたなんて、今初めて知った。
「聞いてなかったの?ボルカノから」
「うん。何も教えてくれなかったから…なんで。そっか、だからあの怪我……私のせいで」
城を出た後で気が付いた彼の怪我。破れた衣服や血の染みについて言及しても返り血だ、としか言わなかった。それが自分のもので、私のせいで負った。掌についた傷痕も実験の時につけたものだとか。嘘ばっかりだったのに、それを私は信じていた。
白薔薇姫の手が私の手を優しく包み込む。そうしてくれてなければ、もっと深く悩み始めていただろう。俯いていた顔を上げると、柔らかく微笑む彼女の顔が目に映る。全てを受け止めてくれる、優しい眼差し。アセルスはきっとこの優しさに惹かれたんだろうな。
「霧華様。深く思い悩む必要はありません。その御方、ボルカノ様の行動は貴女を怨霊の呪縛から救いたいが為。命を賭けても守りたい存在。貴女を傷つけずにすむ……それが最善の策だったのでしょう」
「……うん」
「ごめんなさい、霧華。あたし、余計な事喋っちゃったわね」
「いいよ。本人に問い詰めても絶対話してくれなかったと思うし。…真実が知れて良かった」
だから気にしないで。温かいこの手から伝播する優しさを気にかけてくれたエレンに、私は笑ってみせた。
◇◆◇
町にガス灯の明かりがつき始めた頃、ようやくキドラントから戻ってくることができた。
お菓子屋の売り上げは半月の遅れを取り戻し、昨年の二倍になったと感謝された。笑顔が溢れていたお爺さんと少女を思い出しては胸が温かくなる。
噴水広場で売り子だった彼女たちと別れ、私は塔士が間借りしているエリアへ向かった。その途中、手提げ鞄を覗き込んでは溜息をつく。そこにはラッピングしたチョコレートの箱が一つ。横にならないように持ち運んできた。箱が傾いたところで中身はトリュフチョコだからそこまで気を使う必要は無いのだけど、柔らかいケーキを運ぶように慎重になっている。
これ、本当に渡さないとダメなんだろうか。でも、渡さないと手伝ってもらった二人の厚意が無駄になる。
私は何度も引き返そうとした。立ち止まっては進み、踵を返してはまた前を向く。傍から見たらかなり怪しい人だ。幸いなことに夕闇に染まってきた町は人通りが少なかった。
彼が間借りしている部屋の玄関に到着しても、ノックをする手が伸び悩む。手を持ち上げては下げる、それをまたも繰り返していた。
帰ろうかな。そもそも、今でこそバレンタインの風習が根付いているとはいえ、300年前から来た彼には馴染みがないイベントではなかろうか。私の世界の話をした時に、こういうイベントがあるんですよと説明をした覚えはある。
駄目だ。物凄く緊張してきた。心臓がバクバクしている。まるで就職面接の前みたいだ。手も冷や汗を握り始めた。誰かにチョコレートを渡すなんて何年振りだろう。このままだとあまりの恥ずかしさに死んでしまいそうだ。
そうなる前にと私はドアに背を向けて、一人頷いた。
「帰ろう。ほら、居ないかもしれないし。うん」
「ノックもせず、部屋の明かりがついているのにも関わらず不在だと決めつけるのか」
背後から掛けられた声に私は素っ頓狂な声を出して飛び上がってしまった。その時に、凍っていた石畳に足を取られてしまう。危うく転びそうになったのを腕をしっかりと捕まえてくれたおかげでそうならずにすんだ。
「……大丈夫か?不意に声を掛けたこちらにも非はあるが、何もそこまで驚かなくてもいいだろ」
「すっすみません。あ、あの…なんで玄関先に私が居るって分かったんです。まだノックしてない」
「窓から君の姿が見えた。そのうち来るだろうと思っていたが……一向に来ないので不審に思ってな。一先ず上がってくれないか。こう寒いと凍えてしまうだろ」
「は、はい。……お邪魔します」
どう考えても退却不能となってしまったこの現状。とりあえず笑顔を繕って私は頷いた。
通された部屋で暖炉の火が煌々と燃えていた。テーブルの上に広がる道具と材料。作りかけのアイテムだろうか。
「すみません。作業中だったんですね」
「……ああ、気にしないでくれ。丁度一息入れようと思っていたところだ。飲み物を淹れてくる。カフェオレでいいか?」
