第一章
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
19.信頼という名の壁
良い天気だ。柔らかい日差しが降り注いでいる。
温暖なこの地に拠点を構えた師の選択は間違いじゃなかったと思う。元々モウゼスは玄武術士の溜まり場だとは聞いていた。なんで態々そんな敵対するような場所に拠点を置くのか最初は誰もが疑念を抱いていた。その理由を知った時にはそれもすっかり晴れたのだけど。
曲刀の男が寝返ってから数日が経過した。
まさか裏切られるとは師も予想していなかったことだったろう。しかも前日に霧華さんと派手にケンカしたみたいだったし。余計に隙を突かれたんだろうな。階下で未然に防ぐことが出来ず悔いた者も多い。あれからというもの殊更修行に励むようになった。
盾が北の術士に奪われた以上、この町に留まる理由はもはや無いだろう。次は何処へ移るのか。
外の使いから戻ってきたが、館の一階はまさかのもぬけの殻。留守番を代わりに頼んだ相手の姿も無い。つい一時間前まではロビーに結構人が居たはずだぞ。
無人となったカウンターへ腕に抱えていた紙袋を下ろす。てっきり誰も居ないと思っていたから、その内側に人がいてなまじ驚いた。
術士のローブを纏わない細身の女性。ボルカノ様の助手である霧華さんが居た。キッチンスペースに食材を並べて何やら悩んでいる様子。
さてはあいつ等、霧華さんに留守番押し付けていったな。頼まれたら断れない性格なのを利用して。
オレを来客だと勘違いした彼女がパッとこちらを振り向く。客向けであっただろう笑顔はそのまま崩れることなく、むしろ更に柔らかい笑みで「フェイル君お帰りなさい」と出迎えてくれた。
「ただいまー。霧華さん何悩んでんの?ってか、留守番押し付けられたんだろ。悪い」
「んーそれは別にいいんだけどね」
そう言いながら眉を八の字に寄せる。その困り顔を食材へと向けた。睨めっこしている相手は小麦粉の袋、牛乳瓶、卵、バターと基本的な物。それと果物が少し。調味料や調理器具はまだ用意されていなかった。オレはカウンターの外側から身を乗り出して中を覗き込む。
「何か作んの?」
「うん。そのつもりなんだけど……何がいいかなあって」
「クッキーでいいんじゃないの。数も多く出来るし」
分け隔てなく、公平に行き渡る。それに一番オーソドックスな菓子だ。けど、霧華さんが作るとなると一味も二味も違うものが出来上がる。材料は全く変わらないのに、歯触りがサクサクで後味の良い甘さのクッキーになるんだ。どうやったらこんな美味いものが出来るのかと聞いても「いつも通りに作ってるんだけど」としか答えてくれない。独自に考えてみた結果、焼き加減や材料の混ぜ方が違うんじゃないかという結論に至った。
今の時間帯ならまだ晩飯を仕込むには早い。てっきりお菓子作りに悩んでいるのかと思って、そう提案したんだけど。霧華さんはあまり気乗りしない様子。
「うーん。……もうちょっと変わったものにしようかなあって」
「なんで?」
「……最近、ボルカノさん元気が無いように見えるの。だから、何か私にできる事ないかなあって。そう考えたらお菓子ぐらいかな…って」
「なるほど。霧華さんやっさしー」
霧華さんのそういう優しい所、オレ結構好きなんだよな。他の奴等も口を揃えて同じ様に答えると思う。
ここ数日ボルカノ様の様子がおかしいことにはオレも何となく勘づいていた。まあその理由の一つは大方盾絡みの事だろうと睨んでいる。館を冒険者に襲撃されるわ、目的の物は北の玄武術士に横取りされるわで兎に角ついてない。師自身も太刀打ちが出来なかったみたいで、それで凹んでいるのかもしれなかった。あの人プライド高いからな。
だからと言って目に見えるような落ち込みは見せていない。但し、オレ達の視点からはだ。霧華さんの方が側にいる時間は長いから、些細な変化に気づいているのかも。
オレはカウンターの内側に入り込み、持っていた紙袋をキッチンへどさりと置いた。買ってきたもので今使えるものがもしかしたらあるかもしれない。オレンジとかも買ってきたし。
「因みにどんな風に?オレ達には普通に見えてんだけど」
「……曲刀の男に館を荒らされてからなんだけど。なんだかやけに溜息が多いような気がするの。盾を奪われた事、余程ショックだったのかなって。…私が余計な事喋ったせいかもって、そう思ったら申し訳なくて。それに私が声を掛けると『急に話しかけないでくれ』って言われる事も増えたし。研究も捗ってないみたい」
