第一章
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10.可もなく、不可もなく
「ありがとうございました!」
モウゼス南側に店を構えている雑貨屋での手伝いを始めて一週間が経過した。初日は掃除、品の陳列の手伝いのみ。仕事量が徐々に増えていき、品物の名前と値段も頭に入ってきた。常連の顔もだいぶ覚えた。接客のバイト経験がこんな所で役立つとは思いもしない。あの頃は偏屈な客やいちゃもんつけてくる人もいて苦労したけど。耐性が幾分か付いているので対処法もそれなりに出来る。でもその必要もなさそうだった。
この町に住む人は気さくな人ばかりだ。温厚な気候が関係しているのかもしれない。「初めて見る顔だね」「最近雇った子かい?」と気楽に声を掛けてくれた。
私がカウンターに立てるようになると雑貨屋の奥さん、ルインさんも通常の休憩時間を取る事が可能になった。かなり助かるよと。休憩に入る前に肩をよくバキバキと鳴らしながらバックヤードへと消えていく。
午後の部は先程の女性を境に客足がぱたりと途絶えた。私は両腕を真上にぐっと伸ばして息を吐く。今日は取り置きの数も少ないし、お客さんは疎らになるだろう。今のうちに陳列棚の整理をしようとカウンターから店内へ出た時だった。
「何か困った事は無かったかい?」とバックヤードから戻ってきたルインさんはエプロンを掛け、服の袖を捲り上げて仕事用のスタイルで戻ってきた。
「はい。お客さんもそんなに来ませんでしたし。……あ、でもさっき売った傷薬で在庫がラストイチです。お客さんの話によれば、流通経路に野盗が最近出ているって。だから仕入れるなら早めに動いた方がいいかもしれません。それと、お隣の奥さんが」
午前中に仕入れた話を幾つか報告していくうちに段々とルインさんの口元が緩んでいった。満足そうにニコニコと笑っているものだから。
「何かおかしい所ありましたか?」
「いーや。アンタ、商売向いてるんじゃないかい?」
「え、そんなことは。昔、バイトしてたからその経験が活きてるだけですよ」
「笑顔はいいし、気も利く。それに素直な所が客受けいいんだよ。…助手なんか辞めてうちで働くってのはどうだい。看板娘になっとくれよ」
勿体ない言葉だった。娘という年齢でもないし、お世辞だったとしても褒めてくれたのはとても嬉しい。
「あはは…ありがとうございます。お言葉だけ受け取っておきます。ボルカノさんの助手を辞める訳にはいかないので」
「そうかい。残念だねえ」
大袈裟なくらいに溜息をついてルインさんは肩を落とした。申し訳ないけどこればかりは「はい、やります!」と即答することはできない。いずれ私は元の世界に帰らなければいけない立場だ。その辺は弁えている。何でもかんでも安請け合いしているわけではない。
「でもねえ、霧華ちゃんが手伝ってくれてるおかげで本当に助かってるんだ。アンタみたいなイイ子他にいないよ」
「もおー褒めても何も出ませんよ?その代わりに張り切って働いちゃいますけどね!」
空拭き用の布巾を手にした私は長袖を捲って気合を入れてみせた。それにルインさんは腕を組みながらカラカラと笑い声を響かせる。「気が変わったらいつでも言っとくれ。こっちは大歓迎だからさ」と温かい言葉が胸に沁みるような気がした。
「あ、そうだ。今日はもう上がってくれていいよ」
「え、いいんですか?まだだいぶ時間ありますけど」
壁時計の針は十五時を指している。今日も閉店まで手伝いをするつもりでいた。ご主人のぎっくり腰は良くなったと思えばまた悪化。それを繰り返していた。もう暫くはかかるだろうなあと長い目で考えていたのだ。
「うちの旦那もだいぶ回復してきたからね。少しは体動かしてもらわないと。すっかり鈍っちまってるよ」
「リハビリが大変そうですね。分かりました。じゃあ今日はこれで」
仕事着のエプロンを脱いできれいに畳む。それから忘れないうちにと手製の小さなポシェットから昨日完成した髪飾りを取り出した。
「あの、ルインさん。これ、よろしければ貰ってくれませんか」
「これは、なんだい?」
「簪っていうもので、私の故郷の伝統的な髪飾りです。ルインさんには色々お世話になってますし、お礼と言ってはなんですけど」
「へえ~…綺麗な髪飾りだね」
「久々に細工品作ったので、勘が戻らなくて……ちょっと不格好ですけど」
色とりどりの硝子ビーズを棒状の金属にまるカンで留めて、花をあしらった簪。それを光に透かして見ていたルインさんが「霧華ちゃんが作ったのかい!?」と急に大声を上げた。
「は、はい」
「すごいじゃないか!……驚いたよ。アンタ器用なんだね。こんな綺麗な髪飾り作れるなんて。あたしには真似できっこないよ」
