第一章
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7.茶葉の行方
淡い橙色に染められた砂。ビーカーに入ったそれをボルカノさんが縁を持ち上げて光に透かしていた。ビーカーを右に傾ければ緩やかな傾斜ができ、左に傾けると綺麗に平らにならされる。それを何度か繰り返し、砂の様子を一粒ずつ見ていた。
ワイシャツの両袖を捲り上げて顕わになった腕は意外と太い。それを作業前に口にしたら「術士全員が貧弱という偏見は止めておけ」と軽く怒られてしまった。
とりあえず指示の通りに手を動かして、必要な事項はメモに残す。レシピ、道具の使い方を一から教わって初めて作ったものだ。固唾を飲み込みながら私は審査を待ち続けた。この一分一秒が長く感じる。
簡単な調合と作業だから肩の力を抜いてやればいいと言われても。物が物なだけあって途中で爆発や燃焼を起こしたらどうしようという心配があり、気が気じゃない。
ビーカーの内部を真剣に眺めている眼差しはまだ私の方へ降りてこない。審査時間が長すぎやしないか。もしや出来が悪すぎるので、どこか一つでもいい所は無いかと探しているのかも。これは厳しい審査結果を覚悟しておいた方がよさそうだ。
「筋がいいな」
ようやくぽつりと紡がれた一言で時が動き出した。予想外の言葉に私は思わず聞き返す。
「ほ、ホントですか」
「ああ。素人が作ったにしては出来がいい。……正直ここまで出来るとは期待してなかった」
「よかったあ」
肩の力が一気に抜けた。作業台にへたり込んで腕に顔を伏せる。疲れがどっと押し寄せてくるようだった。
ことりと音を立てたビーカーが私の横に置かれる。光を受けてキラキラと輝く砂粒。これが火星の砂というアイテムの基になる。
「この出来ならばスライムぐらいは一撃で吹き飛ばせる」
「……そんな物騒な物を私の顔の横に置かないでください」
「心配するな。強い衝撃が加わらなければ発火も爆発も起きない」
「こんなに綺麗な砂なのに。……人も物も見かけに寄らないんですね」
この橙色の砂をお洒落な瓶に入れて飾ればインテリアになりそうだ。小さめのドライフラワー、貝殻、波に削られた白いガラス片を閉じ込めて。しかし、そんな用途には使われることは一生無い。ここからさらに固めて石に成形する。砂を石に固めるなんてどうやるのか見当もつかなかった。
「次の作業は」
「ま、待ってください。そろそろ休憩しましょう。久々に集中したから私もうクタクタなんです」
ぶんぶんと手を振って次の作業工程に移ろうとしたボルカノさんに待ったをかける。資料用の分厚い本を片手に付箋のついた頁を開こうとした彼にキョトンとされてしまう。それから壁の時計に目をやって短く「ああ」と納得したようだった。
「もうこんな時間か」
「下でお茶淹れてきますね」
「頼む」
作業台から席を立ち、凝り固まった体の筋を伸ばしてから一階直通に繋がる階段室へ。この階段は一つ上るだけで地上七階から一気に一階へ降りる事ができる。どういう仕組みなのかずっと不思議に思っていたけど、理論を聞いても良く分からなかった。つまりは空間を千切って強引に繋ぎ合わせているらしい。七階分の階段を昇降するのは厳しいけど、一日一回ぐらいは上った方が運動不足の解消になりそうだ。
この館の一階フロアは広く展開している。そこに大きなテーブルが二つ。作業台兼食事スペースともなっていた。普段はそこに材料を広げてアイテムを作っている彼の弟子がいるのだけど、今はその姿が一つもない。アイテムの実験に行っているのかもしれなかった。
ただ一人、カウンターにぽつんと残された術士がいた。誰も居ないのをいいことに大きな欠伸をしていた。目を閉じて頬杖をつく様は暇を持て余しているのがひしひしと伝わってくる。
