第二章
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30.黄金の皇帝 前編
「じゃあ、やっぱりポドールイに行った方が良さそうですね」
私がそう言えばボルカノさんは顔を曇らせながら「そうだな」と答えた。
雪の町からランスへ戻り、宿で一泊してから旅支度を整えている時のことだ。聖王家の書庫で必要な文献は集まったのか。それを聞くのをすっかり忘れていた。雪の町に行けると思ったら舞い上がってしまい、当初の目的が頭から抜けていたのだ。
彼は「収穫が無かったわけではないが」と重い口を開いた。
「今一つだ。術式の定義は大体掴んだが、曖昧な箇所が多すぎる」
「穴埋め問題の答えが見つからないって感じですね。でもボルカノさんなら適当に当て嵌めたら出来そうな気もするけど」
私はトランクケースに傷薬の瓶を詰め込んだ。モウゼスを出てから一度も補充していない。なんだかんだ傷薬を利用する機会が多く、残りは瓶の底に僅かばかり。主に私の不注意による怪我で消費されている。大事に至るまでの怪我をしていないだけ有難い。
この間手の平に負った細かい擦り傷は痕が残らずに消えてくれた。朱鳥術で治癒術を見出そうとしている彼なら、欠けているピースの代わりを容易く作りだしてしまいそうだ。私は炎の温かさを思い出しながらそう思っていた。ここ数日ぐっすり眠れたのはこのおかげな気がする。
整理を終えたトランクケースの蓋を閉め、ベルトを留めた。その上に丸めたブランケットを紐で括り付ける。
「適当な術式を完成させたとしても別の世界へ送り還してしまう確率が上がるだけだ。まかり間違ってそうなってしまえば責任もとれん」
「そ、それは……嫌です。そんなことになるぐらいならこの世界で暮らした方がマシですよ」
「[#dc=2#]ならば何処の世界でも適応できそうだが。この世界にも馴染んでいるようだしな」
「それは元から知っている場所で顔見知りの人がいるからですよ。全く知らない世界に放り出されたら」
もしもこの世界ではないどこか別の世界に来ていたとしたら。土地や町の名前も知らない、誰一人知っている人がいない。言葉が通じないかもしれない。そう考えただけで心細くなった。そんな場所で一人生きていく自信はこれっぽっちも無かった。
人と打ち解けやすい性格だと彼は肯定してくれる。でも決して適応能力が高いわけじゃない。安心できる材料が、居場所があるからこそ。
「君を不安にさせる様な事態にはさせない」
すぐ考え込んでしまうこの癖を彼はとっくに見抜いているんだろう。私よりもずっと勘が良くて些細なことに気づきやすい人だから。
力強いその言葉に何度励まされただろう。不安や恐怖を払い除けてくれた。頭の上に乗せられた大きな手の平の温度がじわじわと沁みていく。心地よい温かさが俯きかけた私の心を優しく包む。私がこの世界で普通にしていられるのも、きっとボルカノさんが側に居るからなのかもしれない。
彼が浮かべる笑みはとても温かみのあるものだった。最初に会った頃とはだいぶ違う。こんな風に笑う人だっただろうか。でも、悪くないと思えた。
◇◆◇
合わせて四日間お世話になった宿屋を後にし、先ずは道具屋で不足している物資を調達しようという話になった。
狭い道具屋の店内にはお客さんが二人。一人は客と言うよりも商人の様だ。カウンター越しの店主と話す内容が聞いたことのあるものだったから。モウゼスの雑貨屋で似たような会話がされていたのを思い出した。
刃物が触れる独特の金属音がした。長身の男性が台座から細身の剣を引き抜いていた。先端が湾曲している。恐らくはサーベルの類だろう。刀身を眺める真剣な眼差し。この人自身も剣士のようで、肩から羽織るマントの隙間から腰に下げた長剣の鞘が見え隠れしていた。
私達は反対側の棚を見ていたので、後姿しか見えない。長いシルバーグレイの髪が印象的だ。
「……あ!ボルカノさん、傷薬が残り僅かです」
「それならば買い足した方がいいな。本来ならば調合しておきたい所だが……流石に宿屋で薬草を煮詰めては追い出されかねん」
「ですよね。ボルカノさんが作る傷薬効くんだけどなあ…宿屋追い出されたら野宿になっちゃいますもんね」
「何処か簡易的な拠点を設けるのも視野に入れた方がいいかもしれんな。そうすれば術式もじっくりと構築できるし、研究資料も落ち着いて纏められる。色々と都合も良いだろう」
