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Wish
――愛してる。
彼女に気持ちを伝えたのはそれが最初で最後だった。送還の儀を終えてから月日の半年が過ぎ去った。
あれから各地を廻っていた途中、よもや自分自身が三百年後の未来に喚ばれるとは思いもしない。どうやらこの未来の世界では役目を果たさなければ元の時代に戻れないらしい。塔士として各地を奔走する破目にもなったが、これはこれで暇潰しにもなる。何より気を紛らわすことができた。
各地の塔を制圧していく折、再び彼女を見つけたのは偶然にも塔士達の拠点であるバンガードの道具屋。ヴァージニアと共に店を切り盛りしていた。向こうもすぐにこちらに気が付いたようだった。
だが、そこで再会の喜びを分かち合う事も許されない事態に巻き込まれることとなる。三百年前のロアーヌ侯の妹君による一声によって。
この世界にクリスマスという行事が根付いたらしく、やれ子どもたちにプレゼント配る準備だ、パーティーだとてんやわんやとなっていた。雪だるま達のソリを引くムーが逃げ出したので、それを探しに行く面子に急遽同行する。霧華はクリスマスパーティー用のプレゼントを探す傍ら梱包作業に連れていかれた。どちらも再会早々に不憫だとは思うが、両方の案件に駆り出されたポルカに比べればまだマシだろう。そう言い聞かせながらムーの足取りを追いかけることにした。
塔士が間借りできる部屋に戻って来た頃にはとっぷりと日が暮れていた。妹君が言うには雪も降りだしたのでクリスマスには最高の演出だそうだ。空を飛ぶムーとソリに乗った雪だるまの影を目視できる。何とも奇妙な光景だと窓からそれを見上げる。
赤々と燃える暖炉の前に置いたアンティークチェアに深く腰掛け、火を見つめる。テーブルの上には設計図や計算式を記述した羊皮紙が広げたままだ。今日までに終わらせるはずがクリスマス騒動ですっかり予定が狂ってしまった。
外は雪が深々と降り続いている。そろそろ来るはずだ。道に迷っていなければの話だが。大体の場所は伝えてあるが、この辺りに部屋を借りている塔士は少なくない。
トントンと控えめな戸を叩く音が聞こえた。玄関の戸を開けて出迎えてやると、雪を積もらせた赤いケープのフードを被った霧華が「降ってきましたねー」と玄関先で雪をパンパンと掃う。フードを脱いだ途端に積もった白い雪が玄関先に舞い落ちた。
「まさか三百年後の世界にクリスマスがあるなんて思ってもいませんでしたよ。ボルカノさん達はムーを見つけられましたか?」
「ああ。とっくに雪だるま達が空を飛んでプレゼントの配達に行っている」
「そっか。良かったあ」
「……霧華の方も上手くいったみたいだな?」
「え、なんで分かるんですか。まだ何も言ってないのに」
「その嬉しそうな顔を見れば分かる」
彼女のケープの結び目を解いて残りの雪を掃い落とした。それをコート掛けに引っ掛けて、暖炉の方に行くよう勧めた。鼻の頭が真っ赤になっている。見れば手袋もつけていない。触れた手は氷の様に冷たかった。
「手袋はどうした」
「最初はつけてたんですけどね。子どもたちが雪だるま作るー!ってはしゃいじゃって。手袋持ってない子にあげちゃったんです」
「……まったく。お人好しなのも顔にすぐ出るのも変わってないな」
先程まで自分が座っていたチェアに座らせて、飲み物は何がいいかと尋ねる。
「カフェオレがいいです」
「また難しい物を…」
「難しくないですよ。コーヒーと牛乳を適当に割ってもらえればできます」
「比率は」
「ハーフ&ハーフで」
「一対一でいいんだな?淹れてくるから火に当たっているといい」
「はーい」