創作意欲を刺激されたのは久方ぶりだった。
趣味で続けていた装飾品の作成。定期的に陥るスランプ。そこから長い間抜け出せない日が続いた。気が付けば夏の暑さにダレて、木枯らしが吹いたと思えば年が明けた。このまま別の趣味でも見つけようかとさえ考えたこともある。
「あの人の助手だっていうから、ロクでもない物ばっかり作ってるんだろうなって思ってたんだよ。……こんなに繊細な物も作れるんだね」
「あ、ありがとうございます。でも、特別な効力は何も無いです。ただの髪飾りなので……私、術は使えないから魔力とか込められないし」
「何言ってんだい。すごい髪飾りだよ」
「え?」
「あたしをこんなに驚かせて、喜ばせてくれたんだ。特別な髪飾りに決まってるだろ?ありがとね。大切に使わせてもらうよ」
穴が空きそうな程に簪をじっと見つめて、頬を紅潮させてまで喜んでもらえた。それがとても嬉しくてあの頃の気持ちを思い出させてくれる。ぽかぽかと胸の奥が熱くなってきて、心地よい気分だった。
どうやって使うのかと聞かれ、髪の結び目に挿せばいいと教える。いつもの飾り気のないヘアゴムで括られた髪型にアクセントとして簪が映えた。
頭を傾げながら「どうだい?」と尋ねてきたので、予想通りだと私は頷いた。
「よかった!似合ってます」
「ふふっ。嬉しいねえ」
「どうしたんだ?随分賑やかじゃないか」
店の中で騒いでいたのが部屋の奥まで聞こえていたみたいだ。ご主人が腰をさすりながらゆったりとした足取りで出てきた。
「ちょいとアンタ、見ておくれよ。これ、霧華ちゃんが作ってくれたんだよ。あたしにプレゼントしてくれたんだ」
「ほおー……すごいもんだな。見たこともない飾りだし、器用に作られてるじゃないか」
簪をじっと見ていた御主人にルインさんが「他に言う事はないのかい?」と目を細めて睨み付けていた。慌てて笑顔を取り繕う御主人の横で私は笑うのを我慢。
「ああ、似合ってるよ。久々にお洒落でもしたらどうだ?」
「そうだねえ。明日はちょっと着飾ってみようかね。あ、いらっしゃい!」
お客さんがドアを開けたと同時に声を掛けたルインさんは「頼まれた品、用意できてるよ。ちょっと待ってておくれ」と鼻歌交じりで棚から品物を取り出していた。
その様を微笑ましく目で追いかけるご主人も良い笑みを浮かべていた。
◇◆◇
「霧華さんその服似合ってる。前のより断然イケてるよ」
夕飯の支度を手伝うと申し出てくれた彼の弟子が脈絡もなくそう口にした。材料を切る隣でジャガイモの皮を丁寧に剥いている。
彼、フェイル君とはクッキーをお裾分けしたのをきっかけによく話をするようになった。元々人懐こい性格のようで、私の姿を見かけるとカウンターから身を乗り出して手を振る場面も。
ところで、服装を褒められたのは嬉しい。でもそれはつまり、元の世界での服装のセンスを否定されているようで複雑な気分。いや、これは世界観の違いだ。服のセンスが悪いわけじゃない。現に、私自身が選んだこちらの服だって褒められたじゃないか。私は前向きにそう考えることにした。
「そ、そうかなあ?ありがとう」
「その赤いストールもセンスいいよなあ。……ボルカノ様に抱えられてきた時は何事かと思ったけど。それからだよな、服着替えたのって」
朱鳥術士というのは好きな色が赤で固定なのだろうか。今度全員に聞いてみたい気がしてきた。
「あれは怪我しちゃってね。服や靴もスライムの酸で傷んだから…買い替えたの」
「ふーん。もう怪我はいいのか?」
「うん。走り回っても平気。火傷の痕も残らなかったし。ボルカノさんの作る薬は効くね」
「……オレ達の作る傷薬と何が違うんだろうな。成分は一緒のはずなんだけど」
ジャガイモの芽を大きくくり抜く手。成る程。こういう点で器用さに差が出てくるのか。皮はキレイに剥いてくれるのに、芽はむしり取っている。デコボコしたジャガイモがザルにごろごろと入っていた。
それは手法が違うのでは、とは流石に私の口からは言えない。秤で薬の量をきっちり量るのが恐らく苦手なんだろう。適当に量って、これでいいやみたいな感じで。
今夜の献立は急遽クリームシチューに変更になった。本当は別のメニューで考えていたのだけど、私がキッチンに立つなりどこから湧いてきたのか彼の弟子達に囲まれてしまった。「霧華さん飯作んの!?」「飯までには戻るんで、俺の分残しといて!」「オレも!」と矢継ぎ早に言われ、勢いに流されて頷いてしまった。そういった訳で大人数に対応できるメニューに変更したのだ。
「だって霧華さんの飯美味いからさ。霧華さんが飯作るって知ったら皆急いで戻ってくんだ。普段食わないヤツもさ」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、作るの大変なんだよねえ。手伝ってくれるの貴方だけだよ。ホントありがとう」
