第二章
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27.生命の炎
「ひゃあっ!?」
雪道を進む途中、私は思いきり地面を蹴り上げた後に派手にすっ転んでしまった。
表面はさらっと降ったふわふわの雪に見えても、実は下が凍っている場合もある。だからこの土地に来たばかりで慣れないだろうから、気を付けて歩いた方がいい。この地方の人に教えてもらった矢先の出来事だった。
道の真ん中で尻もちをついた私の前に差し伸べられた手。そのままの姿勢で見上げた先にボルカノさんが「大丈夫か」と痛々しい表情を浮かべている。私はその手を掴もうと右の手の平を上に向けた。ところが手の平が赤く擦れていて、血も滲んでいる。雪の下には氷だけでなく砂利も雑ざっていたみたいだ。それで擦りむいてしまったんだろう。手の平を擦りむくなんて、やんちゃな子ども時代以来かも。
「血が出ているな……反対の手を」
「…っと。ありがとうございます」
彼に支えてもらいながら立ち上がるも、またも足を取られそうになる。咄嗟にボルカノさんの腕にしがみついて、二回目の転倒は何とか免れた。まるでスケートリンクの上に立つみたいにつるつるしている。
「……スミマセン。それにしてもボルカノさんよく転びませんね」
「歩き方にコツがある。……まあ、後は反射神経だな」
「この短期間で雪道に順応するとかスゴイですよ。私なんか変な所筋肉痛になってますもん」
転ばない様、転ばない様にと気を使うせいで足に余計な力が入る。そのせいで太腿の内側が突っ張るような筋肉痛を昨日の晩から訴えていた。それを気にしながら歩くものだから、こうして余計に滑っているのかも。
「昨日よりめちゃくちゃ滑るのは気のせいですかね」
「僅かな気温差で雪質が変化している可能性があるな。ほら、手を掴んでいろ。このままではいつ迄経っても宿に戻れん。擦り傷とはいえ早めに処置を施した方がいい」
「たいした事ないですよ。それより転んだ時にボルカノさんを道連れにしたらごめんなさい」
「その時は責任を取ってもらおう。……冗談だ。そうあからさまに嫌そうな表情をすることもあるまい」
「……ボルカノさん冗談とか滅多に言わないし」
私は彼の右手に頼りながら雪道を慎重に進んでいった。歩幅の調子を合わせてくれるお陰で歩きやすい。但し、少しでも気を緩めると横滑りをしてしまう。その度にボルカノさんが私を引き寄せて支えてくれた。
◇
宿屋から聖王家までの距離はそんなに遠くないはずだった。それが行きよりも倍の時間をかけて宿屋へ戻って来るはめになるとは。乾いた土の上を歩くよりも労力をかなり費やした。そのおかげで帰って来た時にはもうヘトヘト。支えられていた私ですらこうなんだ。ボルカノさんの方が疲れているんじゃないかと思えば、全く堪えていない様子。歴然とした体力の差に軽くショックを受けていた。お荷物にはなりたくない。私も少し鍛えようかな。この先も長旅なんだし、体力はあるに限る。三日坊主にならないよう無理せず、まずは腹筋やスクワットから始めてみよう。
傷口に入り込んだ砂の粒を取り除くのに結構時間がかかってしまった。水は冷たいし、傷も痛い。
顕わになった傷は意外と広範囲に渡るものだった。ギザギザとした浅い線状の傷が何本も付いている。手袋を嵌めておけば良かったと今更になって後悔。でも、転んだのが聖王家からの帰りで良かった。貴重な文献を汚さずに済んだのだから。
最初は三日間で書庫の閲覧をする予定で組んでいた。それが二日目で「目ぼしい文献には全て目を通した」と。必要な情報は頭に入れ、重要かつ複雑な物は手帖に記したそうだ。その才能に恐れ多い。
私が氷の様になった指先を温めながら部屋に戻ると、待ちかねていたボルカノさんが椅子を引いてここへ座るようにと促した。テーブルの上には傷薬と包帯が用意されている。
「思っていたよりも酷いな」
「そうですか?浅い傷ばっかりですよ」
上に向けた手の平に傷薬を染み込ませたガーゼが触れる。水が触れた時よりもピリッとした痛みが走った。その痛みに私が顔を歪めていると、ボルカノさんの表情も曇る。なんだか申し訳ない。そして擦り傷だから消毒で終わりだろうと思っていたら、包帯をぐるぐると手首まで巻かれてしまった。
「……ちょっと大げさじゃないですかこれ」
「傷口を保護しておいた方がいい。転んだ際に悪化してしまう」
「転ぶ前提なんですね。外に出る時は手袋するから大丈夫ですよ」
