番外編
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嘘の無い空色
丸形のフラスコを横へ振る。透明な青い液体がその中で揺れた。濁りもなく、沈殿物も見られない。調合は概ね成功といったところだが、効果の確認はどうしたものか。弟子が居ればそいつらを実験台にしてきたが。各地に散り散りになった今ではそれも叶わず、だからと彼女で試す訳にもいかない。傷を癒す薬や術の治験者になってもらってはいるが、それ以外で被験者にするつもりは毛頭ない。
「残念だが……効果は確認できないな」
「何のですか?」
彼女に見つかるより先に中和させて廃棄しよう。そう考えていた矢先に声を掛けられ、思わず肩を震わせた。栓をしたフラスコの中身が大きく跳ねる。
波のように揺れた液体を目に映した彼女は二度瞬きをした後、これは何だと尋ねてきた。目を付けられてしまってからではもう遅い。
「とある調合書に書かれていたものだ」
「空色…透き通った海の色みたいで綺麗ですね」
彼女の感性には度々感心させられる。この色を唯の青では無く空や海のようだと例えるのだ。フラスコの中身を覗き込んでいた褐色の瞳がこちらを捉えた。
「実用性は無い。簡単に言えば……嘘を付くことが出来なくなるものだ」
「へえ~…真実しか話せなくなる薬ですか。いかにもファンタジーっぽい」
「被験者が居ないから中和して廃棄する所だ。今後使う予定も無いしな」
「え、確かめずに捨てちゃうんですか。折角作ったのに……あ、何なら私が試しましょうか?」
その物言いに堪らず「馬鹿な事を言うな」と言い返した。君を巻き込むまいと考えていたにも関わらず、どうしてそう簡単に申し出ることが出来るんだ。相変わらず彼女の心境は理解不能だ。
「だって勿体ない。嘘が付けなくなるだけですよね?」
「……副作用が出る可能性も考えた方がいい」
「中和剤だって作ってあるんですよね」
調合を行っていた作業台兼テーブルの上には中和剤の瓶。同様に目を向けていた彼女は「具合悪くなったらそれで何とかなりますし」とあくまで軽い気持ちでいた。
調合書を見た限りでは人体に害を及ぼす成分は無い。少量ならば問題はないのかもしれないが。
「じゃあボルカノさんが飲ん」
「断る」
「即答ですか。……質問責めにしようと思ったのになー」
「何か言ったか」
「いえ、何も。私なら別に聞かれて困るようなこと無いだろうし、実験台になっても構いませんよ」
「そういう言い方は止してくれ。……分かった。今回限りだからな。異常を感じたら直ぐに中和剤を飲むように」
「はーい」
魔が差したのだろう。彼女の気持ちを、本音を知りたいと。そんな気持ちが何処かにあったが故に。
フラスコの栓を抜き、グラスに少量の薬を移す。ほんの二十ミリ程度だ。その量に応じた中和剤を別のグラスに注いだ。
作業台の側に椅子を二つ。その片方に彼女を座らせ、自分の手元には手帖とペンを用意。それから試薬が入ったグラスを彼女に手渡した。彼女は特に緊張している様子も無い。その理由も後に聞いてみるか。
彼女がグラスに注がれた空を飲み干した。それと同時に懐中時計を懐から取り出し、時間を確認。あの量ならば二十分程度の効果が期待される。薬の吸収速度を考えれば五分後には現れ始める筈だ。
懐中時計を作業台の上に置き、ペンに持ちかえる。併せて召喚石の反応も確認したいが、本人の前でそうするわけにもいかないか。
「変わりないか」
「大丈夫です」
見たところ顔色は悪くなく、平然としていた。現段階では問題が無さそうだ。手足に痺れはないかと再度尋ねても異常はないと答える。
都度身体の症状を聞き出し、分刻みに彼女の状態を記していく。そのうちに僅かな変化が現れた。こちらを向く視線はどこか落ち着かない様子で、表情も強張っている。