「どーいたしまして」
この世界の食文化が似ていて本当に助かっていた。見たことも、聞いたこともない食材ばかりに囲まれていたら途方に暮れていただろう。
具材の下ごしらえを終えた後、大きな鍋にそれらを入れてかまどに火をつけた。
「そーいや霧華さんはなんでボルカノ様の助手になったの?」
「え…えーと。なんで?」
「いや、何となく。あの人の助手になりたいって女の人結構いるんだよ」
「へー。モテモテなんだ。顔がいいもんね」
「前の人は財産目当て。その前はガチで恋してた人で、さらに前はここを乗っ取ろうとしてたっけ。大体一ヶ月置きだったかな」
うっかり味見用の小皿を落としそうになった。何やらとんでもない話が飛び込んできた。ガチな恋愛はまだしも、お金目当てで言い寄ってくる人がまるで絶えないと。どこの世界も玉の輿を狙う女性はいるものだ。しかしそれよりもそんな大変な出来事をまるで日常的な物として話す彼にも驚きを隠せなかった。
「ちょ、ちょっと待って。……そんな短い間に?」
「そ。毎度女の人が言い寄ってくるんだけど、一ヶ月ぐらいしたら怒って出てったパターンばっかり。あの人、そーゆうの疎いからなあ。自分の研究や興味ある事にしか目向けない人だからさ」
「あー…なるほど。よく分かるかも」
ずずっと味見した出汁は野菜の旨味が溶け出し、良い味をしていた。
半月ばかり此処でお世話になっている私でも激しく同意したくなる。自己中心的とまではいかないけど、興味対象のラインがはっきりとしている。
「だからさ。霧華さんみたいなタイプ珍しいなあって思ったワケ。一緒に出掛けることも多いし。もしかしてボルカノ様に気に入られてんのかなあ」
「うーん」
興味対象の領域に私自身も含まれていると睨んでいる。異世界の人間というだけで興味を引くんだろう。私の世界の話を聞く時はとても饒舌になる。おかげで初日から喉がカラカラになった。
それに加えて責任感が非常に強い。外出の度についてきていたのも保護者として。気にかけている理由は唯それだけだ。別に気に入られているわけじゃないだろう。
「もしかして、好き?」
「んー?好きか嫌いかで聞かれたら好きだけど。でも恋愛感情かと言われたら、それはないない。向こうもそんな事考えてないと思うし」
私が躊躇いなくそう答えると、彼は幼さの面影が残る顔を綻ばせた。
「そっか。ちょっと安心した。霧華さんには出てってほしくないなーって弟子の間で話になってんだ」
私は出ていかないよ。そうは言えなかった。遅かれ早かれ、いつか私は元の世界に帰ってしまう。その時はやっぱりダメだったかと彼らは思うんだろうか。不本意だけれどこればかりは仕方ない。でも、この環境に少しは馴染めている事が私は嬉しかった。
「最近はみんな忙しそうね。なんだかバタバタしてるし」
「まあ、いろいろと。オレも夜中に駆り出される事あって寝不足が続いてるんだよ……ふあ」
猫のように大きな欠伸をして、目をこすっていた。
何をしているのかとそれ以上の事は聞くことができなかった。でも、きっと井戸の調査を進めているんだろう。確実に時は少しずつ動きだしていた。
◇◆◇
一階で彼の弟子達にクリームシチューを振る舞った後、銀のトレイに今朝焼いたパンとシチューを盛りつけた器を乗せ、一気に最上階まで。運動不足解消の為に長い長い階段を使う事はあるけれど、今もう一つの階段を利用しては折角のシチューも冷めてしまう。
私は気持ち程度ドアをノックしてから返事を待った。返事どころか物音一つ聞こえてこない。遠慮なくドアを開けてから「失礼しまーす」と中に居る人へ声を掛ける。それでもやっぱり返事は無い。
さっき片付けたばかりのテーブルに分厚い本を広げ、片肘をつきながら頁を捲っている此処の主が居た。どうやら部屋に入ってきた私に気づいてすらいない。
手元に寄せられたテーブルランプの灯りが彼の影をゆらゆらと映していた。しかしこの集中力には本当に頭が上がらない。私も学生時代にこれだけの集中力があれば少しは成績が上がったのだろうか。
テーブルの隅っこにトレイを乗せた際に食器がかちゃりと音を立てた。それにも見向きもしない。完全に外界の音をシャットアウトしている。
私は椅子を引いて彼の斜め前に腰掛けた。この際だから、いつ頃気が付くのかそれまで待ってみようと。こちらからは一度声を掛けたのだ。シチューが冷えてしまっても非は彼の方にあると言ってしまえばいい。
文章を追いかける俯いた彼の視線を私も追いかける。逆さまの文字であるのと、どんな内容の本か想像もつかないので意味は全く分からない。その視線は時折後戻りするように遡っていた。難しい式を頭の中で組み立てているんだろう。
