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三百年後の朱鳥術士 後編
「朱鳥術に関する論文が功績を称えられ、学会からも高く評価されておりました。またアイテムクリエイターとして名を馳せられております。ボルカノ様は我々の誇りです。現当主は私の父ですが、屋敷はボルカノ様の代で建てられたものだと伺っております」
「人里離れた場所に居を構えるとはな。…まったく自分らしいものだ」
「静かな場所を好むと聞いておりました。自然に囲まれていてとても良い場所です。精霊達も賑やかに暮らしております」
利便性を取るか、喧騒を避け研究に集中できる環境を求めるか。己であれば間違いなく後者を選ぶ。
当時は立地条件が悪くなかったのだろう。だがこの三百年で魔物の生息域も変化している可能性がある。先述、塔の出現により魔物の出没が増えたのであればこの様な森の奥に住まうには危険が伴う。
「魔物や獣の襲撃に備えてはいるのか」
「はい。その点も考えられております。屋敷一帯を囲う水晶の柱が四つ、結界を張って侵入者を阻んでいます。結界石を用い、術士の魔力を増幅させる……祖父の代よりも前からこのシステムは運用されているのですが、これもボルカノ様が?」
「恐らくはな。その手法に心当たりがある」
「やはり!素晴らしいシステムです。おかげで一度も襲撃に遭ったことはありません」
「……三百年も経てば柱に異常も出てくる。過信せずにいることだ。時を重ねた地盤が変化を起こし、柱の位置にずれが生じれば結界の強度も変わる。結界石も貴重な品、無駄な消費を極力抑える為に……なんだ」
考えられる事象を述べている最中、視線を感じてそちらの方を向けば立ち止まったグレンから羨望に近い眼差しを注がれている。この少年と逢ってからまだ十数分も経っていないが、どうやら彼は少々感激屋の節がある。
「ボルカノ様から直々のお考えを戴けるなんて…嬉しすぎて」
「少し大袈裟ではないか」
「とんでもない!三百年前の死食がもたらした脅威から世界を救った英雄にお逢いできただけでも感無量だというのに…」
「世界を、救った?……どういうことだ」
「はい!二人の宿命の子を再生へと導かれた英雄の一人として。伝記にも残されていますし、我が家でも代々語り継がれてきました」
「ちょっと待て。……身に覚えがない」
彼は陽光の様に顔を輝かせていた。
三百年前の死食の影響による世界の存亡を賭けた戦い。世界を再生へと導いた英雄達は確かに存在する。かつて彼女が話していた連中だ。此処にも何人か呼ばれている。
しかし、その中にオレ自身は含まれていない。英雄達に同行する気も更々無い。それとも気狂いでも起こし、アビスにまで乗り込んだというのか。嗚呼、否そうじゃない。此処にはありとあらゆる時点の戦士達が集う。この世界の時間軸がオレ自身の物とは異なる可能性が浮上した。
盾を巡る攻防戦、召喚術の成否、暗殺者の有無。全てが一つに繋がっているとは限らない。例えば、盾を入手した後に彼等に力を貸した標。召喚石が辛くも失敗作となり、そもそも彼女がこの世界に存在していなかった標。若しくはこの恋慕を抱くことがなかった標。組み合わせは無数に考えられる。未来はほんの些細な出来事で瞬間的に変わってしまうものだ。この時間軸に居た己はどの様な道を辿って来たのか。
思案を巡らせているうちに額へ手を当てていた。嗚呼、知恵熱でも出そうだなぐらいだ。「朱鳥術士も風邪引くんですか」と馬鹿げた質問を投げかけてきた場面を俄かに思い出した。当たり前だ、と返したことが既に懐かしい。
オレのすぐ隣では困惑した目が「あの」と言いあぐねていた。
「……もしかすると貴方様はアビスの者達を倒す前の方かもしれません。塔士や異界の戦士達の噂は我々もかねがね存じております。でも、…俺達にとっては偉大な御先祖様であることには変わりない。……ですから」
「この世界と君達の存在を否定するわけではない。……ただ、この世界の過去を生きた私は一体どういう歴史を紡いできたのか。それが気になっただけだ。君が気落ちする必要は全く無い」
俯いている頭へ自然と手が伸びていた。少し癖のある髪質が自分の物と似ている。恥じらう様に咲かせた笑みにはあどけなさが感じられた。
「……へへ。やはり噂通りお優しい方ですね」
「そう思うのは勝手だ。……それにしても私に関する情報がよくこの時代にまで残っているものだな」
「伝記に残されているものもありますし、人伝に聞いたものも。相当な愛妻家ともお聞きしております」
「……噂には尾ひれがつくものだ。全てが真実だと鵜呑みにするな」
「はい、心得ておきます!……そろそろ我が家が、見えました!あちらです!」
林道を抜けた先に開けた場所が現れた。そこに一軒の屋敷が建てられている。白く塗られた壁に赤い屋根瓦のコントラストが良い。モウゼスを拠点にしていた館と同等の大きさで、庭も誂えてある。庭木の手入れも行き届いている。ただ、聳え立つ塔の部分が無いだけ物寂しいと思えた。