「あ、はい」
分かった、とボルカノさんが部屋から出ていく。何の飲み物でもこの際構わなかった。この張り付きそうになっている喉の渇きを潤せるなら。心臓の鼓動はさっきよりは落ち着いている。でもまだ波打つのがはっきりと感じられる。
私は暖炉の火にあたりながら、手をすり合わせていた。手提げ鞄は火から少し遠ざけた場所に置いている。顔を合わせる事はできたけど、いつ渡そう。どのタイミングがいいんだろう。ぐるぐると頭の中で考えていると、戻ってきたボルカノさんがマグカップを二つを持ってきてくれた。その一つを私に渡してくれる。
彼は窓の外を見ながらカフェオレに口をつける。外は冷たそうな北風が吹いていた。暖炉の火も煽られるように揺れる。
「寒気が北の方から流れ込んでいるせいで今日は一段と冷えているそうだ」
「そ、そうですね」
「キドラントは此処よりも寒かったんじゃないのか?」
「外にずっといたから手が凍るかと……ってなんで、私がキドラントに行ってたの知って」
そこまで話をしてから私は慌てて口を噤んだ。彼の口元が緩い弧を描く。私の反応が面白いと言わんばかりに小さく笑っていた。また誘導尋問に引っかかってしまった。学習能力が無い自分が恥ずかしい。
「キドラントの菓子屋を手伝う為に半ば強引に連れて行かれたんだろう?」
「……情報通ですねボルカノさんは」
「ヴァージニアから聞いた。用があるから君を探していたんだが、夕方まで戻らないと聞いてな」
「私に用ってなんですか?」
「霧華の方こそオレに用事があるんじゃないのか」
だから部屋まで来たんだろう、と見事な切り返しをくらう。途端に落ち着いていた血液がまた全身を物凄い勢いで駆け巡っていく。寒さなんて一瞬で忘れてしまう。
「え、えっと…その、……今日は何の日か、知ってます?」
「聖バレンタインデー。違ったか?」
「いえ、よくご存じですね。大正解です」
「街中が浮足立っていたからな。…通りを歩くのも苦労した」
「あ、じゃあボルカノさんもチョコ沢山もらったんですね!」
バレンタインは今や本命チョコ以外に義理、友、自分へのご褒美とあらゆる種類が存在している。私もここ数年は友チョコと自分チョコしか用意したことがない。
ボルカノさんもきっとチョコレートを沢山もらったに違いない。それなら一つ貰わないくらい何ともないだろう。そう思って聞いたのだけど、意外な答えが返ってきた。
「いや、貰っていない」
「……え、だってボルカノさんぐらいのイケメンならチョコの一つや二つ」
「半端な気持ちで受け取るのは相手に失礼だ。……それに君以外から貰うつもりもない」
それを聞いた私は顔の表面が俄かに熱くなった。それと同時にチョコレート作ってきてよかった。エレンと白薔薇姫に心底感謝したい気持ちでいっぱいになる。これでありません、なんて言ったらホントに塔士の任務に影響が出たかもしれない。ポルカ達に平謝りする未来が消えてよかった。
私はマグカップを置いて、手提げ鞄からチョコレートの箱を取り出す。ぴっと両腕を伸ばして箱を差し出した。
「その、お店の手伝い忙しくてあまり凝ったもの作れなかったんだけど。甘さ控えめにはしといたので」
「ああ。有難う」
大事そうに受け取った箱をじっと見つめていたボルカノさんが不意に口元を手で覆った。目を逸らすように伏せる。耳が少し赤くなって、「参ったな」と呟いた。
「こんなに嬉しいものとは思わなかった」
「喜んでくれて私も良かったです」
さっきまでバクバクと鳴っていた心臓も嘘のように落ち着いた。今では渡してよかったという気持ちで満たされている。これで今日のミッションは完了。そう思うと一気に肩の荷が下りた。甘いカフェオレが美味しいと感じられる余裕も戻ってきた。ほっと一息をついていると「少し待っていてくれ」そう言って彼は部屋を出た。
そういえばこの間借りしている部屋、幾つ用意されているんだろう。一軒家だから二つぐらいはありそうだけど。
間もなくして戻ってきたボルカノさんの腕に真っ赤な薔薇の花束が抱えられていた。それを躊躇いなく私に差し出す。予想もしていなかった事に花束とボルカノさんの顔を見比べる。