「どうした」
「……なんか面接みたいでイヤだなあって」
「面接?」
「私の世界だと就職の前に会社の人事とこんな感じで話をするんです。志望動機は何か、自己PRを一分間でしてくれとか」
その時の状況に酷似しているらしい。余程その面接が嫌いとみた。極度に緊張することがストレスに繋がる。以前に話していたものがこれだろう。
「安心してくれ。そういった類いの質問は一切しない。第一オレにそんなことを話されてもどうしようもないからな」
「ですよね。それを聞いて安心しました」
懐中時計の秒針が五周。体調に異常は無いようだし、そろそろ質問を始めても良いだろう。しかし何から聞けばいいのか。先の質問に対する答えを受け止める心構えが流石に整っていない。とりあえず適当なことを聞いていくか。
「夜は最近眠れているか。君は割と睡眠不足になりがちだからな」
「はい。ピドナの生活にも慣れてきたし…おかげで落ち着いて眠れてますよ」
「そうか」
「でもボルカノさんに言われたくないです。食事は規則的に摂ることにしたんだし、睡眠もちゃんととってくださいよ」
「……善処する」
作業やそれに伴う資料を纏めているうちに日付変更線を越えるなどざらにある。睡眠まで規則正しくとは中々に難しい注文だ。キリのいい所まで進めたいと思ううちに睡魔の方が退散してしまうのだから。
「新しい装飾品のデザインを思いついたと先日話していたが……具体的にはどういった物になりそうなんだ」
「革紐のブレスレットの事ですか?」
「ああ。完成するまで内緒だと言っていたな」
「んー…まあ、いっか。ベースの革紐は茶色で、青い硝子のビーズを使おうと思ってるんです。透き通る青が綺麗な物を見つけたので。ボルカノさんに話したら絶対赤の方がいいって言われると思って黙ってたんですよね。赤は嫌いじゃないけど、ちょっと推し過ぎですよね。自分の好きな色だからって何でもかんでも人に押し付けるのは正直どうかと」
薬の効果は確かに出ているのだろう。だが普段の彼女と殆ど変わりがない。元々裏表が無い性格ではあるが、辛口になっている。悪気の無い笑みを携えている分、余計に性質が悪い。普段よりも棘を感じる。
手帖にメモを記した後、作業台へ頬杖をつきながら彼女の方を見る。この仕草を不思議そうに「どうしたんですか」と尋ねてきた。
「いや。……普段と変わらないと思ってな」
「え。それってつまり、常日頃私は本音駄々洩れってことですか」
「そういうことになる。……変化したことと言えば、辛辣だな。オレは良かれと思って赤を勧めているだけであり、押し付けているつもりはないぞ」
「あ……すみません。そうだったんですね。じゃあ今度からは前向きに考えてみますね!」
「ああ、是非そうしてくれ。…ところで、この薬を飲もうと思ったのは何故か教えてくれないか」
よもや興味本位というわけでもなかろう。いや、彼女のことだからそれも考え得る。いくら口で薬の効果を説明した所で、毒薬だという可能性は考えなかったのか。疑うことを知らない性格は時に心配させられる。悪事を働く者に騙されやしないかと。
オレの質問に対し彼女は不思議そうに首を傾げた。
「なんでって、ボルカノさんの役に立つかなあと思って。前に言ってたじゃないですか、試作品は実際に使ってみない事には分析も何もできないって」
「ただ、それだけの理由でか。……オレが騙しているとは考えなかったのか」
「ボルカノさんが私を騙して何かメリットあるんですか?それに、私が協力できることならなるべくそうしようって思ってるんです。日頃お世話になっている恩返しというか…そんな感じですね」