少々つり目がちの真紅の瞳。単に赤といっても、琥珀のような色調。光の加減でその濃さを変える。暖炉の炎が揺らめいているかのようにも見え、彼そのものが火の象徴なんだとも思わせた。朱鳥術の権化だ。ついでに睫毛も長くて羨ましい。
火星の砂を作る際のノウハウを教わった時、小難しい元素の式を説明してもらった。天才の喋る事は凡人の私にはチンプンカンプンだったわけで。つまり、この素材と別の素材を定量の水で溶かせば出来上がるんだろうと。結果オーライな事を口にしたらものすごく納得のいかない顔をされた。
化学の先生がボルカノさんだったら居眠りをする自信がある。毎授業だ。赤点、補習授業は避けられない。
それにしても頭も良くて顔もいい。才能もある。そりゃあ言い寄ってくる女性は絶えない。ここにもしミーハーな友人がいたとしたら。軽率に好きだと告白している場面が容易に想像できる。
椅子の背がギィっと悲鳴を上げた。少しガタついているようだ。これは無理な体重をかけたらそのまま折れる可能性がある。この世界では家具を簡単に買い替えるなんてことはしないし、修理できるものは自分の手で直している。日曜大工の真似事がこんな所で役立つとはホント家族に感謝しかない。
本の頁を捲るボルカノさんの手がぴたりと止まった。目を瞑りながらふーっと長い溜息をつき、肩を揉み解している。どうやらひと段落ついたみたいだ。そのタイミングで「お疲れ様です」と私が掛けた声は一度で彼に届いた。次の瞬間には大きく目を見開き、驚いた様子で私を見て固まっていた。
「……いつから居たんだ」
「五分…十分ぐらい前からですかね?あ、ちなみに声は掛けましたから。冷めたシチューが嫌なら温めてきますけど」
「いや、そのままでいい。……その間に集中したらまた振り出しに戻る」
「何度も温め直してたらシチュー焦げちゃいますからね。まだちょっと温かいですから、どうぞ」
夕飯の支度を彼らに手伝ってもらったこと、大鍋で作ったシチューはあっと言う間に完売したと私は話した。クリームシチューをスプーンで掬って口に運ぶも、特にこれといった感想はもらえない。むしろ、皿に乗ったロールパンへ目を向けていた。パンが珍しい世界じゃないだろうに。どうしたのかと聞いてみれば「平らなパンだな」という感想を頂いた。それはつまり、膨らみ方が足りずパンらしくないということか。一からパンを作るのって手間暇がかかる。一度や二度で完璧な物を作れるわけがない。
「パンって作るの大変なんですからね。発酵時間や火加減とか、しかも慣れないかまどなんだし!」
「いや、別に貶した訳じゃ無い。パンらしいと言ったんだ」
「……はい?」
彼はそう言いながらロールパンを手で小さく千切り、シチューを浸して口の中へ放り込んだ。どういう意味なのかと首を傾げていると、咀嚼した後に再び話し始めた。
「いつだったかは忘れたが。弟子の一人が作ったパンが酷かった。球状に膨らんでいて、見た目がとてもパンとは言えない代物でな。中は空洞、しかも噛み切れない強度。……何故あんな物が出来上がるのか意味がわからん」
「……材料配分間違ったんじゃないですか?」
「さあな。それに比べたら立派なパンだ」
見た目に関しては賛辞を頂くことができた。味に関してはやっぱり何も感想がない。まあ、彼らには好評だったから不味いというわけではないだろう。
「ボルカノさんは自分で料理することあるんですか?」
「偶にな」
「へー。じゃあ教えてあげればいいじゃないですか」
「教えた結果がさっきの話だ」
「それはなんていうか……まあ、人には得て不得手がありますし」
器の中身が三分の一程度減った頃、ただ座っている私に疑問を抱いたのか「もう済ませたのか」と聞いてきた。何の話かすぐには分からず、それが夕飯の事だと気づいて笑顔を繕った。
「味見してたらお腹いっぱいになったので」
「そうか」
「あ、そういえば!ボルカノさんって集中力がスゴイですよね。集中しすぎて困った事ないんですか?」
あからさまな話題転換だったかもしれない。食欲がこの頃減ってきている事を感づかれたくなかった。胸に何かつかえている感覚が最近多い。けれど、味見で空腹が満たされるのだから、ウソは言っていない。
「別に無いが」
「だって曲者が近づいてきた時に応戦できないんじゃ」
「そういう輩は大抵殺気立っている。その手の気配には敏感だ。対して君からはオレに対する殺意を感じられない」
「……会って間もないのに殺意抱くって余程ですよ。親の仇レベルじゃないですかそれ」
「そうだな。無害だと分かっているから反応しなかっただけだ」
とりあえず信頼はされているようで安心した。