「お疲れ様です」
「ん……ああー。霧華さんか。疲れるも何もないよ。今日は誰も来ないし、みんな外に行っちまったし、退屈で仕方ないんだ」
「店番も大変ですね。キッチン、使わせてもらってもいいですか?」
「どーぞ」
「ありがとうございます」
カウンター内に失礼して立ち入り、キッチンスペースに向かう。かまどに薪をくべて火を点ける。水を入れたケトルを火にかけ、お湯が沸くまでにお茶の準備を進めることにした。
整頓された食器棚から茶器のセットをトレイに並べたまではいい。茶葉の缶を取った時、あまりにそれが軽かったので蓋を開けると中身が空だった。別の缶だったかと他を探してみても、それらしいものは見つからない。
おかしいなと思いながらカウンターのお弟子さんに声をかけた。
「すみません。紅茶の茶葉が見あたらないんですけど。どこにあるか知ってますか」
「え?そこにないなら無いと思うけど……あ。そういや昨日だったかな。あいつらが使ってたような」
「じゃあもう使い切っちゃったってことですね。分かりました」
茶葉がないのにお湯を沸かす意味はない。私はすぐにかまどの火を消した。火を起こすのは大変だ。でも、点けっぱなしは火事の原因になる。
せっかく用意したお茶菓子もこのままでは無駄になってしまう。クッキーには紅茶か珈琲がないと。それに今日食べてしまわなければ湿気て食感が悪くなる。とりあえず用意しておいた木の器に三枚ばかりを並べてカウンターへもう一度声をかける。
こちらに傾けた気だるそうな顔。留守番が飽きたと書いてある。
「やっぱりないだろ」
「はい。ボルカノさんに声かけて買ってこようと思います。……それで、お茶はないんですけど良かったらどうぞ。昨日焼いたクッキーです」
「え。……いいの?」
皿の様に目を丸くされる。その器を受け取った後もそれを見つめる時間が長い。ありがた迷惑だったかな。
「甘い物嫌いでしたら無理には」
「あ、いや。むしろ好き」
「良かった。留守番役の労いですから、他の人には内緒でお願いします」
「たまには良いことあった。ありがとな」
はにかんだ顔を見て喜んでもらえたのだと一先ずホッとした。まだ十八、九ぐらいの歳に見えるのにこうして弟子入りしてるなんて偉いなあと思う。
揃えたお茶のセットを隅に置いて、七階フロア直通の階段へ向かった。
ドアを開けた先で見えたのは作業台に羊皮紙を広げ、羽ペン片手に頬杖をついているボルカノさん。大きな白い羽ペンをくるりと回して止め、またゆっくりと一回転させて止める。いつだか聞いた話では、ペンを回すのは頭の回転を良くする為に無意識に行う仕草らしい。真剣な表情で羊皮紙と睨み合いを続けている。これは集中モードに入っていて声をかけても気づかないかもしれない。今までにも何度か声を掛けても応じないことがあった。わざと無視してるんじゃないかと思うこともある。
「ボルカノさん」
「……ん。なんだ」
白い羽がぴたりと静止した。一度目で私の声が届いた。反応は示したものの、視線はまだ羊皮紙に向いている。大した用事がないなら話しかけるな、ということだろう。
「お茶を淹れようと思ったら茶葉が切れてました」
「……は?この間買い足したばかりだぞ」
私の方を向いた彼は何を馬鹿な事をと言いたげに顔を顰めていた。事実なのだから私に不満をぶつけられても困る。
「お弟子さん達も飲んでるみたいで。紅茶好きな人が多いんですね」
「いや、……そうじゃないな」
羽ペンを作業台に伏せた彼はふうと溜息を吐き出した。
「実験用によく持っていかれる」
「紅茶の茶葉を?」
「……実験用は自分達で調達しろと何度言えば分かるんだあいつらは」と文句をぶつぶつ垂れている。茶葉で実験をするなんて、何に使っているんだろうか。布の染め出しぐらいしか私には思いつかない。
