ひがんのひなぎくたち
二十三、現世①
閻魔庁の回廊を早歩きで歩く。
――緊張してきた。
この後、篁にある事をお願いしようとしていた。それを言って、もしまだ早いと言われたら、もう少し成長してからまた言えばいい。
二人がいるであろう部屋の前まで着く。心臓の音がうるさい。一度深呼吸をすると、閻魔王は扉を開いた。
中へ入ると、二人はいつものように仕事をしていた。ゆっくりと、篁の前まで行く。
「ねえ、たかむらくん」
「はい、何でしょう」
篁が顔を上げる。目が合った瞬間、閻魔王は視線を逸らした。心臓が今にも破裂しそうだった。
「あ、あのね」
「はい」
急かさず、閻魔王が言うまで篁は待っていてくれる。手に力を入れ覚悟を決めると、閻魔王は続きを言った。
「お、おれ、げんせにいってみたい。あと……。もし、おれになまえがあったのなら、おしえてほしい」
名前とは、生前の名前である。もしかしたら、生みの親が名前を付けていてくれたかもしれない。そんな淡い期待があった。
閻魔王の言葉に、篁も五官王も驚いた。特に篁は、驚きを隠せない様子だった。
中々返事をしてくれない篁に、閻魔王は不安になってくる。やはり、まだ言うべきではなかったのだろうか。そう思っていると、篁はやっと口を開いた。
「丁度いいのかも、しれませんね。閻魔様の命日も近い事ですし。行きましょう、現世へ」
嬉しそうに、篁は言った。その返事に、閻魔王はほっとする。だが、名前の件がまだ残っていた。
「た、たかむらくん。なまえって、あったのかな」
「閻魔様の生前のお名前ですか……。ここで具体的には言えませんが、ありました」
名前があった。その事に閻魔王は驚く。やはり、あったのだ。それが知れただけで、嬉しかった。二人になった時、どんな名前だったのか聞いてみよう。閻魔王はそう思った。自分の中にあった重たい何かが、少しだけ軽くなったような気がした。
その様子を見ていた五官王は、穏やかに閻魔王の事を見ていた。
「たかむらくん。おれ、じぶんのめいにちも、わからない。だから、げんせにいくとき、そのひがいい」
篁は持っていた筆を置くと、閻魔王へと向き直った。
「本当に、それで宜しいのですか?」
確かめるかのように聞いてくる。まるで、覚悟を問われているようだった。閻魔王はごくりと唾を飲み込む。手が、震えてきた。だが、逃げないで前へ進みたい。そう思うと、篁の目を真っ直ぐと見つめた。
「うん。それでいい。そのひじゃないと、だめなんだ」
閻魔王の返事を聞き、篁は頷いた。
「分かりました。では、閻魔様の命日に、現世へ行きましょう」
「ありがとう、たかむらくん」
自然と、笑みがこぼれた。行くまでの間、また悪夢を沢山見るかもしれない。けれど、現世へ行けば、何かが変わる。そう思い、閻魔王は空いている席へと座った。胸の高鳴りが、止まらなかった。