「いいから暫くはそうしてくれ。……それともう一つ、頼みがある」
余った傷薬と包帯をトランクケースに片付けながら彼はそう話した。この怪我が治るまでは外に出るなとかだったら嫌だな。そうじゃない事を祈りながら「何ですか」と聞き返した。
「右手を貸してくれ」
「あ、はい」
治療が終わったばかりの右手を差し出す。包帯を巻かれた手を改めて見ると、まるで重傷者の様だ。やはりこれは大げさだ。
彼の左手が手の甲の部分を支え、右手を手の平に覆い被せた。こうして比べてみると手の大きさが随分と違う。とりあえず、じっとその手を見ながら待つこと十数秒。
すると、覆われた右手がじわじわと熱を持ち始めた。暖炉の火に手をかざしているような心地よい温かさだ。それは彼の手が離れた後も持続していた。
私が不思議そうに自分の手の平を見つめていると、声が上から降ってくる。
「朱鳥の力で治癒を施す可能性を見出したい。炎は生命の象徴と謳ってはいるが、治癒術は未だに確立されていないのが事実だ」
「あー……そういえばそうですね」
「君に施したのは部分的ではあるが対象者の体温を一時的に上昇させ、細胞の活性化を試みたもの。……傷の癒え具合に変化が現れるかどうか、治験者として協力して貰えないだろうか」
「なんだ、そんな事ならお安い御用ですよ」
さっきまで冷えていた手や指先がすっかり温まった。それが右手だけじゃなく、左手を含めた全身がお風呂上がりの様なぽかぽかとした温かさに包まれている。
「体質改善も見込めそうな術ですね。温かくて気持ちいいし……再生光もこんな感じなのかな」
「その術を継承する者がまだこの世界に居るのか。…天術は地術とは逆に衰退傾向にある。最小限の術を留めておくので精一杯だと」
「そうなんですか?知らなかった。……でもこの辺じゃ教えてくれる人確かに居なかった気がします。再生光はずっと東の方に行かないといけなかったはず」
「…遥か東、見捨てられた地か」
ナジュ砂漠から東へ進路を取り、そこから通じる乾いた大河を越え、東の地に辿り着く。何百年もの間、開拓の余地が無いと言われ続けてきたそうだ。その為、見捨てられた地と呼ばれるようになったとか。乾いた大河を越え、大草原を抜けた先にムング族の村がある。その話をボルカノさんは初めて聞く事のように耳を傾けていた。東の地に辿り着き、西へ戻って来た者は唯一人として居ない。ゆえに伝記として残された物も一切無いらしい。
「気候に応じて建物の特徴も異なる。文明も此処とは違う発達をしているに違いない」
「気になってるみたいですね」
「まあ、な。東の術がどのような発展を遂げているのかは気になる。だが戻って来れないのでは困る」
「ボルカノさんならパッと行って帰って来れそうですけどね」
「……君はオレの事を持ち上げすぎだ」
「そんな事ないですよ。ボルカノさんは芯もしっかりしてるし、煽てられてヘマとかしなさそう。……なんて、数ヶ月しか一緒に居ないのに知った風に言ってすみません」
この数日でそう感じたのは事実だ。どんな状況にも物怖じとせず、的確な判断で切り抜ける。館に引き籠ってばかりだとは思えない、と言ったら怒られそうだ。自分の力量も弁えているし、頭の回転も速い。
以前、優しい人だと口にした時は「そう思うのは勝手だ」と否定された気がした。でも、やっぱり優しい人なんだと時を経ても同じ様に感じるのだから。本当にそうなんだろうな。ちょっと過保護だけど。
彼は徐に懐から手帖を取り出した。聖王家の書庫で頻繁に書き写していたそれに東の国について書き加えているのだろう。
興味深く真面目な様子で聞いていた彼の表情が少し崩れ、視線を逸らした。
「そんな風に言われたのは初めてだ。……[#dc=2#]に逢わなければそう言われる事も無かったのだろうな」
「そう思ってる人、他にもいますよきっと。ほら、ボルカノさんの好きな人もそう思ってますって」
「……そうだな」
短い溜息を吐いた後、彼は目を伏せる。手帖がぱたんと閉じられた。
持ち上げられた瞳が私を捉える。それがどこか物憂げに満ちているように思えた。一瞬の出来事だったので、気のせいかもしれない。
「東の国ヘは連れて行ってやれんが、他に行きたい場所があれば可能な限り連れて行こう」
それを聞いた私は嬉しさのあまり椅子から身を乗り出していた。
私が行きたい場所は少しハードルが高いかもしれない。条件が揃うかどうか次第だ。それでも砂漠を越え、濁流に呑まれて進むよりは可能な範囲のはず。