エントランスホールへ足を踏み入れると、中央に緩く弧を描いた階段が上階へと続いていた。敷かれた絨毯、窓に括られたベルベットのカーテンは緋色で揃えられている。頭上に輝く小ぶりのシャンデリアには部分的に赤い色硝子を取り入れていた。その他絵画や観葉植物はどれも自分好みの調度品だ。
「父は書斎に居ると思います。ご案内致しますのでどうぞこちらへ。きっと驚きますよ」
一階フロアの奥に位置する部屋が現当主の書斎らしい。彼はそこで立ち止まり、軽くドアをノックした。
「グレンです。只今戻りました」
「入りなさい」
主の反応を待ち、金古美調の装飾が施されたドアノブを下げる。錆びた蝶番が音を立てた。
窓に背を向け、書斎机で頬杖をついている男性。彼が現当主なのだろう。右手に握られたペンが器用にくるりと回転する。髪の色、体格、考え事をしている時の癖。自分と良く似た人物がそこに座って居た。敢えて違うといえば、伸びた髪を髪紐で一つに括っていること、縁の無い細身の眼鏡を掛けていることぐらいか。歳は見た目だけでは計れないが、この年齢の子がいることから四十は数えていそうだ。
彼は手元の書簡に視線を落としたまま、呆れながらも落ち着いた口調で彼に問いかけてきた。
「随分と派手にやっていたようだが、火災は起こしていないだろうな。此処まで炎の唸りが聞こえてきたぞ」
「……あー。それ、多分俺じゃないです」
「何を言っている。お前じゃなければ一体誰がやったと」
書簡から顔を上げた当主はオレの顔を捉えた途端、その琥珀色の目を丸く見開いた。どうやら僅かな時間の間にオレが唯の来客ではないと気が付いたようだ。さて、流されるままに此処まで赴いたのはいいがどう説明したものか。自ら三百年前の先祖だと名乗るのはどうも気が引ける。
「……貴方は。いや、まさかそんな筈は」
「驚いた?」
「グレン、どうしたんだ、これは一体」
「世界各地に塔が出現しているのは父さんも知っているはずだ。その塔に過去、異界の戦士達が封じられていることも。……この御方、ボルカノ様もその一人というわけ」
「……三百年前の天才術士と謳われた御方が、この時代に……」
どうやら回りくどい説明は不要のようだ。
当主は何度もグレンとオレの顔を交互に見、後に腰掛けていた椅子の背にもたれかかる。そして天井を仰ぐようにして目元を片手の平で覆い被せた。
「失礼を承知でこちらへ参らせていただいた。己の術を磨くべく、単身森を散策していた所に御子息とお逢いしたのだが…不意の来訪を詫びねばなるまい」
「魔物に囲まれて危うい所を助けていただいたんです。俺、火の鳥を見ました。物凄くカッコよかったんだ!俺もいつかあんな風に術を使えたらなあ…」
「……成程。では先程の唸りは貴方様の朱鳥術でしたか」
「周囲への配慮を怠ったつもりはないが、気に障ったのであれば」
「とんでもない。あれだけの轟音を響かせる術をこの子はまだ扱えない。それが貴方様の術だと聞いて納得致しました。……御逢いできて光栄です、ボルカノ様」
こちらに向いた柔和な微笑み。ゆっくりと近づいてきた彼はオレの前で深々と頭を下げた。
礼節を弁えている点は良いが、親子共に人を疑うという様子が見られない。見た目、扱う術がそうだというだけの大した証拠も無いというのに、オレを自分たちの先祖だと崇めているのはいかがなものか。
「頭を上げてもらえないだろうか。…偉業を成し遂げる志はあるが、今の私は一介の術士。それに私が本物であるという証拠は不足しているのではないか?」
「証拠、ですか」
オレがそう問えば、ふむと顎先へ手を当てて考える仕草を見せた。いつのことだったか、考え事をしている自分はこんな風にしていると彼女が真似ていた。
彼は名案を思い付いたと言わんばかりに口元に緩い弧を描いた。
「では、書庫へおいでください。そこに貴方様の手帖が遺されております。手帖には強力な術の封印が施されており、今までに誰一人として解いた者はおりません。ボルカノ様御自身であればその封印を解くことができるはず。それを証拠と致しましょう。双方納得も行くはず。封印を解かれた後に応接間へいらしてください。お茶を用意してお待ちしております。…グレン、案内を」
「はい!ボルカノ様、ご案内致します。こちらへどうぞ」
この親子の表情からは鼻から疑う気など無いといった様子が窺える。もはや呆れてしまう域だ。だが、自身が遺したという手帖には興味が湧いてきた。
◇
この少年はよく喋る。こちらが何と聞かずとも時代の移ろいや家に関わる話を止まることなく続けた。息を継ぐのも忘れているのではないかと思うほどだ。時に大袈裟なまでの身振りや手ぶりも見せる。生き生きと話をするその様にまた姿を重ね合わせていた。
彼の話には覚えのあるものもあり、因縁である玄武術士の名も聞こえた。残された手記によれば和解したらしい。どちらから折れたのかは記されていなかったそうだが、知りたくもないのでその話は聞き流すことにした。
彼と父親である現当主は術の研究を主とし、アイテム製作には力を入れていないと聞く。その代わりに妹がアイテムや装飾品に熱を上げているのだと。器用な手先で小さいパーツを組み合わせることは自分には真似できないと彼は褒めていた。母親は三年前に他界したとも聞いた。
「古書はこちらの書庫に。どうぞ、お入りください」