「私、買いに行ってきますよ。他に何かあれば一緒に買ってきます」
「ああ……そうだな。じゃあ……ってちょっと待て。一人で行くつもりじゃないだろうな」
「はい。場所分かりますし」
雑貨屋までの道のりは覚えたつもりだ。南側だけならそう迷うこともないし、目印となる建物は既に昔から頭にインプットされている。そのつもりで私は代金を預かろうとしたのだけど、彼の考えは違うようで。
椅子の背に掛けていた深紅の一張羅に袖を通しピッと襟を正した。
「ボルカノさんも行くんですか」
「当たり前だ。また何処かで倒れられでもしたら敵わん」
礼装用の手袋を嵌める様にふと思う事が一つ。指をパチンと鳴らして炎出せないのかなと考えてしまった。それだと別のキャラになってしまうかとぼんやり考えていたら、訝しげい目つきで「なんだ」と睨まれてしまった。
下の階にはまだ他のお弟子さんは戻ってきておらず、カウンターに居た留守番が「お出かけですか」と言いながらさっと茶色い器を隠した。それを特段咎めることも無く「ああ」とボルカノさんが答える。
「他の奴らは皆出かけてるようだな」
「そーです。ネズミ一匹も来てませんよ」
「静かな事に越したことはない。すぐ戻る」
「いってらっしゃいませ~」
カウンターを通り過ぎる時に「行ってきます」と頭を下げた。そこで「霧華さん。すげー美味かったよ。ありがと」とニコニコ顔で手を振ってくれた。その笑顔に釣られて私も小さく手を振り返し、館の外へ出る。
その会話を耳聡く聞いていたのか「何の話だ」と尋ねられた。
「昨日、余った小麦粉で焼いたクッキーです。ティータイム用のはちゃんと確保してありますよ」
「オレは別に紅茶だけで構わないが……今度から飲料用は部屋に持ち込むか。使うだけ使って戻すことを知らないからなあいつら」
◇◆◇
雑貨店内にいい香りが漂っていた。ラベンダーに似たその香りが心を落ち着かせてくれるようだった。どこからするのかと店内を見渡し、窓際に吊るしてあるドライフラワーの束が目に留まる。姿形もラベンダーにそっくりだ。
「あんたが何度も店に足を運ぶなんて珍しいね」
「買い忘れた物があった。…薬草が入荷してるのか。レッドクローバー、アルカネット、セイヨウシソウを一束ずつ。ついでにそれも頼む」
よく見ると前には無かった品物が陳列されていることが分かった。私の世界の様に物流が安定しているわけじゃないから、その日によって品揃えが違うようだ。一定の品物が店に並ぶのが当たり前という考えは改めた方が良さそう。
「霧華。どれがいい」
カウンターで話をしていたボルカノさんと店主を尻目に物色していると声を掛けられた。カウンターテーブルにはあらゆる薬草が並んでいる。
「え。私が選んでもいいんですか?この間のも美味しかったけど……おススメはありますか?」
「そうだねえ……お、昨日入ったアールグレイがまだあるよ。これにしたらどうだい」
「じゃあ……これでいいですか?」
店主のおススメで良いか念のためにボルカノさんに確認を取った。何故ならこの世界の貨幣価値が未だに掴めずにいる。一オーラムが日本円で壱円として換算するのか。それとも百円か千円か。宿屋で一人一泊一オーラムは安すぎる。素泊まりで千円と考えた方が妥当かもしれない。けれど、傷薬一つで三十オーラムならば日本円で三万円。あまりの高さに目が飛び出るかと思った。考えれば考えるほど貨幣価値が分からなくなる。
それと同様に物の価値も違うと予想。向こうの世界で普通に手の届く品でも、こちらでは超高級品という可能性は大いに有り得る。その逆もまた然り。
私の心配を他所に彼は「それを貰おう」と即答した。
「あいよ。ちょっと待ってておくれ。……ところで、あんたこの町に最近来たのかい?」
「私、ですか?」