「え、え?」
「男性からは薔薇の花束を贈るのが習わしの国もある。そう聞いたのを昨日思い出したんだ」
「……あ。私に用事って、これですか?」
「流石に街中を花束抱えて歩くのは目立つ上に恥ずかしいからな。先に声だけ掛けるつもりで尋ねた」
「あ、ありがとうございます。…きれい」
戻ってきたら部屋まで来てほしい。ジニーに伝言をそう残してきたらしい。でも私が雑貨屋に戻る前にこっちに来てしまったからすれ違ったかも。あとで謝っておこう。
花束を貰うなんて人生で初めてだった。素直に嬉しいのだけど、この真っ赤な薔薇を見ていたら白い薔薇が頭に浮かんだ。それと一緒にエレンから聞いた話も。つい彼の左手に目がいく。もうそこに傷痕は一筋も残っていない。それでも、私が傷をつけたのは間違いないんだ。
花束を胸に抱きしめると薔薇の優しい香りがふわりと漂った。今聞かないとずっとこの先はぐらかされる。
「ボルカノさん。……私、昼間エレンから聞いたんです。古い文献を探しにレオニード城に行った時のこと。……ボルカノさんが、自分の身も顧みずに私を止めにいったって。どうして、どうしてそんな無茶なことしたんですか。いくら契約の印があったとは言え、ボルカノさんまで命を落としていたかもしれないんですよ?……それになんで、あの時話してくれなかったんですか」
沈黙が気まずい空気を抱え込んだ。私が目を伏せた瞬間、薔薇の香りが強くなる。花束ごと優しく抱きしめられていると気づいた時には、真っすぐな琥珀色の瞳に見つめられていた。
「余計な事を気負わせたくなかった。……君の性格からしていつまでも気にするだろ」
「当たり前じゃないですか!……無茶しすぎですっ!」
「どこかで聞いたような台詞だな」
彼は悪びれた様子も無く、笑みを一つ零した。そんな事を確かにずっと前に私も言ったような気がする。ああ、そっか。あの時の無茶をするなっていう彼の心境が今やっと理解できた。気づくのがだいぶ遅れてしまったけど。
「誰かに君を傷つけられるのが耐えられなかった。それならいっそ自分が刺し違えてでも……そう考えていたな、あの時は。君と同じ様に考えるより先に体が動いていたんだ。感情論で先走るなど…昔の自分じゃ有り得なかった。……それほどまでに失いたくない女性だった。この手で守りたいと思ったのは霧華が初めてだ」
「う……そんな事言われたら、何も返せないじゃないですか。面と向かってそういうこと、言わないでください…恥ずかしい」
顔を見ていられなくなった私は目を伏せた。今までの仕返しと言わんばかりに真っ向から感情をぶつけてくるから、たまったもんじゃない。さらに追い打ちをかけるように耳元で囁かれた言葉と柔らかい感触。
「その花束の意味を知った時でいい。返事を待っている」
私が一ダースの赤い薔薇の意味を知るのはまだ少し先のことだった。
バンガードよりも北方に位置する小さな村、キドラント。そこでお菓子屋を祖父と営む孫娘の依頼を受けたポルカ達はネズミ退治に森の奥へと進んだ。村の名前といい、動物の種類といいデジャヴを覚えた私は嫌な予感がした。けれど、無事に彼らは洞窟の奥に潜んでいたネズミを懲らしめて帰還。ポルカが蜂に刺されて大変だったと言う話は聞いたけど。
これでようやく店を開けると気合を入れた少女が外に設置した販売スペース。商品は勿論、この時期が一番売れるチョコレート。バレンタイン用に可愛らしくラッピングされた物が飛ぶように売れたのも売り子達のおかげだろう。エレン曰く商魂逞しい少女を見ているとバレンタインはお菓子屋の陰謀だという自分の世界の事を思い出した。
交替で休憩に入ってもいいとお達しが出たので、私はエレン、白薔薇姫と一緒に店内の小さな休憩スペースで休んでいた。私は普段から雑貨屋の手伝いをしているからこういった仕事には慣れている。でも、エレンは服装から仕事まで全てに慣れていないせいか随分とぐったりしている。椅子に座り込んだ彼女は背を丸く屈め、深い溜息まで聞こえてきた。
「エレン、大丈夫?」