屋敷には書庫が三部屋設けられている。案内の途中、そう話していた。それがオレの代で備えたのか、次第に増えていったのかは分からないそうだ。
古びた鍵で開けられた書庫に足を踏み入れた途端、古紙の匂いが鼻を掠めていく。叡智が詰め込まれた書物が壁一面の本棚に詰め込まれている。部屋の左奥には書斎机があり、それも経年劣化が見られたが未だに使われているようだ。インク瓶、羽ペンが置かれているほかに真新しい卓上ランプもある。そして椅子の背には畳まれた薄手の毛布がかけられていた。
「私がよく出入りするようになったので、管理を任されているんです」
「自室よりもここにいる時間の方が長いのではないか」
「え……何故お分かりになったのですか」
「なんとなくだ。古びた机だが、割と新しいカップの染みができている。この場所に長居しているのだと思ってな」
「ボルカノ様は観察眼も鋭い御方なのですね。推考を纏め始めるといつの間にか時間が経っていて…この間はついに妹に怒られましたよ。うとうとしていただけなんですが、そんな所で寝たら風邪引くでしょって」
一度の注意では懲りず、何度もうたた寝を繰り返す様子を見かねて毛布を渡されたのだと。グレンは頬を掻きながら話していた。
研究に熱心な様は称賛するが体調にも考慮するようにと忠告をした直後、上階から爆発音が響いてきた。それ一度きり聞こえただけで、あとは何事も無かったかの様に静まり返っている。
天井を見上げていたグレンが「また妹ですね」と呟く。
「よく調合で爆発起こしてるんです。今日はまだ小さい方ですね」
「……気を付けさせた方がいい。朱鳥の力を甘く見ていると自身を滅ぼしかねん」
「一応保護術はかけているのですが…。少し様子を見てきますので、ボルカノ様はこちらでお待ちください。書物はご自由に……あっ!手帖は引き出しにありますので!」
書庫を出る際にそう付け加え、慌ただしく廊下を駆けていった。
時折見せる性格の一端は本当に自分の血が流れているのだろうかと思う節もある。相手方の血が濃く出ているのか。
書庫は手入れがされているようで、ざっと見渡す限りでは埃を被っているものは一冊も無い。明かり窓から差し込む光だけで充分室内は明るかった。
棚に目を走らせた時にふと見覚えのある背表紙に目が留まった。傷みが進んでいるその本を慎重に取り出し、頁を捲る。過去に名を馳せた朱鳥術士が綴った朱鳥術の理論。あの日、モウゼスから持ち出したうちの一冊だ。感銘を受けた文献なのでよく覚えている。
この辺りには己が所持していた物が多数見受けられた。恐らくは自筆の物もある。どの様な論文を残したのか気にかかったが、今の自分に果たして閲覧権利はあるのだろうか。未来を知り過ぎては毒にもなり得る。例えば、自分の信ずる定義が後に覆されていたとしたら。真実を知れば研究が捗るかもしれないが、本当にそれが良いことなのか。
目の前に据えられた未来の知識を得たとしても、己自身が納得いかなければ無用の長物。
手にしていた本を元の場所へ納め、書斎机へと目を向ける。彼が言っていた引き出しというものはその机以外に見当たらない。
ハンドルに手を掛けて引き出しを開け、中を物色する。大したものは入っていない。羊皮紙の束、洋紙がきっちりと納まっていた。洋紙の方に書かれたインクの文字がまだ新しい。グレンの字だろう。推論を纏めているようだ。何枚か捲ってみたが中々面白い考え方だ。
引き出しの隅にぴったりと納まる手帖を見つけた。なめし革で誂えた手に収まるサイズの物。元はもう少し明るめの茶色だが、年月を経て渋い風合いに染まっていた。胸元から己の手帖を取り出し、机の上にそれらを並べてみると違いは一目瞭然だ。表側にある傷の大きさ、位置が全く同じである。これは紛れもなくオレの手帖だ。
手帖の見た目は変化しているが、特に封印が為されている感じは無い。迂闊に触れてしまったが、術によって拒まれる事も無かった。本当に封印がされているのかと疑念を抱きながら、表紙に指を掛けた。
すると、硝子が割れる様な音を立てた。成程、術をかけた当人で無ければ解くことのできない類か。およそ三百年、手帖の中身を知る者は皆無。しかし、誰の目にも触れさせないように施したのは何故だ。
手帖の頁を普段の調子で捲っていく。そこには自分が書き留めたメモが変わらずに残されていた。術式の定義、魔王の盾に関する情報、聖王家の書庫で走り書きしたもの。つい先日に書き留めた文字ですら古ぼけているので妙な感覚だ。どうやらこの世界の過去には彼女が存在していたらしい。召喚石や契約印の事が書かれている。
召喚石に関する記載に目を通しているうちに、覚えのない書き込みがあることに気が付いた。内容自体に特別変わったものは無い。召喚石と彼女の体調を記したものだ。違和感を覚えたのは日付だ。明らかに送還の義を行った後の日付になっている。
頁を捲る途中、後ろに挟まっていた紙切れが机の上に数枚落ちた。均一に揃えられた大きさの紙切れを拾い上げ、表面に返す。そこに描かれたいたものに息を呑んだ。
セピア色で描かれた霧華の姿がある。まるで鏡で映したかのように瓜二つだ。その一枚には微笑んでいる彼女だけが描かれており、他の紙切れには正装で身なりを整えていた。その横にオレの姿が並んでいる。どういうことだ。これは一体。