空になった器と皿を見て、私はバレないようににんまりと笑った。食べ残しが無いって事は可もなく不可もなくということだからだ。
「ありがとうございました!」
モウゼス南側に店を構えている雑貨屋での手伝いを始めて一週間が経過した。初日は掃除、品の陳列の手伝いのみ。仕事量が徐々に増えていき、品物の名前と値段も頭に入ってきた。常連の顔もだいぶ覚えた。接客のバイト経験がこんな所で役立つとは思いもしない。あの頃は偏屈な客やいちゃもんつけてくる人もいて苦労したけど。耐性が幾分か付いているので対処法もそれなりに出来る。でもその必要もなさそうだった。
この町に住む人は気さくな人ばかりだ。温厚な気候が関係しているのかもしれない。「初めて見る顔だね」「最近雇った子かい?」と気楽に声を掛けてくれた。
私がカウンターに立てるようになると雑貨屋の奥さん、ルインさんも通常の休憩時間を取る事が可能になった。かなり助かるよと。休憩に入る前に肩をよくバキバキと鳴らしながらバックヤードへと消えていく。
午後の部は先程の女性を境に客足がぱたりと途絶えた。私は両腕を真上にぐっと伸ばして息を吐く。今日は取り置きの数も少ないし、お客さんは疎らになるだろう。今のうちに陳列棚の整理をしようとカウンターから店内へ出た時だった。
「何か困った事は無かったかい?」とバックヤードから戻ってきたルインさんはエプロンを掛け、服の袖を捲り上げて仕事用のスタイルで戻ってきた。
「はい。お客さんもそんなに来ませんでしたし。……あ、でもさっき売った傷薬で在庫がラストイチです。お客さんの話によれば、流通経路に野盗が最近出ているって。だから仕入れるなら早めに動いた方がいいかもしれません。それと、お隣の奥さんが」
午前中に仕入れた話を幾つか報告していくうちに段々とルインさんの口元が緩んでいった。満足そうにニコニコと笑っているものだから。
「何かおかしい所ありましたか?」
「いーや。アンタ、商売向いてるんじゃないかい?」
「え、そんなことは。昔、バイトしてたからその経験が活きてるだけですよ」
「笑顔はいいし、気も利く。それに素直な所が客受けいいんだよ。…助手なんか辞めてうちで働くってのはどうだい。看板娘になっとくれよ」
勿体ない言葉だった。娘という年齢でもないし、お世辞だったとしても褒めてくれたのはとても嬉しい。
「あはは…ありがとうございます。お言葉だけ受け取っておきます。ボルカノさんの助手を辞める訳にはいかないので」
「そうかい。残念だねえ」
大袈裟なくらいに溜息をついてルインさんは肩を落とした。申し訳ないけどこればかりは「はい、やります!」と即答することはできない。いずれ私は元の世界に帰らなければいけない立場だ。その辺は弁えている。何でもかんでも安請け合いしているわけではない。
「でもねえ、霧華ちゃんが手伝ってくれてるおかげで本当に助かってるんだ。アンタみたいなイイ子他にいないよ」
「もおー褒めても何も出ませんよ?その代わりに張り切って働いちゃいますけどね!」
空拭き用の布巾を手にした私は長袖を捲って気合を入れてみせた。それにルインさんは腕を組みながらカラカラと笑い声を響かせる。「気が変わったらいつでも言っとくれ。こっちは大歓迎だからさ」と温かい言葉が胸に沁みるような気がした。
「あ、そうだ。今日はもう上がってくれていいよ」
「え、いいんですか?まだだいぶ時間ありますけど」
壁時計の針は十五時を指している。今日も閉店まで手伝いをするつもりでいた。ご主人のぎっくり腰は良くなったと思えばまた悪化。それを繰り返していた。もう暫くはかかるだろうなあと長い目で考えていたのだ。
「うちの旦那もだいぶ回復してきたからね。少しは体動かしてもらわないと。すっかり鈍っちまってるよ」
「リハビリが大変そうですね。分かりました。じゃあ今日はこれで」
仕事着のエプロンを脱いできれいに畳む。それから忘れないうちにと手製の小さなポシェットから昨日完成した髪飾りを取り出した。
「あの、ルインさん。これ、よろしければ貰ってくれませんか」
「これは、なんだい?」
「簪っていうもので、私の故郷の伝統的な髪飾りです。ルインさんには色々お世話になってますし、お礼と言ってはなんですけど」
「へえ~…綺麗な髪飾りだね」
「久々に細工品作ったので、勘が戻らなくて……ちょっと不格好ですけど」
色とりどりの硝子ビーズを棒状の金属にまるカンで留めて、花をあしらった簪。それを光に透かして見ていたルインさんが「霧華ちゃんが作ったのかい!?」と急に大声を上げた。
「は、はい」
「すごいじゃないか!……驚いたよ。アンタ器用なんだね。こんな綺麗な髪飾り作れるなんて。あたしには真似できっこないよ」
創作意欲を刺激されたのは久方ぶりだった。