まったく。信頼が重いな。自分が思っている以上に信頼を得ているようだ。この答えにはまだ続きがあるのか「それに」と彼女が口を開く。
「ボルカノさんが私の話を信じてくれたように、私もボルカノさんのこと信じてますから」
はにかんだ表情がくすぐったいあまり、逃げるように視線を手帖へ落とした。表情を悟られないよう、緩んだ口元を片手で隠しながらペンを走らせる。懐中時計が示す残り時間はあと十分程度。この流れで自分のことをどう思っているか聞くべきか。いや、半ば期待していたところで掌を返されては立ち直れない。誰か他の奴について聞いてみるか。そこで浮かんだのは一人の弟子の顔。彼女は弟の様だと言っていたが、本音はどうなのか。
「霧華。フェイルのことはどう思っている」
「フェイルくんですか?まだ遊びたい年頃なのにしっかりしてますよね。面倒見良くて、弟弟子にも慕われてるし。ちょっと大雑把な性格だけど。いい子ですよね」
「他には無いのか。……特別に抱いている感情等は」
「特別?弟みたいってのは前にも言いましたけど。他には……あ、ボルカノさんの悪口偶に言ってました」
「ほう……それは初耳だ」
弟子の中でも軽口を叩く奴だとは思っていたが。そうか、師の悪口を言うまでか。聞かなかったことにしても構わない件ではあるが、一度灸を据えておくのもいいだろう。
「元気にしているかなあ」と呟いた彼女は寂しげな表情を見せる。モウゼスを立つ際にピドナにも赴くと奴は話していた。ピドナに簡易拠点を構えている術士が居ると知れば自ずと立ち寄るだろう。
フェイルのことを唯の弟分として扱っているのは分かった。もう一人、彼女と親しい人間が居る。ピドナに着いてから度々顔を合わせる様になったトーマス・ベントという男。どうやら親戚がこの町に居るらしい。ポドールイで耳にした話も気がかりだ。ここでハッキリさせておくのもいいだろう。
「トーマス・ベントという男だが…英雄の一人とは前に聞いている。それ以外に君がどう思っているのか聞かせてくれ」
ポドールイを訪れた際、やむを得ず同行をしたメンバーにこのトーマスという男が居た。そしてそのメンバーの一人、派手な赤い甲冑を身に纏う大男が口にした台詞が未だ纏わりついている。彼女があの男に気があるんじゃないか、と。それを耳にしてからというもの、胸中が穏やかでは無かったのは認めよう。昔憧れてた人だったと彼女はその時話していた。あくまで昔の話だと。信じていない訳ではないが、本音を確かめられる。
「トムのことですか?」
瞬時に顔を綻ばせたのが先ず気に障った。いや、ちょっと待て。愛称で呼ぶほどに親しい間柄だというのか。その先を促すまでもなく彼女は頬を上気させながら続ける。
「カッコいいですよねえ。あの恰好、私好きなんです。オーバーコートに長いマント靡かせて歩く姿がステキで…。武術もオールラウンダーだし、魔力も高いから術も使えるんですよ。詠唱時もカッコよくて好きだし、一目惚れだったんです。あの若さで会社経営してるし、料理も得意。何でもできる男の人って凄くカッコいい」
聞くんじゃなかった。
弟子の時とは異なり、貶す箇所は一つも無くべた褒めだ。まるで熱を上げている。
メモを残すのも馬鹿らしくなり、ペンを手放したオレは椅子の背に寄りかかった。ぎしりと椅子の背が軋む音を立てる。苛立ちを抑えきれていない声が出てきた。
「……そんなにそいつのことが好きか。愛称で呼ぶほど親しいのだからそうなんだろうな」
「え、まさか。そんなに親しくもないのに愛称で呼んだら怪しまれるじゃないですか。その辺は気を付けてますよ。それに好きっていっても憧れレベルだし。……実際に会った時は画面で見るよりも確かにカッコいいなあって思ったけど。…何て言うのかな、理想と現実の差というか。大人になった今、周囲の事情を色々考えてしまって。だから人の良い笑顔や態度なんだろうな…って」