「拠点かあ…どこがいいですかね」
拠点となれば決め手となる条件も出てくる。流通経路、人口密度、近隣の町に行けるか。考えられる条件はそのぐらいだろうか。ああ、でもこれから向かうファルスはスタンレーと緊張状態にある。そこを拠点にするのは嫌だ。戦争に巻き込まれるのは避けたい。この時点でならもう終結しているかもしれないけど。
大型の都市を選ぶなら気候も考慮してツヴァイク、ピドナあたりが良さそうな気もする。
「まったく…野盗には困ったもんよ。おかげでヤーマスやファルスに荷物を運ぶのも命懸けだ」
「一時は落ち着いたとは思ったんだけどねえ…また活発になってきたのかい」
カウンターの方からそんな会話が聞こえてきた。溜息混じりに頭を寄せあう店主と商人。そこへボルカノさんが保存食と傷薬の瓶を一本カウンターへ持っていくと一歩横へ逸れた。
会計場所を譲ってくれたのは良いけど、その商人がボルカノさんの顔をじーっと眺めていた。目を大きく開いて何か確かめるような感じで。
その視線が煩わしくなったのか「何か?」と鋭い視線が左へ向ける。
「……あんた、どっかで見たような気が。思い出した、ヤーマスで魔獣を退治した術士じゃないか!」
まだその件から日が浅いせいで商人の記憶も真新しかったんだ。「間違いない!」嬉々としてそう言うものだから、これは荷物運びのフラグが立ってしまったのではと私も危惧していた。彼の表情を見る限りでは引き受けそうにもない。
案の定、眉一つ動かさず冷ややかな視線を送っている。
「それがどうかしましたか」
「いや、なに。あんたの腕を見込んで是非とも頼みたいんだよ。野盗の活動がまた活発になってきてね…。荷運びの仲間も荷物を取られちまったって言うのさ。まったく商売あがったりだ。こっからファルスの道具屋までこの荷物を届けてほしいんだよ」
カウンターの端に乗せていた木枠に包んだ正方形の荷物。思った通りだ。
ファルスへはちょうど向かうところだし、引き受けてもいいんじゃないかなとは思うけど。ボルカノさんはやっぱり全く乗り気じゃない。最初から断る態度を前面に押し出している。
「術士に頼むような案件では無い。腕の立つ剣士にでも頼むのが堅実だ」
「そこを何とか…頼むよ。この通り。謝礼は弾ませてもらうから」
けれども荷運びの人も食い下がる。
会計をさっさと終わらせた彼は紙袋を受けとった。その間もやり取りが続き「他を当たってもらいたい」と。
困っている人を見過ごすのは気が引ける。でも戦闘が絡む件の安請け合いは流石にできない。私一人じゃどうにもならないし。
ここは荷運びの人が引き下がってくれるまで待つしかない。
いつまで続くかなあとぼんやり眺めていたら、隣に人の気配を感じた。
振り向くと店内でサーベルを見ていたさっきのお客さんが「剣士が必要であれば」と二人の会話に割って入ってきた。
ボルカノさんと同じくらいの身長だろうか。体格が良いせいで余計に大柄に見える。真っ直ぐ前を向く目。目鼻立ちが整ったイケメンだ。この人に見覚えがあった。でもどこで見たのか思い出せない。実際に会ったのか、ただ見かけただけなのかも定かじゃない。
「私が力になろう。剣士と術士、双方揃えばバランスも取れる。こんななりではあるが諸国を巡っている身でね。野盗相手ならばそこらの魔物を相手にするよりも容易だ」
薄い唇が弧を描いた。
剣士が申し出てきた際、ボルカノさんはとても嫌そうに目を細めていた。「ならばその男に任せればいい」と言いたかったんだろう。
その前に商人が間髪入れず荷物をボルカノさんに押し付け、早口で捲し立てた。
「これは心強い!鬼に金棒だ!では、報酬は五千オーラムで……向こうの道具屋に話しておくから頼んだよ!」
そして逃げる様にドアベルをけたたましく鳴らして去っていった。
完全に押し付けられた状態で納得がいかないと彼は眉を吊り上げている。
「ま、まあまあ…ボルカノさん。いいじゃないですか。どうせファルスに向かうんですし」
「私もそちらの方面に赴きたいと思っていた所だ。短い間ではあるが、よろしく頼む」
藍色の瞳がすっと細められ、緩く微笑んだ。
首から提げた月と太陽を象ったペンダントに目が留まる。この人、やっぱりどこかで見た気がするけど思い出せない。