そう答えた彼女は体を前屈みにして暖炉の火に当たっていた。久しぶりだというのに、あの時と変わらないやり取りができる事に思わず笑みが零れそうになる。
「……ボルカノさんは何処にいてもやる事同じですね」
「ん?…ああ、それはヒラガに頼まれているやつだ。オレの意見も聞きたいと言われてな」
「へえ……相変わらずよく分からない計算式ばかり書いてありますね。私には解読できません」
マグカップを持ったままチェアから身を乗り出し、テーブルに広げてある羊皮紙をじっと眺めていた。過去にも理論を何度か説明したが、全く理解ができないと言われたことがある。しかも「つまりこういう事ですよね」と感覚で受け止められた。彼女は理論よりも己の感覚を活かす職人気質だった。
昔のやり取りを少し思い出しては笑いそうになる。テーブルに軽く体重を掛けながら緩んだ口元を押さえた。
「何か可笑しい事ありました?」
「いや。……ようやく落ち着いて話せたと思ってな。何だかんだでまともに話すこともできなかった」
「ん……そうですね。しばらく箱の包装はしたくないです」
作業に追われていたのだろう。指先に巻かれた絆創膏の数がそれを物語っていた。
彼女はマグカップに口をつけた後、少し間を置いて話し始めた。
「ボルカノさんは塔士として喚ばれたんですよね」
「ああ。各地の塔へ出向する傍らにアイテムの開発も進めている」
「主戦力だってポルカが言ってました。ボルカノさんの朱鳥術のおかげで強力なアンデットを一掃できたって」
「……そうか。此処ではそれぞれ特技を活かす場面がある。霧華だってそうだろう」
「特技って言えるか分かりませんけどね」
話したいことは山ほどあったはずだった。向こうの世界に戻ってからの生活はどうなのか。副作用のような影響は出ていなかったかとか。どうしてこの世界にまた喚ばれてしまったのか。沢山あるはずが、一つも言葉の欠片が出てこない。
それは彼女も同じなのか黙りがちになっていた。暖炉の火が彼女の横顔に影を落としているような気さえしてくる。
書棚から黒いベルベットの小箱を持ち出し、彼女に差し出した。それが何か分からずに目を二度瞬かせる。
「直しておいたぞ」
「え、もう直ったんですか!?」
それはクリスマス騒動の直前に彼女から預かった物。「これ直せたらお願いします!」と半ば強引に押し付けられた。小さな布袋の中には半年前に彼女へ渡した護身用の装飾品が入っていた。元は護符としてネックレスに留めていたスタールビーを指輪に作り直したものだ。身に危険が迫った際に持ち主を護るようにと。
指輪の石が台座から外れ、リング部分も僅かに歪みが出ていた。サイズを少し直したが、この程度の修理にそう時間は要しなかった。
「オレを誰だと思ってるんだ」
「流石ですね。ありがとうございます」
受け取った箱から指輪をつまみ出し、光に当てる。六条の線が煌めいた様を見た彼女の口元が緩む。
「まだそれを持っていてくれたんだな」
「実は向こうに着いた途端に壊れちゃって。……捨てるに捨てられなかったんです」
送還の衝撃を和らげてくれたのかもしれないと眉尻を下げて笑った。御守りのように持ち歩いていたとも話してくれた。「何となく護られてる気がして」と。それを聞いて不意に目の奥が熱くなる。
手違いで喚び出してしまった彼女を送り還した。術士として当然の責務を果たしたというのに、後に残されたのは虚無感。あの時、彼女に伝えた言葉が正しいものだったのかは分からない。もっと早く伝えていれば結果は変わっていた。唯、あの頃の関係を壊したくなかっただけだ。
「しかしまたこの世界に喚び出されるとは。君も数奇な運命を持ち合わせているようだ」
「そーですね。折角還してもらったのに。また逆戻りですよ。……なんで私ばっかり。唯の一般人だっていうのに。……やっと普通の生活に、元に戻ってきたところだったのに」