会社経営をするならば客先に愛敬を振り撒く必要がある。本音と建前を使い分けるその性格が今の彼女には抵抗があるのだろう。彼女自身とは全く真逆の考え方であるからな。
「年を重ねる毎に大人の事情を考えるようになって、なんだか素直に受け止められなくなる。そんな自分がちょっと悲しいな…と最近思ってます」
「状況に応じて使い分けなければならない世の中だ。それは仕方あるまい」
「……そうですよね。ボルカノさんもそうですもんね」
「聖王家やルートヴィッヒに謁見した時の事を言っているのか。使い分けは確かにしている。だが君の前では敢えてそうする必要も無かろう。……それだけ気を許しているんだ」
よもや自分の態度も建前と思われていたのか。それは心外だ。これだけ分かりやすく接しているというのに、彼女は微塵もこの想いに気づく素振りを見せない。もう少し強引に攻めた方が良いのか。そう考えはするものの、それで嫌われてしまっては元も子もない。慎重と言えば聞こえはいいが、臆病風を吹かせ続けていた。
頭を垂れていた褐色の瞳がこちらを窺い見た。物寂しさを思わせる表情をしていた彼女がやんわりとした笑みを浮かべる。
「良かった。それを聞いて安心しました。それに、私はボルカノさんの方が好きですし」
「そうか。それは良かっ……今、」
あまりに唐突に聞こえてきた言葉だ。聞き間違いかと耳を疑いもした。だが、耳聡く拾い上げた二文字の単語はもしかすると彼女の気持ちでは無いかと。
不味い事を言ってしまったと彼女は自身の口を覆い、慌てて椅子から立ち上がろうとする。椅子の脚を引っ掛けて躓きそうになるその身体を引き寄せて抱きしめた。逸る胸の鼓動はどちらの物か。この際どちらでも構わない。薬の効果はもう切れているだろう。彼女の本音を聞き出すには少しばかり時間が掛かりそうだ。
丸形のフラスコを横へ振る。透明な青い液体がその中で揺れた。濁りもなく、沈殿物も見られない。調合は概ね成功といったところだが、効果の確認はどうしたものか。弟子が居ればそいつらを実験台にしてきたが。各地に散り散りになった今ではそれも叶わず、だからと彼女で試す訳にもいかない。傷を癒す薬や術の治験者になってもらってはいるが、それ以外で被験者にするつもりは毛頭ない。
「残念だが……効果は確認できないな」
「何のですか?」
彼女に見つかるより先に中和させて廃棄しよう。そう考えていた矢先に声を掛けられ、思わず肩を震わせた。栓をしたフラスコの中身が大きく跳ねる。
波のように揺れた液体を目に映した彼女は二度瞬きをした後、これは何だと尋ねてきた。目を付けられてしまってからではもう遅い。
「とある調合書に書かれていたものだ」
「空色…透き通った海の色みたいで綺麗ですね」
彼女の感性には度々感心させられる。この色を唯の青では無く空や海のようだと例えるのだ。フラスコの中身を覗き込んでいた褐色の瞳がこちらを捉えた。
「実用性は無い。簡単に言えば……嘘を付くことが出来なくなるものだ」
「へえ~…真実しか話せなくなる薬ですか。いかにもファンタジーっぽい」
「被験者が居ないから中和して廃棄する所だ。今後使う予定も無いしな」
「え、確かめずに捨てちゃうんですか。折角作ったのに……あ、何なら私が試しましょうか?」
その物言いに堪らず「馬鹿な事を言うな」と言い返した。君を巻き込むまいと考えていたにも関わらず、どうしてそう簡単に申し出ることが出来るんだ。相変わらず彼女の心境は理解不能だ。
「だって勿体ない。嘘が付けなくなるだけですよね?」
「……副作用が出る可能性も考えた方がいい」
「中和剤だって作ってあるんですよね」