私が一人記憶を巡らせている傍らで諦めにも近い溜息が聞こえてきた。
「じゃあ、やっぱりポドールイに行った方が良さそうですね」
私がそう言えばボルカノさんは顔を曇らせながら「そうだな」と答えた。
雪の町からランスへ戻り、宿で一泊してから旅支度を整えている時のことだ。聖王家の書庫で必要な文献は集まったのか。それを聞くのをすっかり忘れていた。雪の町に行けると思ったら舞い上がってしまい、当初の目的が頭から抜けていたのだ。
彼は「収穫が無かったわけではないが」と重い口を開いた。
「今一つだ。術式の定義は大体掴んだが、曖昧な箇所が多すぎる」
「穴埋め問題の答えが見つからないって感じですね。でもボルカノさんなら適当に当て嵌めたら出来そうな気もするけど」
私はトランクケースに傷薬の瓶を詰め込んだ。モウゼスを出てから一度も補充していない。なんだかんだ傷薬を利用する機会が多く、残りは瓶の底に僅かばかり。主に私の不注意による怪我で消費されている。大事に至るまでの怪我をしていないだけ有難い。
この間手の平に負った細かい擦り傷は痕が残らずに消えてくれた。朱鳥術で治癒術を見出そうとしている彼なら、欠けているピースの代わりを容易く作りだしてしまいそうだ。私は炎の温かさを思い出しながらそう思っていた。ここ数日ぐっすり眠れたのはこのおかげな気がする。
整理を終えたトランクケースの蓋を閉め、ベルトを留めた。その上に丸めたブランケットを紐で括り付ける。
「適当な術式を完成させたとしても別の世界へ送り還してしまう確率が上がるだけだ。まかり間違ってそうなってしまえば責任もとれん」
「そ、それは……嫌です。そんなことになるぐらいならこの世界で暮らした方がマシですよ」
「[#dc=2#]ならば何処の世界でも適応できそうだが。この世界にも馴染んでいるようだしな」
「それは元から知っている場所で顔見知りの人がいるからですよ。全く知らない世界に放り出されたら」
もしもこの世界ではないどこか別の世界に来ていたとしたら。土地や町の名前も知らない、誰一人知っている人がいない。言葉が通じないかもしれない。そう考えただけで心細くなった。そんな場所で一人生きていく自信はこれっぽっちも無かった。
人と打ち解けやすい性格だと彼は肯定してくれる。でも決して適応能力が高いわけじゃない。安心できる材料が、居場所があるからこそ。
「君を不安にさせる様な事態にはさせない」
すぐ考え込んでしまうこの癖を彼はとっくに見抜いているんだろう。私よりもずっと勘が良くて些細なことに気づきやすい人だから。
力強いその言葉に何度励まされただろう。不安や恐怖を払い除けてくれた。頭の上に乗せられた大きな手の平の温度がじわじわと沁みていく。心地よい温かさが俯きかけた私の心を優しく包む。私がこの世界で普通にしていられるのも、きっとボルカノさんが側に居るからなのかもしれない。
彼が浮かべる笑みはとても温かみのあるものだった。最初に会った頃とはだいぶ違う。こんな風に笑う人だっただろうか。でも、悪くないと思えた。
◇◆◇
合わせて四日間お世話になった宿屋を後にし、先ずは道具屋で不足している物資を調達しようという話になった。
狭い道具屋の店内にはお客さんが二人。一人は客と言うよりも商人の様だ。カウンター越しの店主と話す内容が聞いたことのあるものだったから。モウゼスの雑貨屋で似たような会話がされていたのを思い出した。
刃物が触れる独特の金属音がした。長身の男性が台座から細身の剣を引き抜いていた。先端が湾曲している。恐らくはサーベルの類だろう。刀身を眺める真剣な眼差し。この人自身も剣士のようで、肩から羽織るマントの隙間から腰に下げた長剣の鞘が見え隠れしていた。
私達は反対側の棚を見ていたので、後姿しか見えない。長いシルバーグレイの髪が印象的だ。
「……あ!ボルカノさん、傷薬が残り僅かです」
「それならば買い足した方がいいな。本来ならば調合しておきたい所だが……流石に宿屋で薬草を煮詰めては追い出されかねん」
「ですよね。ボルカノさんが作る傷薬効くんだけどなあ…宿屋追い出されたら野宿になっちゃいますもんね」
「何処か簡易的な拠点を設けるのも視野に入れた方がいいかもしれんな。そうすれば術式もじっくりと構築できるし、研究資料も落ち着いて纏められる。色々と都合も良いだろう」