趣味で続けていた装飾品の作成。定期的に陥るスランプ。そこから長い間抜け出せない日が続いた。気が付けば夏の暑さにダレて、木枯らしが吹いたと思えば年が明けた。このまま別の趣味でも見つけようかとさえ考えたこともある。
「あの人の助手だっていうから、ロクでもない物ばっかり作ってるんだろうなって思ってたんだよ。……こんなに繊細な物も作れるんだね」
「あ、ありがとうございます。でも、特別な効力は何も無いです。ただの髪飾りなので……私、術は使えないから魔力とか込められないし」
「何言ってんだい。すごい髪飾りだよ」
「え?」
「あたしをこんなに驚かせて、喜ばせてくれたんだ。特別な髪飾りに決まってるだろ?ありがとね。大切に使わせてもらうよ」
穴が空きそうな程に簪をじっと見つめて、頬を紅潮させてまで喜んでもらえた。それがとても嬉しくてあの頃の気持ちを思い出させてくれる。ぽかぽかと胸の奥が熱くなってきて、心地よい気分だった。
どうやって使うのかと聞かれ、髪の結び目に挿せばいいと教える。いつもの飾り気のないヘアゴムで括られた髪型にアクセントとして簪が映えた。
頭を傾げながら「どうだい?」と尋ねてきたので、予想通りだと私は頷いた。
「よかった!似合ってます」
「ふふっ。嬉しいねえ」
「どうしたんだ?随分賑やかじゃないか」
店の中で騒いでいたのが部屋の奥まで聞こえていたみたいだ。ご主人が腰をさすりながらゆったりとした足取りで出てきた。
「ちょいとアンタ、見ておくれよ。これ、霧華ちゃんが作ってくれたんだよ。あたしにプレゼントしてくれたんだ」
「ほおー……すごいもんだな。見たこともない飾りだし、器用に作られてるじゃないか」
簪をじっと見ていた御主人にルインさんが「他に言う事はないのかい?」と目を細めて睨み付けていた。慌てて笑顔を取り繕う御主人の横で私は笑うのを我慢。
「ああ、似合ってるよ。久々にお洒落でもしたらどうだ?」
「そうだねえ。明日はちょっと着飾ってみようかね。あ、いらっしゃい!」
お客さんがドアを開けたと同時に声を掛けたルインさんは「頼まれた品、用意できてるよ。ちょっと待ってておくれ」と鼻歌交じりで棚から品物を取り出していた。
その様を微笑ましく目で追いかけるご主人も良い笑みを浮かべていた。
◇◆◇
「霧華さんその服似合ってる。前のより断然イケてるよ」
夕飯の支度を手伝うと申し出てくれた彼の弟子が脈絡もなくそう口にした。材料を切る隣でジャガイモの皮を丁寧に剥いている。
彼、フェイル君とはクッキーをお裾分けしたのをきっかけによく話をするようになった。元々人懐こい性格のようで、私の姿を見かけるとカウンターから身を乗り出して手を振る場面も。
ところで、服装を褒められたのは嬉しい。でもそれはつまり、元の世界での服装のセンスを否定されているようで複雑な気分。いや、これは世界観の違いだ。服のセンスが悪いわけじゃない。現に、私自身が選んだこちらの服だって褒められたじゃないか。私は前向きにそう考えることにした。
「そ、そうかなあ?ありがとう」
「その赤いストールもセンスいいよなあ。……ボルカノ様に抱えられてきた時は何事かと思ったけど。それからだよな、服着替えたのって」
朱鳥術士というのは好きな色が赤で固定なのだろうか。今度全員に聞いてみたい気がしてきた。
「あれは怪我しちゃってね。服や靴もスライムの酸で傷んだから…買い替えたの」
「ふーん。もう怪我はいいのか?」
「うん。走り回っても平気。火傷の痕も残らなかったし。ボルカノさんの作る薬は効くね」
「……オレ達の作る傷薬と何が違うんだろうな。成分は一緒のはずなんだけど」
ジャガイモの芽を大きくくり抜く手。成る程。こういう点で器用さに差が出てくるのか。皮はキレイに剥いてくれるのに、芽はむしり取っている。デコボコしたジャガイモがザルにごろごろと入っていた。
それは手法が違うのでは、とは流石に私の口からは言えない。秤で薬の量をきっちり量るのが恐らく苦手なんだろう。適当に量って、これでいいやみたいな感じで。
今夜の献立は急遽クリームシチューに変更になった。本当は別のメニューで考えていたのだけど、私がキッチンに立つなりどこから湧いてきたのか彼の弟子達に囲まれてしまった。「霧華さん飯作んの!?」「飯までには戻るんで、俺の分残しといて!」「オレも!」と矢継ぎ早に言われ、勢いに流されて頷いてしまった。そういった訳で大人数に対応できるメニューに変更したのだ。
「だって霧華さんの飯美味いからさ。霧華さんが飯作るって知ったら皆急いで戻ってくんだ。普段食わないヤツもさ」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、作るの大変なんだよねえ。手伝ってくれるの貴方だけだよ。ホントありがとう」