調合を行っていた作業台兼テーブルの上には中和剤の瓶。同様に目を向けていた彼女は「具合悪くなったらそれで何とかなりますし」とあくまで軽い気持ちでいた。
調合書を見た限りでは人体に害を及ぼす成分は無い。少量ならば問題はないのかもしれないが。
「じゃあボルカノさんが飲ん」
「断る」
「即答ですか。……質問責めにしようと思ったのになー」
「何か言ったか」
「いえ、何も。私なら別に聞かれて困るようなこと無いだろうし、実験台になっても構いませんよ」
「そういう言い方は止してくれ。……分かった。今回限りだからな。異常を感じたら直ぐに中和剤を飲むように」
「はーい」
魔が差したのだろう。彼女の気持ちを、本音を知りたいと。そんな気持ちが何処かにあったが故に。
フラスコの栓を抜き、グラスに少量の薬を移す。ほんの二十ミリ程度だ。その量に応じた中和剤を別のグラスに注いだ。
作業台の側に椅子を二つ。その片方に彼女を座らせ、自分の手元には手帖とペンを用意。それから試薬が入ったグラスを彼女に手渡した。彼女は特に緊張している様子も無い。その理由も後に聞いてみるか。
彼女がグラスに注がれた空を飲み干した。それと同時に懐中時計を懐から取り出し、時間を確認。あの量ならば二十分程度の効果が期待される。薬の吸収速度を考えれば五分後には現れ始める筈だ。
懐中時計を作業台の上に置き、ペンに持ちかえる。併せて召喚石の反応も確認したいが、本人の前でそうするわけにもいかないか。
「変わりないか」
「大丈夫です」
見たところ顔色は悪くなく、平然としていた。現段階では問題が無さそうだ。手足に痺れはないかと再度尋ねても異常はないと答える。
都度身体の症状を聞き出し、分刻みに彼女の状態を記していく。そのうちに僅かな変化が現れた。こちらを向く視線はどこか落ち着かない様子で、表情も強張っている。
「どうした」
「……なんか面接みたいでイヤだなあって」
「面接?」
「私の世界だと就職の前に会社の人事とこんな感じで話をするんです。志望動機は何か、自己PRを一分間でしてくれとか」
その時の状況に酷似しているらしい。余程その面接が嫌いとみた。極度に緊張することがストレスに繋がる。以前に話していたものがこれだろう。
「安心してくれ。そういった類いの質問は一切しない。第一オレにそんなことを話されてもどうしようもないからな」
「ですよね。それを聞いて安心しました」
懐中時計の秒針が五周。体調に異常は無いようだし、そろそろ質問を始めても良いだろう。しかし何から聞けばいいのか。先の質問に対する答えを受け止める心構えが流石に整っていない。とりあえず適当なことを聞いていくか。
「夜は最近眠れているか。君は割と睡眠不足になりがちだからな」
「はい。ピドナの生活にも慣れてきたし…おかげで落ち着いて眠れてますよ」
「そうか」
「でもボルカノさんに言われたくないです。食事は規則的に摂ることにしたんだし、睡眠もちゃんととってくださいよ」
「……善処する」
作業やそれに伴う資料を纏めているうちに日付変更線を越えるなどざらにある。睡眠まで規則正しくとは中々に難しい注文だ。キリのいい所まで進めたいと思ううちに睡魔の方が退散してしまうのだから。
「新しい装飾品のデザインを思いついたと先日話していたが……具体的にはどういった物になりそうなんだ」
「革紐のブレスレットの事ですか?」
「ああ。完成するまで内緒だと言っていたな」
「んー…まあ、いっか。ベースの革紐は茶色で、青い硝子のビーズを使おうと思ってるんです。透き通る青が綺麗な物を見つけたので。ボルカノさんに話したら絶対赤の方がいいって言われると思って黙ってたんですよね。赤は嫌いじゃないけど、ちょっと推し過ぎですよね。自分の好きな色だからって何でもかんでも人に押し付けるのは正直どうかと」
