第一章
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16.世界のバランス
「フェイル君!」
最上階から下りて来た私は見慣れた背を見つけ、呼び止めた。西館の宿舎に向かおうとしていた彼はこちらを振り向き、私を見て顔を綻ばせる。階段を一気に駆け下りて彼の側まで。フェイル君は昨日まで吊っていた左腕の三角巾がもう解かれていた。
「霧華さん。どーしたの?」
「あの、私もお見舞いに行っていい?みんなの所」
「構わないよ。あ、じゃあ治療も手伝ってくれない?」
「もちろん。ちょっと待ってて。さっき焼いたクッキー持っていくから」
「あ。……もしかして、キッチンの篭に入れてあったやつ」
「そうだけど。……つまみ食いしたわね?」
彼は口の端を片方だけ持ち上げて、頬を掻きながら笑って誤魔化そうとしていた。案の定、キッチンから持ってきた篭の中身が数枚減っていた。まあ、これでも沢山焼いたから人数分は大丈夫だろう。
西館へ続く廊下を渡るのはこれが初めてだった。少し緊張してきたので、それを解そうと隣を歩く彼に話しかける。
「もう腕は吊ってなくていいの?」
「ん。お蔭さまで。余裕ある時は自分にも術を施してんだ」
「良かった。でも、無理しないでね」
「ありがと。霧華さんが心配してくれるのが一番効いてるかも」
「…お世辞言っても、これ以上のつまみ食いはさせないからね」
「ははっ。バレたかー」
以前と変わらずに会話が弾む。この感覚が私は嬉しかった。あんな出来事があった後だもの。みんな荒んでいないか心配だった。
西館宿舎に足を踏み入れると、ベッドの上に寝転がる少年たちがそこにいた。普段羽織っているローブを脱いでいるせいか、私服姿が各々個性を醸し出している。皺ひとつないシーツのベッドが三つ。それが私の目には物悲しく映ってしまう。
何人かが私たちの方へ視線を向けて「おー」「霧華さんこんにちわー」と声を掛けてきた。
「治療のお時間でーす。今日は特別に霧華さんがアシスタントだぞ」
「それと、お見舞いにクッキー焼いてきたから。みんなで食べてね」
俄かに歓声が上がる。この声を聞いた限りではみんな元気そうで何よりだ。
「霧華さん、そっちの方から回って。薬とガーゼはそこにあるから」
「うん」
まだ傷が完全に塞がっていない者には術を、ある程度治癒した者は自己治癒力に任せているそうだ。但し、傷口が化膿しないように消毒はマメに行っている。各ベッドを回りながらフェイル君がそう説明していた。
私は彼らの傷の消毒をしていき、声を掛けていく。殆どの人は傷口がもう塞がっていて、日常生活に支障がないそうだ。とはいえ、傷の治りが早すぎないだろうか。フェイル君の術が優秀なせいかな、と考えながら少年の細い腕に包帯を巻きなおしていく。
「あ、あの」
「ん?ごめん、きつかったかな」
「あ、いえ……だいじょうぶです」
青く透き通った瞳をした十五、六歳の少年。目が合うとパッと逸らされてしまった。それからだんまりになってしまい、顔を俯かせてしまう。何か気に障る事でもしたのかと心配にもなる。そう考えているとフェイル君が横から「そいつ、恥ずかしがり屋なんだ」と言ってきた。途端に伏せていた彼の顔が赤く染まっていく。本当だ。これは相当な恥ずかしがり屋かも。
「……その、」
今にも消え入りそうな声。それでも頑張って私に何か伝えようとしていた。もごもごと言葉を発しているようだけど、中々私の耳にまで届かない。
それを見かねたのか、フェイル君が彼の肩に手をぽんと優しく置いた。
「ほら。お礼言いたいんだろ」
こくりと頷いた少年はぐっと顔を持ち上げて、私の方を見た。小柄な体つきと丸い瞳のせいでずっと幼い顔立ちに見える。
彼が最年少なんだろう。他はフェイル君と同い年かそれより少し上の人ばかりだった。
「……霧華さん、あの。…ありがとう」
「どう致しまして。もう痛みはない?」