「どーいたしまして」
この世界の食文化が似ていて本当に助かっていた。見たことも、聞いたこともない食材ばかりに囲まれていたら途方に暮れていただろう。
具材の下ごしらえを終えた後、大きな鍋にそれらを入れてかまどに火をつけた。
「そーいや霧華さんはなんでボルカノ様の助手になったの?」
「え…えーと。なんで?」
「いや、何となく。あの人の助手になりたいって女の人結構いるんだよ」
「へー。モテモテなんだ。顔がいいもんね」
「前の人は財産目当て。その前はガチで恋してた人で、さらに前はここを乗っ取ろうとしてたっけ。大体一ヶ月置きだったかな」
うっかり味見用の小皿を落としそうになった。何やらとんでもない話が飛び込んできた。ガチな恋愛はまだしも、お金目当てで言い寄ってくる人がまるで絶えないと。どこの世界も玉の輿を狙う女性はいるものだ。しかしそれよりもそんな大変な出来事をまるで日常的な物として話す彼にも驚きを隠せなかった。
「ちょ、ちょっと待って。……そんな短い間に?」
「そ。毎度女の人が言い寄ってくるんだけど、一ヶ月ぐらいしたら怒って出てったパターンばっかり。あの人、そーゆうの疎いからなあ。自分の研究や興味ある事にしか目向けない人だからさ」
「あー…なるほど。よく分かるかも」
ずずっと味見した出汁は野菜の旨味が溶け出し、良い味をしていた。
半月ばかり此処でお世話になっている私でも激しく同意したくなる。自己中心的とまではいかないけど、興味対象のラインがはっきりとしている。
「だからさ。霧華さんみたいなタイプ珍しいなあって思ったワケ。一緒に出掛けることも多いし。もしかしてボルカノ様に気に入られてんのかなあ」
「うーん」
興味対象の領域に私自身も含まれていると睨んでいる。異世界の人間というだけで興味を引くんだろう。私の世界の話を聞く時はとても饒舌になる。おかげで初日から喉がカラカラになった。
それに加えて責任感が非常に強い。外出の度についてきていたのも保護者として。気にかけている理由は唯それだけだ。別に気に入られているわけじゃないだろう。
「もしかして、好き?」
「んー?好きか嫌いかで聞かれたら好きだけど。でも恋愛感情かと言われたら、それはないない。向こうもそんな事考えてないと思うし」
私が躊躇いなくそう答えると、彼は幼さの面影が残る顔を綻ばせた。
「そっか。ちょっと安心した。霧華さんには出てってほしくないなーって弟子の間で話になってんだ」
私は出ていかないよ。そうは言えなかった。遅かれ早かれ、いつか私は元の世界に帰ってしまう。その時はやっぱりダメだったかと彼らは思うんだろうか。不本意だけれどこればかりは仕方ない。でも、この環境に少しは馴染めている事が私は嬉しかった。
「最近はみんな忙しそうね。なんだかバタバタしてるし」
「まあ、いろいろと。オレも夜中に駆り出される事あって寝不足が続いてるんだよ……ふあ」
猫のように大きな欠伸をして、目をこすっていた。
何をしているのかとそれ以上の事は聞くことができなかった。でも、きっと井戸の調査を進めているんだろう。確実に時は少しずつ動きだしていた。
◇◆◇
一階で彼の弟子達にクリームシチューを振る舞った後、銀のトレイに今朝焼いたパンとシチューを盛りつけた器を乗せ、一気に最上階まで。運動不足解消の為に長い長い階段を使う事はあるけれど、今もう一つの階段を利用しては折角のシチューも冷めてしまう。
私は気持ち程度ドアをノックしてから返事を待った。返事どころか物音一つ聞こえてこない。遠慮なくドアを開けてから「失礼しまーす」と中に居る人へ声を掛ける。それでもやっぱり返事は無い。
さっき片付けたばかりのテーブルに分厚い本を広げ、片肘をつきながら頁を捲っている此処の主が居た。どうやら部屋に入ってきた私に気づいてすらいない。
手元に寄せられたテーブルランプの灯りが彼の影をゆらゆらと映していた。しかしこの集中力には本当に頭が上がらない。私も学生時代にこれだけの集中力があれば少しは成績が上がったのだろうか。
テーブルの隅っこにトレイを乗せた際に食器がかちゃりと音を立てた。それにも見向きもしない。完全に外界の音をシャットアウトしている。
私は椅子を引いて彼の斜め前に腰掛けた。この際だから、いつ頃気が付くのかそれまで待ってみようと。こちらからは一度声を掛けたのだ。シチューが冷えてしまっても非は彼の方にあると言ってしまえばいい。
文章を追いかける俯いた彼の視線を私も追いかける。逆さまの文字であるのと、どんな内容の本か想像もつかないので意味は全く分からない。その視線は時折後戻りするように遡っていた。難しい式を頭の中で組み立てているんだろう。