写真。その単語を俄かに思い出すことができた。絵を描くよりも正確に細部まで表現できる技法がある。その場にある物を瞬間的に紙に焼き付けて残すものだと。そういった記録の残し方が彼女の世界に存在していると聞いた。
そういえばツヴァイクの西に住む教授が静止画定着装置とやらを開発したと風の噂に聞いていた。これがその装置を利用した写真なのだろう。しかし、これにも覚えが全く無い。その噂を聞いたのも彼女を還してからだ。それに、ここに写された二人は少し歳を重ねている気がする。
紙切れを何気なく裏返してみると、右下に日付と一文が添えられていた。
”最愛の人と”
嗚呼、息が詰まりそうだ。
未だ確証は無い。だが今までの出来事とこれらから察するに、この世界は恐らく。
足音が二つ聞こえてきた。ここぞとばかりに音を拾い上げたのは幸い。早足で近づく彼等が書庫に辿り着くより先に手帖を閉じ、自身の手帖は再び胸元へと納めた。
「ほら、早く早く!」
「グレン、ちょっと待って。だから一体何なの?私、調合の続きやりたいんだけど」
急かす声の方はグレン。もう一人は初めて聞く落ち着いた少女の声。彼の妹であれば、上階で爆発を起こした張本人か。
書庫に姿を見せたグレンは「お待たせしました!」と先程と変わらず明るい声を張る。そして連れてきた妹を自分の前に軽く押し出した。彼女は「押さないでよ」と不満そうに口を尖らせる。
こちらを振り向いた少女の容姿に言葉を失いかけた。柔らかな黒い髪、赤みを帯びた褐色の瞳。霧華がそこに居るのではないかと錯覚をも起こさせる。
彼女はオレの顔を見て、当主と同じ様に目を皿の様にしていた。どう声を掛けていいものか。そう悩むうちにグレンが「な、驚いただろ?」と妹を肘でつつく。
「我らの偉大な御先祖様、ボルカノ様だぞ!」
「……塔の出現。塔士団の結成…過去、異界からの戦士……そっか、塔から解放されて……えええっ!?ほ、ホントに?」
「ああ本当さ!証拠は二つある。一つはこの目でボルカノ様の朱鳥術を拝見した。そして二つ目は御自身が遺された手帖の封印を解かれたこと」
「もしかして、さっきの火の鳥。二階の窓から焔を纏った鳥が見えて……見間違いじゃなかったんだ」
上気した頬を赤らめ、目を輝かせる様はまるで輝く星の様。刹那、はっと息を呑み彼女は我に返った。「申し遅れました!」と弾いたように喋りだす。
「フレイアと申します。グレンは私の双子の兄です。御逢いできて光栄です、ボルカノ様」
「……ああ、私もだ。まさかこの様な機会に恵まれるなどとは努々思うまい。……三百年という年月が流れても色濃く残るものだな」
髪の質感、目の形、表情の作り方、話し方。仕草さえも。本人かと見間違えてしまう程に。
ふと、彼女の右手に見覚えのある物を捉えた。楕円状の赤い宝石、スタールビーのルースが石座に取り付けられた金の指輪。
「その指輪は」
「私が十六歳の誕生日の時に母から受け継いだ物です。元は貴方様が奥様に贈られた物だと聞いております」
右手の薬指から指輪を抜き取り手の平の上に乗せる。それがオレの前に差し出された。指で摘まみ上げた指輪は少々古ぼけているものの、ルースの輝きはあの日のままだ。感慨深いものだな。
「そうか……大切に受け継がれてきたようだ。中の御符は何度か書き換えたのだろう?」
「あ、はい。父や兄に御符を書いていただいてます」
「ふむ。…保護があるとはいえ、調合は慎重に行うように」
そう忠告を成せばきょとんとした表情を見せ、目を二度瞬かせる。それから勢いよくグレンの方を振り向いて「グレン喋ったんでしょ!?もおー!恥ずかしいこと曝さないでよ!」と真っ赤になって怒りだした。
「だって失敗したのは事実だろ」
「グレンだって新しい術の試し撃ちだとか言って失敗してるくせに!この間だって庭の植木を焦がして怒られてたじゃない」
「うっ…あれは、気が散って狙いが逸れただけで失敗じゃ」
このような言い合いを見るのは久しぶりだ。モウゼスに居た頃、彼女と弟子が下らない事でそうしていたのと似ている。互いに心中を隠さずに本音を言い合える仲は悪くない、喧嘩するほど仲が良いと言う。無論、例外もあるだろうがこの二人は本当に仲の良い兄妹なのだろう。
二人の他愛のないやり取りについ、笑みを零してしまった。それを見てか、ぴたりと兄妹喧嘩が止む。こちらの顔色を窺っているようだ。
「も、申し訳ありません。御先祖様のまえでこんな子どもみたいなケンカして…」
「いや、なに。仲睦まじい所を見せてもらった。……これからも大切にしてくれ」
彼女の手に指輪を返すと暫くそれを見つめ、花の様な微笑みをオレに向けた。
これではっきりとした。この世界はオレが生きた未来では無い。あの日とは別の時間が流れ続けている。躊躇い、選ぶことの無かった日の未来。過去のオレは彼女を引き留めた。共に居たいと臆することなく想いを打ち明けた。
存在し得る一つの未来を知ることになるとは皮肉なものだ。
「この世界でならもう一度、霧華さんに会えるかもしれない」
ポルカの言葉が不意に過ぎる。そうだな。若しも、もう一度逢えた時には間違いなく告げるとしよう。
