ひがんのひなぎくたち

十、悪夢


 ――空ってこんなに綺麗だったんだ。

 瞬間、衝撃が走り視界が真っ暗になる。気がつくつも、目を開けられなかった。

 勢いよく秦広王しんこうおうは飛び起きた。息は上がり、額には汗が浮かんでいた。心臓の音が、やけに大きく感じる。だが、何故こうなっているのか分からなかった。何か夢を見ていたような気がする。思い出そうとするも、もやに覆われ思い出せなかった。

 時計を見ると、起きなければならない時刻を越えていた。

「着替えないと」

 夢の内容が気になるも、今は急いで着替える方が先決だ。ベッドから降りた時、ノックの音が聞こえてきた。寝間着のまま扉を開ける。そこにはいつも一緒にいる、女性冥官みょうかんがいた。

「おはようございます、秦広様」

 いつもと変わらない声でそう言われ、何故だかほっとする。

 無言で見つめていると、冥官は小さく首を傾げた。何も聞いてこない彼女が、補佐兼教育係になってくれて良かったと、秦広王は思う。

「今、急いで着替える」
「では、外でお待ちしております」

 一礼すると、冥官は扉をゆっくりと閉めた。

 着替え終え、食事を済ませると、仕事をする為に執務室へと向かう。その途中、目の前から閻魔王と五官王ごかんおうが歩いて来た。笑い合いながら談笑をしている姿を見て、ざわついた気持ちになる。目で追いたくないのに、自然と閻魔王を見てしまう。すれ違いざま、閻魔王と目が合った。見ていた事がバレてしまうかもしれない。秦広王は咄嗟に視線を逸らした。

 いつものように仕事を開始する。だが、集中出来ないでいた。ずっと、心の奥がざわめいている。普段なら書ける文字が何故だか書けなかった。

 ――いつもなら切り替えられるのに。

 思わずため息が漏れ出る。集中出来ないまま、一時間ほど経ってしまった。

「秦広様。本日はこれで辞めにしましょう。秦広王には私から話しておきます」

 突然の冥官の提案に、秦広王は驚いてしまう。だが、ちょうど良かったのかもしれない。頷くと冥官は書類をまとめ、部屋から出ていこうとした瞬間、振り向き口を開いた。

「秦広様。気分転換に少し外を歩いてみてはいかがでしょう。これは必須では無いので、気分が乗らなければやらなくて大丈夫です」

 一礼すると、そのまま部屋から出て行く。一人になり、秦広王は机に突っ伏した。しかし、直ぐに体を起こす。部屋に籠っていては、ずるずると考え込んでしまう。先程の冥官の言葉を思い出し、秦広王は部屋から出て行った。

 閻魔庁の庭には四季折々の花が咲き誇っている。ここ冥府では、季節など関係ないのだ。

 そっと花の側へしゃがみ込む。目の前にはカタクリという名前の花が咲いていた。下を向いており、どことなく今の自分のようだと、秦広王は思った。ゆっくりと立ち上がる。少しだけ歩を進めるも、直ぐに立ち止まる。ふと、顔を上げてみた。どんよりとした、重たい空が広がっていた。瞬間、後頭部が強く傷んだような気がした。

 思い出したくもない記憶が押し寄せてきそうになる。秦広王は思い切り首を横に振った。

 ――違う事、考えよう。

 今朝の事を思い出す。閻魔王は、とても楽しそうだった。昔は自分に、あの顔を向けていてくれた。

 じくりと、胸が傷んだ。

「離れるのは、慣れてるはずなのに」

 そう呟くも、その声は誰に届くことなく、消えていった。
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