「ええ。……ただ、色々慣れない事したから。気疲れかしら。あたしには向いてないわ。貴女も災難ね。無理やり連れて来られたんだし」
屈めていた体をぐっと上に伸ばしながら「私はこれっきり御免ね」とぼやく。力仕事や魔物退治の方が気楽でいいそうだ。
休憩スペースにふわりと芳しい香りが漂った。その香りを手繰るように探すと、白い薔薇の可憐なドレスに身を包んだ女性に辿り着く。にこりと笑った目と目が合った。彼女が持つトレイには三つのマグカップ。透き通ったルビー色の水面から湯気が立っている。
「温かい紅茶が入りました。どうぞお飲みになってください」
「ありがとう白薔薇姫。…これ、ローズティー?」
受け取ったマグカップから香る紅茶の香りに交じる薔薇の芳香。口をつけるより先にその事に気が付いたのが彼女にとって嬉しかったのか、ふわりと花のように微笑んだ。
「はい。霧華様は紅茶にお詳しいのですね」
「前にも飲んだことあったから。美味しいよね、ローズティー。私も好き」
「そう言っていただけて嬉しいですわ。エレン様もどうぞ」
「ありがと。……あたしは紅茶詳しくないからよく分かんないけど、白薔薇姫が淹れてくれた紅茶は美味しいと思うよ」
彼女の白い頬に赤みが薄っすらと刺す。嬉しそうにしていた。上級妖魔ともなると照れ方も上品で綺麗だ。人を惹きつける魅力をひしひしと感じる。
かじかんだ手をマグカップで温めながら、私は外の賑わいをどこか遠い世界の事のように聞いていた。二人が取り留めのない会話をしている最中、不意に私に振られた話に一気に引き戻される。
「霧華はあげるんでしょ、チョコレート」
「へ?あげるって、誰に?」
私の回答はあんまりなものだったらしい。シノン村一番の美人と称された彼女の眉が訝しげに寄せられた。というか、物凄く険しい顔をされている。それとは対照的に白薔薇姫は顔を綻ばせた。
「誰にって、ボルカノに決まってるじゃない。他にあげる人いるわけ?」
「えっ!?あ、いや……だって、今さらかなあって」
バレンタインデーと言えば、女の子が告白の手段に乗じるイベントだと思う節がある。普段は中々言える勇気がないからこれを機に。やけくそと言ったら失礼かもしれない。でも、私にとってはそういう認識だ。むしろ今回に至っては義理も用意していない。だって、バレンタインがあると思わなかったし。
「霧華様にも想いを寄せる御方がいらっしゃるのですね」
「う、うん。……一年、というか向こうは半年ぶりらしいけど。まさかまた逢えるとはお互い思ってなくて」
「まあ……運命的な再会を果たされたのですね。素敵ですわ。それでしたら尚更の事、その御方に霧華様からチョコレートを贈るべきです。特別な想いを込められた物、とても喜ばれるに違いません」
「ええ~…」
「そうよ。チョコ貰えなかったってヘソ曲げられても困るんだから。塔士の任務に影響が出たらどうするの」
「そんなことでヘソ曲げるような人じゃない気もするけど」
じゃあ二人はどうなのか、と尋ねてみると。白薔薇姫はアセルスに、エレンはとりあえず幼馴染二人に義理チョコを渡すと言っていた。ユリアンにも義理なんだ、とツッコミたい気もしたけど黙っていた。
渡さない私の方がおかしいのか、二人に渡せ渡せと責められる。いつまでも渋っていると、細くしなやかな指が私の左手をそっと掴んだ。薬指に嵌められた指輪の輪郭をその指が撫でる。白薔薇姫の手は雪のように綺麗で美しい。
「この指輪もその御方から頂いた物でしょう?強い想いを感じられますわ。……温かく、炎の様に情熱的な愛情。霧華様の事をとても大切に想われているようですわね」
この指輪には外せない呪いがかかっています。とはちょっと言いにくい雰囲気だった。いや、言わなくても白薔薇姫は感じ取っているかもしれない。
それにしても彼女の微笑みが綺麗すぎて、女性の私から見ても溢れる魅力に照れてしまいそう
「そういえば」と私の左手に視線を向けていたエレンが話を割ってきた。
「あの時にその指輪がどうのこうのって言ってたわね」
「あの時?」
「ポドールイにある吸血鬼の城。そこの地下まであたし達と同行したでしょ。その時、書庫で霧華が呪われた剣に意識を乗っ取られた……って流石に覚えていると思うけど」