君への気持ちは未だ捨てきれずに焦がしていると。
「朱鳥術に関する論文が功績を称えられ、学会からも高く評価されておりました。またアイテムクリエイターとして名を馳せられております。ボルカノ様は我々の誇りです。現当主は私の父ですが、屋敷はボルカノ様の代で建てられたものだと伺っております」
「人里離れた場所に居を構えるとはな。…まったく自分らしいものだ」
「静かな場所を好むと聞いておりました。自然に囲まれていてとても良い場所です。精霊達も賑やかに暮らしております」
利便性を取るか、喧騒を避け研究に集中できる環境を求めるか。己であれば間違いなく後者を選ぶ。
当時は立地条件が悪くなかったのだろう。だがこの三百年で魔物の生息域も変化している可能性がある。先述、塔の出現により魔物の出没が増えたのであればこの様な森の奥に住まうには危険が伴う。
「魔物や獣の襲撃に備えてはいるのか」
「はい。その点も考えられております。屋敷一帯を囲う水晶の柱が四つ、結界を張って侵入者を阻んでいます。結界石を用い、術士の魔力を増幅させる……祖父の代よりも前からこのシステムは運用されているのですが、これもボルカノ様が?」
「恐らくはな。その手法に心当たりがある」
「やはり!素晴らしいシステムです。おかげで一度も襲撃に遭ったことはありません」
「……三百年も経てば柱に異常も出てくる。過信せずにいることだ。時を重ねた地盤が変化を起こし、柱の位置にずれが生じれば結界の強度も変わる。結界石も貴重な品、無駄な消費を極力抑える為に……なんだ」
考えられる事象を述べている最中、視線を感じてそちらの方を向けば立ち止まったグレンから羨望に近い眼差しを注がれている。この少年と逢ってからまだ十数分も経っていないが、どうやら彼は少々感激屋の節がある。
「ボルカノ様から直々のお考えを戴けるなんて…嬉しすぎて」
「少し大袈裟ではないか」
「とんでもない!三百年前の死食がもたらした脅威から世界を救った英雄にお逢いできただけでも感無量だというのに…」
「世界を、救った?……どういうことだ」
「はい!二人の宿命の子を再生へと導かれた英雄の一人として。伝記にも残されていますし、我が家でも代々語り継がれてきました」
「ちょっと待て。……身に覚えがない」
彼は陽光の様に顔を輝かせていた。
三百年前の死食の影響による世界の存亡を賭けた戦い。世界を再生へと導いた英雄達は確かに存在する。かつて彼女が話していた連中だ。此処にも何人か呼ばれている。
しかし、その中にオレ自身は含まれていない。英雄達に同行する気も更々無い。それとも気狂いでも起こし、アビスにまで乗り込んだというのか。嗚呼、否そうじゃない。此処にはありとあらゆる時点の戦士達が集う。この世界の時間軸がオレ自身の物とは異なる可能性が浮上した。
盾を巡る攻防戦、召喚術の成否、暗殺者の有無。全てが一つに繋がっているとは限らない。例えば、盾を入手した後に彼等に力を貸した標。召喚石が辛くも失敗作となり、そもそも彼女がこの世界に存在していなかった標。若しくはこの恋慕を抱くことがなかった標。組み合わせは無数に考えられる。未来はほんの些細な出来事で瞬間的に変わってしまうものだ。この時間軸に居た己はどの様な道を辿って来たのか。
思案を巡らせているうちに額へ手を当てていた。嗚呼、知恵熱でも出そうだなぐらいだ。「朱鳥術士も風邪引くんですか」と馬鹿げた質問を投げかけてきた場面を俄かに思い出した。当たり前だ、と返したことが既に懐かしい。
オレのすぐ隣では困惑した目が「あの」と言いあぐねていた。
「……もしかすると貴方様はアビスの者達を倒す前の方かもしれません。塔士や異界の戦士達の噂は我々もかねがね存じております。でも、…俺達にとっては偉大な御先祖様であることには変わりない。……ですから」
「この世界と君達の存在を否定するわけではない。……ただ、この世界の過去を生きた私は一体どういう歴史を紡いできたのか。それが気になっただけだ。君が気落ちする必要は全く無い」
俯いている頭へ自然と手が伸びていた。少し癖のある髪質が自分の物と似ている。恥じらう様に咲かせた笑みにはあどけなさが感じられた。
「……へへ。やはり噂通りお優しい方ですね」
「そう思うのは勝手だ。……それにしても私に関する情報がよくこの時代にまで残っているものだな」
「伝記に残されているものもありますし、人伝に聞いたものも。相当な愛妻家ともお聞きしております」
「……噂には尾ひれがつくものだ。全てが真実だと鵜呑みにするな」
「はい、心得ておきます!……そろそろ我が家が、見えました!あちらです!」
林道を抜けた先に開けた場所が現れた。そこに一軒の屋敷が建てられている。白く塗られた壁に赤い屋根瓦のコントラストが良い。モウゼスを拠点にしていた館と同等の大きさで、庭も誂えてある。庭木の手入れも行き届いている。ただ、聳え立つ塔の部分が無いだけ物寂しいと思えた。
エントランスホールへ足を踏み入れると、中央に緩く弧を描いた階段が上階へと続いていた。敷かれた絨毯、窓に括られたベルベットのカーテンは緋色で揃えられている。頭上に輝く小ぶりのシャンデリアには部分的に赤い色硝子を取り入れていた。その他絵画や観葉植物はどれも自分好みの調度品だ。