真っ先に私が思い浮かべたのは雪に囲まれた町と住人達の姿だ。
「ひゃあっ!?」
雪道を進む途中、私は思いきり地面を蹴り上げた後に派手にすっ転んでしまった。
表面はさらっと降ったふわふわの雪に見えても、実は下が凍っている場合もある。だからこの土地に来たばかりで慣れないだろうから、気を付けて歩いた方がいい。この地方の人に教えてもらった矢先の出来事だった。
道の真ん中で尻もちをついた私の前に差し伸べられた手。そのままの姿勢で見上げた先にボルカノさんが「大丈夫か」と痛々しい表情を浮かべている。私はその手を掴もうと右の手の平を上に向けた。ところが手の平が赤く擦れていて、血も滲んでいる。雪の下には氷だけでなく砂利も雑ざっていたみたいだ。それで擦りむいてしまったんだろう。手の平を擦りむくなんて、やんちゃな子ども時代以来かも。
「血が出ているな……反対の手を」
「…っと。ありがとうございます」
彼に支えてもらいながら立ち上がるも、またも足を取られそうになる。咄嗟にボルカノさんの腕にしがみついて、二回目の転倒は何とか免れた。まるでスケートリンクの上に立つみたいにつるつるしている。
「……スミマセン。それにしてもボルカノさんよく転びませんね」
「歩き方にコツがある。……まあ、後は反射神経だな」
「この短期間で雪道に順応するとかスゴイですよ。私なんか変な所筋肉痛になってますもん」
転ばない様、転ばない様にと気を使うせいで足に余計な力が入る。そのせいで太腿の内側が突っ張るような筋肉痛を昨日の晩から訴えていた。それを気にしながら歩くものだから、こうして余計に滑っているのかも。
「昨日よりめちゃくちゃ滑るのは気のせいですかね」
「僅かな気温差で雪質が変化している可能性があるな。ほら、手を掴んでいろ。このままではいつ迄経っても宿に戻れん。擦り傷とはいえ早めに処置を施した方がいい」
「たいした事ないですよ。それより転んだ時にボルカノさんを道連れにしたらごめんなさい」
「その時は責任を取ってもらおう。……冗談だ。そうあからさまに嫌そうな表情をすることもあるまい」
「……ボルカノさん冗談とか滅多に言わないし」
私は彼の右手に頼りながら雪道を慎重に進んでいった。歩幅の調子を合わせてくれるお陰で歩きやすい。但し、少しでも気を緩めると横滑りをしてしまう。その度にボルカノさんが私を引き寄せて支えてくれた。
◇
宿屋から聖王家までの距離はそんなに遠くないはずだった。それが行きよりも倍の時間をかけて宿屋へ戻って来るはめになるとは。乾いた土の上を歩くよりも労力をかなり費やした。そのおかげで帰って来た時にはもうヘトヘト。支えられていた私ですらこうなんだ。ボルカノさんの方が疲れているんじゃないかと思えば、全く堪えていない様子。歴然とした体力の差に軽くショックを受けていた。お荷物にはなりたくない。私も少し鍛えようかな。この先も長旅なんだし、体力はあるに限る。三日坊主にならないよう無理せず、まずは腹筋やスクワットから始めてみよう。
傷口に入り込んだ砂の粒を取り除くのに結構時間がかかってしまった。水は冷たいし、傷も痛い。
顕わになった傷は意外と広範囲に渡るものだった。ギザギザとした浅い線状の傷が何本も付いている。手袋を嵌めておけば良かったと今更になって後悔。でも、転んだのが聖王家からの帰りで良かった。貴重な文献を汚さずに済んだのだから。
最初は三日間で書庫の閲覧をする予定で組んでいた。それが二日目で「目ぼしい文献には全て目を通した」と。必要な情報は頭に入れ、重要かつ複雑な物は手帖に記したそうだ。その才能に恐れ多い。
私が氷の様になった指先を温めながら部屋に戻ると、待ちかねていたボルカノさんが椅子を引いてここへ座るようにと促した。テーブルの上には傷薬と包帯が用意されている。
「思っていたよりも酷いな」
「そうですか?浅い傷ばっかりですよ」
上に向けた手の平に傷薬を染み込ませたガーゼが触れる。水が触れた時よりもピリッとした痛みが走った。その痛みに私が顔を歪めていると、ボルカノさんの表情も曇る。なんだか申し訳ない。そして擦り傷だから消毒で終わりだろうと思っていたら、包帯をぐるぐると手首まで巻かれてしまった。
「……ちょっと大げさじゃないですかこれ」
「傷口を保護しておいた方がいい。転んだ際に悪化してしまう」
「転ぶ前提なんですね。外に出る時は手袋するから大丈夫ですよ」
「いいから暫くはそうしてくれ。……それともう一つ、頼みがある」
