第一章
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17.微熱どころか
三日も眠れば充分に体力も回復する。極度の負荷を与えさえしなければ四肢の稼働も支障がない。
弟子の中には治癒術を扱える奴もいる。だが、自分たちの身を案じろと指示をしたのでこの身体には一度も術を施してはいない。ここまで回復してしまえばもう問題はないだろう。それにこれ以上体を動かさなければ完全に鈍る。
申し訳程度に整頓された調合器具から必要な器具と材料を作業台へ運ぶ。消費した傷薬を補充するべく、先ずは天秤の調整を始めた。あの争闘で壊れなかったのが奇跡だ。他の精密器具を点検するも異常は無い。
フラスコの代用にとビーカーを持ち上げた所で「ボルカノさん」と不機嫌な低い声が聞こえた。振り返ると細い眉を吊り上げた彼女が両腕を胸の前で組み、ジト目でこちらを睨み付けていた。
「傷ならもう塞がった」
「そんなに早く皮膚がくっつくわけないじゃないですか!ボルカノさん回復術受けてないんですよ!最低でも一ヶ月、半年は完治にかかります!」
「嘘じゃない」
どうやら口で言っても信じる様子は無さそうだ。手にしたビーカーとアルコールランプを作業台へ下ろし、左腕の袖を捲る。そして数日前に負った深い創傷が塞がっているのを確認させた。皮膚が直線上に盛り上がっているが、時間の経過で傷跡も消える。これを見た彼女は目を見開いていた。その傷に恐る恐る触れてきた指先は冷たい。
「ホントに塞がってる。…他の傷もですか」
「ああ。腹部も塞がった。見るか?」
「あ、いえ。……それにしても、治り早すぎません?」
「オレは朱鳥術を扱うせいか通常の人間よりも体温が高い。基礎代謝も高いし、細胞も活性化しやすい。だから傷を負っても治りが早いというわけだ。……まあ、ここ数日安静にしていたのも加味されるが」
「へえー」
捲った袖を下ろし、ボタンを留めて上着を羽織る。気に入りのこれもあちこち擦れて見目が悪い。落ち着いたら服を新調するか。
彼女が無言でこちらに視線を向けていた。何か言いたそうにしている。ここで尋ねたとしてもはぐらかすと分かっていたので、一つ鎌をかけてみることにした。
「今、何か失礼なことを考えていなかったか」
「べっ、べつに!そんなことは……細胞分裂とか、アメーバみたいだなあ…なんて考えてないです」
「口に出したという事は考えていたのと変わらない。単細胞と同類にしないでくれ」
「アハハ…すみません。でも、良かったです。これで心配事一つ減りました」
こうも容易く引っかかるのはどうなのか。そう呆れていたのも束の間。眉尻を下げて力なく笑う彼女に返す言葉が見つからなくなってしまう。「そうか」と返すだけで精一杯だった。
町の外れに弔った死者に祈りを捧げ、墓前に花を供えた。あの時、忠告を受け入れていれば犠牲者は出ずに済んだのか。そう考えもしたが、既に起きた事を悔やむばかりではこの先何も変わらない。
墓参りを済ませた後、自室へ戻って調合を再開。邪魔をしないようにと気を使ってか、彼女は一階に下りている。
調合を始めたのはいいが、やけに気が散って集中することができずにいた。頭がぼーっとしている。まだ熱があるのか。体内に残った僅かな細菌を殺すべく免疫細胞が働いているのかもしれない。
だが、無理をしなければいいだけの話。そう判断して加熱したビーカーの中身をかき混ぜるが、ルビー色に変化するはずの液体は次第に黒ずんでいった。ちょっと待て、こんな筈はない。傷薬など何百と作ってきているんだ。調合手順は完全に頭に入っている。間違う筈がない。それをどこでどう間違えた。
幸いにもこの失敗作は無害。中和させる手間が省けただけいいだろう。気を取り直して次へ取り掛かることにした。
その後、十個中四個は失敗作となる失態を犯した。何故だ。こんなこと今までに無かったというのに。
やはり本調子ではないのか。胸の辺りに針の刺さるような痛みを感じた。内部の傷が疼いているにしろ、傷を負っていない箇所が痛むのは些かおかしい気もするが、一週間も経てば平常に戻るだろう。
「普通の人間ならば一ヶ月、半年の月日が完治には必要だ」という彼女の言葉をふと思い出した。つまり、彼女の場合はそうなるという事だ。大したことの無い傷が致命傷になりかねる。それに、触れた体温も低かった。気を付けなければならない。若しも今回のオレの様な傷を負ったとしたら。それだけは是が非でも避けなければ。
集中できないまま作業台にへばり付いていても効率が悪い。どうやら一度気分を変えた方がいいようだ。丁度喉も渇きを訴え始めた。気晴らしと鈍った体を動かす為にも階段を一段ずつ下りてロビーへ向かうことにした。
◇◆◇
一階まで下りて来たが、弟子の姿は無い。まだ療養中か血気が盛んな奴はもう外へ出ているのだろう。