「父は書斎に居ると思います。ご案内致しますのでどうぞこちらへ。きっと驚きますよ」
一階フロアの奥に位置する部屋が現当主の書斎らしい。彼はそこで立ち止まり、軽くドアをノックした。
「グレンです。只今戻りました」
「入りなさい」
主の反応を待ち、金古美調の装飾が施されたドアノブを下げる。錆びた蝶番が音を立てた。
窓に背を向け、書斎机で頬杖をついている男性。彼が現当主なのだろう。右手に握られたペンが器用にくるりと回転する。髪の色、体格、考え事をしている時の癖。自分と良く似た人物がそこに座って居た。敢えて違うといえば、伸びた髪を髪紐で一つに括っていること、縁の無い細身の眼鏡を掛けていることぐらいか。歳は見た目だけでは計れないが、この年齢の子がいることから四十は数えていそうだ。
彼は手元の書簡に視線を落としたまま、呆れながらも落ち着いた口調で彼に問いかけてきた。
「随分と派手にやっていたようだが、火災は起こしていないだろうな。此処まで炎の唸りが聞こえてきたぞ」
「……あー。それ、多分俺じゃないです」
「何を言っている。お前じゃなければ一体誰がやったと」
書簡から顔を上げた当主はオレの顔を捉えた途端、その琥珀色の目を丸く見開いた。どうやら僅かな時間の間にオレが唯の来客ではないと気が付いたようだ。さて、流されるままに此処まで赴いたのはいいがどう説明したものか。自ら三百年前の先祖だと名乗るのはどうも気が引ける。
「……貴方は。いや、まさかそんな筈は」
「驚いた?」
「グレン、どうしたんだ、これは一体」
「世界各地に塔が出現しているのは父さんも知っているはずだ。その塔に過去、異界の戦士達が封じられていることも。……この御方、ボルカノ様もその一人というわけ」
「……三百年前の天才術士と謳われた御方が、この時代に……」
どうやら回りくどい説明は不要のようだ。
当主は何度もグレンとオレの顔を交互に見、後に腰掛けていた椅子の背にもたれかかる。そして天井を仰ぐようにして目元を片手の平で覆い被せた。
「失礼を承知でこちらへ参らせていただいた。己の術を磨くべく、単身森を散策していた所に御子息とお逢いしたのだが…不意の来訪を詫びねばなるまい」
「魔物に囲まれて危うい所を助けていただいたんです。俺、火の鳥を見ました。物凄くカッコよかったんだ!俺もいつかあんな風に術を使えたらなあ…」
「……成程。では先程の唸りは貴方様の朱鳥術でしたか」
「周囲への配慮を怠ったつもりはないが、気に障ったのであれば」
「とんでもない。あれだけの轟音を響かせる術をこの子はまだ扱えない。それが貴方様の術だと聞いて納得致しました。……御逢いできて光栄です、ボルカノ様」
こちらに向いた柔和な微笑み。ゆっくりと近づいてきた彼はオレの前で深々と頭を下げた。
礼節を弁えている点は良いが、親子共に人を疑うという様子が見られない。見た目、扱う術がそうだというだけの大した証拠も無いというのに、オレを自分たちの先祖だと崇めているのはいかがなものか。
「頭を上げてもらえないだろうか。…偉業を成し遂げる志はあるが、今の私は一介の術士。それに私が本物であるという証拠は不足しているのではないか?」
「証拠、ですか」
オレがそう問えば、ふむと顎先へ手を当てて考える仕草を見せた。いつのことだったか、考え事をしている自分はこんな風にしていると彼女が真似ていた。
彼は名案を思い付いたと言わんばかりに口元に緩い弧を描いた。
「では、書庫へおいでください。そこに貴方様の手帖が遺されております。手帖には強力な術の封印が施されており、今までに誰一人として解いた者はおりません。ボルカノ様御自身であればその封印を解くことができるはず。それを証拠と致しましょう。双方納得も行くはず。封印を解かれた後に応接間へいらしてください。お茶を用意してお待ちしております。…グレン、案内を」
「はい!ボルカノ様、ご案内致します。こちらへどうぞ」
この親子の表情からは鼻から疑う気など無いといった様子が窺える。もはや呆れてしまう域だ。だが、自身が遺したという手帖には興味が湧いてきた。
◇
この少年はよく喋る。こちらが何と聞かずとも時代の移ろいや家に関わる話を止まることなく続けた。息を継ぐのも忘れているのではないかと思うほどだ。時に大袈裟なまでの身振りや手ぶりも見せる。生き生きと話をするその様にまた姿を重ね合わせていた。
彼の話には覚えのあるものもあり、因縁である玄武術士の名も聞こえた。残された手記によれば和解したらしい。どちらから折れたのかは記されていなかったそうだが、知りたくもないのでその話は聞き流すことにした。
彼と父親である現当主は術の研究を主とし、アイテム製作には力を入れていないと聞く。その代わりに妹がアイテムや装飾品に熱を上げているのだと。器用な手先で小さいパーツを組み合わせることは自分には真似できないと彼は褒めていた。母親は三年前に他界したとも聞いた。
「古書はこちらの書庫に。どうぞ、お入りください」
屋敷には書庫が三部屋設けられている。案内の途中、そう話していた。それがオレの代で備えたのか、次第に増えていったのかは分からないそうだ。