確かにあの盾は喉から手が出る程欲しかった代物だと思う。オレ達だって向こうに負けたのは悔しい。でも、それとはまた別問題な気がする。
ボルカノ様の様子がおかしい二つ目の理由。珍しくガチな恋しちゃったみたいで。それが如実になったのは盾の騒動後から。不器用ながらもようやく自覚したんだなあとニヤニヤしている。あんまり揶揄うと怒られるけど。恐らく今は相手の気持ちを探ってる段階なんだろう。それが裏目に出て霧華さんに心配かけてますけどね。よもや自分のせいではないかとしょぼくれてしまっている。
「ボルカノ様が元気ない理由、霧華さんどうしてか分かってる?」
「え。……盾が手に入らなかったからじゃ」
「いつまでもウジウジしてるような人じゃないって。もうそれに関しては吹っ切れてると思う。術法を増幅させるアイテムなんてのは世界に山ほどあるんだよ。どこにあるかは知らないけどさ」
「……じゃあ、どうして?」
若しかしてこの人、全くもってボルカノ様の気持ちに気づいていないんじゃ。いや、様子が変なことには気づいてるけどそれが恋患いとか一ミリも思ってない。あれだけ分かりやすいのに。側に居る時間だって長いっていうのに。
「……確認なんだけどさ」
「うん」
「霧華さんって、ボルカノ様のコト、好きか嫌いで言ったら好きな方なんだよな?」
「うん。あ、でも最近気が付いたんだけど。それよりも信頼できる人っていう感じかな。この世界で一番頼れて、信頼できる。あっ、フェイル君のことも頼りにできるって思ってるよ」
とって付けた様な相手の機嫌を窺う言葉。それより何よりも話がそこから進まなくなってしまった。流石のオレもここからの切り返しが思い浮かばない。師が唯々不憫にしか思えなくて「そりゃどうも」と真顔でしか返せなかった。
若しや筋金入りの鈍さ。普通、あんだけ気に掛けられたら少しは気づくってもんじゃないのか。というか、恋愛感情跳び越えて信頼関係築くとか逆にすげえよ。どうしたらそうなるんだよ。ワケわかんねえ。ハードル高すぎんだろ。
これ、マジで大変ですよボルカノ様。本人は全く色恋沙汰の気無いし。
良い天気だ。柔らかい日差しが降り注いでいる。
温暖なこの地に拠点を構えた師の選択は間違いじゃなかったと思う。元々モウゼスは玄武術士の溜まり場だとは聞いていた。なんで態々そんな敵対するような場所に拠点を置くのか最初は誰もが疑念を抱いていた。その理由を知った時にはそれもすっかり晴れたのだけど。
曲刀の男が寝返ってから数日が経過した。
まさか裏切られるとは師も予想していなかったことだったろう。しかも前日に霧華さんと派手にケンカしたみたいだったし。余計に隙を突かれたんだろうな。階下で未然に防ぐことが出来ず悔いた者も多い。あれからというもの殊更修行に励むようになった。
盾が北の術士に奪われた以上、この町に留まる理由はもはや無いだろう。次は何処へ移るのか。
外の使いから戻ってきたが、館の一階はまさかのもぬけの殻。留守番を代わりに頼んだ相手の姿も無い。つい一時間前まではロビーに結構人が居たはずだぞ。
無人となったカウンターへ腕に抱えていた紙袋を下ろす。てっきり誰も居ないと思っていたから、その内側に人がいてなまじ驚いた。
術士のローブを纏わない細身の女性。ボルカノ様の助手である霧華さんが居た。キッチンスペースに食材を並べて何やら悩んでいる様子。
さてはあいつ等、霧華さんに留守番押し付けていったな。頼まれたら断れない性格なのを利用して。
オレを来客だと勘違いした彼女がパッとこちらを振り向く。客向けであっただろう笑顔はそのまま崩れることなく、むしろ更に柔らかい笑みで「フェイル君お帰りなさい」と出迎えてくれた。
「ただいまー。霧華さん何悩んでんの?ってか、留守番押し付けられたんだろ。悪い」
「んーそれは別にいいんだけどね」
そう言いながら眉を八の字に寄せる。その困り顔を食材へと向けた。睨めっこしている相手は小麦粉の袋、牛乳瓶、卵、バターと基本的な物。それと果物が少し。調味料や調理器具はまだ用意されていなかった。オレはカウンターの外側から身を乗り出して中を覗き込む。
「何か作んの?」
「うん。そのつもりなんだけど……何がいいかなあって」