棘を含むような言い方でぼやいていた彼女は指輪を箱に収め、蓋を閉じた。箱を持つ指先が僅かに震えている。それきり彼女は黙っていた。暖炉の火が静かに爆ぜる音だけが室内の空気を震わせていた。
「……怒っているだろ」
「当たり前じゃないですか。……あんな言い逃げされて」
「逃げたわけじゃない」
「じゃあ何で別れ際にあんな事言ったんですか。…いつも自分勝手に言いたいことだけ言って、私の話聞いてくれなくて。あのあとどれだけ私が悩んだか……ばか、大バカっ術士」
彼女はそう早口で捲し立てた後、膝を抱え込んで顔を伏せる。その手から零れ落ちそうになる指輪の箱を代わりに受け取った。
「忘れて欲しくなかったんだ」
「……忘れるわけないじゃないですか。九死に一生を得るような経験ばっかりしたのに。どうせ誰にも話せないし、墓場まで持ってくつもりだったんですからね」
「ああ……そうだったな。君が血塗られた剣の怨霊に憑かれた時は流石に肝が冷えたぞ」
「あの時は、……すみません、でした」
「ご迷惑おかけしました」と謝られるも、語尾が次第に消えていった。膝頭から覗かせた顔はすっかり気落ちしていた。少し不貞腐れているようにも見える。
床板の上に膝を折り、彼女と視線を合わせる。黒曜石に近い色の瞳が僅かに揺れていた。
「霧華」
「なんですか」
「オレの気持ちはあの時から変わっていない。君の事が好きだ。……返事を聞かせてくれないか」
自分から人を好きになり、縋るような感情を抱くなど昔の自分では有り得ないこと。それを変えたのは紛れもなく彼女だ。
「……随分はっきり言うんですね」
「はっきり言わなきゃ伝わらないと話したのは君の方だ。……今までにも何度かアプローチを試みたが、哀しいぐらいに全く気付いてもらえなくてな」
あれは今思い出しても虚しい空回りだ。鈍感にも程がある。
どうやら彼女はそれらの出来事を振り返ってみたのか、言葉を詰まらせて視線を泳がせていた。
「所詮気にも留めない程度の男なのかと。流石に自信を失くしかけた。……だが、これを見る限りはそうでも無かったようだ」
小箱の中身を取り出し、彼女の左手の指にそれを嵌める。真紅の輝きを携えたその指にそっと口づける。それから彼女の瞳を真っすぐに捉えた。
「オレの側に居てくれ」
彼女の頬が赤く染まっていく。やがて俯いたまま硬直する。成程。以前のように曖昧な態度を取った時とはまるで違う反応だった。
「……そんな風に言われたら断れないじゃないですか。……ずるい」
「逃げ道は用意してある。……君がオレの事を好いてくれなければこの感情にそもそも意味が無い。元の世界に恋をしている相手が居るなら、それで」
「居ませんよ。……だって、帰ってからずっとボルカノさんのこと考えてましたもん。……一年経ってやっと忘れられそうだなあって思ってた所だったのに。ホントずるい」
その答えだけで充分だった。緩く止めた足枷を外さずに引きずりながら暮らしていたのだと知っただけで。外そうと思えばいつでも捨てることができた。
彼女の想いにまた火を点けたのは自分だ。
「私で、よければ」
「ああ」
「……ボルカノさんが好きです」
腕を伸ばして彼女を抱え込む。彼女の細い腕が遠慮がちに背を抱き返してくる。その腕が、華奢な体が愛おしい。もう手放すものかと強く抱きしめた。
「……賭けてみるものだな。ああ……いや、クリスマスの奇跡とやらに乗っかってみたんだ。この世界でまた君に逢えた。これ以上の奇跡はない」
「珍しいですね。奇跡とか運命だとかあやふやなもの嫌いなくせに」
「たまには悪くない。……愛してるよ霧華」