「うん。……俺、死ぬかと思ったんだ。でも、霧華さんが手当てしてくれて、励ましてくれた。生きてやるって気持ちが湧いてきた。だから、助かったんだと思う。……嬉しかったんだ。ここに来て、初めて人にやさしくされて……だから、本当にありがとう」
「よーし!よく言えましたっ!」
横から伸びてきた手が彼の小さな頭をわしゃわしゃと撫で回す。おかげで栗色の髪がぐしゃぐしゃになってしまった。「やめてくださいよ!」と兄弟子を睨み付けるも、フェイル君は白い歯を見せて笑っていた。
「霧華さんだけじゃない。みんなお前のこと心配してんだ。頼れる仲間がいるってこと、分かっただろ?」
気が付けば温かい視線が一箇所に集まっていた。注目されたことにまた頬を赤く染めた彼は小さく頷いてから「はい!」と力強く答えていた。
◇◆◇
宿舎から戻ってくる途中、私は大きな欠伸を漏らしてしまった。大口を開けてからしまったと気づき、慌てて片手で口を押える。しかし、それはもう彼に見られてしまっていた。ジト目を向けられ、苦笑いを浮かべてみせる。
「霧華さんちゃんと眠ってる?」
「う、うん。……ほら、あんな事があったから、少し寝付きがね」
「前にも似たような事聞いた気がするんだけど。……そういや、霧華さんボルカノ様の部屋で寝泊りしてるんだっけ。でもあそこベッド一つしかないよな」
最上階の部屋にはベッドが一つしかない。私が来てからもうだいぶ経つけど、新たにベッドを用意することはなかった。そこまでしてもらう必要ないと思ったし。
「うん。私はマットを敷いて暖炉の前で寝てるよ」
「は?床で寝てんの?!」
冷える夜は暖炉に薪をくべたままでいる。だから薄着で寝ても風邪を引くことは無いし、何より暖かい。毛布に包まって眠れば私にとっては最高の寝床だ。けれど、それが彼にとっては有り得ない事のようで。聞き返されてしまった。
「う、うん。でも全然寒くないし」
「……そーゆー問題じゃないよ。ベッド運んだ方がいいって」
「んー。今の所不自由してないんだけどね」
「だーめ。倉庫に使ってないベッド無いか探しておくから」
女の人を床で寝かせるとか有り得ない。何考えてんだあの人。ぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。私は居候の身だから文句も贅沢も言えないんだけどね。
ロビーに戻ってきた私たちはお茶を淹れる準備を始めた。お湯を沸かしている間に私は茶器と紅茶の茶葉を用意する。上で退屈しているだろう怪我人にもお茶を持っていこうか。そう思ってもう一つティーカップを追加した。
「ね、それにしてもみんな傷の治りが早いと思わない?気のせいとは思えないんだけど」
「ふふん。オレの腕がいいからさ!」
彼は両腕を腰に当てて、胸を張ってそう言った。そういえばボルカノさんが「フェイルの月術は弟子の中でも飛び抜けている」と話していた。但し朱鳥術はそこそこの腕前だと嘆いていた。地術と天術はそもそも基礎が違うから、両方を極めるのには相当な修行が必要だとかで。朱鳥術を専門に教えている方としては嘆きたくなるんだろう。
彼が怪我人に術を施行したおかげで傷の治りが早い。逆を言えば、彼が居なければ犠牲者がもっと増えていたかもしれない。
「私も……術が使えればよかったな」
「急にどうしたの」
「ん…そうしたら、あの子たちも助かったかもしれないって、そう思って」
予め知っていた出来事に何かかしら対処ができたかもしれない。その行動で物語の筋書きを変えてしまうことになったとしても、目の前にいる人を助けることができるなら。私は後悔しない。
「ごめん。湿っぽくなっちゃった。術が使えたら色々便利かな、ってそう思ったの」
「……その術のエキスパートが集結すれば強力な術となる。だが、それは一網打尽となる事もある。弱点を攻められたらお終いだ。この世界は精霊のバランスで成り立っている。一つの術だけでは成り立たない。互いに補う必要があるんだよ」