「そうだよ。見た感じ冒険者の様な恰好でもないし、前もこの人と一緒に店に来てたから弟子入りでもしたのかと思ってね」
店主は薬草の束を手際よく紙袋に詰める。一回り小さい袋の方にアールグレイの茶葉の缶。袋の口を三つに折り曲げ、カウンターに袋を揃えた。
丸い銀縁眼鏡の奥で優しくブルーの目が微笑む。若く見えるけど、実際の年齢は幾つぐらいなんだろうか。
私は返答に困っていた。まさか異世界から喚ばれて来ました、なんて言えるはずもない。朱鳥術を学ぶ為に弟子入りした訳でもない。
「え、えっと……私は」
「助手だ」
カウンターに金貨が二枚置かれ、紙袋を腕に抱えた彼はしれっとそう答えた。弟子の括りではなく、助手として名乗ってもいいという事か。
「ああ、それでかい。成程ね」
「迷子になりやすくてな」
「なっ……それは、土地勘が無いからです!」
「ははは。この町も広いからねえ。慣れないうちは気を付けた方が良いよ」
「は、はい。そうします」
的確なフォローに感謝すべきなんだろうけど、咄嗟に繕った笑顔は不自然な物だったに違いない。
店を出てしばらくしてから、早足で歩くボルカノさんにさっきの不満をぶつける。
「……迷子扱いにしないでくださいよ。あれじゃあ私が筋金入りの方向音痴みたい」
「違うのか?」
冷ややかな視線と共に送られた言葉が胸にぐさりと突き刺さった。これはあの時に町中を探索した事がバレている。何をしていたのかまで聞かれなかったのが幸いだ。井戸の様子を見に行っていました、なんて言えば疑いの目を向けられてしまう。
向こうの世界の事を色々と話してはきたけど、私がこの世界を知っている事は話していなかった。余計な波風は立てない方がお互いにいいと思うから。
もしも、リアルに生きている世界を造り物だと言われたなら、私ならきっと自暴自棄になる。今までの自分の人生は何だったんだ。誰かが糸を吊って動かしていたとでも言うのかと。
だから、例え説明したとしても信じてもらえるはずがない。
淡い橙色に染められた砂。ビーカーに入ったそれをボルカノさんが縁を持ち上げて光に透かしていた。ビーカーを右に傾ければ緩やかな傾斜ができ、左に傾けると綺麗に平らにならされる。それを何度か繰り返し、砂の様子を一粒ずつ見ていた。
ワイシャツの両袖を捲り上げて顕わになった腕は意外と太い。それを作業前に口にしたら「術士全員が貧弱という偏見は止めておけ」と軽く怒られてしまった。
とりあえず指示の通りに手を動かして、必要な事項はメモに残す。レシピ、道具の使い方を一から教わって初めて作ったものだ。固唾を飲み込みながら私は審査を待ち続けた。この一分一秒が長く感じる。
簡単な調合と作業だから肩の力を抜いてやればいいと言われても。物が物なだけあって途中で爆発や燃焼を起こしたらどうしようという心配があり、気が気じゃない。
ビーカーの内部を真剣に眺めている眼差しはまだ私の方へ降りてこない。審査時間が長すぎやしないか。もしや出来が悪すぎるので、どこか一つでもいい所は無いかと探しているのかも。これは厳しい審査結果を覚悟しておいた方がよさそうだ。
「筋がいいな」
ようやくぽつりと紡がれた一言で時が動き出した。予想外の言葉に私は思わず聞き返す。
「ほ、ホントですか」
「ああ。素人が作ったにしては出来がいい。……正直ここまで出来るとは期待してなかった」
「よかったあ」
肩の力が一気に抜けた。作業台にへたり込んで腕に顔を伏せる。疲れがどっと押し寄せてくるようだった。
ことりと音を立てたビーカーが私の横に置かれる。光を受けてキラキラと輝く砂粒。これが火星の砂というアイテムの基になる。
「この出来ならばスライムぐらいは一撃で吹き飛ばせる」
「……そんな物騒な物を私の顔の横に置かないでください」
「心配するな。強い衝撃が加わらなければ発火も爆発も起きない」