余った傷薬と包帯をトランクケースに片付けながら彼はそう話した。この怪我が治るまでは外に出るなとかだったら嫌だな。そうじゃない事を祈りながら「何ですか」と聞き返した。
「右手を貸してくれ」
「あ、はい」
治療が終わったばかりの右手を差し出す。包帯を巻かれた手を改めて見ると、まるで重傷者の様だ。やはりこれは大げさだ。
彼の左手が手の甲の部分を支え、右手を手の平に覆い被せた。こうして比べてみると手の大きさが随分と違う。とりあえず、じっとその手を見ながら待つこと十数秒。
すると、覆われた右手がじわじわと熱を持ち始めた。暖炉の火に手をかざしているような心地よい温かさだ。それは彼の手が離れた後も持続していた。
私が不思議そうに自分の手の平を見つめていると、声が上から降ってくる。
「朱鳥の力で治癒を施す可能性を見出したい。炎は生命の象徴と謳ってはいるが、治癒術は未だに確立されていないのが事実だ」
「あー……そういえばそうですね」
「君に施したのは部分的ではあるが対象者の体温を一時的に上昇させ、細胞の活性化を試みたもの。……傷の癒え具合に変化が現れるかどうか、治験者として協力して貰えないだろうか」
「なんだ、そんな事ならお安い御用ですよ」
さっきまで冷えていた手や指先がすっかり温まった。それが右手だけじゃなく、左手を含めた全身がお風呂上がりの様なぽかぽかとした温かさに包まれている。
「体質改善も見込めそうな術ですね。温かくて気持ちいいし……再生光もこんな感じなのかな」
「その術を継承する者がまだこの世界に居るのか。…天術は地術とは逆に衰退傾向にある。最小限の術を留めておくので精一杯だと」
「そうなんですか?知らなかった。……でもこの辺じゃ教えてくれる人確かに居なかった気がします。再生光はずっと東の方に行かないといけなかったはず」
「…遥か東、見捨てられた地か」
ナジュ砂漠から東へ進路を取り、そこから通じる乾いた大河を越え、東の地に辿り着く。何百年もの間、開拓の余地が無いと言われ続けてきたそうだ。その為、見捨てられた地と呼ばれるようになったとか。乾いた大河を越え、大草原を抜けた先にムング族の村がある。その話をボルカノさんは初めて聞く事のように耳を傾けていた。東の地に辿り着き、西へ戻って来た者は唯一人として居ない。ゆえに伝記として残された物も一切無いらしい。
「気候に応じて建物の特徴も異なる。文明も此処とは違う発達をしているに違いない」
「気になってるみたいですね」
「まあ、な。東の術がどのような発展を遂げているのかは気になる。だが戻って来れないのでは困る」
「ボルカノさんならパッと行って帰って来れそうですけどね」
「……君はオレの事を持ち上げすぎだ」
「そんな事ないですよ。ボルカノさんは芯もしっかりしてるし、煽てられてヘマとかしなさそう。……なんて、数ヶ月しか一緒に居ないのに知った風に言ってすみません」
この数日でそう感じたのは事実だ。どんな状況にも物怖じとせず、的確な判断で切り抜ける。館に引き籠ってばかりだとは思えない、と言ったら怒られそうだ。自分の力量も弁えているし、頭の回転も速い。
以前、優しい人だと口にした時は「そう思うのは勝手だ」と否定された気がした。でも、やっぱり優しい人なんだと時を経ても同じ様に感じるのだから。本当にそうなんだろうな。ちょっと過保護だけど。
彼は徐に懐から手帖を取り出した。聖王家の書庫で頻繁に書き写していたそれに東の国について書き加えているのだろう。
興味深く真面目な様子で聞いていた彼の表情が少し崩れ、視線を逸らした。
「そんな風に言われたのは初めてだ。……[#dc=2#]に逢わなければそう言われる事も無かったのだろうな」
「そう思ってる人、他にもいますよきっと。ほら、ボルカノさんの好きな人もそう思ってますって」
「……そうだな」
短い溜息を吐いた後、彼は目を伏せる。手帖がぱたんと閉じられた。
持ち上げられた瞳が私を捉える。それがどこか物憂げに満ちているように思えた。一瞬の出来事だったので、気のせいかもしれない。
「東の国ヘは連れて行ってやれんが、他に行きたい場所があれば可能な限り連れて行こう」
それを聞いた私は嬉しさのあまり椅子から身を乗り出していた。
私が行きたい場所は少しハードルが高いかもしれない。条件が揃うかどうか次第だ。それでも砂漠を越え、濁流に呑まれて進むよりは可能な範囲のはず。
真っ先に私が思い浮かべたのは雪に囲まれた町と住人達の姿だ。