かまどの火を手で操りながら彼はそう呟いた。その横顔は朱鳥術士を思わせる真剣な眼差しを宿していた。が、くるりとこちらを向いた時にはいつもの表情。
「なんて、な。カッコイイこと言ったけど、ぜーんぶ師の受け売りなんだ」
「ボルカノさんの?」
「そ。だからさ、霧華さんには霧華さんにしかできない事がある。それで相手を支えたらいいんだよ。今回みたいにさ。オレたちじゃあんな優しい言葉掛けてやれないし」
「…ありがと。でも、驚いた。ボルカノさんそんなこと言うんだ。術士って自分の分野しか考えてないようなイメージしかなかったし。それにフェイル君、ちゃんと尊敬してるんだねボルカノさんの事」
「そりゃ、まあ。共感できるから弟子入りしたんだよ」
ケトルの吹き出し口から白い蒸気が揚がってきた。ポットとカップを先に温めている間、茶葉の入った缶を開けて中を覗き込む。あと残り二回分で無くなりそうだった。
「そういや霧華さん、妹とか弟いるの?」
「いないよ。一人っ子」
「え、まじ?絶対いると思った。面倒見いいし」
「よく言われる。フェイル君はお姉さんがいるんだよね」
「霧華さんと年が近いんだ。まあ、姉ちゃんのほうがちょーっと性格きついけど」
「そんなこと言ったら怒られるよ?」
「聞かれてないからいーの。……あ、そうだ」
お湯を一度捨て、ポットの中に茶葉を三杯分入れる。それから改めてお湯をポットの中に注いだ。アールグレイの香りが一気に広がっていく。トレイに茶器をセッティングする私に彼は「あのストールなんだけど」と言いにくそうに話を切り出した。彼が腕の骨を折った時に救急で使用したストールのことのようだ。
「ごめん。ついた血が洗っても取れなくてさ…」
「いいわ。気にしないで。そのまま捨ててくれてもいいし」
「そうもいかないよ。借りは作るな、作ったとしても必ず返せって」
「それも師匠の教え?」
「当たり。……うーん。今度何か代わりの物返すよ。もうちょっと待って」
何だかんだで師の教えを守ろうとする彼に「要らない」とは言えなかった。ここは素直に頷いておくことにした。
「フェイル君!」
最上階から下りて来た私は見慣れた背を見つけ、呼び止めた。西館の宿舎に向かおうとしていた彼はこちらを振り向き、私を見て顔を綻ばせる。階段を一気に駆け下りて彼の側まで。フェイル君は昨日まで吊っていた左腕の三角巾がもう解かれていた。
「霧華さん。どーしたの?」
「あの、私もお見舞いに行っていい?みんなの所」
「構わないよ。あ、じゃあ治療も手伝ってくれない?」
「もちろん。ちょっと待ってて。さっき焼いたクッキー持っていくから」
「あ。……もしかして、キッチンの篭に入れてあったやつ」
「そうだけど。……つまみ食いしたわね?」
彼は口の端を片方だけ持ち上げて、頬を掻きながら笑って誤魔化そうとしていた。案の定、キッチンから持ってきた篭の中身が数枚減っていた。まあ、これでも沢山焼いたから人数分は大丈夫だろう。
西館へ続く廊下を渡るのはこれが初めてだった。少し緊張してきたので、それを解そうと隣を歩く彼に話しかける。
「もう腕は吊ってなくていいの?」
「ん。お蔭さまで。余裕ある時は自分にも術を施してんだ」
「良かった。でも、無理しないでね」
「ありがと。霧華さんが心配してくれるのが一番効いてるかも」
「…お世辞言っても、これ以上のつまみ食いはさせないからね」
「ははっ。バレたかー」
以前と変わらずに会話が弾む。この感覚が私は嬉しかった。あんな出来事があった後だもの。みんな荒んでいないか心配だった。
西館宿舎に足を踏み入れると、ベッドの上に寝転がる少年たちがそこにいた。普段羽織っているローブを脱いでいるせいか、私服姿が各々個性を醸し出している。皺ひとつないシーツのベッドが三つ。それが私の目には物悲しく映ってしまう。
何人かが私たちの方へ視線を向けて「おー」「霧華さんこんにちわー」と声を掛けてきた。
「治療のお時間でーす。今日は特別に霧華さんがアシスタントだぞ」