「こんなに綺麗な砂なのに。……人も物も見かけに寄らないんですね」
この橙色の砂をお洒落な瓶に入れて飾ればインテリアになりそうだ。小さめのドライフラワー、貝殻、波に削られた白いガラス片を閉じ込めて。しかし、そんな用途には使われることは一生無い。ここからさらに固めて石に成形する。砂を石に固めるなんてどうやるのか見当もつかなかった。
「次の作業は」
「ま、待ってください。そろそろ休憩しましょう。久々に集中したから私もうクタクタなんです」
ぶんぶんと手を振って次の作業工程に移ろうとしたボルカノさんに待ったをかける。資料用の分厚い本を片手に付箋のついた頁を開こうとした彼にキョトンとされてしまう。それから壁の時計に目をやって短く「ああ」と納得したようだった。
「もうこんな時間か」
「下でお茶淹れてきますね」
「頼む」
作業台から席を立ち、凝り固まった体の筋を伸ばしてから一階直通に繋がる階段室へ。この階段は一つ上るだけで地上七階から一気に一階へ降りる事ができる。どういう仕組みなのかずっと不思議に思っていたけど、理論を聞いても良く分からなかった。つまりは空間を千切って強引に繋ぎ合わせているらしい。七階分の階段を昇降するのは厳しいけど、一日一回ぐらいは上った方が運動不足の解消になりそうだ。
この館の一階フロアは広く展開している。そこに大きなテーブルが二つ。作業台兼食事スペースともなっていた。普段はそこに材料を広げてアイテムを作っている彼の弟子がいるのだけど、今はその姿が一つもない。アイテムの実験に行っているのかもしれなかった。
ただ一人、カウンターにぽつんと残された術士がいた。誰も居ないのをいいことに大きな欠伸をしていた。目を閉じて頬杖をつく様は暇を持て余しているのがひしひしと伝わってくる。
「お疲れ様です」
「ん……ああー。霧華さんか。疲れるも何もないよ。今日は誰も来ないし、みんな外に行っちまったし、退屈で仕方ないんだ」
「店番も大変ですね。キッチン、使わせてもらってもいいですか?」
「どーぞ」
「ありがとうございます」
カウンター内に失礼して立ち入り、キッチンスペースに向かう。かまどに薪をくべて火を点ける。水を入れたケトルを火にかけ、お湯が沸くまでにお茶の準備を進めることにした。
整頓された食器棚から茶器のセットをトレイに並べたまではいい。茶葉の缶を取った時、あまりにそれが軽かったので蓋を開けると中身が空だった。別の缶だったかと他を探してみても、それらしいものは見つからない。
おかしいなと思いながらカウンターのお弟子さんに声をかけた。
「すみません。紅茶の茶葉が見あたらないんですけど。どこにあるか知ってますか」
「え?そこにないなら無いと思うけど……あ。そういや昨日だったかな。あいつらが使ってたような」
「じゃあもう使い切っちゃったってことですね。分かりました」
茶葉がないのにお湯を沸かす意味はない。私はすぐにかまどの火を消した。火を起こすのは大変だ。でも、点けっぱなしは火事の原因になる。
せっかく用意したお茶菓子もこのままでは無駄になってしまう。クッキーには紅茶か珈琲がないと。それに今日食べてしまわなければ湿気て食感が悪くなる。とりあえず用意しておいた木の器に三枚ばかりを並べてカウンターへもう一度声をかける。
こちらに傾けた気だるそうな顔。留守番が飽きたと書いてある。
「やっぱりないだろ」
「はい。ボルカノさんに声かけて買ってこようと思います。……それで、お茶はないんですけど良かったらどうぞ。昨日焼いたクッキーです」
「え。……いいの?」
皿の様に目を丸くされる。その器を受け取った後もそれを見つめる時間が長い。ありがた迷惑だったかな。
「甘い物嫌いでしたら無理には」
「あ、いや。むしろ好き」