人気の無いフロアに何処からか話し声が聞こえてくり。和気藹々とした声を辿ってみれば、それはカウンター内のキッチンからだと分かる。そこから甘い香りが強く漂っていた。
弟子のフェイルと彼女が並んでキッチンに立っている。小麦粉の生地を麺棒で伸す傍らでフェイルが鍋をかき混ぜていた。確か腕を骨折したと聞いたが、流石だな。もう動かせるようになったのか。妙な所で感心していたが為に話しかけるタイミングを失ってしまっていた。それも二人が仲睦まじく談笑していたせいもある。暫くぶりな気がした。彼女があんな風に笑っているのを見るのは。
左胸が疼くような痛みを訴える。まただ。なんだこの痛みは。
「で、その時に……あっ。ボルカノ様、お疲れ様です」
カウンターの脇に棒立ちしていた所を弟子に見つかり、何故か慌ててしまいそうになる。何を慌てる必要があるのかと騒ぎ立てる心を落ち着かせた。
「フェイル。もう体はいいのか」
「はい。腕の骨もくっついたし傷も完全に塞がったんで、全く問題ありません」
左肩を大きく回して「ほらこの通り」と見せる。その横で彼女が「朱鳥術士っていいですね」と羨ましそうに呟いた。
「他のお弟子さん達も殆どが外に出てます。……フェイル君の術のおかげもあるんだろうけど、治りが早いっていうレベルじゃないですよもう」
「霧華さんの気遣いもあってこそだよ。オレ達だったら術施した後、おら寝とけーってベッドに放り投げるだけだし」
「……そんな事されたら私は一生治らなさそう。みんなはメンタル面も強いのね。ホント羨ましい。あ、そういえばもう調合終わったんですか?」
不意に振られた話に言葉を詰まらせた。終わるどころか足踏みをしているとは正直に話せたものじゃない。それに弟子の手前、失敗続きで集中力を欠いているとは言いにくい。視線をついと逸らしてしまった。これでは不調だと言っているようなものだ。だが今さら慌てては余計に怪しまれる。
「まだ、だ。喉が渇いたから茶を淹れに……ところで、何を作ってるんだ」
「アップルパイです。ルインさんがさっき来てくれて、リンゴを頂いたんですよ。それで、アップルパイ作ろうかーって話になって」
成程。この香りはリンゴか。砂糖で煮詰めてコンポートを作っている途中だ。鍋を任せているのが彼女ではないのが少し気がかりだ。手を止めれば鍋が焦げる。
「オレの姉ちゃんがよく作ってくれたやつなんです。レシピだけは頭に叩き込んできたんで、オレが霧華さんに伝授しました」
胸を張ってそう言うが、益々不安に駆られたのは自分だけか。何を隠そう、パンを異常なまでに膨らませてパンとは言えない代物を作ったのはこいつだ。そんなやつがレシピを教えたと。鍋からは芳しい香りが漂っているが、この先どう転ぶか分からない。
「……大丈夫なのか」
「だいじょーぶです。これでも姉ちゃんの手伝いしてたんですよ。それに、弟子の間でもオレが一番料理が上手いんですから」
「パン一つまともに焼けない奴がどの口で言ってるんだ」
「えっ。もしかして……例のパンってフェイル君が焼いたやつだったの?」
「あ、あれは…その、レシピをすこーしアレンジしてみたら……ああなったんですよ」
乾いた笑みを浮かべて誤魔化そうとする。その際に手が止められたので「鍋が焦げる」と喝を入れた。慌てて手を動かし始めたが、先が思いやられるな全く。
注意を受けた事に不満を覚えたのかは知らないが、口先を尖らせてこちらを見てきた。
「そーいえば、さっき雑貨屋の奥さんが来た時ですけど」
「なんだ」
「スゴイ剣幕で怒ってましたよ。今度霧華ちゃん泣かせたらタダじゃおかないからねって。ボルカノ様、此処に居なくてよかったですね。居たら殴られてましたよ。間違いなく」
「……今回の件に直接関わっていない人間にどうしてそこまで言われなきゃならないんだ」
「霧華さんを泣かせたのボルカノ様ですよね」
時計回りにかき混ぜる鍋から自分に向けられた視線。鷹の様に鋭い眼が否定を許そうとはしない。オレが答えるまではあちらも黙っているつもりのようだ。一瞬にして空気が張り詰める。
目が腫れるまで涙を流させてしまったのも、不信感を抱かせたのも自分だ。詫びの言葉は喉元まで出かけているというのに、妙な意地が壁となって邪魔をしていた。それでもと重い口を開こうとした矢先、彼女が取り繕う様に割って入ってきた。打ち粉で白くなった手を合わせ、細い眉を額に寄せながら笑う。
「焼きあがったら上に持っていきますね。お茶もその時でよければ用意しますよ」
「……ああ。そうだな。その時でいい」
「それじゃあ、楽しみに待っててくださいね!」
場の空気が悪くなる前に。そういった配慮ゆえの発言だろう。
弟子からの軽蔑に似た眼差しから逃れる様に踵を返す。そのデジャヴから逃げる様に上へ戻る足取りは重い。全く気晴らしにはならなかった。憂鬱な溜息だけが漏れていく。
靄の様な物が胸の辺りに纏わりついている。肺に傷を負ったわけじゃない。じゃあ、なんなんださっきからこの息苦しい感覚は。不可解な感覚に囚われるあまり、それは次第に苛立ちへ変化していった。