少々つり目がちの真紅の瞳。単に赤といっても、琥珀のような色調。光の加減でその濃さを変える。暖炉の炎が揺らめいているかのようにも見え、彼そのものが火の象徴なんだとも思わせた。朱鳥術の権化だ。ついでに睫毛も長くて羨ましい。
火星の砂を作る際のノウハウを教わった時、小難しい元素の式を説明してもらった。天才の喋る事は凡人の私にはチンプンカンプンだったわけで。つまり、この素材と別の素材を定量の水で溶かせば出来上がるんだろうと。結果オーライな事を口にしたらものすごく納得のいかない顔をされた。
化学の先生がボルカノさんだったら居眠りをする自信がある。毎授業だ。赤点、補習授業は避けられない。
それにしても頭も良くて顔もいい。才能もある。そりゃあ言い寄ってくる女性は絶えない。ここにもしミーハーな友人がいたとしたら。軽率に好きだと告白している場面が容易に想像できる。
椅子の背がギィっと悲鳴を上げた。少しガタついているようだ。これは無理な体重をかけたらそのまま折れる可能性がある。この世界では家具を簡単に買い替えるなんてことはしないし、修理できるものは自分の手で直している。日曜大工の真似事がこんな所で役立つとはホント家族に感謝しかない。
本の頁を捲るボルカノさんの手がぴたりと止まった。目を瞑りながらふーっと長い溜息をつき、肩を揉み解している。どうやらひと段落ついたみたいだ。そのタイミングで「お疲れ様です」と私が掛けた声は一度で彼に届いた。次の瞬間には大きく目を見開き、驚いた様子で私を見て固まっていた。
「……いつから居たんだ」
「五分…十分ぐらい前からですかね?あ、ちなみに声は掛けましたから。冷めたシチューが嫌なら温めてきますけど」
「いや、そのままでいい。……その間に集中したらまた振り出しに戻る」
「何度も温め直してたらシチュー焦げちゃいますからね。まだちょっと温かいですから、どうぞ」
夕飯の支度を彼らに手伝ってもらったこと、大鍋で作ったシチューはあっと言う間に完売したと私は話した。クリームシチューをスプーンで掬って口に運ぶも、特にこれといった感想はもらえない。むしろ、皿に乗ったロールパンへ目を向けていた。パンが珍しい世界じゃないだろうに。どうしたのかと聞いてみれば「平らなパンだな」という感想を頂いた。それはつまり、膨らみ方が足りずパンらしくないということか。一からパンを作るのって手間暇がかかる。一度や二度で完璧な物を作れるわけがない。
「パンって作るの大変なんですからね。発酵時間や火加減とか、しかも慣れないかまどなんだし!」
「いや、別に貶した訳じゃ無い。パンらしいと言ったんだ」
「……はい?」
彼はそう言いながらロールパンを手で小さく千切り、シチューを浸して口の中へ放り込んだ。どういう意味なのかと首を傾げていると、咀嚼した後に再び話し始めた。
「いつだったかは忘れたが。弟子の一人が作ったパンが酷かった。球状に膨らんでいて、見た目がとてもパンとは言えない代物でな。中は空洞、しかも噛み切れない強度。……何故あんな物が出来上がるのか意味がわからん」
「……材料配分間違ったんじゃないですか?」
「さあな。それに比べたら立派なパンだ」
見た目に関しては賛辞を頂くことができた。味に関してはやっぱり何も感想がない。まあ、彼らには好評だったから不味いというわけではないだろう。
「ボルカノさんは自分で料理することあるんですか?」
「偶にな」
「へー。じゃあ教えてあげればいいじゃないですか」
「教えた結果がさっきの話だ」
「それはなんていうか……まあ、人には得て不得手がありますし」
器の中身が三分の一程度減った頃、ただ座っている私に疑問を抱いたのか「もう済ませたのか」と聞いてきた。何の話かすぐには分からず、それが夕飯の事だと気づいて笑顔を繕った。
「味見してたらお腹いっぱいになったので」
「そうか」
「あ、そういえば!ボルカノさんって集中力がスゴイですよね。集中しすぎて困った事ないんですか?」
あからさまな話題転換だったかもしれない。食欲がこの頃減ってきている事を感づかれたくなかった。胸に何かつかえている感覚が最近多い。けれど、味見で空腹が満たされるのだから、ウソは言っていない。
「別に無いが」
「だって曲者が近づいてきた時に応戦できないんじゃ」
「そういう輩は大抵殺気立っている。その手の気配には敏感だ。対して君からはオレに対する殺意を感じられない」
「……会って間もないのに殺意抱くって余程ですよ。親の仇レベルじゃないですかそれ」
「そうだな。無害だと分かっているから反応しなかっただけだ」
とりあえず信頼はされているようで安心した。
空になった器と皿を見て、私はバレないようににんまりと笑った。食べ残しが無いって事は可もなく不可もなくということだからだ。