番外編
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窓辺の月明かり
夜更けに鳴く虫の声がこんなに気になることが今までにあっただろうか。
鈴虫、松虫、くつわ虫。とにかく色んな虫が鳴いている。鳴き声で種類を当てられる程詳しくない。むしろ虫は好きじゃない。せいぜい聞き分けられるのは鈴虫くらいだ。
夏に鳴いている虫は何だったかなあ。そんなことをベッドの中で考えていたら余計に寝付けなくなっていた。
宿屋のベッドに潜り込んだのは何時間も前だ。寝返りを何度も繰り返し、ようやくウトウトし始めても何かの拍子に目が覚めてしまう。そしてまたゴロゴロと寝返りを打っていた。
目が完全に冴えて、睡魔の欠片も無くなった頃。下手に眠ろうと頑張るよりは何か気が紛れることでもしようと身体を起こした。隣のベッドで眠るボルカノさんには迷惑を掛けないように物音を立てず、そっとそちらを窺う。けど、そのベッドはもぬけの殻だった。いつの間に抜け出したのか。薄暗い室内を見渡すと、窓辺の縁に腰かけて月を見上げている姿を見つけた。
月の光を受けた横顔は神秘的だった。月術は月の魔力を借りる物だと聞いてはいるけど、地術とも何らかの関係性はあるのかな。白いワイシャツが月の光を吸収して、青白く光っているようにも見える。
外へ向いていた顔が俄かにこちらに向いたので思わずどきりとした。
「眠れないのか」
「……えっと、はい。ボルカノさんは」
「オレもだ。霧華は随分と寝返りを打っていたようだな。いつベッドから転がり落ちるものかと」
「それなら声掛けてくださいよ」
「必死に眠ろうとしていたようだし、邪魔をしないように……余計な気遣いだったか」
ベッドから下りた私は靴を履いて彼が佇む窓際へ近づいた。大きな窓から月を見上げる。今夜は満月だ。煌々と照らす月の光がこんなに明るいものだと気づかされたのはこの世界に来てから。月と星の光だけじゃ夜道は物足りない、なんていう考えは既に無い。
「朱鳥術にも月の魔力って関係してくるんですか?」
「ああ。月術よりは影響しないが術力は増幅される」
そう言いながら彼は月を仰いだ。整った横顔が綺麗だなと思わず口にしそうになる。微妙な顔をされるに違いないので、黙って月光浴に便乗。月の光を受けていると何となく心地が良い。暫く浴びていれば睡魔も訪れそうだ。
「君が寝付けない理由は大方昼間の事を気にしているせいだろう」
月光浴の効果を期待してぼうっと呆けていた所へその言葉。ぎくりとしてしまった。寝付けずにいる理由を完全に知られてしまっている。
「な、……なんで。べつに、そんなことないです。もう割り切りました。いつまでもうじうじしてたらストレス溜まる一方だし。……二日もすれば忘れるから大丈夫です」
それは昼間の出来事だ。この町に着いて必要品を買い足そうと道具屋のドアノブを引こうとした時、彼の名を呼ぶ女性の声がしたので釣られて私も振り返った。思えばそこで私は振り返らずに店へ入れば良かったんだ。
声を掛けてきた女性はとても綺麗な人だった。栗色の髪は長くて癖一つもない真っ直ぐなストレート。体型もスラッと細身でワンピースが似合うお淑やかな印象を受けた。肌は雪のように白い。彼と会話を交わす女性の頬は紅を差したように染まり、話し方や仕草から嬉しさが滲み出ているようだった。
話を聞いている限りでは彼の助手を務めていた女性らしい。もしや、以前フェイル君が話していたガチで恋してた女性では。そうだとしたらこの場に私が居ては不味いことが起きる。私はそろりと向きを変えてお店に逃げ込もうとした。ドアノブに手を掛け、下へ引く。来店ベルが鳴るより先に女性の高く通った声が響いた。
「どうしてこんな才能の無い娘が貴方の側にいるんですか!」というきつい口調から始まった罵声。術の才能も無い、いざという時に戦えない、研究に役立つような人材じゃない。的確に指摘されたことに対して私は何も言い返せずに呆然と立ち尽くしていた。ああ、思い出したら凹んできた。
気に病む必要はない。あとでそうフォローしてくれたボルカノさんは啖呵を切られたにも関わらず、落ち着き払っていた。私に対してもそうだけど、彼も結構酷い言われようだったのに。
役立たずだと言われて反論の余地は無かった。だってその通りだから。気にしている事を改めて暴露されると結構凹んでしまう。昔の私ならその言葉が呪詛の様にずっと纏わりついて、生活に支障をきたすぐらい気にしていただろう。でも今は違う。三日あればストレスの元は薄れる。ある人の考え方に影響されて少しは前向きな考え方を身に着けたつもりだ。それだけは感謝している。元々の性格を変えるのは難しいけど、考え一つ切り替えるだけで気持ちがすっと楽になる事を教えてくれた。