互いの額を合わせてあの日に伝えた言葉をもう一度。今度はしっかりと相手に届けることができた。
――愛してる。
彼女に気持ちを伝えたのはそれが最初で最後だった。送還の儀を終えてから月日の半年が過ぎ去った。
あれから各地を廻っていた途中、よもや自分自身が三百年後の未来に喚ばれるとは思いもしない。どうやらこの未来の世界では役目を果たさなければ元の時代に戻れないらしい。塔士として各地を奔走する破目にもなったが、これはこれで暇潰しにもなる。何より気を紛らわすことができた。
各地の塔を制圧していく折、再び彼女を見つけたのは偶然にも塔士達の拠点であるバンガードの道具屋。ヴァージニアと共に店を切り盛りしていた。向こうもすぐにこちらに気が付いたようだった。
だが、そこで再会の喜びを分かち合う事も許されない事態に巻き込まれることとなる。三百年前のロアーヌ侯の妹君による一声によって。
この世界にクリスマスという行事が根付いたらしく、やれ子どもたちにプレゼント配る準備だ、パーティーだとてんやわんやとなっていた。雪だるま達のソリを引くムーが逃げ出したので、それを探しに行く面子に急遽同行する。霧華はクリスマスパーティー用のプレゼントを探す傍ら梱包作業に連れていかれた。どちらも再会早々に不憫だとは思うが、両方の案件に駆り出されたポルカに比べればまだマシだろう。そう言い聞かせながらムーの足取りを追いかけることにした。
塔士が間借りできる部屋に戻って来た頃にはとっぷりと日が暮れていた。妹君が言うには雪も降りだしたのでクリスマスには最高の演出だそうだ。空を飛ぶムーとソリに乗った雪だるまの影を目視できる。何とも奇妙な光景だと窓からそれを見上げる。
赤々と燃える暖炉の前に置いたアンティークチェアに深く腰掛け、火を見つめる。テーブルの上には設計図や計算式を記述した羊皮紙が広げたままだ。今日までに終わらせるはずがクリスマス騒動ですっかり予定が狂ってしまった。
外は雪が深々と降り続いている。そろそろ来るはずだ。道に迷っていなければの話だが。大体の場所は伝えてあるが、この辺りに部屋を借りている塔士は少なくない。
トントンと控えめな戸を叩く音が聞こえた。玄関の戸を開けて出迎えてやると、雪を積もらせた赤いケープのフードを被った霧華が「降ってきましたねー」と玄関先で雪をパンパンと掃う。フードを脱いだ途端に積もった白い雪が玄関先に舞い落ちた。
「まさか三百年後の世界にクリスマスがあるなんて思ってもいませんでしたよ。ボルカノさん達はムーを見つけられましたか?」
「ああ。とっくに雪だるま達が空を飛んでプレゼントの配達に行っている」
「そっか。良かったあ」
「……霧華の方も上手くいったみたいだな?」
「え、なんで分かるんですか。まだ何も言ってないのに」
「その嬉しそうな顔を見れば分かる」
彼女のケープの結び目を解いて残りの雪を掃い落とした。それをコート掛けに引っ掛けて、暖炉の方に行くよう勧めた。鼻の頭が真っ赤になっている。見れば手袋もつけていない。触れた手は氷の様に冷たかった。
「手袋はどうした」
「最初はつけてたんですけどね。子どもたちが雪だるま作るー!ってはしゃいじゃって。手袋持ってない子にあげちゃったんです」
「……まったく。お人好しなのも顔にすぐ出るのも変わってないな」
先程まで自分が座っていたチェアに座らせて、飲み物は何がいいかと尋ねる。
「カフェオレがいいです」
「また難しい物を…」
「難しくないですよ。コーヒーと牛乳を適当に割ってもらえればできます」
「比率は」
「ハーフ&ハーフで」
「一対一でいいんだな?淹れてくるから火に当たっているといい」
「はーい」
そう答えた彼女は体を前屈みにして暖炉の火に当たっていた。久しぶりだというのに、あの時と変わらないやり取りができる事に思わず笑みが零れそうになる。
