ひがんのひなぎくたち
二十三、現世②
あれから一週間程が経った。現世ではクリスマスシーズンを迎えていた。閻魔王は
「おはようございます、閻魔様。服のサイズは大丈夫ですか?」
「おはよう、たかむらくん。うん、ぴったり!」
「良かったです。では、参りましょう」
篁の言葉に、閻魔王はごくりと唾を飲み込む。現世へ行きたいと言った日から、予想していた通り何度も悪夢を見た。けれど、今日現世へ行けば、悪夢から解放されるかもしれない。そう思いながら、篁の後を追った。
現世へ続く鳥居を潜る。その先に見えたのは、見た事のない景色だった。閻魔王が生きていた時代とは違い、建物が多い。車というものも、沢山走っていた。思わず右へ左へ首を巡らせる。
「現世もだいぶ変わりましたね、
三郎――それが、閻魔王の生前の名前だった。流石に現世で閻魔王と呼ぶのは目立つだろうとなり、向こうへ行ったら生前の名前で呼ぼうと決めていた。
大通りを歩いている時は、篁の隣を歩き、それなりに会話を楽しんでいた。だが、裏道へ入り、人気が少なくなってくると、次第に閻魔王は篁の後ろへ行った。篁は何も言わずに歩く。ここで振り返ったり、声をかけるのは良くないと思ったのだろう。何も言わない背中に、閻魔王は少しだけ安堵し、息を吐いた。
人も建物も、ほぼ見えなくなる。次第に、閻魔王は前を見ていられなくなり、篁の足元だけを見ていた。あの男のものと重なる。立ち止まり、強く目を瞑った。少しすると、足音が聞こえない事に気が付いたのか、篁も足を止める。だが、振り返る事はせず、じっと前だけを見据えていた。
空から何かが降ってくる。それは地面に触れると溶けた。
――雪だ。
お地蔵様に手ぬぐいをあげた日の事を思い出す。呼吸が、上手く出来ない気がした。
――大丈夫。今は、あの時じゃない。
そう言い聞かせる。前へと、進まなくては。閻魔王は、重たい足を一歩踏み出した。そんな閻魔王に気が付き、篁はまた進み始める。怖くて、顔をあげられなかった。何度も立ち止まっては、また歩く。
やがて、閻魔王の視界の端に、道祖神が現れる。苔に覆われていたが、あの時見たものと、確かにそっくりだった。
「……たかむらくん」
「はい」
二人して、立ち止まる。名前を呼ばれ、ここで初めて篁は振り返った。何も言わない閻魔王を、篁は優しげに見る。
「ごめん、やっぱりなんでもない。……いこう」
「はい」
また、ゆっくりと進んでいく。心臓が、うるさくて堪らなかった。変な汗も出て来る。もう少しで死んだ場所へと着いてしまう。閻魔王は思わず篁の服を掴んだ。篁は何も言わない。それが、少しだけ安心できた。
少し歩いた所で、篁が立ち止まる。何も無い場所だったが、ここが死んだ場所だということは、直ぐに分かった。篁から手を離す。
一歩、また一歩と、死んだ場所へと近づいて行く。何かが燃える匂いがしたような気がした。石の当たった感覚が蘇る。服をぎゅっと握った。やがて、息絶えた場所まで来ると、ゆっくりとその場へしゃがむ。地面に手をつき、一度だけ深呼吸する。
「……おれ、ここでしんだんだ」
ぽつりと、そう言う。篁は何も言わずに閻魔王を見ていた。
生前、名前を呼ばれず、暴力を振るわれても、必死に生きていた。あの時の自分に、閻魔王は言いたい事があった。
――よく、頑張ったね。
自分の中にいる、過去の自分を撫でてやる。ずっと泣いていた心に、晴れ間が差し込んだ。地面から手を離し、立ち上がる。振り返り、篁を真っ直ぐに見詰めた。
「ねえ、篁君。せっかく現世に来たんだし、おれのいた時代には無かったもの食べに行きたい」
はっきりと、そう言う。いつもの間延びした喋り方では無かった。篁は少しだけ目を見開くも、直ぐに笑顔へとなる。
「では、とっておきのお店へ案内しましょう」
今度は篁の後ろではなく、隣を歩く。心臓の音は、まだうるさかった。けれど、心は少しだけ軽くなった。そんな気がした。