「それと、お見舞いにクッキー焼いてきたから。みんなで食べてね」
俄かに歓声が上がる。この声を聞いた限りではみんな元気そうで何よりだ。
「霧華さん、そっちの方から回って。薬とガーゼはそこにあるから」
「うん」
まだ傷が完全に塞がっていない者には術を、ある程度治癒した者は自己治癒力に任せているそうだ。但し、傷口が化膿しないように消毒はマメに行っている。各ベッドを回りながらフェイル君がそう説明していた。
私は彼らの傷の消毒をしていき、声を掛けていく。殆どの人は傷口がもう塞がっていて、日常生活に支障がないそうだ。とはいえ、傷の治りが早すぎないだろうか。フェイル君の術が優秀なせいかな、と考えながら少年の細い腕に包帯を巻きなおしていく。
「あ、あの」
「ん?ごめん、きつかったかな」
「あ、いえ……だいじょうぶです」
青く透き通った瞳をした十五、六歳の少年。目が合うとパッと逸らされてしまった。それからだんまりになってしまい、顔を俯かせてしまう。何か気に障る事でもしたのかと心配にもなる。そう考えているとフェイル君が横から「そいつ、恥ずかしがり屋なんだ」と言ってきた。途端に伏せていた彼の顔が赤く染まっていく。本当だ。これは相当な恥ずかしがり屋かも。
「……その、」
今にも消え入りそうな声。それでも頑張って私に何か伝えようとしていた。もごもごと言葉を発しているようだけど、中々私の耳にまで届かない。
それを見かねたのか、フェイル君が彼の肩に手をぽんと優しく置いた。
「ほら。お礼言いたいんだろ」
こくりと頷いた少年はぐっと顔を持ち上げて、私の方を見た。小柄な体つきと丸い瞳のせいでずっと幼い顔立ちに見える。
彼が最年少なんだろう。他はフェイル君と同い年かそれより少し上の人ばかりだった。
「……霧華さん、あの。…ありがとう」
「どう致しまして。もう痛みはない?」
「うん。……俺、死ぬかと思ったんだ。でも、霧華さんが手当てしてくれて、励ましてくれた。生きてやるって気持ちが湧いてきた。だから、助かったんだと思う。……嬉しかったんだ。ここに来て、初めて人にやさしくされて……だから、本当にありがとう」
「よーし!よく言えましたっ!」
横から伸びてきた手が彼の小さな頭をわしゃわしゃと撫で回す。おかげで栗色の髪がぐしゃぐしゃになってしまった。「やめてくださいよ!」と兄弟子を睨み付けるも、フェイル君は白い歯を見せて笑っていた。
「霧華さんだけじゃない。みんなお前のこと心配してんだ。頼れる仲間がいるってこと、分かっただろ?」
気が付けば温かい視線が一箇所に集まっていた。注目されたことにまた頬を赤く染めた彼は小さく頷いてから「はい!」と力強く答えていた。
◇◆◇
宿舎から戻ってくる途中、私は大きな欠伸を漏らしてしまった。大口を開けてからしまったと気づき、慌てて片手で口を押える。しかし、それはもう彼に見られてしまっていた。ジト目を向けられ、苦笑いを浮かべてみせる。
「霧華さんちゃんと眠ってる?」
「う、うん。……ほら、あんな事があったから、少し寝付きがね」
「前にも似たような事聞いた気がするんだけど。……そういや、霧華さんボルカノ様の部屋で寝泊りしてるんだっけ。でもあそこベッド一つしかないよな」
最上階の部屋にはベッドが一つしかない。私が来てからもうだいぶ経つけど、新たにベッドを用意することはなかった。そこまでしてもらう必要ないと思ったし。
「うん。私はマットを敷いて暖炉の前で寝てるよ」
「は?床で寝てんの?!」
冷える夜は暖炉に薪をくべたままでいる。だから薄着で寝ても風邪を引くことは無いし、何より暖かい。毛布に包まって眠れば私にとっては最高の寝床だ。けれど、それが彼にとっては有り得ない事のようで。聞き返されてしまった。
「う、うん。でも全然寒くないし」
「……そーゆー問題じゃないよ。ベッド運んだ方がいいって」
「んー。今の所不自由してないんだけどね」
「だーめ。倉庫に使ってないベッド無いか探しておくから」