薬の効果は確かに出ているのだろう。だが普段の彼女と殆ど変わりがない。元々裏表が無い性格ではあるが、辛口になっている。悪気の無い笑みを携えている分、余計に性質が悪い。普段よりも棘を感じる。
手帖にメモを記した後、作業台へ頬杖をつきながら彼女の方を見る。この仕草を不思議そうに「どうしたんですか」と尋ねてきた。
「いや。……普段と変わらないと思ってな」
「え。それってつまり、常日頃私は本音駄々洩れってことですか」
「そういうことになる。……変化したことと言えば、辛辣だな。オレは良かれと思って赤を勧めているだけであり、押し付けているつもりはないぞ」
「あ……すみません。そうだったんですね。じゃあ今度からは前向きに考えてみますね!」
「ああ、是非そうしてくれ。…ところで、この薬を飲もうと思ったのは何故か教えてくれないか」
よもや興味本位というわけでもなかろう。いや、彼女のことだからそれも考え得る。いくら口で薬の効果を説明した所で、毒薬だという可能性は考えなかったのか。疑うことを知らない性格は時に心配させられる。悪事を働く者に騙されやしないかと。
オレの質問に対し彼女は不思議そうに首を傾げた。
「なんでって、ボルカノさんの役に立つかなあと思って。前に言ってたじゃないですか、試作品は実際に使ってみない事には分析も何もできないって」
「ただ、それだけの理由でか。……オレが騙しているとは考えなかったのか」
「ボルカノさんが私を騙して何かメリットあるんですか?それに、私が協力できることならなるべくそうしようって思ってるんです。日頃お世話になっている恩返しというか…そんな感じですね」
まったく。信頼が重いな。自分が思っている以上に信頼を得ているようだ。この答えにはまだ続きがあるのか「それに」と彼女が口を開く。
「ボルカノさんが私の話を信じてくれたように、私もボルカノさんのこと信じてますから」
はにかんだ表情がくすぐったいあまり、逃げるように視線を手帖へ落とした。表情を悟られないよう、緩んだ口元を片手で隠しながらペンを走らせる。懐中時計が示す残り時間はあと十分程度。この流れで自分のことをどう思っているか聞くべきか。いや、半ば期待していたところで掌を返されては立ち直れない。誰か他の奴について聞いてみるか。そこで浮かんだのは一人の弟子の顔。彼女は弟の様だと言っていたが、本音はどうなのか。
「霧華。フェイルのことはどう思っている」
「フェイルくんですか?まだ遊びたい年頃なのにしっかりしてますよね。面倒見良くて、弟弟子にも慕われてるし。ちょっと大雑把な性格だけど。いい子ですよね」
「他には無いのか。……特別に抱いている感情等は」
「特別?弟みたいってのは前にも言いましたけど。他には……あ、ボルカノさんの悪口偶に言ってました」
「ほう……それは初耳だ」
弟子の中でも軽口を叩く奴だとは思っていたが。そうか、師の悪口を言うまでか。聞かなかったことにしても構わない件ではあるが、一度灸を据えておくのもいいだろう。
「元気にしているかなあ」と呟いた彼女は寂しげな表情を見せる。モウゼスを立つ際にピドナにも赴くと奴は話していた。ピドナに簡易拠点を構えている術士が居ると知れば自ずと立ち寄るだろう。
フェイルのことを唯の弟分として扱っているのは分かった。もう一人、彼女と親しい人間が居る。ピドナに着いてから度々顔を合わせる様になったトーマス・ベントという男。どうやら親戚がこの町に居るらしい。ポドールイで耳にした話も気がかりだ。ここでハッキリさせておくのもいいだろう。
「トーマス・ベントという男だが…英雄の一人とは前に聞いている。それ以外に君がどう思っているのか聞かせてくれ」