自室の作業台の散らかり具合が調合作業の滞りを表している。このまま続けたとしても利益は生まれないだろう。材料も無限ではないし、無駄に消費するのは極力控えたい。少し時間を置いてから再開した方が良い。
未解決の研究資料を探すべく、書棚へ手を伸ばした。その書棚の隅に置かれた小箱にふと目が留まる。伸ばしていた手を止め、木で誂えたその箱を手に取る。中には切れた細い金のチェーン、歪んだルースの台座、スタールビーのルース。そこから紅色のルースを摘み上げ、表面に光を反射させる。六条の線は角度を変えても歪な線は見られなかった。あれだけの威力を発揮しておきながらヒビ一つ入っていない。土台として選択したのは間違いではなかった。
だが、想定以上の術が発動した。保護術程度の火力を御符にした筈なのだが。それが実際には相手を数メートル吹き飛ばすまでの威力となった。幸い彼女に怪我は無かったが、持ち主に害を及ぼすような物では意味を成さない。御符を別の物に書き換えた方がいい。
あれだけの威力は別の力と共鳴した可能性も充分に考えられる。持ち主の精神力か、それとも術士である自分が近くに居たからか。無意識のうちに術法を増幅させていたのかもしれない。無謀な行動への怒りと焦燥に加え、彼女を死なせたくないという強い感情。それが作用したのか。
この手の物は効果を立証させるのが難しい。わざと囮になりでもしなければ確認できないのが厄介だ。術士である自分が身に着けても何ら意味がないものだし、危険が及ぶと分かれば無意識に術を働かせてしまう。だからといって、地術を全く心得ていない彼女に危険を冒す真似をさせるわけにはいかない。リスクが大きすぎる。そんなことをさせるぐらいならば自分が護衛に回った方がいい。
ルースを手の平で転がし、どうするべきかと悩み続けていた。考えていても仕方が無い。工具箱を掴んで作業台へ腰を下ろした。
同じパーツを揃えようとするが、チェーンが不足していた。代わりの物は無いかと探しているうちに石座の付いたリング台を見つける。ルースのサイズと一致していた。これならばすぐに取り掛かれる。修復は早い方がいいだろう。
必要なパーツを手元に揃え、黙々と作業を進めていく。次第に作業台の上は調合器具よりも細工道具が占領を始めていた。
くすんだルビーはやがて強い六条の光を宿した指輪となり、輝きを取り戻す。満足のいく仕上がりとなったそれを見た際に自然と笑みが綻ぶ。
控えめな軽いノックの音がした。その後にベッド側のドアが開く。銀のトレイを腕に抱えた彼女が甘く香ばしい匂いと共に室内に入ってきた。その時点で互いの視線が交わり、珍しいとでも言いたげにしていた。
「ノックに気づくなんて珍しいですね」
「……ちょっと待て。あれから何時間経った」
「一時間ぐらいです。アップルパイもこの通り焼き上がってますよ。お茶も用意したから今淹れますね」
それならばテーブルの上を片付けるか、と目をやるが作業台とは違って綺麗な状態を保っていた。それに比べて作業台の上は主に細工道具が占領している。その片隅に追いやられた薬草の束や乳鉢、アルコールランプとビーカーの姿がなんとも惨めに思えてきた。
細工を終えた指輪を磨き布の上にひとまず置き、テーブルへ席を移動する。
真っ白な皿に黄金色のアップルパイが一切れ。色も形も申し分ない。ただ、茶器が人数分ある事に対してその皿は一つ。その脇に添えられた小さなフォークと手拭き。一人分しか用意されていない。
ここ数日の記憶を辿ってみると、彼女はいつも此処へ食事を持ってくる時は一人分しか用意していなかったのではないかと気づかされた。先に済ませたといつも口にしていた。左腕のチェーンブレスレットのゆとりが増しているのは気のせいじゃない。
「美味しかったですよ。結構甘めだったので、紅茶はストレートのダージリンにしておきました。これもルインさんに頂いたものなんです。……どうかしました?」
少し痩せたんじゃないのか。慣れた手つきで紅茶を注ぐ様を見ながらそう考えていたとは言えずにいた。
「いや、何でもない」
「見た目も食感も普通だし、味も絶品だから安心してください」
一時間程前にした弟子とのやり取りを気にしていたと思ったのだろう。笑いかけてくる彼女にそれ以上何も言えずにいた。
自信作だと謳われた菓子にフォークを入れる。突き刺した感触は普通だ。一口大に切ったそれを口へ運ぼうとするが、前方からの視線が気になってしまう。
「……そう見られていると食べにくい」
「あ、すみません。気にせずにどうぞ」
彼女は細い指で掴んだティーカップごと顔を背けた。そういえば紅茶はストレートに限ると言っていた。もう半月程前のことか。その方が味も香りも一番楽しめると言い、ティーカップに角砂糖やミルクを落としているのを見たことがなかった。