女の人を床で寝かせるとか有り得ない。何考えてんだあの人。ぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。私は居候の身だから文句も贅沢も言えないんだけどね。
ロビーに戻ってきた私たちはお茶を淹れる準備を始めた。お湯を沸かしている間に私は茶器と紅茶の茶葉を用意する。上で退屈しているだろう怪我人にもお茶を持っていこうか。そう思ってもう一つティーカップを追加した。
「ね、それにしてもみんな傷の治りが早いと思わない?気のせいとは思えないんだけど」
「ふふん。オレの腕がいいからさ!」
彼は両腕を腰に当てて、胸を張ってそう言った。そういえばボルカノさんが「フェイルの月術は弟子の中でも飛び抜けている」と話していた。但し朱鳥術はそこそこの腕前だと嘆いていた。地術と天術はそもそも基礎が違うから、両方を極めるのには相当な修行が必要だとかで。朱鳥術を専門に教えている方としては嘆きたくなるんだろう。
彼が怪我人に術を施行したおかげで傷の治りが早い。逆を言えば、彼が居なければ犠牲者がもっと増えていたかもしれない。
「私も……術が使えればよかったな」
「急にどうしたの」
「ん…そうしたら、あの子たちも助かったかもしれないって、そう思って」
予め知っていた出来事に何かかしら対処ができたかもしれない。その行動で物語の筋書きを変えてしまうことになったとしても、目の前にいる人を助けることができるなら。私は後悔しない。
「ごめん。湿っぽくなっちゃった。術が使えたら色々便利かな、ってそう思ったの」
「……その術のエキスパートが集結すれば強力な術となる。だが、それは一網打尽となる事もある。弱点を攻められたらお終いだ。この世界は精霊のバランスで成り立っている。一つの術だけでは成り立たない。互いに補う必要があるんだよ」
かまどの火を手で操りながら彼はそう呟いた。その横顔は朱鳥術士を思わせる真剣な眼差しを宿していた。が、くるりとこちらを向いた時にはいつもの表情。
「なんて、な。カッコイイこと言ったけど、ぜーんぶ師の受け売りなんだ」
「ボルカノさんの?」
「そ。だからさ、霧華さんには霧華さんにしかできない事がある。それで相手を支えたらいいんだよ。今回みたいにさ。オレたちじゃあんな優しい言葉掛けてやれないし」
「…ありがと。でも、驚いた。ボルカノさんそんなこと言うんだ。術士って自分の分野しか考えてないようなイメージしかなかったし。それにフェイル君、ちゃんと尊敬してるんだねボルカノさんの事」
「そりゃ、まあ。共感できるから弟子入りしたんだよ」
ケトルの吹き出し口から白い蒸気が揚がってきた。ポットとカップを先に温めている間、茶葉の入った缶を開けて中を覗き込む。あと残り二回分で無くなりそうだった。
「そういや霧華さん、妹とか弟いるの?」
「いないよ。一人っ子」
「え、まじ?絶対いると思った。面倒見いいし」
「よく言われる。フェイル君はお姉さんがいるんだよね」
「霧華さんと年が近いんだ。まあ、姉ちゃんのほうがちょーっと性格きついけど」
「そんなこと言ったら怒られるよ?」
「聞かれてないからいーの。……あ、そうだ」
お湯を一度捨て、ポットの中に茶葉を三杯分入れる。それから改めてお湯をポットの中に注いだ。アールグレイの香りが一気に広がっていく。トレイに茶器をセッティングする私に彼は「あのストールなんだけど」と言いにくそうに話を切り出した。彼が腕の骨を折った時に救急で使用したストールのことのようだ。
「ごめん。ついた血が洗っても取れなくてさ…」
「いいわ。気にしないで。そのまま捨ててくれてもいいし」
「そうもいかないよ。借りは作るな、作ったとしても必ず返せって」
「それも師匠の教え?」
「当たり。……うーん。今度何か代わりの物返すよ。もうちょっと待って」
何だかんだで師の教えを守ろうとする彼に「要らない」とは言えなかった。ここは素直に頷いておくことにした。