「まあ……そんな事があったのですね」
「それは覚えてるけど…乗っ取られてた時の事は覚えてないんだよね。その前後しか…目が覚めたらエレンに背負われてたし」
あの時は本当に迷惑をかけたと改めて彼女にお礼を伝えた。
当時の状況を思い返したのか、彼女が「ホント、大変だったのよ」と零した。
「剣に騎士の怨霊が宿ってたとかで、迂闊に近づくことも出来なかったんだから。下手に直接攻撃を与えたら指輪の御符が発動して反撃を喰らうからよせって言われたし。それでなのか知らないけど、ボルカノは自分から貴女を止めにいったのよ。術士が素手で剣を受け止めるなんて、見てるこっちがヒヤヒヤしたわよ。その後、無茶しすぎだってトムに怒られてたわ」
「……それ、本当なの?」
半年前、レオニード城の地下にある書庫を訪れた時のことだ。彼が古い文献を探している間、私は小部屋に足を踏み入れた事までは覚えている。そして、気が付いたらエレンに背負われて地上へ向かっていた。その間の記憶がハサミで切り取られたように全く無い。何があったのかと聞いても「呪われた剣に意識を乗っ取られ、止めるのが大変だった」としか話してくれなかった。そんな大変な事になっていたなんて、今初めて知った。
「聞いてなかったの?ボルカノから」
「うん。何も教えてくれなかったから…なんで。そっか、だからあの怪我……私のせいで」
城を出た後で気が付いた彼の怪我。破れた衣服や血の染みについて言及しても返り血だ、としか言わなかった。それが自分のもので、私のせいで負った。掌についた傷痕も実験の時につけたものだとか。嘘ばっかりだったのに、それを私は信じていた。
白薔薇姫の手が私の手を優しく包み込む。そうしてくれてなければ、もっと深く悩み始めていただろう。俯いていた顔を上げると、柔らかく微笑む彼女の顔が目に映る。全てを受け止めてくれる、優しい眼差し。アセルスはきっとこの優しさに惹かれたんだろうな。
「霧華様。深く思い悩む必要はありません。その御方、ボルカノ様の行動は貴女を怨霊の呪縛から救いたいが為。命を賭けても守りたい存在。貴女を傷つけずにすむ……それが最善の策だったのでしょう」
「……うん」
「ごめんなさい、霧華。あたし、余計な事喋っちゃったわね」
「いいよ。本人に問い詰めても絶対話してくれなかったと思うし。…真実が知れて良かった」
だから気にしないで。温かいこの手から伝播する優しさを気にかけてくれたエレンに、私は笑ってみせた。
◇◆◇
町にガス灯の明かりがつき始めた頃、ようやくキドラントから戻ってくることができた。
お菓子屋の売り上げは半月の遅れを取り戻し、昨年の二倍になったと感謝された。笑顔が溢れていたお爺さんと少女を思い出しては胸が温かくなる。
噴水広場で売り子だった彼女たちと別れ、私は塔士が間借りしているエリアへ向かった。その途中、手提げ鞄を覗き込んでは溜息をつく。そこにはラッピングしたチョコレートの箱が一つ。横にならないように持ち運んできた。箱が傾いたところで中身はトリュフチョコだからそこまで気を使う必要は無いのだけど、柔らかいケーキを運ぶように慎重になっている。
これ、本当に渡さないとダメなんだろうか。でも、渡さないと手伝ってもらった二人の厚意が無駄になる。
私は何度も引き返そうとした。立ち止まっては進み、踵を返してはまた前を向く。傍から見たらかなり怪しい人だ。幸いなことに夕闇に染まってきた町は人通りが少なかった。
彼が間借りしている部屋の玄関に到着しても、ノックをする手が伸び悩む。手を持ち上げては下げる、それをまたも繰り返していた。
帰ろうかな。そもそも、今でこそバレンタインの風習が根付いているとはいえ、300年前から来た彼には馴染みがないイベントではなかろうか。私の世界の話をした時に、こういうイベントがあるんですよと説明をした覚えはある。
駄目だ。物凄く緊張してきた。心臓がバクバクしている。まるで就職面接の前みたいだ。手も冷や汗を握り始めた。誰かにチョコレートを渡すなんて何年振りだろう。このままだとあまりの恥ずかしさに死んでしまいそうだ。