気を取り直し、アップルパイを口へ運ぶ。さくりと歯触りの軽い生地、甘く煮詰めたコンポートが良い味をしていた。パンよりも格段に難しいであろう菓子を作る事ができて、基本が何故できないんだ。朱鳥術もそうだ。
「どうですか」
「美味い」
素直にそう述べた。その感想を受け取った彼女は笑みを綻ばせる。まるで華が咲いたようだと思えた。
「良かったー!フェイル君にもすごく美味しかった、大絶賛してたって言っておきますね」
「過言は止めてくれ。調子に乗られても困る。……まあ、やればできるようだし見直したが。……霧華が貢献したようなものだ」
「私は生地を打っただけですよ。彼のお姉さん、お菓子作るのが得意みたいで。秘伝のレシピなんだって自慢してました。私になら教えてもいいって事で教えてもらったんです」
「口の軽い奴だな」
門外不出とも言えるレシピをこうも簡単に他人に伝授されてはその姉も嘆くだろうに。いや、裏を返せばそこまで信頼している相手だからということか。それを教わるぐらいまでには打ち解けている。
「随分と打ち解けているんだな。……まあ、元々愛想の良い奴ではある」
「私と彼のお姉さん、年が近いみたいなんです。だからお姉さんみたいだって。私も弟みたいに可愛くてつい甘やかしちゃうんですよね」
「弟がいるのか?」
「いえ、いませんよ。一人っ子だって話したら妹弟いそうなのにとか言われましたけど」
そういえば身辺を何も知らない。自分よりもあいつらの方が彼女の事を知っているんじゃないか。生きてきた世界、国、人々の生活、文明の発展具合。それらを聞いてはきたが。思えば趣味や好む色、食事、家族構成や友人関係。彼女自身の事は何も知らない。聞いていないのだから、答えないのは当たり前だ。どうして今さら知りたいとも思ったのか。私生活を知ったとして何になる。
「作業台の上、なんか混沌と化してますけど。なんかありました?」
知らぬうちに物思いに耽ってしまっていたようだ。ソーサーとティーカップを持ち上げ、振られた話に一度は「ああ」と答えてしまった。
作業台には調合器具、材料、さらには工具箱に細工に使う道具まで広げられている。この状態を疑問に思うのも仕方がない。一つの作業を終わらせてから次へと移る自身の癖を知られているのだ。
「な、何もない。……同じ行程を繰り返していては飽きも生じるし集中力も落ちる。だから別の作業をしていただけだ」
「だからごちゃごちゃしてるんですね。何作ってたんですか?」
深紅の宝石を今一度細工した完成品を彼女に見せた。姿形は違えど、ルースは前と同じ物。ネックレスから指輪へと変化したこれがあの時の物だと彼女の直ぐに気づいたようだった。
「これ、あのスタールビーですよね」
「そうだ。ルース自体には欠けもヒビも無かった。まあ、元々クラックの入ったものだからな……上手く力が分散されたんだろう。御符は前とは違う物を入れておいた。持ち主を護る為に発動する術がその者に危害を加えるようでは本末転倒。……とは言え、効果が立証できない。以前の物はオレが想定していた以上の威力を発揮した。持ち主の潜在的な能力か、それとも偶然近くに居た術士の影響か……不確かな要素が多すぎる。不本意ではあるがそれも試作段階だ」
指輪を受け取った彼女はそれを指で摘まみ、光に当てる角度を模索するように見上げていた。それを随分と長い間かけていたので、ある不安に駆られる。「前の形が良かったか」と恐る恐る窺う。彼女はあどけない仕草で左手の指に収まる場所を探していた。サイズは適当に調整したのだが、どうやら中指に無事収まったようだった。その左手をかざし、微笑みを浮かべる。その優しげな横顔に思いがけず目を奪われる。
「パーツが変わると様変わりするなあ…って。同じルース使ったとは思えないし、表情もちょっと変わったような気がします」
「表情……無機物の鉱石にか」
「細工品って作った人の気持ちが籠められるものなんです。スピリチュアルな話にはなっちゃうんですけど」
「いや、そういった類の物はそこら中にある。呪いや祈りが籠められた物だ」
「そっか。こっちだと信憑性が高いですね。……私の世界だと天然石も人の手が加わると温かみを感じられるって言うんですよ。だからかな。前よりも少し温かい気がする。きっとボルカノさんが一生懸命考えて作ってくれたからですね。ありがとうございます」
こちらに向けられた笑顔を捉えた。ほんの僅かなそのきっかけで胸の内にある違和感の正体が姿を現した。胸の奥底に抱いていたであろう感情が一瞬にして沸き上がった。集中力を殊更欠くのも、彼女が誰かと仲睦まじく会話を交わす事に痛みと苛立ちを覚えたのも、自分に微笑みかけてくれたのが愛しいと感じたことも。全て、辻褄が合う。
己の感情に自覚してしまった後、頬に熱が帯びていく。いや、既に全身が熱い。赤く染まったであろう顔を見られないようにと背けるが、一足遅かった。
「顔赤いですけど、熱あるんじゃないですか?やっぱりまだ本調子出てないんじゃ」
「……大丈夫だ。まだ、微熱程度だ」
果たしてこれは微熱で治まるのだろうか。