ポドールイを訪れた際、やむを得ず同行をしたメンバーにこのトーマスという男が居た。そしてそのメンバーの一人、派手な赤い甲冑を身に纏う大男が口にした台詞が未だ纏わりついている。彼女があの男に気があるんじゃないか、と。それを耳にしてからというもの、胸中が穏やかでは無かったのは認めよう。昔憧れてた人だったと彼女はその時話していた。あくまで昔の話だと。信じていない訳ではないが、本音を確かめられる。
「トムのことですか?」
瞬時に顔を綻ばせたのが先ず気に障った。いや、ちょっと待て。愛称で呼ぶほどに親しい間柄だというのか。その先を促すまでもなく彼女は頬を上気させながら続ける。
「カッコいいですよねえ。あの恰好、私好きなんです。オーバーコートに長いマント靡かせて歩く姿がステキで…。武術もオールラウンダーだし、魔力も高いから術も使えるんですよ。詠唱時もカッコよくて好きだし、一目惚れだったんです。あの若さで会社経営してるし、料理も得意。何でもできる男の人って凄くカッコいい」
聞くんじゃなかった。
弟子の時とは異なり、貶す箇所は一つも無くべた褒めだ。まるで熱を上げている。
メモを残すのも馬鹿らしくなり、ペンを手放したオレは椅子の背に寄りかかった。ぎしりと椅子の背が軋む音を立てる。苛立ちを抑えきれていない声が出てきた。
「……そんなにそいつのことが好きか。愛称で呼ぶほど親しいのだからそうなんだろうな」
「え、まさか。そんなに親しくもないのに愛称で呼んだら怪しまれるじゃないですか。その辺は気を付けてますよ。それに好きっていっても憧れレベルだし。……実際に会った時は画面で見るよりも確かにカッコいいなあって思ったけど。…何て言うのかな、理想と現実の差というか。大人になった今、周囲の事情を色々考えてしまって。だから人の良い笑顔や態度なんだろうな…って」
会社経営をするならば客先に愛敬を振り撒く必要がある。本音と建前を使い分けるその性格が今の彼女には抵抗があるのだろう。彼女自身とは全く真逆の考え方であるからな。
「年を重ねる毎に大人の事情を考えるようになって、なんだか素直に受け止められなくなる。そんな自分がちょっと悲しいな…と最近思ってます」
「状況に応じて使い分けなければならない世の中だ。それは仕方あるまい」
「……そうですよね。ボルカノさんもそうですもんね」
「聖王家やルートヴィッヒに謁見した時の事を言っているのか。使い分けは確かにしている。だが君の前では敢えてそうする必要も無かろう。……それだけ気を許しているんだ」
よもや自分の態度も建前と思われていたのか。それは心外だ。これだけ分かりやすく接しているというのに、彼女は微塵もこの想いに気づく素振りを見せない。もう少し強引に攻めた方が良いのか。そう考えはするものの、それで嫌われてしまっては元も子もない。慎重と言えば聞こえはいいが、臆病風を吹かせ続けていた。
頭を垂れていた褐色の瞳がこちらを窺い見た。物寂しさを思わせる表情をしていた彼女がやんわりとした笑みを浮かべる。
「良かった。それを聞いて安心しました。それに、私はボルカノさんの方が好きですし」
「そうか。それは良かっ……今、」
あまりに唐突に聞こえてきた言葉だ。聞き間違いかと耳を疑いもした。だが、耳聡く拾い上げた二文字の単語はもしかすると彼女の気持ちでは無いかと。
不味い事を言ってしまったと彼女は自身の口を覆い、慌てて椅子から立ち上がろうとする。椅子の脚を引っ掛けて躓きそうになるその身体を引き寄せて抱きしめた。逸る胸の鼓動はどちらの物か。この際どちらでも構わない。薬の効果はもう切れているだろう。彼女の本音を聞き出すには少しばかり時間が掛かりそうだ。