そうなる前にと私はドアに背を向けて、一人頷いた。
「帰ろう。ほら、居ないかもしれないし。うん」
「ノックもせず、部屋の明かりがついているのにも関わらず不在だと決めつけるのか」
背後から掛けられた声に私は素っ頓狂な声を出して飛び上がってしまった。その時に、凍っていた石畳に足を取られてしまう。危うく転びそうになったのを腕をしっかりと捕まえてくれたおかげでそうならずにすんだ。
「……大丈夫か?不意に声を掛けたこちらにも非はあるが、何もそこまで驚かなくてもいいだろ」
「すっすみません。あ、あの…なんで玄関先に私が居るって分かったんです。まだノックしてない」
「窓から君の姿が見えた。そのうち来るだろうと思っていたが……一向に来ないので不審に思ってな。一先ず上がってくれないか。こう寒いと凍えてしまうだろ」
「は、はい。……お邪魔します」
どう考えても退却不能となってしまったこの現状。とりあえず笑顔を繕って私は頷いた。
通された部屋で暖炉の火が煌々と燃えていた。テーブルの上に広がる道具と材料。作りかけのアイテムだろうか。
「すみません。作業中だったんですね」
「……ああ、気にしないでくれ。丁度一息入れようと思っていたところだ。飲み物を淹れてくる。カフェオレでいいか?」
「あ、はい」
分かった、とボルカノさんが部屋から出ていく。何の飲み物でもこの際構わなかった。この張り付きそうになっている喉の渇きを潤せるなら。心臓の鼓動はさっきよりは落ち着いている。でもまだ波打つのがはっきりと感じられる。
私は暖炉の火にあたりながら、手をすり合わせていた。手提げ鞄は火から少し遠ざけた場所に置いている。顔を合わせる事はできたけど、いつ渡そう。どのタイミングがいいんだろう。ぐるぐると頭の中で考えていると、戻ってきたボルカノさんがマグカップを二つを持ってきてくれた。その一つを私に渡してくれる。
彼は窓の外を見ながらカフェオレに口をつける。外は冷たそうな北風が吹いていた。暖炉の火も煽られるように揺れる。
「寒気が北の方から流れ込んでいるせいで今日は一段と冷えているそうだ」
「そ、そうですね」
「キドラントは此処よりも寒かったんじゃないのか?」
「外にずっといたから手が凍るかと……ってなんで、私がキドラントに行ってたの知って」
そこまで話をしてから私は慌てて口を噤んだ。彼の口元が緩い弧を描く。私の反応が面白いと言わんばかりに小さく笑っていた。また誘導尋問に引っかかってしまった。学習能力が無い自分が恥ずかしい。
「キドラントの菓子屋を手伝う為に半ば強引に連れて行かれたんだろう?」
「……情報通ですねボルカノさんは」
「ヴァージニアから聞いた。用があるから君を探していたんだが、夕方まで戻らないと聞いてな」
「私に用ってなんですか?」
「霧華の方こそオレに用事があるんじゃないのか」
だから部屋まで来たんだろう、と見事な切り返しをくらう。途端に落ち着いていた血液がまた全身を物凄い勢いで駆け巡っていく。寒さなんて一瞬で忘れてしまう。
「え、えっと…その、……今日は何の日か、知ってます?」
「聖バレンタインデー。違ったか?」
「いえ、よくご存じですね。大正解です」
「街中が浮足立っていたからな。…通りを歩くのも苦労した」
「あ、じゃあボルカノさんもチョコ沢山もらったんですね!」
バレンタインは今や本命チョコ以外に義理、友、自分へのご褒美とあらゆる種類が存在している。私もここ数年は友チョコと自分チョコしか用意したことがない。
ボルカノさんもきっとチョコレートを沢山もらったに違いない。それなら一つ貰わないくらい何ともないだろう。そう思って聞いたのだけど、意外な答えが返ってきた。
「いや、貰っていない」
「……え、だってボルカノさんぐらいのイケメンならチョコの一つや二つ」
「半端な気持ちで受け取るのは相手に失礼だ。……それに君以外から貰うつもりもない」
それを聞いた私は顔の表面が俄かに熱くなった。それと同時にチョコレート作ってきてよかった。エレンと白薔薇姫に心底感謝したい気持ちでいっぱいになる。これでありません、なんて言ったらホントに塔士の任務に影響が出たかもしれない。ポルカ達に平謝りする未来が消えてよかった。