「良かった。留守番役の労いですから、他の人には内緒でお願いします」
「たまには良いことあった。ありがとな」
はにかんだ顔を見て喜んでもらえたのだと一先ずホッとした。まだ十八、九ぐらいの歳に見えるのにこうして弟子入りしてるなんて偉いなあと思う。
揃えたお茶のセットを隅に置いて、七階フロア直通の階段へ向かった。
ドアを開けた先で見えたのは作業台に羊皮紙を広げ、羽ペン片手に頬杖をついているボルカノさん。大きな白い羽ペンをくるりと回して止め、またゆっくりと一回転させて止める。いつだか聞いた話では、ペンを回すのは頭の回転を良くする為に無意識に行う仕草らしい。真剣な表情で羊皮紙と睨み合いを続けている。これは集中モードに入っていて声をかけても気づかないかもしれない。今までにも何度か声を掛けても応じないことがあった。わざと無視してるんじゃないかと思うこともある。
「ボルカノさん」
「……ん。なんだ」
白い羽がぴたりと静止した。一度目で私の声が届いた。反応は示したものの、視線はまだ羊皮紙に向いている。大した用事がないなら話しかけるな、ということだろう。
「お茶を淹れようと思ったら茶葉が切れてました」
「……は?この間買い足したばかりだぞ」
私の方を向いた彼は何を馬鹿な事をと言いたげに顔を顰めていた。事実なのだから私に不満をぶつけられても困る。
「お弟子さん達も飲んでるみたいで。紅茶好きな人が多いんですね」
「いや、……そうじゃないな」
羽ペンを作業台に伏せた彼はふうと溜息を吐き出した。
「実験用によく持っていかれる」
「紅茶の茶葉を?」
「……実験用は自分達で調達しろと何度言えば分かるんだあいつらは」と文句をぶつぶつ垂れている。茶葉で実験をするなんて、何に使っているんだろうか。布の染め出しぐらいしか私には思いつかない。
「私、買いに行ってきますよ。他に何かあれば一緒に買ってきます」
「ああ……そうだな。じゃあ……ってちょっと待て。一人で行くつもりじゃないだろうな」
「はい。場所分かりますし」
雑貨屋までの道のりは覚えたつもりだ。南側だけならそう迷うこともないし、目印となる建物は既に昔から頭にインプットされている。そのつもりで私は代金を預かろうとしたのだけど、彼の考えは違うようで。
椅子の背に掛けていた深紅の一張羅に袖を通しピッと襟を正した。
「ボルカノさんも行くんですか」
「当たり前だ。また何処かで倒れられでもしたら敵わん」
礼装用の手袋を嵌める様にふと思う事が一つ。指をパチンと鳴らして炎出せないのかなと考えてしまった。それだと別のキャラになってしまうかとぼんやり考えていたら、訝しげい目つきで「なんだ」と睨まれてしまった。
下の階にはまだ他のお弟子さんは戻ってきておらず、カウンターに居た留守番が「お出かけですか」と言いながらさっと茶色い器を隠した。それを特段咎めることも無く「ああ」とボルカノさんが答える。
「他の奴らは皆出かけてるようだな」
「そーです。ネズミ一匹も来てませんよ」
「静かな事に越したことはない。すぐ戻る」
「いってらっしゃいませ~」
カウンターを通り過ぎる時に「行ってきます」と頭を下げた。そこで「霧華さん。すげー美味かったよ。ありがと」とニコニコ顔で手を振ってくれた。その笑顔に釣られて私も小さく手を振り返し、館の外へ出る。
その会話を耳聡く聞いていたのか「何の話だ」と尋ねられた。
「昨日、余った小麦粉で焼いたクッキーです。ティータイム用のはちゃんと確保してありますよ」
「オレは別に紅茶だけで構わないが……今度から飲料用は部屋に持ち込むか。使うだけ使って戻すことを知らないからなあいつら」
◇◆◇
雑貨店内にいい香りが漂っていた。ラベンダーに似たその香りが心を落ち着かせてくれるようだった。どこからするのかと店内を見渡し、窓際に吊るしてあるドライフラワーの束が目に留まる。姿形もラベンダーにそっくりだ。