「クッキーでいいんじゃないの。数も多く出来るし」
分け隔てなく、公平に行き渡る。それに一番オーソドックスな菓子だ。けど、霧華さんが作るとなると一味も二味も違うものが出来上がる。材料は全く変わらないのに、歯触りがサクサクで後味の良い甘さのクッキーになるんだ。どうやったらこんな美味いものが出来るのかと聞いても「いつも通りに作ってるんだけど」としか答えてくれない。独自に考えてみた結果、焼き加減や材料の混ぜ方が違うんじゃないかという結論に至った。
今の時間帯ならまだ晩飯を仕込むには早い。てっきりお菓子作りに悩んでいるのかと思って、そう提案したんだけど。霧華さんはあまり気乗りしない様子。
「うーん。……もうちょっと変わったものにしようかなあって」
「なんで?」
「……最近、ボルカノさん元気が無いように見えるの。だから、何か私にできる事ないかなあって。そう考えたらお菓子ぐらいかな…って」
「なるほど。霧華さんやっさしー」
霧華さんのそういう優しい所、オレ結構好きなんだよな。他の奴等も口を揃えて同じ様に答えると思う。
ここ数日ボルカノ様の様子がおかしいことにはオレも何となく勘づいていた。まあその理由の一つは大方盾絡みの事だろうと睨んでいる。館を冒険者に襲撃されるわ、目的の物は北の玄武術士に横取りされるわで兎に角ついてない。師自身も太刀打ちが出来なかったみたいで、それで凹んでいるのかもしれなかった。あの人プライド高いからな。
だからと言って目に見えるような落ち込みは見せていない。但し、オレ達の視点からはだ。霧華さんの方が側にいる時間は長いから、些細な変化に気づいているのかも。
オレはカウンターの内側に入り込み、持っていた紙袋をキッチンへどさりと置いた。買ってきたもので今使えるものがもしかしたらあるかもしれない。オレンジとかも買ってきたし。
「因みにどんな風に?オレ達には普通に見えてんだけど」
「……曲刀の男に館を荒らされてからなんだけど。なんだかやけに溜息が多いような気がするの。盾を奪われた事、余程ショックだったのかなって。…私が余計な事喋ったせいかもって、そう思ったら申し訳なくて。それに私が声を掛けると『急に話しかけないでくれ』って言われる事も増えたし。研究も捗ってないみたい」
確かにあの盾は喉から手が出る程欲しかった代物だと思う。オレ達だって向こうに負けたのは悔しい。でも、それとはまた別問題な気がする。
ボルカノ様の様子がおかしい二つ目の理由。珍しくガチな恋しちゃったみたいで。それが如実になったのは盾の騒動後から。不器用ながらもようやく自覚したんだなあとニヤニヤしている。あんまり揶揄うと怒られるけど。恐らく今は相手の気持ちを探ってる段階なんだろう。それが裏目に出て霧華さんに心配かけてますけどね。よもや自分のせいではないかとしょぼくれてしまっている。
「ボルカノ様が元気ない理由、霧華さんどうしてか分かってる?」
「え。……盾が手に入らなかったからじゃ」
「いつまでもウジウジしてるような人じゃないって。もうそれに関しては吹っ切れてると思う。術法を増幅させるアイテムなんてのは世界に山ほどあるんだよ。どこにあるかは知らないけどさ」
「……じゃあ、どうして?」
若しかしてこの人、全くもってボルカノ様の気持ちに気づいていないんじゃ。いや、様子が変なことには気づいてるけどそれが恋患いとか一ミリも思ってない。あれだけ分かりやすいのに。側に居る時間だって長いっていうのに。
「……確認なんだけどさ」
「うん」
「霧華さんって、ボルカノ様のコト、好きか嫌いで言ったら好きな方なんだよな?」
「うん。あ、でも最近気が付いたんだけど。それよりも信頼できる人っていう感じかな。この世界で一番頼れて、信頼できる。あっ、フェイル君のことも頼りにできるって思ってるよ」
とって付けた様な相手の機嫌を窺う言葉。それより何よりも話がそこから進まなくなってしまった。流石のオレもここからの切り返しが思い浮かばない。師が唯々不憫にしか思えなくて「そりゃどうも」と真顔でしか返せなかった。
若しや筋金入りの鈍さ。普通、あんだけ気に掛けられたら少しは気づくってもんじゃないのか。というか、恋愛感情跳び越えて信頼関係築くとか逆にすげえよ。どうしたらそうなるんだよ。ワケわかんねえ。ハードル高すぎんだろ。
これ、マジで大変ですよボルカノ様。本人は全く色恋沙汰の気無いし。