私はマグカップを置いて、手提げ鞄からチョコレートの箱を取り出す。ぴっと両腕を伸ばして箱を差し出した。
「その、お店の手伝い忙しくてあまり凝ったもの作れなかったんだけど。甘さ控えめにはしといたので」
「ああ。有難う」
大事そうに受け取った箱をじっと見つめていたボルカノさんが不意に口元を手で覆った。目を逸らすように伏せる。耳が少し赤くなって、「参ったな」と呟いた。
「こんなに嬉しいものとは思わなかった」
「喜んでくれて私も良かったです」
さっきまでバクバクと鳴っていた心臓も嘘のように落ち着いた。今では渡してよかったという気持ちで満たされている。これで今日のミッションは完了。そう思うと一気に肩の荷が下りた。甘いカフェオレが美味しいと感じられる余裕も戻ってきた。ほっと一息をついていると「少し待っていてくれ」そう言って彼は部屋を出た。
そういえばこの間借りしている部屋、幾つ用意されているんだろう。一軒家だから二つぐらいはありそうだけど。
間もなくして戻ってきたボルカノさんの腕に真っ赤な薔薇の花束が抱えられていた。それを躊躇いなく私に差し出す。予想もしていなかった事に花束とボルカノさんの顔を見比べる。
「え、え?」
「男性からは薔薇の花束を贈るのが習わしの国もある。そう聞いたのを昨日思い出したんだ」
「……あ。私に用事って、これですか?」
「流石に街中を花束抱えて歩くのは目立つ上に恥ずかしいからな。先に声だけ掛けるつもりで尋ねた」
「あ、ありがとうございます。…きれい」
戻ってきたら部屋まで来てほしい。ジニーに伝言をそう残してきたらしい。でも私が雑貨屋に戻る前にこっちに来てしまったからすれ違ったかも。あとで謝っておこう。
花束を貰うなんて人生で初めてだった。素直に嬉しいのだけど、この真っ赤な薔薇を見ていたら白い薔薇が頭に浮かんだ。それと一緒にエレンから聞いた話も。つい彼の左手に目がいく。もうそこに傷痕は一筋も残っていない。それでも、私が傷をつけたのは間違いないんだ。
花束を胸に抱きしめると薔薇の優しい香りがふわりと漂った。今聞かないとずっとこの先はぐらかされる。
「ボルカノさん。……私、昼間エレンから聞いたんです。古い文献を探しにレオニード城に行った時のこと。……ボルカノさんが、自分の身も顧みずに私を止めにいったって。どうして、どうしてそんな無茶なことしたんですか。いくら契約の印があったとは言え、ボルカノさんまで命を落としていたかもしれないんですよ?……それになんで、あの時話してくれなかったんですか」
沈黙が気まずい空気を抱え込んだ。私が目を伏せた瞬間、薔薇の香りが強くなる。花束ごと優しく抱きしめられていると気づいた時には、真っすぐな琥珀色の瞳に見つめられていた。
「余計な事を気負わせたくなかった。……君の性格からしていつまでも気にするだろ」
「当たり前じゃないですか!……無茶しすぎですっ!」
「どこかで聞いたような台詞だな」
彼は悪びれた様子も無く、笑みを一つ零した。そんな事を確かにずっと前に私も言ったような気がする。ああ、そっか。あの時の無茶をするなっていう彼の心境が今やっと理解できた。気づくのがだいぶ遅れてしまったけど。
「誰かに君を傷つけられるのが耐えられなかった。それならいっそ自分が刺し違えてでも……そう考えていたな、あの時は。君と同じ様に考えるより先に体が動いていたんだ。感情論で先走るなど…昔の自分じゃ有り得なかった。……それほどまでに失いたくない女性だった。この手で守りたいと思ったのは霧華が初めてだ」
「う……そんな事言われたら、何も返せないじゃないですか。面と向かってそういうこと、言わないでください…恥ずかしい」
顔を見ていられなくなった私は目を伏せた。今までの仕返しと言わんばかりに真っ向から感情をぶつけてくるから、たまったもんじゃない。さらに追い打ちをかけるように耳元で囁かれた言葉と柔らかい感触。
「その花束の意味を知った時でいい。返事を待っている」
私が一ダースの赤い薔薇の意味を知るのはまだ少し先のことだった。