古びた鍵で開けられた書庫に足を踏み入れた途端、古紙の匂いが鼻を掠めていく。叡智が詰め込まれた書物が壁一面の本棚に詰め込まれている。部屋の左奥には書斎机があり、それも経年劣化が見られたが未だに使われているようだ。インク瓶、羽ペンが置かれているほかに真新しい卓上ランプもある。そして椅子の背には畳まれた薄手の毛布がかけられていた。
「私がよく出入りするようになったので、管理を任されているんです」
「自室よりもここにいる時間の方が長いのではないか」
「え……何故お分かりになったのですか」
「なんとなくだ。古びた机だが、割と新しいカップの染みができている。この場所に長居しているのだと思ってな」
「ボルカノ様は観察眼も鋭い御方なのですね。推考を纏め始めるといつの間にか時間が経っていて…この間はついに妹に怒られましたよ。うとうとしていただけなんですが、そんな所で寝たら風邪引くでしょって」
一度の注意では懲りず、何度もうたた寝を繰り返す様子を見かねて毛布を渡されたのだと。グレンは頬を掻きながら話していた。
研究に熱心な様は称賛するが体調にも考慮するようにと忠告をした直後、上階から爆発音が響いてきた。それ一度きり聞こえただけで、あとは何事も無かったかの様に静まり返っている。
天井を見上げていたグレンが「また妹ですね」と呟く。
「よく調合で爆発起こしてるんです。今日はまだ小さい方ですね」
「……気を付けさせた方がいい。朱鳥の力を甘く見ていると自身を滅ぼしかねん」
「一応保護術はかけているのですが…。少し様子を見てきますので、ボルカノ様はこちらでお待ちください。書物はご自由に……あっ!手帖は引き出しにありますので!」
書庫を出る際にそう付け加え、慌ただしく廊下を駆けていった。
時折見せる性格の一端は本当に自分の血が流れているのだろうかと思う節もある。相手方の血が濃く出ているのか。
書庫は手入れがされているようで、ざっと見渡す限りでは埃を被っているものは一冊も無い。明かり窓から差し込む光だけで充分室内は明るかった。
棚に目を走らせた時にふと見覚えのある背表紙に目が留まった。傷みが進んでいるその本を慎重に取り出し、頁を捲る。過去に名を馳せた朱鳥術士が綴った朱鳥術の理論。あの日、モウゼスから持ち出したうちの一冊だ。感銘を受けた文献なのでよく覚えている。
この辺りには己が所持していた物が多数見受けられた。恐らくは自筆の物もある。どの様な論文を残したのか気にかかったが、今の自分に果たして閲覧権利はあるのだろうか。未来を知り過ぎては毒にもなり得る。例えば、自分の信ずる定義が後に覆されていたとしたら。真実を知れば研究が捗るかもしれないが、本当にそれが良いことなのか。
目の前に据えられた未来の知識を得たとしても、己自身が納得いかなければ無用の長物。
手にしていた本を元の場所へ納め、書斎机へと目を向ける。彼が言っていた引き出しというものはその机以外に見当たらない。
ハンドルに手を掛けて引き出しを開け、中を物色する。大したものは入っていない。羊皮紙の束、洋紙がきっちりと納まっていた。洋紙の方に書かれたインクの文字がまだ新しい。グレンの字だろう。推論を纏めているようだ。何枚か捲ってみたが中々面白い考え方だ。
引き出しの隅にぴったりと納まる手帖を見つけた。なめし革で誂えた手に収まるサイズの物。元はもう少し明るめの茶色だが、年月を経て渋い風合いに染まっていた。胸元から己の手帖を取り出し、机の上にそれらを並べてみると違いは一目瞭然だ。表側にある傷の大きさ、位置が全く同じである。これは紛れもなくオレの手帖だ。
手帖の見た目は変化しているが、特に封印が為されている感じは無い。迂闊に触れてしまったが、術によって拒まれる事も無かった。本当に封印がされているのかと疑念を抱きながら、表紙に指を掛けた。
すると、硝子が割れる様な音を立てた。成程、術をかけた当人で無ければ解くことのできない類か。およそ三百年、手帖の中身を知る者は皆無。しかし、誰の目にも触れさせないように施したのは何故だ。
手帖の頁を普段の調子で捲っていく。そこには自分が書き留めたメモが変わらずに残されていた。術式の定義、魔王の盾に関する情報、聖王家の書庫で走り書きしたもの。つい先日に書き留めた文字ですら古ぼけているので妙な感覚だ。どうやらこの世界の過去には彼女が存在していたらしい。召喚石や契約印の事が書かれている。
召喚石に関する記載に目を通しているうちに、覚えのない書き込みがあることに気が付いた。内容自体に特別変わったものは無い。召喚石と彼女の体調を記したものだ。違和感を覚えたのは日付だ。明らかに送還の義を行った後の日付になっている。
頁を捲る途中、後ろに挟まっていた紙切れが机の上に数枚落ちた。均一に揃えられた大きさの紙切れを拾い上げ、表面に返す。そこに描かれたいたものに息を呑んだ。
セピア色で描かれた霧華の姿がある。まるで鏡で映したかのように瓜二つだ。その一枚には微笑んでいる彼女だけが描かれており、他の紙切れには正装で身なりを整えていた。その横にオレの姿が並んでいる。どういうことだ。これは一体。