小さな火がやがて燃え盛る炎となる事を誰が予想できたのか。
三日も眠れば充分に体力も回復する。極度の負荷を与えさえしなければ四肢の稼働も支障がない。
弟子の中には治癒術を扱える奴もいる。だが、自分たちの身を案じろと指示をしたのでこの身体には一度も術を施してはいない。ここまで回復してしまえばもう問題はないだろう。それにこれ以上体を動かさなければ完全に鈍る。
申し訳程度に整頓された調合器具から必要な器具と材料を作業台へ運ぶ。消費した傷薬を補充するべく、先ずは天秤の調整を始めた。あの争闘で壊れなかったのが奇跡だ。他の精密器具を点検するも異常は無い。
フラスコの代用にとビーカーを持ち上げた所で「ボルカノさん」と不機嫌な低い声が聞こえた。振り返ると細い眉を吊り上げた彼女が両腕を胸の前で組み、ジト目でこちらを睨み付けていた。
「傷ならもう塞がった」
「そんなに早く皮膚がくっつくわけないじゃないですか!ボルカノさん回復術受けてないんですよ!最低でも一ヶ月、半年は完治にかかります!」
「嘘じゃない」
どうやら口で言っても信じる様子は無さそうだ。手にしたビーカーとアルコールランプを作業台へ下ろし、左腕の袖を捲る。そして数日前に負った深い創傷が塞がっているのを確認させた。皮膚が直線上に盛り上がっているが、時間の経過で傷跡も消える。これを見た彼女は目を見開いていた。その傷に恐る恐る触れてきた指先は冷たい。
「ホントに塞がってる。…他の傷もですか」
「ああ。腹部も塞がった。見るか?」
「あ、いえ。……それにしても、治り早すぎません?」
「オレは朱鳥術を扱うせいか通常の人間よりも体温が高い。基礎代謝も高いし、細胞も活性化しやすい。だから傷を負っても治りが早いというわけだ。……まあ、ここ数日安静にしていたのも加味されるが」
「へえー」
捲った袖を下ろし、ボタンを留めて上着を羽織る。気に入りのこれもあちこち擦れて見目が悪い。落ち着いたら服を新調するか。
彼女が無言でこちらに視線を向けていた。何か言いたそうにしている。ここで尋ねたとしてもはぐらかすと分かっていたので、一つ鎌をかけてみることにした。
「今、何か失礼なことを考えていなかったか」
「べっ、べつに!そんなことは……細胞分裂とか、アメーバみたいだなあ…なんて考えてないです」
「口に出したという事は考えていたのと変わらない。単細胞と同類にしないでくれ」
「アハハ…すみません。でも、良かったです。これで心配事一つ減りました」
こうも容易く引っかかるのはどうなのか。そう呆れていたのも束の間。眉尻を下げて力なく笑う彼女に返す言葉が見つからなくなってしまう。「そうか」と返すだけで精一杯だった。
町の外れに弔った死者に祈りを捧げ、墓前に花を供えた。あの時、忠告を受け入れていれば犠牲者は出ずに済んだのか。そう考えもしたが、既に起きた事を悔やむばかりではこの先何も変わらない。
墓参りを済ませた後、自室へ戻って調合を再開。邪魔をしないようにと気を使ってか、彼女は一階に下りている。
調合を始めたのはいいが、やけに気が散って集中することができずにいた。頭がぼーっとしている。まだ熱があるのか。体内に残った僅かな細菌を殺すべく免疫細胞が働いているのかもしれない。
だが、無理をしなければいいだけの話。そう判断して加熱したビーカーの中身をかき混ぜるが、ルビー色に変化するはずの液体は次第に黒ずんでいった。ちょっと待て、こんな筈はない。傷薬など何百と作ってきているんだ。調合手順は完全に頭に入っている。間違う筈がない。それをどこでどう間違えた。
幸いにもこの失敗作は無害。中和させる手間が省けただけいいだろう。気を取り直して次へ取り掛かることにした。
その後、十個中四個は失敗作となる失態を犯した。何故だ。こんなこと今までに無かったというのに。
やはり本調子ではないのか。胸の辺りに針の刺さるような痛みを感じた。内部の傷が疼いているにしろ、傷を負っていない箇所が痛むのは些かおかしい気もするが、一週間も経てば平常に戻るだろう。
「普通の人間ならば一ヶ月、半年の月日が完治には必要だ」という彼女の言葉をふと思い出した。つまり、彼女の場合はそうなるという事だ。大したことの無い傷が致命傷になりかねる。それに、触れた体温も低かった。気を付けなければならない。若しも今回のオレの様な傷を負ったとしたら。それだけは是が非でも避けなければ。
集中できないまま作業台にへばり付いていても効率が悪い。どうやら一度気分を変えた方がいいようだ。丁度喉も渇きを訴え始めた。気晴らしと鈍った体を動かす為にも階段を一段ずつ下りてロビーへ向かうことにした。
◇◆◇
一階まで下りて来たが、弟子の姿は無い。まだ療養中か血気が盛んな奴はもう外へ出ているのだろう。
人気の無いフロアに何処からか話し声が聞こえてくり。和気藹々とした声を辿ってみれば、それはカウンター内のキッチンからだと分かる。そこから甘い香りが強く漂っていた。