「それにしても修羅場に自分が巻き込まれるなんて思ってもいなかったです。…この先も次々と巻き込まれるんだろうなあ」
「人聞きの悪いことを…オレに執着していたのは彼女ぐらいなものだ」
「他の人は財産目当てですもんね」
「何故、それを知っている」
「フェイルくんから聞きました。一ヶ月単位で館に出入りする女性が変わっていた、って。モウゼスでそれに関していい噂は無かったそうですよ」
片手で頭を抱えていたボルカノさんの口から溜息が漏れた。持ち上げた瞳はバツが悪そう。
「……念の為に言っておくが、何も無いからな」
「知ってます。というか女性に興味無いんだろなあって思ってました。だから愛想尽かされて、みたいな感じに」
「後者は大方それで合っている。……私利私欲で近付いてきた奴に愛情など湧かない」
「昼間の人は違うんですか?純粋にボルカノさんの事好きそうでしたけど」
向こうから見れば、かつて自分が好きだった相手の隣に見知らぬ女性が居た。だからこそ逆上して罵ってきたんだ。女の嫉妬は恐ろしい。これはどの世界でも共通事項だと思う。陰湿な虐めに遭わなければいいなあと私はぼんやり考える。
「なんだ、妬いているのか?」
「なっ、べっ別にそんなつもりじゃ。……なんで笑うんですか。可笑しいこと何もないですよね」
「……ああ、すまない。まさか君がそんな風に妬いてくれるとは思いもしなかったからな」
だから別に妬いていない。ムキになってそう返そうとすれば、彼の手が私の髪に触れた。するりと滑らせた指に毛先を絡ませる。そこに唇を寄せてくるので、堪らず顔の芯が熱くなりかける。私を捉えた瞳は日の下で見るよりも色濃く変化していて、艶めいていた。眩暈を覚えたのは月明かりのせいだと視線を外すも、頬を包み込まれてしまって敵わない。抱き寄せられて縮まった距離に息が詰まりそうになる。
「オレは君の才能と感性を認めている。それに一番側に居てもらいたい女性だ。他の誰でもなく、君に。……極端な話、オレは霧華から愛されていればそれでいい」
彼のその微笑み方があまりにも優しいものだから、これも月の光に惑わされているせいだと思った。どちらが惑わされているのか。唇に温かいものが触れてきたせいでそんな事を考える余裕も無くなる。火傷しそうな熱い口付けに思考がグラついていた。
胸元に引き寄せられた際に一瞬見えた彼の瞳が怪しく光っていたような気がした。耳元で「明日の出発は少し遅れても構わないな」と囁かれた言葉とキスに私は完全に溺れている感覚を抱いていた。
夜更けに鳴く虫の声がこんなに気になることが今までにあっただろうか。
鈴虫、松虫、くつわ虫。とにかく色んな虫が鳴いている。鳴き声で種類を当てられる程詳しくない。むしろ虫は好きじゃない。せいぜい聞き分けられるのは鈴虫くらいだ。
夏に鳴いている虫は何だったかなあ。そんなことをベッドの中で考えていたら余計に寝付けなくなっていた。
宿屋のベッドに潜り込んだのは何時間も前だ。寝返りを何度も繰り返し、ようやくウトウトし始めても何かの拍子に目が覚めてしまう。そしてまたゴロゴロと寝返りを打っていた。
目が完全に冴えて、睡魔の欠片も無くなった頃。下手に眠ろうと頑張るよりは何か気が紛れることでもしようと身体を起こした。隣のベッドで眠るボルカノさんには迷惑を掛けないように物音を立てず、そっとそちらを窺う。けど、そのベッドはもぬけの殻だった。いつの間に抜け出したのか。薄暗い室内を見渡すと、窓辺の縁に腰かけて月を見上げている姿を見つけた。
月の光を受けた横顔は神秘的だった。月術は月の魔力を借りる物だと聞いてはいるけど、地術とも何らかの関係性はあるのかな。白いワイシャツが月の光を吸収して、青白く光っているようにも見える。
外へ向いていた顔が俄かにこちらに向いたので思わずどきりとした。
「眠れないのか」
「……えっと、はい。ボルカノさんは」
「オレもだ。霧華は随分と寝返りを打っていたようだな。いつベッドから転がり落ちるものかと」
「それなら声掛けてくださいよ」
「必死に眠ろうとしていたようだし、邪魔をしないように……余計な気遣いだったか」
ベッドから下りた私は靴を履いて彼が佇む窓際へ近づいた。大きな窓から月を見上げる。今夜は満月だ。煌々と照らす月の光がこんなに明るいものだと気づかされたのはこの世界に来てから。月と星の光だけじゃ夜道は物足りない、なんていう考えは既に無い。
「朱鳥術にも月の魔力って関係してくるんですか?」
「ああ。月術よりは影響しないが術力は増幅される」
そう言いながら彼は月を仰いだ。整った横顔が綺麗だなと思わず口にしそうになる。微妙な顔をされるに違いないので、黙って月光浴に便乗。月の光を受けていると何となく心地が良い。暫く浴びていれば睡魔も訪れそうだ。
「君が寝付けない理由は大方昼間の事を気にしているせいだろう」