「……ボルカノさんは何処にいてもやる事同じですね」
「ん?…ああ、それはヒラガに頼まれているやつだ。オレの意見も聞きたいと言われてな」
「へえ……相変わらずよく分からない計算式ばかり書いてありますね。私には解読できません」
マグカップを持ったままチェアから身を乗り出し、テーブルに広げてある羊皮紙をじっと眺めていた。過去にも理論を何度か説明したが、全く理解ができないと言われたことがある。しかも「つまりこういう事ですよね」と感覚で受け止められた。彼女は理論よりも己の感覚を活かす職人気質だった。
昔のやり取りを少し思い出しては笑いそうになる。テーブルに軽く体重を掛けながら緩んだ口元を押さえた。
「何か可笑しい事ありました?」
「いや。……ようやく落ち着いて話せたと思ってな。何だかんだでまともに話すこともできなかった」
「ん……そうですね。しばらく箱の包装はしたくないです」
作業に追われていたのだろう。指先に巻かれた絆創膏の数がそれを物語っていた。
彼女はマグカップに口をつけた後、少し間を置いて話し始めた。
「ボルカノさんは塔士として喚ばれたんですよね」
「ああ。各地の塔へ出向する傍らにアイテムの開発も進めている」
「主戦力だってポルカが言ってました。ボルカノさんの朱鳥術のおかげで強力なアンデットを一掃できたって」
「……そうか。此処ではそれぞれ特技を活かす場面がある。霧華だってそうだろう」
「特技って言えるか分かりませんけどね」
話したいことは山ほどあったはずだった。向こうの世界に戻ってからの生活はどうなのか。副作用のような影響は出ていなかったかとか。どうしてこの世界にまた喚ばれてしまったのか。沢山あるはずが、一つも言葉の欠片が出てこない。
それは彼女も同じなのか黙りがちになっていた。暖炉の火が彼女の横顔に影を落としているような気さえしてくる。
書棚から黒いベルベットの小箱を持ち出し、彼女に差し出した。それが何か分からずに目を二度瞬かせる。
「直しておいたぞ」
「え、もう直ったんですか!?」
それはクリスマス騒動の直前に彼女から預かった物。「これ直せたらお願いします!」と半ば強引に押し付けられた。小さな布袋の中には半年前に彼女へ渡した護身用の装飾品が入っていた。元は護符としてネックレスに留めていたスタールビーを指輪に作り直したものだ。身に危険が迫った際に持ち主を護るようにと。
指輪の石が台座から外れ、リング部分も僅かに歪みが出ていた。サイズを少し直したが、この程度の修理にそう時間は要しなかった。
「オレを誰だと思ってるんだ」
「流石ですね。ありがとうございます」
受け取った箱から指輪をつまみ出し、光に当てる。六条の線が煌めいた様を見た彼女の口元が緩む。
「まだそれを持っていてくれたんだな」
「実は向こうに着いた途端に壊れちゃって。……捨てるに捨てられなかったんです」
送還の衝撃を和らげてくれたのかもしれないと眉尻を下げて笑った。御守りのように持ち歩いていたとも話してくれた。「何となく護られてる気がして」と。それを聞いて不意に目の奥が熱くなる。
手違いで喚び出してしまった彼女を送り還した。術士として当然の責務を果たしたというのに、後に残されたのは虚無感。あの時、彼女に伝えた言葉が正しいものだったのかは分からない。もっと早く伝えていれば結果は変わっていた。唯、あの頃の関係を壊したくなかっただけだ。
「しかしまたこの世界に喚び出されるとは。君も数奇な運命を持ち合わせているようだ」
「そーですね。折角還してもらったのに。また逆戻りですよ。……なんで私ばっかり。唯の一般人だっていうのに。……やっと普通の生活に、元に戻ってきたところだったのに」