弟子のフェイルと彼女が並んでキッチンに立っている。小麦粉の生地を麺棒で伸す傍らでフェイルが鍋をかき混ぜていた。確か腕を骨折したと聞いたが、流石だな。もう動かせるようになったのか。妙な所で感心していたが為に話しかけるタイミングを失ってしまっていた。それも二人が仲睦まじく談笑していたせいもある。暫くぶりな気がした。彼女があんな風に笑っているのを見るのは。
左胸が疼くような痛みを訴える。まただ。なんだこの痛みは。
「で、その時に……あっ。ボルカノ様、お疲れ様です」
カウンターの脇に棒立ちしていた所を弟子に見つかり、何故か慌ててしまいそうになる。何を慌てる必要があるのかと騒ぎ立てる心を落ち着かせた。
「フェイル。もう体はいいのか」
「はい。腕の骨もくっついたし傷も完全に塞がったんで、全く問題ありません」
左肩を大きく回して「ほらこの通り」と見せる。その横で彼女が「朱鳥術士っていいですね」と羨ましそうに呟いた。
「他のお弟子さん達も殆どが外に出てます。……フェイル君の術のおかげもあるんだろうけど、治りが早いっていうレベルじゃないですよもう」
「霧華さんの気遣いもあってこそだよ。オレ達だったら術施した後、おら寝とけーってベッドに放り投げるだけだし」
「……そんな事されたら私は一生治らなさそう。みんなはメンタル面も強いのね。ホント羨ましい。あ、そういえばもう調合終わったんですか?」
不意に振られた話に言葉を詰まらせた。終わるどころか足踏みをしているとは正直に話せたものじゃない。それに弟子の手前、失敗続きで集中力を欠いているとは言いにくい。視線をついと逸らしてしまった。これでは不調だと言っているようなものだ。だが今さら慌てては余計に怪しまれる。
「まだ、だ。喉が渇いたから茶を淹れに……ところで、何を作ってるんだ」
「アップルパイです。ルインさんがさっき来てくれて、リンゴを頂いたんですよ。それで、アップルパイ作ろうかーって話になって」
成程。この香りはリンゴか。砂糖で煮詰めてコンポートを作っている途中だ。鍋を任せているのが彼女ではないのが少し気がかりだ。手を止めれば鍋が焦げる。
「オレの姉ちゃんがよく作ってくれたやつなんです。レシピだけは頭に叩き込んできたんで、オレが霧華さんに伝授しました」
胸を張ってそう言うが、益々不安に駆られたのは自分だけか。何を隠そう、パンを異常なまでに膨らませてパンとは言えない代物を作ったのはこいつだ。そんなやつがレシピを教えたと。鍋からは芳しい香りが漂っているが、この先どう転ぶか分からない。
「……大丈夫なのか」
「だいじょーぶです。これでも姉ちゃんの手伝いしてたんですよ。それに、弟子の間でもオレが一番料理が上手いんですから」
「パン一つまともに焼けない奴がどの口で言ってるんだ」
「えっ。もしかして……例のパンってフェイル君が焼いたやつだったの?」
「あ、あれは…その、レシピをすこーしアレンジしてみたら……ああなったんですよ」
乾いた笑みを浮かべて誤魔化そうとする。その際に手が止められたので「鍋が焦げる」と喝を入れた。慌てて手を動かし始めたが、先が思いやられるな全く。
注意を受けた事に不満を覚えたのかは知らないが、口先を尖らせてこちらを見てきた。
「そーいえば、さっき雑貨屋の奥さんが来た時ですけど」
「なんだ」
「スゴイ剣幕で怒ってましたよ。今度霧華ちゃん泣かせたらタダじゃおかないからねって。ボルカノ様、此処に居なくてよかったですね。居たら殴られてましたよ。間違いなく」
「……今回の件に直接関わっていない人間にどうしてそこまで言われなきゃならないんだ」
「霧華さんを泣かせたのボルカノ様ですよね」
時計回りにかき混ぜる鍋から自分に向けられた視線。鷹の様に鋭い眼が否定を許そうとはしない。オレが答えるまではあちらも黙っているつもりのようだ。一瞬にして空気が張り詰める。
目が腫れるまで涙を流させてしまったのも、不信感を抱かせたのも自分だ。詫びの言葉は喉元まで出かけているというのに、妙な意地が壁となって邪魔をしていた。それでもと重い口を開こうとした矢先、彼女が取り繕う様に割って入ってきた。打ち粉で白くなった手を合わせ、細い眉を額に寄せながら笑う。
「焼きあがったら上に持っていきますね。お茶もその時でよければ用意しますよ」
「……ああ。そうだな。その時でいい」
「それじゃあ、楽しみに待っててくださいね!」
場の空気が悪くなる前に。そういった配慮ゆえの発言だろう。
弟子からの軽蔑に似た眼差しから逃れる様に踵を返す。そのデジャヴから逃げる様に上へ戻る足取りは重い。全く気晴らしにはならなかった。憂鬱な溜息だけが漏れていく。
靄の様な物が胸の辺りに纏わりついている。肺に傷を負ったわけじゃない。じゃあ、なんなんださっきからこの息苦しい感覚は。不可解な感覚に囚われるあまり、それは次第に苛立ちへ変化していった。