月光浴の効果を期待してぼうっと呆けていた所へその言葉。ぎくりとしてしまった。寝付けずにいる理由を完全に知られてしまっている。
「な、……なんで。べつに、そんなことないです。もう割り切りました。いつまでもうじうじしてたらストレス溜まる一方だし。……二日もすれば忘れるから大丈夫です」
それは昼間の出来事だ。この町に着いて必要品を買い足そうと道具屋のドアノブを引こうとした時、彼の名を呼ぶ女性の声がしたので釣られて私も振り返った。思えばそこで私は振り返らずに店へ入れば良かったんだ。
声を掛けてきた女性はとても綺麗な人だった。栗色の髪は長くて癖一つもない真っ直ぐなストレート。体型もスラッと細身でワンピースが似合うお淑やかな印象を受けた。肌は雪のように白い。彼と会話を交わす女性の頬は紅を差したように染まり、話し方や仕草から嬉しさが滲み出ているようだった。
話を聞いている限りでは彼の助手を務めていた女性らしい。もしや、以前フェイル君が話していたガチで恋してた女性では。そうだとしたらこの場に私が居ては不味いことが起きる。私はそろりと向きを変えてお店に逃げ込もうとした。ドアノブに手を掛け、下へ引く。来店ベルが鳴るより先に女性の高く通った声が響いた。
「どうしてこんな才能の無い娘が貴方の側にいるんですか!」というきつい口調から始まった罵声。術の才能も無い、いざという時に戦えない、研究に役立つような人材じゃない。的確に指摘されたことに対して私は何も言い返せずに呆然と立ち尽くしていた。ああ、思い出したら凹んできた。
気に病む必要はない。あとでそうフォローしてくれたボルカノさんは啖呵を切られたにも関わらず、落ち着き払っていた。私に対してもそうだけど、彼も結構酷い言われようだったのに。
役立たずだと言われて反論の余地は無かった。だってその通りだから。気にしている事を改めて暴露されると結構凹んでしまう。昔の私ならその言葉が呪詛の様にずっと纏わりついて、生活に支障をきたすぐらい気にしていただろう。でも今は違う。三日あればストレスの元は薄れる。ある人の考え方に影響されて少しは前向きな考え方を身に着けたつもりだ。それだけは感謝している。元々の性格を変えるのは難しいけど、考え一つ切り替えるだけで気持ちがすっと楽になる事を教えてくれた。
「それにしても修羅場に自分が巻き込まれるなんて思ってもいなかったです。…この先も次々と巻き込まれるんだろうなあ」
「人聞きの悪いことを…オレに執着していたのは彼女ぐらいなものだ」
「他の人は財産目当てですもんね」
「何故、それを知っている」
「フェイルくんから聞きました。一ヶ月単位で館に出入りする女性が変わっていた、って。モウゼスでそれに関していい噂は無かったそうですよ」
片手で頭を抱えていたボルカノさんの口から溜息が漏れた。持ち上げた瞳はバツが悪そう。
「……念の為に言っておくが、何も無いからな」
「知ってます。というか女性に興味無いんだろなあって思ってました。だから愛想尽かされて、みたいな感じに」
「後者は大方それで合っている。……私利私欲で近付いてきた奴に愛情など湧かない」
「昼間の人は違うんですか?純粋にボルカノさんの事好きそうでしたけど」
向こうから見れば、かつて自分が好きだった相手の隣に見知らぬ女性が居た。だからこそ逆上して罵ってきたんだ。女の嫉妬は恐ろしい。これはどの世界でも共通事項だと思う。陰湿な虐めに遭わなければいいなあと私はぼんやり考える。
「なんだ、妬いているのか?」
「なっ、べっ別にそんなつもりじゃ。……なんで笑うんですか。可笑しいこと何もないですよね」
「……ああ、すまない。まさか君がそんな風に妬いてくれるとは思いもしなかったからな」
だから別に妬いていない。ムキになってそう返そうとすれば、彼の手が私の髪に触れた。するりと滑らせた指に毛先を絡ませる。そこに唇を寄せてくるので、堪らず顔の芯が熱くなりかける。私を捉えた瞳は日の下で見るよりも色濃く変化していて、艶めいていた。眩暈を覚えたのは月明かりのせいだと視線を外すも、頬を包み込まれてしまって敵わない。抱き寄せられて縮まった距離に息が詰まりそうになる。
「オレは君の才能と感性を認めている。それに一番側に居てもらいたい女性だ。他の誰でもなく、君に。……極端な話、オレは霧華から愛されていればそれでいい」
彼のその微笑み方があまりにも優しいものだから、これも月の光に惑わされているせいだと思った。どちらが惑わされているのか。唇に温かいものが触れてきたせいでそんな事を考える余裕も無くなる。火傷しそうな熱い口付けに思考がグラついていた。
胸元に引き寄せられた際に一瞬見えた彼の瞳が怪しく光っていたような気がした。耳元で「明日の出発は少し遅れても構わないな」と囁かれた言葉とキスに私は完全に溺れている感覚を抱いていた。