写真。その単語を俄かに思い出すことができた。絵を描くよりも正確に細部まで表現できる技法がある。その場にある物を瞬間的に紙に焼き付けて残すものだと。そういった記録の残し方が彼女の世界に存在していると聞いた。
そういえばツヴァイクの西に住む教授が静止画定着装置とやらを開発したと風の噂に聞いていた。これがその装置を利用した写真なのだろう。しかし、これにも覚えが全く無い。その噂を聞いたのも彼女を還してからだ。それに、ここに写された二人は少し歳を重ねている気がする。
紙切れを何気なく裏返してみると、右下に日付と一文が添えられていた。
”最愛の人と”
嗚呼、息が詰まりそうだ。
未だ確証は無い。だが今までの出来事とこれらから察するに、この世界は恐らく。
足音が二つ聞こえてきた。ここぞとばかりに音を拾い上げたのは幸い。早足で近づく彼等が書庫に辿り着くより先に手帖を閉じ、自身の手帖は再び胸元へと納めた。
「ほら、早く早く!」
「グレン、ちょっと待って。だから一体何なの?私、調合の続きやりたいんだけど」
急かす声の方はグレン。もう一人は初めて聞く落ち着いた少女の声。彼の妹であれば、上階で爆発を起こした張本人か。
書庫に姿を見せたグレンは「お待たせしました!」と先程と変わらず明るい声を張る。そして連れてきた妹を自分の前に軽く押し出した。彼女は「押さないでよ」と不満そうに口を尖らせる。
こちらを振り向いた少女の容姿に言葉を失いかけた。柔らかな黒い髪、赤みを帯びた褐色の瞳。霧華がそこに居るのではないかと錯覚をも起こさせる。
彼女はオレの顔を見て、当主と同じ様に目を皿の様にしていた。どう声を掛けていいものか。そう悩むうちにグレンが「な、驚いただろ?」と妹を肘でつつく。
「我らの偉大な御先祖様、ボルカノ様だぞ!」
「……塔の出現。塔士団の結成…過去、異界からの戦士……そっか、塔から解放されて……えええっ!?ほ、ホントに?」
「ああ本当さ!証拠は二つある。一つはこの目でボルカノ様の朱鳥術を拝見した。そして二つ目は御自身が遺された手帖の封印を解かれたこと」
「もしかして、さっきの火の鳥。二階の窓から焔を纏った鳥が見えて……見間違いじゃなかったんだ」
上気した頬を赤らめ、目を輝かせる様はまるで輝く星の様。刹那、はっと息を呑み彼女は我に返った。「申し遅れました!」と弾いたように喋りだす。
「フレイアと申します。グレンは私の双子の兄です。御逢いできて光栄です、ボルカノ様」
「……ああ、私もだ。まさかこの様な機会に恵まれるなどとは努々思うまい。……三百年という年月が流れても色濃く残るものだな」
髪の質感、目の形、表情の作り方、話し方。仕草さえも。本人かと見間違えてしまう程に。
ふと、彼女の右手に見覚えのある物を捉えた。楕円状の赤い宝石、スタールビーのルースが石座に取り付けられた金の指輪。
「その指輪は」
「私が十六歳の誕生日の時に母から受け継いだ物です。元は貴方様が奥様に贈られた物だと聞いております」
右手の薬指から指輪を抜き取り手の平の上に乗せる。それがオレの前に差し出された。指で摘まみ上げた指輪は少々古ぼけているものの、ルースの輝きはあの日のままだ。感慨深いものだな。
「そうか……大切に受け継がれてきたようだ。中の御符は何度か書き換えたのだろう?」
「あ、はい。父や兄に御符を書いていただいてます」
「ふむ。…保護があるとはいえ、調合は慎重に行うように」
そう忠告を成せばきょとんとした表情を見せ、目を二度瞬かせる。それから勢いよくグレンの方を振り向いて「グレン喋ったんでしょ!?もおー!恥ずかしいこと曝さないでよ!」と真っ赤になって怒りだした。
「だって失敗したのは事実だろ」
「グレンだって新しい術の試し撃ちだとか言って失敗してるくせに!この間だって庭の植木を焦がして怒られてたじゃない」
「うっ…あれは、気が散って狙いが逸れただけで失敗じゃ」
このような言い合いを見るのは久しぶりだ。モウゼスに居た頃、彼女と弟子が下らない事でそうしていたのと似ている。互いに心中を隠さずに本音を言い合える仲は悪くない、喧嘩するほど仲が良いと言う。無論、例外もあるだろうがこの二人は本当に仲の良い兄妹なのだろう。
二人の他愛のないやり取りについ、笑みを零してしまった。それを見てか、ぴたりと兄妹喧嘩が止む。こちらの顔色を窺っているようだ。
「も、申し訳ありません。御先祖様のまえでこんな子どもみたいなケンカして…」
「いや、なに。仲睦まじい所を見せてもらった。……これからも大切にしてくれ」
彼女の手に指輪を返すと暫くそれを見つめ、花の様な微笑みをオレに向けた。
これではっきりとした。この世界はオレが生きた未来では無い。あの日とは別の時間が流れ続けている。躊躇い、選ぶことの無かった日の未来。過去のオレは彼女を引き留めた。共に居たいと臆することなく想いを打ち明けた。
存在し得る一つの未来を知ることになるとは皮肉なものだ。
「この世界でならもう一度、霧華さんに会えるかもしれない」
ポルカの言葉が不意に過ぎる。そうだな。若しも、もう一度逢えた時には間違いなく告げるとしよう。
君への気持ちは未だ捨てきれずに焦がしていると。