自室の作業台の散らかり具合が調合作業の滞りを表している。このまま続けたとしても利益は生まれないだろう。材料も無限ではないし、無駄に消費するのは極力控えたい。少し時間を置いてから再開した方が良い。
未解決の研究資料を探すべく、書棚へ手を伸ばした。その書棚の隅に置かれた小箱にふと目が留まる。伸ばしていた手を止め、木で誂えたその箱を手に取る。中には切れた細い金のチェーン、歪んだルースの台座、スタールビーのルース。そこから紅色のルースを摘み上げ、表面に光を反射させる。六条の線は角度を変えても歪な線は見られなかった。あれだけの威力を発揮しておきながらヒビ一つ入っていない。土台として選択したのは間違いではなかった。
だが、想定以上の術が発動した。保護術程度の火力を御符にした筈なのだが。それが実際には相手を数メートル吹き飛ばすまでの威力となった。幸い彼女に怪我は無かったが、持ち主に害を及ぼすような物では意味を成さない。御符を別の物に書き換えた方がいい。
あれだけの威力は別の力と共鳴した可能性も充分に考えられる。持ち主の精神力か、それとも術士である自分が近くに居たからか。無意識のうちに術法を増幅させていたのかもしれない。無謀な行動への怒りと焦燥に加え、彼女を死なせたくないという強い感情。それが作用したのか。
この手の物は効果を立証させるのが難しい。わざと囮になりでもしなければ確認できないのが厄介だ。術士である自分が身に着けても何ら意味がないものだし、危険が及ぶと分かれば無意識に術を働かせてしまう。だからといって、地術を全く心得ていない彼女に危険を冒す真似をさせるわけにはいかない。リスクが大きすぎる。そんなことをさせるぐらいならば自分が護衛に回った方がいい。
ルースを手の平で転がし、どうするべきかと悩み続けていた。考えていても仕方が無い。工具箱を掴んで作業台へ腰を下ろした。
同じパーツを揃えようとするが、チェーンが不足していた。代わりの物は無いかと探しているうちに石座の付いたリング台を見つける。ルースのサイズと一致していた。これならばすぐに取り掛かれる。修復は早い方がいいだろう。
必要なパーツを手元に揃え、黙々と作業を進めていく。次第に作業台の上は調合器具よりも細工道具が占領を始めていた。
くすんだルビーはやがて強い六条の光を宿した指輪となり、輝きを取り戻す。満足のいく仕上がりとなったそれを見た際に自然と笑みが綻ぶ。
控えめな軽いノックの音がした。その後にベッド側のドアが開く。銀のトレイを腕に抱えた彼女が甘く香ばしい匂いと共に室内に入ってきた。その時点で互いの視線が交わり、珍しいとでも言いたげにしていた。
「ノックに気づくなんて珍しいですね」
「……ちょっと待て。あれから何時間経った」
「一時間ぐらいです。アップルパイもこの通り焼き上がってますよ。お茶も用意したから今淹れますね」
それならばテーブルの上を片付けるか、と目をやるが作業台とは違って綺麗な状態を保っていた。それに比べて作業台の上は主に細工道具が占領している。その片隅に追いやられた薬草の束や乳鉢、アルコールランプとビーカーの姿がなんとも惨めに思えてきた。
細工を終えた指輪を磨き布の上にひとまず置き、テーブルへ席を移動する。
真っ白な皿に黄金色のアップルパイが一切れ。色も形も申し分ない。ただ、茶器が人数分ある事に対してその皿は一つ。その脇に添えられた小さなフォークと手拭き。一人分しか用意されていない。
ここ数日の記憶を辿ってみると、彼女はいつも此処へ食事を持ってくる時は一人分しか用意していなかったのではないかと気づかされた。先に済ませたといつも口にしていた。左腕のチェーンブレスレットのゆとりが増しているのは気のせいじゃない。
「美味しかったですよ。結構甘めだったので、紅茶はストレートのダージリンにしておきました。これもルインさんに頂いたものなんです。……どうかしました?」
少し痩せたんじゃないのか。慣れた手つきで紅茶を注ぐ様を見ながらそう考えていたとは言えずにいた。
「いや、何でもない」
「見た目も食感も普通だし、味も絶品だから安心してください」
一時間程前にした弟子とのやり取りを気にしていたと思ったのだろう。笑いかけてくる彼女にそれ以上何も言えずにいた。
自信作だと謳われた菓子にフォークを入れる。突き刺した感触は普通だ。一口大に切ったそれを口へ運ぼうとするが、前方からの視線が気になってしまう。
「……そう見られていると食べにくい」
「あ、すみません。気にせずにどうぞ」
彼女は細い指で掴んだティーカップごと顔を背けた。そういえば紅茶はストレートに限ると言っていた。もう半月程前のことか。その方が味も香りも一番楽しめると言い、ティーカップに角砂糖やミルクを落としているのを見たことがなかった。
気を取り直し、アップルパイを口へ運ぶ。さくりと歯触りの軽い生地、甘く煮詰めたコンポートが良い味をしていた。パンよりも格段に難しいであろう菓子を作る事ができて、基本が何故できないんだ。朱鳥術もそうだ。