「拠点かあ…どこがいいですかね」
拠点となれば決め手となる条件も出てくる。流通経路、人口密度、近隣の町に行けるか。考えられる条件はそのぐらいだろうか。ああ、でもこれから向かうファルスはスタンレーと緊張状態にある。そこを拠点にするのは嫌だ。戦争に巻き込まれるのは避けたい。この時点でならもう終結しているかもしれないけど。
大型の都市を選ぶなら気候も考慮してツヴァイク、ピドナあたりが良さそうな気もする。
「まったく…野盗には困ったもんよ。おかげでヤーマスやファルスに荷物を運ぶのも命懸けだ」
「一時は落ち着いたとは思ったんだけどねえ…また活発になってきたのかい」
カウンターの方からそんな会話が聞こえてきた。溜息混じりに頭を寄せあう店主と商人。そこへボルカノさんが保存食と傷薬の瓶を一本カウンターへ持っていくと一歩横へ逸れた。
会計場所を譲ってくれたのは良いけど、その商人がボルカノさんの顔をじーっと眺めていた。目を大きく開いて何か確かめるような感じで。
その視線が煩わしくなったのか「何か?」と鋭い視線が左へ向ける。
「……あんた、どっかで見たような気が。思い出した、ヤーマスで魔獣を退治した術士じゃないか!」
まだその件から日が浅いせいで商人の記憶も真新しかったんだ。「間違いない!」嬉々としてそう言うものだから、これは荷物運びのフラグが立ってしまったのではと私も危惧していた。彼の表情を見る限りでは引き受けそうにもない。
案の定、眉一つ動かさず冷ややかな視線を送っている。
「それがどうかしましたか」
「いや、なに。あんたの腕を見込んで是非とも頼みたいんだよ。野盗の活動がまた活発になってきてね…。荷運びの仲間も荷物を取られちまったって言うのさ。まったく商売あがったりだ。こっからファルスの道具屋までこの荷物を届けてほしいんだよ」
カウンターの端に乗せていた木枠に包んだ正方形の荷物。思った通りだ。
ファルスへはちょうど向かうところだし、引き受けてもいいんじゃないかなとは思うけど。ボルカノさんはやっぱり全く乗り気じゃない。最初から断る態度を前面に押し出している。
「術士に頼むような案件では無い。腕の立つ剣士にでも頼むのが堅実だ」
「そこを何とか…頼むよ。この通り。謝礼は弾ませてもらうから」
けれども荷運びの人も食い下がる。
会計をさっさと終わらせた彼は紙袋を受けとった。その間もやり取りが続き「他を当たってもらいたい」と。
困っている人を見過ごすのは気が引ける。でも戦闘が絡む件の安請け合いは流石にできない。私一人じゃどうにもならないし。
ここは荷運びの人が引き下がってくれるまで待つしかない。
いつまで続くかなあとぼんやり眺めていたら、隣に人の気配を感じた。
振り向くと店内でサーベルを見ていたさっきのお客さんが「剣士が必要であれば」と二人の会話に割って入ってきた。
ボルカノさんと同じくらいの身長だろうか。体格が良いせいで余計に大柄に見える。真っ直ぐ前を向く目。目鼻立ちが整ったイケメンだ。この人に見覚えがあった。でもどこで見たのか思い出せない。実際に会ったのか、ただ見かけただけなのかも定かじゃない。
「私が力になろう。剣士と術士、双方揃えばバランスも取れる。こんななりではあるが諸国を巡っている身でね。野盗相手ならばそこらの魔物を相手にするよりも容易だ」
薄い唇が弧を描いた。
剣士が申し出てきた際、ボルカノさんはとても嫌そうに目を細めていた。「ならばその男に任せればいい」と言いたかったんだろう。
その前に商人が間髪入れず荷物をボルカノさんに押し付け、早口で捲し立てた。
「これは心強い!鬼に金棒だ!では、報酬は五千オーラムで……向こうの道具屋に話しておくから頼んだよ!」
そして逃げる様にドアベルをけたたましく鳴らして去っていった。
完全に押し付けられた状態で納得がいかないと彼は眉を吊り上げている。
「ま、まあまあ…ボルカノさん。いいじゃないですか。どうせファルスに向かうんですし」
「私もそちらの方面に赴きたいと思っていた所だ。短い間ではあるが、よろしく頼む」
藍色の瞳がすっと細められ、緩く微笑んだ。
首から提げた月と太陽を象ったペンダントに目が留まる。この人、やっぱりどこかで見た気がするけど思い出せない。
私が一人記憶を巡らせている傍らで諦めにも近い溜息が聞こえてきた。