棘を含むような言い方でぼやいていた彼女は指輪を箱に収め、蓋を閉じた。箱を持つ指先が僅かに震えている。それきり彼女は黙っていた。暖炉の火が静かに爆ぜる音だけが室内の空気を震わせていた。
「……怒っているだろ」
「当たり前じゃないですか。……あんな言い逃げされて」
「逃げたわけじゃない」
「じゃあ何で別れ際にあんな事言ったんですか。…いつも自分勝手に言いたいことだけ言って、私の話聞いてくれなくて。あのあとどれだけ私が悩んだか……ばか、大バカっ術士」
彼女はそう早口で捲し立てた後、膝を抱え込んで顔を伏せる。その手から零れ落ちそうになる指輪の箱を代わりに受け取った。
「忘れて欲しくなかったんだ」
「……忘れるわけないじゃないですか。九死に一生を得るような経験ばっかりしたのに。どうせ誰にも話せないし、墓場まで持ってくつもりだったんですからね」
「ああ……そうだったな。君が血塗られた剣の怨霊に憑かれた時は流石に肝が冷えたぞ」
「あの時は、……すみません、でした」
「ご迷惑おかけしました」と謝られるも、語尾が次第に消えていった。膝頭から覗かせた顔はすっかり気落ちしていた。少し不貞腐れているようにも見える。
床板の上に膝を折り、彼女と視線を合わせる。黒曜石に近い色の瞳が僅かに揺れていた。
「霧華」
「なんですか」
「オレの気持ちはあの時から変わっていない。君の事が好きだ。……返事を聞かせてくれないか」
自分から人を好きになり、縋るような感情を抱くなど昔の自分では有り得ないこと。それを変えたのは紛れもなく彼女だ。
「……随分はっきり言うんですね」
「はっきり言わなきゃ伝わらないと話したのは君の方だ。……今までにも何度かアプローチを試みたが、哀しいぐらいに全く気付いてもらえなくてな」
あれは今思い出しても虚しい空回りだ。鈍感にも程がある。
どうやら彼女はそれらの出来事を振り返ってみたのか、言葉を詰まらせて視線を泳がせていた。
「所詮気にも留めない程度の男なのかと。流石に自信を失くしかけた。……だが、これを見る限りはそうでも無かったようだ」
小箱の中身を取り出し、彼女の左手の指にそれを嵌める。真紅の輝きを携えたその指にそっと口づける。それから彼女の瞳を真っすぐに捉えた。
「オレの側に居てくれ」
彼女の頬が赤く染まっていく。やがて俯いたまま硬直する。成程。以前のように曖昧な態度を取った時とはまるで違う反応だった。
「……そんな風に言われたら断れないじゃないですか。……ずるい」
「逃げ道は用意してある。……君がオレの事を好いてくれなければこの感情にそもそも意味が無い。元の世界に恋をしている相手が居るなら、それで」
「居ませんよ。……だって、帰ってからずっとボルカノさんのこと考えてましたもん。……一年経ってやっと忘れられそうだなあって思ってた所だったのに。ホントずるい」
その答えだけで充分だった。緩く止めた足枷を外さずに引きずりながら暮らしていたのだと知っただけで。外そうと思えばいつでも捨てることができた。
彼女の想いにまた火を点けたのは自分だ。
「私で、よければ」
「ああ」
「……ボルカノさんが好きです」
腕を伸ばして彼女を抱え込む。彼女の細い腕が遠慮がちに背を抱き返してくる。その腕が、華奢な体が愛おしい。もう手放すものかと強く抱きしめた。
「……賭けてみるものだな。ああ……いや、クリスマスの奇跡とやらに乗っかってみたんだ。この世界でまた君に逢えた。これ以上の奇跡はない」
「珍しいですね。奇跡とか運命だとかあやふやなもの嫌いなくせに」
「たまには悪くない。……愛してるよ霧華」
互いの額を合わせてあの日に伝えた言葉をもう一度。今度はしっかりと相手に届けることができた。