「どうですか」
「美味い」
素直にそう述べた。その感想を受け取った彼女は笑みを綻ばせる。まるで華が咲いたようだと思えた。
「良かったー!フェイル君にもすごく美味しかった、大絶賛してたって言っておきますね」
「過言は止めてくれ。調子に乗られても困る。……まあ、やればできるようだし見直したが。……霧華が貢献したようなものだ」
「私は生地を打っただけですよ。彼のお姉さん、お菓子作るのが得意みたいで。秘伝のレシピなんだって自慢してました。私になら教えてもいいって事で教えてもらったんです」
「口の軽い奴だな」
門外不出とも言えるレシピをこうも簡単に他人に伝授されてはその姉も嘆くだろうに。いや、裏を返せばそこまで信頼している相手だからということか。それを教わるぐらいまでには打ち解けている。
「随分と打ち解けているんだな。……まあ、元々愛想の良い奴ではある」
「私と彼のお姉さん、年が近いみたいなんです。だからお姉さんみたいだって。私も弟みたいに可愛くてつい甘やかしちゃうんですよね」
「弟がいるのか?」
「いえ、いませんよ。一人っ子だって話したら妹弟いそうなのにとか言われましたけど」
そういえば身辺を何も知らない。自分よりもあいつらの方が彼女の事を知っているんじゃないか。生きてきた世界、国、人々の生活、文明の発展具合。それらを聞いてはきたが。思えば趣味や好む色、食事、家族構成や友人関係。彼女自身の事は何も知らない。聞いていないのだから、答えないのは当たり前だ。どうして今さら知りたいとも思ったのか。私生活を知ったとして何になる。
「作業台の上、なんか混沌と化してますけど。なんかありました?」
知らぬうちに物思いに耽ってしまっていたようだ。ソーサーとティーカップを持ち上げ、振られた話に一度は「ああ」と答えてしまった。
作業台には調合器具、材料、さらには工具箱に細工に使う道具まで広げられている。この状態を疑問に思うのも仕方がない。一つの作業を終わらせてから次へと移る自身の癖を知られているのだ。
「な、何もない。……同じ行程を繰り返していては飽きも生じるし集中力も落ちる。だから別の作業をしていただけだ」
「だからごちゃごちゃしてるんですね。何作ってたんですか?」
深紅の宝石を今一度細工した完成品を彼女に見せた。姿形は違えど、ルースは前と同じ物。ネックレスから指輪へと変化したこれがあの時の物だと彼女の直ぐに気づいたようだった。
「これ、あのスタールビーですよね」
「そうだ。ルース自体には欠けもヒビも無かった。まあ、元々クラックの入ったものだからな……上手く力が分散されたんだろう。御符は前とは違う物を入れておいた。持ち主を護る為に発動する術がその者に危害を加えるようでは本末転倒。……とは言え、効果が立証できない。以前の物はオレが想定していた以上の威力を発揮した。持ち主の潜在的な能力か、それとも偶然近くに居た術士の影響か……不確かな要素が多すぎる。不本意ではあるがそれも試作段階だ」
指輪を受け取った彼女はそれを指で摘まみ、光に当てる角度を模索するように見上げていた。それを随分と長い間かけていたので、ある不安に駆られる。「前の形が良かったか」と恐る恐る窺う。彼女はあどけない仕草で左手の指に収まる場所を探していた。サイズは適当に調整したのだが、どうやら中指に無事収まったようだった。その左手をかざし、微笑みを浮かべる。その優しげな横顔に思いがけず目を奪われる。
「パーツが変わると様変わりするなあ…って。同じルース使ったとは思えないし、表情もちょっと変わったような気がします」
「表情……無機物の鉱石にか」
「細工品って作った人の気持ちが籠められるものなんです。スピリチュアルな話にはなっちゃうんですけど」
「いや、そういった類の物はそこら中にある。呪いや祈りが籠められた物だ」
「そっか。こっちだと信憑性が高いですね。……私の世界だと天然石も人の手が加わると温かみを感じられるって言うんですよ。だからかな。前よりも少し温かい気がする。きっとボルカノさんが一生懸命考えて作ってくれたからですね。ありがとうございます」
こちらに向けられた笑顔を捉えた。ほんの僅かなそのきっかけで胸の内にある違和感の正体が姿を現した。胸の奥底に抱いていたであろう感情が一瞬にして沸き上がった。集中力を殊更欠くのも、彼女が誰かと仲睦まじく会話を交わす事に痛みと苛立ちを覚えたのも、自分に微笑みかけてくれたのが愛しいと感じたことも。全て、辻褄が合う。
己の感情に自覚してしまった後、頬に熱が帯びていく。いや、既に全身が熱い。赤く染まったであろう顔を見られないようにと背けるが、一足遅かった。
「顔赤いですけど、熱あるんじゃないですか?やっぱりまだ本調子出てないんじゃ」
「……大丈夫だ。まだ、微熱程度だ」
果たしてこれは微熱で治まるのだろうか。
小さな火がやがて燃え盛る炎となる事を誰が予想できたのか。