「あんたが何度も店に足を運ぶなんて珍しいね」
「買い忘れた物があった。…薬草が入荷してるのか。レッドクローバー、アルカネット、セイヨウシソウを一束ずつ。ついでにそれも頼む」
よく見ると前には無かった品物が陳列されていることが分かった。私の世界の様に物流が安定しているわけじゃないから、その日によって品揃えが違うようだ。一定の品物が店に並ぶのが当たり前という考えは改めた方が良さそう。
「霧華。どれがいい」
カウンターで話をしていたボルカノさんと店主を尻目に物色していると声を掛けられた。カウンターテーブルにはあらゆる薬草が並んでいる。
「え。私が選んでもいいんですか?この間のも美味しかったけど……おススメはありますか?」
「そうだねえ……お、昨日入ったアールグレイがまだあるよ。これにしたらどうだい」
「じゃあ……これでいいですか?」
店主のおススメで良いか念のためにボルカノさんに確認を取った。何故ならこの世界の貨幣価値が未だに掴めずにいる。一オーラムが日本円で壱円として換算するのか。それとも百円か千円か。宿屋で一人一泊一オーラムは安すぎる。素泊まりで千円と考えた方が妥当かもしれない。けれど、傷薬一つで三十オーラムならば日本円で三万円。あまりの高さに目が飛び出るかと思った。考えれば考えるほど貨幣価値が分からなくなる。
それと同様に物の価値も違うと予想。向こうの世界で普通に手の届く品でも、こちらでは超高級品という可能性は大いに有り得る。その逆もまた然り。
私の心配を他所に彼は「それを貰おう」と即答した。
「あいよ。ちょっと待ってておくれ。……ところで、あんたこの町に最近来たのかい?」
「私、ですか?」
「そうだよ。見た感じ冒険者の様な恰好でもないし、前もこの人と一緒に店に来てたから弟子入りでもしたのかと思ってね」
店主は薬草の束を手際よく紙袋に詰める。一回り小さい袋の方にアールグレイの茶葉の缶。袋の口を三つに折り曲げ、カウンターに袋を揃えた。
丸い銀縁眼鏡の奥で優しくブルーの目が微笑む。若く見えるけど、実際の年齢は幾つぐらいなんだろうか。
私は返答に困っていた。まさか異世界から喚ばれて来ました、なんて言えるはずもない。朱鳥術を学ぶ為に弟子入りした訳でもない。
「え、えっと……私は」
「助手だ」
カウンターに金貨が二枚置かれ、紙袋を腕に抱えた彼はしれっとそう答えた。弟子の括りではなく、助手として名乗ってもいいという事か。
「ああ、それでかい。成程ね」
「迷子になりやすくてな」
「なっ……それは、土地勘が無いからです!」
「ははは。この町も広いからねえ。慣れないうちは気を付けた方が良いよ」
「は、はい。そうします」
的確なフォローに感謝すべきなんだろうけど、咄嗟に繕った笑顔は不自然な物だったに違いない。
店を出てしばらくしてから、早足で歩くボルカノさんにさっきの不満をぶつける。
「……迷子扱いにしないでくださいよ。あれじゃあ私が筋金入りの方向音痴みたい」
「違うのか?」
冷ややかな視線と共に送られた言葉が胸にぐさりと突き刺さった。これはあの時に町中を探索した事がバレている。何をしていたのかまで聞かれなかったのが幸いだ。井戸の様子を見に行っていました、なんて言えば疑いの目を向けられてしまう。
向こうの世界の事を色々と話してはきたけど、私がこの世界を知っている事は話していなかった。余計な波風は立てない方がお互いにいいと思うから。
もしも、リアルに生きている世界を造り物だと言われたなら、私ならきっと自暴自棄になる。今までの自分の人生は何だったんだ。誰かが糸を吊って動かしていたとでも言うのかと。
だから、例え説明したとしても信じてもらえるはずがない。